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「平和を望む」だけでは平和は守れない

 2022年12月、日本は戦前の軍国主義への反省から戦後70年余り続けてきた、専守防衛に徹する「基盤的防衛力」から、反撃能力を保有する「脅威対抗政策」に切り替わるという、 安全保障政策の歴史的な変更に舵を切ります。   これは「無謀な戦争への反省でもあった基盤的防衛力構想の呪縛」から抜け出した、歴史的転換の瞬間でもありました。

 この背景には、着々と軍事力を拡大している中国の脅威があります。  以前であれば「憲法9条信徒」たちがこぞってこの転換に猛反発したはずですが、今回は大多数の日本国民が反撃能力保有に「賛成」と考えたわけです。

 『戦争は悪であり、戦争廃止を熱望し広く啓蒙すれば戦争はなくなる』と信じ、 『覇権主義をちらつかせる相手に宥和政策』をとろうとするパシフィズム(平和主義)は、 独裁者ヒトラーのような狂信者が登場すれば、いともアッサリと打ち破られてしまう、 という第二次世界大戦の教訓があります。

 パシフィズム(平和主義)だったイギリス首相ネヴィル・チェンバレン(*1)は、 ヨーロッパにおけるナチス=ヒトラーの台頭を放置しドイツに譲歩し過ぎた結果、 第二次世界大戦を防げなかった人物と評価されています。

 イギリスのチャーチルはチェンバレンの宥和政策(ゆうわせいさく・譲歩することで摩擦を回避していく外交政策)を厳しく非難、 ヒトラーとの対決を主張していましたが、チェンバレンの妥協と譲歩による弱腰外交により、結局はヨーロッパはじめ世界中が戦争への道を突き進んでいく結果となりました。

 リベラルを前面にだすタイプが指導者になると、 世界のアチコチに紛争が起こり、混沌さが増すといわれます。  世界の警察を返上した米国・オバマ前政権は、 北朝鮮の核ミサイル開発を阻止せず無策に終始し批判を浴びました。  中東でも目を覆うばかりの失策のヤマを築き上げるオバマの“戦略”を、 米紙のある著名コラムニストが 《抑制ドクトリン(ドクトリンは教義・主義)》と表現しました。  オバマは2014年のロシアによるクリミア半島への軍事侵略でも傍観政策をとり、 それが2022年2月24日のロシアのウクライナ侵略へとつながったとされます。

 その後共和党トランプ政権では世界に大きな混乱は起こりませんでしたが、民主党バイデンが政権を握った途端、2001年から20年間アフガンに駐留していた米軍は、 2021年8月大量の最新武器を放棄したまま完全撤退。  高性能な武器がそっくりタリバンの手に渡り、世界中のテロで使われています。  さらにロシアのウクライナ侵攻が噂されているとき、 「アメリカは手出ししない」と宣言、2022年2月24日にロシアが安心して軍事侵攻できるチャンスを与えます。

 バイデンはオバマ政権の副大統領だったときも、オバマでさえ許可した国際テロ組織「アルカイダ」のウサマ・ビンラディン容疑者の斬首作戦に、 中東が混乱するからという理由で反対した人物でした。  安全保障面でことごとく失敗しているのです。  お人好しでは一国の指導者は務まらない見本のような人物なのです。

 誰しも戦争など望みませんが、「平和を望むだけでは平和は守れない」のも冷徹な現実です。  「左派」と呼ばれる人々は、誰かが 国防の強化を説けば「軍国主義への回帰だ」と非難しますし、 「右派」は「左派」を「平和ボケ」していると非難する......。   両者の間には埋めがたい断絶があります。    アメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントンは、「戦争に備えることは、平和を守る最も有効な手段の一つである」、と唱えました。   平和は何もせずとも与えられるものではなく、果敢に作り出すもの、というわけです。

 結局、絶対に戦争などを招かぬよう平和を守る最も重要な手段は、相手にわが国に戦いを挑もうとしてもムダだぞ、 と思いとどませる備えを普段から整えておくことです。   だからこそ国家、 国民の安全を確保する「国家安全保障」が国家の大事な戦略となるわけです。(2018.9.17)

 2022年2月24日、ナント、ロシアがウクライナに軍事侵攻するという驚愕の戦争が勃発します。  挙句の果てに、 なかなか首都キエフを陥落出来ないプーチンは核兵器使用までほのめかし、あわや第三次世界大戦の始まりかと世界を恐怖に陥れました。  現実の国際社会は、 とても日本共産党やヒダリマキが主張する「憲法9条があるから日本は安全」、などというお花畑理論が通用する世界ではないことを見せつけたのです。(2022.3.1)


 

「平和念仏主義」の日本

 司馬遼太郎氏は、憲法九条を守れば平和が続くと信じ込むことを「平和念仏主義」と呼びました。  「戦争はしない」という現在の平和憲法を守りさえすれば、 日本はいつまでも平和な国でいられると頑なに信じ込む勢力が、21世紀の時代でも日本にはまだまだ多いのが現状です。

 しかし、平和を守るためには政治・外交・軍事全般にわたり、現実に立脚した施策が必要です。  自分の周りにお札を張り、結界をめぐらしておけば外界からの災いから逃れられる、 と考えている現状の日本の姿勢は非現実的なのです。

 井沢元彦氏はこのような日本人の思考は「言霊信仰」が関係しているとしています。  ある出来事や事象を具体的に言葉にして発する「口にする」と、 実際にそれが実現するという信仰です。  日本人には昔から言葉の持つそのような作用を「言霊(ことだま)」と呼んでいました。

 「口にしてしまうと」実現するわけですから、「口にさえしなければ実現はしない。  したがって、起こって欲しくないことは言わない」のです。   日本の憲法は「平和というものは当たり前のものである。 もしくは平和であり続ける」ことを前提としています。

 したがって「言霊信仰」民族としては、非戦を謳う憲法に懐疑的、悪口を言うということは「平和を乱す行為であり、絶対許せない」となります。   「触らぬ神に祟りなし」というわけです。   「口にしない限り面倒なことに巻き込まれることはない」のです。

 争いごとは避けたいお人好し日本人は、先の戦争の後遺症や戦後の左翼色の強い時代も関係し、つい最近まで「自衛隊=軍隊」としてマイナスのイメージを持っていました。    それが数々の災害で自衛隊の献身的な働きを見せつけられていくうちに、現在では左翼勢力の衰退もあってか、やはり日本にも自衛隊のような国を守る組織が必要不可欠である、 という風潮になってきたのは喜ばしいことです。

 いまでもごく一部に「自衛隊は平和の障害となるので廃止すべき」などと主張する勢力がいますが、こういう連中は自分が住む地区が大災害に遭っているところに、 自衛隊が駆け付け救助してもらう体験をしない限り必要性は認識できないのです。

 痛い目に遭わないと目が覚めない連中が政治の世界に幅を利かしている現状では、 ある日突然ロシアに軍事侵攻されたウクライナのような立場に追い込まれない限り、日本を自分の身は自分で守る普通の国にするための憲法改正など、夢のまた夢ということです。(2024.8.27)


 

日本人の「先を見通すのが苦手」な外交オンチぶり

 江戸幕府(1603〜1868年)は外国からの侵略を受けることなく265年間「時間が止まったまま」の平穏な時代が続きましたが、世界は「植民地争奪戦」時代を迎え白人国が虎視眈々と アジアに目を向け始め日本周辺にもキナ臭さが漂い始めます。

 そんな中、『海国兵談』の著者・林子平は、「海は世界中に繋がっており、外国がその気になればいつでも攻めてくる。」と警告しますが、 相変わらず天下泰平の夢をむさぼる幕府は、「地方の学者風情が幕府に意見することなどけしからん」、「そんなことが起こるはずがない」と一蹴。   林子平は1792年に処罰されています。

 1792年、ロシア艦が日本人漂流者を返還するという名目で根室にやってきます。  当時のロシアはイギリスやフランスとの植民地争奪戦に後れを取っていました。   一説には当時のロシアは日本を植民地化するというより、シベリア開発のため日本を「食料調達」先として取引相手国にしたかったから、とされます。  これに対し老中・松平定信は、貿易の話は長崎で、 と体よく追い払います。  それまで幕府はオランダ・中国以外の外国船は受け入れなかったのですが、特別に長崎の入港許可を与えたため、気を良くしたロシアは一定の使命を果たしたとして引き上げていきます。

 しかし、その後松平定信が失脚。  幕府は再び外国船受け入れ拒否の態度に戻ってしまいます。  12年後、 再びロシア艦でレザノフがやってきますが、幕府にリーダーシップを取れる者はおらず、ロシアが持参した高価なプレゼントなどはチャッカリ受け取っておきながら、 半年間も長崎で待たせた挙句、ロシア皇帝の正式に友好関係を結びたいという丁重な国書を突っ返したのです。    さすがにロシアも失礼極まりない幕府の対応に腹を立て、根室周辺に放火したり暴れ回ったりして帰っていきます。  これは幕府の大失態でありロシアだけ責められません。

 その4年後の1808年、イギリス艦が長崎・出島に乱入するという事件が勃発します。  当時の日本は中国以外はオランダのみ貿易を許されていましたが、当時のヨーロッパはイギリス対オランダ・フランス連合という対立構造がありました。    そんな中、長崎港付近を航行していたイギリス艦フェートン号が、なにを血迷ったかオランダ船から物資を略奪しようと、オランダの国旗を掲揚し堂々と長崎・出島に入港。    オランダ人を人質にして「飲食物を提供しないと人質を殺す」と幕府を脅したのです。

 戦っても勝ち目のなかった長崎奉行・松平康英は、仕方なく要求に応じた結果、フェートン号は悠々と日本を後にします。  康英は幕府の面目を潰し申し訳ないと切腹しています。   これもあって1825年に「異国船打払令」が出されますが、それまでは不慮の事情がある限り日本に救助を求めれば、上陸は認めないが必要な物資などは与えるという人道的な対応はしていました。     幕府はこのフェートン号事件がきっかけとなり、以降外国船には厳しい態度で臨むようになるのです。

 アメリカのモリソン号が来たのは、間の悪いことに「異国船打払令」が出された後でした。   アメリカは当時太平洋で大規模な捕鯨漁を行っており、 目的は捕鯨の補給基地としての開港という穏やかなものだったのですが、幕府はこれを追い払ったのです。  この辺りが先を見通せない日本人の悪いところで、 そもそも、アメリカとイギリスは別な国であり、幕府もオランダ商館を通じアメリカがどんな国なのか情報は上がっていました。    当時のアメリカはイギリスの植民地から独立したばかりであり、アメリカはイギリスに対抗するため隣国である日本と友好的な関係を築こうとしていたのです。

 日本側としては、「日本の軍備が整うまでアメリカの力で乱暴なイギリスに対抗してもらう」ため友好的態度のアメリカと仲良くするという手だてもあったはずだったのですが、 例によって先を見通すのが苦手で、前任者が決めたことは変えられない日本は、愚かにも大砲をぶっ放してモリソン号を追い払ってしまったのです。

 ところが、その後お隣中国がイギリスとのアヘン戦争で大敗し散々な目に遭ったことを目の当たりにした日本は、「異国船打払令」を急遽撤回、 補給を頼ってきたら必要なものを与える「薪水給与令(しんすいきゅうよれい)」を出したのです。  変わり身だけは早いのです。

 後年日本はアメリカやロシアと「不平等条約」を結ぶことになるわけですが、当初ロシアもアメリカも日本を敵対視して開港を迫ったわけではなく、あくまで対等な関係で友好を結ぼうとしたのであり、 もし日本に知恵者がいれば、日本にとって有利なかたちで通商条約を結ぶ方策もあったのです。  それを大砲をぶっ放し追い払ったりしたから、 「そっちがその気ならやってやろう」とアメリカ・ロシアが怒り、その後に長崎、下田、箱館、横浜などの開港や在留外国人の治外法権を認めるなどの 「日米和親条約」や「日米修好通商条約」、いわゆる不平等条約を結ばされる羽目になったのです。

 明治政府はこの「不平等条約」解消に苦労しますが、日清戦争後、日本の力を認識した西洋諸国は、もはや日本に対して不平等条約を結び続けることは不可能 であるとみなし大部分が無効となったのです。  また、朝鮮に対して欧米各国が結んでいた数多くの不平等条約も、1910年の日本による韓国併合によって大部分が無効となります。   力は不公平を解決する唯一の手段なのです。(2023.10.3 井沢元彦・『学校では教えてくれない 日本史の授業』参考)


 

平和は突然破られる....ウクライナへの軍事侵攻

 2022年2月24日、ロシアがウクライナへの軍事侵攻に突如踏み切るという驚愕の事態が勃発します。 NATOに加盟しておらず軍事同盟を結ぶ国もなかったウクライナは、 西側から多少の武器援助は受けたものの、孤立無援の防衛戦で必死に抵抗しますが、国内のインフラは破壊され、一般市民が無差別に殺戮されるという、 これが本当に21世紀の世界なのかと驚くとんでもない悲劇が起きたのです。

 国際秩序も何もあったものではなかった昔ならイザ知らず、我々は今、現代においても独裁国家による「力を背景にした現状変更」 という蛮行を、 躊躇なくやってしまう国家が存在しているのだ、という世界を目の当たりにしているわけです。  しかも、国際社会は自分の身に危機が及ばない限り、「当事者同士で解決すべきこと」と距離を置くだけで、 誰もそれを止めてはくれない冷徹な現実をハッキリ理解しました。

 唯一の被爆国である日本は、戦争とは無縁の世界が永遠に続くと考え「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まない」という非核三原則を掲げ、 日本の歴代首相はこれを「国是」として堅持することを誓ってきました。  そして、幸いなことに日本はこれまで戦争に巻き込まれることはありませんでした。  しかし、今回のウクライナ情勢に見られるように、 国防が手薄な国はある日突然他国の侵略を受ける、という事実を見せつけられたのです。

 すぐ隣に独裁国家の中国、北朝鮮、そしてロシアという暴走国家を抱える日本は、ウクライナ同様いつ何時戦争に巻き込まれるか分かったものではアリマセン。     野党や公明党が主張する、「なにをせずとも平和は維持できる」世界は、今回の戦争により単なる幻想であり非現実的なまやかしだとはっきり判明しました。    今回のロシアの暴挙を目の当たりにした我々は、もはや「話し合いで平和が守れる」というお花畑理論の上に胡坐をかいている場合ではないゾ、 ということに気付かされたのです。

 国家と国民の生命を守るため、「強力な抑止力」は絶対必要です。  日本国民も安全保障について「見ざる・言わざる・聞かざる」の態度は見直し、 もうそろそろ本気で国防に関心を持つべき時期にきたようです。  安倍晋三元首相はこの事態を受け、 米国の核兵器を自国で共同運用する「ニュークリア・シェアリング」(核共有)について日本も議論すべきとの考えを示します。

 安倍元首相のように、従来から非核三原則が「議論もしてはならない」という4原則になっていることを懸念する向きは少なくアリマセン。      しかし、残念ながら現在の首相は「鈍牛・岸田首相」です。     彼はこの期に及んでも『非核三原則の堅持という我が国の立場から考えて認められるものではない」と安倍氏の発言をキッパリ否定しています。

 抑止力の観点からすれば、侵略国家が「日本に侵略する気を起こさせない」よう、日本国の首相は安全保障上の軽々しい発言は避けるべきです。    ところが安全保障の責任者が一番肝心な時に、『我が国は丸腰を永遠に貫きます』と堂々と宣言したわけです。

 リベラルな国際秩序では世界平和は守れず、より大きな紛争を生む、という現実が目の前で起きている今、相手に武力行使に踏み切る余地を僅かでも与えないようにするためにも、 せめてお得意の曖昧戦略で、『現時点では考えていない』、 『今すぐに検討するつもりはない』ぐらいに留めておけばよかったのです。

 ところがこの人物は、普段は『検討する』のが口癖なはずなのに、 こんな切羽詰まった時に限って、言わなくてもいいことを言い切ってしまったのです。  日本国民の生命と財産を守ることに全責任を持つべき立場にある首相がこの体たらくなのですから、 平和ボケ日本もここに極まれりということなのでしょう。

 この発言が侵略国にとってどういう意味を持つか、考えもしないのです。  やっぱりこの首相は「空気を読めない」鈍感で困ったヒトで、 有事に対応できる度量の持ち主ではないのです。(2022.3.9 YAHOOニュース 引用)


「元寇」に見る、戦う力の必要性.....「文永の役」

 日本が他国により侵略され領土を奪われたのは、有史以来、大東亜戦争(太平洋戦争)における沖縄戦のみです。   侵略されたものの撃退したのは、 古くは元による侵略「元寇」、 近年では大東亜戦争終結後の1945年8月18日未明、無条件降伏を受け入れた日本に対し、 ソ連軍が日本領土の千島列島に上陸作戦を強行した2件のみです。

 元寇は1274年の「文永の役」と1281年の「弘安の役」2度ありましたが、追い払えたのは「神風」といわれる台風のおかげだ、 という説が一般的ですが、そもそも、「文永の役」は新暦11月後半の出来事であり、台風の影響はどうもなさそうです。   「弘安の役」においても、「神風」はあくまで「最後の一押し」に過ぎず、 いずれにせよ、向かうところ敵なしのモンゴル帝国の来襲を二度も撃退したということは、決して天祐でもまぐれでもなく、 蒙古人、漢人(中国人)、高麗人(朝鮮人)の寄せ集め部隊だった元軍(モンゴル軍)より、 戦いのプロである鎌倉武士の戦闘力が上回っていたことや、 台風を待ち決して上陸させない作戦を展開した北条時宗の戦略が勝因、という説が正鵠を得ているでしょう。

 「文永の役」では、九州に向かう元軍は途中で対馬・壱岐に上陸し、島民を虐殺したとされますが、男性のほとんどは殺され、さらに女性や子供は手に穴を開け、そこにヒモを通して船に鎖のように結ばせた(八幡愚童訓)、 というものから、「....殺害された人が18人。 連れ去られた人は116人である」というものまで被害規模は諸説あるようです。  対馬や壱岐に襲い掛かったのはもっぱら高麗人とされます。

 「文永の役」の戦いでは、結果として元軍を追い払ったわけですが、日本軍の一族郎党による小集団ごとに戦うやり方では、元軍が用いる一糸乱れぬ集団戦には不向きで、大分苦戦したようです。  また、 元側が使った武器で有名なのが手榴弾のように投げつける「てつはう」です。   鉄製あるいは陶器の器の中に火薬を詰め、つながった導火線に火をつけ投げ込み爆破させるものだったようです。

 「てつはう」は破壊力で敵を倒すというより、爆発の音で相手や馬を委縮させる程度の威力だったようで、中に金属片を入れたものもあったといいます。  実物は21世紀になり長崎県の鷹島(たかしま)海底遺跡から元軍船が見つかり、 「てつはう」の実物が3つ発見されています。  重さが約4kgといいますから手投げではそう遠くまで届かなかったはずで、被害についても不明ですが、日本軍は最初は相当驚いたことでしょう。

 戦況不利となった日本軍は、太宰府まで後退し反撃体制を整えようとしますが、ここでターニングポイントとなったのが博多湾沿いの平地を二分する「赤坂高地」です。    高地の確保は戦場における重要なポイントとされますが、ここの一部を日本軍が死守したため、博多正面に上陸した蒙古・漢軍と、 今津正面に上陸した高麗軍は戦力を統合できず、さらにこの高地をめぐる熾烈な攻防戦で矢を消費したため、元軍お得意の「圧倒的な矢数戦法」も使えなくなります。

 もともとユーラシア大陸を短期間で席巻した元軍の強さは、騎馬による機動力と一会戦で百万本単位の本数を消費 (一人の騎馬戦士が携行する矢は、遠射用72本近接用3本)するという圧倒的な矢の威力とされます。(真実の「日本戦史」家村和幸)  弓矢の威力については、モンゴル軍が用いたとされる短弓(長さ1.5m程度)は速射性に優れるものの貫通力が弱いため毒矢を用いたという説もあります。    対する日本側の長弓(2m以上)は、平安時代以降、弓の本体(弓幹・ゆがら)の表裏面に竹材を張り補強した伏竹弓(ふせだけゆみ)が作られるようになり、 強度が上がり威力は増したとされます。  弦を張るのも強弓は複数の人間の力が必要となり、 「二人張り」や「三人張り」が強弓の代名詞となっていきます。(武器で読み解く日本史 PHP文庫)

 一般的な長弓を引くため必要な力は30〜70sであるのに対し、弦掛けに3、4人必要な超強弓では100〜110s必要と推察され、こうなると威力と射程距離はかなりのものだったでしょう。   元軍の攻勢により退却した際、殿軍(しんがり)を務めた少弐影資(しょうにかげすけ)の放った矢は、追撃してきた元軍副司令官の胸を射抜いたといいます。

 もともと、鎌倉時代は弓と乗馬の技術が非常に重視され、武士の嗜(たしな)みとして騎射の技術を鍛える「騎射三物」を奨励していたとされます。  多数の犬を放し何匹射たか競う 「犬追物(いぬおうもの)」、馬を全力疾走させながら進行方向左手に置かれた3つの的を連続して射抜く「流鏑馬(やぶさめ)」、 左右、高低、大小と変化をつけた複数の的を馬で疾走させながら射抜く「笠懸(かさがけ)」の訓練を日々行っていたわけで、 決してモンゴル軍に引けを取るような弱い軍勢ではなかったのです。

 「文永の役」では元軍の運んできた軍馬の数は、軍船の数から1200頭ほどとされますが、船による侵攻作戦ではこうした軍馬の輸送や矢の補給は限界があり、 矢が尽きてしまえば元軍の継戦能力もそこまでです。    対する鎌倉武士は「重装長弓騎兵」であり、元軍も集団で突撃してくる重武装の日本軍を、 「騎兵は結束す」、「人は即ち勇敢にして死をみることを畏れず」と評しています。  元寇の戦況は書かれた書物により違いますが、 「文永の役」については騎馬兵なのに足場が悪く馬を下り戦った蒙古軍と、いやいや出陣させられた漢・高麗軍の寄せ集め部隊が、 日本軍による度重なる夜襲の脅威や、元軍副司令官が討たれたことで戦意を失い軍船に戻り、ついでに暴風雨を理由にして撤退した、というのが真相に近いのでしょう。(2022.3.9)

 モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハンとその子孫や部下たちは、中国全土を支配しただけでなく、北はモスクワ、南はベトナム、そして西はポーランドまで版図(はんと)を拡大。  一時はドイツとフランスに攻め込み、 これを領土にしかねない勢いで世界地図を塗り替えたのです。  西洋の騎士たちが団結してモンゴル帝国に立ち向かうものの、完膚なきまでに叩きのめされました。

 その後、モンゴル帝国の後裔(こうえい)の一国である元は東側にも侵略を試み海を渡って日本に上陸作戦を仕掛けたわけですが、なにより特筆すべきは、日本はそんな強大な敵を二度にわたり徹底的に叩きのめし、 追い払った唯一の国だという点です。   当時の日本の軍事力が世界的に見て高い水準にあったことがわかります。  その後時代は下り、日本は 日清戦争で「眠れる獅子」と呼ばれた清を瞬殺し、 日露戦争では「世界最強の陸軍国家」と恐れられたロシアに勝利したのです。   大東亜戦争においても、 連合国相手に戦争を開始して半年間は陸上戦では連戦連勝し、海戦 においても相手を凌駕していたのです。(2023.9.13 プレジデントオンライン 引用)


「弘安の役」.....鎌倉武士の勇猛果敢な戦いぶり

 「文永の役」のあと、北条時宗は、博多湾の沿岸に「元寇防塁(石築地)」という石の防塁を作らせ、さらに、博多湾などの沿岸を警備する「異国警固番役」を九州の御家人に任じ、 元軍上陸を簡単に許さぬよう十分な防衛体制をとり、元軍の再来襲に備えます。

 「文永の役」から7年後の1281年5月、とうとう東路軍(高麗軍が中心で、兵船900隻、総勢4万余)と、江南軍(旧南宋軍が中心で兵船3500隻、総勢10万余)が、 二手に分かれ日本に押し寄せる蒙古襲来となります。  これは「弘安の役」と呼ばれます。

 先陣の東路軍は5月21日、途中対馬・壱岐を襲撃し島全体を制圧します。  本来であれば東路軍は壱岐島で江南軍の到着を待ち、合流して九州へ侵攻する予定でした。  ところが、 江南軍は諸事情により5月下旬時点では出航すらしていなかったのです。

痺れを切らせた東路軍は、江南軍を待ちきれず、6月6日単独で博多湾侵入を試みます。

しかし、砂浜に沿って延々と続く高さ2〜3mほどの石累(せきるい)は、馬では簡単に越えられず、日本軍の待ち構える正面へ上陸したごく一部の兵は、たちまち撃退されてしまいます。

結局元軍は正面突破を断念し、湾の外れ、陸と繋がっている志賀島の南側に上陸し、香椎(かしい)、箱崎方面へ進出しようとしますが、 隘路の海の中道で日本軍との遭遇戦となります。

 日本軍は「文永の役」での戦いで元軍の集団戦にも慣れ、既に元軍の戦法はある程度理解しており、正確な弓射で次々に元軍兵を射抜きます。  しかも、 元軍が使う諸刃の剣と比較にならない鋭い切れ味の日本刀を振りかざし突撃してくる日本軍の勇猛果敢さに、動員され決して戦意の高くなかった高麗兵や漢人兵は圧倒されます。

 ここで二日間の激戦となりますが、元軍は撃退され船上に逃げ帰り、そこで江南軍の到着を待ちます。  が、江南軍はなかなか到着しません。     一方、報奨金目当てでやる気満々の鎌倉武士たちは、元軍が一向に上陸しようとしないため、小舟をしつらえ次々に湾内の元軍軍船に切り込み攻撃を仕掛けます。

 鎌倉武士たちは投鉤や打鉤を投げ帆柱を倒し、敵船に雪崩込み、片っ端から元軍兵を切りまくったといいます。   この日本軍の執拗で勇敢な昼夜に渡る洋上襲撃による白兵戦は、 元軍兵に底知れぬ恐怖心を与えます。

 元寇で戦った日本刀は実戦ではあまり有効ではなかった、などという話もあるようですが、鎌倉時代は「日本刀の黄金期」とされますし、 また元側の史料にも身を守る防具を簡単に断ち切る日本刀の威力を「倭刀はきわめて鋭い」としています。  そもそも、 近接戦闘で最も有効とされる日本刀が使えなかったら、元軍が恐れた奇襲攻撃は誰もやらなかったでしょう。

 散々な目にあった元軍は壱岐まで非難しますが、ここでも日本軍追撃部隊による船団急襲を受けてやむなく平戸まで逃げ、7月2日になってやっと到着した江南軍と合流します。     10万とも言われる江南軍の合流により日本軍は不利な立場に追い込まれたわけですが、江南軍はなかなか攻撃行動に移らず、 およそ一ヶ月ほど膠着状態が続きます。

 これを見た日本軍は、洋上夜襲や船舶焼き討ちを執拗に繰り返します。  船に何十日も閉じ込められた挙句、襲い掛かる日本軍に対し狭い船上では「弓」も「てつはう」も使えず、 集団戦法も使えないとあっては、「一騎打ちが得意の鎌倉武士」が、恐ろしい日本刀で切りまくってくる白兵戦で、元軍に到底勝ち目はありません。     さらに元軍の船では疫病も流行り、3000人あまりの死者を出す始末です。

 いずれにせよ、広大な大地で縦横無尽に暴れまわり陸上戦では敵なしだった元軍ですが、慣れぬ長期航海と長い洋上待機で気力・体力はすっかり失っていました。    たとえ上陸できたとしても日本の複雑な地形では得意の大規模な騎兵戦は封印されてしまったわけで、果たしてどれほどの機動力を発揮できたかは疑問です。

 元の連合軍は食料も尽きつつあり、このまま座して死を待つよりは、と悲壮な決意を固め、閏8月1日に総攻撃をかけようとします。  が、その前日(1281年7月30日)夜に暴風雨が発生し、 港をうめつくしていた4千艘以上の元軍船は、砦の代わりとして船同士を繋げていた為にぶつかり遭い、あらかた沈没するという大打撃を受けたわけです。   かろうじて生き残った元船に対しても、 日本軍は小船で乗りつけ徹底的な残敵掃討を繰り返します。

 その結果、「弘安の役」では14万の元軍が押し寄せたとされますが、高麗史では元軍の死亡率は8割以上、生き残り兵2万足らずという無残な敗北を喫したのです。   迎え撃つ日本軍兵力は、 「文永の役」では来なかった関東からの助っ人御家人も加わり、総勢6万5千人くらいとされますが、直接対決した博多防衛軍は4万ほどで、残り2万5千は中国地方に回されています。

 この時期2か月も台風の通り道の海上に留まっていたら、台風の一つや二つは確実にやってくるのは当然だったわけですが、結局、台風が来なかろうが 防塁は元軍得意の騎兵戦を封印するのに非常に効果的であり、上陸を許さなかった作戦と鎌倉武士の奮戦ぶりを見ると、結果は同じだったでしょう。    なにせ船による侵攻作戦では、上陸して確保しない限りいずれ積み込んだ食料は尽きるのですから。(2022.3.9)


 

イザとなったら相手を蹴散らす「強力な抑止力」

 戦争は誰しも望まぬ愚かな行為であり「良い戦争」などあるはずもないのは確かです。 ただし、暴走国家による国家主権や国民生命の危険から断固守り抜くため、 やむを得ない「正しい戦争」はありえます。

 なぜ戦争になるのか.....それは脅威となる相手との勢力均衡が破綻したときです。 中国の軍事費は1988年比で約50倍、2007年比でも3倍に膨張しているといわれます。 「隠れ軍事費」ともいえる科学・先端技術開発費を含めれば、驚異的な増強といえます。

 21世紀初頭において、中国はこの莫大な軍事費を背景に南沙諸島数カ所の環礁を埋め立て、いくつもの海洋基地を軍事拠点とし、 言論・経済の支配力を強めつつ、いずれアジア全域はおろか全世界を中国共産党の影響下に置くことを目指しています。

 このような情勢の中、国際社会は拱手傍観(きょうしゅぼうかん・手をこまねいて何もせず、ただそばで見ていること)しているだけです。  この事態を放置したままでは、 いずれナチス=ヒトラーのような、力で他国を侵略するならずもの国家の台頭を招き、第三次世界大戦の悪夢が現実となるかもしれません。

 年収の高い人も家族が増え資産が増え、護るべきものが多くなれば、家のセキュリティにお金をかけるようになっていきます。  国家も「国の資産と安全を守るため軍事を発展させる」、 ことが必然です。

 強力な抑止力を備えているからこそ他国から侵略される危険を回避できます。 日本は「戦争がしたい国」でも、 「戦争をする国」でもない、 イザとなったとき相手を蹴散らすことが出来る「戦争ができる国」に進化しなければなりません。(2018.9.17)


   

力の信奉国家には、力でしか対抗できない

 1995年、フィリピンで米軍が撤退しようとしたとたん、中国はフィリピンの領土であるミスチーフ礁という島に上陸し、中国漁民を守るためと家を強引に建て、 南シナ海はわが領海と宣言しました。  2013年、オバマ大統領は「アメリカは世界の警察ではない」と発言しました。 その数か月後、クリミア半島はロシアの手に落ちます。

 2015年9月、習近平国家主席は米中首脳会談後の共同記者会見で、中国が南シナ海で進めていた人工島建設に関して、「軍事化の意図はない」と発言します。  しかし、オバマ大統領の弱腰ぶりに乗じ、 中国はその後、人工島を軍事拠点化していったのです。

 当時、オバマ大統領との「約束を破った」との声が米政府内で高まり、中国に対する信用度は大きく損なわれましたが、米国が中国に強く抗議することはありませんでした。 現大統領のバイデン氏は、 オバマ政権で副大統領を務めていました。  そのバイデン氏の、今後の対中政策が注目されます。

 歴史に学べと言われますが、力を信奉する国家は、相手が引くと見るや、かならず侵略してくる、というのは世界の常識です。 だから血で血を争う長い戦争の歴史を持つ欧州各国は、 抑止力としての軍隊の重要性は骨の髄までしみ込んでおり、どんな小国にも必ず軍隊は存在します。

 わが日本も、隣国に力の信奉国家・中国という暴走国家が存在しています。 その中国が、今猛烈な勢いで周辺各国の領土・領海を侵略しつつあります。 日本周辺でも、東シナ海の尖閣諸島において中国は、 ガス田開発にかこつけた海上プラットホームの建設を行い、ミサイル発射装置を配備し、無人機を含む航空機の離着陸が可能な「洋上基地」を計画しているとされます。

 2027年は中国軍創設100周年ですが、中国人民解放軍はそれまでにアジア太平洋地域で米軍と均衡する軍事力を確保することが目標とされています。  そうなれば、 いよいよ中国による台湾侵攻は、確実とされます。  日本にとっても、そんな事態となれば、マラッカ海峡が閉鎖されて中東の石油が入ってこなくなり、タダでは済まなくなります。(2021.3.23)

 
  

毅然とした対応が抑止力となる

 実は、過去にも中国と同じように、国際ルールを無視した独裁国家が一方的に領海を宣言し、一触即発の事態となった事件が起きました。     1981年と1989年に起きた《シドラ湾事件》です。

 リビア北部には地中海に面して広大な湾(シドラ湾)が広がりますが、リビアは1973年以降、この湾全域を自国の「領海」と一方的に定めます。

 しかし、米国はリビア「領海」は22キロ圏内であり、他の海域は公海として航行の自由が認められると譲らず、 リビアに圧力を加える目的で空母機動部隊を当該海域に派遣して演習を行ないます。     1981年8月19日、その挑発に乗ったリビアは、米軍部隊に空軍機を接近させます。

 上空には、敵機を早期に要撃すべく米海軍機2機が《戦闘空中哨戒》で待ち構え、空中戦がおきます。 リビア軍機は2機とも撃墜され、米軍機は無傷でした。

 1989年1月4日にも同じ戦いが起こりましたが、又しても米軍機の損害ゼロ、リビア軍機は全2機が撃ち落とされます。 これにより、リビアは領海宣言を撤回することになります......
(当時の米国大統領・ロナルド・ウィルソン・レーガン 任期1981年1月20日〜1989年1月20日)


 

もう目を覚ませ、平和ボケ日本

 戦後、平和憲法に長い間守られてきた日本は、戦争とは無縁の世界で過ごしてきました。 そのため、すっかり平和ボケしてしまい、北朝鮮がミサイルを日本めがけぶっ放そうが、 尖閣諸島、小笠原諸島に中国の海賊漁船数百隻が押しかけ恫喝しようが、国会では安全保障などそっちのけで、ヤレ誰が金をもらっただの、口利きがどうのという、 国民の血税で給与を得ながら、どうでもいいことに時間を費やすという、 ばかばかしい漫画のような日本の政治と社会なのです。

 しかし、昨今は中国による東シナ海・尖閣諸島への進出や、台湾侵攻、南シナ海の実行支配を目指す動きが活発となり、 地域の安定を破壊しようとする動きを強めており、いまや一触即発の事態となりつつあります。  こんな中で、日本も従来通り日中の経済関係を維持しつつ中国で稼がせてもらいながら、 アメリカの軍事力に一方的に頼るという虫のいい態度が、いつまでも通用するはずはありません。

 日本はいままでのような中途半端な立ち位置でお茶を濁すような行動は、そろそろ許されなくなり、旗幟は鮮明にしなければならなくなったのです。  ただ、すっかり平和ボケしている日本は、 安全保障体制を現実的なものに転換しようとしても、さまざまな分野で制度欠陥が露呈し、まっとうな国防体制を整えるには、まだまだハードルが高そうです。

 その事例の一つに、「日本学術会議」の存在があります。  2020年10月、 「学者の国会」と呼ばれる首相所轄の特別機関「日本学術会議」において、推薦した新会員候補者105人のうち、 政府に批判的な立場をとり、「安全保障法制」や「共謀罪」に反対する学者6人を、 政府が任命から除外するという出来事が起こり、これにマスコミが一斉に批判する事態となります。

 しかし、学術会議は国民の税金10億円もの資金を使いながら、日本国内の安全保障分野の研究を否定する一方で、 2015年(平成27年)には中国の科学技術協会と相互協力の覚書を交わしており、 「日本の平和を守るための研究にはブレーキをかけながら中国には非常に協力的(山谷えり子元拉致問題担当相)」、という組織なのです。    平和ボケ日本は、根本からおかしなことになってしまっているのです。(2020.10.24)

 

世界の警察を返上した米国

 世界中から非難を浴びようと、南シナ海を自国領海であると強弁し海洋基地建設に突き進む中国ですが、 2015年10月、やっとアメリカも重い腰を上げ、たった1隻ですがイージス駆逐艦「ラッセン」(9200トン)を 中国が「領海」と主張する人工島の12カイリ(約22キロ)内に派遣したと報じました。

しかし、1隻ではそれほどの効果はないでしょうし、ほとんど島が要塞化されつつある現状では遅すぎた感があります。

 やはり、オバマ大統領の弱腰外交がここまで事態が拡大してしまった遠因なのでしょう。
これで、オバマ氏が遺す最大の政治的遺産は、「アメリカが世界の警察官」だった栄光の歴史を返上し、「海洋強国建設」→「中華民族の偉大なる復興の実現」という 中国の野望を加速させた張本人、ということになりました。

 中国の覇権主義が最大に膨張したときに、たまたまアメリカ大統領がオバマ氏だったことは、のちのち東アジアの不安定化が拡大したとき、大いに悔やまれるべき歴史のめぐり合わせだった、 苦い記憶となるでしょう。      もしオバマ氏が強力なリーダーシップがとれる指導者だったら、 今度の中国海洋進出をアメリカはやすやすと許さなかったかもしれません。  中国の野望を加速させたオバマ大統領の責任は重大です。

 オバマ氏の弱腰外交はそれだけに留まりません。 2013年、内戦が激化したシリアのアサド政権が、化学兵器を使えば「レッドライン」を越えたと見なし、 断固たる懲罰軍事行動を加える、とタンカを切りました。

 ところが、オバマ氏はイザとなったら、「アメリカは世界の警察ではない」、「軍事介入はしない」、と演説し、議会に対シリア攻撃権限の承認を求めたのです。   米軍最高司令官たる大統領の政治決断の責任を、議会にも負わせる、というオバマ流弱腰外交姿勢を晒してしまったわけです。   これは米国大統領による近代稀な戦略的失敗とされ、ロシアによるシリア介入を招きました。

 リベラルを前面にだすタイプが指導者になると、世界のアチコチに紛争が起こり、混沌さが増す、というのは真実のようです。

 米紙のある著名コラムニストが、中東でも目を覆うばかりの失策のヤマを築き上げるオバマ氏の“戦略”を、 《抑制ドクトリン(ドクトリンは教義・主義)》と表現しました。


軍事大国化する中国にどう対峙していくか

 2018年現在、中国は経済力を背景に多額の軍事費により中国空母戦力や潜水艦戦力を着々と増強させ、 日本にプレッシャーを与えています。

 ロイターは、日本が現在直面する軍事的脅威は直接的には北朝鮮のミサイルかもしれないが、中長期的な視点に立てば、 急速に軍事力を強化している中国こそが最大の仮想敵国だとしました。

 これに対し日本政府も「いずも型護衛艦」の空母化や艦載機F35Bの導入などに加え、水陸両用装備やドローン偵察機の導入、より長距離から目標を叩くことのできる武器弾薬の装備などが急務としています。

 しかし、急拡大する中国の軍事力に追従して真正面から軍拡競争をするのは現実的には無謀ですし財政的にも不可能です。 やはり米軍と連携しつつ、 中国がいずれは内部対立や経済の低調によって弱体するのを待つしか道はないでしょう。

 先の太平洋戦争では、強大な米国から経済戦争を仕掛けられた日本が、生き残るためやむにやまれず戦いに打って出て、 やがて敗れていく運命を辿りました。   軍事力を備えた中国が、あの時の米国のように、この先いつ日本に対し無理難題を突きつけてくるかわかりません。

 軍事大国化する中国にどう対峙していくのか、ジッと我慢して脅威が過ぎ去るのを待つ、といった精神論では、現実の脅威に対抗しきれないのは先の戦争の教訓でも明らかです。   はたして、日本はどこまで耐えられるでしょうか。(2018.8.7)


  

南シナ海での米中紛争は起こらない

 「サラミ戦術」によって中国が南沙諸島を強固な軍事拠点としてしまった今、 もはや世界は中国に強力な軍事的圧迫を加えるどころか、中国が着々と手にしてしまった東アジア地域、とりわけ南シナ海での軍事的優勢を切り崩すことは容易ではない状況になっています。

 いまや、米海軍が南シナ海でFONOP(Freedom Of Navigation OPeration:「航行の自由作戦」)を実施すると、 それに対して中国は「アメリカの軍事的脅威からの自衛」を口実にして、 ますます西沙諸島や南沙人工島の軍備を強化する、というイタチごっこが続いている状況です。

 米軍関係者の間でも、中国が巨費を投じて創り出した人工島海洋基地から中国軍を撤収させるには、米中戦争に打ち勝つしか選択肢はない、 ということがもはや常識となっているとされます。

 トランプ政権や米連邦議会、それに米軍当局が、アメリカの領土ではない、取るに足らない極東アジアの「ちっぽけな環礁」(それもほとんどのアメリカ人が知らない場所) を巡る紛争に介入して、 米中戦争に突入する意思決定を下す公算などゼロに近いわけです。 米中戦争の危険を冒してまで南シナ海にアメリカが本格的に軍事介入する可能性は ゼロと考えねばならないのです。

 日本の国防関係者の一部には、「いったん敵に島嶼(とうしょ《島・は大きなしま、嶼・は小さなしまの意》大小のしまじま)を取らせて、 しかる後にその島嶼を奪還する」というアイデアを口にする向きがあるといいます。

 しかし、いったん占領されてしまったら、多数の長射程ミサイルが日本を射程に収め、日本全土に降り注ぐ状況下となります。 いったん取られた島嶼を取り戻す方策は存在しない、 と考えるべきです。(2018.8.8 msnニュース 【南シナ海の教訓、中国に取られたらもう取り返せない】 引用)


  

変化する米国の対中国政策

 第二次世界大戦後、マッカーサーは米上院聴聞会での証言で、「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは 共産勢力を中国で増大させたことだ。  次の100年で代償を払わなければならないだろう」と述べたそうです。

 過去アメリカの戦略は西太平洋を米国のコントロール下に置くため、中国に対して南シナ海に防衛ラインを築き、 南シナ海を中国が支配しようとすれば断固これを叩くべき、というものでした。

 しかし、近年中国は西太平洋とくに中国近海において猛烈な勢いで海軍力を増強し、対艦ミサイルなどの配備を強化しています。   このままアメリカ軍がそれらを上回る軍事力、防衛力を維持しようとするならば、膨大なコストを負担しなければならなくなる、という従来の防衛政策とは異なる見方が米国内に出ています。

 中国がアメリカ本土に攻撃を仕掛けてくると思うアメリカ人はほとんどいないわけで、こんな中、なぜアメリカ軍は多額の負担をかかえ西太平洋でプレゼンス(軍事的な"存在")を維持する必要があるのか、 世界第二位の経済大国・中国を挑発せずビジネスパートナーとしてうまく中国とつき合っていけばよいではないか、と米国民が考えるのは当然です。

 習近平主席は、「アジア人のためのアジア」を標榜し、アジアからアメリカを排除すべきと主張しています。    2017年トランプ大統領訪中の際、中国ビジネスで巨利を得たキッシンジャー氏は、もっと中国の立場に寄り添って考えろと トランプ氏にアドバイスしたと言われます。

 大統領も含めアメリカの国益よりビジネスの利益を優先する勢力が実権を握る米国内の現状では、いつまでも米国頼りのままでは日本はいずれ中国に抗えない国になってしまいます。    中華民族復興を掲げる習近平は、日本民族の評判を落とすため日本悪辣説(櫻井よしこ氏)を今後もますます周知徹底させてくるはずです。(2017.12)

 米国はしたたかな国ですから、中国が力をつけてきた現状ではいたずらに刺激せず、日本をアメリカの被保護国のまま中国への警戒砦とする一方、 中国と米国はユーラシア大陸の同盟国として、仲良く発展していく方向でアジアをコントロールしていくはずです。

ブレデンスキー氏は米中同盟論を唱え、米国を「グローバルパワー」、中国を「地域的パワー」と位置づけ、 米中両国はともにユーラシアでお互いを必要とする関係を構築し、いずれ自然と相手同士を同盟国とみなすに至る、と述べたそうです。

そのため、日本は「文民国家」としてこの先もずっと米国の被保護国となり、おとなしく平和を唱えていればいいのであって、中国と対抗する軍事パワーを持つような動きは困る、 と氏は考えているようです。

 2016年11月の米国大統領選挙で共和党のドナルド・トランプ候補が大方の予想を裏切って勝利を飾りました。  オバマ政権下で政治膠着(こうちゃく)と腐敗に失望していた米国民でしたが、不満が高まり過ぎると、人々は独裁的要素を持った主導者を待望するようになる、 という過去の例にもれず既存の政治家にない実行力を期待し、創造的破壊者としてトランプ氏を選んだわけです。

 日本はそのような動きを捉え、アメリカのプレゼンス低下は自分たち自身で補っていくという選択に迫られます。   そのためには、過去の日米二国間同盟から、中国に対峙するアジア周辺各国と連携した多国間連携という新たな防衛体制を構築するとともに、中国や北朝鮮の動向次第では 軍事支出の大幅な増大を迫られることになっていくでしょう。(2016.11.13)


パシフィズム(平和主義)の危険性

 2018年5月に来日したフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏は、「なぜ戦争になるのか。 それは勢力均衡が破綻したときだ」として 日本の核武装の必要性に言及しています。

 氏はソ連崩壊や米大統領選のトランプ氏勝利などを「予言」したことで世界的に著名な方で、自らを「フランス人の左派かつ平和主義者で、戦争は嫌い」としていますが、 「再武装をしないことが戦争の近道になる」のだから「隣に拡大する勢力があるのなら、再武装するしかない」という考えです。

 北朝鮮はいくら世界中が止めろと叫ぼうが、核を搭載できるミサイル開発を止めず、何度も日本周辺にミサイルをぶっ放しています。  核ミサイル戦の脅威は、2国とも壊滅するとの考え方(相互確証破壊)が基礎にあり、そのため互いは容易に核戦争に踏み込めないわけです。  北朝鮮は一刻も早くその手段を手に入れアメリカと対等の立場になろうと必死なのです。

 中国は、いくらわが国の領海だと警告しても無視し、尖閣諸島や日本周辺の海域において領海侵犯を繰り返し、一触即発の事態が続いています。   いくら話し合いが大切だと唱えようが、無法者は相手が弱いと見なせば武力で襲い掛かってきます。  元寇でモンゴル帝国をはねつけた北条時宗のような、 毅然とした対応をとれる国家だけが独立国として生き残れるのです。

 いま囁かれているのは北朝鮮が核弾頭搭載の弾道ミサイルを実戦配備するなど核兵器による攻撃能力を持つ前に、軍事的攻撃で核を無力化しようという「予防戦争」です。   「米国の政策の目標は、今後より強力になる北朝鮮による偶発的核戦争のリスクを除去すること」、という声が日増しに高まっています。(2017.12.19)

 2018年5月、何を仕出かすか予測不能のトランプ大統領に空爆されるのを恐れたか、 北朝鮮は突然米朝対話の用意があると言い出しました。   6月12日にシンガポールで首脳会談の予定とのことですが、 ただし金正恩のこの動きは決して平和のためのものではないことを知っておく必要があります。

 案の定、16日には北朝鮮は米韓合同軍事演習「マックス・サンダー(Max Thunder)」を理由に、同日予定されていた南北高官級会談も中止。  首脳会談を中止する可能性があると警告します。

 例によってお得意の揺さぶりをかけ会談を有利に運ぶ腹つもりでしょうが、お調子者のトランプ大統領と「東京をミサイルで火の海にする」と脅かす冷酷な独裁者の話し合いから、 本当の平和実現に向けた道筋がみつかるのでしょうか。(2018.5.16)....その後、米朝首脳会談は一旦中止になりましたが、無事(?)開催されています。


 

日本は中国に蓋をする防波堤

 この地図で一目瞭然ですが、ユーラシア大陸側の中国、ロシア、北朝鮮から見た日本列島は、太平洋に進出しようとする共産主義国家に対し砦・防波堤の役目を果たしています。
海洋進出を図る国からすれば日本列島が長い壁として存在しているわけです。

 2017年、北朝鮮による核ミサイル連続発射実験の際、北朝鮮に対し世界中が制裁処置で石油輸出停止などの経済封鎖をかけましたが、中国は裏でこっそりと石油を提供し続け、 北朝鮮から物資を買い続け、支援は止めませんでした。

 中国にとって北朝鮮は身内であり、アメリカにとって砦の役目となっている日本と同様に、中国の防波堤は北朝鮮なのですから手放す気など無いわけです。

もし現状(2015)でアメリカが日本・沖縄から撤退してしまえば、虎視眈々と東アジア・西太平洋地域支配を企てている中国が、恫喝外交のキバを剥き始め、 あらゆる手段で地域の主導権を握ろうとするのは間違いありません。   周辺諸国に暗雲が立ち込めつつあります。

 米国がこの地域から手を引けば、日本も中国の動きに対応するため、社会保障費を削り軍備の拡充に努めざるを得なくなります。     そうなるとロシアや韓国も、中国や日本がこの地域の覇権を確立するのを黙認するはずはありませんから、極東で大変な軍拡競争が起き、 必ず一触即発の事態が勃発します。

こんな悪夢を回避するには、やはりアメリカが地域安全の重石となっている、 という現実を受け入れ安全保障のパートナーとして米国とはこれからも仲良くする道が最善なわけです。

在日米軍の存在は、極東地域の紛争予防にとって今や必要不可欠となっており、
もし日本から米軍がいなくなる事態になれば、極東が新たな紛争地域になってしまう........
という悪夢のシナリオも決して夢物語ではなくなります。


イザというとき、アメリカに助けてもらえる?

 中国が東アジア地域を支配しようと虎視眈々と日本周辺にも食指を伸ばしつつある昨今、我々日本人にはナゼか、いざ日本が他国から侵略攻撃を受けそうになったとしても、 アメリカ軍が日本を守るため前面に出て戦ってくれる、というイメージがあります。

 しかし残念ながらそんな甘い考えは通用しないようで、イザというときに後方支援ぐらいはしてくれるかも知れませんが、あくまで正面で受けて戦い血を流すのは日本国民、 ということは覚悟しておかなければなりません。 もし同盟解体となれば軍事バランスの均衡は崩れ「米軍が日本から撤退すれば、 すぐにでも中国は尖閣に上陸する」事態も起こりえます。

 さらに、激動する世界情勢の最中、アメリカがこの先いつまでも嫌中親日の立場をとり続けるかは誰も分かりません。   いつ米国が日本を見限り、対中国政策を見直すかは予測不可能なのです。

 中国がアメリカ本土に攻撃を仕掛けてくると本気で考えるアメリカ人はほとんどいないわけで、なぜアメリカ軍は多額の負担をかかえ西太平洋でプレゼンス(軍事的な"存在")を維持する必要があるのか、 それより世界第二位の経済大国・中国を挑発せずビジネスパートナーとしてうまく中国とつき合っていけばよいではないか、と米国民が考えるのも無理はないのです。

 日本人の誰しもが争い事は好みません。 ましてや戦争に結びつく他国との争いなど毛頭望みません。  戦争などもってのほかですが、 しかしいずれ尖閣諸島や沖縄を日本から奪おうと跋扈する中国に対して、「武力行使」が禁じられたままの現行憲法がそれに対処していないのなら、 紛争拡大前に手を打てるよう憲法改正しよう、という動きが出るのは当然のことです。

 付和雷同型で他人任せの好きな日本人は、『戦うより外交努力で話し合えばいいじゃないか...』、などと発言する能天気な輩もいますが、外交とは片手に棍棒(武力)を持った話し合いであり、 相手と同等以上の強い棍棒がなかったら、相手は好き勝手に自分のやりたいようにやるだけだ、というのが国際常識です。

 『そのために日本はアメリカと安保条約を結び、用心棒代も払っているからドンパチはまかせておけば』、という意見も楽観的過ぎます。     どこに自分で戦おうともしないヨソの国の民族のために、真っ先に自分たちの血を流す軍隊があるでしょうか。   そもそもアメリカは日本を防衛するため日本に駐留しているわけではないのですから。


日米安保条約......瓶の蓋理論

 「瓶の蓋理論」とは、米国の一部で安保条約の必要性を相手に訴える際にしばしば言及される言葉です。 かといってこれは安保条約の恩恵を受けている日本を利する意味で使われるわけではありません。  敵対する相手に日米安保条約を納得させるための都合のいい論法なのです。

 この言葉の背景には、『もし米軍が撤退したら日本は軍備を強化する。  日米安保条約はその日本の軍国主義化を封じ込む蓋である』、という考えがあります。

 沖縄は1972年(昭和47年)5月15日に日本に返還されましたが、日本に返還される前の沖縄には米軍の核兵器が配備されていました。

 1971年7月、中国を極秘訪問したキッシンジャーは、周恩来首相から『沖縄から核兵器が撤廃されたら、今度は日本が核武装するのでは』と問われた際、 『日本に核武装させるわけはない。 我々が日米安保条約を堅持する理由は、この条約によって日本の軍国主義化を封じ込めるためだ』、と米国の都合のいい論法で煙にまいたとされます。

 周恩来首相は、『米国が沖縄を日本に返還すると、米軍は沖縄から撤退するのでは』、と本気で心配していたといいます。  平和国家の我々日本人には不可解なことに、 当時中国は日本が再び軍国主義化することを極度に恐れていたわけです。  この考えは日本の軍事力に敏感な今の中国でも根強い考えかも........。

 たしかに、アメリカでさえ日本の敗戦後、アジアにおいて欧米列強国が繰り広げていた帝国主義の終焉を早めさせたこの忌々しい日本に対し、 この島国の連中が再び戦いの場に出て来れないよう武力を持つことすら禁じる、新日本国憲法を作ったほどですから、 日本という国は油断ならない相手だったのでしょう。(2018.7.9)


武力行使できなかった日本

 日本の敗戦後、アメリカの思惑で作られた憲法により制定された、 「戦力は保持せず....国の交戦権は、これを認めない」、というシバリのため、たとえ中国・北朝鮮から武力攻撃を受けようが、 自衛隊を保有していても余程のことが無い限り抵抗は一切出来ずにいました。

 2017年現在、尖閣諸島周辺の東シナ海においても、「尖閣諸島領有権問題」、「ガス田の権益確保」などで中国軍と自衛隊がにらみ合っており、 中国軍が海上自衛隊のP3C哨戒機に速射砲の照準を合わせ、撃墜の威嚇行動を取るなど、 本来なら即交戦状態となる挑発行為を平気で仕掛けてきています。

あの連中は、日本の自衛隊が法整備の不備により武器の使用が制限され、自分たちに絶対手出し出来ないことを承知の上で、 やりたい放題のフザケタ行動をしています。

自衛隊員たちは、自分が撃たれてからでないと応戦出来ない、という現行憲法の縛りで、 命の危険に晒されながら危険任務に従事している現状にあるわけです。 (現代戦では、先に相手から攻撃されてしまえば、生き延びるチャンスはまずありません.....)

このまま中国に好き勝手な挑発行為を許しておくと、いずれ調子に乗った連中の行動がますますエスカレートし、やがて偶発的な発砲騒動から戦いの火蓋が切られていく、 という恐ろしいシナリオが現実味を帯びてきます。

「日本を自主独立の強い国にさせない」、というアメリカの目論みで作られた、世界に誇る平和主義憲法の金科玉条である「国の交戦権否定」、「武力行使は出来ない」規則が、 回りまわって中国の脅威に対する手かせ足かせとなり、「集団的自衛権」の問題がアメリカとの共同作戦に影を落す、というホントに困った現状になっているのです。

せっかく優秀な装備を持った自衛隊なのに、領土領海を脅かす中国軍のやりたい放題の横暴に何の対抗処置も取れない、という今の情けない現状を打開し、 一触即発の事態を起こさせないためにも、一刻も早い憲法の見直しと法整備が必要なのではないでしょうか。   日本もやっと、徐々にではありますが有事立法の整備が整備されつつあります。

国際貢献のため海外に派遣されるようなった自衛隊ですが、徐々に現実に対応できるよう法整備が進んでいます。       テロ特措法武器の使用基準も、自分や自衛隊員を守るためだけでなく「自己の管理の下に入った者」にまで広がりました。


ご都合主義の政治家が多すぎる

 自民、社会、さきがけの"自社さ政権"が成立し、首相となった社会党の村山富市氏は、 野党時代には自衛隊は憲法違反と散々訴えておきながら、首相に就いたとたん党の憲法解釈をひっくり返し、 自衛隊は合憲だと明言しました。(平成6年7月の衆院本会議)

 立憲民主党は、2018年12月から工事に着手した米軍普天間飛行場の移設先である名護市辺野古埋め立てに反対しています。  しかし、枝野氏は旧民主党菅直人政権時代、官房長官・沖縄北方担当相として途中入閣し、「内閣としての(辺野古移設の)方針はしっかり進める」、 と記者会見などで繰り返し表明し辺野古移設を容認していたはずです。

 枝野氏は23年2月14日の記者会見でも、「高い機動性や即応性を持った海兵隊が沖縄にいることが抑止力につながっている」、との認識を示していました。   平成26年11月の沖縄県知事選では辺野古埋め立て承認への評価が争点となりましたが、その際民主党県連代表だった喜納昌吉氏が承認撤回を掲げて出馬したのに、 「県民を混乱させ、党の信用を失墜させた」などとして除名処分の手続きを取り仕切ったのは当時の枝野幹事長でした。  辺野古移設に反対したものは許さなかったのです。

 そんな枝野氏ですが、彼は2018年8月29日の党沖縄県連の設立以降「辺野古反対」を政策の重要な柱と位置づけ、「このまま基地建設を続行する状況ではないという判断に至った」と明言し、 「辺野古反対」に豹変(ひょうへん)していきます。

 その枝野氏がいまでは、「安倍政権になってから沖縄の理解を得る努力も進んでいない」、と大見得を切り、国民民主党の玉木雄一郎代表は「民意を踏みにじるもので、強い憤りを感じる」と主張し、 辺野古沿岸部の埋め立てに抗戦を続ける構えをみせています。  枝野氏は那覇市で会見し過去との整合性について「立憲民主党は新しい政党だ」と開き直っています。

 自分達が政権を握っていた鳩山由紀夫政権では、無責任な約束で沖縄県民の感情を振り回した沖縄の信頼を取り戻すことはできず、普天間移設や、 それと事実上セットになった他の米軍基地・施設の返還はまったく進みませんでした。   そんなことは棚に上げ、「安倍政権になってから沖縄の理解を得る努力も進んでいない」、と主張しています。

 旧民主党政権下で辺野古移設を容認した面々も、いまではシャアシャアと沖縄県に歩調を合わせているわけですが、政権担当時の自分たちの無策を棚に上げて政権批判ができるのはどういう神経でしょうか。

 現安倍政権は沖縄との関係を修復し、慎重に手順を踏んで仲井真氏による埋め立て承認を導いています。  移設計画の前進に伴い、米海兵隊北部訓練場(東村、国頭村)の半分以上にあたる約4千ヘクタールの返還など沖縄の基地負担軽減も進んでいます。

 ところが枝野氏は現在では「海兵隊の役割がこの5年で大きく変化した」とし、米国との交渉次第で辺野古の工事を止めつつ普天間返還が可能になると説くのですから、 ご都合主義もいいかげんにしてもらいたいものです。(2018.12.24 THE SANKEI NEWS 引用)

 変わり身の速さだけがミゴトな政治家は日本国に必要ありません。  風雲急を告げる中国との関係や、老齢化社会への対応が急がれる昨今、日本の安全保障について真剣に政策を考える真っ当な政治家の出現が望まれます。


本土決戦による一億総玉砕への道

 万が一の戦いに備えるといっても、平和ボケたちのいう専守防衛では意味がありません。  一億総玉砕を唱えた大東亜戦争のときでさえ、 米軍上陸が計画され日本本土が戦場となる寸前、 それを回避するため日本はアメリカに無条件降伏しました。

 日本国内で戦ういわゆる「本土決戦」の事態になってしまえば、本当に「一億総玉砕」の事態に陥る恐れがあるからこそ、 軍人たちの猛反対があっても天皇陛下の英断で「本土決戦」を避けたのです。   日本という国が地球上から消えることを恐れたのです。

 万が一の戦いにおいて、敵を迎撃・殲滅するのに国内まで黙って誘い込むバカはいません。  敵は可能な限り本土より遠方で迎撃するというスタンドオフ攻撃(後述)が戦いの常識であり、 国民の被害を最小限に食い止めるやりかたです。  「本土決戦」=「一億総玉砕」は絶対に避けなければならないからです。

 2015年4月に改定された、日米防衛協力のための指針=新ガイドラインでは、《自衛隊は、日本を防衛するため、弾道ミサイル防衛作戦を主体的に実施する。 米軍は自衛隊の作戦を支援し補完するための作戦を実施する》  とされています。  全面戦争を除く《弾道ミサイル防衛作戦》においては、日米《共同作戦》の下、自衛隊が《主体》となる、というわけです。  もう米軍は日本の代わりに敵基地攻撃する役目は放棄したのです。

 これで日本国土を守るのは日本の自衛隊しかいない、という現状に日本は立たされました。  安全を他人任せにすることはもう許されず、自分の身は自分で守るしかなくなったのです。

 平和ボケが続く日本では、今回の安保法制改正は、"日本を戦争のできる国にする"ことに繋がる、と反対する勢力がいますが、平和ボケたちと無理心中する気はありません。

 中国の侵攻意図を未然にくじき、海洋国家として生き残るためにも、日本国民の安全を確保するため安全保障には大いに力を注いでもらいたいものです。(2017.12)


国際貢献に不可欠な軍事力

 従来、日本は戦争の放棄・戦力の不保持という平和憲法に守られ、世界中で繰り広げられている紛争とは無縁の世界で生きてこれました。

 しかし、1991年の湾岸戦争勃発の際、各国が多国籍軍として人員や資金供出で貢献した中、日本は自衛隊を派遣しなかったことが世界から非難されます。     さらに日本が約130億ドルもの財政支援をしたにも関わらず、戦後クウェート政府が出した感謝広告、「クウェート解放のために努力してくれた国々」、 の中にjapanの名前はありませんでした。

 「金を出すだけでは世界は認めてくれない」、「自分の国さえ平和であればよいとの一国平和主義の考え方では、わが国の平和を守ることができない」、 という厳しい現実に直面した日本は、以後、国連の平和維持活動に積極的に参加していきます。

 後方支援・復興支援としては、1991年(平成3年)ペルシャ湾に自衛隊派遣したことを皮切りに、 2001年(平成13年)燃料補給などの後方支援に自衛隊派遣を可能とする法律、「テロ対策特措法」が成立しインド洋へ派遣。

  2004年(平成16年)〜2008年(平成20年)はイラク復興支援。  2010年(平成22年)までは「新テロ対策特措法」により再びインド洋派遣されるなど、 海外派遣を徐々に拡大してきました。

 国際連合平和維持活動(PKO)としては、1992年(平成4年)自衛隊をカンボジア派遣。   1993年(平成4年)モザンビークなどその後も世界各地に派遣を拡大します。   また、難民救援活動として、ルワンダ紛争、アフガニスタン紛争、イラク戦争などに空輸部隊も派遣しています。

 それ以外にも、国際緊急援助隊在外邦人輸送海賊対処災害派遣などの様々な活動を展開。  いつの間にか自衛隊は世界各地に派遣されるようになりました。    ただし、いまのところ戦闘行為は行わない、武力紛争に巻き込まれてはいけないという前提のため、戦闘地帯には入らないことになっています。

 外交のルーツとしても不可欠な軍隊ですが、政府や外務省の中にも当然、「外交のツールとして自衛隊を使いたい」という考えはあるわけです。    2015年、歴代内閣の憲法解釈を変更する形で集団的自衛権の行使を容認する法案が成立することになりました。


  

海外派遣で自衛隊員が戦闘に巻き込まれる?

 昨今は、国際情勢の変化により、自衛隊が国際援助の名目で戦闘地域に派遣されるケースが増えて来ました。
(国連平和維持活動(United Nations Peacekeeping Operations:国連PKO)

平和ボケ、当事者意識欠如、事なかれ主義の政治家がまだまだ日本には大勢いるようで、一昔前なら日の丸を掲げ武器を携行した自衛隊が海外で活躍するなど、 左巻きの連中などは想像もできなかったでしょう。

   気がかりなのは、「武力行使は出来ない」、という現行憲法をヘタにいじってしまったら、普通の軍隊と同じになり、 国際協力で戦闘地域に海外派遣された場合、自衛隊も戦闘に巻き込まれてしまうのが当たり前になりはしないか?、という懸念が出てきます。

今まで、「武力行使」を放棄していたからこそ、海外派遣では日本の自衛隊は武力紛争に巻き込まれる恐れが少ない地域を中心にして、 救難、輸送、土木工事などの後方支援(兵站)業務だけを担ってこれました。

 憲法の縛りにより、武力を行使できない平和主義憲法で守られていたからこそ、自衛隊は過去国際紛争の戦闘に巻き込まれることもなく、 幸いなことに誰一人戦闘による死者を出さない(残念ながら、自衛隊員以外のPKO要員の尊い命が失われてしまいましたが....)、 という世界でもまれな軍隊組織でした。

他国の侵略を受けた場合、日本が防衛するためには足かせになってしまう現行憲法も、自衛隊の海外派遣任務に関しては、戦闘に巻き込まれる危険性を回避できる、 それなりに有意義な憲法でもあるわけです。

 それはともかく、問題なのは「日本を自主独立の強い国にさせない」ため「軍事力行使」 が厳しく制限された平和主義憲法により、派遣される隊員たちの生命が危険にさらされていることです。

昔、自衛のための機関銃を持たせるか、持たせないかで大騒ぎした政党がありましたが、こんな不毛な議論を大真面目にやっている国は日本だけでしょう。
憲法の制限と、愚かな政治家たちの思惑のため、万が一の戦闘に巻き込まれた場合にも、対応できる十分な自衛装備を持たせられないまま、 隊員たちが危険地域に派遣されている現実があるわけです。

 軽武装、貧弱な装備で派遣されるため、万が一敵の攻撃を受けた場合、自分たちの身を守れるか不安を感じた隊員もいたかもしれません。
自衛のため、身の安全を確保させるためにも、憲法を整備し十分な武装を与えて派遣させることが必要ではないでしょうか。


  

これからは当たり前になる?............「駆け付け警護」

 駆け付け警護についても内閣法制局はこれまで認めてきませんでしたが、このところ風向きが変わってきたようです。(2015.3)

自衛隊から離れた場所にいる他国部隊や国連職員が襲撃された場合に救援する、というのが「駆け付け警護」ですが自衛隊が駆け付けた先に「国家に準ずる組織」がいれば、 憲法が禁じる「海外での武力行使」に当たる恐れがある、という理屈で認められてこなかったわけです。

しかし、駆け付け警護ができなければ自衛隊を守ることもある他国軍が襲撃された場合であっても、自衛隊は知らぬ顔をしなければならないことになり、 国際社会からみても信頼が失われることになる、ということで「駆け付け警護容認は当然の判断」、とされてきたようです。

 ただ、「駆け付け警護」を一旦認めてしまったら、紛争地域では一歩間違えば自衛隊員たちが激しい戦闘に巻き込まれる危険性が一気に高まります。
 2016年7月、南スーダンの首都ジュバで発生した大規模な戦闘への対応で、現地に展開する国連平和維持活動(PKO)部隊のオンディエキ軍司令官が、 市民保護の任務を果たさなかったとの理由で更迭される事態が起こりました。

この事件は政府軍兵士が宿泊施設に侵入し、約70人の国連職員や援助関係者らに対し略奪や暴行、レイプなどを行い、現地人ジャーナリスト1人が殺害されたというもので、 救援要請を受けたPKO司令部は繰り返し部隊の出動を求めたが、PKO幹部の指揮命令系統の乱れや部隊のリスク回避の姿勢によって適切な対応を取ることができず、 「各部隊は手いっぱいだとして要請を拒否」したことで被害が拡大したようです。

 もし「駆け付け警護」が自衛隊に認められてしまったら、救援要請があれば隊員たちはこんな場面に勇猛果敢に飛び込んでいくしかないわけで、 恐ろしいことですがこれからはPKOで派遣される自衛隊たちから犠牲者が出るのが当たり前、という世界になるかもしれません。

  
  

日本式の国際貢献を

 「日本は、文民や他国部隊の警護等といった、他国部隊であれば国連PKOにおいて当然実施できることすらできない」、という意見もありますが、 武力行使だけが国際貢献ではありませんし、他国の軍隊に真似出来ない優れた技術力があります。

1993年(平成5年)9月、カンボジアに派遣された「日本施設大隊」は、優秀な技術と真面目な態度から、カンボジア国民やUNTAC、関係諸国から高く評価されました。

ある国の内乱が収束後、世界各国にはODAで道路や橋など社会インフラの整備が割り当てられるそうですが、日本が造った道路は揺れが少ないのですぐわかるのだとか。
やはり我々日本人にはどんな場面でも一切手抜きしない、というもって生まれた優れた国民性があるのです。

 1994年(平成6年)9月から12月までの間、ザイール共和国のゴマなどに派遣された自衛隊の医療部隊は、2ヶ月間に延べ2100人の治療と、約70件の手術を行ないました。 治療を受けた住民からは、『日本人は患者を親切に迎え、丁寧に治療してくれます。 医薬品についての知識も豊富で、とても効果的な医療品や設備を持っていて信頼できます』 と感謝されました。

海外派遣任務といっても、日本は武力行使の前面に立ち戦闘行動で国土を荒廃させるより、無政府状態で荒廃した地域の秩序を回復し、 道路整備や医療支援をして経済を復興させるくれるほうが、その国の国民にとってよほど有難いはずで、そのための手伝いに汗を流すべきです。

日本は武力を使わず人を傷つけない』、『日本はインフラ整備など平和的な方法で貢献してくれる』、 というイメージが広がれば、「不戦の平和主義憲法を持つ日本ならではの国際貢献」、が世界中から評価されるでしょう。

 中国の進出が危険視されている現状で安保体制の見直しを急ピッチで進めようとしていますが、敗戦直後には「日本は敗れたが、これを復興するには科学技術をおいてほかはない。  科学技術をもって人類に貢献し、世界の人々が日本を抹殺してしまわないでよかったと思うような日本に立ちなおろうではないか」と当時の賢人たちは考えました。

日本は当時列強による植民地支配が横行していた世界を一変させる、という人類史上でまれに見る偉業を成し遂げた国で、敗戦後は平和主義を頑なに堅持してきました。  敗戦直後の日本人たちは誰しも「戦闘が日常化するような国には絶対にしてはいけない」、と考えたはずです。

自衛のための戦闘といいつつ、いつのまにか米国に軍隊パートナーとして取り込まれてしまい、やがて世界各地の紛争地域に自衛隊が進出していくのが日常茶飯事になってしまう、 という悪夢は絶対に避けなければなりません。


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(*1).....チェンバレンの宥和政策の是非

チャーチルは著書『第二次世界大戦回顧録』の中で、「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、 その後のホロコーストもなかっただろう」と宥和政策の失敗を述べている。

一方、近年のイギリスでは「チェンバレンは宥和政策で稼いだ時間を、軍備増強のために最大限有効活用した。これがなければ、イギリスは史実よりさらに不十分な軍備のまま開戦し、 ドイツを叩き潰すどころか史実よりもさらに苦境に追い込まれ、極言すればスピットファイアなしでバトル・オブ・ブリテンを戦う(そして敗れる)ことになっていただろう」という肯定的な意見もある。 (Wikipedia)



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