天武天皇の年齢研究 −目次− −拡大編− −メモ(資料編)− −本の紹介−詳細はクリック 2018年に第三段 「神武天皇の年齢研究」 2015年専門誌に投稿 『歴史研究』4月号 2013年に第二段 「継体大王の年齢研究」 2010年に初の書籍化 「天武天皇の年齢研究」 |
写真集(伊予朝倉) いよあさくら First update 2008/10/16
Last update 2011/03/01 熟田津と伊予温泉―朝倉郷 当時の伊予国越智郡朝倉郷は現在の四国今治市朝倉に当たります。 本稿では高市皇子の生地をこの朝倉であると検討をつけ調査を開始しました。ところがこの朝倉郷は調べるほどに奥深い内容に満ちていることがわかり、戸惑いを隠せません。まだまで研究不足ですがここにその足跡を記録しました。 詳細は「7.天皇の行動と実績 熟田津と伊予温泉」の項で細説しました。 <写真をクリックすると拡大版の写真になります。> 2008年5月15〜6日撮影
はみ出した説明で恐縮だが、この輝月妙鏡律尼は治水に大きな力を発揮し、井戸を造るなど尼ヶ井出の地名を残すこの地に尽力した尼として有名です。天武13年の大地震で遷化したとされています。 何の根拠もない想像ですが高市皇子の母、宗像の尼子娘ではないかと考えたりもしております。 斉明天皇は九州に渡るとその後、朝倉橘広庭宮に移られます。この朝倉が伊予の朝倉のことで斉明天皇は四国に戻っていたとする説があります。この件はまだ不勉強です。現段階では少し無理があると思われる説ですが、この朝倉の地におもしろさは尽きません。 参考図書 宮脇通赫編「伊予温故録」 通りすがりのお婆さん、地元も知らぬ神社の場所を一緒に探してくれたご夫婦、パンフレットを何種類もくれたコンビニの店員さん、地元の工事業者が語る屯田川の恐ろしさなど、皆様に感謝致します。 「高市」を地名辞典では「たけち」で安心していたのに、地元で「たかいち」と発音されちょっとショックだった思い出もありました。 ©2006- Masayuki Kamiya All right reserved. |