天武天皇の年齢研究

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 概要 

 手法 

 史料調査 

 妻子の年齢 

 父母、兄弟の年齢 

 天武天皇の年齢 

 天武天皇の業績 

 天武天皇の行動 

 考察と課題 

 参考文献、リンク 

 

−拡大編−

 古代天皇の年齢 

 継体大王の年齢 

 古代氏族人物の年齢 

 暦法と紀年と年齢 

 

−メモ(資料編)−

 系図・妻子一覧

 歴代天皇の年齢

 動画・写真集

 年齢比較図

 

−本の紹介−詳細はクリック

2018年に第三段

「神武天皇の年齢研究」

 

2015年専門誌に投稿

『歴史研究』4月号

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2013年に第二段

「継体大王の年齢研究」

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2010年に初の書籍化

「天武天皇の年齢研究」

image009

 

 

 

后妃と皇子等の年齢 

First update 2008/10/19 Last update 2011/07/09

 

T天武后妃となる天智の娘たち

 后妃    ―――子         注○数字は万葉集歌数

 鸕野皇女E ―――草壁皇子@ 

 大田皇女  ―――大伯皇女E  大津皇子C 

 大江皇女  ―――長皇子 D  弓削皇子E 

 新田部皇女 ―――舎人皇子B 

 

U地元豪族の娘たち

 后妃    ―――子    

 氷上娘 @ ―――但馬皇女 C

 五百重娘A ―――新田部皇子○ 

 太蕤娘   ―――穂積皇子 C 紀皇女A  田形皇女○ 

 

V地方豪族の娘たち

 后妃    ―――子    

 額田王L  ―――十市皇女

 尼子娘   ―――高市皇子B

 穀媛娘   ―――忍壁皇子○  磯城皇子  泊瀬部皇女○ 託基皇女

 

注 ○に数字は万葉集に残した歌の数

  ○のみ は歌はみえないが他者との関係でその名がでてくる人

  無印  は万葉集にあらわれてこない人

 

ここでは、天武天皇の年齢の核心に迫るため、天武天皇家族の年齢構成を分析します。

日本書紀に記されている10名の夫人と17名の皇子達を指します。

これほど、多彩で個性的な人物、その時代を懸命に生き抜いた后妃や駆け抜けた皇子達の魅力にいつしか本稿では天武天皇本人の分析以上に時間を費やしています。

 

それを三つのブロックに区分しました。

 

T.天智天皇を父に持つ夫人とその皇子

U.地元豪族を父に持つ夫人とその皇子(父とは中臣鎌足、蘇我赤兄)

V.地方豪族を父に持つ夫人とその皇子(父とは鏡王、宗像氏、宍人臣)

 

特に、天武天皇の年齢を知る上で、十市皇女、高市皇子の年齢は重要です。

つまり、年長者とみられる母親4名とその皇子5名の年齢は特に注意が必要です。

具体的には后妃で鸕野皇后、大田妃、額田王、尼子娘

皇子では草壁皇子、大伯皇女、大津皇子です。そして最重要となる十市皇女と高市皇子です。

父である天武天皇の年齢を絞り込める重要な皇子達と考えました。

 

確かに大伯皇女、草壁皇子、大津皇女の年齢は日本書紀などから確認できます。

しかし、以下に示すように通説に従えば、天武天皇の子供たちの中で、十市皇女と高市皇子だけが特に他の皇子達と比較して早く生まれた印象が残るのは私がけの思いこみでしょうか。

本稿の全体図は別表にまとめました。

 

皇子達の年齢

通説(直木孝次郎、伊藤博氏説を中心に)

600 4455555555556666666666777777777788 年

年   8901234567890123456789012345678901 齢

十市皇女@ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――――――――――    31

高市皇子      @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――――――――43

忍壁皇子           @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――――47

大伯皇女             @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――41

草壁皇子              @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―28

大津皇子               @ABCDEFGHIJKLMNOPQR―24

磯城皇子                @ABCDEFGHIJKLMNOPQ?

長 皇子                  @ABCDEFGHIJKLMNO50

穂積皇子                   @ABCDEFGHIJKLMN49

弓削皇子                      @ABCDEFGHIJK―30

舎人皇子                            @ABCDE―60

新田部皇子                                @―55

 

本稿の主張 全体図は別表にて

600 4455555555556666666666777777777788 年

年   8901234567890123456789012345678901 齢

十市皇女            @ABCDEFGHIJKLMNOPQR    19

大伯皇女             @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――41

高市皇子             @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――35

草壁皇子              @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―28

忍壁皇子              @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS44

大津皇子               @ABCDEFGHIJKLMNOPQR―24

磯城皇子                    @ABCDEFGHIJKLM22

泊瀬部皇女                     @ABCDEFGHIJK72

長 皇子                      @ABCDEFGHIJK46

穂積皇子                        @ABCDEFGHI44

弓削皇子                          @ABCDEFG―26

紀 皇女                          @ABCDEFG46

託基皇女                          @ABCDEFG78

但馬皇女                           @ABCDEF34

田形皇女                            @ABCDE44

舎人皇子                            @ABCDE―60

新田部皇子                                @―55

 

日本書紀記載順に母親別に並び替えてみました。

      600 5555556666666666777777777788

        年 4567890123456789012345678901

          白斉斉斉斉斉斉斉天天天天天天天天天天天天天天天天天天天天

          雉明明明明明明明智智智智智智智智智智武武武武武武武武武武

          0000000000000000010000000001 年

          5123456712345678901234567890 齢

天智天皇の娘たち

鸕野皇女  草壁皇子        @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―28

大田皇女  大伯皇女       @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――41

      大津皇子         @ABCDEFGHIJKLMNOPQR―24

大江皇女  長 皇子                @ABCDEFGHIJK46

      弓削皇子                    @ABCDEFG―26

新田部皇女 舎人皇子                      @ABCDE―60

地元豪族の娘たち

氷上娘   但馬皇女                     @ABCDEF34

五百重娘  新田部皇子                          @―55

太蕤娘   穂積皇子                  @ABCDEFGHI―44

      紀 皇女                    @ABCDEFG46

      田形皇女                      @ABCDE44

地方豪族の娘たち

額田王   十市皇女      @ABCDEFGHIJKLMNOPQR    19

尼子娘   高市皇子       @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――35

穀媛娘   忍壁皇子        @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS44

      磯城皇子              @ABCDEFGHIJKLM22

      泊瀬部皇女               @ABCDEFGHIJK72

      託基皇女                    @ABCDEFG78

 

 

以上が本稿における天武天皇すべての皇子、皇女の推定年齢です。中にはかなり無理して手探り状態で年齢を推理したものもあります。しかし、そう年齢推定に大差はないと私なりに考えぬいたものです。真実は一つです。

すでに述べましたが、例えば22,3歳だろうとか20歳前後とか、30歳以前いう表現は避けました。この皇子は23歳だと言い切った表現をしています。あきらかに間違いであればその都度、正していきます。

 

本稿における天武天皇の皇子年齢の特異点

1.額田王が産んだ十市皇女は確かに長女であるが他の年長者の皇子達と大きな年齢差はない。

2.高市皇子は長男である。しかし、十市皇女、大伯皇女がすでに生まれていた。

3.大津皇子と磯城皇子との間に子が出来なかった時期があった。

4.新田部皇子は末子ではあるが、他の皇子達との年差が大きい。

 

1.十市皇女は懐風藻により、子持ちの女性と現在まで信じられてきました。しかし、万葉集は彼女を清らかな巫女的な女性として描き、高市皇子との初めての関係とそれゆえの自死に追い込まれた彼女の運命を暗示させ、懐風藻とは真っ向から矛盾すると考えました。

 

2.高市皇子の壬申の乱の役割は大きいものです。この時、扶桑略記に代表される19歳とするなら、20歳のアレクサンダー大王がマケドニアから広大な領土を自らの手でもぎ取っていくように、壬申の乱の最前線で大活躍したはずです。しかし、日本書紀の記述では高市皇子は天武天皇のもとにずっといたのです。天武天皇の言葉や行動を詳細に検討すると、高市皇子を含めた自分の皇子たちは皆幼いと嘆き、高市皇子に決して一任することなく、天皇自ら直接各部隊に細かな指示をしているのです。扶桑略記も懐風藻の著者と関わる延暦寺の僧侶であり影響があったのではないかと考えました。

 

3.大津皇子が九州の地で生まれたときは白村江の戦いに敗れ、勝者である中国の使者が日本に訪れていた時期と重なります。大海人皇子は天智天皇から皇太子の位を受け、天皇の名代として自分の生死をかけた中国との瀬戸際外交にかかわったのではないでしょうか。身も縮み上がるような過酷な経験を数年にわたり経験したにちがいありません。天武天皇は明日香に戻ることなく5年の間、九州に滞在していたのです。しかし母子は皆、安全な明日香に戻したと思われます。

5年後、磯城皇子が生まれたのは明日香での母斉明天皇と姉、間人皇女の葬儀の翌年です。天武天皇は母の葬儀に合わせて明日香の地に戻り、母子らと再会を果たしたのです。

 

4.新田部皇子が末っ子として生まれたのは天武天皇が崩御される5年前です。新田部皇子は天武天皇の子ではないと考えるようになりました。新田部皇子が生まれた天武10年、天武天皇はなぜか風紀の乱れを正すような詔を発しています。その翌年、新田部皇子を生んだ母、五百重娘の姉がなぜか宮中で突然亡くなります。そして、藤原不比等がやはり突然、自ら姿を消すのです。この日本の律令時代を築くことになる天才少年はこのとき24歳です。天武天皇の死後、この藤原不比等は政界に復帰し、正式?に姪の五百重娘と関係し、藤原麿を生ませています。これを史書、尊卑分脈は「密通」と酷評しているのです。

 

それ以外にも天武天皇の年齢を若く設定するだけで、いままで疑問とされてきた多くの事象がおどろくほどスムーズに解き明かされてきます。

 

 

【天武天皇皇子たちの関連年表】

 

661斉明 7年 朝鮮遠征時、大伯の海上で大伯皇女降誕。

662天智 1年 鸕野皇女が草壁皇子を出産。

663天智 2年 大田皇子が大津皇子を出産。

672天武 1年 壬申の乱。草壁皇子、忍壁皇子が天武天皇に同行する。

         大津皇子、高市皇子が天武天皇軍に次々参加する。

673天武 2年 大伯皇女(13歳)は伊勢神宮の齋王に選ばれる。

674天武 3年 忍壁皇子を石上神社に遣わし神宝の武器を磨かせた。

         大伯皇女(14歳)は伊勢神宮に移る。

675天武 4年 十市、阿閇皇女(15歳)を伊勢神宮に詣でられた。

676天武 5年 高市皇子以下小錦以上のものに、衣・袴など及び机・杖を賜った。

678天武 7年 十市皇女が宮中で薨じた。

679天武 8年 吉野会盟。鸕野皇后及び草壁(18歳)、大津(17歳)、高市、

         河嶋、忍壁、芝基の6皇子が参列した。

680天武 9年 舎人王に対し高市皇子を遣わす。卒したので、高市、川嶋を遣わす。

         僧恵妙の病を草壁皇子が見舞う。「三皇子」を遣わし弔わせる。

681天武10年 草壁皇子(20歳)を皇太子とする。

         川嶋・忍壁皇子らに帝紀編纂に参加させる。

682天武11年 膳臣摩漏の病気を草壁皇子(21歳)、高市皇子が見舞う。

683天武12年 大津皇子(21歳)が初めて朝政を執る。

         阿閇皇女(23歳)が草壁皇子の子、文武天皇を生む。

684天武13年 高市皇子に長屋王が生まれる。(扶桑略記等)

685天武14年 官位改定。草壁(24歳)に浄広一、大津(23歳)に浄大二、

         高市に浄広二、川嶋・忍壁に浄大三。

         宴席で皇太子以下それぞれに布を賜る。

686朱鳥 元年 高市皇子は出題された「無端事」に正しく答え賜り物があった

         多紀皇女、山背姫王、石川夫人を伊勢神宮に遣わされた。

         忍壁皇子の宮の失火により民部省を焼いた、という者がいた。

         草壁・大津・高市に4百戸加増

         川嶋・忍壁、芝基・磯城に2百戸を加増。

         天武天皇崩御。

         大津皇子(24歳)、謀反の企てにより、死を賜った。

         大伯皇女、伊勢斎宮の職を解かれ都に帰る。

689持統 3年 草壁皇子(28歳)薨去。

         高市皇子は太政大臣に任じられる。

         高市皇子は10月、公卿百宮を従えて、藤原宮予定地を視察。

691持統 5年 1月、穂積皇子、浄広弐で封戸五百戸を賜う。

         穂積皇子と但馬皇女との密通事件

692持統 6年 高市皇子は封戸合計5千戸を得る。

693持統 7年 高市皇子は位階も亡き草壁皇子に並ぶ、浄広壱を授けられた。

         長皇子、弓削皇子兄弟に浄広弐位を授けられる。

         吉野行幸に同行のおり里の額田王に歌を送る。

695持統 9年 舎人皇子 無位から浄広弐位を賜った。

696持統10年 高市皇子7月10日薨去。

698文武 2年 託基皇女を伊勢斎宮に遣わす。

699文武 3年 7月21日、浄広弐位弓削皇子薨去

700文武 4年 新田部皇子 無位から浄広弐位の位を授かる。

         忍壁皇子、勅を受けて藤原不比等と「大宝律令」の撰定を主宰。

701大宝 1年 泉皇女、伊勢斎王に卜定され、託基皇女と交代。

         左大臣多治比嶋の逝去に際し、三品忍壁皇子が第に行き弔う。

         忍壁皇子や藤原不比等らが大宝律令の完成の功に浴する。

         大伯内親王薨去

702大宝 2年 持統皇太后崩御。葬儀のため、忍壁皇子、造大殿垣司となる。

703大宝 3年 忍壁皇子、知太政官事となる。

704大宝 4年 二品の長皇子や舎人、穂積、忍壁皇子ら二百戸加増。

         三品 新田部親王、封百戸を賜る。

         正三位穂積親王、御名部内親王とともに封百戸を益す。

705慶雲 2年 9月穂積皇子、知太政官事

         忍壁皇子、越前国の野鳥町一百町を賜る。三品で薨去。

706慶雲 3年 泉内親王、伊勢大神宮に参る。

         8月29日 三品田形内親王を遣して伊勢齋王とする。

         12月6日 四品多紀内親王を遣して伊勢齋王とする。

707慶雲 4年 文武天皇の葬儀。二品新田部親王。

708慶雲 5年 三品 但馬皇女が薨去。

714和銅 7年 二品の長見子や舎人、新田部、志貴皇子に二百戸加増。

715霊亀 1年 四品泊瀬部、水主と三品の泉内親王に封一百戸を加増。

         一品 長親王薨去。(二品説あり)

         一品 穂積皇子 薨去

718養老 2年 二品 舎人皇子一品に叙せられる。

719養老 3年 新田部、舎人ともに封五百戸加増。

         新田部真の親王 封戸通計千五百戸になる。

720養老 4年 中臣不比等没。知五衛及授刀舎人事となる。

         舎人親王ら日本書紀を完成、奏上。

         舎人親王 知太政官事を任じられた。

724神亀 1年 聖武天皇(24歳)即位

         舎人親王五百戸加増。合計二千五百戸に及んだとされる。

         新田部皇子、一品に叙せられる。

         田形内親王、吉備内親王とともに二品を授かる。

728神亀 5年 3月5日 二品田形内親王薨去

729天平 1年 2月長屋王の変の窮問使として舎人、新田部らと邸を訪問。

         8月光明立后の天皇の勅を舎人、新田部と伝える。

731天平 3年 新田部皇子 知惣管事。

733天平 5年 舎人親王、藤原兄弟らと邸を訪れ橘三千代に従一位を贈る。

735天平 7年 新田部皇子 9月30日一品で薨去。

         舎人親王 11月14日薨去。太政大臣と追贈される。

737天平 9年 水主、泊瀬部、多紀内親王ともに三品。

741天平13年 泊瀬部内親王 3月28日薨去。

749勝宝 1年 多紀内親王、一品に叙せられる。

751勝宝 3年 多紀内親王 正月に薨去。

 

 

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