gosei_title

 INDEX

善意の政策にも暗黒面がある

(初出 2013.8.12 renewal 2019.9.20)

1975年(昭和50年)、“全国に先駆けて東京都は”高齢者事業団を発足させた。
これが、今のシルバー人材センターへの流れに繋がっていく。

第一線を退いたとはいえ、まだまだ元気で働きたいお年寄りが増えていた。 しかし、なかなか仕事が見つからない。 そこで、個人事業請負のような形式で、高齢者に仕事をあっせんしようというのが、この施策の内容だ。

しかし、当時の都庁には、この動きに顔をしかめる先輩もいた。
まだ、終身雇用が当たり前の時代だ。
それを、パートタイマーという雇用形態が浸食し始めていた。 「パートタイマーの労働問題」という言い回しが、よく使われていた。 今聞いたら、「なによ、私たちが“問題”だっていうの!」と、パートさんたちから怒られそうだ。

派遣労働が普及するのはまだ先のことだった。
しかし、労働問題に詳しい先輩は、「こういった様々な働き方のパターンが増えると、労働者の地位が脅かされる・・・」とこぼしていた。

かなりアクの強い部長が、この施策を強引に進めていた。 それだけに、反対論も強かった。しかし、だからといって、良い対案が出てくるわけでもない。
“全国に先駆けて東京都は”というのは、その頃、この高齢者向け事業を紹介する際に必ず使われた枕詞だ。 自慢の程がよくわかる。

そして、都が下地を作ったところで、国がシルバー人材センターとして、全国に普及させた。
関係者は、「国にパクられた」と、怒っていた。

別の面から見ると、今度は国が先導して、新しい働き方のパターンを普及したことになる。
そして、それが派遣労働(当時はまだ合法でなかった)や、偽装請負が広がる地ならしとなった。 言い過ぎだろうか・・・。
とはいえ、取り締まる側の役所が音頭取りをしているんだから、「派遣」だろうと、「請負」だろうと、どんどんやれって風潮にはなる。

私は「対案もないのに反対だけしているのは卑怯だ」という立場でものを考える。
私自身、これ以上の施策は考えつかない。 だから、高齢者事業団の試みは、時代の先取りした勇気ある意思決定だと、評価している。

とはいえ、ものごとはコインの両面のように、かならず裏にマイナス効果が隠れている。
政治家やマスコミは、プラスあるいはマイナスの面だけを取り上げ、持ち上げたり、批判したりする。
それはそれで、いたしかたない。そういうものだからだ。
だが、行政は、清濁併せ飲んで、プラスを最大に、マイナスを最小にする工夫を考えなければならない。

前項で話したように、今は短期間で成果が出る事業ばかりが求められる。 それでいて、ダメならダメでサンセットすればいい、という安易さも同居している。
このため、一時的なその場しのぎに流されやすくなっている印象を受ける。
ちょっと、心配だ。


2001年(昭和56年)、労働省と厚生省が合体して、厚生労働省が誕生した。
両省の一体化は、年金・健康保険と労働保険の徴収事務の一体的運用をにらんでのものだった、と言われる。 今だにそれは実現されていない。

当然、両省は水面下で力比べをしていた。口の悪い人は、「机の上で握手をしながら、机の下では足を蹴り合っている」と、揶揄した。

長年に渡って都道府県に移設されていた地方事務官が国に吸収され、事務の効率化が進められた。
当然、そのことで事業効率の向上があってしかるべきである。
しかし、社会保険の徴収率は下がるばかりだった。

すでに高齢化が進んでいて、早晩、年金財政が問題になるだろう、という話が広がっていた。 その一方で、保険料の支払いを拒否するケースが増えていた。 すでに、バブル崩壊から10年が過ぎ、企業にとって人件費の負担は重くなっていた。
そんな折、省の幹部から社会保険事務所には、「社会保険の徴収率を上げろ」という檄が飛んだ。
当然といえば、当然である。
だが、そうそう簡単に徴収率を上げることなどできない。

ここで問題だったのは、「徴収額」ではなく「徴収率」のアップが目標となっていたことだ。
率を出すのは、分子÷分母。
分子を増やせば率は上がる。しかし、それは容易ではない。
ところで、分母を減らしたらどうだろう。やはり率は上がる。

当時、企業経営が厳しい会社は、どんどんリストラを進めていた。
どんどん従業員を減らしていくと、そのうち従業員は1人もいなくなってしまう。
そこで、企業は、「もう社会保険を徴収する必要はありませんよ」という届を、社会保険事務所に提出する。
これを『全喪届』と呼ぶ。
それがこの時期、一気に増えた。

ところで、会社は従業員なしではなかなか運営ができない。
そこで一計を案じた経営者は、雇用していた従業員に、こう話を持ちかけた。
「会社の経営が厳しい。リストラしないと生き残れない。しかし、あなたいないと、会社は困る。 報酬額は保証するから、国民年金の適用になってくれないか?」
つまり、直接雇用の従業員を名目上は離職させて、その代わりに、業務委託契約を結ぶ、というのだ。
こうすると、社会保険の会社側負担がなくなる。 経費が軽くなった分だけ、わずかだが、従業員の報酬を上げる、という寸法だ。

国民年金と厚生年金では支給額が大きく違う。
従業員にしてみれば、年金をもらう段になると大きな損失になるのだが、 「いざ年金をもらうときになって年金制度がどうなっているかわからないし・・・」という説明には妙に説得力があり、最終的には納得してしまう。
直接雇用をしているにも係わらず、業務委託契約を結ぶ。まさしくこれが“偽装請負”だ。

その偽装請負が、燎原の火のように、どんどん広がった。
「社会保険事務所は、全喪届の提出を黙認している。今がチャンスだ」というウワサが広がっていた。

一応、従業員からは形式的な「退職届」が提出されている。
だから、労働法規で彼らの雇用を守るのがひじょうに難しい。
まず、事実上指揮命令関係にあるということを証明した後、退職届けは本人の意思で書かれたものではないと立証し、 あらためて解雇の不当性を問題にしなければならないからだ。
労働審判制もなかった当時としては、これらは、裁判所でないと、判断できなかった。

会計検査院は、2000年の報告で、この「全喪問題」を取り上げ、是正を社会保険庁に求めた。
しかし、時すでに遅かった。

「社会保険の徴収率を上げるように」と、強く指導した国の態度は正しい。
しかし、結果は真逆になってしまった。


その後、時代が流れた。「失われた」と呼ばれる年月がずっと続いた。

とりわけ、リーマンショックがあって、雇用がひじょうに不安になった。
そこで、厚生労働省は、いろいろな雇用補助金を出す。

しかし、一方で従業員をどんどんリストラしながら、一方でどんどん従業員を新たに雇い入れ、 それでもって補助金をせしめるという会社が出ては困る。
このため、国は「会社都合による解雇」を行った企業には、補助金を出さないという方針を示した。
もっともといえば、もっともである。

ところが、従業員自らの意思で退職するのは自由なので、そういう「自己都合退職」を出した企業まで、補助金を切るというのは、いささか酷だ。
だから、こちらはカットを免れた。それも、当然といえば当然である。

ところが、実際に労相相談を担当してみると、「会社都合退職」なのか「自己都合退職」なのかの区別は、ひじょうに曖昧である。
名目上「自己都合」であっても、「会社に居づらくなって辞めざるを得なかった」というのが、結構多い。
そこで考えられるのが“いじめ”の発生だ。

会社は、補助金が出ている間だけは、多少問題のある従業員も目をつぶって雇っている。 しかし、補助期間が切れると、手のひらを返すように、その従業員に厳しく当たる。
自主的に辞めてくれれば、新しい従業員を雇って、また補助金がもらえる。
当の従業員にしてみると、まるで心当たりがない。 アレコレ悩んでいるうちに、心の病気になってしまったりする。

こうなると、国の支援制度が職場内のいじめを誘発していたことになる。
とはいえ、その証左はない。
そんなこと調べたって、企業は本当のことを答えるはずはないからだ。


失われた年金記録の問題にしても、そうだ。
確かに、年金記録の精査は必要だし、時効を止めたことで救われた人も多いと思う。
しかし、失われた年金記録が掘り出されたとしても、それが短期間だと、今の制度下ではあまり受取額へ影響しない。 (※受取資格そのものに影響するなら、別)

社会保険事務所の解体と年金機構の成立、そして、年金記録の精査に、いったいどれくらいの経費がかかったのだろう。
それに見合うだけの効果は、本当に上がったのだろうか。今さら、それを問うても意味はないが・・・。
民間企業なら、着手する前に、こういった計算は必ずするはずだ。

わが国は、きわめて優秀な官僚制度を持っている、と言われている。
その優秀な官僚が世の中を動かしているのだから、きっといい政策が行われている、と私は信じたい。
1000兆円の借金だって、必ず返済できるはずだと・・・・そうでないと困る。

【補注】
消費税の10%へのアップに際しての、軽減税率についてもそうだ。
グレーゾーンは多々あり、現場は混乱するかもしれない。
新型レジを売ったメーカーは儲けただろうが、店側にしては、補助金をもらったとしてもかなりの経費増になる。
当初より、財界は反対していた。こういう状況になるのは、最初からわかっていたのだ。
私は、スパッと10%一律にしておくべきだったと思っている。
そうでなくても、消費税のかからないもの(医者の処方箋で出る薬)とか、消費税とは別に税金がかかる商品(タバコなど)とかかあって、ややこしいのに。