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名古屋城観光

 名古屋のシンボル、名古屋城は徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城で慶長15年(1610)着工、同17年(1612)にほぼ完成、 以来御三家筆頭の尾張徳川家の居城として使われます。

その天守閣にある金の鯱は名古屋のシンボルにもなっています。

昭和5年(1930)に建造物(24棟)は城郭建築で初めての国宝に指定されますが、昭和20年(1945)米軍の名古屋空襲で本丸のほとんどを消失してしまいました。 その後、地元商店街の尽力や全国からの寄付により名古屋のシンボルとして昭和34年(1959)に再建されます。



再建された"新名古屋城"は地下1階、地上7階の鉄筋コンクリート製でエレベーターも設置されています。

再建から60年近くもなり天守閣は大規模な耐震補修や改修工事の必要に迫られているようです。

現名古屋市長の河村たかし氏は就任直後から「天守閣の木造復元」を提唱しており、この先名古屋城天守閣がどんな形に変わっていくのか、要注目です。(2015.6.30)


名古屋城内部

 お城の内部は古の面影はなく近代的に5階まで上がるエレベータが設置されています。  これはこれで足腰の衰えた老体には有難い設備でとても楽です。

エレベータは石垣の外側にも設置され、車椅子でも5階まで上がることができるバリアフリー構造となっていますが、5階から最上階の7階展望室までは階段のみとなります。


7階には大きな売店があり様々なおみやげ物が所狭しと並んでいて選ぶのも迷います。



工夫を凝らした展示物がいろいろとあって見所も盛りだくさんです。

こちらは当時の石垣の石を運ぶ様子を再現したコーナーです。

城内の石垣にはそれぞれ多種多様の記号が刻まれています。
これは石垣の築造を命じられた諸大名が、他大名と区別できるように刻んだ「目じるし」になっていました。


当時の町並みを再現したエリアもあります。




名古屋城シンボル金鯱

 名古屋城天守閣には、一対の鯱が載っています。
鯱は空想上の生き物で水を呼ぶといわれることから火除けのまじないとされ天守閣上に載せるようになったと言われています。

当時は尾張家の権力・財力を誇るため大量の金が張られていました。


名古屋城創建時の名古屋城の金鯱には、慶長小判で17,975両分(金量約270キログラム)の金が使用されたと伝えられています。




名古屋城本丸御殿

名古屋城本丸御殿  天守閣の南側には近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた本丸御殿がありましたが、空襲により天守閣とともに焼失してしまいました。

名古屋城本丸御殿は初代尾張藩主の住居・政庁として使用されていた武家風書院造の建物です。

建物そのものが近世武家文化をテーマとした「美術館」と呼ぶにふさわしいものとなっています。

現在本丸御殿の復元計画が実施されており、2009年(平成21年)1月19日に着工、玄関と表書院(謁見の場所)が一般公開されており、2018年度(平成30年度)全体公開を予定しています。

内部を見学するときはキズつけないよう手荷物は入口のロッカーにあずけるようになっています。  カメラバッグさえ持ち込み禁止という厳重な体制で警備され、フラッシュ撮影は禁止です。


名古屋城本丸御殿
《玄関一之間北側 》

本丸御殿を訪れた人がまず通され、取次ぎを待つ部屋は来訪者を威圧するような勇猛な虎や豹が描かれています。

狩野貞信や狩野探幽など日本画史上最大の画派「狩野派」の絵師たちにより、部屋ごとに異なる題材で床の間絵、襖絵などが描かれ、絢爛豪華に彩られていました。

復元された本丸御殿には復元模写した障壁画を取り付けられています。

これら殿舎等はすべて第二次世界大戦の空襲で失われたが、内部にあった障壁画のうち移動可能な襖などは取り外して倉庫に収められていたため焼失を免れ、 戦後重要文化財に指定、保存されています。




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