ヴィエンチャン・
川のほとり文庫 を作ろう
 


 今、私は、ヴィエンチャンの中心地から、自転車で(私は基本的に、自転車移動なのです)15分くらいのところの、とある小さな川のそばに住んでいます。 

 「川のほとり文庫」などというと、ちょっと素敵ですが、実は、「ドブ川」。 お世辞にも美しいとは言い難い。みんなゴミをポイポイ捨てる。でも、その一方、川に入って、魚をとる人もまだいるのです。きっと少し前まで、ゴミは自然に戻るものが多かったのでしょうが、ここ最近、急激にビニール袋やら、自然に返らないゴミが増え、「ドブ川」になってしまったのかもしれません。

 その川沿いに、私は住んでいるのですが、さて、このあたり、高級住宅地とはうって変わった場所で、川沿いにはバラック小屋などが立ち並ぶ地域です。どうも、職なしでぶらぶらしている人も多い。昼間から、闘鶏などにいそしむ大人たちもいる・・・まぁ、そういう場所の一角に、私たちはなぜか住むことになったのですが、こんな場所だからこそ、子どもたちのための文庫が作りたいなぁ・・・・とずっと思っていたのでした。

 このたび、家の隣の人が、引っ越し、土地が空きました。その土地を安く借りることができ、私たちは、川のほとり文庫(実は、今、考えたばかりの仮称ですが・・・)を作ることにしたのです。

 その仮称、川のほとり文庫・・・・まだまだスタートも切っていないのですが、これからその文庫の成長?+失敗?記録を、つけていきたいと思います。
 はたしてどうなることやら?まったくわかりませんが・・・・・
                                            (2009・12・30)
   
2009年12月29日(火) 柱がたつ




 図書館の建物といっても、私が考えているのは、日本でいったら、「あずまや」、ラオスで言うと、「サラー」と呼ぶが、壁なしの日よけ小屋を作って、それを「図書館」にしたいのである。立派な建物をいきなり建てる(そんな能力もないが・・・)よりも、とにかく、ゴザでもいいから、とにかく文庫をはじめたい。でも、ゴザではやはり限りがある。屋根があって、日と雨をよけられる、そんな小屋を作って、そこで何か面白いことができたらいいな・・・・と思うのだ。

 建物は主人のノイが作ってくれるという。

 ノイはぶきっちょに見取り図を描いている。設計図などない。4メートルX4メートルの小屋である。 
 朝、近くの材木屋に、木材を見に行く。 
「柱ならこれだ!」と言って勧められたのが、ユーカリ丸太である。
「えー、これ?」
「ユーカリは、シロアリが食べないからいいよ」と言う。

 ユーカリは、オーストラリアはいざ知らず、この辺りでは、いわくありげな木である。タイで、製紙会社が、チップにするためにこぞって植林をすすめたという地域を見たことがるが、ユーカリの林というよりも、ユーカリ畑が広大な土地に広がっているのに、びっくりしたことがあった。踏み入れてみると、土地は乾いていて、なんだか他の生命体と共生していない感じであった。ユーカリが植わっている土地の近くの水田が干上がっただの、あれこれの話を聞いた・・・・・
「ユーカリは育つのが早いから、木が弱いんじゃないの?」と私が聞くと、店のご主人は、「大丈夫!今は、店なんかでも、これを使っているところが多い」などとおっしゃる。で、私たちは、ほんとか、だまされたのか、それを柱に買ってしまった。
 これも、さぁ、乞うご期待。どうなることか?である。

 さて、私は、国立図書館の館長さんに、図書館許可の相談に行く。小さな文庫であれ、一応、国立図書館の許可がなくてはいけない。以前から話はしていたのだが、館長さんは、賛成してくれ、すぐに手続きをしてくれるという。


      敷地に遊びに来た近所の子どもたち

 夕方、帰ってみると、なんと、柱が立っている。びっくり。早い。自分のダンナを褒めるのはなんだが、ノイは黙々と仕事をする人である。
「すごいね」と褒めると、「僕はやるときはやる。やらないときは、やらないんだ」と言う。
 なんだか縄文時代の遺跡を見ているような無骨なドーンとした柱が、夕暮れの、ドブ川沿いにそびえていた。
 

12月30日(水)

 朝起きて、明るい光で見ると、昨日のドーンとした印象は打って変わって、「大丈夫かな?何やらぐらぐら・・・」となんだか不安になる。裏の家のおっさんが
「風が強かったら、転げてしまうぞ、ハッハッハ」と言う。
「いやだな、それ・・・」。

 これは、一応、子どもたちが集まる場所にするのだから、大勢と本が乗って簡単にへこたれるような建物では困るのだ。ノイは、もしかしたら「材料の節約」を志しているかもしれない・・。昨日、材木を買った時に、私も「けち」っぽかったのかもしれない。
 なにしろ、「安全第一」である。材料費をけちってはいけない。
 私はノイに、「節約しなくていいから。とにかく、頑丈なのを作ってよ。ここにも、こっちにも、柱を入れた方がいいと思うけど・・・・とにかく、大勢の子どもと本が乗るんだから、重いよ、重いんだから!」と言うと、「そうだな・・・・・」と、再び、材木を買いに行き、柱を補強する。
 午後からは、ノイの友人たちが来て、手伝ってくれる。



 暗くまで作業をして、そのあと、床板を仮にのせてあるだけだが、そこで、ご苦労様の乾杯。
 若い普通の男の人たちが、ビールを飲みながら、「どうやって、茅ぶき屋根を葺いたらいいか」を、あれこれ議論している。彼らもヴィエンチャン暮らしなのだから、茅ぶき屋根など、普段は縁がないはずであるが・・・でも、日本と違って、やはり、家を自分たちの手で作ったり、屋根を葺いたりということが、まだまだ身近なのだろう。
 屋根がまだかかっていないから、たるきの間から、丸い月が見えた。明日は、満月。そして大みそか。そして、ラオスでは、ワンシンと呼ぶ仏様の日である。ワンシンは、仏様がお休みになり、ピー(霊)たちが、放たれているのだという。だから、その日は、大工仕事などは休むのが普通である。仏様のご加護がないから、事故が起きやすいのだそうだ。


12月31日(木) 木の苗を植える

 大工仕事はお休み。で、木の苗を買いに行く。ここは、元々木など植わっていなかった。最初はゴミだらけの土地だったのを、かなりきれいに掃除したが、まだ土を掘ると、ビニールゴミやらが出てきて、うんざりがっかりする痩せた土地である。その上、以前、ここで赤土でレンガを焼いていたのか?それとも、土地がラテライトなのか?掘ると、赤レンガのような塊にぶち当たったりもする。そんな土地だから、木がよく育つものやらわからないけれど、とにかく、植えなくちゃ緑にならない。

 サーマンという、ピンクの花がしだれ咲く蔓植物、白いいい香りのする木、葉っぱが食べられるこぶみかんの木、グアバの木、小さな赤い花が咲く小さな木・・・・などを買ってきて植えた。自宅の方から、バナナの苗、カーというしょうがみたいな根っこの苗、それから、レモングラス、それからサトウキビも苗を移して植えた。生ゴミを堆肥にできるように、庭の隅に、底抜けポリバケツを利用したコンポストを埋める。まぁ、こんな土地が肥えるのはいつのことやら・・・
 何もかもが、はじめの一歩。


2010年1月16日 屋根が葺きあがりました


 屋根を葺き始めたら、なにやらすごいことになってきた。なんだか、アフリカで見たことがあるような(実際に行ったことはないので、本とかで・・・)まるでキノコみたいな家になってきた。
 茅屋根は、ダンナの実家で作ってもらった。
「分厚く葺きたい」という私の希望を受けて、ノイが「たくさん作ってくれ」とおかあさんに頼んでおいたので、村の人たちがたくさん茅屋根を作ってくれていて、結局、700枚も買うことになってしまった。
 村からお兄さんとお友達の2人が泊まりがけで手伝いにきてくれ、ノイと一緒に屋根を葺く。
「こんなの見たことがないぞ」とお兄さんが言うとおり、どうもラオスの一般的な屋根というわけでもなさそうだ。
 屋根は、結局、たくさん見積もり過ぎていて、実際には350枚の屋根を使った。

 とにかく、こんなの見たことないぞというような図書館となりそうである。














1月19日(火) 子どもたち

 数日前から、夕方になると子どもたちが遊びに来る。まだ図書館はオープンしているわけじゃないし、まだ本なども準備ができていないので、数冊ずつ持って行って見せているだけである。夕方の忙しい時間でもあるのだが、私もついつい出て、相手をしてしまう。

 今日は、しばらく庭でボールで遊んでいたが、紙と鉛筆、クレヨンなんかを持っていくと、みんなおえかき。最初は、「絵本持ってきて!絵本持ってきて!お手本にするから」と言うので、「お手本なんかみないで、好きなように書いてごらん」と、みんなあーだこーだ言いながら、かきだす。
 レーという、ガキ大将みたいな男の子は、
「ウアイ・キヨコ レンゲーム ナァ、レンゲーム ナァ(きよこねえさん・・・・本当は、私は、きよこおばさんの年齢なのだが、彼らから、おねえさんと呼ばれるのに、気をよくしている。市場とか他の場所では、おばさんとかおかあさんとか言われるので、きっと子どもたちは、なぜか私を自分たちにより近く感じてくれているんだろう・・・・と勝手に解釈しているが・・・・)、遊ぼうよ、ゲームしようよ」と。

 別に私が入らなくたってやりゃいいじゃん」と思うけれど、一昨日、私も一緒にやってやったのが面白かったらしい。単に、目隠しをして、捕まえて名前を当てるというゲームだが、私がへっぴり腰に、子どもを追い回していたのが、おかしかったらしい。でも、今日は、みんな一生懸命、絵を描いている。
「みんなが絵を描き終わったらね」と。裏の家の長女、ニュイは結構、絵がうまい。魚をきれいに描いている。次女のテンはとても時間をかけて、最後まで丁寧に描いていた。プーという子は、見かけは大人しいが、えらく、声が低く、実はかなりキードゥー(いたずら)らしい。まぁ、みんなこのあたりの子は、だいたいがキードゥーだろう。
「もう暗いから、ゲームは明日だよ」と言うと、
「いやだ、ゲームやるまで帰らない」と。仕方ないから、下の降りて、目隠しをしての、追いかけっこをやるが、もう暗いので、「パイパイパイ、もう帰りな」と大声で言うと、ピーが「ここにグレレーンって鐘をつけたらいいよ」と言う。そこで、「グレーン(ラオスでの鐘の鳴る音)!もう帰る時間だよ」と言うと、レェーが、「キアッドレーオ(もう、あんたなんか嫌いだ)」と言うので、私がアッカンベーをして、「キアッド、ボペンニャン。ボトンマー(嫌いでいいよ、バイバイ)」と言うと、それが面白かったらしく、大笑いして、何度も繰り返している。まったく、しばらく、大騒ぎしてから帰って行った。

 この辺りの子も、普段、好きなように遊んでいるはずなのに、何が楽しいのだろう?と思う。一緒に遊ぶ大人の存在が嬉しいのだろうか?まぁ、それにしても、この年齢になっても、「子どもにあそぼ」と言われるとは、うれしいやら悲しいやらであるけれど、ここに1年住んでいても、今までは「外国人」として暮らしていて、ほとんど無視していた子どもたちなのだが、急に、みんな懐いてきてしまった。



雀のお宿
 1月22日 (金)
 朝、やけにチュンチュンと雀のうれしそうなさえずりが聞こえる。
 なんと葺いたばかりの茅ぶき屋根の茅の間から、嬉しそうに雀が出たり入ったりしているではないか。ノイが「雀が巣を作るために、茅をくわえて行くんだな」と言う。
 いやいや、そうじゃない。雀は、この茅ぶき屋根の中に住みつこうとしているのである。なにも他へ持って行って巣を作る必要はない。厚く葺いたから、ふかふかの茅葺き屋根は、恰好の雀の住処なのだ。そのままもぐりこみゃいいのである。



 わぁ!屋根が、雀の集団住宅になりつつある。
 うれしそうな雀の声を聞いていると、ちょっと楽しくなるけれど・・・でも・・・よく考えると、
「これは困ったぞ・・・・」
 じきに、屋根がぼこぼこの穴だらけになってしまうかもしれない。雀にはかわいそうだけど、雀の集団住宅化阻止行動に出ざるをえなくなった。


 ということで、屋根の上に、竹の格子網をかぶせることになったのである。全部、ノイのお手製。
 私などは竹を割くことすら、ままならないのに、このラオスの人たちは、まぁ、何でもよく自分でできる。ラオスではこのくらいのこと、自分でできるのが当たり前なのであるが・・
 竹というと、バンブーを辞書でひくと、ラオス語ではマイ・パイなのだが、
「これはマイ・パイじゃないよ。マイ・ヒアだ。マイ・パイよりも長持ちするからな」と言う。私には、どこがどう違うのだが、よくわからないけれど、ラオスの竹類の種類はとても豊富なのである。細かく言い分けているのである。

 



はい、できあがりました。雀は、中に潜り込んでこないとは思うけれど・・・・雀も努力するかもしれないし・・・わかりません。

 

1月25日(月) 汲みとり屋さんから始まった日

 朝、汲みとり屋さんを頼む。
「くみとりや」さんなて、なんて懐かしい響きだろう…と思うのは、それこそ、昭和30年代生まれなのだろう。私の小さい頃は、東京のうちだって、ボットンというトイレだった。いやいや、トイレというより、「便所」である。「お便所」は暗いもので、一番暗いのは、ボットンと落ちる穴の中である。この世の闇に吸い込まれていきそうな、その闇は怖かった。小さい頃は、夜は、お便所に行くのが怖かった。
 そして、たまにやってくる、くみとりやさん・・・・という響きは、ある匂いとともに、何故か、とても、ノスタルジックである。

 さて、今日は、ラオスの話である。ラオスでは、まだ下水道があまり整っていないので、トイレは、穴である。深い穴を掘って、その上に水で流す便器を置いて、そして穴に溜めるのである。そして、いっぱいになると、「ドゥード・スアム(トイレ吸い取り)」屋さんを呼ぶ。やはり、くみとりやさん・・・つまりバキュームカーである。
 公共サービスがあるかどうかは知らないが、一般的には私的商売らしい。先日、町の食堂のトイレに入ったら、壁に「***くみとり会社」とのシールが貼ってあり、電話番号が書いてあったので、それで、今朝電話をかけたのである。
 くみとるトイレは、元住人の人たちのトイレである。私たちは、そのトイレの穴を利用させてもらうことにしたのだ。子どもは、遊びに来ると、なぜか、トイレに入りたがる。すぐ、「トイレを借りてもいい?」と。その反対に多いのが、「水が飲みたい」・・・である。
 これは、子どもの欲求なのだと思うが、それがこれまで活動をしてきた山の村では、ない。少なくとも、山の村では、「小」の方はトイレにいちいち入ることはないので、みんな、トイレに行きたきゃ、その辺りで、勝手にする・・・からである。でも、この辺りであっても、一応、都会のはしくれなのか・・・・子どもたちは、その辺りではしないらしい。「トイレに入ってもいい?」と聞くのである。 
 つまり、子ども図書館には、やはりトイレが必要なのである。そこで、私たちは図書館付けのトイレを作るのに、元住人が残して行ったトイレの穴を利用させてもらうことにしたのだ。でも、元住人たちの落し物の後始末をしてから、でないと、それこそ、すぐにいっぱいになってしまう。困ったのは、なぜか、穴にビニール袋ゴミなども落ちていたことである。よっぽど、どこにでもゴミを捨てる人たちであったらしい。

 あぁー、こんな話題で申し訳ない・・・でも、私としては、久々に、なまなましかったのである。日本では、今、水洗トイレが当たり前で、他人の「うん」なんかは、目にすることもないし、他人の「ウン」のにおいすら、あまりかぐこともないだろう・・・・・けれど、臭いものにはフタをしすぎていないか?きれいで清潔な生活の影で、どれだけ、地球に負担をかける生活をしていることか・・・・と思うことである。ラオスではシステム化されてないだけに、いろいろ、自分たちが出すゴミやなんかの処理にも困る。そして、人間とはいかに地球を汚しつつ暮らしているか・・・・に思いを馳せることはしばしばである。


 さて、そのあと、図書館の敷地に土を入れた。ここは、実は、赤土、赤土である。しかも、まるで赤レンガみたいな固い土がところどころにある。その上に、前住人が、「これでもか!」というほど、土地全体にごみを捨てていて、かなり掃除はしたものの、それでも、少し掘れば、アメの紙、シャンプーの袋、インスタントラーメンの袋・・・・ありとあらゆる近代のビニールゴミが出てきてうんざりする。本当に、ビニール、プラスチックゴミは、放っておいても、自然に戻るということは、決してないのだ・・・・とつくづく実感する。

 さて、今日はその上に、黒土を入れた。トラック1台分、買ったのである。どこの土かというと、メコン川沿いの土だという。本当に黒くはないが、茶色の土である。それを、全体に入れた。これで、少しは草花を育てやすくなるかもしれない。面白かったのは、これまでは、その赤土の上に寝そべろうとしなかった犬たちが、その黒土の上に、気持ちよさそうに寝そべるのである。ペプシ(犬の名)などは、まだふかふかの土を掘って、その中にはまっちゃったりしている。
「へぇ、土も気持ちの良い土と、そうじゃない土があるんだなぁ。」
 さすがに、大河メコンが運んできた土は、気持ちがいいんだろう。
 さっそく、あれこれの種をまいてみた。私は、口ばっかりで、土を耕したり、植物を育てたりが得意じゃないが、日本から持ってきた朝顔、つる菜、そしてハーブ類の種、それから、ラオスの山の村でもらった豆の種なんかをまいてみた。出るといいな。犬がさっそく、まいた上を歩いたりしている。まったく、どうなるとやら・・・・であるが、吹いてくる風が、急に気持ちよくなった気がした。

 夕方から、学校から帰ってきた女の子たちが来る。まだ、本だなもなく、本は出していないので、おえかきである。もっぱら、花の模様やら、女の子の絵やら・・・で、やはり、山の子どもたちの絵とも違う。山の子どもたちの絵は、必ず山を描く。
 さて、暗くなりはじめて、「そろそろ帰んな」と言おうかと思っているころ、例のゲーム好きのレェという男の子が、「ほら、ぼく来たよ。ゲームしようよ」と嬉しそうに現れ、私の手をひっぱる。まったく、しかたない。やるか!
 相変わらずの目隠し鬼ごっこなんかのゲームのあと、子どもたち、学校で習ったという踊りを踊り出す。一番大きな、裏のニュイが指導している。男の子二人は、おおふさげであるが、バケツをひっくり返して、太鼓として叩きだすと、なかなか様になっている。
「きよこ、日本の歌を歌って」と言うので、あまりレパートリーがないのだ、「上を向いて歩こう」を歌う。太鼓が調子いい。すると、ペプシとメリー(犬)が、太鼓の音に興奮したらしく、太鼓をたたいている男の子、レェーにわんわんわんわん飛びかかる。私は、困って、ペプシの手(前脚)を取って、歌いながらペプシと踊ると、ペプシは困った顔をしている。
 もうとっくり暮れた夕方、こんな時間を過ごすのは、子どもたちにとっては、面白いに違いない。まぁ、子どもたちが、思い切り自分たちがやりたいことをできる場所になれば、いいとは思っているけれど、あぁ、これから夕飯の支度か・・・・自宅で文庫をやるというのは、なかなか大変なものだな・・・・ちゃんと時間を区切らないと、まったく自分の時間がなくなる・・・とも頭をよぎる。それにしても、まったく、やかましい図書館になりそうである。


 踊る女の子たちと邪魔をする男の子

1月29日(金) 竹と柿

 昨日、ノイの実家に行ってきた。ヴィエンチャンから40キロほどの村である。魚の養殖池の水を抜いて、魚とり宴会?をやるというので行ったのだが、ついでに、竹を掘ってもらってきた。筍ではなくて、竹だ。図書館の前の道沿いに植え、竹がフェンスになればいいと思ったのです。
 今朝、ノイが固い土をガンガン掘り、竹を植えながら、
「ラオスでは、50歳にならない人が、竹を植えるのは、本当はタブーなんだぜ」と言う。
「なんで?」
「なんでか知らないけど、でもそういうタブーがあるんだ」
 私が、竹を植えようと言ったのだが・・・タブーを破らせて悪いことしたな・・・という気がする。
「まぁ、信じるかどうかは、人次第けどね」
「2人の年齢を足せば(ゆうに)50歳超えるから、きっと大丈夫よ」
と、私はわけがわからんことを言う。でも、どうしてそんなタブーがあるのだろうか?

 その他、もらってきたミントを植えた。根付くといいな。

 日本からの朝顔がいち早く芽を出した。それに、日本からもってきたつる菜も一つ芽を出した。たぶん、日本より暑いから、「季節がいつなんだかわからんが、とりあえず芽を出しておこう」というかんじなのかもしれない。どんどん育つけど、さっさと花をつけて、さっさと枯れてしまう。やはり、植物も環境に対応するのは、そうは簡単なことではないのだろう。

 そうそう、秋に日本に戻った時、うちから持ってきた、うちの柿の種(おせんべじゃなくて)が、3つ芽を出している。実を食べてから、せっかくだから残った種を植木鉢に植えておいたら、いつのまにか芽が出て、放っておいたのに、結構元気である。それは、私が生まれる前からうちにある、主みたいな柿の木なのである。本当においしい実がなる富有柿である。今、ラオスで芽を出している。違う環境の中で生きていくのは難しいかもしれないけれど、がんばれ!大きくなれ!

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