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超巨大老人都市・東京

(初出 2013.8.21 renewal 2019.9.20)

1940年代、イギリスでニュータウン計画というのが行われた。
わが国の、名ばかりニュータウン=実はベットタウン、ではなくて、 居住も職場も学校もコミュニティも公園も宗教行事も、そのニュータウンの一定範囲内で事足りるよう設計された街づくりだ。
当初は人口5万人くらい、後期になると10万人くらいの大きさのコンパクトな街で、街路は唐草模様のように配置され、通過交通は極力廃されていた。
もし、これが成功していたならば、世界中に広がったと思う。
だが、そうはならなかった。
若い人たちは、刺激の乏しい田園都市を嫌ったのだ。

つまり、常識的に考えれば、若者は都会に集まってくる、ってことだ。


未成年は車の運転をしてはいけない。
しかし、免許さえあれば、車の運転に年齢制限はない。 ところが、老人になってくると、やはり反応が鈍るし、間違った操作をしがちになる。
だから、高齢者が増えれば、事故は増える。 となれば、車の運転には上限年齢も設けるべきだと考えるが、なかなかそう簡単にはいかない。 車の運転を前提としないと生活できない地域があるからだ。そこに住む人にとっては死活問題になる。
(【補注】最近の事故を見てみると、6年前にこの警告を出した自分は、先見の明があったと思う。自画自賛だが)

さて、都会は便利だ。ちょっと歩けばコンビニがあり、生活圏は狭くてもかまわない。だから、車が無くても困らない。
しかし、都会に住居を持つのにはお金がかかる。狭いマンションでも3000万円から4000万円くらいする。

だが、考えてみると、車を使い続けるとするならば、購入と買い換え、ガソリン代、保険代、車検代といった費用がかかる。 お金に換算すれば、生涯で2000万円くらいかかるのではないか。
そして事故リスクという見えない負担がつきまとう
そう考えると、マンション購入費のかなりの部分が、車を持たないことで賄える。 「生涯車を持たない生活というのもあり」、になる。

私は、高卒で就職したし、勤務先が都庁だったので、上のような考えに則って車も免許も持たなかった。
「運転できたら良かったのに・・・」と思ったことも、なくはないが、差し引きで考えると、その方が得だった。
今の若者は、運転免許にこだわらない人も、少なくないと聞く。


ところで、今の若い世代は給料が安い。
ま、私の頃も、かなり安かったが、それでも「そのうち上がるんじゃないか・・・」という期待感はあった (上がったら、ごっそり税金と社会保険料がさっ引かれたが)。

若者とくらべて、年配はお金を貯め込んでいる。ということは、都心のマンションを購入することも可能だ。
車を前提とした生活は、いずれ限界が来る。 だったら、車を捨てて、都心に住む方が便利だ。そう割り切る年寄りが増えても、おかしくない。

仕事を離れて、平日に休みが取れるようになると、街中に高齢者がけっこう多いと感じる。
年配者は、土曜・日曜に混み合う繁華街には出て来ない。時間はたっぷりあるから、平日に活動する。

平日の映画館もけっこう混んでいる。特に、年配者が喜びそうな題目はお客が集まる。
平日割引があるような温泉なども、年寄りには便利。
スポーツジムも、無職なら年間契約できて、便利だ。
なにせお金はある。時間はある。仕事はない。

だから、これからは、都会に高齢者が増えると思う。


若者は選挙に行かない。だから、政策も高齢者有利になる。
国の借金がこれだけ膨大になっているのだから、年金の削減なんてあっても不思議はないのだが、そういう話はなかなか出てこない。 (【補注】再掲時の今は、かなり出てきている)
オピニオンリーダーも年配者だし、そうなると私だって困る。

若者が声を上げなければ、世の中変わらないのだ。
しかし、その若者の数は少なくなっているし、意識もホドホド志向になっていて、意義を唱えたりしなくなっている。 収入が減り、都心に住めない。だから、車が必要な生活になり、出費がかさむ。

年寄り有利は、当分は続くだろう。

そして、街は高齢者であふれるようになる。
住むのが便利な街、東京。
東京は、巨大な老人ばかりの都市になっていくのだ。

それって・・・大丈夫なのか・・・?