ホーム⇒ドライブ旅行記⇒2012.12 日光東照宮 家族旅行

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)

 日光東照宮は江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現を祀る、栃木県日光市に所在する神社。

元和2年(1616年)4月に社殿が完成し、3代将軍・徳川家光が寛永11年(1634年)に日光社参し、寛永13年(1636年)の21年神忌に向けて寛永の大造替が始められ、 今日見られる荘厳な社殿への大規模改築が行われたとされています。

日本全国の東照宮の総本社的存在であり、正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」ですが、他の東照宮との区別のために、 「日光東照宮」と一般的に呼ばれています。(2014.9.20)






武徳殿(ぶとくでん)

駐車場にクルマをいれて、武徳殿(MAPの最下段・右手)を左手に見ながら雪道を東照宮に向かいます。

武徳殿とは、平安時代に大内裏(だいだいり・皇居)にあった殿舎の一つで、宮中で競馬などを観覧する際に用いられた建物を一般にいうそうです。

東照宮の武徳殿は、国の登録有形文化財に登録されており、現在は東照宮道場生の稽古や東照宮流鏑馬の木馬稽古の他、 社会人から少年まで多くの団体の合宿や稽古会などにも使用されています。


石鳥居(いしどりい)

武徳殿を抜けて右手に進むと、日本三大鳥居の一つ、石鳥居が見えます。

石鳥居は明神鳥居で元和4年(1618)黒田藩52万石の藩主、黒田長政が奉納したもので、石材は九州から切り出され運ばれたそうです。

大きさは高さ9m、柱の太さ3.6m、柱の間隔が6.8mで京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居と共に日本三大鳥居の一つに数えられています。

扁額(へんがく・門戸などにかける細長い額)は後水尾天皇の宸筆(しんぴつ・天子の筆跡)と伝えられ、「東照大権現」の文字が掲げられています。
日光東照宮石鳥居は国指定重要文化財に指定されています。

柱の上に渡した笠木(かさぎ・鳥居などにわたす横木)は軽量化のため空洞があるそうで、昭和24年(1949)に日光を襲った地震のときは、 最初の強い揺れでかなりずれた継ぎ目が、余震で元の位置に戻ったといわれます。


五重塔(ごじゅうのとう)

石鳥居をくぐってすぐの左手には要文化財に指定されている日光東照宮の、五重塔が建っています。
五重塔は日本各地に建っていますが、仏塔の形式の一つで層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、五重の屋根を持つものを五重塔というのだそうです。
重要文化財に指定されている日光東照宮の五重塔は、慶安3年(1650年)に若狭(福井県)の小浜(おばま)藩主・酒井忠勝が寄進したもので、 当初の建物は1815年に焼失し、1818年に忠勝の子孫・忠進によって再建されました。

塔の高さは、約36メートル。 内部は吹き抜けになっていて、中心を貫く直径60センチの心柱が4層(4階)から鎖でつり下げられ、その下層部は礎石の穴の中で10センチほど浮いています。
これは、耐震・耐風対策であり、また、木材の伸縮などで生じるひずみに対応する構造です。

下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)から成り、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しているとされます。 内部には本尊である大日如来像(国指定重要文化財)が安置されています。

飛鳥時代の法隆寺五重塔の心柱は地中から立つ掘立柱でしたが、それ以降は地上に据えた心礎の上に立つようになり、平安時代後期の海住山寺五重塔以降は初重の上に立つものも現われてきます。


拝観受付所

ここで拝観券を購入します。

( )は35名以上の団体料金。 午前8時〜午後3時30分       

大人 1300円(1170円)
小中学生 450円(405円)
   


表門(おもてもん)

石段を上ったところにある表門は東照宮最初の門で、寛永12年(1635)に建てられたもので、 左右に仁王像が安置されているところから"仁王門"とも呼ばれ、重要文化財に指定されています。



三間一戸、単層八脚門、切妻、銅瓦葺き、東西に延長120間に及ぶ簓子塀(ささらこべい)が付いています。

神仏混合の名残で両脇には古くから仁王像(阿形・吽形・像高約4m)が安置されていて仁王門と称していましたが、 明治時代初頭に発令された神仏分離令により、仁王像が大猷院に移され東照宮の表門となりました。(明治30年(1897)に再度仁王像は戻されました)
朱色を基調とし虎や麒麟、獅子、獏など82体の彫刻は極彩色に彩られています。

三神庫(さんじんこ)

表門を入ると右手に3棟並んで建っているのが、重要文化財に指定されている三神庫と呼ばれる建物です。

寛永12年(1635)に建てられたもので、表門に近い方から、下神庫(しもじんこ)、中神庫(なかじんこ)、上神庫(かみじんこ)の名称がついており、総称して三神庫と言われています。

中神庫・下神庫には春秋、渡御祭(とぎょさい)「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類、流鏑馬(やぶさめ)の道具などが収蔵されており、 上神庫は『御宝蔵(ごほうぞう)』とも呼び、もっとも重要な御神宝(ごしんぽう)が収められています。
春秋の祭りの1週間ほど前から準備のため扉を開けるので内部を見られるそうです。

「神庫」とは祭具を入れる倉(くら)という意味で、奈良の正倉院に代表される校倉造り(あぜくらづくり)を模した建物で、 高床で通気がよく、品物をしまっておくのに適した造りになっています。




上神庫の屋根下には狩野探幽(かのうたんゆう)が下絵した「想像の象」の大きな彫刻がほどこされています。

実物を知らずに想像で彫刻の下絵を描いたことから、耳の付き方や尻尾の形が実際とは異なっているそうです。




神厩舎(しんきゅうしゃ)

三神庫の向かい側、拝観コース左手に建っているのが境内で唯一の素木造(しらきづくり)の素朴な建物、神厩舎で、もともとはご神馬をつなぐ厩(うまや)です。

ただの古びた小屋と思い通り過ぎないようにしましょう.......  ナントここが東照宮で一番有名な、 「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿(さんざる)の彫刻がある場所なのですから。

厩神(うまやがみ)を祀る多くの地方では猿が馬の守り神とされており、室町時代まではこういう馬屋に本当のサルを飼っていたそうです。


長押(なげし)上には人間の一生を風刺しているとされる猿の彫刻が8面(8構図)あり、2番目にあたる彫刻が「見ざる・言わざる・聞かざる」です。




【8構図の意味】




陽明門(ようめいもん)

拝観コースを進み右に折れてその先、階段を上ったところにあるのが、日光東照宮の象徴的な建築である陽明門です。

寛永12年(1635)に建てられ、京都御所の東正門である「陽明門」の名を戴いた格式の高い門です。
高さ11.1メートルの2層造り、正面の長さが7メートル、奥行きが4.4メートル、四方軒唐破風、銅瓦葺きの楼門建築です。

いつまで見ていても見飽きないところから「日暮門(ひぐらしもん)」ともよばれているそうですが、たしかにものすごい数の彫刻が 彩色豊かにひしめき合っているのは圧巻で素晴らしい建造物です。

 


門に掲げられている額は、後水尾天皇より賜った「東照大権現」の額です。
東照宮という名はこれが根源とされています。 明治維新までは陽明門より奥に庶民は入ることができませんでした。




「陽明門」の白い柱は、貝殻をすりつぶしてつくった白色の顔料「胡粉(ごふん)」が塗られていて、グリ紋と呼ばれる渦巻状の地紋が彫られており、 グリ紋それ自体に魔除けの意味があるといわれます。

陽明門には12本の白い柱があり、門をくぐった左側の一本のグリ紋が、この柱だけ向きが異なっており、これが有名な「魔除けの逆柱(さかさばしら)」といわれます。

「家を建てるときは瓦3枚残す」という言葉があるそうですが、 建物は完成した瞬間から崩壊が始まる。それなら1か所だけ仕様を違え、建物はまだ未完成であると見なし、建物が長持ちするよう願った、という意味があるようです。
本社の拝殿と本殿にこれと同じ逆柱が1本ずつあるそうです。


東照宮で彫刻の一番多い建物は、本社(ほんしゃ)の2468体.......内訳は「本殿1439体、拝殿940体、石の間89体)」。
次いで「唐門(からもん)」の611体(7センチ×9センチの小さな花の彫刻が400体もある)。
そして3番目が「陽明門」の508体といわれます。

彫刻をテーマで分類すると、人物、霊獣(れいじゅう)・動物、花鳥、地紋(一定の図形が 繰り返される文様)の4つになり、 ここ陽明門には故事逸話や子供の遊び、聖人賢人などの彫刻がほどこされているとされます。


神楽殿(かぐらでん)

陽明門を入り右手にあるのが国指定重要文化財に指定されている神楽殿で、陽明門の反対側左手にある「神輿舎(しんよしゃ)」とは対になっています。

「神楽(かぐら)」とは、日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞のことで、各地の神社で祭礼の折などに行われる舞・囃子(はやし)などがあり、 「神楽」を奏でるときに使用する場所が神楽殿と呼ばれます。

東照宮の建物は、和と洋、さらに唐様の折衷型が多いなかで、神楽殿の様式は数少ない純和様といわれます。

寛永12年(1635)に建てられ、3間(1間=約1.8メートル)四方の建物の内部は、北向き正面の前2間分が舞台、後ろ1間分は楽屋(装束の間)になっており、 背面は回廊に接して周囲三方から舞台が見えるような造りになっています。

「神楽」は巫女神楽・出雲神楽・伊勢神楽・獅子神楽などに分類されますが、ここ日光東照宮では春の大祭にはこの舞台の上で八乙女(やおとめ)が神楽を舞います。


神輿舎(しんよしゃ)

陽明門を入り左手にあるのが神輿舎で、右手の神楽殿と対になっています。
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められています。

「神輿(みこし)」は「しんよ」ともいわれ、神体または御霊代(みたましろ)が乗るとされる「輿(こし)」のこと。
(みこし)は「御輿」とも書きますが、こちらの意味は平安時代に貴族を乗せて担いだ「輿」の尊敬語だそうです。

残念ながら工事中でした。

この舎の中には徳川家康・豊臣秀吉・源頼朝の3基の神輿が納められているそうです。

寛永13年(1636)製作の初代の神輿は1トン以上もあり現在は東照宮宝物館に展示してあるそうですが、昭和40年代製作の2代目でも重さは約800キロもあるそうです。

建物内部の天井画「天女舞楽(てんにょぶがく)」は天女の絵では日本一の美人といわれ、神輿が無い時真下で手を叩くと『鳴き竜現象』が起こるそうです。


廻廊(かいろう)

陽明門から左右にのびている廻廊は国宝に指定され、本社、祈祷殿、神楽殿、神輿社などをグルリと囲んでいて、 その総延長は220メートルに達するそうです。

廻廊は寛永12年(1635)に建てられたもので、正保4年(1647年)に地震の被害により廻廊の北側部分が取り除かれましたが、他には全く形式変更はないそうです。

この南側外壁は、我が国最大級、計25枚の花鳥の大彫刻で飾られ、内側は円柱を建てた吹き抜けとなっています。




彫刻の下絵は狩野理右衛門が担当したとも云われ、花鳥風月や、波、雲、鳳凰などの透かし彫りが施されています。

いずれも一枚板の透かし彫りで、極彩色がほどこされています。

この先、右手の「坂下門」側に続く部分には唐破風(からはふ・そり曲がった屋根の装飾部分)の「眠り門」があり、その欄間には有名な「眠り猫」と「雀」の彫刻が彫り込まれています。




 

祈祷殿を左手に見ながら、奥宮(おくみや)拝観券の売り場で拝観券を購入して「眠り門」、「坂下門」へと向かいます。

眠り猫は「坂下門」手前の「眠り門」の欄間(らんま・上部の明り取り)にあり、看板は立っているのですがウッカリすると通り過ぎてしまいますから、 "眠り猫"の看板の前にきたら、立ち止まり上を見上げましょう。




眠り猫(ねむりねこ)

坂下門の手前、廻廊に繋がる唐破風の"眠り門"の欄間には眠り猫の彫刻が彫り込まれています。
「眠り門」の手前で立ち止まり上を見上げないと目に入らないのと、「眠り門」のすぐ後ろの黒ずんで見えるのが「坂下門」なので、 そっちに気をとられているとつい通り過ぎてしまいます。

眠り猫は左甚五郎作と伝えられ、牡丹の花に囲まれ"日の光"を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われます。

★....左 甚五郎(ひだり じんごろう、又は、ひだの じんごろう)は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で、落語や講談で有名。
講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたため、 また、左利きであったために左という姓を名乗ったという説もある。

甚五郎作といわれる彫り物は全国各地に100ヶ所近くある。 しかし、その製作年間は安土桃山時代〜江戸時代後期まで300年にも及び、出身地もさまざまであるので、左甚五郎とは一人ではなく 各地で腕をふるった工匠たちの代名詞としても使われたようである。(Wikipedia参照)....★


猫の彫刻は、日光東照宮以外の神社・寺院にも見られるそうですが、ほとんどは獲物を狙って殺気をみなぎらせた構図で、ノンビリ寝ている意匠は日光東照宮だけなのだとか。

彫刻の裏側には、竹林に遊ぶ2羽の雀の彫刻があり、これは天敵の猫がいても雀が戯れることが出来る程の平和な世の中である、ということを現わしているといわれます。

動乱の戦国時代から、東照宮の御祭神・家康公によって平和な時代が訪れたことを意味する、平和のシンボル「眠り猫」、ということかも知れませんね。


坂下門(さかしたもん)

徳川家康公の墓所、奥宮(おくみや)へ続く参道入口の門が坂下門です。

寛永13年(1636年)に造営されたもので、 屋根の葺き替え、塗装及び飾金具の変更がありましたが、他には全く後世の形式変更がないとの事です。 江戸時代は将軍の参拝時以外閉ざされていたことから「不開門」....あかずの門....と呼ばれていました。

柱や天井を飾る金具は七宝焼(しっぽうやき)で、欄間(らんま)には鶴、腰羽目(こしはめ)には牡丹(ぼたん)と唐草模様の彫刻がほどこされています。


参道

坂下門をくぐり、徳川家康公の墓所である奥宮へ続く、207段あるといわれる参道を上っていきます。

この日は雪降りでしたから足元がすべるスベル......階段が急なこともあって滑りやすく、しかも手すりがありませんから、うっかりすると滑落という事態になるかも........

石段は真っ直ぐではなく、途中で何箇所か曲がり踊り場がありますから時々休憩しながらの階段上りですが、正直かなり疲れます。
観光地でいつも思うこと......「旅行は年をとってからノンビリと」、ではなく体力があるうちが勝負です。


寒さの厳しい日光では、霜柱で浮き上がってこないよう、この長い石段はナント!!、踏み石一段毎に重い大きな"一枚石"を用いているそうです。
石柵も"一本石"をくり貫いて作ったものだそうですから、やはり大変な手間とお金がかかっています。

奥宮の境内入口が見えてきました。 入口に建つ鳥居は唐銅鳥居です。天和3年(1683)、石鳥居を改めて唐銅鳥居を建てたものです。


御宝蔵(ごほうぞう)

参道を登りきった右手には国指定重要文化財に指定されている、御宝蔵が建っています。

御宝蔵は承応3年(1654)に建てられた、桁行3間、梁間2間、寄棟、銅瓦葺きの建物です。 奥宮拝殿と同様に外壁は銅板を貼りその上から黒漆が塗られているため落ち着いた雰囲気があります。

この御宝蔵には、朝廷から初代将軍徳川家康や日光東照宮におくられた官符宣命等の文章を収められました。 江戸時代には家康公の位記・宣旨類、甲胄、刀剣など貴重な神宝を収蔵していたそうです。




奥宮(おくみや)拝殿

奥宮とは、同一の神社に複数の社殿があり、かつ社殿と社殿の間が非常に離れており、一見すると別のものにみえるような場合に 用いられる用語で、ある社殿に対する他の社殿の関係を現す名称、または、その関係にある社殿そのものをいうそうです。
『奥社』、『上宮』、あるいは『元宮』などともいわれるそうです。

拝殿(はいでん)とは、神社の本殿の前にあり,祭典を行い,参拝者が拝礼を行う殿舎のことを指します。
ということで、『奥宮拝殿』とは本殿の離れたところにある、別な拝殿ということになります。

日光東照宮の奥宮拝殿は寛永13年(1636)に建てられたもので、東照宮境内にある極彩色に彩られた他の建物とは異なり、 黒漆が塗られているため墓所らしく落ち着いた意匠となっています。

右手後方に鋳抜門(いぬきもん)が見えます。




鋳抜門(いぬきもん)

奥宮拝殿の後ろにあるのが鋳抜門です。

この門を入ると奥に家康公の墓所である奥宮宝塔がありますが中には入れません。

鋳抜門は慶安三年(1650)の造立。椎名伊豫の作といわれています。
青銅製で、屋根・柱・壁と別々に鋳造したものを組み立てて造ったそうです。

左側の狛犬の頭には一本の角があり、狛犬というよりユニコーンに近いです。
画像では見えませんが鋳抜門の上部、両脇にある舌を出した龍のように見える霊獣は「蜃(しん).....蜃気楼の蜃」で、 「燕を食べ、気を吐き、楼台城郭を描き出す」と言われています。


宝塔(ほうとう)

鋳抜門を入ったところに家康公のお墓である宝塔があります。
門からは入れませんが、宝塔は空き地にポツンと建っているだけなので周辺をグルリと見て回れます。

宝塔とは仏塔の建築形式の1つで、仏塔全般を指す美称として宝塔の語を用いる場合もありますが、日本建築史の用語としては、 円筒形の塔身に平面方形の屋根をもつ一重塔を指すといわれます。

一度も開けられたことがないそうで、最初は木造でしたがその後石造りになり、天和3年(1683)第5代将軍綱吉のときに唐銅製(金・銀・銅の合成)に改鋳されたそうです。

宝塔は石造りの玉垣の内部に八角九段の基盤を築きその上に高さ5mあり、 前面には寛永20年(1643)に朝鮮から献上された香炉、燭台、花瓶、三具足が備え付けられています。

右手奥に見えるのが、叶杉(かのうすぎ)です。


叶杉(かのうすぎ)

宝塔の傍らに立っているのがパワースポットとして取り上げられる樹齢約600年の杉の古木、叶杉で、 この杉のほこらに向かって願い事を唱えると願い事が叶うと伝えられているそうです。

読み方は、"かのうすぎ"が正しいらしく、残念ながら希望以上に叶う"かないすぎ" →『叶い杉』ではないようで、願い事が100パーセント叶うかは定かではなさそうです。




唐門(からもん)

再び急な石段の参道を足元を気にしながら下り、東照宮の中心となる建物、御本社の入口、唐門へ向かいます。

国宝である唐門は、建物全体が工芸品であり、東照宮で最も重要な本社の正門で、その奥が拝殿と本殿です。

江戸時代には御目見得以上の幕臣や大名だけが使えたそうですが、現代でも唐門は、正月や大祭などの祭典のとき以外は国賓に相当する参拝者だけしか使用できないようです。

唐門は間口3m、奥行き2mの小さな門ですが、全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、 「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」などの細かい彫刻がほどこされています。
唐門に施された彫刻の数は東照宮では2番目に多いそうです。


「唐門」とは、屋根に唐破風(からはふ)のデザインを持つ門、ということで、破風とは屋根の形状のひとつです。

「唐門」といっても、中国の「唐」から入ってきたわけではなく日本独自のもので、鎌倉時代に生まれ安土桃山時代に最も隆盛を迎えた様式といわれます。

この唐門のカーブを描く屋根形状が、唐破風(からはふ)デザインの見本で、曲線を連ねた形状の破風板が正面に向いているのを、向唐破風(むこうからはふ)、 横向きについているのを軒唐破風(のきからはふ)と呼ぶそうです。


拝殿(はいでん)

  拝殿は神様に拝礼するための御殿です。 拝殿・石の間・本殿は、東照宮の中心となる建物で御本社とも呼ばれています。

豪壮な造りで、柱や粱などにも地紋彫が施され、細部に至るまでおびただしい数の彫刻や絵画、極彩色の文様で埋め尽くされています。

工事中でした。

ちなみに......三代将軍家光が行った伊勢神宮の式年遷宮にならったとされる「寛永造替」では、金56万8千両もの莫大な造替費用がかかったとされますが、 それまでの通例に反し諸大名への負担を強いなかった、とされます。
「寛永造替」以後、一度も造り替えはおこらなかったそうで、この費用の出所は、日光東照宮がある女峰山系の裏側に西沢金山とよばれる金山から採掘された金銀からではないか、 というウワサもあるようです。

祈祷殿(きとうでん)

祈祷(きとう)とは、神仏の加護を願い、言葉によって除災増福を祈ること、またはその儀礼、ということで、祈祷殿 は、神社で神事の際神宮がこもって祈願する建物、という意味になります。

明治時代初頭に発令された神仏分離令で、 仏教的建物であることを理由に境内から移転を命じられましたが"社務所"に使用することでここに据え置かれました。 そのため、正式名称は今でも「上社務所(かみしゃむしょ)」といわれます。

江戸時代はここで護摩を焚いて天下太平を祈願したと云われ、現在は 「家内安全」、「初宮詣」や「七五三詣」、「身体健全」「厄除開運」「交通安全」「商売繁盛」「事業繁栄」など様々な祈祷を行っています。 初穂料 一件5,000円〜

似たような建物に"拝殿"がありますが、基本的に"参拝者が神に祈りを捧げる場"、という意味では同じですが "祈祷殿"は昇殿して神職の下で参拝する、のが一般的になっています。

それに対し"拝殿"は参拝者が『外からも』、『昇殿しても』参拝できるように造られており、 "祈祷殿"を持たない神社での祈祷は、神職が同席して"拝殿"で執り行われる、ということのようです。


鳴竜(なきりゅう)

拝殿を見学した後、陽明門を出て右手に本地堂(薬師堂)があり、その内陣天井に描かれているのが有名な、鳴竜です。

竜の頭の下で拍手(拍子木を打つ)すると、天井と床が共鳴し音が天井と床で何回も反射を繰り返すため,竜が鳴いている(鈴のような鳴き声)かのように聞こえることから 「日光の鳴竜」と呼ばれています。




もとの絵は狩野永真安信(かのうえいしんやすのぶ)の筆によるとされ、昭和36年の失火で堂とともに焼失したため、堅山南風(かたやまなんぷう)画伯が復元したそうです。

34枚のヒノキ板に描かれており、大きさは縦・6m、横・15mもあるそうです。




天井がその周囲から約9 cmほど 凹んでいて、そのため音が拡がらず、床と天井に何回も反射を繰り返す音(フラッターエコー)が、竜が鳴いているように聞こえるとされています。




昼食タイム

東照宮拝観の後は、東武日光駅に足を伸ばし、昼食タイムをとります。

相変わらず雨交じりの天気で肌寒い気候です。




駅前のレストランで日光名物の「ゆば」料理をいただきました。

「ゆば」とは.......大豆の加工品のひとつで、豆乳を作りこれを煮たときに表面にできる、薄い膜を引き上げたもの。
京都の「ゆば」も有名ですが、製法にほとんど違いはないそうですが、京都のゆばは仕上がりが平たいのに対して、日光のゆば(特に揚げゆば)は幾重にも巻き上げるので、 丸くボリュームがあるのが特長だとか。

乾燥する前のものが生ゆばで、乾燥させたものを干しゆばといい、 漢字で書くと、京都のゆばは「湯葉」で、日光のゆばは「湯波」となるそうです。


りんどう湖ロイヤルホテル

今夜の宿泊先のホテル、りんどう湖ロイヤルホテルに到着しました。
年の瀬も押し迫った年末ですが、今回も息子の招待でノンビリと温泉につかり、ゆっくり一年の骨休みをさせてもらいました。

夕食はホテル内のレストランでおいしい日本酒をいただき、たっぷりと山海の珍味をご馳走になりました。

息子よいつもありがとサン。




いろいろなご馳走もいただき、刺身も新鮮でおいしゅうございました。




朝食バイキング

翌朝はいつものお楽しみ、朝食バイキングをゆっくりタップリといただきました。

孝行息子の招待であちこちのロイヤルホテルに泊まらせてもらいますが、朝食バイキングはどのホテルも個性豊かで食材の種類もかなり豊富です。

りんどう湖ロイヤルホテルもなかなかのもので、大変美味しくいただきました。




日光観光

「南ヶ丘牧場(みなみがおかぼくじょう)」......日本には少ないガーンジィ牛(イギリスチャネル諸島のガーンジィ島)を育成し、酪農、加工、販売をしています。
(ガーンジィ牛はホルスタインよりも小柄で、牛乳は乳脂肪分や蛋白質、無脂固形分が高くなっており色もやや黄色がかったもの)。

観光に力を入れており、牧場内では乗馬以外にロバに乗ることもできるそうです。


「アジアンオールドバザール」.......バリ島市場ウブド、ベトナム市場メコン、ネパール市場ポカラの3店舗からなるアジアン市場です。

「驚き!楽しさ!心地よさ!」をテーマに、現地の雰囲気そのままを再現したかのような店舗づくりをしており、各店ではアジア各国の雑貨を中心に衣類や食品、 民芸品などを取り揃えています。




「那須高原 チーズガーデン」.........「御用邸チーズケーキ」をはじめとするチーズガーデンオリジナルのお菓子を製造・販売するリゾート型菓子販売店。チーズガーデン一の商品数を誇り、 お菓子の他にも那須の国産チーズやグロサリーも取り扱っています。




「お菓子の城 那須ハートランド」....... 窓の外から製造工程が見られます。


DIY関連

・パーゴラ作り
・ホームセンター活用術
   
   

アウトドア

・ガソリン式ランタン295
・アウトドア用テーブルとイス
   

スローライフ

・オッサンがギターに挑戦
・ピザ窯製作
   


⇒ページTOP


⇒サイトマップ

関連サイト


楽天トラベル・総合ランキング

   

   



【 全国各地ドライブ旅行記 】


奈良観光......「東大寺・大仏殿」



ドライブの便利グッズ→
旅の記録に...........ドライブレコーダー
車内で家電品............パワーインバーター
読書でリラックス.......好きな作家、読んだ本




関連サイト・バックナンバー