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人事の流動化が組織強化につながらない

(初出 2013.8.5 renewal 2019.9.20)

昭和の終わりの頃、東京都は主任試験を導入し、局間交流を本格化させた。
これには、いくつかの目的があった。

誰でも新規採用で職場に配置されれば、最初は右も左もわからなくて不安になる。民間も行政も同じだろう。
だが、半年、1年と経験を重ねてくると、だんだんと土地勘もついてきて、仕事がわかってくる。
5年、10年も経つと、ほとんど主のようになり、20年も一つの職域から離れなければほとんど生き字引のようになる。

私のいた労政事務所(現:労働相談情報センター)には、そういう先輩がいて、世間からは「カリスマ相談員」と呼ばれていた。 事実、こういうカリスマたちの知識はひじょうに豊富だったし、仕事を通じた人間関係のネットワークを持っていた。 それが、とても強みだった。

しかし、知識が付けば付くほど、新しい経験を積むのがおっくうになるのも確かだ。 そこで、都では試験制度を導入し、合格者は思いきってまったく別の職場に異動させることにした。
「可愛い子には旅をさせろ」ということである。

この人事制度の変更には、もうひとつ別の目的があった。
それは、硬直化した職場体質を柔軟化させようということである。
経験を積んだボス的な職員が君臨してしまうと、簡単には仕事のやり方が変えられなくなる。 しかし、職場を取り巻く社会環境はどんどん変わっていく。 だから、外部社会と内部組織との乖離が広がるのだ。
事実、当時の労政事務所には、OA機器の導入に反対する人が多数いた。
そういう職場体質をあらためなければならないと、人事当局は考えていた(たぶん)。

このことは間違っていなかったと、私は思う。

ところが、実際に新しい職場に自分が異動させられてみると、いきなり新規採用のようになってしまうことが、わかった。 端的にいえば、「ボールペン1本、どこにあるかわからない」という状況に陥る。

私も異動のたびに、そんな“喪失感”を味わった。自分の経験の7割くらいが失われた感じがした。
それでいて、「主任さんなんだから、これくらいの仕事は簡単にできますよね」と、ドサッと仕事がやってくる。 土日出勤したり、休みに仕事の資料を持ち帰ったりする毎日になった。
私生活というものが、まったくなくなった。私と同年代の多くは、そういう30代を過ごしてきた。

人事当局の狙いは当たり、その後の財政再建計画の中で、かなりドラスチックな都庁のリストラが進んだ。
平成11年度の知事部局の職員定数は36,715人。平成25年度は24,980人。3割削減された。
退職者不補充という形で進んだので、たぶん世の中の人は、「都庁が民間企業顔負けのリストラ」を進めてきたことを知らない。

財政再建が成し遂げられた後、バブルが来た。
税収が急激に増え、新しい仕事が生まれては消えするのが茶飯事になった。職場の改変がさらにスピードアップした。
試験制度があってもなくても、人事異動は頻繁に行われるようになる。
そして、異動のたんびに「勝手がわからなくなる」という状況が起こった。

「1か月居たら1年、1年居たら10年居たような顔をして仕事ができなくてはダメだ」と、檄が飛んだ。
人事異動が人を成長させることは、否定しない。でも、いくらがんばったって、1日くらいの引継ぎで、前任者の知識をすべて吸収できるはずはない。
(【補注】事実、私の一番短時間で終わった「事務引継ぎ」は30分だった。 最初に「あなたなら何でもわかるよね」と言われ、まったく新しい仕事に就かされた。 ま、それ以上の時間をかけて引継ぎされても、あまり役に立つとは思わなかったけど。)

<経験値の伝達>という点では、多くの職場で縮小再生産が進んだ。
職場に「あの人に聞けば何でも知っている」というような人がいなくなった。当然の結果だ。

主任試験導入前は5年くらいだった人事異動のペースが、現在は、2年から3年くらいになっている
(【補注】最近では、ずっと勤続期間が伸びて、4年、5年は普通になっているようだ。その方が正常だと思う)。
若い人は、いろんな職場を見聞したいから、こういう状況を歓迎するかもしれない。
しかし、歳を取ってきて、記憶能力も落ち、老眼も進んで・・・って状態になると、もう、疲れてしまう。当然だろう。

そんなこんなが続くと、異動した当座から、次の異動を期待するようになり、腰が据わらなくなる。
それでも、一応良心がとがめるから、最初は何か新しいものを残そうと考える。
3年で異動するとなると、まず最初の1年は仕事に馴れるのに精一杯。2年目に、仕事の問題点を把握し、改善策を練る。 そして、3年目に改善方向を示すための新規要求を行う。
だが、4年目に自分はそこにいないのだ。 だから、自分が作った改善プランを実行に移すのは、自分の次にやってきた「右も左もわからない」後任者になる。

自分の考えた仕事だから「愛情」とか「思い入れ」とかを感じられるのだ。
前任者が残していったのは、「課題の先送り」「時限爆弾」である。 こう思ったら、とてもしっかりとは取り組めない。だから、新しい仕事が、うまく行かないままで消えていく。


そういう状況って、実は民間企業でも起こっているのではないだろうか。

日本の企業は、終身雇用制度を捨てた。民間ではもっと流動性は高いだろう。
1年ぶりに電話をかけると、「担当は退職しました」と言われることが、よくある。

その不足を派遣社員や非正規従業員で穴埋めしようとする。
最初から正規従業員にするならば、なにも派遣社員や有期雇用の非正規従業員を雇ったりしない。
企業が派遣社員を雇うコストは、新規採用をするよりも割高になる。派遣会社の取り分が上乗せされるからだ。 それでも派遣社員を雇うのは、要するに雇用調整がしやすいからなのだ。 誰よりも当事者がそのことをよく知っている。
だから、有期雇用である彼らは、最初から一定の距離を置いて会社を見ている。
岡目八目で、会社の問題点はよく見えたとしても、指摘したりはしない。その前に自分が会社を去るからだ。 会社の側から見れば、貴重な業務改善の機会を失うことになる。

最近、もっとすごい話を聞いた。
いわゆる「ブラック企業」と呼ばれる会社は、非正規従業員を雇わないのだそうだ。 どんどん辞めていってしまうから、有期雇用にする必要がないのだという。
加えて、昇進スピードが著しく速いとのこと。 管理職にしてしまえば、超過勤務手当を出さなくてすむからだ。 だから、管理職もどんどん辞めてしまう。

頻繁な雇用が当たり前になって、「右も左もわからない」まま右往左往する労働者が巷ではあふれているのでは、ないか。
日本の企業社会から経験値がどんどん失われているのでは、ないか。
こんなことで、本当に社会が良くなるだろうか?

ついでながら、それを良しとしている人にも言ってあげたい。
「あれもこれも身に付けることができるほど、人生は長くないのだ」と。