番 外
豊 山
宝 起 院



2007年7月27日(金)

番外 豊山 宝起院

165号線の初瀬から入り、初瀬川に架かっている橋を渡り
門前町を進むと、右側に法起院の駐車場の看板が見える
近くに有料の駐車場があるが、宝起院の無料駐車場へ駐車

西国33カ所の霊場めぐりには
番外の札所が3ヶ寺あります
京都の元慶寺、三田の花山院、それにここ法起院です

このお寺は、長谷寺の開基である徳道上人のご廟所です
この上人こそ三十三ヵ所巡りの祖といわれ、その関係から番外に
徳道上人は斎明天皇2年(656)に播磨の国で生まれ
幼少の頃から聡明な子供として近在では知らぬ人が無かったという

仏門に入ったのは父母を亡くした後、年齢は20歳に近かった
父母の菩提を弔いたいがため仏の道にはいり
当時高僧の噂が高かった大和長谷寺の道明上人の弟子になったのである

長谷寺で修行に励み高僧として名を上げた徳道上人は
現在の長谷寺の基礎を造ったといわれています

徳道上人と三十三ヵ所観音霊場の縁については
次のような話が伝わっています
養老2年(718)徳道上人は病にかかり生死をさまよう状態に陥った
その病中の夢に上人は閻魔大王に出会い
『苦悩している人を救う為に三十三ヵ所に観音菩薩の霊場を求めよ』と
告げられる、そして三十三の宝印を与えられた後に、回復した
こうして上人は三十三ヵ所の霊場を設けたという。

西国三十三か所巡りも最後のページになりました
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法起院の看板

山 門

納経所

この右側の像の下には
『慈抱観音 私の心はいつも母の愛で満たされていた
苦しみや悲しみはそのやさしい微笑みに抱かれ
喜びは涙の中に輝きあふれ
そしていつも私の瞼にはふくよかな母に似た
慈抱観音が映ってみえた。中川稔朗』と
書かれています。


十三重石塔

この十三重塔は上人の御廟といわれている
また、上人が晩年に境内の松ノ木から
法起菩薩となって飛び去った時に
沓を脱いだといわれる沓脱ぎの石があり
触れると願いが叶うと伝えられている。

上人が法起菩薩になったという事から
法起院の名前が付けられたそうです。



最後まで見て頂き有難う御座いました
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第 1番 青岸渡寺
第 2番 紀三井寺
第 3番 粉河寺
第 4番 施福寺
第 5番 葛井寺
第 6番 壷阪寺
第 7番 岡 寺
第 8番 長谷寺
第 9番 南円堂
第10番 三室戸寺
第11番 上醍醐寺
第12番 岩間寺
第13番 石山寺
第14番 三井寺
第15番 観音寺
第16番 清水寺
第17番 六波羅蜜寺
第18番 六角堂
第19番 行願寺
第20番 善峯寺
第21番 穴太寺
第22番 総持寺
第23番 勝尾寺
第24番 中山寺
第25番 清水寺
第26番 一乗寺
第27番 圓教寺
第28番 成相寺
第29番 松尾寺
第30番 宝巌寺
第31番 長命寺
第32番 観音正寺
第33番 華厳寺
番 外 元慶寺
番 外 花山院
番 外 高野山
番 外 法起院