ホーム気になる話⇒放射能汚染・政府によるSPEEDIデータの隠蔽

史上例を見ない原発事故.....放射能拡散

 2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災で発生した大津波により東京電力福島第一原子力発電所の電源が喪失し冷却送水が不可能となる事故が発生。   炉内が空焚きとなり、核燃料が自らの熱で溶け出し複数の原子炉が連鎖的に炉心溶融(メルトダウン)と水素爆発を伴う大災害が発生します。

 メルトダウンの影響で水素が大量発生し、原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素が充満した結果、原発1・3・4号機は水素爆発を起こし原子炉建屋、タービン建屋及び周辺施設 の大破で大量に放射性物質が放出されるという史上例を見ない甚大な原発事故となってしまいました。

 この大量の放射性物質の飛散と汚染水の海洋流出を引き起こした原発事故により大気中に放出された放射性物質の量は、東京電力の推計によるとヨウ素換算値で約90京ベクレル(Bq)とされ、 チェルノブイリ原子力発電所事故での放出量520京Bqの約6分の1にあたるとも言われます。  深刻度は国際原子力事象評価尺度(INES)で、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故以来2例目の「レベル7」に分類されています。

 東京電力は2011年8月時点で、半月分の平均放出量は2億 Bq(0.0002TBq)程度と発表。    また空間放射線量が年間5ミリシーベルト(mSv)以上の地域は約1800ku、年間20mSv以上の地域は約500kuの範囲に及ぶとしています。(2016.6.17)


放射能被爆の危険性を平気で隠蔽

 人は簡単に騙されてしまう生き物です。 シャルル・ドゴール は、『政治家は心にもないことを口にするのが常なので、それを真に受ける人がいるとびっくりする』 、 と正直に告白しています。  政治家は自分達の権力体勢維持のためならば、例え命の危機の瀬戸際にあろうが真実を隠蔽する場合が多いのです。

 2011年3月11日の東日本大震災で発生した大津波により東京電力福島第一原子力発電所の電源が喪失し冷却送水が不可能となる事故が発生。   炉内が空焚きとなり、核燃料が自らの熱で溶け出し複数の原子炉が連鎖的に炉心溶融(メルトダウン)する大災害が発生します。

 メルトダウンの影響で水素が大量発生し、原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素が充満した結果、原発1・3・4号機は水素爆発を起こし原子炉建屋、 建屋及び周辺施設の大破で大量に放射性物質が放出されるという史上例を見ない甚大な原発事故となってしまいました。

 このとき原発事故対応に当たった民主党政権は、「ただちに影響はない」、などとナントカの一つ覚えのような空虚な言葉を発するばかりで、 放射能の危険をアナウンスせす、なんら的確な対処行動を提起することはありませんでした。  結果、地域住民たちの避難行動は後手後手にまわってしまいました。

 原発から遠く離れて暮らす飯館村や宮城、岩手の住民たちは、まさかここまで濃密な放射能が飛んでくるとは思いもしませんでした。   島県浪江町の馬場町長は「SPEEDI(1980年代から開発が始まり文部科学省が運用している「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」) を公開しなかったのは"殺人"と同じだ」、と強い口調で政府を批判しました。

 飛散した放射能は、海風に吹かれ飯館方面の北西方向に大規模に拡散していったのです。 たとえ試算データであっても情報はあったのですから、 そのデータが公表されなかったという現実の裏に何かが隠蔽されていた、と考えざるを得ません。

 政治家は必要とあらば放射能被爆の危険性があろうが平気で隠蔽するのです。(2016.6.17)


放射能拡散状況監視システム..........SPEEDI

 SPEEDIとは1980年代から開発が始まり文部科学省が運用している「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(*1)」 といわれるものです。

このシステムの目的は原子力発電所から大量の放射性物質が放出された際に放射性物質の質や量、各地の地形や風向きの気象条件などのデータに基づき拡散状況を 予測シュミレーションするものです。

このSPEEDIシステムが有効に機能していれば原発事故の際、大気中や土壌、海洋、地下水などに放出された大量の放射性物質の動きを予測でき住民の被爆被害を最小限に食い止められたはずでした。

国民がSPEEDIの存在を知ったのは2011年3月15日付けの読売新聞朝刊でした。  記事は「.....地震の影響で必要なデータを受信できなくなって.....」としていますが、 のちになって仮のデータを使って放射性物質の放出予測を試算していたことが明らかになっています。

しかし読売新聞の記事が出た翌日の16日、原子力安全技術センターは「読売新聞の誤認記事について」というリリースを出しSPEEDIシステムは機能していると発表しているのです。

このとき政府やマスコミは何故そのデータを発表しなかったのでしょう。


福島から真っ先に逃げた役人や記者

 2020年3月、森雅子法相が黒川弘務東京高検検事長の定年延長をめぐる質疑の中で、「東日本大震災の時、検察官は福島県いわき市から国民、市民が避難していない中で最初に逃げた。  身柄拘束をしている十数人の方を理由なく釈放して逃げた」、と発言しました。

 当時は民主党政権下でしたが、この発言に対し野党、特に元民主党、現在は立憲民主党の議員からは「事実無根」と猛抗議を受けました。  しかし、森雅子法相の発言は事実であり、 当時福島地検いわき支部は、近くの東京電力福島第1原発事故などを受け、震災が発生した2011年(平成23年)3月11日から同15日までの間に、勾留中の容疑者12人を処分保留で釈放。  同16日以降、 福島県いわき市の庁舎を閉鎖し、 職員が同地検郡山支部に移っています。

 当時釈放した容疑者の一部は再犯を起こしており、国会で追及を受けた民主党の江田五月元法相は同4月26日の参院法務委で、「被疑者(容疑者)の終局処分をしないまま釈放し、 地域の皆さまに心配をかけたことは、率直におわびしなければならない」と答弁していました。  このときの検察官の郡山への撤退について、 平岡秀夫元法相(民主党)は同年10月27日の同委で「避難」という言葉を使って説明していました。

 旧日本軍は自軍が不利になって敵から逃げる際、わざわざ「転進」と表現していました。  しかし、「転進」という表現を使おうが、実質的に敗北したための退却であったことは間違いないわけです。    それを、あたかもそうではなかったかのような表現をするために「転進」などという曖昧なコトバを使っていたわけです。   元民主党の野党議員も当時の真っ先に逃げた事情は当然承知している事実であり、森雅子法相の発言を否定はできないハズです。  しかし、森雅子法相の発言を容認すれば、 当時の民主党政権下における検察組織の無秩序ぶりを白日の下に曝すことになり、ゼッタイに受け入れるわけにはいかないわけです。

 しかし、旧日本軍にしろ元民主党にせよ、こういう物事をウヤムヤにして無かった事にするやり方が、結果として反省や必要な対策を生むことを阻害し、 同じ間違いを繰り返す温床となることは自覚すべきです。  現に日本軍はその後も「転進」を繰り返していきました。 日本人の、不都合な部分は曖昧な表現で誤魔化すという隠蔽体質は、 何十年絶とうが変わらないようです。

 その後森雅子法相は「東日本大震災の時に検察官は最初に逃げた」と答弁したことについて安倍晋三首相から厳重注意をうけました。    森法相はいわき市出身だそうで、自分の故郷で起きた当時の(民主党政権下の)検察や政治家たちの不甲斐無さ、憤りもあって思わず本音が出てしまったのかも知れません。   今回は若さが思わず出てしまったようですが、ナニ、変に老獪ぶりを発揮する政治家よりよほど好感が持てます。

 森法相は、野党の国民の税金を騙し取った辻元氏や蓮舫氏などのように、 ギャアギャア相手に難癖をつけることしか能のない女性議員たちとは一線を画す、なかなか優秀な女性政治家とお見受けしています。    国民はよく事情を理解しています。  今回の件は不本意だったでしょうがこんなことにめげず、 これからも日本のため頑張っていただきたいものです。(2020.3.12)

 南相馬は海岸からだいぶ離れており津波の被害もまったく受けませんでしたが福島原発が爆発事故を起こしたら、たちまち記者達は1人残らず逃げ出したそうです。


SPEEDIデータを記事にしなかったマスコミ

原子力関連施設の記者クラブに常日頃常駐している記者たちは当然SPEEDIの存在を知っていたでしょうし、現に福島原発の事故直後から文部省の会見場面において 新聞各紙の記者たちはSPEEDIの予測データ公開を求めてはいたそうです。

しかし機器の故障により正確なデータが収集できないなどと提供は拒否され、そのため記事に出来なかったそうですが、しかし憶測で記事は書けないというのなら、 せめて福島の住人の安全を守るためSPEEDIの情報を速やかに公表するよう新聞紙面で強く求めることはできたはずで、そもそもそれをやるのが新聞の役目だったはずです。

住民には知らせないが南相馬にいる記者仲間には知らせたからこそ、記者たちは一斉に逃げ出したのではないのでしょうか。


放射能汚染地図

これは2011年3月の原発爆発事故で空中に拡散し地表に落ちた放射線量を、2011年9月時点で計測・色分した地域別の放射線量を示す 群馬大学 早川由紀夫教授による放射能汚染地図です。

飛散した放射能が海風に吹かれ、北西方向、飯館方面に大規模に拡散していったことが分かります。

原発から離れて暮らす飯館村の住民たちはまさかここまで濃密な放射能が飛んでくるとは思わなかったでしょう。

計測スポットにより、例えばアスファルト道路は放射性物質が雨で流されるため地図に示した数値の4割程度が普通で、 一方、流された放射性物質が集積しやすい雨どい・軒下・側溝などはこの地図より何倍も高い数値が観測されるといいます。

この数値は3年で半分になるそうです。

 当時米軍も、福島から270キロ離れた横須賀の米軍基地や福島沖160キロに停泊していた艦船でも高い放射線を検知しており、安全確保への強い危機感があったといいます。


福島県よるSPEEDIデータの隠蔽

実は原発爆発事故直後の3月12日から16日の間、福島県には原子力安全技術センターからなんと 86通ものSPEEDIの試算結果を伝えるメールが届いていました。   しかし、そのデータは全く生かされず県下の市町村にも一切知らされなかったことが後に判明します。

このことについては、2012年5月29日、国会の福島第一原発事故調査委員会に出席した福島県の佐藤雄平知事は 「混乱のため、あやまって職員がメールを削除してしまった」とナゾの釈明をします。

試算データは県が国に提供を求めたとされ、予測地図には3月12日の時間ごとの風向きをベースに放出されたヨウ素が拡散する図が掲載されていたとされます。    ただ、ヨウ素の放出量を「不明」とした上での予測だったこともあり県は公表できる内容ではないと判断した、と言い逃れしています。

2012年5月の地元紙福島民報によれば、県は「市町村の避難の参考になったかどうかは分からない。もし、市町村が必要とする情報だったとすれば、反省すべき点だった」 としていますが、議員からは「迅速に公表していれば、市町村の避難時の参考になった」と指摘する意見が出ています。


政府によるSPEEDIデータの隠蔽

内閣府の原子力安全委員会が正式にSPEEDIについて発表したのは事故から10日以上もたった2011年3月23日で、 その頃にはすでに放射性物質はあちこちに拡散した後でした。

福島県浪江町の馬場町長は「SPEEDIを公開しなかったのは"殺人"と同じだ」と強い口調で政府を批判しましたが、たとえ試算データであっても情報はあったのですから、 そのデータが公表されなかったという現実の裏に何かが隠蔽されていた、と考えざるを得ません。

また、福島県には国から提供されたSPEEDIの試算結果が届いていたにもかかわらず、同じ福島県内の市町村には一切知らされていなかったわけで、 日本人特有の危機管理意識の低さがここでも露呈されています。

危機管理がなっていないのは国も同じで、SPEEDIシステムを所管するのは文部科学省でも運用は原子力安全委員会に丸投げしておりデータ管理責任の所在が曖昧になっていたのも悔やまれます。

3月14日時点では放射能汚染地区の住民はおろか日本国民にもSPEEDIデータが示されていないのに、14日には米軍に外務省を通じてデータが提供されていたそうです。

当時の民主党政権は「ただちに影響はない」などとナントカの一つ覚えのような空虚な言葉を発するばかりで、なんら的確な対処行動を起こせませんでした。

挙句、民主党のトップだった菅首相の、指導者としてあるまじき暴走ぶりはのちに語り草となりましたが、このような人物が国のリーダーだったことが火に油を注ぐ事態を招いてしまい、 困難に一層拍車をかけてしまいました。

当時の民主党政権の人命軽視ぶりと危機対応能力の欠如は万死に値します。


民主党政権の無能ぶり

民主党政権の原発事故対応の不手際については様々取りざたされますが、トップリーダーたる菅直人首相という人物が冷静な判断力に欠け激昂しやすい短気な性格で、 現場に直接介入指示し指揮命令系統の大混乱を招き、結果事故対応が後手後手に廻ってしまったことが最大の問題点とされます。

この人物は『イラ菅』と呼ばれるほど短気な性格で、周囲の意見は聞かず気に入らないと相手かまわず怒鳴りつけたといいます。    そのため周囲が萎縮してしまい必要な情報も集まらず意見も出しにくい空気を作ってしまったわけです。

特に問題なのが、事故の対応よりもこの人物を納得させるためだけに周囲がエネルギーを割かれてしまったことで、 例として菅が海水注水に難色を示した際には原子力安全委員会の班目委員長ほか関係者が、 「菅を納得させるためだけに会議の入念なリハーサルを行って参加した」、というのですから この人物がいかに事故対応作業を妨害するブレーキになっていたかが想像できます。

また細かいところに異常に拘る性格らしく、現場に運ぶバッテリー一つにも「サイズは何メートル?」などと口を挟みイタズラに現場を混乱・停滞させました。       当時経済産業大臣だった海江田万里氏は「原子力緊急事態宣言」の発令を求めたが、菅の了解を得るのに手間取ったと証言、 これにより政府の初動対応が遅れたと証言してます。

人気とりのパフォーマンスも好きなようで、事故対応にてんてこ舞いの一刻を争う事態だった福島第一原発に3月12日、 テレビに自分の奮闘ぶりを写してもらいたかったか視察のためカメラマンらとともに乗り込むという余計な行動でいたずらに現場を大混乱させます。

これで現場が大混乱し対応作業に遅れが出たことは間違いなく、勇気を持って原発事故に立ち向かい事故を最小限にとどめ、 文字通り「日本を救った男」と言われた第一原発所長の吉田氏は「吉田調書」の中で、 菅直人を指して「あのおっさんがワーワーわめいておかしくなった」、 「あの人にあの事故や原発を批判する資格があるのだろうか」とまで言わしめさせました。

猜疑心も人一倍強いらしく、東京電力や原子力安全・保安院、原子力安全委員会へ強い不信感を募らせた挙句「セカンドオピニオンも重要」として 内閣官房参与を次々に増員し、組織乱立によってますます現場が混乱するという悪循環も巻き起こします。

とにかくこの人物がやることなすこと全て裏目に出て、何をやっても良い方向に行くことはなかったわけですが、冷静さが必要な事故対応の局面で怒鳴りつける菅の個性が、 「混乱や摩擦の原因ともなった」、「関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面があった」のです。

一人よがりで他人の意見に耳をかさない狭量な性格が、「無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めた。場当たり的で泥縄的な危機管理」、 「菅の決定や要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった」事態を引き起こし。

判断力の欠如から「官邸の中断要請に従っていれば作業が遅延した可能性がある危険な状況だった」、 「会議で海水注入による再臨界の可能性を菅が強い調子で問いただし再検討を指示していた」 など、事態収拾どころか数々の問題を引き起こしいたずらに事故対応を混乱させたのです。

東京電力福島原子力発電所事故の検証を行う民間人による委員会、福島原発事故独立検証委員会の北沢宏一委員長は、 「情報の出し方を失敗し、国民の評価を失った。全体としては不合格」と指摘しています。



※・福島第1原子力発電所内で直接陣頭指揮を執った吉田元所長は2013年7月9日58歳の若さで食道がんで死去されました。  原発事故との因果関係は不明ですが、 フライデーの2012年2月10日号インタビューでは吉田元所長は最後に受けた癌検査の時期について、

『一昨年の秋です。ウチの会社ではいつも秋に人間ドックレベルの検診をやっているんですが、その時には何にもなかったんです。 バリウムを飲んで食道と胃の検査をして、写真も両方見ましたが何にもない。 素人が見て分かるかどうかは別として、きれいなんです。』と話されていました。

北沢宏一委員長は2014年9月26日急性肝不全のため71歳で死去されました。


班目春樹氏の自作マンガ

 原発事故当時首相だった菅直人氏の資質については悪評のオンパレードで、菅氏がいかに自身の過去の言動を美化し、正当化しようとも、反証はいくらでも出てきています。

その中のひとつで、かなりユニークなのが当時原子力安全委員長として原発事故対応にかかわった班目春樹氏がネット上で公開した 自作の4コママンガです。(★ ページは削除されたようで、2019年10月時点では見れなくなっていました。 面白かったのにザンネン)

 班目氏は原発事故の対応で菅直人首相から散々罵倒されたようで、その腹いせでもないでしょうが、「マンガはこっそりと出しているもので、私の鬱憤のはけ口のようなものです」 と語っているように、当時の緊迫した場面の渦中にいた班目氏の目に映った当時の官邸政治家らの、無責任で場当たり的な言動を描いていて、 当時の政治家がどんな愚かな人間達だったか、無能な指導者の存在が国民にどんな惨劇を招くかを知る貴重な資料のひとつとなりそうです。

 菅氏が唯一存在感を発揮したとされる、「東電が福島第1原発から全面撤退することを総理が止めさせた」というエピソードもどうやら「都市伝説」だったようで、 官邸に呼びつけられた東電の清水正孝社長(当時)が、官邸政治家らが緊張の面持ちで見守る中、「撤退などしません」とあっさり述べる姿もマンガに描かれています。

 菅氏が東電本店に乗り込んで「撤退などしたら東電はつぶれるぞ」とぶった大演説に対して班目氏は、   「怒りをぶつければ人は動くと思ってる人を総理にしちゃダメでしたね。聞いた者の心を傷つけ、まったく共感を呼ばない史上最悪の演説だった」、 と手厳しく指摘しています。

 ただ、大層な御高説ぶりの班目氏ではありますが、当時頻繁にテレビ画面で見かけた氏の印象は、肩書きはゴリッパだが実務はサッパリ、という典型的お役所オエライ人間という雰囲気全開で、 「東大退官後の気楽な名誉職のつもりで原子力安全委員長なんかについちゃったけど、タイヘンな災害が発生してしまった。まいったなあ........」という態度がミエミエでした。

 したがって、あのような未曾有の大災害に対応できる有能な人物、というイメージは全く感じられず、「この人で本当に満足な対応なんて出来るの?」という不安のほうが大きかったので 菅氏と五十歩百歩というところでしょう......現に何の有効的対処も打ち出せなかったのですから。

 マンガの登場人物がどの政治家なのかは似顔絵でおおよそ判別できますが、しかし菅直人首相については本人も「当時、官邸にいた政治家たちの中で1人だけ拒絶反応がある。   一番会いたくない人であり、たぶんトラウマになっているようで似顔絵を描けません」と言うように顔が描かれていません。

 ただ、読み進めていくとこの顔のない人物の立ち居振る舞いの異様さ、危うさが実感できる内容がテンコ盛りとなっています。     たとえば事故発生翌日の12日朝、第1原発の視察に同行した際には、炉心溶融(メルトダウン)への懸念を伝えようとする班目氏に対し、 顔のない人物が「質問にだけ答えろ」と遮り、原発各号機の出力などやたらと細かいことばかり質問する場面が出てきます。

 また、この人物が緊急時にもかかわらず、「ところで東工大にも専門家はいるか」と自身の出身校の学閥にこだわったことと合わせて、「そんなこと知ってもしようがないだろ!」、 「なんだ! この質問は!」、などといらだつ班目氏の「心の声」も書き込まれていてナカナカ臨場感のある内容になっています。

 菅氏との意思疎通の難しさについて班目氏は、

  「あたり構わず怒鳴り散らす菅さんのエキセントリックな性格には、私も含め周囲が対応に相当、苦慮していました」、   「怒鳴るだけでなく、人の話もちゃんと聞かない。話を遮り、思い込みで決め付ける」、   「この人は、物事を混乱させ、ややこしくする」、など繰り返し強調しているところをみても、菅氏からかなりのストレスを受けたのは間違いないようです。


海水を入れると再臨界?

 この自作4コママンガには3月12日午後、官邸内で開かれた会議で、「1号機への海水注入が協議された」エピソードも出てきます。

  海水注入に関しては、産経新聞が以前、菅首相が「海水を入れると再臨界するという話があるじゃないか」と怒鳴っていたと書いたところ、 菅氏は「あり得ない話だ」と否定したそうですが、班目氏のマンガには顔のない人物が「再臨界の可能性があるのに海水注入なんかできるか!」 と怒鳴る姿がシッカリ描写されています。

 班目氏自身は後に、インタビュー録『証言・班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか』で、

「菅さんも菅さんで、自ら(海水注入による)再臨界の懸念を口にしたかどうかについて、国会答弁で認めたり認めなかったり二転三転した挙句に、最後は否定しています。  当初は、私のせいにしていましたが、国会事故調の公開の聴取では、東電の武黒さん(一郎・東電フェロー)が勝手に現場に指示したことだ、とも言っています。 (中略)菅さんと経産官僚は、自己弁護が過ぎるようです
と回想しています。


本当の危機管理とは

 あの当時、原発事故は絶対に起こらないという「安全神話」が前提にあったから、対応が遅れ、事故が深刻化しました。    東電幹部は経営は管理していたが、危機管理は全くしていなかった。 事故が起こるまで、そういう発想すらなかった、と評価されています。

  原発事故の教訓としても思い出さなければならないのは、原子力災害が起こったときの様相を想定しながら何をやるべきか、 どの手段を使うのかといった危機が発生したときの対応計画を策定しておくべきだったということです。


福島第一原発の事故の推移

 2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災のとき、東京電力福島第一原子力発電所では4号機から6号機は定期点検のため停止中でしたが、 稼働中だった1号機(46万kW)、2号機(78.4万kW)、3号機(78.4万kW)は稼働中で、地震直後自動停止します。

福島第一原発事故の概要 (02-07-03-01) 引用》    

福島第一原発の事故の推移
3月11日 14時46分 東北地方太平洋沖を震源とする巨大地震とこれに伴う津波により、東京電力福島第一原子力発電所が被害を受ける。
14時47分〜 外部電源喪失。
15時35分頃 第2波の津波(最大津波)が来襲。
15時37分〜 1、2、3、4号機・全交流電源喪失  全直流電源喪失。
18時10分〜 1号機・炉心露出、炉心損傷が始まったと東電推定。
18時36分〜 1、2号機・非常用炉心冷却装置による炉心への注水不能に該当する事象が発生したと事業者が判断。
19時03分〜 枝野幸男官房長官が首相官邸での記者会見にて原子力緊急事態宣言の発令を発表、20時50分に福島県対策本部から1号機の半径2kmの住民1,864人に避難指示が出された。
23時00分〜 1号機・タービン建屋内で放射線量が上昇。   「冷却水を注水するための非常用ディーゼル発電機が稼働せず、現在はバッテリーで動かしている」との報道。
3月12日 00時49分〜 1号機・格納容器圧力の異常上昇を事業者が判断。
4時00分〜 1号機・消防車による淡水注入開始。
7時00分〜 菅直人首相が、ヘリで第1原発に降り立ち、1時間弱滞在し、職員らから状況の説明を受ける。
時分〜 午後、米軍のヘリで真水を大量輸送することが可能か東京電力から駐日米国大使館への要請が行われる。
15時36分〜 1号機・水素を含む気体が格納容器からの漏えい等により原子炉建屋上部に滞留して水素爆発。 2号機・水素爆発の影響で建屋ブローアウトパネル開放。
19時04分〜 1号機・消防車による海水注入開始。 海水注入を巡っては政府と東京電力本店との間で、連絡・指揮系統の混乱がみられたが、福島第一原子力発電所所長の判断で海水注入は継続された。
3月13日 1時50分〜 東北電力女川原子力発電所のモニタリングポストが21μSv/hを観測。 検出された放射線は前日の福島第一原子力発電所1号機の水素爆発の際に放出された放射性物質によるものと判断。
2時42分〜 3号機・直流電源消耗。
3時00分〜 2号機・D/W圧力上昇。
5時10分〜 3号機・原子炉冷却機能喪失に該当する事象が発生したと事業者が判断。
9時10分〜 3号機・炉心露出が始まったと東電が推定。 消防車による淡水注入開始。
10時40分〜 3号機・炉心損傷が始まったと東電が推定。 消防車による海水注入開始。
3月14日 4時08分〜 4号機・使用済み燃料プールの温度が84℃に。
11時00分〜 3号機・格納容器から漏れ出した水素によって原子炉建屋水素爆発。   枝野官房長官は、「原子炉格納容器の堅牢性は確保されており、放射性物質が大量に飛散している可能性は低い」と発言。
13時25分 2号機・原子炉冷却機能喪失に該当する事象が発生したと事業者が判断。
17時00分〜 2号機・炉心露出、損傷が始まったと東電が推定。 消防車による海水注入開始。
22時50分〜 2号機・最高使用圧力を超える。 格納容器圧力の異常上昇に該当する事象が発生したと事業者が判断。
時分〜 アメリカ海軍第7艦隊は、震災の救援のために三陸沖に展開していた原子力空母ロナルド・レーガン所属のヘリコプター作業員17人から、低レベルの放射能を検知したと発表。 同空母は福島原発の北東160kmほどを航行していたが、この汚染を受け、発電所の風下から移動。
3月15日 4時00分〜 4時頃から7時頃にかけて、茨城県北茨城市で最大で5.575μSv/hの高濃度放射線量を観測。 関東地方全域の広範囲で高濃度放射線量が初めて観測。
6時00分〜 4号機・原子炉建屋にて大きな衝撃音が発生。(水素爆発)  4号機では燃料の露出、損傷がなく水素は発生していないが、3号機で発生した水素が非常用ガス処理系配管を通じて4号機内に流入し、爆発したものと推定されている。
6時00分〜 2号機・S/C付近で大きな衝撃音を確認。 建屋爆発には至っていないが水素爆発が発生し、格納容器が破損したと推定されている
8時11分〜 4号機・火災、爆発等による放射性物質異常放出に該当する事象が発生したと事業者が判断。
8時25分〜 2号機・原子炉建屋5階付近より湯気らしきものを確認。
3月16日 5時45分〜 4号機で3月15日に出火した部分で再び出火。 6時15分頃、火は見えなくなったが、鎮火したかどうかは不明。
時分〜 午後、自衛隊ヘリコプターが放水準備のため、3、4号機に上空から接近。
16時00分〜 東京電力の協力企業が福島県富岡町で送電線の支柱を直す工事で社内専用の通信回線を誤って切断。 福島第一原子力発電所から東京本店などへの詳細なデータ送信ができなくなる。 17日0時40分頃に復旧するまでおよそ9時間近く通信が途絶え、放射線量が高い建物外に出て衛星電話で必要最小限の報告をするしかなくなった。
3月17日 7時00分〜 内閣総理大臣から東京都知事に対して、福島第一原発への東京消防庁ハイパーレスキュー隊派遣要請があり都知事が受諾。
9時48分〜 使用済み核燃料プールの水位が低下していた3号機に対し、陸上自衛隊第1ヘリコプター団のCH-47ヘリコプター2機が消火バケットを使い、計4回30トンの放水を行った。
このとき3号機への放水を優先した理由について、東京電力は、16日にヘリで上空から視察したところ、3号機は屋根に残骸があるなどしてプールの状態を確認できなかったが、 4号機プールには燃料棒が隠れるほどの水があることを確認したためと説明。
10時22分〜 オバマ米大統領が菅総理との電話協議で『テレビ中継で見た。素晴らしい』と評価しつつ『東京付近に居住する米国民に退避を促す予定だ』とも告げる。
19時05分〜 警視庁機動隊の高圧放水車が3号機に対し、地上から最初の放水開始。 12トンを放水したところで水の勢いが弱くなり終了。
19時35分〜 自衛隊の各飛行場から集合した大型破壊機救難消防車と救難消防車が3号機に対して約30トンの注入開始。 放射線量に大きな変化は見られず。
3月18日 10時00分〜 各号機共用で使用済み核燃料を貯蔵するプールの水位が確保されていること、使用済み核燃料の乾式輸送容器建屋の外観に異常がないことが確認された。
14時00分〜 自衛隊が約40トン放水。
14時42分〜 東京電力が在日アメリカ軍から借りた高圧放水車で2トン放水。
3月19日 14時05分〜 東京消防庁消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)が約350メートルにわたって手作業でホースをつなぎ、屈折放水塔車から3号機に向かって毎分約3トンを放水した。 この結果、放射線量は放水を終えた段階でほぼ0ミリシーベルト/時に近い値にまで減少した。
時分〜
3月20日 8時20分〜 陸海空自衛隊と東京電力が消防車11台で4号機に81トン放水した。 4号機への放水は初めて。
15時46分〜 2号機に通電し、使用済み核燃料プールに2時間強で40トンを注水。 防衛省は、放水活動で障害となっている瓦礫を撤去するため、放射線に対する防護能力が高く、 機動性に優れた陸上自衛隊の74式戦車2両と78式戦車回収車1両の派遣を決め、18時20分頃、支援車両とともに静岡県御殿場市の陸上自衛隊駒門駐屯地を出発。

 3月12日、原子炉格納容器の破損を防ぐため、1号機に関して圧力抑制プールの水によってある程度放射性物質を取り除いてから格納容器の外へ気体を放出する 格納容器内の蒸気の放出作業(ベント作業)を実行。 弁の開放は成功し、格納容器の破損は免れたが、 10分ほどの作業で人間が1年間に浴びても良いとされる放射線量の100倍以上に相当する106.3ミリシーベルト(約10万マイクロシーベルト)の放射線を浴び、 作業員の男性は吐き気やだるさを訴え、病院に搬送されます。

 2号機は1〜3号機の中で最も多くの放射性物質が放出されたと推定されています。 これは、1, 3号機では「ベント」操作が成功したことに対し、 2号機ではベントのラインを開放することができず、ベントに失敗、格納容器から直接放射性物質を含む気体が漏洩したためと推定しています。


バカがいると現場は混乱する

 3月19日、14時10分頃から、3号機に向け、東京消防庁ハイパーレスキュー隊が遠距離大量送水装置「スーパーポンパー」と屈折放水塔車を組み合わせた長時間の連続放水を開始します。 作業は翌日の3時40分に終了し、放水時間は13時間半にも及びました。 総放水量はおおよそ2430トン、3号機プールの容量(約1400トン)を上回った数値です。

 このとき、当初放水予定の7時間を超える13時間35分に渡って放水を行ったため、放水車が壊れる事態となってしまいました。 東京都によると、 これは海江田万里経済産業大臣が、東京消防庁ハイパーレスキュー隊幹部に対して「速やかにやらなければ処分する」、と恫喝のような指示を出していたためと言われます。

 このため、3月21日に石原慎太郎東京都知事は3月21日に首相官邸を訪れ、菅直人首相に抗議を行っています。    菅首相が「陳謝します。大変申し訳ない」と述べるとともに、枝野幸男官房長官からは報道陣に対して調査を行うことが発表されます。

 緊急存亡の場面に放り込まれた無能なバカが、つい小心者の気質とホンネをさらけ出してしまった、というところですが、判断力を備えた腹の据わった人物でないと現場は混乱するだけ、 という見本となってしまいました。  政治家にはこの手合いが多いようですから注意が必要です。


自衛隊ヘリによる福島第一原発への空中放水

 3月12日、東電は米軍のヘリで真水を大量輸送することが可能か、東京電力から駐日米国大使館へ問い合わせたといいます。

 東電は15日の会見で、米軍にヘリコプターによる上空からの散水を要請し、了解が得られれば16日中にもヘリコプターによる上空からの散水を米軍に実施してもらうことを明らかにします。

 当初は自衛隊ヘリによる上空からの散水も検討しますが、自衛隊に水素爆発事故を起した原子炉を安定化させるノウハウや装備などあるはずもなく、 3月16日には『自衛隊員の安全』を理由にヘリでの散水を断ったという話もあるようです。 いずれにしろ、成功の見込みもない危険な作戦の実施をためらうのは無理もありません。

 ただ、手をこまねいて何もできていない日本の原発事故対応に、世界中からの風当たりは相当強かったはずで、東電も強い突き上げをくらって、やむにやまれず米軍に助けを求めたのかもしれません。   最初から米軍を頼りにすることはないでしょうから、ワラにもすがるというところだったのでしょう。

 いずれにしろ、当初は東電に事故対応を丸投げしていた政府の対応は、未曾有の事故に立ち向かう危機感に欠しいものでした。  似たような出来事は、「自衛隊は憲法違反」と主張する野党がたまたま政権を握っていたとき発生した、 1995年(平成7年)1月17日の「阪神淡路大震災」でも見られました。

 一刻も早い救援活動が必要な大災害であったにもかかわらず、自衛隊を頼りにしたくなかった野党あがりの村山首相と政府は右往左往するばかりで、 自衛隊の災害出動要請が遅れ、いたずらに被害を拡大させてしまったのです。

 ただ今回の原発事故では、3月11日午後7時半に北沢防衛相からの原子力災害派遣命令を受け、東京電力福島第1原発に中央特殊武器防護隊を派遣し支援したといいますから、 自衛隊がカヤの外に置いておかれたわけではなかったようです。

 水素爆発の危険が迫る中、NRC(アメリカ合衆国原子力規制委員会)本部からは、「冷却水が入れられないなら、何でもいいから入れろ。 泥でも砂でもプールに入るものなら何でもだ」、 という激が日本に派遣した支援チームに飛んだといいます。

 自衛隊の活用をめぐっては、16日に菅直人首相が北沢俊美防衛相に自衛隊のヘリ使用を指示。 自衛隊には原発事故に対応する装備もノウハウもなかったが、 誰も辞退する者はいなかった、という悲壮な記事もあります。


竹やり戦法では戦えない

 『日本国の自衛隊は日本政府の要請では絶対に動かないが、アメリカ政府の要請なら嫌々ながら渋々動くのか』、などという記事も見受けられますが、 物事をこういう捉え方で判断してしまっては本質を見失います。 事態を収拾に導くのに必要なのは、精神力ではなく現実的な作戦と準備、そして装備です。

 爆撃機B-29に竹やり一本で立ち向かおうとした戦時中の旧日本軍でもあるまいし、水素爆発を起こした原発事故に無防備の自衛隊員を送り込んでも無駄死にするだけです。  原発の水素爆発事故に対応できるような装備は、自衛隊どころか世界中にあるはずがありません。    そもそも3号機の核燃料プール容量は1、500トンもあるのですから、とてもヘリの数トン程度の放水で対処できる話ではないのです。

 旧日本軍は、圧倒的優位な装備で待ち構えている相手に、負け戦を承知で、貧弱な武器を手に玉砕戦法で突撃し、むなしく斃れていきました。 自衛隊員に勝ち目のない戦いをさせても悲劇を招くだけなのです。   自衛隊指揮官は勝ち目のないそんな無謀な作戦に、部下を投入できるはずはないのです。

 NRC自体、「ヘリ放水なんてありえない」とシビアな見解を持っていたそうです。  当時の防衛大臣北澤俊美も、「ヘリ放水がシンボルだと意識していたが、口にだす話ではない」、と語ったとされます。

 地上でも必死の放水作業は続けられており、誰しもが被爆覚悟で原発事故に立ち向かったわけで、それは自衛隊員も同じ想いだったでしょう。  ただ、せめて何らかの実効が期待できる作業であればやる意義もあるのですが、ヘリ放水はまさにパフォーマンス以外の何者でもなかったのです。


ヘリ放水作戦の結果

 たとえ蟷螂の斧(*2)であろうが、いつの世も軍人は国家を守る最前線に立たされます。 眼前の未曾有の危機に手をこまねいているわけにもいかず、自衛隊もとうとう行動を起こします。

 3月16日午後、 まず陸上自衛隊ヘリ・UH60が放水準備偵察のため、3、4号機に上空から接近。 折木合幕僚長によれば帰ってきた隊員たちの被曝量の数値を見て 「これならナントカ行けるぞ」と思ったといいます。

 そしてとうとう3月17日、自衛隊ヘリの中で最大ペイロード(吊り上げ量)を持つ、タンデムローター・ヘリCH-47J(チヌーク)による上空からの放水作戦が開始されます。   バケツ(容量7.5トン)でくみ上げた海水を、 2機のヘリによる各機2回、延べ4回にわたり計30トンを上空から放水。  この様子はテレビで生中継されました。

 1回目の放水は多少建屋に降り注ぎましたが、他は目標にほとんど当たりませんでした。 『もっと近づかないと駄目だ』、と誰しも思いましたが、 原発建屋上空では原子炉の熱によって激しい上昇気流が起こり、高濃度の放射性物質が巻き上げられ、とても近づいたりホバリングできる放射能レベルではなかったのです。

 なんでも、当初は1機1回とされていた放水作業を、2機が2回ずつ計4回放水したといいますから、自衛隊員の勇気と心意気が感じられます。 しかし、自衛隊ヘリのかなり上空からの飛び去りながらの散水量は微々たるもので、 3号機使用済み核燃料プール容量は1,500トンといわれますから、文字通り焼け石に水でした。

  命がけで作戦に当たった自衛隊員には大変失礼な話ですが、実情を知らない国民の一部からは、このヘリ放水は『セミのション便シャワー』と揶揄されました。   しかし、なんの放射能防護装備もないヘリで乗員の安全を図りながら任務を実施するには、放水高度を高めに設定するとともに、原発上空で停止して放水するのではなく、 ある程度前進速度をもって放水する、というやり方しかなかったのです。

 『世界に恥を晒した形となったヘリによる空中投下作戦』、などと浅はかな非難をする輩もいますが、当時の拡大する一方の原発事故情況において、誰かがなんらかの対抗策を示すことは大変重要なことであり、 あの自衛隊によるヘリ作戦を見て日本はまだまだやれるぞ、と国民が希望を抱いたのも確かです。

 折木合幕僚長も結果として「原発事故に取り組む日本政府の姿を国内外に示すことにつながった」と述べています。  トモダチ作戦に参加した米兵からも、「あの行動を見たら、何とか力になりたいと強く思った」、 という言葉を貰ったといいます。  世の中にはムダでないパフォーマンスもあるのです。

 へりの搭乗員たちはまさに「命がけ」の作戦に狩り出されたわけで、 やはり最後は特攻隊に頼るしかないのが日本人らしいところではあります。 本当にご苦労様でした。


自衛隊員の命を懸けたアピール

 そもそもあの程度の量の水を1、2回散水しても効果はほとんどないだろうということは、見ていた全員が感じました。   政府が自衛隊員の命を懸けて実演させた、日本国民と世界に向けた「日本はこんなにガンバッてます」パフォーマンスだったのです。    いつの世も軍人はお国を守るため矢面に立たされる役目を負わされるのです。

 自衛隊関係者によると、日本政府が東京電力任せとも取れる対応に終始していたことに業を煮やした米軍制服組トップのマイケル・マレン統合参謀本部議長は、15日 自衛隊トップの折木良一統合幕僚長に「自衛隊は何をしているんだ」、「自衛隊が最後の砦だ。決断するのは統幕長しかいない」、と電話で迫ったといいます。

 マレン氏の発言によって自衛隊ヘリ放水作戦が動いたとされていますが、折木合幕僚長によれば、3月16日の夜に北沢防衛相に、「明日は絶対にやりますから」と話しており、 マレン氏の発言は作戦そのものに影響を与えていないと明言しています。

 折木合幕僚長は17日午前7時半の2回目のマレン氏からの電話について、「日本政府の対応を懸念し、自衛隊が姿を見せるべきだという思いがあったと思う」と指摘。 「やるべきことをやらないと同盟は壊れかねない。  運命共同体ではないという当たり前のことを再認識させられた」と述べています。

 もともと17日にオバマ大統領と菅総理の電話会談が予定されており、へり作戦はアメリカに対するアピールともいわれます。   東京電力がヘリ放水当日の3月17日に関係者に通達した書類には、「大臣通達により、予定を変更し地上放水をまたずにヘリ放水をする」といった趣旨の走り書きが記されていたといいます。   ヘリ放水は電話会談のタイミングに合わせた「日本の奮闘アピール」、というわけです。

 ヘリ放水作戦を見たオバマ大統領は、『テレビ中継で見た。素晴らしい』、と評価したとされますから、自衛隊員の命がけのアピールも、まずは成功したといえます。

 ヘリによる空中投下作戦の結果、線量が若干下がったとされますが、その後ヘリによる散水作戦は二度と実施されることはありませんでした。   これ以降は地上からのポンプ車による放水作戦がメインになっていきます。

 その後も自衛隊ヘリは地上からの放水・注水が続く間、上空からのサーモグラフィ撮影(上空から各原子炉の温度を撮影)の任務を継続しています。


SPEEDIを避難判断に使わない

2014年10月8日、原子力規制委員会は原発事故などの際に放射性物質がどのように拡散するかを予測していたSPEEDIについて、住民避難などの判断には使わないとする運用方針を決定しました。

原子力規制委員会によれば「国際的な考えにのっとった」方針らしく、福島第一原発の事故の経験から、SPEEDIの予測データでは「不確かな要素が排除できない」と判断。     緊急時などの避難の判断に使うと逆に被ばくのリスクを高めかねないとしています。

★........記事内容はニューヨーク・タイムズ東京支局長マーティン・ファクラー氏の『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』、Wikipediaを主に参考にしています。



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関連サイト


コトバ学
(*1).....緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム

System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information

(*2)......蟷螂の斧(とうろうのおの)

「蟷螂」とはカマキリのこと。 カマキリは相手がどんなに強くても斧に似た前足をあげて立ち向かう様から、勇敢な姿勢と身の程知らずなこと両方を指すときに用いられる。 力のない者が、自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことのたとえが一般的な用法。



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・diyパーゴラ作り
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