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INDEX
(初出 2013.8.17 renewal 2019.9.20)
新しい分野の仕事をする場合も、「類似の前例」がないかどうか、まず探す。
そして、それを担当していた職員を見つけ出して、どこに苦労したのか、何が問題だったのかなどを聴き取り、同じ轍を踏まないように工夫する。
それは、当然といえば当然だ。
しかし、最近は、そういうことを良しとしない人も増えてきた。
事業目的や、法律、統計資料の数字などを引き合いに出し、「ここのところは、こうでなければならない」と断定して、平気でいる。
なぜか若い人に多い。もっと柔軟な考え方ができるはずなのに。
そういう平板な見方しかできない人が、事業を企画したりすると、事業が途中で頓挫する。
そうなると、「自分の考えが間違っていたわけではない」と、しらっと述べて、平気でいる。
責任回避のために言い訳しているのではない。
本当にそう思っているらしいのだ。
これからの日本は、かなり厳しい時代を生きなければならない。
どうも心配でならない。と、こんなことを言うようになると「自分も年を取ったのかもしれないな」と反省したりするが・・・。
しかし、前例踏襲が環境の変化に追いつかないことがある。
これは困りものだ。
差し障りのなさそうなところで、2つほど例を挙げよう。
都庁の「アルバイト賃金」というのは、とても安い。最低賃金額と、いつも競い合っている。過去に1度、追い抜かれたこともあると聞く。
予算の基準額は、毎年改定されるのだが、対前年額×上昇率という計算式で、たぶん決定されている。
実は、もともとの額が、「恐ろしく安い」。そのことは予算査定の際に配慮されていない。
これには歴史がある。
都庁の職員採用というのは、人事委員会が行う試験で決定する。
しかし、戦後すぐはかなり「いい加減」だったらしい。
私が採用された頃(=ということは40年近く前)に、定年を迎える先輩(=戦後間もなく採用された人)から聞いた話では、
「採用面接の際に、『ところで、あなたは野球ができますか』と聞かれ、『できます』と答えたら、採用決定となった」ということだった。
どこまで本当なのかわからないが、職員の採用の大部分が、各事業部門に任されていたのは事実である。
どうしてそういう採用ができたかというと、事業部門で採用されるのはいわゆる正規職員ではなかったからである。
というか、正規と非正規の区分がかなり曖昧であった。
当時、正規職員は吏員(りいん)と呼ばれていて、吏員候補、いわゆる半人前は雇員(こいん)であった。ここまでが正規職員。
しかし、その他にも、「雇員同格」「傭員」という人や、さまざまな非常勤がいて、職員の種類はかなり多様化していた。
昭和30年代になると労働運動が高揚し、「身分制度撤廃」の機運が高まる。
また、人事制度も整備され、当局側の管理が強化されてきた。そして、正規職員への一本化が進んだ。
その一方で、正規職員になれなかった人たちの抗議活動が先鋭化していった。
こうした動きの中、昭和40年代後半に、各事業部門が勝手にアルバイトを雇えないように、人事当局からしばりがかかった。
雇用期間は半年が限度とされ、ずるずると長期雇用できなくなった。
「雇用が長期化すると、裁判になったら抗弁できない」という理由である。
別の見方をすれば、「アルバイトは正社員にならない」というのが、明確化されたのである。
ちょっと難しい話が続いた。
ま、要するにアルバイトの処遇が悪くなったということだ。
「最初はアルバイトから初めてもらいます。給料は安いのですが、仕事ぶり如何では、正社員登用もあり得ます」と、
上手い文句で誘われれば、安い月給でも我慢するというのが、人の常だ。
「あなたはアルバイトです。正社員にはなれません。ですから、月給は安いです。」と、正直に言われれば、やる気が出ない。
いい人は集められない。
普通、こういう場合は、賃金の額が上がってもいいのだが、賃金単価は予算に縛られていて、前例踏襲となった。
ところが、それでも都庁でアルバイトをしたいという人は多かった。
そこそこの地位を持つ人のお嬢さんで、短大卒。両親は、花嫁修行させていいところへ嫁がせたい、しかし、その前に、社会勉強もさせておきたい、と思う。
そういう人にとっては、都庁のアルバイトは最適だったのだ。
それに、親としては、うまくすれば、都庁の職員のお嫁さんになれるかもしれないと期待した(当時既に、それは「何かの勘違い」だったが)。
あるいは、学生が夏休み、冬休みの期間だけ、小遣い稼ぎに働こう思う。それにも、もってこいだった。
そうしたことから、給料額などはあまり問題視されていなかったのだ。
だから、本当に生活の糧を得ようとしている人からみると、都庁のアルバイト賃金は安すぎる。
ところが、最近では役所も人手不足だ。
アルバイトであっても、いっちょ前に働いてもらわなければ困る。
しかし、それでもなお、前年額にちょっと色を付けただけの予算単価が前例踏襲されている。
大きく上げる理由が見つからないので、どうしようもない。
ここに乖離が生じている。
安い方が、税金の節約になっているのは確かだが・・・。
東京都の講師謝金というのは、職員研修所の謝金基準などをベースに決められている。
これが、とても安い。
なぜかというと、職員研修では、大学教授・助教授クラスを、講師として招聘することが多かったからである。
つまり、別に収入源がある人たちを、呼ぶ。しかも、日頃、授業で話している内容と同じ話をしてもらう。
そういう前提だから、謝礼は安くてもかまわないと、当初は決められたはずだ。
しかし、この謝礼基準が、一般の人を対象としたセミナーなどの講師基準にも横引きされてしまっている。
決められた金額では、とても著名人を呼べない。
学者先生の話よりも実務的な講演が、都民から求められる時代になっている。
専門の講師派遣機関の基準でも、実務家は1回20万円以上が相場になる。
当たり前だ。この人たちは、それで飯を食っている。
講演には下調べも必要だ。その分の費用も時間もかかる。
にもかかわらず、東京都の基準は、一桁下。
無名の人を呼んでも、顧客は喜ばない。だから、集客力の高い人を招聘したい。
そんなこんなで、いつも担当は、講演要請に行くと「恥ずかしい思い」をしてしまう。
にもかかわらず、「会場で会社や自分の書いた本のPRをするのは、自重してくださいね」とか、厚かましいお願いもしなければならない。
それでもなお、前年額にちょっと色を付けただけの予算単価が前例踏襲されている。 大きく上げる理由が見つからないので、どうしようもない(※と、前例踏襲で書いた)。
アルバイトなら、その場かぎりだ。「役所ってしみったれたところだったよ」と、家族に話されるだけで終わる。
しかしセミナー事業のようなものは、いろんな分野で、一般の都民を対象に繰り返し行われる。
段階的にでもいいから、なんとかすべきではないか。
いくら税金が節約できるからといっても、ねぇ。