DSC00738.JPG

 

天武天皇の年齢研究

kamiya1@mta.biglobe.ne.jp

 

−目次−

 ホーム−目次 

 概要 

 手法 

 史料調査 

 妻子の年齢 

 父母、兄弟の年齢 

 天武天皇の年齢 

 天武天皇の業績 

 天武天皇の行動 

 考察と課題 

 参考文献、リンク 

 検索、索引 

 

−拡大編−

 古代天皇の年齢 

 継体大王の年齢 

 古代氏族人物の年齢 

 暦法と紀年と年齢 

 

−メモ(資料編)−

 系図・妻子一覧

 歴代天皇の年齢

 動画・写真集

 年齢比較図

 

−本の紹介−詳細はクリック

2018年に第三段

「神武天皇の年齢研究」

 

2015年専門誌に投稿

『歴史研究』4月号

image007

 

2013年に第二段

「継体大王の年齢研究」

image008

 

2010年に初の書籍化

「天武天皇の年齢研究」

image009

 

 

 

継体大王の年齢研究−出版のご案内 

First update 2013/05/12 Last update 2014/01/01

 

「継体大王の年齢研究」

2冊目の出版になります。

image008

 書 名 :「継体大王の年齢研究」

 著 者 :神谷 政行(かみや まさゆき)

 出版社 :株式会社 叢文社(そうぶんしゃ)

      ISBN978-4-7947-0703-1

 発売日 :2013年3月15日

 定 価 :本体2000円+税

 ページ数 :286ページ(ソフトカバー)188×128mm

帯の文言「前作『天武天皇の年齢研究』で新たな考察法を編み出し歴史洞察を完成させた著者が、

今度は継体大王から記紀の矛盾を突く。」

 

購入先

1.叢文社歴史研究書 「継体大王の年齢研究」

2.ネット書店一例

  Amazon   hontoネットストア  7net通販   エルパカBOOKS

  JBOOK    booxstore    カラメルBOOKS  YESASIA

  楽天ブックス   GMOとくとくショップ     e−hon    

3.書店

  丸善&ジュンク堂書店  紀伊國屋書店

4.図書館でも閲覧できます。

  国立国会図書館 請求番号 GB77-J224 

 

他店はわかり次第、順次掲載し、お知らせ致します。

発売日変更等の遅れで一部の方々にご心配をお掛けしました。慎んでお詫び申し上げます。

 

出版動機

継体大王の年齢について、古事記は43歳、日本書紀は82歳となぜ、こうも大きく違うのでしょう。崩御年も異なります。よって在位期間が不確実な大王です。さらに、応神天皇の5世の孫となれば、出自が曖昧と言わないわけにはいきません。継体と次期天皇、息子の安閑は生前譲与しているのに、2年もの空位があるのはなぜなのでしょう。また、「この時、天皇、皇太子、皇子が皆死んだ」と異様な百済本記の記事が知られています。本当に、北陸の奥地にしか皇位継承者は残っていなかったのでしょうか。さらに、継体大王崩御後、安閑、宣化、欽明と続く継承の流れは、もう一つ、継体から直接、欽明が皇位を継いだ二朝が並立していたと思える記録あり、昔から問題になっていました。

結局、古事記や日本書紀の天皇在位の記述はこの継体以前から極端にズレ始めるのです。

これらの矛盾をすべて解決します。

継体大王の年齢を追求するためには応神天皇までさかのぼる必要がありました。

その結果、この壮大な天皇系譜は、古事記と日本書紀が同じ原史料を用いて、個々に展開された独創的構想の産物であることに気がつきました。

大雑把な言い方ですが、記紀年代の相違はこの継体大王の扱いだけで説明できるのです。

日本書紀に示された継体大王の高年齢がこのズレの根本原因であり、それは新王朝成立を隠蔽した結果であったと考えられます。そのために、古事記と日本書紀の編纂者たちは、本来なかった継体大王を天皇序列に組み込まなければならなくなったのです。

この本はホームページの連載の中から生まれました。

継体大王という調査から生まれた結論の数々は、ホームページの内容を大幅に加筆せざるを得ないものでした。そのために本として独立させました。ホームページの方は修正変更をあえてしていません。起草した原点だからです。

前作、天武天皇の年齢研究と同じ手法を用いて、今度は推古天皇から一人ずつ年齢を探り、積み上げ応神天皇まで描きましたが、あくまで焦点は継体大王に当てています。応神5世の孫が継体大王ですから、この系譜が真実かどうかは別として、年齢関係に矛盾はないはずだと考えました。

ご教授を賜れば幸いです。

 

拙著へのご批評

Amazonカスタマーレビュー

「はたして古代(5世紀から7世紀)の有名人物の年齢研究で、古代史が語れるものか、考えさせられた。

狙いは確かにグッドである。しかし、推定年齢で古代史が語れるのか、興味本意で購入した。

古代史は奥が深いと考える。たとえば、「倭国から日本国」になった時期、「天皇制が何世紀に成立」したのか、「百済王と倭国王」の関係は、もっと、はっきりしている研究がある。私の考えはいま述べないが、別の角度からの研究が必要であると考えさせられる一冊である。」

 

→拙著へのご批判に感謝致します。カスタマーレビューは読者同士の情報の場と聞き、あえてこの場に掲示しました。確かに年齢研究は、小さなひとつの手法に過ぎず、これだけで古代史が語れるはずもありません。大山を一つの場所から描ききることはできません。あらゆる角度から、考古学、芸術、言語、科学、民族、宗教、政治、医学などその一つ一つが大切な手法です。古代史は総合的な学問です。

拙著の視点は、天武天皇当時を再現するもので、現代が考える古代史ではありません。なぜ、こんな長寿や長い在位を設定したのか、まずはこれを解明するのが先だと考えました。

それにしても、今の文献古代学はあまりに年齢に対し安易すぎます。継体大王の年齢を日本書紀は82歳、古事記は43歳とはっきり記しているのです。一人ぐらい、この大きな矛盾に正面から取り組んでもいいでしょう。いつまでも100歳を超える超人的年齢を放置しておく方がおかしい。古代の方々に少しでも人間らしい血を通わせたいと思う一人です。(2013/11/01

 

神谷政行氏の著書「継体大王の年齢研究」をゲットしました

カテゴリ:古代史系の妄想

「天武天皇の年齢研究」につづき、第2弾「継体大王の年齢研究」をamazonから購入しました。

私見をいくつか列挙しておきます。

1.神谷さんにもメールでお伝えしましたが、「天皇」という呼称が定められたのは持統天皇のころからとされます。それまでは「大王(おおきみ)」と言われていました。「継体」という謚は、奈良時代に淡海三船(天智天皇の玄孫)が神武から元正(弘文・文武除く)まで一気に命名したので、「継体」とつけられた時点で「継体天皇」だったわけで、「継体大王」って?

神谷さんは著書の中で、「継体」のみ「大王」呼称にこだわり、前後の天皇は「天皇」と呼んでいます。著書を最後まで読めば、その理由がわかるそうです。〜(以下拙著と関わりない自説の為、略しました。)

→いつも、彼の幅広い知識には脱帽しています。おっしゃる通りで「天皇」使用は後のことです。それ以前は「天王」「大王」「王」などといろいろ書かれ、読み方も「あめきみ」「おおきみ」「すめらみこと」など、こう言うことに拘ると「皇后」「太子」なども違うでしょう。最近では、「白村江」を「はくすきえ」ではなく「はくそんこう」、新羅も「しらぎ」ではなく「しんら」さらには、韓国語で読むべきなど、きりがありません。ここでのスタンスは、あくまで当時の記紀編纂者たちがどう扱っていたかです。日本書記は全体を「天皇」と統一して見せています。白村江も「はくすきえ」とふりがなしています。

少ない資料で我々が時代ごと、地域ごとに、どう統一して見せるかではありません。

拙著は記紀に書かれた継体の年齢を突き詰めると、どうしても歴代の天皇序列からはみ出してしまい、時間軸では、武烈→継体→安閑ではなく武烈→安閑にしないと説明が付かないと考えました。これ対して記紀は、無理矢理、継体を序列に割り込ませ「天皇」とした為、婚姻や親子関係が妙な年齢構造になってしまったのです。だから、それは違うと主張しました。(2013/12/31

 

 

本章先頭へ       ホーム目次へ

©2006-2018 Masayuki Kamiya All right reserved.