gosei_title

 INDEX

コンプライアンス強化が、人と人との不信を招く

(初出 2013.8.21 renewal 2019.9.20)

コンプライアンス不況という言葉がある。

桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センター長の郷原信郎教授が指摘しているのは、 「実態から条理した法令の遵守(コンプライアンス)を押しつけることによって、経済不況を招いている」ということ。
法令遵守は本来行わなければならないことだが、法令で過度に強化されてしまうと、遵守することだけに力点が置かれ、 企業活動が萎縮してしまい、経済の停滞となってしまうという。
郷原教授は、例として改正建築基準法を挙げている。耐震強度の偽装防止に関心が置かれ、確認手続が必要以上に煩雑化し、 結果として着工までに時間がかかるようになり、新設住宅着工戸数の大幅な落ち込みにつながったと日本経済新聞が述べている。
(出所:亀井肇 Shokokai 2008.9)

しかし、ここでお話するのは経済のことではない。


情報開示というのが行われるようになった。たいへん結構なことだと思う。
情報開示請求には2種類あり、ひとつは「行政がどういう仕事をやっているか」、 つまりは、きちんとした仕事の仕方をしているかをチェックしようとするものである。
しかし、行政の仕事というのは、どんどん公開してしまうと、かえって不公正を招く場合がある。
例えば、契約の予定価格を漏らせば、当然入札者はその金額ギリギリで札を入れてくるので、 本来なら安くできる契約が、高額になってしまう。 これは税金の無駄遣いになる。だから公開できない。

もうひとつ、「自分自身の情報が行政の中でどう扱われているか」、という開示請求がある。
これは人権に係わることなので、できるだけ公開しなければならない、とされている。

しかし、個人と個人の紛争などについての経過記録などには、当然、相手方の情報も入っている。 だから、一方の個人に開示すれば、相手方に不利に働く。このため大半の情報は公開できない。
もちろん、どの程度公開するか、という点については議論があるところだ。

労使紛争の相談業務をやっている担当者は、「あなたがここで話すことの秘密は守ります。だから、正直に話してください」と言って、相談に対応する。
誰だって自分にとって不都合な事柄は話したくない。しかし、紛争処理の場面では、そこのところがとても重要になる。
「あなたの話す内容は、情報開示請求の対象になります。その前提で話してください」と言ったのでは、だれも本当のことを話さない。 いや、開示してもらうことによって相手方に打撃を与えようという意図から、有りもしない内容を話すことだってありえる。
開示が前提だと、相談業務自体が成り立たないのだ。
そんなことから、相談内容については開示対象にしないよう、ずいぶんと関係部門とは対立した。

情報開示請求には、もうひとつ問題がある。
開示請求には費用がかかる。自分の権利を主張するのだから、お金を払うのは当然だ。
とはいえ、高額の費用を徴収したのでは制度の趣旨に反すると、作った人は考えたのだろう。 請求額はコピー代程度とされた。
ところが、開示請求に対応するためには、とてもとても手間がかかる。 つまり、人件費が必要だ。そのことは、まったく配慮されなかった。 人件費をコストと考えないのは、役所の悪いクセだ。


公益通報者保護法ができたとき、まさか私が都庁最初の担当になるとは思わなかった。
どっか、別の世界で、そんな法律ができるらしいよ、くらいにしか考えていなかった。

例えば、車の部品に欠陥があって、それで事故が起こったとしよう。 そのことを知った従業員が当局にそれを通報する。 ところが、その従業員は会社側の報復を受け、解雇されたり閑職に封じ込まれたりする。 これでは、誰も告発しようとしなくなる。結果、被害が広がる。
それでは、誰も内部告発しなくなるではないか、という消費者運動の高まりから、この法律ができた。

だが、担当してすぐ、この法律では従業員の身分は守れない、と感じた。

実は、労働基準法104条には、公益通報者保護法に近い規程がある。

労働基準法 第百四条  事業場に、この法律又はこの法律に基いて発する命令に違反する事実がある場合においては、 労働者は、その事実を行政官庁又は労働基準監督官に申告することができる。
2  使用者は、前項の申告をしたことを理由として、労働者に対して解雇その他不利益な取扱をしてはならない。

さらに、労働基準法を守らせるために労働基準監督署という強権機関があり、この法律の実効性を担保している。 公益通報者保護法には、そういう機関がない。

では、労働基準法によって、通報者の身分が完全に守られているかというと、実はそうでもないのだ。

別項で述べたように、人事権は会社側にある。
通報者が左遷されると、会社側は「人材育成の一環として行った」とかなんとか抗弁する。 通報者に解雇通告が出されると、会社側は「通報により当該部門の営業が著しく不振になり、他の従業員も含め、やむを得ない措置として行った」と反論する。
だから、内部通報者は、長々と自分の正当性を争わなくてはならなくなる。
当事者ひとりだけを狙い撃ちにすれば、会社の悪意も明らかにできるだろうが、まとまった人数を対象とすれば、なかなかはね返すことができない。
だいたい、そういう場合は、同僚から白い目で見られる。「オマエのせいだ・・・」と。

公益通報者保護法ができたが、私は相談担当者に「慎重に対応する」よう、伝えた。
日頃、労働相談をやっているメンバーは、すぐピンときたようだ。

そんなわけで、消費者部門ではなく労働部門に窓口がたらい回しにされたのも、あながち間違いではなかったんだが・・・。 でも、あれは「私の仕事ではなかった」な。
「この仕事をやってくれたら、人員増も考える」と、関係者から言われた。 「人手が必要なときは、応援するよ」とも言われた。
役人30年もやっていると、そういう暖かい言葉が、言葉だけで終わることは、よく知っている。 けど、ひどい。(※ただの愚痴になってしまった・・・)


企業の従業員がレジから5千円、ちょろまかした、としよう。
しかし、彼は自分の同僚が定期的に1万円ずつ、会社の金をくすねていることを知っていて、黙っていた。
いずれも横領である。

ところが、5千円の方が見つかりそうになった。 そこで、アブナイと直感した従業員は、別の従業員の横領の件を、先手を打って内部通報した。 公益通報者保護法を知っていたからである。
じゃ、5千円の彼が会社から処分されないか、というと、そうはいかない。

法律の制定で、そういう動きが助長されないか、ということが心配だった。
だが、やっぱり同様な事件は起きた。

もちろんだが、不正を告発することが良くない、と言っているのではない。
同僚同士が互いを信じられず、疑心暗鬼になる社会が到来しはしないだろうか、ということが心配だったのである。

インターネットとメールの時代になって、子どもが友達の悪口を、「裏サイト」で密告しあう。
そんな時代が来はしないかと、心配していたことが、現実になった。


都庁内部でも、一時、内部の問題を告発することが流行った。
そういう動きを煽る人がいて、それに乗っかる職員がいたようだ。

「仕事の打ち上げで、職場内で酒を飲んでいる」という告発があった。もちろんそれはいけないことだ。
しかし、民間企業だったら、そんなことずいぶんやっているのではないか。

問題は、その内部事情は、内部の人間しか知り得ないことだった。
つまり、自分の同僚の中に、間違いなく告発者がいる。誰だかわからないが。
その職場では、職員同士が口をきかなくなったという。 冗談のひとつも飛ばない職場。そんな風になったら、内部の連帯感なんて持ち得るはずはない。

繰り返すが、内部の不正を通報することは、悪いことではない。
しかし、そうすることが「良いことであって、どんどんやるべきだ」という風潮が蔓延すると、その職場は機能しなくなる。
そして、人と人とが信じ合えない時代が来る。