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[598] 無題 投稿者: [関東] 投稿日:2011/06/02(Thu) 18:53
まだ十代の頃、本田美奈子.さんは親友の南野陽子さんと自分たちの芸能活動について深更まで語り合ったそうです。
最近、南野さんが一般の方と結婚されたというニュースがながれたとき心から「お幸せに」という気持ちになりました。芸能人の結婚の報にこんな気持ちを抱いたのは初めてです。なぜでしょう。
南野陽子さんのお幸せを心よりお祈りいたします。

[597] “delay” なるほど 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/06/02(Thu) 05:53
 「1986年のマリリン」を何回も聴きました。「悪くない(良いの意味)」と思いました。伴奏は当時の流行ふうで、なんだか麻倉未稀を思い出してしまいました。それならばと、ジャケットがマドンナふうの1987年発表の「ミッド・ナイト・スウィング」も徹して聴いてみました。J・POPとしては、もうこのとき既に美奈子さん完成の域に達していると感じました。全然気付かなかったのですが、大村憲治がアレンジしているのですね。美奈子さんのバンド時代の幕開けを予感させるものでした。「結構良かった(かなり良いの意味)」です。1987年と言えば、何を聴いていたかなと考えると、私は洋楽しか聴いていませんでした。ピーター・ガブリエル“So”の年ではありませんか。実は当時大流行のレベッカですら聴いていませんでしたので、美奈子さんがそんなアルバム出しているなんてついぞ知りませんでした。あの頃アメリカでは、ピーター・ガブリエルの“So”とケイト・ブッシュの“Houds Of Love"が大流行し、ケイト・ブッシュへの狂信的魔女信仰が始まってしまいました。日本では両方大して流行りませんでしたが、アメリカではその勢いは凄かった記憶があります。因みに、“So”の中の“Don't Give Up”は、ご存じのとおり(ご存知かな?)、ケイト・ブッシュとのコラボレーションです。ピーター・ガブリエルに関しては“So”のその前の − ソウのその前、おやじギャグっぽいな − “W”の方が通好みなのにな。万人受けする“So”の方がやはり売れるのかな何て考えていましたので、今となっては手遅れですが、美奈子さんの活動は全く知りませんでした。日本に目を向けてもマドンナとシンディ―・ローパーのパクリぽい時代でしたので、完全にJ・POPには背を向けていました。でも、懐かしいな。バブルたけなわの頃でしたね。ほんと懐かし良き時代でした。
 
 [596]のきょろちゃん☆さんの女の子が手にしているのは、ヴァイオリンですか?ヴァイオリンはあんなふうに持たないと叱られるのですが・・・何なんでしょう?

[596] お休みのお知らせ(・ー・) 投稿者:きょろちゃん☆ [地球外] 投稿日:2011/06/01(Wed) 17:43
マリアさんとこの MSDC(本田美奈子.STAR DUST CLUB)ですが。。。

しばし お休みだそうです(・ー・)

再開のおりには また ご贔屓に(・▽・)



>エコーがずれてかかるような
箇所がありますね。こういう効果を何て呼ぶのか正式名は知りませんが。。

ディレイ。。。(・ー・)ですね たぶん。。。

>1986年当時はアナログだったのかな?それともデジタル?

たぶん デジタル(・ー・)

ギターのエフェクターで ディレイとか 
その当時 出回ってたと思いますので。。。


[595] 無題 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/06/01(Wed) 05:55
 zyam62さん、[593]の後の、まるで詩人のような文章があったのを一時的に拝見させていただきました。本当にあのとおりだと思いました。
 村田ひでお(また漢字忘れました。)の「王将」は、確か、西条やその作詞でしたっけ、うろ覚えで確信はないのですが、素晴らしい詞を熱唱する村田ひでおがテレビに出てくると、私は釘付けになっておりました。村田ひでおは、浪曲出身であるがためか全く独自の微妙な音階を持っており、学校で音楽の時間に教わる音階に縛り付けることは、初めから無理です。全く独特の音階だったので興味深々でありましたが、それよりも、村田ひでおの唄は、圧倒的な迫力と、聴き終ったときの何とも言えない爽快感がありました。ずばり、最高でしたよ。それを妙に面白おかしくものまねが一時期頻繁にはやりましたが、本人は全く意に介さず、流石大物の感ありでした。

 私は、鬼束ちひろを、音が外れてるだの、英語が下手くそだの、ヤマンバみたいだの(愛情をこめて)酷評するのですが、本当はすごく好きなんです。大昔、ケイト・ブッシュに見たものを、鬼束に見出しています。たぶん接点は全くないと思いますが、二人とも躁鬱質が非常に強い天才型のシンガー・ソング・ライターです。両者とも、うつ状態のときには精神科の医師にかからなければならないほど精神的にボロボロなのですが、そう状態のときには、殆ど努力せずに、次から次へと曲が湧いて出てくるようです。イギリスでは10年ぐらい引きこもっていても問題ないようですが、日本では、様々な事情で、なかなかそれが許されません。その意味で鬼束は気の毒です。しかしながら、鬼束には傑作が多数あります。個人的な趣味ですが、「流星群」、「インフェクション」、「陽炎」には、鬼束の強烈な才能が現れていると思います。美奈子さんとは全く違いますが、この人も結構好きです。

 ケイさん、よく細部まで聴かれているのですね、たぶん私では問題解決出来ないと思いますが、よくその箇所確かめてみます。
 大昔のエコー装置はアナログテープを用いていましたが、1986年当時はアナログだったのかな?それともデジタル?アナログだったら機械的に細かな調整が出来たのかな?実物は写真で見たことがあります。オープンリールのテープに再生用ヘッドがいくつか着いていて、テープの速度の調整と再生ヘッドの選択ぐらいしか出来そうにない代物です。しかし、そんな問題ではなく、故意に何らかの意図をもってそうしているのかも知れませんね。とにかくケイさんご指摘の個所を見つけてみます。

[594] 何気に凝った作りのマリリン 投稿者:ケイ [関東] 投稿日:2011/06/01(Wed) 00:02
皆さん、こんばんは。
『1986年のマリリン』の歌詞で、「くち (くち)」「づけの (づけの)」と、一単語分、エコーがずれてかかるような
箇所がありますね。こういう効果を何て呼ぶのか正式名は知りませんが。。

こういう所って、何気に凝った作りだなあ、と思うわけです。この「ずれたリフレイン」の部分が無いと、『1986年のマリリン』は、何か間が抜けた感じというか、物足りない感じがします。
『1986年のマリリン』に、この効果を使う事は誰が思いついたか、という記述は読んだ事が無いので、多分作曲の筒美京平さんだと思いますが(これのアイデアは流石に美奈子さんではないと思いますが。。)。。

当時(1986年頃)聴いていた時は、ライブ等で歌手が歌う場合でも、このリフレインの部分だけ先に録音されているのかなあと思っていたのですが、そうではなく、歌手がその場で歌った声をすぐにずらして流していたそうです。シンセを使っているのかどうかは分かりませんが、結構昔からそういう技術はあったらしいです。

で、『1986年のマリリン』の他にも、こういう効果を使った歌があったと思うのですが、、、思い出せません。。洋楽でも邦楽でもいいので、どなたか思い出せませんでしょうか。。(バックコーラスが後から歌う、のではなく本人の、です。)
ネットの検索と言うのはタイトルや歌詞から歌を見つけるのは簡単ですが、こういう内容から見つけるのは難しいです。。

[593] 比較はしないほうがよい。けなすのはエチケット違反。 投稿者: [関東] 投稿日:2011/05/31(Tue) 16:12
その人にはその人ならではの良さがあり、他の人にはまたその人ならではの良さがある。音楽のような芸術に、音楽学校の教室の中の話しでならともかく、その良さの絶対値はないのではないでしょうか。その人の歌のよさを感じるのは私たち聞く側の人の感度の問題ではないでしょうか。昔、将棋の駒にかけた命を嗤えば嗤えと調子が外れっぱなしで歌っていた(笑)大物和服歌手がいたけど、あの人の歌に調子が外れているから駄目だとダメ出ししてもしょうがない。僕はいいなあと思って聞いていた。あれがイヤな人は聴かなければいいだけのはなし。けなさないこと、これってエチケットだと思いますけどね。

[592] きらいな音楽・だめな音楽 投稿者: [関東] 投稿日:2011/05/31(Tue) 07:52
ことばがはっきりせず文法がおかしいのはだめです。高ぶる感情をいかに表現しようとしたかよりも、そろばんを如何にはじいたかのようなのはきらいです。このようなのは現にありますよね。静寂の価値を再認識させるようなのが。

[591] 天晴なるかな美奈子さん 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/05/31(Tue) 06:21
 [590]で言い残したこと

「音楽家にとって、音楽そのものに良い悪いはなく、自分が世界とどう関わりたいか、つまり、それをどう使ってどう生き、どう死んでいくかが肝心である」とすれば、美奈子さん、ひたすら天晴(あっぱれ)なのではないでしょうか。


遅刻しそう、行ってきます。

[590] 音楽にいい悪いはありません(引用) 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/05/30(Mon) 06:11
 ケイさんのご指摘は、筋が通っていると思います。現在は著作権がインターネット上では野放し状態でも、これからもそのような状態が続くとはあ考えにくいと思います。それに、いくら法治国家とは言え、道義上の責任というものもあります。ネット上の脱法行為を取り締まるには、際限なくきりがないので、当面は余程悪質な犯罪でもない限り、摘発されることなどないでしょうが、実施に、取り締まる気になれば、いくらでも取り締まり可能です。残念なことですが、中国では、ネット上ですら言論の自由はなく政府批難をすれば、摘発対象ですし、韓国でも、反反日(親日ないし反日政策をとる政府批難)的発言は完全に取り締まり対象です。日本ではいくら言論の自由が保障されているからと言っても、発言には責任も伴います。著作権はいわば、人分の意見や思想や表現を他人の剽窃(ひょうせつ)から守る手段でもあります。実際にはお金の問題のようですが、まあ、自らの意志によって律するといいますか、そういう美学を持っていることは大切なことだと思います。管理人さんの意見に異論ございません。

 またまた、お隣の奥様、「あの方(美奈子さん)凄い努力しはって、上手になった・・・」と、美奈子さんをご存じでした。因みに森麻季は若手過ぎて知らないそうでうす。40歳こえても若手なので、・・・「うーん、これあげます」と言って焼き増しCDをあげました。(あれ、著作権の話はどうなった、偉そうなことぬかしてこれか?多少の矛盾はご勘弁下さい。)

 音楽家と言いますか演奏家といいますか、音楽にリスナー以上に深く関わっている人たちから、美奈子さんは褒められこそすれ、酷評されることを見たことも、聞いたこともないのに、なぜ、どのジャンルのリスナーはこんな不愉快なことが言えるのか不思議で不思議で堪らなかったのです。(本当は大好きな美奈子さんの悪口を言われて腹が立っているだけ。まだまだ私、人間が出来てませんから。)たまたま、雑誌に掲載されておりました書籍の紹介コーナーに、「サウンド・コントロール」(伊東 乾)という書籍の記事がありました。一部引用文に次のようにありました。「結局、僕ら音楽家が音楽をやるのも、自分が世界とどう切り結び、どう関わりたいかに尽きるんですね。つまり音楽そのものにいいも悪いもない、それをどう使ってどう生き、どう死んでいくかが肝心なんです(雑誌の原文どおり)」、敢えて文字に起こし、端的に表現すると、こうなるのだなと思いました。

仕事に行ってきます。

[589] YouTubeの扱い 投稿者:管理人のひろさん [近畿] 投稿日:2011/05/29(Sun) 23:47
 YouTubeについては、最近は、著作権者が問題視するものは、速やかに削除されているようですが、そうは言っても著作権上問題があるものが含まれているのは確かでしょう
 しかし、実際問題として、YouTubeでしか見ることができないものも多くあり、話題にすることまで禁止することはないでしょうが、直リンク(そのままのURLを書き込むこと)は避けるということにしましょう。
 本当言うと、YouTubeに上がっているような映像、著作権者がきちんとした形で販売してくれるとありがたいんですが。

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