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手間ヒマかかって、結果検証はされない

(初出 2013.8.21 renewal 2019.9.20)

政治や行政って、たまに変なことを思いつく。
あんだけ経費と手間ひまかけて、子どもの数は、どれだけ増えたのだろうか。
ちゃんとした検証は行われているのか?

たしかに、合計特殊出生率(15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもの)は若干あがった。 だが、おそらくその理由は、30代に入った団塊ジュニア層が、子どもを「もう一人ほしい」と、決断したためであろう。
厚生労働省の統計を見ると、35歳~39歳の出生率は1991年(平成3年)0.1115、これが2016年(平成28年)0.2906に増加している。
20代はむしろ減少している。所得の低い層は、子どもを増やしていない。


お役所が扱う問題というのは、いつも簡単に解決できないものばかりだ。
だけど、政権が変わったりすると、何か新しい政策をするように要求される。
こういうときに、「それは無理だ」と、きっぱり言う役人がいればいいのだが、そういうことを言えば、どっかに飛ばされる。 無駄なカネが使われても、それは自分の懐から出るのではない。 だったら、無難な政策を打ち出して、お茶を濁しておいた方が得策。

しかし、昨今は、とても“無難”とは思いがたい、膨大な無駄金が出ているように思える。


役所というのは、何かの構想を作るのが好きだ。
そして、構想が打ち出されると、審議会のようなものが作られ、役所にとって都合のいい意見を持っている識者が集められる。
審議会といっても、数回の会合しか行われない。報告書の原稿は事務局の役人が書く。
最近では、民間のシンクタンクに作らせ、堂々とその名前を前面に出す場合もある。 しかも、その方が役人が作ったより品質が高かったりする。 でも、そんなこと外注させていたら、人が育たないではないか。 「国は自分達が支えているのだ」という矜恃を忘れてしまったのか。

さて、審議会報告が出されると、「〇〇方針」というのが示される。
そうして予算が付き、「〇〇計画」になる。

役所がこういう一連の動きをしているのを、民間企業は熱心に見つめている。
金が動く、つまり仕事が出るということである。

民間といっても、大手企業はライバル関係にあるので、受け皿は複数できる。
仮にうまく事業の受注がかなったとしても、すぐに体制を作れるものではない。 だから、大手企業は、予め自分の傘下の系列企業をまとめる。そして、組織を整備し、人を雇う。
とはいえ、必ずその仕事が来るとは限らない。別の企業群が落札することだって考えられる。
だから、致命傷を負わないように、準備は最小限に留められる。
つまり、人が不足するということだ。

仮にA大企業がこの仕事を受けたとする。 残念ながら落ちたB大企業は、そのままでは採用した人員を解雇しなくてはならない。 そうもいかないので、泣く泣くB企業群はA大企業の傘下に入る。 この際、B大企業には、ほとんど儲けが降りてこない。一方、人手不足のA企業群は助かる。

さて、A大企業は、このことにより大きな利益を得るのだが、それでは税金でかなり持って行かれる。
そこで、採算の出ない別企業との取引を行う。そして、その企業の中に利益がプールされる。
これが、税金が民間に移っていく一連の流れだ。

こういう動きが、かつて盛んに行われていたらしい (あくまでウワサレベルだ。確証があるわけではないので、信じる信じないは、読者に任せる)。

国が「〇〇構想」を打ち出したときは、こういう社会の動きに注意してみると、面白い。


こんな面倒な手続を踏むなら、国が直営で仕事をした方がいいと思われる方もいるだろう。

しかし、大概の場合、官製の事業は失敗する。

明治時代に、官営企業の民間払い下げというのが行われた。巷では、巨額の賄賂が動いたのではないかと、批判が上がった。
しかし、歴史の本を見ると、払い下げになった企業の経営は、実際のところあまりうまくは行っていなかったようだ。 それが、民間に払い下げられて生き返った。
そもそも、役所が直接事業をやると、税金という「自分の金でない資金」を扱うことになる。ここに甘さが出る。
だから、あちこちからくる圧力に屈しやすくなる。

「ちょっと、こんなところにホテルを建ててしまっても、集客は見込めないんじゃないか・・・」と思われるところに、 年金財源でリゾートホテルを建ててしまったりとか。
卑近な例では、・・・・おっと、このことには触れないでおこう。


20年以上前、ITプチバブルの頃だが、「中小企業へ行って経営者の声を聞いてこい」という事業があった。
私は港区のIT企業へ行かされた。

一連の質問をした後、最後に「何か行政にいいたいことはありますか」と問うと、社長はとうとうと話し始めた。

「今、国をあげてIT化を進めている。たくさんの税金を使って、あたらしい仕事を出すが、それはみんな大企業が持っていってしまう。 それはそれで、しかたがないのだが、その大企業がどうするかというと、経費削減のために下請け仕事をみな中国に出してしまう。 だから、中小企業に回ってこない。 しかも、単純なプログラム作成の仕事が外国に持っていかれてしまうので、若い人にやらせる仕事がない。 裾野の技術者が養成できないんだ。 国は、IT戦略を強化するといっているが、現実は逆方向に走っている。 元はといえば、私たちが払っている税金だ。どうなってんだ!」

社長の怒号は、1時間ちかく続いた。


「役所は間違いを起こさない」ということになっている。
人々の血税を出費するのだから、間違いなどあってはならない。

しかし、人間のやることだ。間違いや失敗はつきものだ。
だから、後から検証しない。間違いが発覚してしまうからだ。何となくうやむやのうちに、無くなっていく。

しかし、失敗にこそ、社会をよりよい方向に向かわせるタネが入っている。
間違ったら、間違ったでいい。いさぎよくそれを認めた人を評価する仕組みが必要だ。
そうでないと、この国はいい方向に向かっていかなくなる。

【補注】

20年くらい前に出版された古い本を読んだら、「子どもが少なくなって、子供服の業界は悲惨な状況になっている」と書かれていた。
今、学校が危なくなっている。当然の流れである。
そして、企業が人手不足だ。それも当然だ。
企業は外国人でもいいから人手が欲しい。学校は海外からの留学生を受け入れる。そして、行方がわからなくなる。
それもこれも、当然の流れとして起こっている。
でも、すべては20年、30年くらい前からわかっていたことだ。
いったい政治や行政は、何をやってきたのだろうか。

おっといけない。私もそこにいたのだった。
私は人より5年早く職を辞した。そこんところは間違っていなかったと、今も信じている。