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大和ミュージアム

広島県呉市にある科学館、大和ミュージアムの正式名称は、「呉市海事歴史科学館」。

明治時代以降の軍港・鎮守府、そして造船の街として栄えた呉の歴史や科学技術、 戦艦大和をはじめとする日本海軍の艦船模型などを展示しています。

今では正式名称の「呉市海事歴史科学館」よりも「大和ミュージアム」の愛称名のほうが広く定着しています。

大和ミュージアム

入口を入ってすぐの『大和ひろば』には、全長263mの「大和」の10分の1スケール、26.3mもある巨大な戦艦大和の模型がドーンと展示されていて、そのものすごい迫力に圧倒されます。

この模型は、戦艦大和の海底調査や発見された資料により判明した最新の情報に基づいて制作されており、 新たに判明した史実や資料があればそれに合わせて随時改装されているそうです。


「大和ミュージアム」は日露戦争・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦から60年目にあたる2005年(平成17年)4月23日に開館しました。
開館から1443日目の2009年(平成21年)7月4日に、来館500万人目を迎えたという人気スポットです。

館内展示室には「零式艦上戦闘機六二型」、人間魚雷「回天10型(試作型)」、特殊潜航艇「海龍」などの海軍兵器の実物が数多く展示されています。

屋外には実物の潜水調査船である「しんかい」が展示され、戦後の海事史についての展示物も充実しています。 大和ミュージアム    

大和ミュージアム
各階の展示
4階 展望テラス。市民ギャラリー。ライブラリー。会議、研修室。リフレッシュコーナー。
3階 大和シアター。船をつくる技術。休息ラウンジ。実験工作室。リフレッシュコーナー。
2階 展示デッキ。
1階 受付。大和ひろば。大型資料展示室。ミュージアムショップ。大和ホール。


大和ミュージアム 「大和」は当時の大日本帝国海軍が日本の最高技術を結集して建造、1941年12月16日就役させた当時史上最大の排水量をもった戦艦です。

「大和」の特徴である球状艦首。
造波抵抗を打ち消し速力向上をはかるため、日本海軍の軍艦では一番最初にこの球状艦首を採用しました。(竣工は翔鶴が先)


大和ミュージアム 史上最大だった主砲、口径46cm砲を前部2門、後部に1門備え、砲弾や装薬の装填はすべて機械化され人間が行うことはありません。(そもそも重過ぎて人力では無理)

「大和」の主砲塔は1平方センチあたり70kgの水圧動力で動き、1秒間に2度旋回し、砲身は1秒につき8度俯仰しました。

防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施すという、当時世界最大最強の戦艦でした。


   

大和
項目 データ
起工 1937年11月4日
進水 1940年8月8日
就役 1941年12月16日
建造費 約137,802,000円(1936年3月 艦政本部試算)
排水量 9,000トン (公試)、72,809トン (満載)
全長 263.0m
38.9m
出力 153,553馬力
最大速力 27.46ノット(公試成績)

建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し、この大和型建造で建造期間の短縮、作業の高効率化を目指して採用したブロック工法は大成功を納め、 技術・効率的な生産管理のノウハウは戦後の日本工業の礎となりました。


大和ミュージアム 「大和」が沈没してから70年以上経過しますが、「宇宙戦艦ヤマト」など「大和」を題材とした映画やアニメが度々作られ、現代でも日本人に大きな影響を与え続けています。

「大和」はその存在が最高軍事機密であったうえ、戦争が始まってから完成したためにその姿をとらえた写真は非常に少なく、この展示模型はそれだけ貴重なものとなっています。


大和ミュージアム 煙突などにおける蜂の巣構造の装甲、巨大な観測用の測距儀の装備など最精鋭の装備をもつ艦型でした。

就役当初、レーダーは装備されていませんでしたが、その後"電波探信儀"が漸次装備されていきます。


大和ミュージアム 「大和」は居住性の高さや食事などの面で優遇されていたこともあいまって、他艦の乗組員や陸軍将兵から「大和ホテル」と揶揄されました。

作戦行動を終えた駆逐艦が大和に横付けし、駆逐艦乗組員が大和の巨大で設備の整った風呂を利用することも多かったといいます。


大和ミュージアム 艦隊同士が大砲を打ち合うという戦いから、航空戦へと戦い方もシフトしており「大和」が実戦で活躍した場面はほとんどなかったようです。

唯一「大和」の戦果として、アメリカ軍の護衛空母ガンビア・ベイに大和の主砲弾1発が命中して大火災を起こさせた、という証言もありますが、 残念ながらアメリカ側の記録ではガンビア・ベイ大火災発生の事実はないそうです。


大和ミュージアム 「大和」は1945年(昭和20年)4月7日、天一号作戦においてアメリカ軍機動部隊の猛攻撃を受け、九州南西沖の坊ノ岬沖で撃沈され、 乗組員3332名のうち3000人超が大和と運命をともにし、北緯30度43分 東経128度04分。水深345mの海底に沈んでいます。  生還できたのは1割に満たない276人とされます。

同型艦の武蔵が魚雷20本以上・爆弾20発近くを被弾しながら9時間程耐えたのに比べ、大和は2時間足らずの戦闘で沈没したそうですが、 これは被弾魚雷の内1本(日本側記録では7本目)を除いては全て左舷に集中したのが大きかったとか。

アメリカ軍艦載機が提出した戦果報告と、日本側の戦闘詳報による被弾数には大きな食い違いがあり、日本側は魚雷命中12〜14本、爆弾5発。 アメリカ軍戦略調査団は、日本側資料を参考に魚雷10〜35本、爆弾38発が命中したと報告しています。

菊水作戦時、沖縄までの片道分の燃料しか積んでいなかったとされていたが、実際には約4,000(満載6,500)トンの重油を積んでおり、 その量だと全速力でも3往復はできたといいます。

うまく沖縄本島に上陸できれば乗組員の給料や物資買い入れ金なども必要とされるため、現金51万805円3銭が用意されていたそうです。(2006年の価値に換算して9億3000万円分ほど)


1階展示室

大和ミュージアム 1階「展示室 呉の歴史」では日本の幕末から太平洋戦争終結までの戦史、戦艦大和にまつわる展示品、当時の記録映像の上映、海軍兵器の実物、 没者の遺品などの歴史的資料の展示がされています。

随時ガイドや学芸員による解説を受けながら展示物を閲覧することもできます。


大和ミュージアム 広海軍工廠は、横須賀に海軍航空廠が開設されるまで日本の航空機技術開発をリードしました。

特に金属性飛行艇の研究・開発は独壇場だったそうで、見たこともない飛行艇模型が展示されています。

複葉式双発飛行機、89式飛行艇(縮尺1:24)。


大正9年、呉工廠に航空機部が設置され航空機の造修が行われましたが、大正12年には呉工廠から独立して広工廠が誕生しました。

その後はしだいに拡大していく航空関連の実勢に対応するため、横須賀に海軍の航空軍備の研究開発のための組織が集約、設立されていきます。

横須賀航空廠→航空技術廠→第一海軍技術廠.....と名称も変わりますが、のちに13の作業部をもち、職員数1,700人、工員31,700人を擁するわが国最大の航空研究機関 となっていきました。


大和ミュージアム 1階の大型資料展示室には旧海軍が使用していた実物の兵器が、数多く展示されています。

「零式艦上戦闘機六二型」、人間魚雷「回天10型(試作型)」、特殊潜航艇「海龍」など本物の兵器を身近に眺めることができます。

「海龍」は静岡県網代湾で昭和53年に引き揚げられたもの。


大和ミュージアム 一等巡洋艦「青葉」が呉海軍工廠で修理の際に外された、3番主砲塔右砲の20センチ主砲身と弾丸です。



大和ミュージアム 零式艦上戦闘機のスケルトンモデル。  非常に精密に作られていて見飽きません。



大和ミュージアム
《酸素魚雷》

日本海軍が世界に誇った、潜水艦搭載タイプの酸素魚雷。

3階には船を中心とした科学技術の原理を操船シミュレーターなどの体験・体感を通して紹介する展示室があり、 家族そろって学べる施設です。

4階にある展望テラスからはかつて戦艦「大和」を建造したドック跡や呉湾を行き交うフェリーなどを一望でき、普段はあまり見ることのない造船中の大型タンカーなども展望できます。

屋外のミュージアム海側には芝生広場があり、実物大の戦艦「大和」をイメージした公園が整備されています。

1階「ミュージアムショップやまと」で広島名産のお土産や、大和ミュージアム限定品を買ってきました。



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