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序説:世の中、五者択一でできていない

(初出 2013.7.29 renewal 2019.9.20)

合成の誤謬の説明には、よく次の逸話が利用される。

こそ泥が2人逮捕された。2人は別々の部屋で尋問された。
「先に自白したなら、お前の罪は軽くする」と、双方とも自白を促される。
そうした場合、もっとも得をするのは両者とも自白しないことだ。
しかし、たいがいの場合、2人とも自白してしまう。

実際にそういうことはあるらしい。
これは知人から聞いた話だが、ある従業員が、不正に会社から手当を得ていたとする。 例えば、家族の収入が規定額より多いのに、扶養手当を得ているような場合だ。
そのことを追求すると、「だって、〇〇だってやっているよ」と反論する。 そのようにして芋づる式にどんどん不正受給者が発見されるのだそうだ。

また、企業の経済活動の例として、合成の誤謬が使われることがある。

「例えば、4千億円かけて工場を建設した場合に、その総生産量が液晶パネルで1000万枚だと仮定すると、 液晶パネル1枚あたりの設備投資の償却負担額は4万円ということになります。
もし、同じ工場で4000万枚製造するとすれば、1枚あたりの償却額は4分の1の1万円で済みます。 (略)・・・メーカーはコスト競争力が出るような前提で総生産量の計画を事前に立てて設備投資、生産を始めるということになります。
そして、世界中の液晶メーカーが同じ思惑で生産をしているとすれば、当然のことながら、生産過剰を引き起こし、 余計に価格が下落するということになります。
(出所:「1秒!」で財務諸表を読む方法 小宮一慶 東洋経済新報社)」

しかし、世の中はまだまだ複雑だ。

もう少し下世話な例で説明する。

A社は給料が高い。B社は給料が低い。この2社に願書を提出していたとしよう。
A社に入れば、B社に就職する目はなくなる。 B社を選べばA社は選べない。

ところで、A社は高収入だが、労働時間が長く、海外勤務もあり、仕事がきつい。
B社は低収入だが、地元勤務で、実家からも通勤できる。
高収入のA社を選ぶことは、地域密着型のB社を逃すことになる。

さて、もうひとつ選択肢がある、A社にもB社にも就職しないことだ。 だが、その場合、失業状態になってしまう。

さぁ、三択になった。
しかし、事態は前の例より複雑だ。
A社を選択すると、仕事がきついという(-a)という要素も受け入れなければならない。
B社を選択すると、低収入(-b)という要素も受け入れなければならない。
どちらも選択しないとすると、失業状態になる(-c)という要素を受け入れることになる。

世の中というのは、<どこか良ければ、どこか悪い>という選択肢の積み重ねなのだ。 にも係わらず、どれかを選択しなければならないという判断を求められることが多い。

ところで、なぜ、こんなことを話し出したかというと、どうやら、最近の社会現象を見ると、 「こうした割り切れなさに対する感性が欠ける面があるのでは」と思うことが多いからだ。

社会を動かしている人たちは、きっと優秀な大学を卒業した、私より頭のいい人たちだろう。
しかし話をしていると、「ある選択をするというのは別の選択肢を除外することである」 「選択肢にはマイナスの副作用が隠されていることが多い」、という点に気づいていないと思うことがある。

ひょっとしたら、五者択一のマークシートで育ってきたせいだろうか?

そんなこんなで、論を進めることにしたい。
どうせ、暇つぶしなので、誰かに読んでもらうことは期待していない。