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宣伝活動に惑わされやすい日本人

 捏造された「日本軍が無理やり慰安婦にした」というウワサ話が、いつのまにか

「....日本軍は14歳から20歳にいたる20万の女を強制的に徴用し、銃剣をつきつけて慰安所と呼ばれる軍隊用の女郎屋で無理矢理に働かせた。   日本軍は女たちを天皇陛下の贈物として提供した。  逃げようとした者、性病に罹(かか)った者は日本兵によって殺された。   敗戦の際にこの件を隠すために日本兵は多数の慰安婦を虐殺した....」(マグロウヒル歴史教科書・ジーグラー氏執筆 THE SANKEI NEWSより)

 などという、誇張と歪曲まみれのトンデモない話として世界中に拡散してしまった 「従軍慰安婦」も、一種の言論テロリズムといえます。   我々は「報道による歴史捏造の恐ろしさ」を体験しているわけですが、現在の日本に見られる、 特定思想を持つメディアが報道と銘打ち、あること無いこと 悪意の捏造記事を一般大衆に吹き込み洗脳し、 「セイギの味方ヅラして自分たちの主義主張に誘導」し、相手を貶め痛めつける、 というのもリッパな言論テロリズムなわけです。

 独裁者が自分に逆らうものは始末するのと同様、言論機関が自分の意にそぐわない相手に対し、容赦ない批判報道を繰り広げ抹殺しようとする、という事例は、 安倍元首相に対する朝日新聞の偏向報道でも見られます。  「事実の報道ではなく、子供の言いがかり」のような、 悪意にまみれた偏向報道をタレ流す、 常軌を逸したような報道姿勢を続ける朝日新聞は、もはや報道機関の役割を放棄しているのです。  その挙句、 逆らう相手は恫喝するというのですから、何をか言わんや です。

 人類には、「捏造された闇の歴史」は様々ありますが、第2次大戦後には、 「米を食うとバカになる」という主旨の、『頭脳 才能をひきだす処方箋』(林髞(はやし・たかし)著、光文社)という本が、日本で大ベストセラーになったことがあります。    この本は、当時小麦の生産過剰が問題となっていたアメリカが、戦後日本にアメリカ産の小麦を売るために、「米を食うとバカになる」という主張が載った本を日本人に書かせたものです。   食料難の戦後がようやく終わった1958年に出版されたこの本は、発売3年で50刷を超える大ベストセラーとなり、その後の日本の農業に大きなダメージを与えたとされます。

『....これはせめて子供の主食だけはパンにした方がよいということである。(中略)大人はもう、そういうことで育てられてしまったのであるから、あきらめよう。 悪条件がかさなっているのだから、運命とあきらめよう。 しかし、 せめて子供たちの将来だけは、私どもとちがって、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話のできる子供に育ててやるのがほんとうである....』

 この本の著者は、慶應大学名誉教授ですが、朝日新聞のコラム「天声人語」にも、

『....近年せっかくパンやメン類など粉食が普及しかけたのに、 豊年の声につられて白米食に逆もどりするのでは、豊作も幸いとばかりはいえなくなる。 としをとると米食に傾くものだが、 親たちが自分の好みのままに次代の子供たちにまで米食のおつき合いをさせるのはよくない....(1958年3月11日付)』、などという 「コメ食否定論」が堂々と掲載されていたそうです。

 このように、有名大学教授と大新聞がアメリカのお先棒を担ぎ、悪名高き「洋食推進運動」を展開してコメ食否定論を唱えたのですから、 日本社会への影響は非常に大きかったわけです。   その結果、「日本人の食生活近代化」というスローガンのもとに、日本各地で欧米型食生活を「崇拝」し和食を「排斥」する、 「栄養改善普及運動」や「粉食奨励運動」が展開されることになったのです。

 こうした宣伝活動によって、本来は洋食に反対する立場のはずの農家まで洗脳され、欧米型食生活を崇拝するようになってしまったのです。  これほど短期間のうちに、 伝統的な食文化を捨てた民族は、世界史上でもほとんど例がないといいます。   農林水産省の「2021年度食生活・ライフスタイル調査」によれば、夕食は米食が70.5%とまだ多いものの、 朝食はパン食が34.3%、米食と「その他」がそれぞれ16.2%。となっています。(2022.11.24 YAHOOニュース 引用)


  

広がる「言葉狩り」

 2019年、プロ野球・中日が、応援団が歌うピンク・レディーの原曲を替え歌にした「サウスポー」に、「お前」という歌詞があることから、自粛するよう求めるという出来事があり、 応援団もそれに応じることとなります。

 好ましくないとされる表現は、「お前が打たなきゃ誰が打つ」の「お前」部分で、与田監督も以前から、 多くの子供たちも応援する中教育上良くないのではないかとして、「お前」という言い方を疑問視していたといいます。

 これに対し、中日ファンを公言している落語家の立川志らく氏がツイッターで、「与田監督よ、中日球団よ、『お前こそ』どうかしているぞ」とつぶやきます。   志らく氏は、「本来『お前』は神仏の前を言う語。 高い敬意を持って使われていた」と、お前のもともともの意味を説明。

 そして、「フランク永井の『おまえに』はどうなる? お前百まで私ゃ99までという故事は子供に教えられないのか?  ブルータスお前もか、も駄目になるのか?」と、 さまざまな「お前」を使った言葉を挙げ、「与田監督よ、中日球団よ、『お前こそ』どうかしているぞ」と、怒りをにじませます。(2019.7.2 msnスポーツ 引用)

 作曲家・山田耕作(1886-1965)の童謡、『赤とんぼ』の3番の歌詞を、NHKでは放送することが禁止されているといわれます。   歌詞にある、 「十五で姐(ねえ)やは嫁にゆきお里のたよりもたえはてた」、 という部分が、作曲された当時と違い、現在の憲法では15歳は法律で結婚を禁止されているから、というのが理由とされています。

 この調子だと、歌詞も時代に合わせて「忖度」していかないと、世間サマが許さないのでしょうか。  ただし、「今と違うことは許さないゾ」というこのような硬直した融通のきかない思考は、 一歩間違えると悲惨な結果を招きます。

 戦前の「天皇は現人神(あらひとがみ)」だった時代、軍部は天皇の地位を利用し、『天皇の命令は絶対であり、逆らえば反逆だ』として、国民に有無を言わさず、 問答無用で悲惨な戦争へ追い立てました。    なにかを絶対視し、それに逆らうな、というような考えしかできないようでは、お上が絶対だった封建時代の思想と大差ないでしょう。

  童謡詩人・金子みすゞ(1903-30)は、『みんな違ってみんないい』と詠いました。   昔のしきたり、文化を、現代人の感覚で、今の時代には合わないから、 違和感があるから、などという単純な理由だけで、隠蔽してしまったり、捨て去ってしまうというのは、どうかしています。

 時代時代の個性は、古の文化を残す大切な記録・歴史です。  その貴重な歴史文化を、現代人が勝手な理屈を並べ立て、糾弾し否定し、簡単にナンデモカンデモ排除しようとするということは、 歴史を捨て去ることであり、文化の破壊であり、暴挙です。(2019.7.7)


森喜朗「女性は時間かかる」発言顛末記

 2021年2月、東京五輪競技大会組織委員会会長の森喜朗氏は、オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会において、「....女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる....」という趣旨の発言をしてしまい、 その後「女性蔑視だ」とマスコミから一斉に叩かれます。

 たしかに、この部分だけ切り取れば、マア問題発言と言えばそうなんでしょうが、あくまでダラダラとしゃべり続けていた中で、この発言はあくまで、"伝聞として引用"した部分で、 自分の考えを吐露したわけではなかったといいます。    その証拠に、最後の部分で、「....いやそういう声があっても、女性をすすんで登用しますよ...」、とチャンと結んでいます。

 ところが、誰かがこれを問題視した途端、 猫も杓子も皆、「森は許せない」、という意見のオンパレードとなっていったのです。  皆血相を変えて「森辞めろ」と訴えだしたのです。   この騒ぎに対し、 「イヤ、そこまでやらなくても...」などと反論しようものなら、一斉に「オマエも昭和の男尊女卑オヤジか」、と猛反発を食らうのです。

 これは、《森が失言した》...《女性蔑視の発言だったそうだ》...《ナニ、とんでもないヤツだ》...《森を引きずりおろせ》、という流れだったのでしょう。  ワンフレーズだけ切り取り、その部分しか目を向けず、 後は、《男女平等社会に水を差す、時代錯誤のトンデモナイやつだ》、というレッテル張りをして、「あいつは悪者ダ」と一方的に社会から排除しようとするのです。

 特に悪質なのが、森失言追及の急先鋒である朝日新聞や毎日新聞、テレビです。  よっぽど森サンに怨みでもあるのか、この連中は、 森氏の、「そんな声はある⇒しかし女性は登用する」とする発言趣旨を、意図的に捻じ曲げ、 前半のマイナス部分だけを持ち出し、そこだけ執拗に攻撃しているのです。    まさしく曲解であり「切り取り」なのです。

 たしかに、現代社会においては、"本気で女性を差別する"言論は、厳に慎むべきであり、特に発言に影響力がある社会的地位の高い人間は、常に心掛けるべき鉄則ではありますが、 果たして、今回の「ただ伝聞を話しただけの」森発言は、眦を決して詰め寄る、ようなハナシだったのでしょうか。(2021.2.25)


  

どうしてそんなに怒るの?

 結婚式のスピーチにおける、「禁句・忌み言葉」というものがあります。 《別れる、切れる、離れる、終わる、破れる、割れる、去る、飽きる、捨てる、冷える》などなど.....。    ニンゲンは長い時間をかけ、相手を不快にさせない、幸せに水を差さない、 最低限の表現エチケットを身に着けるようになったわけです。

 森サンのようにタタカレたくなかったら、社会人は、例えば、故人を偲ぶ会食の席で、「乾杯」とやってしまわないよう、その場で使い分ける「言葉遣い」には、 十分注意する必要があるわけです。(ここは乾杯ではなく、献杯)

 ただし、人間ダもの、一時間もダラダラしゃべっていたら、三つや四つは、いわゆる「不適切表現」が入り込むのは避けられません。  だから、スピーチと女性のスカートは短い方がいい、 とされるのです。   イカン.....、コレもセクハラ発言でした。

 たしかに、森サンの話には、不適切発言はありました。  ただし、まともな人間なら、コトの是非は、その人物が「何を言わんとしたか」の要点、本筋で判断します。     ところが、そんなことは度外視して、重箱の隅をつつく粗捜しをして批判する、というまことにセイカクの悪いタイプもいるから、ややこやしくなるわけです。

 「言葉尻をとらえる」という言葉があります。 「視野が狭い」という格言もあります。 「かたくなで視野が狭く、柔軟性に欠けて、正しい判断ができないさま」をいう 「頑迷固陋(がんめいころう)」もありますネ。 発言した人間をハナから敵視している相手にとって、ここゾとばかりにタタキに行くのは判ります。    烏合の衆は、周りが騒ぐから、ホイホイつられて騒いでいるだけ、というのも理解できます。

 そういう連中が、たかが、「失言グセのある老人の、リップサービス談話」に、もはや"極悪非道の全国民の敵"、といってもおかしくないほど、激しいバッシングを浴びせ、猫も杓子も皆、「森は許せない」、 「森辞めろ」と、皆血相を変えて訴えるのです。   この騒動に、なにやら空恐ろしさを感じるのはオッサンだけでしょうか。

 ハッキリ言って、あまりにも過剰反応であり、「大袈裟に」騒ぎ過ぎて、正直コワイのです。  ナニセ、「イヤ、ナニもそこまで騒がなくても...」などと反論しようものなら、 「この差別主義者」、「時代錯誤者」、「人格破綻者」、などなど、あらゆる悪口雑言(あっこうぞうごん)を浴びせられ、一斉に反発を食らうのですから。

 冷静に考えてみれば、特にさほど重大な差別とも思えない漫談風失言を、しかもこの失言部分は、伝聞を引用しただけというではアリマセンカ。  それを誰かが、 「差別だ、セクハラだ」と口にした途端、皆一斉に右倣えで、有無を言わさず相手を強引にねじ伏せる...... これではまるで、 イジメッ子のリーダーに従わないと、自分もイジメられる、だから一緒になっていじめてやる、というのとなんら変わらない構図です。

 太平洋戦争直前、マスコミの戦争へ導く扇動報道に晒された日本は、「戦争反対」などと言おうものなら、袋叩きにされたといいます。   現代日本では、 仲間外れにされるのが怖いから、善悪など無関係に、周りに合わせて失言老人をムチ打つ のです。     こういうオソロシイ風潮に、ナニカ危ういものを感じるのはオッサンだけではないはずです。

 あまりに過激で排他的なフェミニズム(女性尊重主義)でもって、発言の真意などお構いなしに、水に落ちた発言王老人を情け容赦なしで散々痛めつける....和をもって貴しとなす日本人たちは、 この事態にもう誰も疑問など抱かなくなってしまったのでしょうか。  それとも「物言えば唇寒し秋の風」で、ひたすらダンマリを決め込んでいるのでしょうか。(2021.2.25)


  

それなら、ナゼ中国を批判しない

 挙句の果てには、森氏の発言に「五輪憲章に反する。 人権問題だ」とまで言い出す輩まで出てくる始末です。  たかが失言ひとつでズイブン飛躍したものですが、 それでは、「五輪憲章に反する」と騒ぐなら、どうして人権蹂躙国家・中国の五輪開催を問題視しないのでしょうか。

 中国は、次の冬季五輪開催国だというのに、ウイグルやチベットで民族浄化という人権蹂躙を行い、香港民主化を武力で抑え込んでいる共産党独裁国家です。   人権どころか自由な発言さえ許されない国です。  民主化運動家や、中国に批判的なマスコミ、弁護士などが次々に投獄されるという、時代錯誤の国です。

 「人権問題」で抗議すべきは、だれがどう見ても、日本の失言老人より、この中国でしょう。  ところが、この大騒ぎしている連中は、 中国を批判するどころか、大はしゃぎで中国五輪に賛成しているのです。

 要は、騒ぐ連中にとって、その中身などどうでもいいのです。  周りがやっているから、マスコミが煽るから、訳も分からずに盲従しているだけなのです。     なにも考えず、他人の意見に左右され、寄ってたかって一人の人間をつるし上げる、単なるバカなのです。

 たしかに、「森さんは周りの進言をあまり聞かないし、失言王だ。 公の席ではキチンと原稿を読むだけにすべきである」、というのは正論でしょう。  昭和センス満載の、 数々の森語録で膾炙しているエピソードには、「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国」(2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会)

「(無党派層は)自民党に投票してくれないだろうから、投票日には寝ていてくれればいいのだが」(2000年6月20日、第42回衆議院選挙・新潟市内での演説)等々がありましたネ。

 でも、森サン、今回は珍しく翌日謝罪しています。  本人も自覚し反省していたのです。  ただ、最後は辞任する羽目にまで追い込まれ、 人生最後の要職だったはずが、晩節を汚す結果となってしまったようです。(2021.2.25)

 と思っていたら、森サン、またやっちゃったようです。 2021年3月、東京都内で開かれた衆院議員河村氏のパーティーで、河村氏のベテラン女性秘書に触れ、 「河村さんの部屋に大変なおばちゃんがいる。 女性と言うには、あまりにもお年だ」、と述べます。  森サン、アナタのこと「本人も自覚し反省した」って書いたけど、やっぱり、 デリカシーに欠ける失言王、という評価は間違いなさそうですネ。(2021.3.28)


 

「問答無用の徹底的な糾弾」がもたらすもの

 誰にでも、『つい口にしてしまった言葉=失言』というものはあります。  その昔、阪神大震災発生直後、一面ガレキの街と化し燃える市街地の画面を見た、著名なニュースキャスターが、 『まるで温泉地の湯煙のようだ』とやってしまい、大顰蹙を買ったことがありました。

 また、同一人物だったかは定かではありませんが、ニュース番組の中で「屠殺(とさつ)場」という言葉を使ったニュースキャスターが、翌日、同番組の中で謝罪したものの、 一部の屠場労働組合からの抗議を皮切りに、部落解放同盟も加わり、その後彼は何度も「糾弾会」という名のつるし上げにあったといいます。

 昔から、到底問題視されるハズもなさそうな発言でも、「異端審問官」が闊歩し、その言葉尻を恣意的にとらえ、歪曲し、言いがかりをつけ糾弾してくるケースはあります。  しかし、問答無用の徹底的な糾弾は、 いずれ社会に閉塞感をもたらして、結局は本来日本人が持っていた寛容さはどこかに押しやられ、住みずらい不幸な結果しか生みません。

 特に目に余るのが、マスコミが自己の主張を押し通す手段として、「踏み絵」手法を使うことです。  芸人やタレント、スポーツ選手などに、手あたり次第に森発言の感想を求めて、 批判コメントを引き出すわけです。  聞かれた当人も、自分の真意はどうであれ、世の中の風潮に逆らう発言でもしようものなら、今度は自分も森サンと同じ立場に晒され、 社会から抹殺されかねません。  恐ろしい時代になったものです。

 五輪のスポンサー企業に対しても、この手法を使って片っ端から取材するのです。  これでは森さんも辞めざるを得ないわけです。(2021.2.25)




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