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提案制度のノルマ化

(初出 2013.8.19 renewal 2019.9.20)

昔、都庁が丸の内にあった頃、私は第三庁舎で働いていた。第一、第二庁舎とその周辺の別館は廃棄されたが、 まだ新しかったその建物はまだ残っている。

庁舎には来客用のエレベーターが2機ついていて、1機は上層階用になっていた。
通常、こういう場合は、「このエレベーターは10階から上に止まります」といった表示があるのだが、それが付いていなかった。(※もちろん今の都庁にはある)
このため、低層階に用事があって来た都民が、高層階用のエレベーターに乗ってしまって戸惑う場面が見受けられた。

たまたま当時、職員による提案制度が始まった。

何か出せとのご下命があったので、私は「高層階用のエレベーターに表示を付ける」という提案をした。
しかし、採択はされなかった。もっと気の利いた、外部ウケする提案が通ったようだったが、それが何だったか記憶にない。

上からの命令で無理矢理出した提案だから、自分の提案が採用されなくても、何も残念ではなかった。
しかし、考えてみればおかしい。
エレベーターに表示がなくて来客が困っている。そんなの、すぐに改善されるのが当たり前のことではないか。
職員提案であろうとなかろうと、すぐに取りかかるべき課題である。
だが、エレベーター表示は付けられないまま、その後もずっと放置されていた。

一方で職員提案を募っておきながら、本来、取り組むべき問題には手を付けない。
ヘンだ。


その頃、民間企業でも、さかんに従業員提案制度が取り入れられていた。
また、QC(品質管理)とか、ZD(不良品解消)などの小集団活動が、流行っていた。
現場からの声が直接経営トップに届くこうした制度は、顕著な効果を上げた。

すばらしい提案制度も、毎年毎年行われればマンネリ化する。
勤務時間が終わってから、半ば強制的に従業員グループが職場に残って、企画を考えさせられるのは残業ではないか、という疑問も投げかけられた。
今は、小集団活動も、従業員提案制度もあまり行われていない。

当時、一橋大学の津田真徴教授と話をする機会があり、小集団活動についてどう思うか、と質問した。
教授は、どちらかというと経営寄りと評されていたので、当然、活動を支持されると考えていた。
しかし、あに図らんや、先生はこれに批判的だ。

「本来、業務改善はラインの管理監督者の役割です。にもかかわらず、それを軽視して末端の従業員の意見ばかりを採り入れていたら、 ラインの管理職の業務改善意欲を減じます」とのことだった。
妙に納得できた。


日本にはかつて、ひじょうに熱心な業務提案の習慣があった。
いわゆる“飲みにケーション”だ。

仕事が終わると、職場のメンバーはしょっちゅうつるんで、飲み屋に引っかかっていた。
そこでの話題は、たいがい「人のウワサ」と「仕事の愚痴」。
でも、そういう機会を重ねるにつれ、お互いの考え方がわかり、業務改善の方向性もつかめた。
時には、口ゲンカになったりしたので、私は好きではなかったが、それでもいろいろと勉強になっていたように思われる。

今、そんな美しき習慣は、公でも民間でも、あまり残っていない。
そもそも若者が、上司と飲むことを期待していない。 上司も、「おい、ちょっと寄ってくか」というほど、給料もらっちゃいない。 女性社員に声をかければ、セクハラ扱いされてしまう。

とはいえ、酒の力を借り、上司に「あれって、おかしいんじゃありませんか」と、身の程知らずに意見具申できた。 いい時代だった。


課長とか部長とか、「長」の付くポジションの仕事は、苦労が多い。
昔だったら、何でもかんでも部下がやってくれて、自分はハンコを押すだけでよかったかもしれないが、今じゃ、先頭に立って顧客と交渉したり、 書類を作ったりするのも、「長」の仕事になっている。
そうじゃなきゃ、部下が付いてこない。(※これもヘンだと思うが)

しかし、本当に大切な「長」の仕事は、“考えること”なのである。
忙しさにかまけて、それを忘れてはいないか。

先に述べた「短期間での成果評価制度」は、おそらくこの傾向を強めている。
そこで提案したい。

管理職には、1年程度の短いスパンでの目標管理制度は不要。
課長だったら3年後、部長だったら5年後の、職場の有りようを考えさせる。 つまり、自分がいなくなった後で、職場がどうなっているのか、というヴィジョンを提案させる。
1年間の目標管理シートは、シュレッダーしてしまえば、それでリセットされる。
しかし、中長期的なヴィジョンは残る。つまり、「長」は後進に対して責任を持つことになる。その方が、真剣さが増すと思う。

どう、この提案。
ま、どうせ採用されないとは思うけど。