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飛ばないボールが観客を減らす

(初出 2013.8.11 renewal 2019.9.20)

『地図に残る仕事』というのは、たしか大成建設のキャッチフレーズだったと思う。
魅力的な言葉だ。
私たち人間、いや、すべての生物がそうなのだろうが、何かしら「自分の存在証明」を残したいという本能を持っている。
これといった業績を残せなくても、何か、自分がいたことを確認できるしるしのようなものは残したい。
それが、日々を生きるかてになる。

私は都庁に36年あまり在職した。
しかし、振り返ってみると、私のやった仕事は、大方、地図に残っていない(※唯一の例外→)。

「もっと地図に残る仕事」がしたかった。
つくづくそう思う。

私の在職中、知事は、美濃部、鈴木、青島、石原、猪瀬と5人代わった。
下っ端役人だった私ゆえ、どの知事とも一言も口をきいたことはない。

都庁には『どんな名知事も4期やると愚帝と評される』という、言い伝えがある。

当選して1期目の4年は勢いがある。これまでの因習を批判していさえすれば、人々も喜ぶ。
2期目には独自色を打ち出す。強気の発言をしていれば、回りが喝采する。気心の知れた仲間で周囲を固められるのも、2期目くらいからだ。
3期目になると、完成期に入る。3期目の終わり頃になると、これまで無理をしてきた政策の弊害が見えてくる。
そして、4期目に入ると、問題点がボロボロ明らかになってきて、批判にさらされる。
というのが、この言い伝えだ。
だから、3期12年が、任期としていい引き時なのだという。
石原知事も、いろいろあって4選されたが、途中で引いた。賢明だ。


鈴木知事は4期を勤め上げた。
鈴木知事の16年間は、大部分、高度成長のツケの解消に費やされた期間だった。
私が昔の上司から聞いた話だと、周辺の都庁幹部は、何とか4回目の立候補を引き留めようとしていたらしい。 しかし、本人の強い思いがあって、4選され、結果として「ハコモノ行政」という批判を浴びた。
鈴木知事は、派手さはないものの、かなり立派な名知事だったと思う。
とにかく仕事に詳しく、幹部諸氏はピリピリしていたようだ。なにせ、地方自治法を作った当の本人だったのだから。
そんな知事でも最後はさんざん叩かれて、都庁を去った。

次の知事は、何もやらなかった。やりかけていたものも止まった。
「無駄に使われるはずの税金を節約できた」と、人々は喝采した。 しかし、すでに投入されていた経費をドブに捨てるような結果になった。それらも、すべて都民の血税だった。
職員の流した多くの汗も、「ハイ、それまでヨ~」と、徒労に消えた。関係者は、「やってられるかよ!」という気分だったろう。
だけど、1期しかやらなかったから、都民からは悪い印象は持たれていないだろう。
そういうリセットも、時には必要だと、思うのだが・・・。


ところで、生物の染色体にはテロメアという部分があって、予め死期(=細胞分裂の限界)が定められているという。

思い返せば、今から30年近く前になるだろうか。
都庁の予算要求システムに『サンセット方式』というのが導入された。
「新しく開始された事業は、3年を目処に終了する」という決まりだ。
役所の仕事は、その必要性がなくなっても、だらだらと続けられがちである。だから、始める前に予めテロメアを仕込んでおこうという考え方だ。
これはこれで、間違ってはいない。

導入当初、「3年経って、有効性が確認された事業でも、約束通り廃止するのか」という異論が出された。
「3年経って、もう一度見直す。これは必ずやってもらう。だが、その後も必要だということならば、事業は引き続き実施される」というのが、 予算屋さんの説明だった。
だから、事業部門は新規要求に必ず「サンセット方式」を組み込むことにした。その方が、予算が付きやすいからである。

ところが、「3年経ったら廃止」というのが、いつの間にか絶対視されるようになる。
「サンセット方式ですから・・・」という査定で、事業が廃止されるのが当たり前になった。
「最初の予算資料にちゃんと書いてあるでしょ。書いたのは元局のあなたたちなんだから、約束は約束ですよ」と言われた。
無理矢理書かせておいて、それを理由に「約束を守れ」というやり方は、組織内部の常套手段である。卑怯だと感じる。

そのため、地図に残らない仕事ばかり、多くなった。
新しい仕事を考えるのは、かなりの労力が必要だ。 夏になると、皆、うんうん唸りながら事業を考える。そして、その多くは査定で切られる。残った仕事も、3年でサンセットだ。
これでは、・・・・・。

(【補注】そういうことが繰り返されると、職員も疲弊してくる。そして、何も考え出さなくなる。 事業は立ち上げるのもたいへんだが、始めた事業を止めるのもたいへんだ。とにかく、「3年」というのは短すぎた。 そんなこんなで、最近では東京都民に政策提案を求めたりしている。サンセット方式も幾分緩やかに運用されているように思える。)


かのチャールズ・ダーウィンは言った。
「強いものが生き残れるのではない。環境に適応できるものが生き残れるのだ」と。

「自己申告制度」というのがある。
毎年、毎年、「今年度の個人目標」というのを決め、これを申告する。そして、年度末に、達成できたかどうかを確認する。
役所といったって、成果が求められる昨今だから、こういう制度を導入すること自体は、間違いではない。

しかし、中には私のような、いい加減な職員もいる。
私は目標を設定するときに、第一順位として「間違いなく達成できる目標」を置く。
そして、第二順位に、「必ず達成しなければならない目標」を置く。
「達成できたらいいな」というあやふやな目標は書かない。
だからよほどのことがない限り、毎年、目標は達成された。
こうなると、制度自体が茶番になる。

個人の目標を設定する前に、組織の目標というのが示される。それも、毎年毎年、あらためて出される。
そもそも、組織目標のようなものが、毎年コロコロ変わることは、ありえない。
民間企業だったら、「収益を伸ばすこと」の一言で充分だ。
組織目標というのはさすがにいかがかな、と思うのだが、一度作った制度というのは、なかなか変わらない。
制度自体に、サンセット方式では、適用されないのだ。

個人目標を考えたり、組織目標を考えたりするには、それなりに時間がかかる。 毎年あるので、前の年のと内容を変えるのも、それなりに悩む。
考えるのも給料のうちだ。そして、その給料は、血税で賄われていた。
ま、そう考えると、私のようないい加減な職員の方が、時間を節約している分だけ、都民に貢献していたのかもしれない。


行政事業のタイムスパンのお話をした。
しかし、本当に大切な事業は、「作っちゃ消え、作っちゃ消え」させていいものではない。
行政の仕事には、永続性が担保されなくてはいけないことが多い。
たぶん、「3年で終わらせても誰も困らないような事業」には、「最初からやらなくたってよかった事業」がたくさん含まれていると思う。

また、1年で顕著な成果が出る事業が、5年もすると大問題になっていることもある。
幹部職員にも目標管理制度は適用される。ポストが上に行くほど、求められる成果も高くなる。
「今年はこれをやるぞ!」と思いっきり大風呂敷を広げた方が、たぶん評価は上がる。
そして、5年後に、その幹部職員は同じポストにいない。
それって、危なくないか・・・?

(【補注】官製の銀行、土地信託、炭酸カルシウム入りのゴミ袋などなど、その末路は悲劇的だ)