DSC00738.JPG

 

天武天皇の年齢研究

kamiya1@mta.biglobe.ne.jp

 

−目次−

 ホーム−目次 

 概要 

 手法 

 史料調査 

 妻子の年齢 

 父母、兄弟の年齢 

 天武天皇の年齢 

 天武天皇の業績 

 天武天皇の行動 

 考察と課題 

 参考文献、リンク 

 検索、索引 

 

−拡大編−

 古代天皇の年齢 

 継体大王の年齢 

 古代氏族人物の年齢 

 暦法と紀年と年齢 

 

−メモ(資料編)−

 系図・妻子一覧

 歴代天皇の年齢

 動画・写真集

 年齢比較図

 

−本の紹介−詳細はクリック

2018年に第三段

「神武天皇の年齢研究」

 

2015年専門誌に投稿

『歴史研究』4月号

image007

 

2013年に第二段

「継体大王の年齢研究」

image008

 

2010年に初の書籍化

「天武天皇の年齢研究」

image009

 

 

 

写真集−和蹔、野上 わざみ、のがみ

First update 2008/10/13 Last update 2011/03/01

 

壬申の乱―和蹔、野上(関ヶ原)

 

天武天皇が壬申の乱を起こし、672年反乱軍を組織した地として知られています。現在の岐阜県不破郡関ヶ原町です。その名は1600年徳川家康が石田三成らと合戦におよんだ地として有名なことは周知のとおりです。

このことは「7.天皇の行動と実績 壬申の乱」の項で細説しました。

 

 

和蹔は関ヶ原盆地を指すと言われ、おそらく和蹔の西の端、不破関に陣取った高市皇子と東の端と思われる野上の地に行宮を設けた天武天皇の距離は4kmほどにしか離れていません。壬申の乱のとき和蹔を支配したといわれた高市皇子は天武天皇の手中にあったのです。日本書紀の記述のイメージほど離れていないのが天武天皇と高市皇子の距離です。二人は壬申の乱の間一緒にいたのです。

 

<写真をクリックすると拡大版の写真になります>          2007年5月27日撮影

PICT0025s

PICT0021s

不破関跡

壬申の乱の後に設けられた日本三関の一つです。この地の周囲には天武天皇の伝承が色濃く今も伝えられています。

PICT0031s

PICT0030s

兜掛石、沓脱石

天武天皇が兵を謁見した際、兜を掛けた石、天武天皇が使用した沓を置いたと言われる石が伝承されています。

PICT0032s

PICT0033s

旧中山道

国道21号線の旧道に当たります。伝承地はすべてこの旧道沿いにあります。この藤古川に流れ込む支流になるのが黒血川です。

PICT0062s

PICT0061s_edited

黒血川

壬申の乱で川底の石が血で黒くなったと言われています。史実ではありませんので1000年後の関ヶ原戦が色濃く繁栄しているのかもしれません。

PICT0036s

PICT0035s

井上神社

御祭神は天武天皇と持統天皇を中心とした不破関の護り神です。西に若宮八幡宮があり大友皇子を祭っています。それぞれ松尾地区、藤下山中地区の方々が応援しています。

PICT0037s

PICT0038s

井上神社の境内です。

大きな戦勝記念碑と天神と若宮が仲良く並び祭る祠が印象的です。また持ち帰った御首を葬ったという自害峯が黒血川に西にあります。

PICT0043s

PICT0044s

野上行宮跡

参考地ですが、不破関とは山影となるこの地を天武天皇は仮の住まいとしたのでしょうか。

PICT0049s

PICT0052s

野上行宮跡周辺

野上の地、確かに見晴らしはよいのですが、後の美濃国府方向への眺望となります。不破関は写真では左方向です。

PICT0053s

PICT0057s

桃配山

家康が関ヶ原合戦の最初の陣としたところです。天武天皇がここで軍に桃を配ったという伝承があります。ここからは不破関方向や和蹔全体を一望できます。

 

関ヶ原町の方々は皆親切で助けられました。伝承地が民家の中であってもかまわず見ることができます。

特に、不破関資料館には御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

 

本章先頭へ       ホーム目次へ

©2006-2018 Masayuki Kamiya All right reserved.