天武天皇の年齢研究 −目次− −拡大編− −メモ(資料編)− 当トップページの来訪者数 −本の紹介−詳細はクリック 2018年に第三段 「神武天皇の年齢研究」 2015年専門誌に投稿 『歴史研究』4月号 2013年に第二段 「継体大王の年齢研究」 2010年に初の書籍化 「天武天皇の年齢研究」 |
天武天皇の年齢研究 First update 2006/06/20 Last update 2021/07/11 【最新更新記録】
−天武天皇は天智天皇より10歳以上年の離れた弟であり40歳代で崩御された− 天武天皇とは 天武天皇は、自ら壬申の乱を起こし、即位した天皇です。 その後、在位15年間を通して、西暦686年、朱鳥1年に崩御されました。 宮内庁の順列に従えば、第1代神武天皇〜第125代平成天皇の中で、第40代天皇として 平安、奈良時代をさらに遡る飛鳥時代に位置づけられています。 天武天皇を紹介する際、私は次のように答えるようにしています。 1.天武天皇は公式の日本の歴史書、国史編纂を命じた天皇です。 2.天武天皇は古代中国が我国を名付けた「倭」ではなく「日本」と宣言した天皇です。 3.天武天皇は「大王」などではなく、「天皇」と呼称させました。 4.天武天皇は「宮」という古い慣習を改め、都市計画に基づく「京」を目指しました。 5.皇太弟として近江令にも関わり、飛鳥浄御原律令を定め、律令の基礎を作りました。 6.天武天皇は数々の氏族の位を統合し「八色の姓」を定めました。 7.天武天皇は各地の八百万(やおよろず)の神々を統一し、天皇と結びつけました。 どれも、推古天皇、聖徳太子、持統天皇など、諸説あり一定しないものですが、すべてに天武天皇説が有力視されていることは確かなことなのです。 これらの業績は貫徹されることなく、志半ばにして崩御されました。これを皇后が持統天皇となり、夫のやり残した事業を完成させたと、日本書紀や続日本紀は描いていると思います。
なぜ、年齢にこだわるのか。 現在まで、天武天皇の年齢は不詳です。日本書紀に記述がないからです。 古来諸説ありますが、現在56歳で崩御されたとする説が有力です。 しかし、これは一時しのぎの仮説にすぎません。戦前までは過去の史料、例えば「一代要記」や「本朝後胤紹運録」など65歳とされていましたが、これを56歳の書き間違いと根拠なく定めたものです。 近年、この65歳に戻した説が注目を集めたことがあります。その結果、弟であるはずの天武天皇が兄天智天皇より年上だというのです。 私もこの説に触発されて勉強を重ねてきました。 その結果、兄天智、弟天武の兄弟順は変わらないものの、天武は天智より10歳以上年の離れた弟であると考えるようになりました。即位年齢は42歳ではなく、30歳で即位し、40歳半ばで崩御されたのです。 日本書紀によれば、天武天皇は兄の天智天皇の娘を4人も娶り、活動も兄、天智に比べて極めて遅いものです。また、天皇在位期間が比較的長かったわりには、数多くの事業が志半ばで皇后に託され、天寿を全うした老年の崩御とは考えにくいものです。さらに、万葉集を飾る額田王との恋愛歌は40代になろうとする男女の宴席での歌とするより20代の若い二人の歌とした方が相応しいと思うからです。これらの理由を天武天皇の出自を疑うより、年差のある弟として考え、より若くして崩御されたと考えたほうが史実に無理なく説明ができます。 今度は年齢を引き下げるのかと、辟易する方も居られることでしょう。 しかし、自分の思いは深まるばかりです。私なりの意見がましい推論が次から次へと芽生え、ゆえにホームページ、さらには本という形で発表してみることにしました。 稚拙な文章ゆえ、不適切な表現、誤った表記などが、多々あるのではないかと危惧しております。どのような形でも結構です。ご指摘なりご指導など頂ければ幸いです。 本メールアドレス kamiya1@mta.biglobe.ne.jp ご感想をお寄せください。よりよいものにしていきたいと思っています。 ―目 次― 本論概要 年齢仮説の設定 古代に生きた人々の年齢を探る手法 古事記 日本書紀 続日本紀 藤氏家伝 懐風藻 扶桑略記 水鏡 愚管抄 一代要記 皇代記 仁寿鏡 興福寺略年代記 神皇正統記 本朝皇胤紹運録 尊卑分脈 帝王編年記 まとめ 川崎庸之氏 一般通説の発端 近年の異説概要 天武天皇年上論の概説 天武天皇子女の年齢序列 青木和夫氏「日本書紀考証三題」 直木孝次郎氏「飛鳥奈良時代の研究、忍壁皇子」 伊藤博氏「萬葉集釋注、別巻」 佐々克明氏 小林恵子氏 大和岩雄氏 井沢元彦氏 豊田有恒氏 関祐二氏 石渡信一郎氏 黒岩重吾氏 古田武彦氏 T天智天皇の4人の娘とその子供 U地元豪族の娘とその子供 太蕤娘の父 蘇我赤兄 V地方豪族の娘その子供 額田王と鏡女王 額田王と中臣朝臣大嶋 叔父、孝徳天皇 の年齢 義兄、古大兄皇子の年齢 実兄、天智天皇 の年齢 子供 大田皇女 、鸕野皇女、 建皇子 社会人としての初仕事―成人年齢 フクロウ伝説 初めての子供 初めての社会行動 后妃子女の序列 これらから導かれる関連年表 天文遁甲 神々の統一 白村江の戦い前夜(斉明天皇崩御) 新田部皇子の年齢(末子) もう一つのフクロウ伝説 中臣不比等の私生活の秘密 出自―高向玄理再考 漢皇子と天智天皇 淡海三船と懐風藻 原本参考図書、引用文献、研究書、天武天皇に関わる小説 参考にしたホームページ Google機能を用いた、当ホームページ内、語句検索 ―拡大編― 12.古代天皇の年齢 日本書紀にのる古代天皇の年齢を一人一人問題点など含め解説します。 基点は、現代の我々が正しいと推測する年齢や在位ではなく、天武天皇の時代に考えられた。 年齢、彼らがどのように推論し、数字を導いたのかを明らかにすることです。 代数 天皇名 代数 天皇名 代数 天皇名 13.継体大王の年齢 14.古代氏族人物の年齢 武内宿禰(年齢280歳以上という功臣) 日本武尊(景行天皇の皇子、大碓命の双子の弟) 志賀海神社と阿曇氏(大海人氏と同族の海部一族) 宗像大社と宗像氏(天武皇子高市の母の一族) 稗田阿禮(古事記編纂を牽引した、元天武天皇の舎人) 忌部宿禰子首(記紀編纂時、神代担当の一人) 役行者(役小角)(同じ白鳳時代を生きた修験道の開祖) 押坂大兄皇子(敏達天皇の長子、舒明天皇の父) 堅塩媛(欽明妃、蘇我稲目の娘) 日本書紀、最古の年代記録「一百七十九萬二千四百七十餘歳」の解釈 ―メモ(詳細説明)− 文献資料の総括、まとめ。資料の数的根拠など、順次追加していきます。 天武天皇に至る系図を一覧表にした。 天武天皇の皇后、妃、夫人とその皇子女の一覧 天智天皇の皇后、妃、夫人とその皇子女の一覧 第1代神武天皇から第124代昭和天皇までの誕生年、即位年、退位年、崩御年と年齢 第1代神武天皇から第41代持統天皇までの史書を通して綴られた年齢記述の比較 歴代天皇の年齢表記原文―日本書紀、古事記、扶桑略記、神皇正統記 天武天皇関連の地を訪問した場所の動画、写真集です。 動画 1.粟原寺 2.稲荷山古墳と鉄剣 写真集 天武天皇との年齢対比図 20.出版のご案内 「日本書紀最古の年代記録−1,792,470余歳の解釈」『歴史研究』全文公開 ©2006- Masayuki Kamiya All right reserved. |