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日本の防衛力(戦闘機編)・2/2

掲載記事の一覧

【 航空自衛隊・固定翼戦闘機】



F-35F-15F-2
F-4





【諸外国の固定翼戦闘機 】

J-20J-15J-11
J-10








参考資料

【記事および画像はwikipediaより抜粋しています。】



ミリタリー、トイガン・楽天ランキング



F-15J・日本
初飛行
乗員 1名(DJ・複座型は2名)
全長 19.4m
全幅 13.1m
全高 5.6m
翼面積
自重 空虚重量: 12,973kg
全備重量 最大離陸重量: 30,845kg
エンジン 動力: プラット・アンド・ホイットニー/石川島播磨 F100-IHI-100(及びF100-IHI-220E)[57] ターボファンエンジン ドライ推力: 7922kg (17,450ポンド)[58] × 2 アフターバーナー使用時推力: 10,640kgf (25,000ポンド) × 2
最高速度 M2.5
巡航速度 M0.9
着陸速度
上昇時間
実用上昇限度 19,000m
航続距離 4,630km (増槽)以上 戦闘行動半径:1,900km
武装 固定武装: JM61A1 20mmバルカン砲×1(装弾数:940発) ロケット弾:   J/LAU-3ロケット弾ポッド:70mmロケット弾19発搭載 LR-4ロケット弾ポッド:127mmロケット弾4発搭載 ミサイル:   短射程空対空ミサイル AIM-9L サイドワインダー 90式空対空誘導弾(AAM-3) 04式空対空誘導弾(AAM-5)(改修機対応) 中射程空対空ミサイル AIM-7F/M スパロー 99式空対空誘導弾(AAM-4)(J-MSIP機対応) AIM-120 AMRAAM(J-MSIP機対応、試験運用にて使用実績あり) 爆弾:   Mk.82 500lb通常爆弾:無誘導
搭載兵装
生産機数


F-15は、アメリカ合衆国のマクダネル・ダグラス社(現ボーイング社)の開発した制空戦闘機。制式機の受領は1972年(正式編成は1976年)、愛称はイーグル(ワシ)(Eagle)。 アメリカ空軍などで運用されたF-4の後継として開発された大型制空戦闘機で、第4世代ジェット戦闘機に分類される。 軽量な機体に大推力のターボファンエンジンを2基搭載し、 高出力パルスドップラー・レーダーと中射程空対空ミサイルの運用能力を持つ。後継機であるF-22が戦力化され、原型機の初飛行から既に40年近く経った現在でも世界トップクラスの性能を誇る。

F-15Jは、アメリカ合衆国のマクダネル・ダグラス社(現ボーイング社)が開発したF-15C/D制空戦闘機を、三菱重工業が中心となり、航空自衛隊向けにノックダウン及びライセンス生産した日本仕様戦闘機。 なお、航空自衛隊と米空軍のF-15に外見的な大きな違いはなく、電子戦関連アンテナ類の有無や形状の違い、国籍標識(日の丸)や迷彩塗装の色調などが主な識別点として挙げられる。 F-15のパイロットは機体の愛称から「EAGLE DRIVER」と呼ばれる。

三菱重工業を主契約社とし、単座型のF-15J 165機と複座型F-15DJ 48機の計213機が製造された。これは開発国であるアメリカに次ぐ保有数となっており、 アメリカ国外での使用機総数356機の約6割を占めている。 2013年3月末時点で201機を運用しており、90%以上の高稼働率を維持している。一機当たりの調達価格は約120億円。 J型は1998年11月4日の165号機、DJ型は1999年10月25日の48号機(92-8098:098号機)の生産で終了し、合計213機の調達となった。 F-15DJはJ型と同時に、最初の12機(F-15Dのblock 26相当、12-8051〜52-8062)を完成品輸入、8機(82-8063〜92-8070)をノックダウン生産、28機(02-8071〜92-8098)をライセンス生産で調達した。

基本性能の優秀さと、高い拡張性を生かした独自の近代化改修プログラムにより能力向上が図られ、導入から30年を経た現在も日本の主力戦闘機として防空任務に就いている。 航空自衛隊が現在進めている近代化改修プログラムにより、F-15J/DJは将来の航空脅威に対処できる能力を得る。また、現在の改修計画には含まれていないが、 AESAレーダーの搭載やグラスコックピット化、フライバイワイヤ化など更なる性能向上の余地もあるとされる(但し、費用対効果などの観点から慎重に判断される可能性がある)

防衛省から具体的な機体寿命や退役時期などに関する発表はないが、空自の年間飛行時間から換算すると初期生産分の機体が基本寿命である8,000飛行時間を迎えるのは2025年あたりとなる。 しかしながらアメリカ空軍のC/D型は8,000時間を迎えて更に10,000時間まで延長された機体も一部あることから、J/DJ型にも同様の措置がとられる可能性はある。 以上のことから、航空自衛隊のF-15は今後十数年に渡り第一線で運用されるものと思われる。

約40年も前に設計された機体ながらも、将来の発展のための余裕を持たせた当初設計により、新型ミサイル対応、エンジンの換装、 特にAWACSや早期警戒機を中核としたC4Iシステムの高度化に対応するための電子装備の更新による近代化改修に対応することで、 ロシアのSu-27、国際共同開発のユーロファイター タイフーン、フランスのラファール等の新鋭機に伍して第一線での任務遂行能力を維持している。

二枚の垂直尾翼を持つとはいえ、平凡な平面形の主翼に水平安定板を組み合わせた保守的な設計だが、当時としては画期的な機動性を実現した機体である。 また数々の実戦経験がありながら、採用国は2010年現在までに空中戦における被撃墜記録は無いとしている。単座型と複座型の2種類があるが、飛行性能や戦闘能力に大きな差はない。 F-4の戦訓も生かされた。双発でありながら、片方のエンジンの被弾後に両エンジンが停止したり、火災で墜落する事例が見られた。 このため、F-15ではエンジン間の縦通材とする等、エンジン周りにチタニウムを多用して耐熱性や強度を確保し、さらには消火システムを充実し、燃料タンク配置にも配慮が払われた。

固定武装のM61A1機関砲には、当初フィルコ・フォード社で無薬莢式の弾薬を新規に開発し使用する予定であったが、 不規則な弾道性能に対するフィルコ・フォード社からの開発期間の延長の申し入れを受け入れずに従来の弾薬を採用することとなった。

1971年2月、アメリカ議会上院歳出委員会はF-14とF-15の比較検討を行い、F-14はF-15の任務をすべて果たせるが、F-15はF-14の任務をすべて果たすことはできないとF-15が劣ることを指摘し、 空軍・海軍共に同じ機種を採用すべきとの意見が挙げられた。 これに対し空軍は、F-14は艦隊防衛に特化した機体であり、F-15は機動性の高い制空戦闘機であると反論した。 一方、アメリカ国防総省内部からはF-15を基本とした海軍型(艦上戦闘機)のF-15Nの検討を指示する動きもあった。

外形はF-111やF-14の可変後退翼、F-16のブレンデッドウィングボディといった新機軸を採用することなく、 MiG-25やA-5といった前例のある肩翼配置クリップトデルタ翼に双垂直尾翼と全浮動の水平尾翼を配置した堅実な構成となった。 主翼は基本翼形のキャンバーを翼付け根前縁を頂点とした円錐に合わせて翼端では翼形全体までも湾曲させるコニカルキャンバーを与えることで前縁フラップを省略し、 単純フラップと補助翼のみを動翼とした簡素なものである。主翼付け根の膨らみは、ストレーキ類似の離着陸性能と運動性向上の効果を持つ。 この主翼付け根の膨らみは機関砲の内蔵スペースともなり、また、後方へ延長されて尾翼の取り付け部となっている。胴体上面キャノピー後方に大型のエアブレーキを装備し、 ドラッグシュートを廃止している。このエアブレーキは、アルミニウム・ハニカムと炭素繊維複合材(グラファイト・エポキシ)を組み合わせた軽量構造になっている。 水平尾翼と垂直尾翼はチタン、間にアルミニウム・ハニカム、表面をボロン繊維複合材を使用し、軽量かつ強固な構造となった。

他にも、軽量化と耐熱性強化のためにエンジン回りや主翼取り付け部の円矩等の要所で構造重量の25%以上に及ぶチタン合金を使用しており、外形からは窺えないF-15の特徴となっている。 機体最上面に張り出す涙滴型の風防は、単座型と複座型で大差がない程の大きな空間により、抵抗を増やさず360度の視界を確保している。 初期の機体では高温強度の高いポリカーボネートにアクリルを拡散蒸着した材質だったが、紫外線による劣化で曇りが出たため強化アクリルガラスに変更された。

操縦系統は操縦桿・フットバーと舵面の油圧サーボ・シリンダーを機械的な結合で接続し、方向舵及び水平尾翼とのリンクに並行してCAS(Computer Augumentation System)を追加して 安定増強や操舵補正を行っており、機械的な結合が破損しても飛行を継続できるが、F-16のようなフライ・バイ・ワイヤを使用したCCVではない。

su-33   中国・殲撃15型 (J-15)
初飛行 1977年5月22日 運用開始:1986年
乗員 1名
全長 21.19 m
全幅 14.70 m(折りたたみ時:7.40m)
全高 5.93 m
翼面積 62.0 m2
自重 空虚重量:18,400 kg
全備重量 最大離陸重量: 33,000 kg (空母運用時は30,000 kg)  運用時重量: 29,940 kg
エンジン サチュルン/リューリカ AL-31K (アフターバーナー時最大 130.4 kN) × 2 燃料容量:11,775 l
最大速度 M 2.165
巡航速度 M 1.06
着陸速度
上昇時間
実用上昇限度 17,000 m   離陸滑走距離:120 m
航続距離 1,620 nm
武装 GSh-30-1 30mm機関砲×1門(搭載弾薬150発) R-73空対空ミサイル 2発 各種ミサイルや爆弾の装着が可能なハードポイント 最大12箇所 最大搭載量8,000kg (空母運用時は6,000 kg)
搭載兵装
生産機数


Su-33(スホーイ33、スホイ33;ロシア語:Су-33スー・トリーッツァチ・トリー)とは、ロシアのスホーイの製造する戦闘機で、Su-27の艦上戦闘機版である。 非公式な愛称として「シーフランカー」がある。NATOコードネームはフランカーD (Flanker-D) Su-33の開発は、1970年代に旧ソビエト連邦が考案していた「新型AWACS計画」によって開始された。当初ソ連はスホーイ、MiG、ヤコブレフに研究を指示した。 このうちミコヤンはMiG-27にアレスティング・フックを取り付けて地上試験を行ったが、機体の旧式化により技術的な問題がある、という結果がでている。 スホーイはT-10(Su-27の原型機)にカナードや着艦フックなどを取り付けテストを行い、1982年に8月28日に模型航空母艦からの発艦に成功している。

Su-27を空母での運用可能な海軍仕様にした試験機は1984年に初飛行した。この試験機は、Su-27に着艦フックを取り付けるなど、ごく一部の改造を行ったのみであった。 本格的な艦載機仕様の試作機はその後制作され、Su-27Kの名称で1987年8月17日に初飛行した。 Su-27Kの量産型は1990年初飛行し、1991年にロシア海軍への引き渡しを開始している。1992年には実戦可能な状態で配備されている。

NATOコードネームの"フランカーD"はアメリカやイギリス連邦諸国などの国防省によって行われる航空機標準化調整委員会 (ASCC)によって決定した。

また、並列複座練習型としてSu-27KUB(後にSu-33UBに改名)が制作され、1999年4月29日に初飛行している。推力偏向装置付きエンジンを装備している事が後に発覚した。 現在のところSu-33の後継機候補としてロシア海軍により試験運用されている。1999年以降数回にわたり同国空母「アドミラル・クズネツォフ」甲板上から発艦しているのが確認された。 Su-33は性能・構造はSu-27と殆ど変わらないが、機体後部は、発着艦時における機首上げの際、テイルブームが飛行甲板に接触する危険がある為、テイルブームが短縮され、 その下部には着艦フックが装備された。また、前脚の前輪は着艦の衝撃に耐えられるよう二重タイヤに強化され、主翼後縁は、発艦時の揚力増加と着艦時の着陸距離を短縮する為、 フラッペロンから後縁外側にエルロンと後縁内側に2枚式のダブル・スロッテッド・フラップに変更され、 上空での機動性を高めるため主翼前には全遊動式のカナード翼(上方7度、下方70度)を新たに装備されている。 また、ほとんどの艦上機で共通の特徴ではあるが、空母格納庫での運用を考慮し主翼と水平尾翼が折畳み式に改造されている。

殲撃十五型(J-15)

中華人民共和国が本機(正確には試作機であるT-10K-7)を参考に開発した艦上戦闘機。J-11Bの技術を導入している。J-11Bを基にT-10K-7を参考にして艦上戦闘機化した機体とも言える。 J-15(殲-15(?-15、ピンイン:Jia-n-15)は、中国人民解放軍海軍の策定した中国の空母建造計画のために、瀋陽飛機工業集団および601研究所により開発された艦上戦闘機である。

当初、情報では本機がセミステルスの派生型となることが主張されたが、後の報告ではロシア製のSu-33を本機のベースに用い、国産の兵装とレーダーを装備することが示された。 2001年頃、開発未了であるSu-33の試作型、T-10K-3[3]がウクライナからもたらされ、直後に開始されたJ-15の開発において広汎に参考にされたと推測される。

J-15が構造的にSu-33を基礎とするように見える一方、この中国製戦闘機にはJ-11B計画からのアビオニクスならびに航空技術が装備される。 ロシアの軍事専門家たちは、世界的な兵器市場におけるどのような重要なコンペティションであってもJ-15を軽視しており、2010年6月初めにロシア国防省のイゴール・コロチェンコ大佐は、 「中国の模造品であるJ-15はロシア製のSu-33艦上戦闘機と同等の性能を達成することができないだろう。 また私は、中国が相当数のSu-33を購入するためにロシアとの交渉へ戻る可能性を排除しない」と説明した。

中国はロシアからのSu-33の購入を求め、非常に多数の機会において活発化していたが、諸々の交渉は、2006年にSu-27SKを基として中国の開発した戦闘機が、 知的財産権協定に違反していることが発覚した後に挫折し、提案は2009年3月の段階でも成立の見込みは無い。

最初のJ-15試作機は、2009年8月31日に初飛行を実施したと推測される。この機体はロシアから供給されたAl-31ターボファンエンジンを装備していた。 飛行の動画と静止画像は2010年7月に公表され、これらは基本的にSu-33と同様の機体設計を示している。 2011年7月、推力12,500kgのFWS-10(英語版)ターボファンエンジンの出力増強型である、離陸推力が12,800kgに増強されたFWS-10Hターボファンエンジンが、 J-15戦闘機のために選定されると報告された。より艦上戦闘機に適した機体とするため、他の改善もまた施されている。

2010年5月6日、J-15はスキージャンプ甲板を模して地上に設置された設備から最初の離陸を実行した。 2012年11月23日、中国初の空母「遼寧」で行われた訓練で、J-15が初めて飛行甲板への着艦に成功した。

J-15はSu-33と異なるアビオニクスとシステムを使用することが報告され、また中国が自国開発した技術を投入し、AESAレーダー、電波吸収体、MAWS、IRST、 複合素材および新型電子機器など様々なアップグレードを施している。 J-15の主任設計士によればJ-15はランディングギアなど主要なチタン合金耐荷重構造を3Dプリント技術により製造し、これにより開発期間を縮める事に成功している。 金属の変形や強度不足を克服して3Dプリンタによる大型部品を使用した航空機はJ-15が世界初である。

チャイナ・サインポストでは、J-15が「おそらくF-22を除き、事実上、各国軍隊で運用されている全ての現用戦闘機と空気力学的な性能は対等か凌駕する」と分析し、 またJ-15はF/A-18E/Fと比較して出力重量比で10%優り、翼面荷重で25%低いと主張している。 しかし中国人民解放軍国防大学の胡思遠は、「J-15の目下の弱点は、ロシア製のAl-31エンジンが、アメリカ製のF-35(のF135ターボファンエンジン)よりも出力に劣ることにある」と述べた。

F-2・日本
初飛行 1995年10月7日(XF-2A)運用開始:2000年10月
乗員 1名(F-2A)/2名(F-2B)
全長 15.52m
全幅 11.13m(両主翼端ランチャー含む)/10.80m(含まず)
全高 4.96m
翼面積
自重 空虚重量: 9,527kg
全備重量 最大離陸重量: 22,100kg
エンジン IHI/GE F110-IHI-129 ターボファンエンジン ドライ推力: 75.62kN (7,711kgf) × 1 アフターバーナー使用時推力: 131.23kN (13,381kgf) × 1 機内燃料容量: 4,750L
最高速度 M2.0
巡航速度
着陸速度
上昇時間
実用上昇限度 m
航続距離 フェリー飛行時航続距離: 約4,000km 戦闘行動半径: 450海里(ASM-2×4, AAM-3×2, 600gl増槽×2)
武装 固定武装: JM61A1 20mmバルカン砲×1:装弾数512発 ロケット弾:   J/LAU-3ロケット弾ポッド:70mmロケット弾19発搭載 LR-4ロケット弾ポッド:127mmロケット弾4発搭載 ミサイル:   短射程空対空ミサイル AIM-9L 90式空対空誘導弾(AAM-3) 中射程空対空ミサイル AIM-7F/M 99式空対空誘導弾(AAM-4) 空対艦ミサイル 80式空対艦誘導弾(ASM-1):アクティブ・レーダー誘導方式 93式空対艦誘導弾(ASM-2):画像赤外線誘導方式
搭載兵装 爆弾:   Mk.82 500lb通常爆弾:無誘導 91式爆弾用誘導装置(GCS-1)装備型Mk.82 500lb誘導爆弾:赤外線誘導方式 CBU-87/B クラスター爆弾:無誘導 JDAM 500lb誘導爆弾:GPS及び慣性誘導方式
生産機数 94機(他に試作機4機)


F-2(エフに、エフツー)は、F-1の後継として開発された第4.5世代ジェット戦闘機に分類される日本・航空自衛隊の戦闘機で単座のF-2Aと複座のF-2Bが存在する。 戦闘攻撃機である本機は、前任機F-1と同様に対地・対艦攻撃能力を重視した機体である。 1995年(平成7年)に初飛行を行い、2000年(平成12年)から部隊配備を開始した。 通称「平成の零戦」や「ハイパーゼロ」と言われている。

ベースとなったF-16を大型化した機体に空対艦ミサイルを最大4発搭載可能で、戦闘機としては世界最高レベルの対艦攻撃能力と対空能力を兼備する。 大型化に伴う重量増軽減の為に、炭素繊維強化複合材による一体構造の主翼を世界で初めて採用している。 機体規模拡大に伴う重量増は最低限に抑えられており、 F-16Cと比較すると、空虚重量で900kg程度(F-2の9,527kgに対してブロック40の空虚重量は約8627kg)、最大離陸重量では378kg(F-2の22,100kgに対してブロック50の最大離陸重量は21,722kg)となっている。

航空自衛隊の要求を満たすための改造や再設計箇所が至る所に見られることから「パッと見た形状以外、すべてが違う」などとも言われることがある。 当初はF-1と同じく支援戦闘機に分類されていたが、後に「要撃」「支援」の区分が廃止されたため、F-2戦闘機と表記される。 その性能や用途から、戦闘爆撃(攻撃)機やマルチロール機に分類される場合もある。 戦闘攻撃機である本機は、前任機F-1と同様に対地・対艦攻撃能力を重視した機体である。

本機の本開発が始まる以前の「FS-X(次期支援戦闘機)」の段階では国産機開発として計画されていたが、技術的・政治的問題によりアメリカとの共同開発となった。 これによりロッキード・マーティン社のF-16多用途戦闘機をベースとし、三菱重工業を主契約企業、ロッキード・マーティンなどを協力企業として開発されることになった。 F-2の開発は当時の日米貿易摩擦などに端を発するアメリカ合衆国との政治的問題が絡み、当初のエンジンの輸入(ライセンス生産)を前提とした国産開発から、 F-16戦闘機をベースとした日米共同開発へと推移した。

量産戦闘機として世界初となるアクティブフェーズドアレイレーダーを搭載し、CCV研究機T-2CCVにより蓄積された国産技術によるデジタル式フライ・バイ・ワイヤ(FBW)を飛行制御に用いる。 94機調達し、一機当たりの調達価格は約119億円[5]と言われている。支援戦闘飛行隊の存在する三沢基地の第3航空団や築城基地の第8航空団を主に、 松島基地の第4航空団など教育関係の部隊へも配備され、支援戦闘任務だけでなく要撃任務にも従事している。

開発経緯

三菱重工業の首脳陣が「FS-X」の研究開発に懸ける意気込みは只ならぬものがあった。これに対して、アメリカ側では「三菱が航空機産業というニュービジネスへの挑戦を目論んでいるため」 という見方が専らであったが、一方で「戦前戦中に零式艦上戦闘機や戦艦「武蔵」を生み、戦後復興や高度経済成長を牽引してきた三菱は 『日の丸戦闘機』が再び大空を舞うことを夢見ているのではないか」という見方もあった。

実際は、三菱はこの「FS-X」を単なる一つの「商品」とは考えておらず、三菱重工の社長・会長を歴任した飯田庸太郎はFS-Xに関して「防衛産業で日本のお役に立てなければ、三菱が存在する意味はない。 儲かるからやる、儲からないからやらないではなく、もって生まれた宿命と思っている」と述べている。

日本側も国産案で国論を統一していたわけではなかった。日本の国産兵器の能力に全幅の信頼を置く人間ばかりではないからである。 特に生産数の少ない国産装備品は、価格面で輸入品に太刀打ちできない。今回のFSXの選定においても、外国機導入の検討も当然のことと認識されており、国外への調査団が資料の収集を重ねていた。

実際、F-1の開発の際にも防衛庁内部に強力に外国機導入を主張する一派が存在した。大蔵省(現財務省)とのパイプを持つ彼らは、 アメリカのT-38とF-5の組み合わせこそがコストパフォーマンスに優れ、配備予定期日を守ることができる唯一の方法だと強力に主張していた。

確かに当初の予定であればF-X導入までに超音速高等練習機を国内開発することは不可能であり、導入を決定したF-4EJが複座であることから、これを機種転換に充てるという手法で、 運良く戦闘機パイロットの養成スケジュールを消化する目処が立ったために、T-X国内開発の時間的余裕が出来たようなもので、そうでなければ国内開発は時間切れで断念していた可能性もあった。

さらには、予算が付かない限り試作も出来ず、完成予想図しか出せない国産案が具体化するには、アメリカが「エンジンだけ」の販売認可を出すことが大前提であった。 だが、100機程度(防衛庁の当初計画では141機。後述)のそれほど大きくない市場とはいえ、米国は当時の対日貿易摩擦の最中で、エンジンの販売だけで納得する航空メーカーもなければ、 政府が政治的に対日譲歩を行う余裕があるはずもなかった。

欧州製エンジンの導入についても、欧州機が毎回選定から外れる理由、すなわち根本的な性能の不足を甘受する気が自衛隊にない以上、今回も当て馬以上の存在となり得なかった。 それらを撥ね除けて、「エンジンのみ」の調達を図る政治力を発揮できなかったことが、国産案の不幸であった。 エンジンは石川島播磨重工業(現・IHI)によってライセンス生産されることとなった。

生産段階でのアメリカ側ワークシェアが「総生産額の約40パーセント」と明記されたほか、技術移転の面においても「日本側は、アメリカ側が入手することを希望するすべての技術を、 すでに合意された手続きにしたがってアメリカ側に移転する」となっていた。

これに対して自民党内部から「不平等条約」との声があがった。そもそも開発能力が対等でない以上、不平等になることは、やむをえないという見方もあるが、 日本が独自に築いてきた特殊技術を無条件に提供し、米国がF-16の核心を「ブラックボックス」化することを許される取り決めは、 特に共同開発でも日本の主体性を確立することを望んでいた国産推進派にとって、敗北感を味わわせるものであり、FSXに関する不満が至るところで噴出した。 日米マスコミも「ジャパン・バッシング」関連の話題として、大々的に報道した。

初飛行から最初の10年間で1機も失われず、単発エンジンながら信頼性の高い機体ではある。 なお、主力戦闘機F-15Jは最初の10年で5機を事故で失った(ただしF-2とF-15Jでは10年間での調達機数や総飛行時間に差があり、訓練内容の違いもあるので単純な比較はできない)

2011年3月11日、松島基地所属で操縦士訓練に使用されていた18機のF-2Bが、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって発生した津波により水没した。 これにより当時93機保有していたF-2量産機の約19%、F-2Bに限れば約58%を一度に損失した。 被災した全機が使用不能になる可能性があったが、防衛省は2011年第1次補正予算案に分解検査費350億を要求し、水没した18機の修理を決定、4月17日より修復作業に入った。

当初の検査では修復可能な機体は6機程度であり、1機あたり50億円-60億円の費用が必要とされた。 被災時点でF-2はすでに生産ラインを閉じ始めており財政難でラインの再開も難しいため、喪失した機体の追加調達は難しく、 不足する機数は教育プログラムの変更等(米空軍にてF-16を使用した訓練等)で補うこととした。 修理費は1機あたり約130億円(総額約800億円)になり、被害が酷く修理は困難と判断された12機は部品取りの後、処分する方針とされていた。修理完了までには約3年はかかるとされている。 2013年1月22日、上記の6機に加えて7機を修理する計画があることが防衛大臣・小野寺五典より発表された。あわせて18機中13機まで修復される予定である。



Su-27  中国・殲撃11型 (J-11)
初飛行 1977年5月22日 運用開始:1986年
乗員 1名
全長 21.94 m
全幅 14.70 m
全高 5.93 m
翼面積 62.0 m2
自重 空虚重量:kg
全備重量 最大離陸重量:33,000kg
エンジン リューリカ設計局製 AL-31Fサルトゥンエンジン A/B付きターボファン×2 推力 (A/B) 122.58 kN 12,500 kgf ×2
最大速度 マッハ2.3
巡航速度
着陸速度
上昇時間
実用上昇限度 最大運用高度: 18,000m
航続距離 約4,000km
武装 固定武装: GSh-30-1 30mm 機関砲×1(150発)
搭載兵装 電子兵装 N-100型SLOTBACKレーダー。RLPK-27型FCS 空対空ミサイルR-27、R-73
生産機数


Su-27(スホーイ27、スホイ27;ロシア語: Су-27 スー・ドヴァーッツァチ・スィェーミ)は、ソビエト連邦で設計・製造された戦闘機である。 Su-27は「フランカー」(英語: Flanker:ラグビーやアメリカンフットボールのポジションの一つ)という名称でも呼ばれるが、これは北大西洋条約機構 (NATO) のつけたNATOコードネームである。 ただし、近年ではロシアでも対外的にこの名称を用いている場合がある。 現在でもロシアを中心とする旧ソ連諸国や第三世界で使用され、極めて強力な格闘性能、長大な航続距離を有する。 Su-27は、F-15やF-14などの当時の新鋭戦闘機に対抗して作られた戦闘機であるため、それらと比べられることが多い。

中華人民共和国には、輸出を睨んで開発されたSu-27Sのダウングレード型(いわゆるモンキーモデル、ただしレーダーはオリジナルのSu-27が限定的なTWS能力しか持たなかったのに対し、 10目標の同時追跡、2目標の同時攻撃が可能なN001 Zhuk-VEに強化されている。)である、Su-27SK/UBKが配備されており、 また国内で百機弱程がライセンス生産の殲撃11型 (J-11) として配備されている、 この型は対地攻撃能力が追加されたが、非誘導兵器のみの搭載が可能となっている。

アビオニクスに関してはガルデーニヤECCM(Electric Counter Counter Measure:対電子妨害対抗手段)を中核とするLTTS統合防御システムが追加装備されている。 これはF-15EのTEWS(内蔵型戦術電子戦システム)であるAN/ALQ-135と同等の能力を発揮するとも言われている。また、Su-30MKKが76機空軍に、MK2が24機海軍に輸入され配備された。 これはSu-35の垂直尾翼を装備しているが、Su-30MKIとは違い推力偏向システムは装備していない。但し搭載レーダーは8目標同時攻撃可能なジュークPH N011という情報もある。 同機の実戦配備により、中華人民共和国は初めて台湾(中華民国)全土への有効な航空攻撃手段を手に入れたことになった。また、遼寧の艦載機にはSu-33をもとにしたJ-15が選定された。

初期型のSu-27は、現在の空中戦の勝敗を決定する上で最も重要なレーダーなど電子機器全般の性能や信頼性が、アクティブ式フェーズドアレイレーダー(AESAレーダー) であるAN/APG-63(V)2以降を搭載しているF-15に比べて圧倒的に低い。さらに早期警戒管制機 (AWACS) など後方支援を担当するシステムとの連携もF-15に比べて劣っている。 ただし、広大なロシアの国土を効率的に防衛するため、Su-27各型はF-15等アメリカ製の戦闘機が搭載するAIM-120空対空ミサイルなどよりも射程が長いR-27空対空ミサイルを装備している。 このため、もし単機同士が向かい合って、電子的な妨害が無い状態で戦闘を行う場合を想定すると(そのような戦闘は現代ではまずありえないが)、 ロシア製戦闘機の方が有利であるとアメリカ軍の当局者も認めている。また、ロシア空軍向け近代化改修型のSu-27SMは新型のR-77空対空ミサイルを搭載するとされている。

ロシアでは、非公式な愛称として「鶴」の指小形である「ジュラーヴリク」(Журавлик) を用いている。 機体は、胴体から主翼へなめらかなに変化させたリフティング・ボディを採用し、荒れた飛行場に着陸の際、異物がエンジンに入るのを防ぐ為、 エンジンのエアーインテークに自動制御の異物進入防止スクリーンを装備している。操縦システムは4重のアナログ式フライ・バイ・ワイヤを装備しており、 また、あらゆる高度においても、操縦席にあるボタンを押すだけで機体を自動的に水平直線飛行に戻すSAU-27自動飛行操縦装置も装備されている。 何よりもSu-27の最大の特徴は高い機動性である。機動性の高さを示す例としてはコブラがよく話題にあがる。

コブラは水平飛行しているところからさほど高度を変えることなく急激に機首を上げ失速寸前まで速度を落とす機動であり、1989年のパリ航空ショーでテストパイロットの ヴィークトル・プガチョーフの手によって初めて西側諸国の前で行われて注目を浴びた。 発展型であるSu-35では旋回中にコブラを行うフックを行うことが可能であった。更にその発展型であるSu-37では、高度を変えることなく1回転するクルビットを行うことが可能である。 クルビットが出来るのは推力偏向エンジンを持つおかげだと思われているが、回転半径こそ大きくなってしまうもののSu-30MKMでも可能である。

また、Su-27は長大な航続距離とミサイル搭載能力も持ち合わせている。機内燃料のみでミサイルを10t近く搭載し、4,000km近く飛行を行うことが可能である。 ミサイル搭載能力については、中距離空対空ミサイルであるR-27を8発搭載でき、加えて赤外線誘導の短距離空対空ミサイルを4発搭載することが可能である。 なお、Su-27の発展型の機体が搭載する射程延長型のR-27EMは約110 kmの射程を持つとされる。また、最新型のR-77は約90kmの射程とされている。

また、Su-27は同時期に開発されたMiG-29と比較されることも多い。しかし、スホーイ設計局では広大な国土を防空する用途として長い航続距離と高い積載能力をコンセプトにして開発されたのに対し、 ミコヤン設計局では局地における格闘戦用途の戦闘機という方針で開発された。両設計局とも中央流体力学研究所の研究結果を基にしたため基本形状が似ているが、 その点に関してはMiG-29の項目を参照されたい。なお、1999年2月25日にエリトリアが使用しているMiG-29とエチオピアが使用しているSu-27が交戦した。 Su-27がMiG-29を撃墜し勝利に終わっているが、その詳細についてもMiG-29の項を参照のこと。

F-4・日本
初飛行 1958年5月27日 運用開始:1960年12月30日 退役:1996年(USAF) 運用状況:2001年時点で1,100機が作戦行動可能
乗員 2名
全長 19.20m
全幅 11.71m
全高 5.02m
翼面積
自重 空虚重量: 13,757kg
全備重量 最大離陸重量: 16,706kg
エンジン GE J79-GE-17A 軸式圧縮機 ターボジェット ドライ推力: 52.53kN (11,808lbf) × 2 アフターバーナー使用時推力: 79.62kN (17,898lbf) × 2
最高速度 M2.3 高度 12,190m
巡航速度 585mph,940km/h
着陸速度 着陸滑走距離:1,120m(3,680ft),16,706kg(36,831lb)時
上昇時間 離陸滑走距離:1,370m(4,490ft),24,410kg(53,814lb)時
実用上昇限度 18,975m
航続距離 フェリー飛行時航続距離: 1,615mi,2,600km (1,403海里) 外部タンク搭載時 戦闘行動半径: 422mi,680km (367nm)
武装 M61A1 20mmバルカン砲×1(弾数639発)
搭載兵装 胴体下ステーション:AIM-7×4 主翼下パイロン(空対空ミサイル用ステーション):AIM-9×4 胴体中心線下/主翼下パイロン (主翼下は空対空ミサイル用ステーション以外):核爆弾、無誘導爆弾、クラスター爆弾、テレビ/レーザー誘導爆弾、 空対地ミサイル、空対艦ミサイル、対滑走路兵器、ロケット弾ポッド、ターゲッティングポッド(英語版)、偵察ポッド、2271L増槽、1400L増槽等
生産機数 生産数:5,195機


F-4は、アメリカ合衆国のマクドネル社が開発した艦上戦闘機である。アメリカ海軍をはじめ、多くの国の軍隊で採用された。愛称はファントム II(Phantom II) 航空自衛隊では、現在までに4種類のF-4を運用している。2013年3月末時点のF-4EJとF-4EJ改の合計保有数は62機、RF-4E/EJは13機である。

F-4の大きな特徴に、無給油で4,260kmを飛行できる航続距離が挙げられる。二基のエンジンを持つものの、燃料搭載量は、胴体内に6個と主翼内に2個のタンクに加え、 胴体下の600ガロンの増槽と主翼下の370ガロンの増槽の総計は3,370ガロン(12,460L)と、当時の群を抜くものだった。 空中給油能力も合わせるとパイロットの耐久力の許す限りの航続時間を持つこととなった。

また、アメリカ海軍初の複座型艦上戦闘機であることも特徴となっている。F-4では前席にパイロット、後席にレーダー・航法担当のレーダー迎撃士官が搭乗する。 コックピット前席の前面計器盤は、円形のレーダースコープを中心として、中央部にコンパスや水平儀等の操縦関係の計器、左には操作系、右には警告灯、 下側には油圧系統のメーターやゲージが備わり、サイドコンソールに各制御スイッチが配置される。

後席の前方視界は殆どなく、レーダー迎撃士官はパイロット用の射出座席、つまりパイロットの背中部分に備わったレーダースコープや各種計器を使用し、 機内の通信装置を用いてパイロットに現在の位置や周囲の状況を伝える。後席右パネルの操縦桿状の物はレーダー操作用のスティックである。 原型である海軍型には後席に操縦装置は無いが、空軍向けの派生型においては、後席にも操縦系統を設けている。前後席ともに空戦時の後方確認用にキャノピー枠内側に凹面鏡のリアビューミラーを備えている。

当時の戦闘機は超音速飛行時の抗力低下を重視し、主翼面積の小さな高翼面荷重の機体が多かったが、F-4は離着艦性能の維持のため大面積の主翼を採用し、 翼面荷重は低くなっている。元来は大型のミサイルキャリアーとして設計されて空中戦・格闘戦を念頭に置いていなかったものの、 低翼面荷重と高推力重量比により格闘戦もこなせる機動性を得ることができた。 その空戦性能は、当時のアメリカ空軍のセンチュリーシリーズなどを凌駕しており、(軽快なMiG機相手に苦戦を強いられる局面もあったものの)ベトナム戦争など数々の実戦でも証明された。

1970年7月30日にスエズ運河上空において、イスラエルのF-4編隊とアラブ諸国のソビエト軍パイロットの搭乗する16機の MiG-21J編隊がヘッド・オンから大規模空中戦に突入した。 後に低空から接近したイスラエル空軍のミラージュIII編隊も加わった結果はMiG-21の5機撃墜に対してイスラエル側の被害はゼロという一方的な結果となった。 1969年末から1972年8月までのF-4Eのキル・レシオ(撃墜・被撃墜の率)は、25:1と圧倒的に優勢だった。

1966年(昭和41年)に第2次F-XによりF-86Fの後継機種としてF-4Eを日本向けに改修したF-4EJを選定した。導入時の際の2機はマクドネル社セントルイス工場製の輸入、 続く8機分は部品で輸入し三菱重工業でのノックダウン生産、それ以降を同社によるライセンス生産と決定した。加えて、1974年(昭和49年)よりRF-4Eを14機輸入しており、 1981年(昭和56年)の生産終了までに日本が調達したF-4の総数は154機となる。 また、F-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一となる。F-15Jが導入されるまで主力戦闘機として防空任務を担当した。

出自が艦上機であるために陸上機としては大きな構造重量(着艦の衝撃に耐えるため、足周りが頑丈であった)への批判や、 採用後も1976年(昭和51年)のベレンコ中尉亡命事件で低空目標の探知能力(ルックダウン能力)不足が明らかになるなど、課題も抱えた。 F-104J/DJが実戦部隊から退いた1986年(昭和61年)からは数の上でもF-15Jが主力戦闘機となるが、1989年(平成元年)より延命・能力向上目的の改修を受けた90機が「F-4EJ改」となり防空任務に就いた。

また、RF-4E偵察機2機の事故減に対して、1990年(平成2年)より15機の近代化改修対象外の初期型F-4EJを偵察型「RF-4EJ」に改修した。 三沢基地の第3航空団第8飛行隊はF-2の配備遅延のために1997年(平成9年)から繋ぎとしてF-1の代わりにF-4EJ改を支援戦闘機として運用していた。 現在、F-4はF-15Jへの更新や部隊の改編、老朽化により徐々にその数を減らしている。 2011年現在、日本でF-4を戦闘機部隊で運用しているのは宮崎県新田原基地第5航空団の第301飛行隊、茨城県百里基地の第7航空団第302飛行隊の二個飛行隊となっている。 また、RF-4E/EJ改を運用している百里基地偵察航空隊第501飛行隊を偵察型に改修したF-15Jで更新する計画がある。

F-4EJ
F-4Eから対地攻撃能力や空中給油能力を除去し、スクランブル発進時の加速力を重視して他国のF-4Eの持つ空戦用スラットを省略した機体。 1971年(昭和46年)7月25日に2機(1・2号機)を完成輸入し、続く11機(3〜13号機)を三菱重工業でノックダウン生産、127機(14〜140号機)をライセンス生産により国産とした。 1981年(昭和56年)5月20日に最終140号機 (#440) を納入している。1972年(昭和47年)8月1日臨時第301飛行隊を編成。 4号機墜落事故(1973年(昭和48年)5月1日)による2ヵ月半の飛行停止措置を経て1973年(昭和48年)10月16日に同隊は臨時が取れ正式発足。 その後1981年(昭和56年)までに302から306SQまでの計6個飛行隊が編成された。1975年(昭和50年)11月1日より302SQに対領空侵犯措置任務が付与されアラート待機を開始した。 国産機中90機を戦力向上と寿命延長を目的としてF-4EJ改に改装し、F-15導入で余剰となった初期導入の15機は偵察機RF-4EJに改装している。 改修対象外の機体は各飛行隊で標的曳航などの訓練支援や運用試験に用いられてきたが次第に運用の幅は狭まり、1999年(平成11年)に12機を小牧基地の簡易格納庫に保管することとなった。 RF-4EJを含めて退役が進んでおり2012年現在、可動状況にあるF-4EJは飛行開発実験団の数機のみとなっている。

F-4EJ改
F-4EJ国産機の機体寿命延長と能力向上を目的とした改修を行った機体。 1980年(昭和55年)からF-4EJの延命・能力向上研究を開始し1981年(昭和56年)度に改修設計作業を開始した。 1982年(昭和57年)2月20日に航空機構造保全プログラム(ASIP)によって改修が可能であると判断し、昭和57年度に07-8431号機を三菱重工へ引き渡し改装、 1984年(昭和59年)7月17日に初飛行、12月13日に航空自衛隊へ引き渡された。

RF-4E
アメリカの開発した輸出用の偵察機。RF-86Fの後継機導入計画の立案段階では三菱製のF-4EJにマクドネル・ダグラス製の偵察型機首を取り付けることが検討されていたが 全機完成機を輸入することになり1974年(昭和49年)12月3日から1975年(昭和50年)6月8日にかけて14機を導入した。 全機が百里基地偵察航空隊第501飛行隊に配備。2機が事故で失われ、2機が退役、2010年現在10機を保有。一部搭載機器をF-4EJ改と同じ物に替えたために非公式には「RF-4E改」とも呼ばれている。

RF-4EJ
航空自衛隊のRF-4EJ事故で12機となったRF-4偵察戦力の増強のため、近代化改修の行われない初期型F-4EJを偵察ポッドが運用できるように改修した機体。 1990年(平成2年)に改造が始まり、試改修1号機(87-6406)は1992年(平成4年)2月4日に初飛行した。量産改修は1991年(平成3年)から1993年(平成5年)にかけて行い、 計15機を百里基地第501偵察航空隊が運用している。当初17機を改修する計画だったが15機時点での予算計上中断のまま実質終了となった。 RF-4EJでは偵察機器をセンターラインポッドに搭載して運用するため、機首のM61A1 20mmバルカン砲をそのまま維持している点がRF-4Eとの顕著な差となっている。 RF-4EJは有事の場合、上記の理由により、戦闘機として運用することが可能である。15機のうち、2号機から8号機は長距離斜め写真(LOROP)撮影用ポッド運用能力しか持たない限定改修型、 1号機と9〜15号機はLOROPに加えて戦術偵察(TAC)ポッド及び戦術電子偵察(TACER)の運用能力とF-4EJ改規格のレーダー警戒装置(J/APR-6A)を追加したため量産改修型と呼ばれたが、 後に限定改修型も3種類のポッドが運用できるように再改修された。最近になって一部の機体が寿命を迎えたことから退役が始まった。

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J-10(殲撃十型)・中国
初飛行 1998年3月23日  運用開始:2005年
乗員 1名
全長 16.43 m
全幅 9.75 m
全高 5.43 m
翼面積 45.50 m2
自重 空虚重量:8,000-9,730 kg
全備重量 最大離陸重量:18,000 kg
エンジン 第1期生産分:リューリカ・サトゥールン AL-31F ターボファンエンジン×1基 第2期生産分以降:リューリカ・サトゥールン AL-31FN-M1または瀋陽 WS-10A(英語版)ターボファンエンジン×1基 推力 (ドライ推力 / アフターバーナー) AL-31F A/B : 79.3kN / 122.6kN WS-10A : 89.17kN / 129.4kN 機内燃料搭載量:4,950 L
最大速度 マッハ 2.2(高空)、マッハ1.2(低空)
巡航速度
着陸速度
上昇時間
実用上昇限度 最大運用高度: 18,000m
航続距離 戦闘行動半径:950 km 最大航続距離:3,000 km
武装 固定武装:GSh-23 23mm機関砲 1門
搭載兵装 ミサイル 対空:PL-8, PL-9,PL-10,PL-11, PL-12, R-73, R-77 対地:YJ-9, YJ-9K, YJ-91(Kh-31P), 対艦:YJ-8K, Kh-31A その他:各種レーザー誘導爆弾、無誘導爆弾、ロケット弾など
生産機数


j-10(殲撃十型、Jian-10、?-10)は中華人民共和国の航空機メーカー、成都飛機工業公司によって設計され、現在も生産が行われている 中華人民共和国の戦闘機。西側諸国ではヴィゴラス・ドラゴン(Vigorous Dragon:猛龍)と呼ばれる。 高価な主力戦闘機J-11とともに配備され機数を確保する混合運用(ハイ・ロー・ミックス)のための軽戦闘機として開発・配備された。

中国人民解放軍空軍では、長らくMiG-21のライセンス生産用にソビエト連邦から譲られた見本用の部品と生産キットを元に製造されたJ-7を運用してきた。 後継機の調達に当たり、中ソ対立により独自開発を余儀なくされたが、J-7を基にしたJ-8Iは登場時点から旧式となり、改良型のJ-8IIもアビオニクスの能力不足から他国の第4世代戦闘機と比べると劣っていた。

J-7,J-8系列はいずれもロシアのMiG-21をベースとしており、その将来的な発展性には限界があった。これらを代替するため、まったくの新設計の国産戦闘機として開発されたのが J-10 (殲撃十型)である。本機の開発には、イスラエルがかつて開発していたラビのノウハウが導入されたと広く信じられており、機体の特徴もそれを強く示唆している。

本機は、人民解放軍空軍が現在導入を進めているSu-27系列の機体と混合運用(ハイ・ロー・ミックス)を行うものと考えられている。 本機の原型機は1996年に初飛行したが、この機体が搭載する国産の渦扇10(英語版)(WS-10)エンジンは推力不足であった。ロシア製のAL-31Fエンジンを搭載した量産先行型は2003年より配備が開始された。 現状では200-300機程度が配備されていると推定されている。

より本格的な後継機としてJ-9、J-10、J-11、J-12、J-13といった一連の開発も行なわれていたが、新世代の戦闘機として実用化するにはフライ・バイ・ワイヤ操縦装置や 運動性向上技術(CCV)といった最新の技術が不可欠であるため自国のみの技術力では実現不可能とされ、機体が試作されることはなかった。

1980年代に入ると、アメリカ合衆国は日本や大韓民国の基地にF-16の配備を進めるほか、周辺に展開する航空母艦にF-18の配備を進め、ソビエト連邦はSu-27やMiG-29を実用化し、 中華民国はF-CK-1の開発を進め、日本の航空自衛隊はF-15を200機にまで増強を始めるなど、中華人民共和国周辺の仮想敵国では第4世代戦闘機の配備や戦力増強が進み、 以前より質的劣勢を数で補っていた中華人民共和国の空軍戦力はより見劣りのするものとなっていった。

中華人民共和国周辺の仮想敵国に配備される機体に対抗できる性能を持つ国産戦闘機を入手するため、1986年から改めてカナード付き無尾翼デルタを持ち、 安定性を低下させて敏捷性を高めるという基本方針に基づいた国産戦闘機開発計画を開始したものの、新世代のアビオニクスや高性能エンジンの搭載が必須となり、 海外技術の導入か国産技術の飛躍的発展を必要とすることになった。これに対して、本機のアビオニクス及びエンジンの搭載状況の推移通り、 海外技術導入による実用化後に国産化率の向上を図ることとして、まずは西側からエンジンとアビオニクスを入手する見込みで計画を進めたと見られる。

フライ・バイ・ワイヤ操縦装置や運動性向上研究(CCV)機といった新技術が、当時の中華人民共和国でどこまで研究されていたかは不明である。 むしろ中華人民共和国の技術力が低いと認識されている分野であるだけに、海外からの協力を得たのではないかとの観測が出た。 特に、量産に至らなかったラビを開発したイスラエルが技術を売ったとの見方が強い。しかしこれについて中華人民共和国は公式に否定している。

ところが、西側からの技術導入を前提としていたため、1989年に起こった天安門事件を契機としたアメリカをはじめとする西側諸国の対中政策見直しによる武器輸出規制により計画は失敗の危機に瀕した。 結局、ソビエト連邦崩壊後に関係を改善したロシアから入手したAL-31Fターボファン・エンジンやアビオニクスを搭載することで実現に至ったが、 当初、旧ソ連の新鋭戦闘機にも対抗すべく計画が始まったJ-10にとっては何とも皮肉な経緯となった。

中華人民共和国はJ-10についての情報をほとんど公開しておらず技術的な細部は明らかになっていない。 低い抗力・十分な強度を持つ構造・大きな機体内容積を実現するためのブレンデッドウィングボディ形式の採用、大迎え角でも安定した空気流入を確保するための機首下面へのエア・インテーク配置、 機体後端の左右に主翼から延長した棚状の張り出しへのベントラルフィンの配置、十分な構造強度を確保しつつ電子機器の格納配置場所とするために厚く太めた垂直尾翼基底部、 全周視界確保のための水滴型キャノピーの装備などといった点は、ラビやF-16と共通する特徴である。 しかしながら、単一の大きな垂直尾翼を持ちデルタ翼の主翼に近接してやや面積の大きなカナードを置く翼の配置はヨーロッパの第4世代戦闘機であるタイフーンやラファール、グリペンの配置に近い。 主翼形状にはMiG-21の影響が見られ、インテーク形状もF-16と酷似したラビとは異なりタイフーンのような四角形である。 これらに加え、装備するエンジンの違いからJ-10の方がラビより一回り太いこともあり、外形の印象はラビに似ているものの似て非なる機体といえる。

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