ホーム⇒日本を取り巻く問題⇒現実逃避の平和主義

現実逃避の平和主義

 『戦争は悪であり、戦争廃止を熱望し広く啓蒙すれば戦争はなくなる』と信じ、『覇権主義をちらつかせる相手に宥和政策』をとろうとするパシフィズム(平和主義)は、 独裁者ヒトラーのような狂信者が登場すればいともアッサリと打ち破られてしまう、という第二次世界大戦の教訓があります。

 現在の中国は国際社会の抗議を無視し、拡大路線をひたすら突き進んでいますが、この中国の暴挙をこのまま放置し好き勝手にさせてしまえば、 いずれ独裁者ヒトラーのナチス-ドイツが企てた世界征服のような悪夢が再現され、世界戦争まで広がってしまう恐れは十分考えられます。

 21世紀の今においても、侵略国家の暴挙は続いています。  2022年2月24日、突如ロシア軍が隣国 ウクライナに軍事侵攻し、街は破壊しつくされ、罪のない一般市民が女性、子供の別なく虐殺されるという、 21世紀の時代にまさかと思う悲劇が、我々の眼前で繰り広げられた出来事があります。

 ところが、この惨劇を目の当たりにしながら、国連は何一つ手出しできず、周辺諸国も手をこまねくだけで、簡易兵器提供や資金援助は行いますが、 当初はどの国も劣勢なウクライナを助けるための軍事行動を起こすことはアリマセンでした。  勝ち馬に乗りそうもない相手に対し、自分にも火の粉が飛んでくるかもしれない行動は取らないのです。

 ウクライナ軍は必死に防戦しますが、そもそも軍事大国ロシア相手にたった1国で対抗するのは土台無理な話で、善戦するものの次第に劣勢に追い込まれます。  その結果、 周辺都市は破壊しつくされ次々に陥落。  逃げ遅れた住民は殺されるかロシアに連れ去られたのです。

 しかし、その後のウクライナは不撓不屈の精神を見せます。  武力は劣るものの士気に勝るウクライナ軍は首都まで侵攻してきたロシア軍を追い払う奮戦ぶりを世界に見せつけ、これを見た米国やEUもあわてて武器の供給を申し出ます。     ウクライナの奮闘ぶりが国際社会の支援を呼び寄せたわけです。

 平和ボケ国家・日本は、暴力国家が武力にものをいわせて攻め込んできたら、反撃する手段のない国は、祖国を蹂躙され国民は殺されるだけだという現実を、 目の前で見せつけられました。    連日報道される惨劇を可哀そうとは思うものの、世界中の人間はただタダ傍観するだけでした。

 しかも、厄介な「反日教」の信徒たち(デュープス)が蔓延り、 現実逃避の平和主義が蔓延する日本国内では、この危機を明日は我が身として 国防体制を見直そうなどという意見は、国民から全く沸き上がりませんでした。

 平和国ニツポンで生まれ、紛争とは無縁の平和な生活を送る大部分の日本人は、たとえ中国がアジア制覇を目論み日本の領海を侵犯しようが、自分の身に危険がせまらない限り他人事であり、 "戦争反対"のキレイごとだけを口にし、イイヒトを演じて自己満足の世界に浸っていても、誰にも文句を言われない社会になってしまったのです。(2018.7.4)


戦争誘因の要素.......パシフィズム(平和主義)

 第一次世界大戦後に、ドイツと連合国諸国の間に締結された講和条約であるヴェルサイユ条約において、ドイツ領でありながらドイツ軍が進駐できないと定められた非武装地帯のラインラントに、 1936年3月、アドルフ・ヒトラーによる独裁体制下のドイツが突如侵攻を開始します。

 1938年には、ヒトラーはドイツ軍をウィーンに進撃させ、3月にオーストリアを併合します。  フランスは直ちに抗議するものの、当時パシフィズムが蔓延していたイギリスの首相チェンバレンは、 「オオカミは空腹だから乱暴するのであって、エサを与えておけば悪さはしない」として、傍観するだけで戦争に訴えることは出来ずにいました。  結局フランスもこれに追随します。

 第一次世界大戦の戦死者は両陣営合わせて1600万人、戦死者の約3分の2は戦闘中に亡くなったとされます。  戦傷者の数も2,000万人以上を記録しており、 この膨大な犠牲者を目の当たりにした当時のヨーロッパは、「平和絶対主義」の世論が主流になっており、チェンバレンも宥和政策を掲げなければ政権を取ることはできなかったわけで、 決して無能な指導者というわけではなかったのでしょう。

 このイギリス・フランスによる宥和政策は大失敗したことは歴史が証明しました。   宥和政策の結果、ナチス=ドイツを増長させ、ヒトラーは無傷で領土を獲得したことで国内の人気を不動のものとし、軍備の拡充に務めます。     その後ヴェルサイユ体制とロカルノ体制(地域的集団安全保障条約)によるヨーロッパの秩序は崩壊、やがて悲惨な第二次世界大戦に突入することになります。

 リベラルを前面にだすタイプが指導者になると、 世界のアチコチに紛争が起こり混沌さが増す、ことは歴史が証明しています。  オバマ前政権は北朝鮮の核ミサイル開発を阻止せず無策に終始し批判を浴びました。  中東でも目を覆うばかりの失策のヤマを築き上げるオバマ氏の“戦略”を、米紙のある著名コラムニストが《抑制ドクトリン(ドクトリンは教義・主義)》と表現しました。

 世界中では常に戦争が起きています。  戦後70年で戦争などで武力行使をしなかった国は、国連加盟193カ国中、日本を含めわずか8カ国といわれます。    「平和を望む」だけでは平和は守れないのも現実なのです。   野蛮な独裁者にとっては戦争は単に最初の手段となるだけです。

 文明社会でさえ問題解決の最終手段は戦争であり、戦争は国際政治に組込まれているのが現実です。   国際社会において戦争に関わらず安穏としていられる立場でいられるのは容易なことではありません。  何ら対抗策を持ち合わせない国家が生き残るのは非常に困難といえます。

 日本周辺でも危機は日々高まっています。  2017年、日本の上空を通過するミサイルを何度もぶっ放す北朝鮮に対し、 憲法の縛りにより交戦権を否定され、何らの軍事的対向処置を打ち出せない日本は、ただ恐れおののきアメリカの軍事対抗策がいつ実行されるか、ひたすら祈ることしかできませんでした。(2017.9)


「宥和政策」によって引き起こされた第二次世界大戦

 第一次大戦後のイギリス国内には、ヴェルサイユ体制のもとで不当に権利を奪われているドイツに対して同情的な声もあり、 ヒトラーの言うことも聞いてやらなければ、という雰囲気もあったといいます。   まさかヒトラーがその後ユダヤ人を大量虐殺する狂信者とは、神ならぬ身では想像も出来なかったのでしょう。

 もう一方で、当時のイギリスにとって脅威だったのはソ連=コミンテルン(共産党組織)の存在でした。 イギリスはナチス=ドイツが共産主義の西進を阻止しする盾とみなし、 東方は日本の存在によってソ連を抑えてくれると期待していました。

 ドイツは1938年3月にオーストリア併合を実現します。 当時オーストリアは保守派の首相シュシュニックが、ムッソリーニのイタリアに近いファシズム体制をめざし、 議会制を否定していました。    ヒトラーは当初オーストリアを併合する意図はなかったとされますが、1938年3月13日の進駐(オットー作戦)によって熱烈な歓迎を受けたため、両国統合に方針転換したといわれます。    オーストリア大衆はヒトラーを歓迎し、4月に行われた国民投票では99.9%が賛成したとされます。 ヒトラー自身がオーストリアの出身でした。

 さらにヒトラーは、チェコスロヴァキアに対し、ドイツ人居住者が多いことを理由にズデーテン地方の割譲を迫ります。   イギリス首相チェンバレンとヒトラーは2度に渡り首脳会談を行いましたが、ヒトラーはズデーテン併合要求について譲らず、戦争も辞さない強硬姿勢を示し会談は決裂します。

 ヒトラーはズデーテン割譲は自分の最後の要求であると声明、それをうけてミュンヘン会談を開催することになります。   1938年9月29日、ズデーテン問題の解決のためミュンヘンで国際会議が開催されました。

 このミュンヘン会議には、イギリス(チェンバレン)・フランス(ダラディエ)・ドイツ(ヒトラー)・ イタリア(ムッソリーニ)の4国代表が集まります。 当事者のチェコスロヴァキアは召集されずカヤの外に置かれたそうで、小国はつらいものです。

 この会議ではイギリス首相チェンバレンの対独宥和政策もあって、ヒトラーの要求通り、しぶしぶズデーテン併合が認められます。 フランス外相ダラディエもそれに追随しました。

 チェンバレンとしてはドイツの一定の軍備拡張を認めることによって、それ以上の要求は抑えられると判断したのでしょう。   その後もイギリスは単独でドイツと英独海軍協定を締結するなど宥和政策を続けていきます。   その後のドイツの台頭を考えれば驚くべき譲歩ぶりといえます。 21世紀の中国の台頭に対処する国際社会の反応が、なんとなくこれと似通っているのは気になります。

 しかし、チェンバレンにしてみれば、チェコスロヴァキアなどの「見知らぬ国」のためにイギリスの青年を戦場に送ることはできない、という考えもあったでしょうし、 ヒトラーを容認することでソ連を牽制しよういう目論みもあったのでしょう。  パシフィズムに染まっていたチェンバレンとしては妥当な判断だったわけです。


ミュンヘン会談のその後

 チェンバレンはチェコスロバキアを犠牲にしても、ヒトラードイツを容認しておけば、ソ連の脅威(共産化の脅威)から自国を守ることができると考えた「宥和政策者」でしたが、 イギリスの世論もこの策に賛成するほうが多かったといいます。

 ミュンヘン会談から帰国したチェンバレンは、戦争の危機からヨーロッパを救い、平和を実現したヒーローとしてロンドンで大歓迎を受けたといいます。   やはり、事の善悪よりも目先の厄介事を早く片付けてしまおうとする人間のほうが数は多いのです。   しかしイギリスのチャーチルはチェンバレンの宥和政策を厳しく非難、ヒトラーとの対決を主張しています。

 ミュンヘン協定では、今後重要な外政的行動はドイツとイギリスとの話し合いで取り決めるとしますが、これはイギリスにとって成果であるがヒトラーは敗北と捉えました。   そしてとうとう1939年3月、予告なしにズデーテン地方割譲どころかチェコスロバキア本体を軍事占領します。 文句があるなら言ってみろ、というわけです。   無法者に対し妥協し譲歩し続けると、最後はこうなってしまうのです。

 これに対しイギリス政府は宥和政策を変えはしなかったものの、100%譲歩ではないポーランドの独立を保障すると宣言。 お願いだからこれ以上やらないでヨ、 というレベルの威嚇を行います。   フランスもこれに加わります。   まだ弱腰だったわけです。

 ポーランドという国は当時のヨーロッパ情勢において複雑な立場におかれていました。 ポーランドはフランス革命の頃、ドイツ・オーストリア・ロシアによって分割されましたが、 第一次世界大戦後、独立国として承認されます。   その際ドイツは、ヴェルサイユ条約において西プロイセンとオーバーシュレージエンをポーランドに譲ることとなり、ドイツ領の東プロイセンは飛び地となりました。

 東プロイセンとドイツ本土の間にはさまれた細いポーランド領の帯は「ポーランド回廊」と呼ばれ、ポーランドの海への出口となっていました。  これはドイツにとって極めて不本意な国境であり、ドイツとしてはドイツの東方国境に横たわるポーランドはいつか取り戻すべきべき場所だったのです。

 一方ロシヤにとってもポーランドは、ロシヤ革命直後の内戦期にロシヤの混乱に乗じて対ソ戦に踏み切り、1921年のリガ条約でミンスクに迫るまでの東方領土を得るという、 劇的な形で領土を奪っていった相手でした。

 このように、独露両国の犠牲において領土を獲得していた形の当時のポーランドは、いわば腹背に敵を受ける態勢となっていたのです。  この困難な態勢で、いかにして国家の存在を保つかがポーランドの懸案でした。  英仏の支援が望めなければ、ある意味、風前の灯状態に置かれたわけです。

 一方、スターリンはドイツが東方に領土を広げることに警戒を深めていましたが、イギリス・フランスがヒトラーのズデーテン併合を容認したことに対し、 何らかの対抗手段を取る必要に迫られます。   しかし、当時スターリンは日本とノモンハン事件(1939年5月)で対立していたため、今ドイツと対立するのは得策でないと考えます。  そこでミュンヘン協定が成立したことを受けてヒトラーと急接近、1939年8月、互いに攻撃しないことを約束した独ソ不可侵条約を締結します。

  スターリンとしては、ヒトラーの野心が東方侵出にあることを警戒し、イギリス・フランスとの提携を模索していましたが、ミュンヘン会談には招かれず、さらに会談の結果、 英仏がドイツに妥協した背後にはソ連に対する敵視があるとし、敵の敵は味方ということでやむなくドイツと手を結んだわけです。

 独ソ不可侵条約調印の9日後の1939年9月1日、行動の自由を得たヒトラーはポーランドへの侵攻を開始。 1939年9月17日、ソ連赤軍もドイツ軍の侵攻に呼応しポーランド東部へ侵攻を開始します。   東ヨーロッパをドイツとソ連が分割支配する独ソ不可侵条約の「秘密議定書」を、ソ連が忠実に実行したのです。

 昨日の敵は今日の味方、というめまぐるしさで、ナチス・ドイツが突然ソビエト連邦と独ソ不可侵条約を締結したことを受け、共産主義に対抗する枢軸としてドイツとの関係強化をしようとしていた平沼首相は、 8月28日にいわゆる「複雑怪奇」声明を残して内閣総辞職しています。


第二次世界大戦の勃発

 これに対し1939年9月3日、とうとうイギリス・フランスがドイツに宣戦布告、第二次世界大戦の火蓋が切られました。  しかしソ連に対しては英仏は宣戦布告していません。   現実にソ連を攻撃する理由も手段もなかった以外に、そもそも第一次世界大戦で疲弊した英仏はドイツと対峙しようにも戦意も戦費も軍備も不足していました。   「ドイツの相手だけで手一杯」だったのです。

 フランス軍はドイツへの攻撃に備えるためマジノ線まで後退。 ポーランドは独力でドイツと対峙しますが、東西から挟撃を受けたポーランドは防衛戦はもはや不可能となり、 ポーランド政府は友好国ルーマニアに避難、ワルシャワは3週間の抵抗の末、ドイツ軍に占領されます。    かつて軍事大国として名を馳せたポーランドの抵抗は激しく、ドイツ軍はポーランド侵攻で4万5千人の死傷者を出し、1000台の装甲車と戦車、700機の航空機を失ったといいます。

  第二次世界大戦が始まったことで、やっとチェンバレンの宥和政策がヒトラーを「増長」させ、戦争を防げなかった、結果として失敗だったと気付いたのです。  しかし時すでに遅しでした。  この反省から、第二次大戦後、特に西側の指導者には、「宥和政策」の失敗が戦争をもたらす、というトラウマが強く残ったとされます。

 同年10月6日にドイツとソ連は実質的にポーランド全域の占領を完了することとなります。 ポーランドは降伏せず、ポーランド政府は残存する陸軍および空軍の部隊と共にルーマニアとハンガリーへ脱出。  その後ポーランド軍将兵の多数は、後に西側の自由ポーランド軍に参加し、フランス、フランス委任統治領シリアを経てイギリスで闘うことになります。

 占領下のポーランドは第二次大戦を通じて、強力な対独レジスタンス運動を展開。 1944年8月1日、ワルシャワでレジスタンスが蜂起。 63日間の抵抗の末、降伏しますが、 この戦いでワルシャワの市民18万人が犠牲になりました。  ドイツとソ連の5ヵ年以上の占領期間、ポーランドの全人口の17%に当たる600万人が殺害されたとされます。

 また、ソ連軍のポーランド侵攻において、1940年3〜4月頃、カチンの森で2万人以上のポーランド将兵がソ連軍によって虐殺された事件が戦後になって明るみに出ます。(カチンの森事件)

 独ソ不可侵条約は、1941年6月22日、ドイツ軍がソ連領内に侵攻を開始したことにより事実上破棄されます。 当時ドイツ軍航空機の領空侵犯事件が頻発しており、 ソ連軍情報部もドイツ侵攻の危険をスターリンに訴え続けたが、それらは無視あるいは処罰されたといいます。

 1941年7月12日、ソ連はドイツと交戦していたイギリスとアングロ・ソビエト軍事同盟を締結、連合国側についてに本格的に参戦することになります。

 この経緯からハッキリするのは「宥和政策」は肯定されるべき手段ではない、という事実です。 侵略行為をあからさまにする国に対しては、 断固とした国際的連携によって孤立化させ、戦争という手段をとらせない解決の途を探るべき、ということです。   この反省の中から、国際連合が生み出されることになります。(2018.8.5)


危機が身近に迫ろうと見て見ぬふりする国

 その昔、長い長い平和な時代が続いていた日本の浦賀(神奈川県)に、ある日突然、見たこともない黒船が姿を現します。   この鋼鉄製2隻と木造の帆走船2隻の不気味な黒船艦隊は、 アメリカのペリー提督が友好通商、石炭と食糧の供給、難破民の保護を求める米国大統領フィルモアの国書を携えて来航したものでした。

 黒船の威容に圧倒された幕府はすっかり怖気づき右往左往するばかり。   海辺の人々は荷物をまとめ逃げ出す有様で、大変な騒ぎとなったのです。  現代であれば、 宇宙人が大型宇宙船で押し寄せたようなものだったのでしょう。(ややオーバーすぎますか)

 平和ボケしていた当時の日本人は、たった4隻、しかも最大の船でも2450トンというちっぽけな軍艦と、それに積んでいた小さな大砲に震え上がってしまったのです。     すっかりビビッてしまった幕府は、来年には必ずよい返事をするからとぺりーを誤魔化し、なんとか帰ってもらったのです。

 もともと日本人は交通事故が多発する信号機のない危険な交差点であろうが、重大な事故でも起きない限り誰も積極的に設置に動こうとはしません。

 ところが、死者が出るような重大な事故でも起きようものなら、アッという間に信号機が設置されます。   我々日本人は頭では誰もがこの事態はヤバイと思っていても、なにか事が起きてからでないと行動に移せない国民性があるわけです。

 国防についても、中国が無人の尖閣諸島に上陸して占拠しようが、 武力で対抗などせず、お得意の「憂慮すべき事態である」とか言うだけで傍観するだけでしょう。    対馬か沖縄あたりが中国に侵攻され、 住民が大量に殺戮されない限り、本気で防衛力を強化しようなどとは考えない民族なのです。(2022.4.15)


「戦争反対」のスローガンだけで平和が守れるのか

 日本も敗戦国となった直後、危うく北海道がソ連軍に占領されかけるなど、 過去何度も暴力国家による侵略の危機に見舞われています。   幕末の1861(文久元)年にも、ロシアの軍艦「ポサドニック号」が対馬に侵攻し、 芋崎半島に勝手に上陸して兵舎や工場、練兵場などを建て、略奪・拉致などの乱暴を働いた揚句、 芋崎の租借を要求してきます。

 対馬藩内では対応を巡って、武力での排撃を主張する攘夷派と、紛争を避けようとする穏健派で論争が起こり藩内は混乱します。   幕府も外国奉行・小栗忠順を咸臨丸で対馬に急派して事態の収拾に当たらせますが、 ロシア側は一向に引く気配は見せず、日本側は為す術もありません。

 ロシアは優勢な武力をもって日本側を脅し、住民を懐柔したり、木材・牛馬・食糧・薪炭を強奪または買収して、着々と居座る準備を整えます。

 この事件は最終的に、強大な海軍力を持つ英国がイギリス海軍の圧力による「ポサドニック号」退去を幕府に提案。  ロシアも形勢不利と判断し「ポサドニック号」はやっと対馬から退去したのです。

 これは「ポサドニック号事件」と呼ばれ、日本に侵略国家の軍事的脅威の恐ろしさを思い知らせた大事件でした。  アジアを支配する英国にとっても、 対馬にロシアが居座ることは看過できなかったのです。

 この事件の背景には、ロシアとしては当時アジア一帯に広大な植民地を持っていたイギリスに先を越され、 対馬を租借されるのを恐れたことがあったわけです。  いずれにせよ、 弱小国家が侵略国家に一旦狙われたら最後、誰かの助けを借りなければアッと言う間に相手の支配下に置かれてしまう、という現実を見せつけられたのです。(2023.3.29)


ダチョウの平和を貪る日本

 「戦争に備えることは、平和を守る最も有効な手段の一つである」、とはアメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントンの言葉ですが、 危機管理とは無縁の世界に暮らす日本には、平和が当たり前という環境で生きてきたためか、およそ政治家とは思えない発言をする浮世離れした人物が多数生息します。

 南シナ海周辺で一触即発のキナ臭い話が持ち上がっても、日本の政治家にはまだまだ「話せば分かる」タイプが散見されます。    何もせずとも、平和はいつまでも続くと思い込んでいる「平和ぼけ」の政治家が大勢いるわけです。

 ウソかマコトか、ダチョウは天敵を見つけると砂に頭を突っ込んで見なかったことにするそうで、そこから、身に迫る危機を見ないようにして安心するのを 「ダチョウの平和」とも表現するそうです。

 個人が「ダチョウの平和」の立場に安住するのは勝手ですが、国民の生活を守るべき政治家が眼前の危機に目をつぶり続けた結果、国民を道連れにしてしまうことなど無いよう、 安全保障についてはよくよく勉強して欲しいものです。

 明治維新、日清・日露戦争あたりまでは、まだまだ日本を背負って立つ有能な人材が数多く輩出しましたが、 戦中・戦後にかけて日本は有能リーダー不在の時代が永く続いてきました。

 田中角栄総理のように、アメリカに対等に渡り合おうとした首相もいましたが、 結局は大国アメリカの一同盟国の立場を甘んじて受け入れてきたわけです。

 平和ボケ日本において、政治の関心とは政界における派閥勢力の拡大だけ、という事態が戦後長い間続いてきました。   そんな利己的政治の世界におけるリーダーの条件とは、腹黒さと押し出しの強さ・金回りの良さであり、 日本の歴代首相は実力ウンヌンではなく、派閥の順送り人事で決まっていたわけです。

 2015(平成27)年、ドイツのメルケル首相が来日した際、安倍晋三首相が「あなたは中国には何度も行っているのに、日本にずっと来なかったのはどうしてか」と問うと、 メルケル氏は「日本の首相は毎年代わるから、会っても仕方がないと思っていた」とあっさりと答えた、といいます。

 御輿を担(かつ)ぐ、というコトバがあります。  「高い地位についた人の面目を立てるようにあれこれ努力するさま」という意味もあるようですが、 どちらかといえば、「人をおだててまつり上げる。また,それに一役買う」、つまりは「お飾り・象徴」としてトップに祭り上げておき、 実力者が裏であやつる、という場合に使うほうが多いようです。

 政界でも、少数派閥出身の首相を担ぎ上げた時、小沢一郎氏が言ったとか平野貞夫氏が先だといわれる、 「神輿は軽くてパーが良い」という名言がありました。

 しかし、昨今の中国の覇権主義による日本周辺のきな臭い動きや、北朝鮮のミサイルによる恫喝外交に晒された日本において、 お神輿リーダーを担ぐことはもはや許されません。   「身に迫る危機を見ないようにして安心する」わけにはいかないのです。

 日本を取り巻く危機に対応する安全保障の整備、中国が影響力を高めつつある国際政治のかけひき、 に果敢に立ち向かえる有能な首相の実現が待ち望まれます。(2018.7.4)


平時から危機に備える

 自分の命を落しかねない戦争などやりたい人間はいないでしょうし、日本国民の誰もが戦争なんかに巻き込まれたくありません。   誰しも戦いなど望まないのは当たり前です。   しかし、"戦争反対"と唱えるだけでは平和は維持できない、ことも過去の歴史を紐解けば真実であることは確かです。

 ダチョウの平和を貪るだけでは平和は守れません。   平和なときにこそ、「戦争に備えることは、平和を守る最も有効な手段の一つである」、としたジョージ・ワシントンのように、 真剣に国の安全保障を考える必要があるわけです。平和なときの備えが重要なのです。

  国家として安全保障をどうすべきかという思考など持たず、したがって当然起こり得るべき結果など一切考慮せず、 単純に戦争反対だけ叫ぶのは、いわゆる「進歩的ブンカジン」たちの言論と同じでただの無責任体質でしかありません。

 "反戦思想の持ち主・非武装中立主義"たちは、自分の近所で強盗や空き巣などの物騒な事件が相次いでいるとき、「法律を守れば強盗なんて来ない」と本気で信じ込み、 強盗に遭って被害を受ける危険性があろうとひたすら"法律を守れ"と唱えるだけで何の備えもしない」のでしょうか。

凶悪な強盗から本気で自分の家族や愛するものを守りたいと思ったら、危害を未然に防ぐため自警団などを組織し周りをパトロールするなど、 最大限努力するのが当たり前です。

さらに、いざ強盗に遭遇してしまったら、相手に立ち向かうのか、家族や愛するものをどう逃がすか、だれに助けを求めに行くのか......... そのための対策をしっかり考え、備えを十分に整えておくことも重要になります。
強盗に対する対策だけでもこれほどのエネルギーが必要です。 ましてや国同士の争いとなれば国民の生命に直接関わってくる大事件です。

 自分の身近にいる大切な人の顔を思い浮かべて真剣に考えたら、(戦争)をしないようにするにはどうすればいいか議論しなくちゃいけない、などと悠長なことは言っていられません。   力で襲い掛かる相手に対向できるのは、それを上回る力であり、相手より強い力があるからこそ相手も安易にこちらに手出しはできないのです。

 痛い目にあわない限り目が覚めないのです。  "自分さえ良ければ"、他の事はどうでもよく、公共の利益は無視し、"個の幸せを最優先する"人間たちが増殖する社会となりました。   日本人全体が自分の都合の良い理由だけで行動するようになってしまったら、共同体としての日本は衰退していくだけです。

 先進国で懲役制度をとっている国は多く、フランスは18歳から1年半は兵役に付かなければならないそうです。
普通に暮していた生活から、突然朝から晩まで戦うための軍隊組織にドップリ浸かるわけですから、平和を維持するとはどういうことなのか、理想論だけではすまない現実を叩き込まれ、 除隊するときには皆いやおうなしに背筋がのびるものなのだそうです。

「人を愛するということはどういうことなのか」、「物事を勉強するとはどういうことなのか」などが絵空事でなく血肉として考えられるようになるそうで、 入隊前は人生を適当にフラフラ生きてきたような若者も、兵役後は見違えるようにしっかりしてもどってくるそうです。

あの悲惨な戦争でむりやり徴兵され戦地に赴いた若者たちには、

共同体の中に個があり、個の幸せを願うのは当然ですが、共同体の中に生きる若者として、 愛する親兄弟、郷土、祖国のため、危急存亡のときには自己犠牲の覚悟』が要請されました。

それは悲痛なことでしたが、当時の若者は自分の家族を守るため、その運命を受け入れたのです。

二度とそのような社会にならないよう誰でも切望しますが、現実に中国の脅威が身近に迫る昨今、なんの備えをしなくても今の平和が永遠に続く、 ということはどうやら望めなくなりつつあります。

"平和"という言葉さえ口にすれば、万事うまく物事が収まっていた国」に永い間住んでいられた我々日本人にとって、 そろそろそんな浮世離れした考えが通用しなくなってきたのです。

中国がうっかり日本に手出し出来ないよう、日本人から無駄な死者を出さないよう、万全の安全保障体制を、本気で構築すべきときが訪れようとしています。


無為無策な政治家が多数生息する日本

 中国は世界各地で言論・経済の支配力を強めつつあり、2050年までに世界各国に中国型の社会主義を輸出し、 全世界を中国共産党の影響下に置くことを目論んでいます。

 自国の利益のみ追究し、国際ルールを無視する中国は、 手始めに南シナ海一帯を自国の領土にしようと軍事力の強化・拡大を推し進め、地域の安定を破壊しています。     南シナ海一帯が中国のものになってしまったら、冗談などではなくいずれ沖縄さえも中国の領土にされてしまう事態も十分考えられます。   新疆自治区のウイグル人たちのような悲劇に日本も見舞われるかもしれないのです。

 それなのに、国際秩序が崩壊しようとしている現状には目をつぶり、「問題を棚上げにし中国との活発な経済政策を優先....」、 と発言する自民党の野田聖子議員ような政治家が実際にいるのですから驚きます。   与党の重鎮ともいわれる国会議員でさえこの程度の不見識・無知が現状なのです。   このままではいずれ沖縄が中国領となる日も近いかもしれません。

 2015年9月19日、安保関連法が成立しました。 これにより外敵に対して日米が協力して立ち向かえるよう安全保障法制が整備されました。  これに対し中国や北朝鮮の無法国家は反発していますが、国際社会は日本の集団的自衛権行使をこぞって歓迎し支持してくれています。

 にもかかわらず、単なる「平和ぼけ」か、それとも隠れ媚中韓・反日なのか、日本国民でありながら中国共産党顔負けの《地域諸国に重大な懸念を誘発》などと、 ホンキで批判する反日サヨク政治家が国会に存在する現実があります。  日本の国会には後ろから弾を撃ってくる勢力が蠢いているのです。

 国民の生命・財産を守るという「政治家の最大の本義」を忘れ、「与党の政策に何でも反対するだけの存在」、 の無為無策な政治家が日本には多数生息しています。 このような人物の発言に惑わされないよう、誰が国益を損なう政治家 かを見極めることが求められます。(2018.7.4)


平和な時の平和論は危険

 人間はなにかを体験して、やっとコトの本質と重大さに気づく生き物です。  交通事故で生きるか死ぬかの体験をしたら、 それからは真剣に無事故運転を意識し、運転も慎重になります。 神ならぬ身のニンゲンは、実体験しイタイ目にあわないと本当の意味の危機管理に気付かないのです。

 我々日本人はいままで平和なのは当たり前な世界に生きてこられました。日本は敗戦後70年以上、他国に侵略される危険性など微塵も考えずに暮らせる、稀に見る平和国家でした。   そんな日本が、いまでは中国による領海侵犯や北朝鮮の核ミサイル脅威にさらされる時代を迎えてしまいました。

 平和のときの国家存亡の危機に備える議論は、どうしても理想論に走り現実味の乏しいものになりがちです。 離せばわかるタイプの意見がもっともらしく聞こえてしまうわけです。 しかし、現実問題として中国が覇権主義国家のキバを剥いてきた現状には目を背け、"戦争には絶対反対"だけで思考停止してしまったら、 それはただのオメデタイ自己満足でしかありません。

 平和な環境に暮らし、自分を安全な立場に置いたまま、"絶対に戦争反対"とナントカの一つ覚えのように唱える軽薄な人種が、日本の政治家やサヨクに大勢生息しています。   平和が当たり前の国に生きてきたがゆえに、"人類皆兄弟・話し合いで解決"という夢物語的な解決パターンから一歩も踏み出せないわけです。

 こういう偽善者ぶっている連中に限って、イザ現実に存亡の危機に立たされると、普段なんの対処方法も考えていないもんだから、なし崩し的にドロ沼の戦いに巻き込まれ、 破れかぶれとなって、"国民総動員で若者がムリヤリ徴兵され、否応なしに戦いの場に引き込まれる"、危険性のほうが高くなるかもしれません。

 ある会社で組織改革が断行された折、新社長は、「意見が『理想的』な人物は排除しました。 こういう手合いは愚痴ばかり言って、自らの発言に責任を持たない人物です。  一方、『現実的』、『実務的』な提言する人物は対案を出せる有能な人材ですから残します。.......」、と言ったそうです。

 普段ご大層なことを言う人間に限って、緊急存亡の事態になるとなんの役に立たないどころか、危険な存在となる事例はいくらでもあります。

 2011年3月11日の東日本大震災で発生した福島第一原子力発電所の事故対応に当たった首相の菅直人氏や官邸の政治家たちは、 危機管理のダメな見本として後世の語り草になっています。   彼等は未曾有の危機に際しなんら有効な対処方法を取れず右往左往するだけで、日本のみならず世界を恐怖のどん底に突き落としました。   無能な政治家の存在がどんな惨劇を招くか、日本国民は肌身で知ったのです。(2018.7.4)

 

進歩的文化人の正体

 教育に携わる教授が若者の情熱や真剣さを政治利用し、中国の軍事膨張や北朝鮮の核開発には目を閉ざし、「自身の偏った主義主張」を押し付け、 反権力ごっこ、にうつつを抜かしている現状を見るにつけ、人間の「捻じ曲がった信念」 が社会に与える恐ろしさを感じます。

 稲垣武氏によれば、『大学の教官に多い進歩的文化人なるものは、頭の中で捩じ上げた理論を純化させようとすればするほど、現実からますます乖離してゆく。  そしてとどのつまり、破局に至って現実という"ゲバ棒"の一撃を食らい、「フンサイ」されるのである』、と書かれています。(「悪魔祓い」の戦後史)

 目的さえ正しいと思えば何をやってもいい、というリクツでは民主主義も終わりです。   戦前一部の過激将校が起こした暴力による政治の廓清(かくせい・悪いものをすっかり取り除くこと)を、 動機が純真だからという理由だけで軍上層部がウヤムヤに処理したことで世の中が乱れ始め、やがて戦争への道をひた走ることへ繋がっていった過去が日本にありました。

 大切なのは一本筋が通っているかどうかです。  昔、全共闘の学生達が大衆団交と称し大学の教官をつるし上げていたとき、東大の林健太郎文学部長は173時間にも及ぶ軟禁に耐え、 機動隊の救出の申し出に対し「無用、只今学生を教育中」と答えたといいます。  ずいぶん腹の据わった人物だったようです。

 この時学生らに媚を売った進歩的文化人は軽蔑されたそうですが、頑として学生側に都合のいいことは言わなかった林氏は学生たちから敬意を払われたといいます。

当時の「文藝春秋」で学生達は、

E子『林健太郎は、筋が通っているから、それなりに偉いよ。 こっちに都合のいいこといわないもの。 右顧左べん(周りばかり気にし決断できない)しないところ、敵ながらアッパレ』
C 『あとは、たいていぶん殴ってやりたいのばかし』
A 『ほんとだ、ほんとだ。 ことにいわゆる進歩的文化人な。 いつもは非武装中立論なんか書いて稼いどいてサ、テメエの学校に問題がおこったら、さっさと学校側について 警察の力を借りてやがる。  非武装中立でなんとか解決してみたらどうだ。(笑い)』

Aの言葉をそっくり山口二郎教授はじめ進歩的文化人の方々に送りたいと思います。


  

問われる「日本学術会議」の存在意義

 2020年、「学者の国会」と呼ばれる首相所轄の特別機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補者105人のうち、 政府に批判的な立場をとり「安全保障法制」や「共謀罪」に反対する学者6人を、政府が任命から除外する、という出来事が起こります。

 日本学術会議とは、1949年に設立された政府への政策提言や科学者のネットワーク構築を目的とする政府機関で定員は210人。 任期は6年で、3年ごとに半数が任命される仕組みとなっています。  現在は、内閣府の特別の機関の1つと位置付けられており、設置法では、首相の所管と明記される一方、政府からは独立して活動すると規定されています。

 今回の菅義偉政権の決定に対して、「会議が推薦した会員を拒否することは会議の独立性を侵すと考えるべきだ」、「今後の学術に大きなゆがみをもたらす。 法にのっとって手続きをする必要がある」、 「学問の自由の侵害するものだ」、などの批判が相次ぎます。

 たしかに、政府に批判的な立場だからという理由だけで排除する、というのも一考の余地ありですが、ナニゴトも程度問題です。    例えば憲法改正について有意義な議論してもらおうとしているのに、原理主義者のように問答無用で「憲法改正絶対反対」 としか主張しない強固な左巻思想の人物が在籍して、審議に水を差す(わきから邪魔をする)、というのでは人選について再検討せざるを得ないでしょう。

 日本学術会議は長く日本共産党の影響を強く受けてきたとされます。  日本学術会議の活動や政策提言が特定の政党にコントロールされ、 政府への提言よりも反政府の牙城として利用されてきた、という側面も指摘されているのです。  そういう背景があるにも拘らず純粋な学術組織であるかのように言い募って、 「政府からの独立」や「学問の自由」を主張するのは、それこそ『統帥権の独立を楯に政治介入を繰り返した旧軍の行動そのもの(田中秀臣氏)』 ともいうべき事態なのです。

 そもそも任命権が首相にある以上、それを行使したことに「侵害」という批判はおかしい話です。 日本学術会議は政府の一組織であり、 民主的統制が必要になるのは当たり前で、2018年には内閣府も「学術会議の推薦通りに任命する義務は内閣総理大臣にはない」、 としています。  国民の税金が使われている以上、学術会議の成果が社会に貢献・還元しているかが問われるのは当然であり、 日本の国益に沿うべく建設的な意見を述べる人選を行うのはトウゼンなのです。

 ましてや中国・韓国を利するような意見を持つ人物が排除されるのは仕方ないでしょう。 さらに、 国が10億円もの資金を供出しているのですから、国の考えには「なにが何でも絶対反対」 という偏屈人物は敬遠するのはトウゼンです。  会員の選出方法についても、既得権や忖度(そんたく)にまみれた日本学術会議という組織が、勝手に内部から選んで推薦しているだけであり、 日本国民にとっては誰が選ばれようがどうでもいい話です。

 また、政府の考えに反対する意見の者は、問答無用で全て排除しているというわけでもなさそうで、今回新会員に任命された99人のうち、 少なくとも10人が安全保障関連法に反対していたことも判明しています。  ガチガチの原理主義者ではない限り、まともな論理思考を持ち議論を交わせる余地が有る人物であれば、 無下に追い払っているわけではないようです。

 結局、既得権に胡座をかき、「学問の自由」などと耳当たりのいいコトバを弄し、国益などと言う概念など持ち合わせず、 自分の一方的な思い込みで自分と異なる意見には「学問の自由への侵害だ」 などと批判して一切受け付けない、という偏屈学者が選ばれていることが問題なのです。(2019.8.6)


  

平和を守る研究にブレーキをかけ中国には協力的

 2017年3月に日本学術会議は、「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表し、「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その目的、方法、 応用が妥当かという観点から技術的倫理的に審査する制度を設ける」こと、そして「大学、学会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、 『ガイドライン』等を設定することを求める」とします。

 その後、全国の各大学・学会で「軍学共同」反対運動や「軍事研究」抗議活動が活発化し、国の防衛関連技術や、転用可能民生技術の研究への教員の応募を禁止する動きが続出します。   要するに、日本学術会議の方針決定に基づいて、各大学・学会で事実上の「ガイドライン」が設定され、学者たちはそれに従ったわけです。

 それ以前の1950年に日本学術会議は、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」という声明を出しています。  「戦争絶対反対」は誰しも理解しています。    しかし、戦争兵器と一口に言っても、自衛用兵器もあり、必ずしも殺傷目的のものばかりではありません。  平和の上に胡座をかき、 他国の侵入に対抗するための防衛兵器でさえも一切学者はタッチできない、と決め付けるのはあまりにも平和ボケしすぎです。     現実逃避の理想論だけ振りかざしても、世の中うまく回りません。

 「戦争目的の研究は絶対ダメ」というのは一見正論に聞こえますが、しかし、強力な兵器を装備した無法国家がある日突然攻撃を仕掛けて来たら、日本はどう立ち向かえばいいのでしょうか。    平和なときこそ「防衛手段の兵器研究は必要」などと言うと袋叩きにあってしまうのが平和国家日本の現状ですが、思考があまりに極端なのです。

 その一つの例があります。 北海道大学の奈良林直(ただし)名誉教授によれば、北大で船底を微細な泡で覆うことで水中の摩擦抵抗を減らすという研究が進められ、 実現すれば自衛隊の護衛艦や潜水艦の燃費向上と高速化が期待できる、とされていた同僚の教授の研究があったそうです。

 しかし、北大は防衛省からの資金提供を辞退します。 奈良林氏は、この技術は民間船にも応用できるデュアルユース(軍民両用)のため、 「民間船の燃費が向上すれば、二酸化炭素の排出量が減る。 地球温暖化対策が叫ばれる時代の中で、優先すべき研究テーマだ」と語っていますが、 辞退の背景には学術会議が29年3月に出した「軍事的安全保障研究に関する声明」に伴い、研究継続への圧力があったことを指摘しています。

 奈良林氏は、「学術会議の声明が錦の御旗になってしまった」としていますが、いまや学術会議の坊主憎けりゃ袈裟までダメという極端な思想は、 無視できないところまで及んでいるわけです。

 さらに問題なのは、学術会議が日本国内の安全保障分野の研究を否定する一方で、 2015年(平成27年)には中国の科学技術協会と相互協力の覚書を交わしていることです。    中国はどんな学術研究であれ鵜の目鷹の目で軍事転用を進める国です。 その実情には目をつぶり、 「日本の平和を守るための研究にはブレーキをかけながら中国には非常に協力的(山谷えり子元拉致問題担当相)」、というのは矛盾もはなはだしいでしょう。

 中国科学技術協会は430万人ほどの会員を擁する科学技術者の民間組織とされますが、習近平国家主席は「中国製造2025」と呼ばれる軍事面の強化も含んだハイテク立国政策を打ち立てており、 そこに中国科学技術協会が人的な交流を通じて事実上軍部と密接につながっているとされます。   日本と協力関係を結び日本の高い技術力を十分に利用できると中国は考えているわけです。

 そんな相手と「協力覚書」を交わしたというのですから、日本学術会議の存在が日本の安全保障の点から厳しく批判されるのは当然です。   国費を投入されていながら現実逃避の議論でお茶を濁し、中国に肩入れし、国民の税金をムダにする組織について、菅首相がメスを入れようとしているのは当然であり、 むしろいままで放置されていたことこそ問題視すべき話です。

 平和のときの国家存亡の危機に備える議論は、どうしても理想論に走りがちで、兵器に関する研究は一切やめよう、 などという現実味の乏しいものになりがちです。   平時は離せばわかるタイプの意見がもっともらしく聞こえてしまうのです。

 野蛮な独裁者にとっては戦争は単に最初の手段となるだけです。 「平和を望む」だけでは平和は守れないのも現実なのです。    ダチョウは天敵を見つけると砂に頭を突っ込んで見なかったことにするそうで、そこから、身に迫る危機を見ないようにして安心するのを 「ダチョウの平和」とも表現するそうです。  ダチョウの平和を貪る盲目的なパシフィズム(平和主義)は、 独裁者ヒトラーのような狂信者が登場すればいともアッサリと打ち破られてしまう、という第二次世界大戦の教訓があります。(2020.10.9)


  

批判されるべき「学者の空論」

 日本が敗戦後の占領下にあった時代、世界では自由主義と共産主義の対立が激化しており、日本は自由諸国といわゆる単独講和を結ぶか、共産陣営を含んだ全面講和かが議論されました。  当時の首相吉田茂は昭和25年、南原東大総長、政治学の丸山真男ら、進歩的知識人と呼ばれる知識人グループが主張する共産主義陣営を含んだ全面講和について、 「学者の空論」と切り捨てます。  これに南原は「弾圧」と反発しますが、その後の共産主義国家の現在に至る歴史を見れば、 吉田の自由陣営に組するという選択は正しかったわけです。

 たしかに悲惨な戦争を経験し敗戦に追い込まれた戦後間もない日本において、戦争への反動は左傾した思潮となり、平和憲法の擁護と、 容共的な全面講和論が巻き起こったのもある意味必然だったのでしょう。    憲法改正が議論されていた昭和33年には進歩的知識人らは憲法問題研究会を作り、護憲勢力を形成します。   非武装による平和を目指すという現実離れした理念論の背景には、戦争への大いなる反動があったわけです。

 学術会議が昭和25年に出した「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わない」という声明も、その流れの中で生まれた理念であったでしょうが、 平和を唱えていれば良かった時代は大きく様変わりしました。 中国の領海侵犯や北朝鮮のミサイル恫喝など、危機はいまそこに迫っています。

 そういう危うい環境に置かれながら、防衛省が創設した研究助成制度を批判し、自衛戦争のための研究もだめ、というのはあまりに硬直した考えであり、 こういう頑なな姿勢は国益を損ねるだけです。  学者にも自分の考えに拘泥(こうでい・こだわること)し、 国益について冷静でバランスのとれた思考など一切持ち合わせないという人物は大勢いるのです。

 戦争反対という思想が強すぎるためなのか、憲法改正一つとっても、 「日本の憲法学者の偏った分布」により、 占領軍が制定した日本国憲法を金科玉条のごとく尊び、憲法改正などと口走った途端、目の色を変えて反発する狂信的な護憲勢力が存在して、 安全保障議論の妨げとなっています。

 アメリカが制定した現状憲法を絶対死守せよと言い張り、 『....憲法学を「平和を守る善い学問」とし、安全保障研究、戦史研究、 外交史研究などは「現実と称して戦争へ向かう悪い学問」というレッテルを貼るような空気が流れている(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人氏)』 といいます。  学者が互いの「学問の自由」を制限し合っているわけです。

 結局、保守か左派といった思想に染まる学者たちが、安全保障問題や憲法改正についても、それぞれの立場で「絶対賛成」、「絶対反対」と主張しているだけなのです。   そういう偏った思考の学者が、大学教員として学生の成績を評価する立場にあり、学生に対してある種の「権力」を持っている場合もあります。  大学での成績は就職に影響し、 学生の人生を左右する重いものであり、そんな中で学者の特定思想に逆らった意見などなかなか言えない、という世界を形作っているわけです。

 学者が皆歴史を正しく把握しているわけではありません。  教育者でありながら平気で歴史を捏造し、 自分の偏った思想を押し付けようとする人物はどこにでもいます。  そういう連中から大ウソの偏見歴史を教えられ、極端な反日思想に染まる学生が輩出される危険性は常にあります。

 とかく日本人は極端な方向に走りがちで、例え少数の者が唱える正論であろうが、数の力で抹殺することを繰り返してきました。  太平洋戦争に突入する前の日本は、 軍のトップにも米国に立ち向かうなど無謀という声がありましたが、急進派軍人や国民を戦争に煽るマスコミ・知識人の声に押され、悲惨な戦争に突入していきました。    学者といっても預言者でもなく神でもありません。  中身ウンヌンより声の大きなものが世論をリードするのが世の常なのです。(2019.8.6)


ドイツの利敵行為

 日本は1937年(昭和12年)から、支那事変(しなじへん=日華事変)と呼ばれる、蒋介石率いる中国国民党との間で、長期間かつ大規模な戦いを始めます。

 そんな中、日本はドイツ、イタリアと1937年に「日独伊防共協定」を、40年には「日独伊三国同盟」を結びます。  ところが、ドイツは日本と同盟関係にありながら、 裏では日本の敵である中国国民党政府にセッセと武器を輸出していたのです。

 当時、ドイツでは軍事産業に欠かせないタングステンがほとんど産出されませんでした。 そこで大量にある中国と取引していたわけです。

 それどころか、武器輸出のほかにドイツ軍顧問団まで派遣し、いくつかの戦場で指揮まで執らせたといいます。  普通であれば蒋介石軍などに負けることなどなかった日本軍が、 なんと戦上手のドイツに指揮された戦場では大敗北を喫したといいますから、ドイツという国は油断ならない相手ではあります。

 ドイツと中国の関係は1941年7月まで続きましたが、蒋介石側からの国交断絶により終了しました。 ドイツが反省したから、というわけではなさそうです。  日本人は現代でもドイツにそれほど悪感情は抱かない傾向にありますが、 国と国との関係には甘い期待は禁物、という教訓になりそうです。(2018.8.8 櫻井よしこ 日本ルネッサンス 引用)

 
  

「ポスト安倍」の選択で決まる日本の未来

 安倍首相は首相の連続在職日数として歴代最長だった佐藤栄作元首相(安倍さんの大叔父・つまり母親の叔父)の2798日を越えたわずか数日後の2020年8月28日、唐突に辞任を表明します。  理由は13年前の退陣と同様、持病の悪化とされますが、 米中対立やコロナ禍の対応、韓国との対立関係といった課題山積の中、「ポスト安倍」の選択が今後の日本の行く末を左右することは間違いありません。

 戦後の日本は「アジアの連帯」という旗印の元、対中関係や対韓関係を重要視し、中韓が持ち出す「日本はアジアを侵略した」という呪縛に縛られ、戦後補償の名目で莫大な資金を搾り取られ、 戦後何十年にも渡って唯々諾々と彼らの要求に従ってきました。  この背景には裁判とは名ばかりの復讐劇といわれる東京裁判や、 GHQの「日本は戦争を引き起こした悪い国」という反日教育、 さらに占領軍が策定した日本に武力は一切持たせない日本国憲法などが影響していたのです。

 先の戦争において日本が果たした「白人国家によるアジア植民地支配からの解放」という偉大な功績は、中韓による謂れのない「日本はアジアを侵略した」、 という一方的な批判によりどこかに押しやられ、戦後は「日本は戦争を引き起こした悪い国」という歴史が定着してしまっていたのです。   敗戦から続く中韓との関係は、 日本にとって甚だ有害な関係でもあったわけです。

 そういう戦後の悪い流れを断ち切ろうとしたのが安倍首相でした。  戦後何十年経とうがとっくに終っていた戦後処理を持ち出し、 いつまでも日本を加害者扱いして難癖をつける韓国をホワイト国から除外し、南シナ海に軍事拠点を構築し制覇を狙う中国に最も厳しい姿勢を向け、 中国と激しく対立する米国トランプ大統領とは親密な関係を築く、というように安倍首相は中韓に忖度してきた従来の付和雷同型の総理大臣とは一線を画す存在でした。   安倍首相の退陣により、以前のような中韓に服従する国家に戻ってしまう愚は、絶対に避けなければなりません。

 その昔、福沢諭吉は植民地支配合戦の嵐が吹きまくるアジアにおいて、 『...近隣諸国にはシナと朝鮮があるが、 帝国主義国が来襲するなかで...数年たたぬうちに西洋諸国に分割されてしまうだろう。 ....日本はシナ・朝鮮に対しては西洋人とおなじように接するべきだ。    ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ....』と指摘しています。

 福沢が指摘したように現実の世界は、アジア解放に向け努力するどころか、国内での勢力争いに明け暮れる中国や、 極東アジア支配を目論むロシアにわざわざ接近する朝鮮(現韓国)というように、 隣国たちの国内体制はガタガタであり、植民地支配からの解放どころか、いつ白人列強の植民地支配に置かれるかは時間の問題だったのです。

  安倍首相は「自由で開かれたインド・太平洋」構想を提唱しています。  遅れてきた大国・ 中国が牙を剥くアジア情勢においては、 もう隣国だからという理由だけで上手く付き合えるほど甘くありません。   隣国との関係より、米豪加各国や西欧諸国のような「西方世界」との連帯を強め、国際間においての日本の存在価値を高めつつあった政治指導者が安倍首相だったのです。

 安倍首相の後継者が誰であろうと、中国や韓国にアタマが上がらないような人物では日本の未来はありません。  世界制覇を目論む中国に恐れず厳しい姿勢で望み、 いつまでもダラダラと日本に戦争責任を押し付けてくる韓国には、過去の戦争の亡霊に捉われることなく、毅然とした態度で拒絶するぐらいの度量をもつ人物でないと、 これからの国の舵取りはできません。  現実逃避の平和主義では、中国や韓国に立ち向かうことなど出来ません。  しかし、 いまの日本の政治家の中に、果たして気概のある人物は存在しているでしょうか。(2020.8.30)


 

自衛隊は違憲とした「長沼基地訴訟判決」

 お花畑に自分の身を置いたまま、ノー天気に"絶対に戦争反対"と唱えるだけのエセ平和主義論者たちがいます。 彼らは国を守る自衛隊は憲法違反で不要なものとし、 沖縄で自衛隊員の子弟は学校に入れるなと騒ぎました。  自衛隊員が映画館で席につくと、隣席の学生が「税金泥棒」と言って席を替えたといます。

 違憲だ泥棒だと言われた隊員が、はたして一旦緩急あったとき、国民のため身を犠牲にして戦うでしょうか。 3日と支えてはくれません。    独立国家に軍隊が必要なのは世界の常識であり論を待ちません。  強い軍隊の存在こそが国家の安泰を保障し、隊員たちに誇りを抱かせるのです。    日本が中国や韓国に侮られ、常に謝っているのも背後に軍隊らしい軍隊がないからです。

 1973年9月7日、長沼基地訴訟判決で札幌地裁の福島重雄裁判長は自衛戦争を目的とした自衛隊は違憲とし判決要旨で、 『たんに平和時における外交交渉によって外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、 危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもってこれを排除する方法、民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法、 さらに、侵略国国民の財産没収とか、 侵略国国民の国外追放といった例もそれにあたると認められる』、としました。

 朝日新聞を含めマスコミはこれを名判決としてもてはやしたそうですが、稲垣武氏は著書『「悪魔祓い」の戦後史』で、 『防衛問題の専門家でもない一裁判官になぜ防衛の方法まで教えてもらわねばならないか甚だ奇異に感じ』、鋭くこの判決の矛盾点を突いています。


 

裁判官の非現実的な防衛論理

 稲垣氏は、『まず平和時における外交交渉で侵略を防止するのは当然だが、侵略は外交交渉が失敗した時に起きるのではないか。  戦後の日本が好戦国家であるはずはないから、 最後まで交渉に努めるのは当然で、こんな文言は全く無用である』、とバッサリ一太刀あびせます。

 さらに、『次ぎに警察力で排除できるのはせいぜい海賊行為くらいであって、この論は外敵が ピストルくらいしか武器を持たないとの仮定があって初めて成立する』、と裁判官の身勝手で軽薄な論理形成を一蹴します。

 そして、『また群民蜂起すなわちゲリラ戦によって侵略を排除する、つまり不正規軍による交戦権が憲法で認められるのなら、 なぜ事前に正規軍による防衛体制を整備してはならないのか、全く理由は不明である。』、と自己都合の一方的論理に疑問を呈し。

 『正規軍が憲法違反というなら、自衛隊は「群民蜂起予備隊」と名を変え、ゲリラ要員の訓練と装備の維持に当たっているという名目にすれば済む』、 と裁判官の御都合主義に強烈なツッコミを入れます。

 さらに、『最後の"侵略国国民の財産没収や国外追放"に至っては噴飯ものである。』、とも指摘します。  たしかにこの判決が意味するのが、侵略した国家を、 侵略された側が財産没収や国外追放できる、という主旨だとすればオカシナ話です。    そんな屁理屈は稲垣氏が言うように、 「侵略を排除して国家主権を回復したときに初めて可能」な話であって、一旦支配されてしまったらそんなバカな理屈は通じません。

 そもそも、『どの国もその種の措置(そち)を恐れて戦争や侵略を躊躇』、するはずなどありえないのは子供でも分かる理屈です。      稲垣氏も『どの国も躊躇したりはしないから、抑止力としてもゼロである』、と手前勝手な思考の持ち主にダメ出ししています。

 最後に、『自衛隊の存在が憲法違反であるとするのは、一つの法解釈だから構わない。 しかし判決理由で自衛力の保持なしに侵略に対処する方法にまで触れるのは、 法の番人に過ぎない裁判官の権能を著しく逸脱した行為ではないのか。

 朝日新聞を始めとするマスコミはこれを名判決ともてはやし、福島裁判長を英雄に祭りあげたが、 この「名判決」をもってしても丸裸で侵略に対処できるのかという国民の素朴な疑問は全く氷解しなかった』、としています。


政治家の不見識・無知に騙されるな

 そもそも、ドイツ国民はどうしてユダヤ人虐殺などを引き起こした暴力的で非民主的な行動をとったヒトラー率いるナチス-ドイツを支持したのか。

 当時、世界各国は互いに輸入品に関税をかけあう貿易戦争を展開しており、その結果どの国も輸出品が売れなくなり、不況が深刻化していきす。   第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、この世界恐慌の影響をモロに受け、失業率は44.4パーセントにも達し希望を失っていました。

 こんな状況のなか、ヒトラーのナチス党は甘言を弄し、巧みな宣伝によってドイツ国民を洗脳し、甘い希望を抱かせたからこそ選挙に勝利できたわけです。  悪党ほど人の弱みに付け込むウソが巧みなのです。

 いったん政権を掌握したナチス党は露骨な独裁政治を強行しはじめ、言論出版の自由を奪い、ユダヤ人を残酷に迫害し、 反対勢力を厳しく弾圧していきます。    対外的にはドイツ民族の生存圏を拡大するとして周辺地域への拡大路線をとっていき、ヨーロッパ各国のみならず全世界を巻き込む悲惨な戦争へと繋がっていったのです。

  いつの時代も国民の不満・不安を利用しようする反日政治家は存在します。 しかし、その結果は碌な事にならないのは歴史が証明しています。  日本も過去に規模も中身もまるで違いますが、民主党という未熟な政党の甘い選挙公約にすっかりダマされ、数年間はトンデモない政治家たちに翻弄されてしまいました。

 反日や無能な政治家に振り回され、悪夢のような選挙戦が行われ、結果として国民生活が脅かされるという苦い経験は我々も身にしみて体験したわけです。  彼らにまんまとダマされてしまったら、トンデモない事態になるのです。

ヒトラーは、「嘘をつくなら、大きな嘘をつけ。 大きな嘘には、かならず人を信じさせる力がこもっているのである。大きな嘘をつき、 しかも細部に具体的な事実を正確に挿入すると、百万人を欺くことができる」と公然と語っていたそうですが、政治家の不見識・無知から生じる、 結果としてウソやホラ話になる言動に騙されてはいけません。


「何でも反対」はもう古い

 共産党は戦後まもなくの現憲法の制定当時、「.......憲法9条のもとでも、急迫不正の侵害から国をまもる権利をもつことを明記するよう提起....」。    「....憲法9条のもとでは、日本の主権と独立を危うくする....」、と批判して草案の採択に反対していました。

 つまり日本共産党は制定当時は憲法9条に反対していたのは事実なのです。 それがいまでは「憲法9条は世界の宝」というプラカードをシャアシャアと掲げています。 このように自己に都合の良い主張のみをタレながす、 政党・マスコミに扇動されてはいけません。

中国の覇権主義の凶暴性に気付いた日本国民は、今回の反対運動は冷静な目で見ていました。安全保障の重要性や集団的自衛権行使の正当性について、偏った極端な意見に左右されることなく、 自分たちで真剣に考えるようになったわけです。

媚中韓の左翼イデオロギーの扇動に踊らされ、時の政権のやることに「自らの対案を示すことなく何でも反対」した一部の過激思想の持ち主のような愚かな烏合の衆ではなかったわけです。

現状の国際情勢における国の将来を真剣に考えれば、時の政権のやることには「自らの対案を示すことなく何でも反対」、 と呪文のように繰り返す「戦後左翼イデオロギー」の存在に対し、おかしいなと国民は気づき始めました。

いまでも反対運動の継続を訴える朝日新聞などサヨクメディアの存在は、戦後70年もたつというのにいまだに靖国神社に閣僚が参拝するだけで大騒動になる、 このニホンという国家に巣食っているジャーナリズムの暗闇の部分を考えさせられます。


 

烏合の衆の反対運動

 朝日、毎日の両紙は、安保関連法成立直前紙面を大きく割いて反対運動を取り上げ、いかにも国民がこぞって同法に反対しているかのような紙面作りにいそしみました。

 とくに、「SEALDs(シールズ)」とかいう、「10代から20代前半の若い世代の、自由で民主的な日本を守るための学生による緊急アクション」、 などと称する実態のよくわからないグループは、マスコミが話題性があると考えたためか連日取り上げられました。

彼らは、「日本国憲法のもつ価値を守る」などと主張しましたが、結局は「特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認などが強行され、憲法の理念が空洞化しつつある」など、 要は「戦後左翼イデオロギー」の活動家たちに扇動されるままに、わけもわからず「安倍政権の政策にことごとく反対したかった集団」、 というのが実態だったようです。

 反対運動に参加している人の多くも、安保関連法案の内容などには関心を持たず、反対する左翼系マスコミや団体などによって作り上げられた「日本は戦争をする国になる」、 「米国の戦争に巻き込まれる」と信じ込まされた、ナンの理念も無い、ただの烏合の衆でした。

  サヨクマスコミは、「安保法制とはいつでもどこでも世界地球規模、どこへでも自衛隊を出す」。  「アメリカから手伝ってくれ、助けてくれと要請があった時には自衛隊を出す」、 「巻き込まれるどころじゃない。 アメリカの要請があったら、積極的にアメリカがかかわっている紛争地や戦闘地域に送る」などと危機をあおりました。

 しかし、平和安全法制(いわゆる安保法制)にはこんなアメリカの意向に無条件に盲従するような条文はなく、なおかつ「アメリカの要請があったら」ではなく、与野党合意により 「例外なく事前の国会承認」が前提条件というシバリがかかっています。

彼らは安保関連法なくしてどのようにして日本の国家、国民を守るのか、という理念など持ち合わせませんし、 そもそも安保関連法の中身、集団的自衛権行使の3要件さえ理解していないでしょう。

ブームに流され「ただ反対すればいい」と騒ぐ連中ほど愚かでアブナイものはありません。    案の定、あれほど大騒ぎして反対運動を盛んに行っていた連中は、安保関連法が成立した後は熱が冷めたように目立った行動は起こさなくなってしまいました。


国家の安全保障よりスキャンダルが大事?

 平和ボケが続く日本では、人類皆兄弟だから話し合えば世界中の争いは解決できる、だから武力などに頼らず仲良くしましょう、とホンキで考えるヒトが大勢います。

 しかし、残念ながら、たとえ兄弟だろうが夫婦だろうが親子だろうが、ケンカは起こります。  それどころか、エスカレートすれば流血、殺人事件までいってしまうことは、 テレビを見れば日常茶飯事な出来事です。

 ましてや、無法独裁国家北朝鮮アジア覇権を目論む中国が相手では、 こちらが大幅な譲歩でもしない限り、対話で解決などありえません。

 2017年8月19日、北朝鮮が発射したミサイルが、北海道の上空を通過し襟裳岬沖の太平洋に落下。    戦時中でもあるまいに、日本列島に空襲警報ならぬミサイル着弾警報(Jアラート)が鳴り響く緊急事態が起こります。

 当時は、北朝鮮が核搭載可能なミサイルの発射実験を頻繁に繰り返し、日本海に立て続けにミサイルを撃ち込むという暴走ぶりで、秋田では避難訓練まで行うというまるで戦争勃発か、 という騒ぎが繰り広げられていました。

 ところが、当時政治スキャンダルとなっていた「森友・加計学園問題」の追及報道に夢中の日本のマスコミは、 北朝鮮のミサイル発射実験という暴挙をほとんど無視し、連日「安倍首相つぶし」の報道だけ飽きもせずやるという、ばかばかしい漫画のような日本の社会、だったのですからアキレタ話です。

 日本人特有の、後先考えず眼前のことしか考えないという気質もあり、自分の身に危機を感じなければ、国家の安全保障より首相のスキャンダル追及が大事で、それにしか関心をもたないわけです。

 そして、いよいよ北朝鮮がアメリカまで届くICBM開発の最終段階となり、スワ、アメリカ軍が北朝鮮を攻撃して戦争勃発か、という具体的な展開になってからようやく事の重大性に気づくのです。      東京に核ミサイルが落下したら一瞬にして400万人が殺戮される、という事態をやっと認識するのです。

 いままでは北朝鮮のミサイル発射実験などほっておいて、毒にも薬にもならないスキャンダル話を、連日テレビ、新聞が大騒ぎして散々政府を攻撃する。    ところが一旦事あらば、早くなんとかしろ、いままで何をやってきたのか、と政府を責める.......なにをやってきたか責められるべきはオマエたちマスコミだろう、とツッコミたくもなります。

 本物の危機を感じない限り何の備えも対応策も考慮せず、事が起こった時点でアワテテ右往左往し、その場の状況で行き当たりばったりの対応でお茶をにごす。     日本人がナゼ勝てる見込みの無いアメリカを相手に、無謀な戦争へ突き進んだか、今回のバカ騒動でなんとなく分かったような気がします。

 政権攻撃しか能の無い野党も問題ですが、世論を左右するマスコミも目先のことにしか関心が持てず、思慮分別というものが皆無だからです。    社会に影響力を与えるオピニオンリーダーといわれる連中が、そろいも揃って他人を攻めることしか能の無い無責任体質な連中の集まりだから、有効な対策が打てないのです。


現実を直視しない人たち

 2017年、やぶれかぶれ国家の北朝鮮は、「東京をミサイルで火の海にする」と脅かし、北朝鮮のオバさんアナウンサーがこの声明を例の調子でワメキたて、 日本のテレビ局は北朝鮮の恫喝メツセージを繰り返し流し国民を青ざめさせました。   このとき作家の半藤一利氏は、「危機は安倍がつくった」、と朝日新聞紙上で大いに語ったといいます。(高山正之・週刊新潮)。

 安倍首相が北朝鮮に対する圧力を強化しようと国連で発言し、ために北朝鮮の逆鱗に触れ、慌てたアメリカが空母3隻を日本海に向かわせ、爆撃機まで飛ばし、一気にキナ臭さが増した。     だから安倍のやり方はケシカラン、という理屈なのでしょう。

 いままで、核開発を進める北朝鮮に対し、国際社会は何度も圧力ではなく対話で中止させようとしてきました。   経済的援助を行い食糧その他モロモロモを支援し、 物騒な核ミサイル開発をなんとか思いとどまらせようと長い間努力してきたわけです。

 しかし、世襲国家の3代目、アメリカに届く長距離ミサイル開発などという危険な火遊びに熱中しているチビのロケットマン、「金正恩」誕生により、 事態は暴走レベルへとエスカレートするようになってしまいました。

 北朝鮮の狙いは、アメリカに届く長距離ミサイルを手中にすることで、アメリカを交渉の席に引きずり出し、 「アメリカとの平和条約締結」をはかるのが目的とされています。     1950年に始まった「朝鮮戦争」は1953年の休戦協定締結により今でも「休戦状態」のままです。   いつまた戦いが再燃するかわからない状況なのです。

 北朝鮮にとってアメリカと平和条約を締結することは、今後も北朝鮮という国が存続できて、かつ「金一族による独裁体制をアメリカが認める」、 ことに繋がります。  ただしアメリカがみすみす単独交渉に応じて独裁国家を容認するとは思えませんが。

 北朝鮮が暴走をエスカレートさせるのは、安倍首相が圧力を強めようと発言したから、などという些細なレベルなどではなく、核兵器を持つことで米国との戦争を回避する「核抑止」を手にするため 一刻も早く核ミサイル開発を完成させ、アメリカと対等な立場で交渉のテーブルにつきたいという北朝鮮の思惑があるからです。   もちろん"「悪いのは日本人」に徹する半藤氏(高山正之氏)"でも、こんなことは百も承知のことでしょうが。


⇒ページTOP


⇒サイトマップ

関連サイト


コトバ学
(*1).....



こんなサイトもあります

セルフビルド
・"せっけい倶楽部ソフト"で間取り検討
・網戸の張替え


電動工具あれこれ
・電動丸ノコこぼれ話し
・電動ドライバーこぼれ話し
・電気カンナの話


ホビー
YAMAHAxjr1300外観
・YAMAHA xjr1300カタログ
・アコギギターの弦交換


【 全国各地ドライブ旅行記 】

日本の救世主......三笠公園の戦艦三笠の雄姿



ドライブの便利グッズ→
旅の記録に...........ドライブレコーダー
車内で家電品............パワーインバーター
読書でリラックス.......好きな作家、読んだ本




【 災害対策用品・災害備え 】

キャンプ用品にはイザ、というとき役立つものが数々があります。



災害時の備えに→
停電時の暖房......カセット式ガスストーブ
停電時の照明.........クワッドLEDランタン
便利な2口コンロ......LPツーバーナーストーブ






関連サイト・バックナンバー