ホーム⇒ドライブ旅行記⇒2014.04 江ノ島〜鎌倉の旅・鎌倉大仏さま

鎌倉の旅・鎌倉大仏さま

 銭洗弁財天(ぜにあらいべんざいてん)を参拝したあとは、鎌倉の大仏さまの拝観に向かいます。

車は江ノ島駅の駐車場に置いてきたので、銭洗弁財天から鎌倉の大仏さんまではタクシーか徒歩で向かうしかありませんが、どうやら裏山にハイキングコースの山道があり、 そこを抜けていくと近道という情報をキャッチ、なんの疑いもせずそのコースを選ぶことに..........

大仏さんまでケッコウな距離がありそうですが、ハイキングコースというノドかな響きにダマされ後で後悔することになろうとは、この時点では知る由もありません。

銭洗弁財天のトンネルを出て左方向の急坂を登っていくと階段がありました。 どうやらこの急な階段を登って進むコースのようで、鎌倉市内を歩き疲れた重い足を引きずりながらヨタヨタ登ります。


しばらく歩いたら案内板がありました。 この看板だけ見ると、ここからはたかが2kmの距離と考えたのですが.......




難行苦行の道

なかなかどうして......下ったり登ったりのけっこうハードな山道が続きます。
ハイキングコースといっても自然の山道ですから、滑りやすいところや上り下りのきつい場所もあります。

後ろから来たアベック(古!!)のお嬢さんなどは、「キャッ」と悲鳴をあげ2度ほどすべってコケていたようです。 木の根が多く滑りやすい道なので、歩きやすい靴は必需品ですね。




むき出しの木の根が、山道にちょうどいい感じ(?)で木の階段になっています。

この足元では雨の降った後はぬかるんでかなり滑りやすくなりさぞかし歩きにくくなると思います。
すでにこのコースを選んだことを後悔したのですが、いまさらもう引き返すことができません..........




もはや、ハイキングコースなどというナマヤサシイ道ではないですね..........

命綱(?)のチェーンをつかみ、ヘッピリ腰で道を下っていきます。




ようやく人家へ

やっと人家が見える場所までたどり着きました。
ここまでの所要時間は40分以上はかかったでしょうか。  もう若くない夫婦にとってはソコソコ手ごわいルートでした。




久しぶりのコンクリート道路を歩いていくと、「大仏まで徒歩1分」の看板までたどり着きました。
ウィークディのためか、まだこの辺りの駐車場なら車を停められそうです。

鎌倉は渋滞があるので車で回るより歩いたほうが早い、と聞いていたのですが休日以外なら車で来てもよかったかも..........




高徳院

 鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の寺、高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院です。

高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院であるにも関わらず、その草創については、開山、開基を含め不明な点が多いそうです。

歴史書「吾妻鏡」などによると、鎌倉幕府の三代執権・北条泰時の時代に、修行僧の沙門浄光(じょうこう)が日本各地をまわって寄付を集め、1238年から大仏と大仏殿の建立を開始。 1243年に木造の大仏と大仏殿を竣工させた、とされています。

しかし1247年の台風で 大仏殿、大仏ともに崩壊したため、1252年に青銅の大仏建立に着手しますが、それ以降も度重なる天災に遭い、特に 室町時代の大地震による大津波で大仏殿が崩壊したあとは現在のような露座の大仏スタイルになりました。


仁王門に納められていた一対の仁王像【阿行(あぎょう)】、【吽行(うんぎょう)】は、阿行が像高約2.4m、重さ196キロ。
吽行が同2.4m、187キロ。

作者は不明とされ、カツラの木を使った大きさ数cm〜100cmの部材、約200個を組み合わせて作った寄せ木造りで、1700年代半ば頃に作られたと推定されています。
内部に1903年と1954年に修復したことを示す木札(もくさつ)が納められていました。




高徳院の境内には他に徳川秀忠(2代将軍)が所持していたとされる聖観音像を安置する観月堂、与謝野晶子の「鎌倉やみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」 の歌碑などがあります。境内には与謝野晶子の歌碑のほか、3基の文学碑が立っています。

拝観料.......2014年4月時点    

個人 団体(30名以上)
一般 200円 170円
中・高生 200円 150円
小学生 150円 100円

【利用時間】


所在地: 〒248−0016 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号
電話番号: 0467−22−0703
ファックス番号: 0467−22−5051


鎌倉大仏

 鎌倉のシンボルともいうべき鎌倉の大仏『正式名称「阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像」』は鎌倉時代を代表する銅造仏教彫刻として 国宝に指定されています。

以前にあった木造の大仏と大仏殿が1247年の台風で 大仏殿、大仏ともに崩壊したため、銅造仏像として1252年(建長4年)から10年前後の歳月をかけて造立されたとみられます。

国家事業として造られた奈良大仏と違い、鎌倉大仏は僧浄光(じょうこう)が庶民から集めた寄付によって造られたといわれ、 そもそも大仏自体の造像の経緯や誰が何のために造ったのかという事情についてさえ、現代でも資料が乏しく今ひとつ明らかにはなっていないようです。

完成当時は全身に金箔が施され、大仏殿の中にあったのですが、室町時代の明応7年(1498)に起きた明応大地震による津波で大仏殿が海に流されてしまい、 以来ずっと野ざらし(露座)のままです。(『鎌倉大日記』は明応4年(1495年)とする)  現在も、大仏の周囲には、大仏殿の礎石が残っています。

鎌倉の大仏は補修はされていますがほとんど造られた当時のままだとされています。

平日のせいか、観光客の数はそれほど多くはなさそうですが、外国人の姿が目立ちます。  頼まれて大仏をバックに中国人一家の撮影をしてあげました。


大仏の高さ(像高)は八丈(11.5m)、台座を含めた高さ13.35m、重量約121tあり奈良の大仏(像高14.98m)に次ぐ大きさです。   現在の金鋼仏は1252年(建長4)に鋳造が始められました。

頭のつぶつぶは「螺髪(らほつ)」といい、656個あります。    

鎌倉の大仏 奈良の大仏
像高 11.3m 14.98m
台座 2.05m 3.05m
台座を含む高さ 13.35m 18m
重さ 約124t 約250t



日本人は「日本三大〜」、というくくりが大好き(?)ですが、【奈良の大仏(奈良県奈良市、東大寺)】と【鎌倉大仏(神奈川県鎌倉市、高徳院)】 が三大大仏の1、2位にくるのは誰しも依存ないところだと思います。
 そのほか有名どころとして、【富山県高岡市の大佛寺にある高岡大仏】と【岐阜県岐阜市の正法寺にある岐阜大仏】の2尊が日本三大大仏のひとつを自称しているといわれます。

そもそも「日本三大〜」の大部分が著名人の私的感想であったり、あやかろうとする地元民の自称に過ぎないものであり、 定義付けすること自体が無意味という意見もあります。    ということであえて3位は空位のままであり、現在日本三大大仏の3尊目は事実上空位とされているそうです。


鎌倉大仏さまはボディに比して頭部が大きいプロポーション、やや猫背気味の姿勢、など鎌倉期に流行した宋風の仏像の特色を示しているとされます。

大仏の像内は空洞で、一般拝観者も後部左下の穴から中に入って大仏内部を見学することができます。(胎内拝観:20円、一度に30人まで)

胎内に入ると、内壁に格子模様が見られますが、これは像が大きいので30回以上に分けて鋳造し、そのために「鋳型」を多数並べて重ねたことを示しているとのこと。

昭和35年に行われた修復作業の際に、首回りを内側から強化プラスチックで補強した跡なども見ることができます。




境内の休憩所に掛けられた大きな「わらじ」は片足90p×180pで重さ約45sの特大サイズ。

1951年(昭和26年)に開催された旧郡戸村(ぐんどむら)の産業祭に出品した大わらじを 「戦後復興間もない日本中が幸せになるよう、大仏さまにわらじを履いて行脚してもらおう」 ということで奉納されたのがはじまりとされ、茨城県常陸太田市中野町の「松栄(まつざか)子供会」が3年に1回作り替えて奉納しているもの。




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