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蓄財しても、相続人がいない

(初出 2013.8.7 renewal 2019.9.20)

私の居所のまわりでは、マンション建設が進んでいる。
建設業では、職人も不足して大変だと聞く。けっこうなお年寄りが、暑い中働いている。
ここに来ての建設ラッシュは、たぶん消費税アップ前の駆け込み需要を狙ってのものだろう。
(【補注】2013年にも同じ記載がある。このときの消費税は5%→8%だった。奇遇だ)

住宅は人生最大の買い物になる。
消費税も高額になるから重い負担になる。5000万円のマンションなら5%は250万円、8%は400万円、10%は500万円。
それが「税金」という、何に使われるかわからないお金として、徴収される。
だったら税金が上がる前に買ってしまった方がいい、というふうに考えるのが普通だ。

とはいえ、おそらく今回が、この国で最後の住宅建設ラッシュになるはずだ。
(【補注】前述したように、最後ではなかった)
人口が減るのは明白である。
(【補注】人口が減るのに、住宅建設ラッシュだ。東京への流入が止まらないことによる。よって、地方はさらに苦しいはず)
しかも、人口ピラミッドの第二の山(戦後ベビーブーマーの子供たち)は、マンション購入の適齢期を過ぎようとしている。
だから、この時期を過ぎると、住宅需要は大きく減る。しかも、その後の世代は収入が少なく、貯蓄も少ないと考えられる。
外国からの移民が、どんどんこの国に入ってくるとも、思えない。
(【補注】国は政策転換して、移民に門戸を広げているが、私はさほど増えないと考えている。)
たぶんその後は、駅から遠いマンションから空室が目立つようになり、住宅はだぶついてくると思う。

だったら無理して建てる必要はないと思うのだが、土地の所有者としては、最後に機会に賭けるしかないのだ。

土地の値段は上がり続ける――かつて、そんな土地神話があった。この国の人たちは、みなそれを信じていた。
銀行までもが、土地を担保にお金を貸してくれた。
もう、そんな時代ではない。
この機会を逃せば、先祖伝来の財産が価値を失う。
しかし、空室だらけのマンションを持ってしまったら、財産は負債に変わる。
けっこうな賭だ。


昔、仕事でインドネシアの方と話をしたことがある。
「あなたは、なぜ、家族を持たないのか。私には子どもがいる。子供たちが私の財産だ。」と、彼は話した。
日本人のような考え方だな・・・と、思った。
そのとき、どう答えたかは忘れてしまったが、「今の日本では子どもが負債になることが多い」とは、さすがに言えなかった。


身寄りのない私も16年ほど前にマンションを買った。
高齢者になると、賃貸住宅は貸してもらえなくなる、と聞いたからだ。
どんな善人の大家だって、「自分の持ち物の中で、年寄りがくたばってもらっては困る」、と思うのが本音だろう。 そんなことになれば、財産価値が減る。
「だから、年寄りだと借家が見つからない」という話には真実味があった。

それに、借家の更新時期に連帯保証人を立てるのも、いやだった。
家族がいないので、上司や同僚に頼んではいたが、どうにも情けない。
今だと、そういうことを専門にやっている会社もあるが、当時はそれを知らなかった。
ちなみに、私の友人がそういう会社の社長をやっていた。
「今時は、実の親が連帯保証人になっていたって、あてにならない。 企業が保証していた方がよっぽど信用できるので、こういった商売も成り立つようになった」という話だ。

ま、そんなこんなで、私も家持ちになったが、とはいえ、自分があの世に行ったとき、それを相続させる係累はいない。
だったら、公共機関にでも寄付する約束をして、その代りにお金を借りられると便利だ。

この仕組みを「リバース・モーゲージ」という。

自分で稼いで自分で使う。死ぬときはきれいにゼロにする。 そういう考え方を実践するにはリバース・モーゲージ制度を利用するのがいいと思う。
アメリカにも使い切って死ぬという考え方がある。ダイイング・ブローク(dying broke)、訳せば「死ぬ間際での破産」という意味。 そして、もしその時点で財産が遺れば寄付してしまう。 お金持ちでもどんどん寄付するアメリカ人らしい考え方である。
(男の品格 川北義則 PHP文庫)

私はこれに大いに期待しているのだが、居住地の区役所に、その制度はない。
きっと、とても面倒だからだろう。

区のホームページを見ると、社会福祉協議会の「不動産担保型生活資金制度」を活用してくれ、と書かれている。
そこで、社会福祉協議会のホームページを検索した。
「推定相続人の中から連帯保証人が1名必要です」と書かれている。
そういう人がいないから、こういう事態になっているのに~。

「自分を相続人にしてくれたら、いつだって面倒みてやる」という人はいるだろうが、でも、寝首をかかれそうでいやだ。

なかなか悩ましいので、同僚のSに愚痴をこぼした。
「それは、持ってる人間の悩みだ。俺なんか、一生マンションなんて買えない」と言われてしまった。


以前、「遺言状」の書き方を勉強したことがある。

自分で「手書きで」書けば費用はかからない。
しかし、死後、遺言状が発見されない場合もあり、また、様式などに不備があると効力を失う。それに、家庭裁判所に持ち込んで封を開かなければならない。
誰か、そんな面倒な手続をやってくれる人にお願いしなければならない。
だったら、生前贈与してしまった方が楽だが・・・。いつ死ぬかわからないのでできない。
(【補注】遺言状に葬儀の方法などを書き込んでも、家裁で開封されるまでに時間がかかるので、間に合わないという話もある)

弁護士なり、金融機関なりに頼んで、内容も確認していただき、後処理までお願いすることができる。 しかし、かなり高額の費用がかかる。最低でも100万円以上必要と聞く。
いつ死ぬかわからないので、そんな費用は使えない。このまま平均余命まで生きれば、頼まなくても私の財産は消えるのだ。
(【補注】一般社団法人で、終活一切を仕切ってくれるところもある。費用も安い。悩みは「はたして信じていいかどうか」だ)

だから、「いつ死ぬかわかりたい」というのが、今の私の最大の願いとなっている。
(【補注】先の(2019年)参議院選挙で、「安楽死」をシングルイシューとして公約に掲げる候補が現れた。当選しなかったが。 気持ちはわかる。同感だ。ただし、悩みは「安楽死だけを標榜する政党が頼りにできるのか」だ)
頭がぼける前に、「余命半年です」と宣言されれば、この人生逃げ切りだ。
そうなりゃ、自分で財産処分ができる。

って、そんなことを生きがいにこれから過ごすのか?
やっぱ、どっか、おかしい。