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I love you & I need you ふくしま
浴室のBefore−After

2016/2/25

番外編

【リラちゃんからの贈り物】

RCサクセションの‘ヒッピーに捧ぐ’って曲、RCサクセションが不遇な時代を送っていた頃に、

「俺がお前らを有名にしてやる。」

って言ってくれた、ヒッピーというあだ名のプロデューサーがいたそうで、この方が突然亡くなって、その事を清志郎さんが歌い上げたレクイエムなんだそうです。初めて聴いたのは中学生の頃だったかナァ〜・・・すっかり忘れてたけど、リラちゃんが死んじゃった時、真っ先に頭の中にやって来て、1週間経った今でも、まだ口遊んでしまいます。

さくらプラザはネ、1995年にそれまで街中にあったペットショップをたたんで、ハーブガーデンを併設した総合ペットショップでスタートしたんですヨ。まだ結婚前なのに、お店の引っ越しの時なんかマーヤと佳代ちゃんの人使いの荒いこと・・・トーチャンもまだ若かったんですネ。まぁ〜あの山の中の立地条件で、人がガンガンやって来るような場所では無いンですが、来た人にゆっくりして行ってもらえるような、そんなスペースを母娘は考えていたようです。今でも生地棚の一部は熱帯魚の水槽を置くアングルを使ってますヨ。鳴かず飛ばずのまま1998年の那須白河集中豪雨でハーブガーデンに被害を被ったりしたのでネ、母親と佳代ちゃんが得意な洋裁で、洋裁教室を始めようとお店の脱皮を図っておりました。その矢先、2002年に母親マーヤが病気を患いましてネ、お客さんにもカリスマ的な存在だったマーヤが倒れたさくらプラザは、そりゃ〜もぉ〜存続の危機ですヨ。

母親のリハビリがてら、とりあえずはお店を続けることにしましたが、ペットショップ時代のデカい水槽と、ワンコ達のトリミング室と、それから、まだ軌道に乗っていない洋裁教室のミシンたち、何ともちぐはぐな道具だけが残ってしまいました。佳代ちゃんはお店の危機をワン服を縫ってつなごうと考えましたが、お店番のマルチーズ達、トーチャン達の愛娘でMIXのアイちゃん、オトッツァンが繁殖をしていた頃の最後の一人、柴犬のサキちゃん、このメンバーでは、なかなかモデルも務まりません。ワン服を置いてもらおうと歩いてみても、

「そんなメーカーも分からないようなものは店先に置けない。」

と、断られ、佳代ちゃんが泣き泣き帰って来た事も有りました。そんな頃、金魚のエサを飼いにホームセンターのペット館に入ったら、ケージの中にカリカリに痩せたトーチャンと同じ誕生日のバセンジーがいました。ワン子育てが始まれば、何か空気が変わるかも知れない・・・一目惚れしたトーチャンは連れて帰ろう、と言いました。悪いけど、そんなペットショップよりはトーチャン達の方がよほどチビワンコの気持ちはよく分かる・・・そんな自惚れもトーチャンの中にはありました。母親の事やら店の事やら、佳代ちゃんはワン子育てをしている場合ではない、と言いました。1か月間の押し問答の末、リラという名前に決めて、うちの子に迎える事になりました。

寂しそうで可哀そうだナ、と、思ってうちの子に迎えたンですけどネェ〜、遊びたくてバァ〜ちゃんだったアイちゃんに絡んでガウガウ叱られ、マルチーズ達を追いかけ回し、しつこくしてチビッ子だった甥のシューへーを泣かし、テーブルの上のロックミシンを‘ガチャンっ!’と落し、いい加減佳代ちゃんに、

「お家に帰りナっ!」

連帯責任でトーチャンも一緒に怒られて、2年ぐらいはそんなトーチャンとの二人暮らしが続きましたヨ。那須では冬の夜は厳しく、しかもリラちゃんは寒がりで、布団の中でトーチャンはリラちゃんをナデナデしながら、

「なぁ〜、ずいぶん‘赤字借点’が溜まっちまったなぁ〜、いつか良い子になって返せるのかナァ〜。」

そんな話をしてました。そんなリラちゃんにも、佳代ちゃんはいつも暖かい洋服を着せていてくれました。ガチャガチャのクセにさびしがり屋でネ、ちょっとATMでお金を降ろしている間に車の中から‘ブォ〜アォ〜’の遠吠えが聞こえてきて、戻ってみたら、トーチャンが愛おしくナデナデしていたE30BMWの運転席にウ○チがしてあったり・・・あの頃はトーチャンも‘アホぉ〜っ!’と叱りながら、ずいぶんくじけそうになりました・・・そんな時代も、あったんですネぇ〜。

結局のところマーヤはリハビリ中で、お店も佳代ちゃん一人じゃぁ〜やれる事にも限りがあるのでネ、2003年頃からインターネット通販に活路を見出す模索が続いておりました。しかし、那須町にはブロードバンドは来てなかったし、これまた鳴かず飛ばずなので、2005年頃に思い切ってプロの手を借りる事にしました。まずはADSLが入っていた自宅に拠点を置き、プロにsiteを作ってもらい、ショッピングカートもカッコ良くしてもらい、そして、

「クレジットカード払いは必須条件です。」

なぁ〜ンてアドバイスを頂いたところ、ポツリポツリとカートが動き始めました。お買い物をしてくれた人がいた事がムチャクチャ嬉しくて、

「siteを見てくれた人の期待を裏切るような商品を送ったらイカン。間違えたら素直に謝らないとイカン。ネットショップは信頼を裏切ったらイカン。」

今でもsakura-plaza.comのテーマは同じです。そんなある日の事、昼飯を食いながら、

「他所のバセオーナーさん達は洋服ってどぉ〜してんだろうネ。」

という話になりました。佳代ちゃんもリラちゃんの洋服ではずいぶん型紙の修正を繰り返していたからです。それで、バセンジーの為の洋服屋さんを始めてみる事になったンです。犬種に特化して、しかも数少ないバセンジーで、とても‘いける’とは思いませんでした。だけど、さくらプラザのバセ服が飼い主さんの元に届いて喜んでいただけるなら、それで良いではないですか。

初めてのバセンジーのお客さんがお店に遊びに来てくれて、モデルさんをお願いしたり、リラちゃんを迎えた頃、オチッコの相談をしたバセオーナーさんにも男の子のモデルさんをお願いしたり、共感してくれた方の協力を得ながら、2006年11月、そんな手作りの文化祭みたいにさくらプラザのバセ服屋は始まりました。アップしてみたら、たくさんのお問い合わせが有りましてネ、アクセスカウンターがガバガバ上がるモンで、後日siteの運営会社が、

「どんな手を使ったンだぁ〜っ!」

って、問い合わせをしてきたぐらいでしたヨ。秘密だヨ、当たり前でしょ。

その後、あんなに走りたい犬種なんだもの、トーチャンも小遣いをフンパツして、ハーブガーデンだったスペースをリラちゃん達のドッグランにする事を決意して、翌春には安心してリードを放してあげられるランが完成し、ありがたい事にさくらプラザのバセ服屋は口コミで徐々に広がって行きました。

リラちゃんは‘赤字借点’を返済するどころか、瀕死のさくらプラザを救ってくれ、大きなお土産まで残して行ってくれました。それは、通販でお買い物をしてくれた方が、ネットの中でファンコニの意見が一致した方が、同じ目線でワンコ達を見ている方々が、山奥にいる佳代ちゃんやリラちゃん、そしてトーチャンにまで会いに来てくれて、お話しをする中で築かれた人と人との繋がりです。

リラちゃんを育てたフワフワのアイちゃんも、それまでは空気みたいにお店番をして、夕方トーチャンと田んぼ道をポクポクと歩いていた頃とは世界が一転して、遊びに来てくれたワンコ好きの皆さんにたくさんナデナデしてもらって優しい声をかけられながら晩年を過ごす事が出来ました。

たらちゃんを始めチビワンコを迎えた時はたくさんの方から歓迎されて、トーチャンも佳代ちゃんもワン子育ての励みになりました。まだお別れはしたくなかったけど、でも、きっとリラちゃんは、山の中で息を潜めていた佳代ちゃんやトーチャン達を、日の当たる場所に連れ出すために家に来てくれたんだナァ〜、って、今はそんな風に思います。ガラス越しに出会った頃のリラちゃんは、

「あたちがさくらプラザを救ってあげまちゅ。」

って、そんな根拠のない自信に満ち溢れた子犬だったのかも知れませんネ。

なぁ〜ンか、今は不思議な時間が流れているけど、トーチャンもここはチッとばかり強がって、

リラちゃん、子は親の心配なんかしなくてもいいんだヨ、余計な世話を焼いてくれて

・・・おぅっ!ありがとヨっ!↑top

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