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防災都市は小笠原よりも暑い

(初出 2013.8.19 renewal 2019.9.20)

東京からはるか南に1,000kmの小笠原。 ここも東京都。 国際宇宙ステーションの高度が地上400kmだから、小笠原諸島は、宇宙ステーションよりも遠くにある都内ということになる。

その気候は亜熱帯に近い。

ところで、今年の夏はやたらと暑い。東京でも連日、35度以上の最高気温をマークしている。
休みをとっても、外に出ると暑いし、プールに行くと「ただのデブ」でみっともないので、屋内でこんなものばかり書いている。

ところで、小笠原の最高気温というの見てみると、えっ、30度そこそこなのだ。
都心の気温の方が小笠原よりもかなり高い。23区の方が、はるかに熱帯に近い。

もうひとつ意外なのは、島民の年齢。
小笠原の平均年齢は、41歳(平成31年)
東京都区部ではだいたい44歳~45歳。他の都内区市町村で、平均年齢が43歳を切るところはない(出所:平成31年、住民基本台帳)。 だから、まだまだ高齢化は先の話だ。

船で1日かかるから、とても遠いので考えてもみなかったが、「夏は小笠原で避暑する」って、けっこう現実的な話なのだ。


ところで、地球が均等に温暖化しているのだったら、都心も小笠原も同じく、暑くなっているはず。
では、なんで都心の方が暑いかというと、都市型の気候が大きく影響しているらしい。

私は専門家ではないのでよくわからないが、「Co2の増加→地球温暖化」という影響よりも、コンクリートとアスファルトで覆われ、 ほとんどの河川が暗渠化されている都市の様相の方が、気候に与える度合いが大きいと、学者さんは主張している。

では、なぜ東京がここまでコンクリ化してしまったかというと、それは、火災による災害から身を守るためである。
江戸・東京は、昔からそのほとんどが消失するような大きな火災に何度か遭遇してきた。

1657(明暦3)年、明暦に大火というのが起こった。振り袖火事とも呼ばれる。

寺の檀家の一軒で17歳の娘が亡くなり、翌年、一周忌の法要に訪れてみると、 娘が好んだのとおなじ紫縮緬(むらさきちりめん)の振り袖が棺にかけられた葬儀が行われていた。 それもおなじ17歳の娘だという。
その年はそれですんだが、また翌年、三回忌の法要に訪れるとおなじ振り袖を好んだという17歳の娘の供養が行われている。
この因縁を知った寺の住職が、『それでは振り袖の供養をしよう』ということになり、お焚き上げを行った。
ところが、その振り袖が火元になったというものだ。
(出所:東京を江戸の古地図で歩く本 ロム・インターナショナル編 河出書房新社)
※なお、別に火元がありその罪を寺がかぶったという説もある。

その後も、関東大震災や空襲で、東京は焼け野原になった。
木造建築が密集しているため、一軒から火が出ると、それが次々と燃え広がる。

だから、<不燃都市>は、東京都民にとっての悲願なのである。


さて、2011年3月11日、東日本大震災で、東京もかなり揺れた。

火事も起こった。しかし、ほんの数件。どれも大きく燃え広がることはなかった。
そうだ、私たちはここまで、東京を不燃化できたのだ。
これは、すばらしいことだと思う。
世界に向かって、もっと自慢していい。

とはいえ、いいことずくめではない。

東京のコンクリ化は、夏の暑さを招いた。
昔、「東京砂漠」という歌謡曲が流行った頃、都心の夏の気温は最高でも32度くらいだった。
「砂漠」より暑くなったら、どう形容すればいいのか? 「東京火山」くらいまで行くのか?


都市開発というのは、ほんとうに難しい。

1870年、上野に病院を建てる話が持ち上がった。
明治政府の招きで来日した、オランダの医師ボードウィンは、「この素晴らしい場所は、公園にして残そう」と、政府にかけ合った。
このオランダ人がいなかったら、上野の森は残っていなかったかもしれない。
というか、日本の自然の良さをほんとうに理解していたのが外国人だったってこと、よく考えてみる必要があるだろう。

私たちは、安全とか、便利さとかの名目で、きっと、たくさんの貴重な自然を失ってきている。

そういや、子どもの頃はよく戸越公園の池に行って、スルメや四ツ網で、ザリガニを採ったりしていた。
今の子たちは、そういう楽しみを知らない。

近所の金魚やの店先で、ザリガニが売られていた。
子供たちがそれを見つけて、大声で母親に言った。
「おかあさん、ロブスターがいるよ!」