幼なじみ 初めてのデートの2ヶ月前

8年来の幼なじみ、だから、みほさんでなく、みほなのである。
2005年。雅夫、高校2年生。

幼なじみの みほという女の子

小学校

みほは小学校3年の時に転校して来た。髪はショートカットでボーイッシュ(boyish)な女の子だった。以来、8年の幼なじみ(childhood friend)である。
だが、単なる幼なじみではない。小学校の時の雅夫の学年は1クラスだけで、クラス替えは一切なかった。毎日毎日4年間、一緒。遠足も一緒(together)。
さらに、雅夫の家からみほの家まで100m足らずである。
夏休み(summer holidays、summer vacation)だって、意図(intention)せずに会ってしまう。父親の顔は知らないが、母親とは顔見知りである。
運動会の時は雅夫の学年だけ、1クラスを赤組と白組に分けた。
同じ組に入れればいいなと思った事もあるかもしれないが、小学生の「好き」って、あの子も好き、この子も好き、その子も好きというレベルで、恋や愛とは違う。
小学校の高学年ではよくあるように、この頃は雅夫よりみほの方が強かった。

中学校

中学は3クラスだった。同じクラスになった事はなかったが、1日1回(once a day)ぐらいは顔を見ていただろう。
boyishは小学校とともに卒業して、みほも段々と女性らしさを増していたのだろうが、この頃は何の感情もなかった。幼なじみの中の1人にすぎなかった。
中学1年の秋(the fall)、ニューヨーク911が起きる。
この事件は亡くなった5000人の方だけでなく、多くの人の運命(destiny)を変えたが、この事件が後々、雅夫とみほにも影響(effect、affect)を及ぼす。
そして、この二人の「愛」なのか「恋」なのか、なんだか分からない物語は2005年から、みほが他の人と結婚するまで、5年以上も続くのである。
世界は騒々しかったが、雅夫の中学時代は何事もなく過ぎ、二人は別々の高校に進学していった。みほは女子校へ、雅夫は男子校へ。

まだ幼なじみ。高校1年、2004年

二人はともに電車通学だったので、帰りに駅で出会う事があった。家が同じ方角なので一緒に帰った。10分ぐらい。雅夫は山岳部に入っていた。
「今度の夏の合宿は1週間かけて南アルプスを縦走するんだって。荷物は1人、30kgだって、先輩が言っていた。」
「へえ、雅夫君には似合わないわね。」他の友達も例外なく、同じ事を言っていた。
1年生の頃の雅夫はちょっとマラソンが速いぐらいで(1500m5分ぐらい)、筋肉(muscle)はほとんどついていなかった。
「私の高校は毎週礼拝があるのよ。」「みほさんはクリスチャンではないよね。」「うん。でも全員参加するの。」面と向かっては「さん」をつける。
みほの学校はミッション系で、物静かなみほには、とっても似合っていた。「じゃあね。」

二人は幼なじみである。 小学校の時のように、自然に、二人は別れていった。
2004年6月、イラクに暫定政府ができる。しかし、イラクもアフガンも治安は悪化するばかりだった。

まだ幼なじみ。高校2年、2005年

イラク 自衛隊

2005年7月25日、とんでもない事が起きた。イラクに派遣された自衛隊の駐屯地に迫撃砲が撃ち込まれたのである。
あと半年後にはイラクの正式政府ができ、自衛隊も撤退するはずだった。
3人の自衛隊員が亡くなった。二人は20代で、残りの一人がみほの父親だった。
みほの父親が自衛隊員だという事はこの時、初めて知った。それで、父親の顔を見た事がなかったのか。幼なじみでも知らない事はある。
小学校の友達と一緒に通夜に行った。誰も何も話そうとはしなかった。高校2年生である。世の中の事はそこそこ知っている。

911テロ アフガン空爆 イラク戦争

こうなったのは、2001年の911テロが原因だ。
あの事件がきっかけで、アメリカは1ヶ月後にアフガンを空爆し、2003年、イラク戦争に突入する。 サイト内リンクオバマ候補の政策 イラク戦争を終わらせる為に
日本は武力攻撃には参加しなかったが、その支援はした。
そんな事はみんなが知っていた。みんな、それなりに考えは持っているだろう。でも、誰も何も話そうとはしなかった。
みほの父親に対しての政府の保障は手厚くされるだろう。でも、もう、遅い。みほの顔はまともに見れなかった。
ただ、夏休みが1ヶ月残っているのが、唯一つのすくいだった。
2005年は、戦争が終って60年目なので、例年になく、戦争をTVがとりあげていた。8月。6日(広島)、9日(長崎)、15日(終戦)。
これまでは、なんとなく、そんな時代もあったのかなあと漠然と思っていただけだった。
しかし、身近な人の父親が亡くなって、60年前も今も同じなんだという事がはっきりした。

文化祭

9月になると文化祭の季節である。家は近くだが、あれ以来、一度も会っていない。みほはどうしているのかな。
小学校3年から、8年もたっている幼なじみ、お互い空気のような存在である。だから、雅夫に気負いはなかった。でも、ためらいはあった。
何だかんだ言っても、思春期の男の子である。
思い切って、文化祭の招待券を送った。こうして、地球の裏側のニューヨークの事件は雅夫とみほの人生に影響を及ぼしていくのである。
次の日、メールではなく、電話があった。「ありがとう、雅夫君。私は元気よ。20日には必ず行くわ。」
これまでのように物静かなしゃべり方なので、本当に元気になったかどうかは分からなかった。
短い言葉だったけど、雅夫の気持ちは少しだけ晴れた。

初めてのデートの2ヶ月前。雅夫の文化祭

2005年の9月20日。校門で待っていると、みほが歩いてきた。物静かだけど、ステキな笑顔で言った。
「ありがとう。雅夫君。」この頃のみほの髪型はセミロングになっていた。元気そうだった。
「今度は私の高校の文化祭に来てね。だけど、私、文化祭実行委員長だから忙しくて、なかなか相手してあげられないかもしれないけど。」
「うん。僕も学校のマラソン大会とぶつかっているけど、午後には必ず行くよ。」
聞いてみると、クラスのではなく、学校全体の実行委員長だと言う。
みほの性格には合っていないと思ったが、小学校の頃はboyishで活発な女の子だった。よく、雅夫もいじめられた。
中学の時はクラスが別で、あまり話す機会は多くなかったけど、いつから、変わったのだろう。中学1年の時は小学校と同じ明るさがあった。
一瞬(a moment)、雅夫の体に電撃が走った。
そうか、テロ特措法ができて、自衛隊がアメリカの支援を始めた頃だ。たしか、中学1年から2年にかけての事だ。
幼なじみでも知らない事はある。
そうだったのか。自分の気がつかないところで、そんな事があったのか。
これからも自分の知らないところで、いろんな事が進んで行くのかもしれない。

中原 中也

「これ、後で読んでみて。」別れ際に渡されたのは『中原 中也』の詩集だった。
雅夫に詩集の趣味はなかったが、この時点での彼女の心境を考えれば、「僕に詩集の趣味はない。」とは言えない。
みほが帰ってから、しおりのはさんであった所を開けてみた。
汚れちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れちまった悲しみに
なすところなく日は暮れる・・・
この詩の意味する事は雅夫には分からなかった。でも、高校2年の女の子にふさわしいとは思えなかった。
表面的には明るく振る舞っていても、まだ、2ヶ月足らずだから。少しでも、みほの支えになってやりたいと思った。

小さな恋のメロディ

歌も映画もリバイバル(revival)が流行っていた。たいがい、30年前のものだ。そのひとつに「小さな恋のメロディ」という映画があった。
映画はまだ見ていなかったが、その主題歌は知っていた。
曲名は「FIRST OF MAY」 by ビージーズ。

次FIRST OF MAY若葉の頃-初恋3へ続く

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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