gosei_title

 INDEX

雇用の多様化が、アイデンティティを失わせる

(初出 2013.8.21 renewal 2019.9.20)

コンプライアンス不況という言葉がある。

これでも大学の時は、社会学というのをやっていた。 夜学でさほど学術的な勉強はできなかったが、“アイデンティティ”なるものに興味をもっていた。

アイデンティティというのは、よく耳にする言葉だが、適当な訳語がない。
社会心理学では自我同一性というが、そう言われても何だかわからない。自分という人間はかくかくしかじかだという認識のことらしい。
一般的には、共同意識、共感性、同調性、帰属意識、一体感、ま、そんな感じだ。 今(初出時2013年)流行の“絆”というのも、近いかもしれない。
当時の教授の話では、「学者の皆さんがいい訳語を決めようと努力しているうちに、アイデンティティで定着してしまった」とのことだった。
とりあえずここでは、「運命共同体意識」くらいの意味で使っておこう。


職場を退職して、有期雇用の非正規従業員となった。
運良くである。ふつう、私なんかに再就職先は見つからない。
それでも手取りの給料は3分の1に減った。 最初はどうしようかな、と思ったが、少ない給料だと、精神的負担も少なくてすむ。 「追い詰められてる」感がない。

思い返してみると、「ここで自分が踏みとどまらなければ、組織は守れない」という崇高な精神で、めちゃくちゃな仕事をしていたときもあった。
どうして、あんなに組織とのアイデンティティが高かったのだろう。
もう、あんな心情にはとても戻れない。


先日、宮崎駿の『風立ちぬ』を観賞した。
人それぞれ受け止め方は違うだろうが、私は「ひたすら自分の好きなことに打ち込む人間の姿」がメインテーマだと思う。 だから、宮崎駿自身の自伝的な映画だと、評する人も多い。
とすれば、この話は、宮崎監督が今の若者に「そういうものを、君は持っているか」と、問いかけていることになる。 たぶん、今の若者には、そんなマエストロの気持ちは理解できない。

話は脇にそれるが、その『風立ちぬ』に合わせて、宮崎監督へのインタビュー番組がNHKで放送された。
「今後のアニメ産業はどうなるか」と聞かれて、宮崎監督は“右肩下がりだ”と言った。 この巨匠ですらそう見ているというのは衝撃であった。
「それは、若い人が育たないということですか?」と続けて聞かれて、宮崎監督は、 「私の作品には70代のお客さんも見に来てくれるけど・・・」と、すなわち、子どもが減ってくるので観客が減る、という風に説明していた。

たぶん、両方あり得るだろうと、私は思う。
そうでなければ、宮崎監督は、『風立ちぬ』を創作してはいない。


今の新採を、企業の担当者は、「たまたま感」が強い、という。
たくさんの会社を受けたが、「たまたま」この会社に受かった。別に、その仕事がやりたかったわけではない。

たぶん彼らの人生観もそれに近くて、たまたま何人かと付き合っているうちに子どもができちゃったから結婚したとか、 そしたら、たまたま価値観の違いがあることに気づいて簡単に離婚してしまったとかいう人も多いだろう。
たまたま子どもの父親だったり、たまたま会社の従業員だったり、社会全体が「たまたま」でできている。 これでは、とてもアイデンティティは共有できない。

もちろん、そうでない人もいるとは思う。
しかし、古い私たちからみれば、「何が何でも頑張る」って人はずいぶん減っていると感じるし、 自分自身が「非正規社員」となってみると、むしろ、それが普通の感じなのだ。

だから、経営者は、そういう状況を何とかしないといけないと思う。
企業社会自体が、そういう働き方をどんどん広げてしまったのだから。
一部の正社員を保護するために、不安定雇用をどんどん拡大してしまったのだから。


これからの労務管理は、従業員の気持ちをどこまで惹きつけていくかに苦心しなければならない。

国際化が進んでいる。 海外に生産現場が移転する場合も多いし、国内の企業に外国人を受け入れる場合も増える。 異質な文化を束ねるのは容易ではない。

業務委託、フリーランス、派遣労働、パートタイマー、アルバイト、契約社員、非正規社員、果ては部門丸ごとアウトソーシングなど、 雇用形態もごちゃごちゃになってしまった。
彼らの多くは、「たまたま」そこに座っている。それが自然な心持ちなのだ。

そういう人たちを、一体として管理しなければならないのだから、管理監督者も大変だ。


多様な働き方をしている人たちが、どうして企業とのアイデンティティを持てないかというと、最大の理由は「有期雇用」にある。
有期という期限があるので、「そう遠くない将来、自分はこの会社のメンバーではなくなる。しかし、その先も会社は存続する」 という意識を、常に感じている。
それでは、「皆さんがいるから、会社が成り立つ」と言われたって、とても実感がわかない。

一方、問題が生じないように「有期」であることを認識させるようにと、行政側は企業を指導している。 今期限りなら、「次の更新はありません」とはっきり伝えなくてはならない、と指導している。 しかし、これって、本当にいいのか。

私は、企業がいきなり正社員を雇用することに躊躇する気持ちもわかる。
それこそ様々な人がいて、「採用して失敗!」って例も、たくさんあるからだ。 簡単な面接では、とても見抜けない。

しかし、正社員への道は、きちっとした形で示してやるべきだ。
そうでなければ、多様な働き方で仕事をしている従業員が、会社とのアイデンティティを維持できないからだ。


“地球の歴史を1年に例えるならば”、という考え方がある。
そういう尺度でいうと、人類文明の歴史は、ほんの数分くらいらしい。

では、人間の生涯を1年に例えたならば、どうなるだろうか。
人生80年とすると、私のいるところは11月頃。これから秋深まり、やがて冬になる。
つまり、「そう遠くない将来、自分はこの世界のメンバーではなくなる」という思いが、忘れたくても忘れられない時期にさしかかっている。
あらゆる人間にとって、人生は有期雇用なのだ。ただ、雇用期間終了時点が、いつだかわからないだけだ。

そう思うと、自分と社会とのアイデンティティが希薄になる。

最近TVでよく見かける環境学者は、「地球温暖化を主張するには大事な要素が抜けている」と、温暖化論者に反論している。

「このまま産業活動が進むと、100年後には地球の気温が6度上昇・・・」と主張する人もいるが、 その前に石油資源が枯渇するので、「このまま産業活動が進む」という前提自体、成り立たない。 だから、温暖化の予測は当たらない。・・・(中略)・・・
アメリカは自国内で石油が産出できる。しかし、“国策”として採掘を止めている。 なぜなら、石油資源が有限だからだ。各国で石油が取れなくなってから、自国内の油田を開発しようという政策だということだ。
(出所:環境問題はなぜウソがまかり通るのか3 武田邦彦 洋泉社)。

こういうことって、日本の人はもっと真剣に考えなくてはいけないのではないか。

「石油の値段が多少上ったってみんなで負担すればいい」って思っている人も多いかと思うが、その石油自体が無くなるかもしれないのだ。
それに、海外から資源を輸入するためには、日本が海外貿易で優位に立たなければならない。 そのためには、批判されたって、貿易収支が黒字でなければならない。
お金が無ければ、石油を輸入することもできなくなる。
「トモダチだから、タダで石油を送ってあげよう」っていう国はないのだ。

「そんなことはない」と反論する人もたくさんいるだろう。
でもね、今の私は、そういう主張にも、やさしく対応できる。
なぜなら、今後どうなろうとも、その頃にはもう私は、この世界にはいないから。

浮世との契約も有期の期限が迫っている。だから、アイデンティティも希薄になっている。
生涯独身率20%超の中に、私はいる。だから、家族への心配もいらない。

な、わけで、「たまたま」で生きている皆さんには、「良きに計らえ」って感が強い。
それにしても、残ってしまうあなたたちは、本当に大変ですね。