天武天皇の年齢研究

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2018年に第三段

「神武天皇の年齢研究」

 

2015年専門誌に投稿

『歴史研究』4月号

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2013年に第二段

「継体大王の年齢研究」

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2010年に初の書籍化

「天武天皇の年齢研究」

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新田部皇子の年齢 にたべのみこ

First update 2008/03/22 Last update 2011/01/29

 

            735天平7年9月30日薨去   続日本紀

681天武10年生  735天平7年薨去 55歳    本稿

76〜686   735天平7年薨去 50〜60 青木和夫

 

新田部親王とも書かれる。天武天皇の第七皇子(続日本紀)

 

父  天武天皇

母  五百重娘(いおえのいらつめ)

        藤原鎌足の娘。天武天皇死後、中臣不比等に嫁ぐ。

義弟 藤原麿  695持統9年生〜737天平9年没 49歳 尊卑分脈

        父は藤原不比等、母は五百重娘

伯母 氷上娘  682天武11年1月18日宮中で亡くなる。 日本書紀

義姉 但馬皇女 708和銅1年没。母は五百重娘の同母姉氷上娘。

 

藤原鎌足――氷上娘(氷上大刀自)

        ――但馬皇女

      天武天皇

        ――新田部皇子(681天武10年生〜735天平7年没 55歳

藤原鎌足――五百重娘(大原大刀自)

        ――麿    (695持統 9年生−737天平9年没)第

藤原鎌足――藤原不比等

        ――武智麿  (680天武 9年生〜737天平9年没)第1子

        ――房前   (681天武10年生〜737天平9年没)第2子

        ――宇合   (694持統 8年生〜737天平9年没)第3子

蘇我武羅自古―石川娼子

 

【新田部皇子 関連年表】

681天武10年  1歳 天武天皇の末子として生まれる。

682天武11年  2歳 母の姉、氷上娘が宮中で亡くなる。

686朱鳥 1年  6歳 父、天武天皇崩御。

695持統 9年 15歳 母、五百重娘が中臣不比等の子、中臣麿を出産する。

             20歳の舎人皇子が浄広弐位を授けられる。

700文武 4年 20歳 無位から浄広弐位の位を授かる。

704大宝 4年 24歳 三品親王として封百戸を賜る。

707慶雲 4年 27歳 文武天皇の葬儀。二品。

714和銅 7年 34歳 舎人親王とともに封二百戸加増。

719養老 3年 39歳 舎人皇子とともに封五百戸加増。首皇太子の重鎮となる。

             封戸通計千五百戸になる。

720養老 4年 40歳 中臣不比等没。知五衛及授刀舎人事となる。

724神亀 1年 44歳 聖武天皇即位。一品に叙せられる。

729神亀 6年 49歳 長屋王の変で王への窮問使の一員となる。

731天平 3年 51歳 知惣管事。

735天平 7年 55歳 9月30日一品で薨去。

 

600  777777888888888899999999990000 年

    456789012345678901234567890123 齢

天武天皇―――――――――――――崩

五百重娘LMNOPQRS―――――――――30―――34

新田部皇子       @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS―――55

藤原麿                       @ABCDEFGH―49

藤原不比等―――20―――24―――――30―――――――3840―――――――63

氷上娘 ―RS――――――27                      27

但馬皇女     @ABCDEFGHIJKLMNOPQRS――31    31

 

この新田部皇子の年齢55歳は次のようにして定めました。

続日本紀に735天平7年9月30日一品新田部親王が薨じたとあります。初任官の年は無位から浄広弐位の位を700文武4年に授けられています。その5年前、年齢の知れる20歳の舎人皇子が浄広弐位を授けられています。同様なことが新田部皇子にも行われたとして、この700文武4年を20歳としました。

その結果、681天武10年にうまれた末子となり、天武天皇が崩御する5年前に生まれたことになります。

考察で詳しく述べますが、本稿では新田部皇子が天武天皇の子供ではないのではないのかと疑っていきます。生まれてきたこの子に罪はありません。天武天皇はこの事実を公にしませんでした。

 

天武天皇の死後、皇子たちも順次亡くなっていきましたが、715和銅8年に長皇子と穂積皇子を失って以降は、20年間この新田部皇子と舎人皇子しか生き残っていませんでした。なお、皇女たちは別の意味で長生きしています。

 

万葉集

獻新田部親王歌一首 未詳

O3835

勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之 

かつまたの いけはわれしる はちすなし しかいふきみが ひげなきごとし

勝間田の 池は我知る 蓮なし しか言君が 鬚無き如し

勝間田の池を私はよく知っています。蓮はありません。

                 そう言う我が君のお髭がないように。

右或有人聞之曰、新田部親王、

出遊于堵裏御見勝間田之池感緒御心之中

還自彼池不忍怜愛 於時語婦人曰

今日遊行見勝間田池

水影涛〃蓮花灼〃

可怜断腸不可得言  「可」=「りっしんべん」+「可」

尓乃婦人作此戯歌專輙吟詠也

右はある人が聞いて言うには、新田部親王、

都からお出かけの際、勝間田の池をご覧になり御心に感じるものがございました。

その池より帰りましたが怜愛の情に忍び、時に婦人に語り曰く、

今日遊びに勝間田の池を見に行った。

水影とうとうとして、蓮花(美女ら)がしゃくしゃくとして

おもしろきこと断腸にして、言葉が浮かばない、と言われた。

すると婦人が戯歌を作りこれを重ねて詠ったという。

 

「由縁ある雑歌」として分類されるこの歌は、新田部皇子というより側近に仕える婦人の感情を伝えている歌です。婦人の自分によせる気持ちを知っている新田部皇子が、勝間田の池で蓮のような美しい女たちに出会ったよ、とけしかけます。案の定、その婦人は、その勝間田の池を自分はよく知っていますが、蓮(美しい女性)などありません(いません)ときっぱり言い切ったのです。ここは案外彼女のほうから新田部皇子の言葉を理解し、嫉妬して見せてあげたのかも知れません。言葉とおり新田部皇子に髭がなかったという説もあるようですが、この頃の男性は普通、あご髭がありました。新田部皇子も例外ではなかったはずです。婦人はりっぱな髭の新田部皇子に向かって貴方に髭がないのと同じですとこれまた断定した物言いでコケティッシュに自分の思いを伝えたのです。恋愛感情というより弱い立場の自分に強い言葉を重ねることで新田部皇子に媚びて見せたように見えます。

 

新田部皇子は735天平7年9月30日一品で天武天皇の第七皇子として薨去されました。従四位下の高安王らを遣わして、葬儀を監督・護衛させたと続日本紀にあります。また天皇は詔され、一品の舎人親王をその邸に遣わし弔意を伝えさせました。

しかし、この年は天然痘の大流行の始まりの年にあたり、たぶんこれが原因で三ヶ月後の11月14日にその天武天皇の最後の生き残り、舎人親王も薨去されています。

さらに737年、藤原四兄弟が次々、天然痘に倒れています。二人の皇子の死はこれらの予兆であり、深い連携があったと想像できます。

 

新田部皇子 735天平7年 9月30日 一品 第7皇子        55歳(本稿)

舎人皇子  735天平7年11月14日 一品 第3皇子 知太政官事  60歳(本稿)

藤原房前  737天平9年 4月17日 正三位 参議・民部卿     42歳

藤原麿   737天平9年 7月13日 従三位 参議・兵部卿     43歳

藤原麿 737天平9年 7月25日 従二位 右大臣        58歳

藤原宇合  737天平9年 8月 5日 正三位 参議・式部卿兼太宰帥 57歳

 

その後、757天平勝宝9歳 橘朝臣奈良麿の乱に新田部皇子の息子、塩焼王、道祖(ふなど)王が連座したとして、領地が没収されました。旧新田部親王の没官地は鑑真に戒院として与えられ、後に唐招提寺となります。

 

万葉集

柿本朝臣人麻呂獻新田部皇子歌一首 并短歌

B261

八隅知之 やすみしし    やすみしし   「我が大君の枕詞」

吾大王  わがおおきみ   我が大君    我が大君

高輝   たかひかる    高光る     「日の御子の枕詞」

日之皇子 ひのみこ     日の御子    日の神の皇子様が

茂座   しきいます    敷きいます   宮を建て住んでおられる

大殿於  おおとののうえに 大殿の上に   大殿の上に

久方   さかたの    さかたの   「天の枕詞」

天傳来  あまづたいくる  天伝来る   天空を伝わりくる

白雪仕物 ゆきじもの    雪もの    白雪のように

徃来乍  ゆきかよいつつ  行き通ひつつ  行き通いつつ

益及常世 いやとこよまで  いや常世まで  さらに永遠に

 

反歌一首

B262

矢釣山 木立不見 落乱 雪驪 朝樂毛

やつやま こだちもみえず  ふりまがい ゆきのわける あしたたのしも

矢釣山 木立も見えず 降りまがひ 雪の騒ける 朝楽しも

矢釣山の木立も見えなくなるほど乱れて降りつもる雪の朝は楽しい

 

雪を強調するこの歌は、さきに触れた新田部皇子が生まれる天武天皇とこの五百重娘の雪の歌を思い起こさずにはいられません。もし、新田部皇子が天武天皇の子でないとするならば、これを知る関係者はさぞ肝を冷やしたことでしょう。柿本人麻呂もずいぶん大胆な歌を歌ったものです。

 

 

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