天武天皇の年齢研究

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2018年に第三段

「神武天皇の年齢研究」

 

2015年専門誌に投稿

『歴史研究』4月号

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2013年に第二段

「継体大王の年齢研究」

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2010年に初の書籍化

「天武天皇の年齢研究」

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関連年表 

First update 2010/02/11 Last update 2011/08/14

 

天武天皇に関する年表

ここでは本稿の推定に基づく年齢で表記しています。

 

614推古22年    天武天皇73歳説(神皇正統記など)による生誕年

622推古30年    天武天皇65歳説(本朝皇胤紹運録など)による生誕年

626推古34年    天智天皇こと中大兄皇子生誕

629舒明 1年    間人皇女こと後の孝徳皇后生誕(本稿)

631舒明 3年    天武天皇56歳説(川崎庸之氏など)による生誕年

641舒明13年    舒明天皇、49歳崩御。時に、中大兄皇子16歳とある。

            百済最後の王、()()王即位。来日した扶余豊璋はこの王子。

642皇極 1年    皇后天豊財重日足姫が皇極天皇として即位。

            天候不順。皇極天皇自ら祈祷。

643皇極 2年    9月、皇極天皇の母(吉備島皇祖母命)薨去。

            11月、蘇我入鹿らが斑鳩の山背大兄王を殺害。

644皇極 3年 1歳 3月、大海人皇子(後の天武天皇)降誕。(本説)

645大化 1年 2歳 乙巳の変。中大兄皇子は20歳にして蘇我入鹿を殺害。

            皇極天皇に替わり同母弟の孝徳天皇が即位。

            天武の兄、中大兄皇子は皇太子、姉間人皇女は皇后。

            9月、舒明天皇の長男、古人大兄皇子及び子らが殺害。

            12月、難波長柄豊碕に遷都

646大化 2年 3歳 孝徳天皇、改新の詔を発布。

649大化 5年 6歳 右大臣蘇我倉山田麻呂(中大兄皇子妃の父)、謀反疑惑で自殺。

653白雉 4年10歳 中大兄皇子28歳は孝徳天皇の許しを得ず、皇極上皇、間人皇后

            大海人皇子らを率いて難波宮を離れ、飛鳥河辺仮宮に遷った。

654白雉 5年11歳 孝徳天皇病と聞き、中大兄皇子は、皇極上皇、間人皇后、

            大海人皇子、公卿らを率いて難波宮に行く。

            難波宮で孝徳天皇39歳(本稿)が崩御。

655斉明 1年12歳 皇極上皇、重祚して、飛鳥板蓋宮に再度即位。

658斉明 4年15歳 阿倍比羅夫、東北の蝦夷を討つ。

            11月、孝徳天皇の子、有間皇子謀反の罪で殺害。

660斉明 6年17歳 額田姫王18歳が十市皇女を大和国十市で出産。(本稿)

            唐、新羅連合軍により隣国の朝鮮百済国滅亡。

661斉明 7年18歳 新羅征討のため難波を出航し九州に向かう。

            大海人皇子の妃大田皇女18歳が大伯の海で大伯皇女を出産。

            6月、新羅、武烈王(金春秋)死去。

            夏7月に母、斉明天皇が九州の朝倉宮にて崩御。55(本稿)

            中大兄皇子(36歳)称制。母の亡骸とともに大和に帰る。

662天智 1年19歳 大海人皇子の妃鸕野皇女18歳が草壁皇子を九州の地で出産。

663天智 2年20歳 大海人皇子の妃大田皇女20歳が大津皇子を九州の大津で出産。

            8月、大和連合軍が朝鮮白村江で大唐と新羅連合に敗退。

            9月、百済難民、日本に向かう。

            大海人皇子は産後の大田皇女以外、妃子らを大和に帰す(本稿)

664天智 3年21歳 天智天皇39歳は九州にいる(本稿)大海人皇子に詔して、

            官位の階名の増加、変更ことなどを告げられた。

            唐の郭務宗ら来日。入京を拒否。

            九州筑紫などに翌年にかけ、のろし台、水城などを築く。

665天智 4年22歳 大海人皇子の姉、間人大后、37歳(本稿)崩御。

            百済四百余人を近江国神前に置く。

            9月、唐の郭務宗、高官劉徳高等とともに再来日。

            同船に便乗し、中臣貞慧帰国。12月、大和にて没。

            高句麗宰相、淵蓋蘇文死去。

666天智 5年23歳 高句麗使者来日。この年末頃、大海人皇子ら九州から大和に戻る

667天智 6年24歳 斉明天皇、孝徳皇后を合葬。大海人皇子妃大田皇女を墓前に葬る

            3月、近江大津に遷都。

668天智 7年25歳 1月、天智天皇43歳 即位。

            5月、蒲生野に行く狩に、大海人皇子等がつき従った。

            大海人皇子と額田王26歳(本稿)の愛の歌。(万葉集)

            7月、各所で酒宴を催す。(藤氏家伝)

            大海人皇子が宴席長槍敷板を刺貫き騒ぎとなる。(藤氏家伝)

            9月、朝鮮の高句麗滅亡。

669天智 8年26歳 天智天皇44歳が山科野に行く薬狩に大皇弟等がお供する。

            藤原内大臣に大織冠を授ける。中臣鎌足死去50歳。(本稿)

            「東宮大皇弟」とはじめて記述される。

            天智天皇、庚午年籍を策定。

671天智10年28歳 大友皇子24歳、太政大臣となる。

            大海人皇子が詔して、冠位・法度のことを施行された。

            しかしある本に、大友皇子24歳が宣命したと書かれる。

            天智天皇が大海人皇子や群臣らと宴席に侍った。

            天智天皇の病が重くなり、大海人皇子を呼ばれた。

            10月、大海人皇子吉野に入る。

            12月、天智天皇崩御46歳。

672天武 元年29歳 壬申の乱 大友皇子自決25歳(懐風藻)。

            天武天皇、飛鳥浄御原に都す。

673天武 2年30歳 天武天皇即位。鵜野皇女を皇后とする。

            大伯皇女13歳を齋王とし伊勢に遣わす。

674天武 3年31歳 忍壁皇子12歳(本稿)を石上神社に遣わす。

675天武 4年32歳 十市皇女16歳と阿閇皇女15歳が伊勢大伯皇女(15)を慰問(本稿)

677天武 6年34歳 飢饉、大地震、大雪。

678天武 7年35歳 十市皇女が宮中で薨去19歳(本稿)。筑紫で大地震。

679天武 8年36歳 吉野会盟。天武天皇,鸕野皇后,草壁皇子,大津皇子,高市皇子,

            忍壁皇子,天智皇子の河嶋皇子,芝基皇子が参加した。

680天武 9年37歳 鸕野皇后不予。薬師寺建立を開始。

681天武10年38歳 草壁皇子20歳を皇太子とする。

            忍壁皇子らに律令編纂と帝紀の記録を指示する。

            妃五百重娘(中臣鎌足娘)が天武の末子新田部皇子を生む。(本稿)

682天武11年39歳 妃氷上娘(中臣鎌足娘)が宮中で薨去。服装の改定。

683天武12年40歳 大津皇子21歳に朝政を執らせる。

            天武天皇が鏡姫王を直接見舞った。鏡姫王死去。

684天武13年41歳 八色(やくさ)の姓(かばね)を制定する。

            伊豆での大地震により土佐大津波。流星群。

685天武14年42歳 爵位六十階を施行。皇子女共々、天皇の臣と位置づける。

            豪族私有の部曲(かきべ)を廃止し、公地公民制を推進した。

            9月倒れ、闘病生活に入る。

686朱鳥 元年43歳 7月朱鳥と改元。

            9月9日 天武天皇、飛鳥浄御原宮正殿で崩御。

 

 

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