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日本人の気質

  昨今はそうでもない部分も随分あるようですが、日本人は世界から見て規律がしっかりしている民族などと言われます。   たとえ大災害に見舞われても、スーパー、コンビニに群集が殺到し略奪するなどという暴動が起きることはありません。  タクシーで忘れ物をしてもほとんどは落とし主に戻るといわれます。

 西洋人というのを骨の髄まで知り尽くした、と豪語される高尾慶子氏の著書「イギリス人はおかしい」の中に、 「.....英国で、人々が働くとき、彼らは依頼されたり、命令された以上のことはしない。  日本人のように、これもついでにしてあげようと、ついで親切はまずしない。  なぜか? ついでにしてあげても、誰も感謝しないからだ。......」という件があります。

 イギリスでは何事も待たされるのが当たり前、電化製品の修理でもすぐ来てもらえることなどまずありえないそうですが、日本は時間厳守は当たり前であり、 交通機関が1分でも遅れたりしたら運行者が乗客に謝罪する国です。  もし日本でイギリスのような対応をしたら、早晩そのお店は廃業に追い込まれてしまうでしょう。   国民はまだまだ勤労意欲が旺盛で、 どこかの国のような終業のベルが鳴ったらたとえ締めかけのネジがあってもほったらかして作業終了する、などという人間はいません。

 日本人には相手に何かやってもらってもアリガトウ一つ言わない、という偏屈人間はあまり見かけません。  最近はどうかは分かりませんが......。  むしろ、なんにでもつい「アッ、スイマセン....」などと必要以上に相手に謙る人が多いのはたしかですね。  《謙る(へりくだる)....相手を敬って自分を控えめにする。謙遜する。》

 こういう気質を、すぐ謝る、卑屈だ、とマイナス視するより、これこそが、"和を持って尊し"とする、我々大和民族の美点ではないでしょうか。   「人口5000万人以上を抱える単一民族国家は、世界では大和民族と朝鮮民族しかいない」と言われますが、島国日本はこれまで太平洋戦争敗戦による米軍の一時的な占領時期を除き、 外来民族に占領、侵略されたことはなく、日本独特の文化を築いてきました。

 日本人の呑気すぎるともいえる鷹揚さや、相手も善人であろうと考えてしまう性善説の気質は、穏やかな気候風土と自然豊かな国土に恵まれ、四季がはっきりしていて季節の移ろいを肌で感じられ、 全国どこでも春には桜、秋には紅葉を愛でる営みを連綿と続けてきた、我々大和民族に共通のものなのでしょう。   日本は世界一の楽園かもしれません。(2018.6.21)

 しかし、残念ながら、昨今の日本人の中には、古き良き時代の大和民族気質などすっすり失ってしまい、自分の私利私欲のためなら魂まで売りかねない 売国政治家が堂々と跋扈する、おかしな世の中となってしまっています。(2021.8.31)

 

外国人が感嘆する日本人気質

 昔日本を訪れた外国人も、日本についての好印象を書き残しています。 ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、 『シュリーマン旅行記 清国・日本』の中で、「....この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序がある....」、 と日本を絶賛しています。

 室町時代の末、日本を訪れたフランシスコ・ザビエルも、「これほど理性の声に従順な国民はない」と感嘆したといいます。   幕末期に日本を訪れたある外国人は、「子供達は男女を問わず、貧富を問わず、学校で読み書きを学んでいる。 もっとも賤しい農夫でも学んでいる。  彼等が我々より進歩していることは明らかと思われる」、という印象を持ったそうです。

 1922年10月から翌年3月にかけ日本や中国などを旅行した、天才の代名詞ともなっている一般相対性理論などの理論で有名なアルベルト・アインシュタインは、 その際の印象を日記に残しています。  その中で、日本人について「品行方正で敬愛すべき国」、「素朴で感じが良く魅力的」、「世界的にも珍しい誠意を持っている」、 「各自が祖国を愛している」などと、我々がくすぐったくなるような称賛を贈ってくれています。

 1922年11月に日本を訪問したアインシュタインは、歴史と伝統が息づく日本文明を目の当たりにし大変な感銘を受けたといいます。  そして次の言葉を残したそうです。  こちらは日記ではなさそうです。

近代日本の発展ほど世界を驚かせたものは無い。  一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。   私はこのような尊い国が世界に一ヶ所ぐらいなくてはならないと考えていた。   世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。
 そのとき人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。  この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、 あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。
  世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。  それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。   我々は神に感謝する。 我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを』(新歴史の真実・前野徹)。

 こんな言葉はどの文献にも書かれていない、などとムキになって否定する反日たちもいますが、アインシュタインは日本の天皇制と国民性に対し憧れと好感を抱いたのは確かと言われます。   そのアインシュタインが世界平和を望んでいたのも間違いないでしょうから、ここは素直に日本民族に対する叱咤激励と捉えておいても良いのでは。(2018.6.21)


日本人の規範意識.......武士道精神

 諸外国の道徳教育というものは、宗教教育が定めた規範に個人を従わせる、というやり方のようですが、宗教教育とは無縁の日本人には、 宗教など何かに縛られているから規律を守るという概念はありません。

 国際連盟事務局次長なども務めた新渡戸稲造(*3)は、ベルギー人法学者夫妻と散歩中に、日本人は宗教教育なしでどうして道徳教育を授けるのか、 と質問されます。

 この質問に即座に答えることのできなかった新渡戸は、その後自身の「正邪善悪」の観念を形成しているものが 幼少期に身に着けた武士道であることに気づき、やがて明治32年英語で『武士道』(BUSHIDO: The Soul of Japan)』を著します。

 1900年にアメリカで出版されるとたちまち反響を呼び、フランス語・スペイン語など各国の言語に訳されました。  アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルト(1858〜1919年)も、徹夜で読みふけるほど感銘を受けたといいます。

 武士道とは鎌倉時代の戦(いくさ)における掟として成立したもので、広義には根本的な善悪、良心の判断という日本独自の常識的な考え方のベースと位置づけられます。    この武士道の精神が庶民の生活にも影響を与え広がり、やがて時代がくだり江戸時代に芝居など通じてますます洗練されていきます。

 武士道精神というものが誠実、慈愛、惻隠、忍耐、礼節、名誉、孝行、公の精神、などという「日本精神」とも呼べる卑怯を憎む精神 をもつ民族を醸成してきたわけです。

 自分だけ良い思いは出来ない、 卑怯とか卑劣な行為に本質的に嫌悪感を抱く、このような我々の感覚は何らかの決まりがあってそう感じるのではなく、もともと我々日本人に自然に備わっている、 倫理的にはなかなか説明できない部分です。 このような日本人の規範意識(*4)を、 藤原正彦氏は「武士道精神に根ざしている」ためであると指摘されています。(2018.6.21)

 ただ、規範意識が育つのは、それが正義、善に基づいている、という根本的な条件が必要です。 中国には「上に政策あれば下に対策あり」という言葉があります。   "中国人は行列に割り込む"、と言われてしまうのも、中国人にとってルールなどというものは支配階級から下された往々にして理不尽なお達しであり、 そんなものは自分の都合の良いように解釈するものだ、という社会が形作られてしまっているお国事情があるからなのでしょう。(2019.8.8)

 安政、万延、慶応のころ幕臣として西洋に派遣された使節団は数多くあります。  山本夏彦氏は、『.....好奇心をかくして観察するうちそのマナーは自分達とは違うが、それと同等または以上であると見るものは見た。     着ているものは地味ではあるが絹布である。  大小の柄、それにさした小柄(こづか)の細工、鞘、驚嘆すべき工芸品である。   その体躯は矮小ではあっても、これは明らかな文明人であると、 新聞は絵入でいっせいに書きたてた。(世は〆切)』、と武士団の毅然とした態度に西洋人が感銘を受けた様子を書いています。(2021.6.21)


「いさぎよさ」

 日本人の気質のひとつに、「いさぎよさ」という面が有ります。 桜がパッと咲いて、アッという間に散っていくあの感覚でしょうか。   自己顕示せず、"ものの道理"を優先させ、「常に相手の感情」を推し量り、 自分の都合だけでは物事の善悪を判断しない、......逆にこれが「淡白」だとか「諦めが早い」などと指摘される部分に通じるところなのでしょう。

 相手の感情を推し量るという日本人気質は、のちに安倍首相の奥さんが巻き込まれた『森友・加計学園問題』で、 「忖度(そんたく)」という流行語になってしまい、悪い意味で有名になってしまいましたが。

 .......閑話休題。 中国や韓国は、戦後何十年たとうが日本によって国土を侵略された恨みを声高に叫び続けています。 しかし、過去の歴史の一部だけ取り上げ、 戦後70年以上も過ぎた今、相手をいつまでも批判し続けても何の意味もありません。

 日本もあの戦争ではアメリカによって大量殺戮兵器・原爆を二度も投下され、大勢の一般市民が犠牲となりました。 しかし、もしそれを恨みいつまでもアメリカと対立していたら、 今の日本の発展はありませんでした。

 日本は、過去の戦争においてアジア・アフリカを統治してきた西洋国家と渡り合い 激しい植民地化競争を生き抜き、 白人国家をアジアの地から追い払い、アジア諸民族を独立へと導いた、 人類史上に残る偉業を達成した国であることは歴史の事実なのです。

 どんな相手であれ、過去に起こった出来事を蒸し返すだけでは、互いの良好な関係はいつまで経とうが築くことは出来ません。   いかなる惨劇でも、それを歴史の一齣(こま)として受け入れなければ、将来への道は閉ざされたままになってしまいます。

 こういう考えは、日本人であれば誰もが自然に理解できますが、中国・韓国がいつまでたっても世界の一流国と認められないのは、 相手を理解しようとせず自分さえよければ良しとする国民性もあるのかも知れません。(2018.6.21)

   

日本と比較されてしまう中国

 近代以前、中国を経由して日本に向かった外国人の文献には、中国人と日本を比較したものが多く、 「高い教養と西洋人も及ばない品格」、と日本人を賞賛したイギリス外交官・エリンギ伯爵のように、中国人と余りにも異なる日本人の振る舞いに驚嘆した外国人も多かったようです。

 特に、ワイロや袖の下というお金にまつわる話しに諸外国と日本の違いを感じるようで、ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、『シュリーマン旅行記 清国・日本』の中で、 停泊中の船から横浜に上陸するため、小船に乗ったときのことを、

「....船頭は私を埠頭の一つに下ろすと『テンポー(天保銭)』と言いながら指を四本かざしてみせた。  労賃として四天保銭(十三スー)を請求したのである。    これには大いに驚いた。  それではぎりぎりの値ではないか。 シナの船頭たちは少なくともこの四倍はふっかけてきたし、だから私も、不平不満はつきものだと考えていた....」、と驚いています。

 さらに、税関で荷物をチェックされそうになったときのこと、

「....荷物を解くとなると大仕事だ。  できれば免除してもらいいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(二・五フラン)ずつ出した。  ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて『ニッポンムスコ』と言い、これを拒んだ。   日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである......」、と感心しています。

 なによりシュリーマンを驚かせたのは、日本が封建社会であるにもかかわらず、農民や商人からは不満もあがらず、活気あふれる人々が真面目に働き、秩序だった社会を構築している点でした。    彼は、「....この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序がある....」、と日本を絶賛しています。

 それに対し、外国人の中国人に対する評価は、日本とまるで違い、中国人にとってはなはだ面白くない内容になっています。  アインシュタインの日記には、  「中国人に対して理性的に物事を教えることはできない」、 「男性と女性の差がほとんどない」、「中国人は子どもをたくさん産むが中国人女性のどこに魅力があるのかが分からない」、 「勤勉だが汚くて鈍い」、などと記されていたといいます。

 中国人に対する偏見が色濃く感じられ、差別的な内容が記されているわけですから、かなり衝撃的な内容ではあります。  マア、「もし、中国人が他の民族と取って代わるとしたらとても悲しいことだ」、という部分は当たっているとは思いますが....。

 ただ人道主義者としても知られるアインシュタインとしても、まさか後年日記が世界中に拡散するなどとは思ってもいなかったでしょう。     偏見や差別というよりこれが彼の本音であることは確かで、中国人もこれに理解も示している点もあるようです。    なにしろアインシュタインは自分が見聞きしたものをありのままに書いたに過ぎなかったでしょうから。

 残念なことに、現代でも中韓は国是として、「日本は悪い国という教育」、で国民を洗脳しています。  しかし、彼らが一度日本を訪れると、治安がよく暮らしやすく、 気質も温厚な民族の国であることを実感し、「数十年かけてきた反日の宣伝が、一度の訪日で吹き飛ぶ」、と言われます。  ヨーロッパで暮らす作家の川口マーン恵美氏は、 「世界一の楽園は日本」と言い切っています。  こういう国はそうはないでしょう。(2019.1.26)


  

中国を恐れなかった日本

 古くは西暦607年、推古天皇時代、聖徳太子が東アジアの覇者中国と対等の関係を築こうと、遣隋使の小野妹子に天皇からの国書を持たせ中国皇帝・煬帝(ようだい)に渡します。   これは日本の歴史の中で最も重要な手紙であり、そこには、『日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや』、書かれていました。

 中国周辺諸国がこぞって冊封体制に置かれていた当時、 日本国は古代から中華帝国を対等、ないしそれより上位であるとして、聖徳太子は堂々と決して子分の立場ではないゾ、と宣言したわけです。  ちなみに、 国書について以前は、"中国は『日没する』・つまり夜になる"、と解釈されていましたが、単に東と西という意味であり皇帝もそんなに気にしなかった、というのが最近の学説のようです。

 中国伝統の戦略に、遠くの国を味方にして、近くの国を攻める「遠交近攻策」というものがあります。  当時隋は朝鮮半島の高句麗と戦争中で、 戦いを有利に運ぶため隋は日本を味方にしておきたいはずだ、という聖徳太子の国際情勢の読みもあったわけです。

 さらに、聖徳太子はその翌年に再び隋の皇帝に、「東の天皇、敬(つつ)しみて、西の皇帝に白(もう)す」、という書き出しの国書を送ります。   当時中国は子分だった周辺国のトップには『王』という字を使わせ、中国だけが秦の始皇帝以降『皇帝』と称していました。   『』は中国だけ使える特別な文字だったわけです。

 それを聖徳太子はこれからは『天皇』という字を日本も使うよ、と堂々と宣言したわけです。  天皇には北極星という意味があるそうで、 すべての星が北極星の周りを回るように、国のまとまりの中心という感じがよく表れている言葉です。  中国の皇帝もさぞムカついたでしょうが、 この後も遣隋使は続きましたから、隋は『天皇』という言葉をシブシブ受け入れたわけです。

 聖徳太子は卓越した交渉テクニックと、 一歩も引かないという気概で堂々と大国中国と対峙し、『中国の進んだ文化を吸収しつつ』、『独立国家として中国と対等につきあう』、 という二つのねらいを見事に実現させたわけです。 日本の自立は聖徳太子によって完成したといえます。 いまの日本にも是非このような指導者を頂きたいものです。    その(聖徳太子)が今では日本史教科書には「厩戸王(聖徳太子)」と記され、いずれ(聖徳太子)は削除されると言われます。   反日からすれば日本史に偉大な歴史を担った人物がいるのは許せないのでしょう。(2019.12.23)


  

日本は気宇壮大な誇り高い民族?

 さらに時代は下り、文永11年(1274年・文永の役)と弘安4年(1281年・弘安の役)の2度にわたり、モンゴル帝国(大元朝)の元軍が、日本に侵攻(元寇)を企てますが、 これを見事に撃退し日本の国難を救った英雄と称されるのが、 北条時宗です。

 時宗は当時向かうところ敵なしのモンゴル帝国から、『家来になれ、武力を使わず済ませたいのでよい返事をしろ』と迫られますが、これを毅然として拒否し堂々と受けて立ち、 押し寄せた元軍と真っ向勝負して、彼らを追い払いました。  元寇(蒙古襲来)の勝因は神風だという説がありますが、鎌倉武士の奮闘があったからこその勝利でした。

 その後も西欧列強諸国が『眠れる獅子』と潜在的強さを恐れていた清をアッサリ打ち負かしたり、 イギリスさえも世界最強の陸軍国家と恐れていたロシアに堂々と立ち向かい、 これを打ち破り世界中を驚愕させています。  今では米国に次ぐ大国となった中国ですが、実は近代以降、 中国は日本によって3度も崩壊の憂き目 に会ったという史実があるのです。

 さらに、強い民族が弱い民族を征服してきた人類の歴史の総集編とも言うべき第二次大戦において、 米国と真っ向勝負の戦いを挑み、緒戦では連戦連勝を重ね、東アジアから彼らを追い払い、 帝国主義、 植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打った国です。   あまりの日本の強さに恐れを抱いた米国は、 敗戦後の日本に二度と軍隊を持たせない憲法を制定したほどなのです。

 自画自賛になりますが、我々日本民族という人種は、傑出した指導者達の存在に加え、決して脅しや武力誇示には屈しない不屈の精神を宿している、 気宇壮大(きうそうだい・度量が大きい)な誇り高い民族(だったのかも)かもしれません。  ただし、ザンネンながら現在ではそんな気質はどこかへ失われ、 もうそのような偉大な指導者が登場するのは望むべくもないようですが......。

 秀吉は世界を制する大帝国のスペインに対し、真正面から堂々と「頭を下げて臣下の礼をとって入貢せよ」と迫りました。    昔から日本人という民族は相手がいかに強国であろうが一歩も引かず、毅然として対峙することを繰り返してきた民族ともいえます。(2019.12.23)


日本人が気づかない「日本社会の良さ」

 2019年末から2021年にかけ、世界中で猛威をふるった新型コロナ騒動がありましたが、この騒動では我々人間社会を取り巻く様々な問題点や、いかに脆い社会基盤の上に成り立っていたのか、など思い知らされました。      国別に被害状況に大きなバラツキが見られたのも特徴でした。  生活習慣や衛生観念などがいかに国毎・人種毎に大きく違うか改めて認識できたような気がします。

 日本は感染者数から見ても、先進国中、被害を最も封じ込めに成功した国のひとつだったとだったといえますが、日本では当たり前の、「家に上がる前に靴を脱ぐ」、「挨拶の際にキスや握手をしない」、「人との距離を自然と保つ」、 「マスクを着用することに慣れている」、そして「手を洗う習慣がある(あるいはおしぼりを利用する)」、ことなどが欧米先進国と比べても圧倒的に感染者数が少ないことに影響しているのでしょう。

 これ以外にも、「規律がしっかりしている国」、という面を強く感じます。   台湾では、「日本式という言葉は、ルールを守り、礼儀正しく、人を騙さないことを意味する。   そして、その逆を中国式と言う」、とされています。   見かけだけで国籍を見分けるのは難しい日本人と中国人と韓国人ですが、「集団行動」での立ち振る舞いを見れば、その違いを容易に見分けることができるらしい、 という記事を見かけました。

 ツアーのガイドが何かを話したり指示を出しているとき、「黙って静かに聞いている集団」があれば、それは日本人。  「ツアー参加者同士で話に夢中になっている集団」があれば、それはきっと韓国人。  「声が大きく、ガイドの話を聞いている人がいたり、キョロキョロと周りを見渡していたりと、統率が取れておらず、ばらばらの行動をしている集団」があれば、それは中国人の集団、 ということのようです。(2018.7.17 Searchina)

  日本では政府が強権を発動して有無を言わさず国民を従わせる、などということもなく、一旦政府の要請があれば、 警察にチェックされなくても多くの飲食店は夜10時には閉店します。  要請は出すがあくまで自主性にまかせ、日本人は自然にこれを実施できる民族です。

 外国人もこの部分を強く感じたようで、あるフランス人の感想があります。  このフランス人は日本に永住権を持っているそうですが、 用事で2020年3月にフランスに戻ったそうです。 そして11月に再び日本に戻ってきたとき、「日本でこれまでにないほどの自由を感じた」というのです。(2020.12.20 msnニュース 引用)

 

信じられないほどの開放感を味わえた日本

 フランス滞在中はマクロン大統領は連日のようにテレビで、「何が許されない」のか、「何が閉鎖される」のか、「何が中止される」のか、という厳しいアナウンスを繰り返し、 外出するには、戦時中のように外出理由を記載した「証明書」が必要とされたといいます。  当時のフランスは、人口が日本の半分なのにもかかわらず、コロナによる死亡者がすでに5万5000人に達していました。  日本は2020年末でも3000人前後です。

 実際、フランス政府の政策には首を傾げたくなるものが少なかったといいます。  例えば、一度目のロックダウンでは多くの書店は人数制限を行ったり、顧客間の距離を保つなど感染予防対策を取りながら店を開けていたそうですが、 二度目のロックダウンの際、政府は、書籍は生活必要な必需品に当たらないとして、書店の閉鎖を決めたといいます。

 これに対して書店側が、スーパーや大型店では本の販売ができるのになぜ個店を対象にするのか、と抗議すると、フランス政府は大型店などでも本の販売を禁止し、 さらにアマゾンでも書籍を購入できないよう考えた、というのです。  自由の国といわれるフランスでさえ、国民を守るためと称しひどい官僚主義と中央集権が蔓延り、 国民を脅し、「規則」を守らなければ罰を与える、という恐怖に基づいたシステムができてしまっていた、こんな馬鹿げだことがあるか、と憤慨しています。

 その後日本に帰ってきたら、コロナ禍でも「ワーケーション」のような新しいアイデアを取り入れ、「GoTo」キャンペーンが実施され、多くのお店がオープンし、人々は今までとほぼ同じように仕事をし、子どもたちは公園で遊び、サッカーの試合を観戦しており、 日本の「エネルギー」に大きな感銘を受けたといいます。

 このフランス人からすると、日本で最も重要なのは、他人の目にどう映るか、人が自分たちをどう見るか、という我々日本人に自然に備わっている、「和を以て貴しとなす」気質に通じる部分であり、 これが罰金などよりはるかに強力な抑止力となっており、日本人には大いに自制心があるように見える、としています。  昨今はそうでない日本人もかなり見受けられますが.....。

 さらに、ヨーロッパではコロナウイルスと向き合う姿勢を「闘う(fight)」や「戦争(war)」という言葉で表すが、日本人は神道や仏教の影響なのか、人間は自然の一部であり、 自然は戦う相手ではないとして「withコロナ」という捉え方をしている、としています。

 結論として、『...今回日本に到着したときに感じた、この信じられないほどの開放感と安堵感を、私はこれから先も忘れることはない、(日本に帰ってきた際の)自己隔離中でさえフランスに比べれば天国だった。』、 と総括しています。(2020.12.20 msnニュース 引用)

 

日本人気質を醸成した暮らしやすい気候風土

 21世紀は「水の世紀」といわれます。 日本は水資源が豊富で、ユーラシア大陸の東に位置しているため偏西風の影響が弱く、モンスーンの影響が強いため年降水量は世界平均の2倍以上あり、 また島国であるため、隣国と水資源を巡る争いは基本的に存在しません。

 日本人は「水と安全はタダ」と当たり前に思っていますが、世界の多くの国ではそうではありません。    諸説ありますが、「国土全体において水道水を安全に飲める国」、というのは世界に15ヵ国しかないそうです。

 日本以外は、フィンランド、スウェーデン、アイスランド、アイルランド、ドイツ、オーストリア、スイス、クロアチア、スロベニア、アラブ首長国連邦、南アフリカ共和国、モザンビーク、 オーストラリア、ニュージーランド、です。

 日本を訪れる中国人の多くが、「日本は何度訪れても、そのたびに文明レベルに驚かされる」、といいます。  中国の家のようにドアを防犯扉にする必要もなければ、窓に防犯のための格子を設置する必要もなく、 庭に物を置いておいても、誰にも盗まれない、と感心するそうです。

 買い物をした時に受け取ったお金が偽札かどうかを心配する必要もなく、食べ物は安心して口にでき、水道水も自宅はもちろん、商業施設や地下鉄などでも直接飲むことができることに驚くと言います。

 香港メディアは、日本と比べると中国はあらゆる点が雑で、生活の質も劣ると主張し、日本を訪れると「文明国とは如何なる存在か」を認識できるのだと伝えています。   我々がいかに恵まれた環境で生活できているか感謝しつつ、日本についてのアレコレを学んでいきたいものです。(2018.4)


中国から見た日本人の「3つの特質」

 中国メディアの今日頭条は、日本が強国へと急速に変化できたのは中国から見ると、「他国の力を上手に取り入れたこと」、であるとして「日本が強国として勃興できた3つの特質」、 について分析した記事を掲載しました。

 1つ目は「謙虚に学ぶ姿勢」......「他者を認め、そこから優れた点を学び取る」、という日本人の姿勢は古代中国から日本がさまざまなことを学んだことからも見て取れる、と指摘します。

 2つ目に、「賭けに出るという、勝負師の特質」、を挙げています。 これは、19世紀に起きた日清戦争や日露戦争、満州事変などで日本は勝負師の特質を持って成功を収めた点を指摘しています。

 最後に、「じっと耐え忍ぶ」、特質を指摘。 「日本はかつて中国に教えを請い、敗戦後は米国に従いつつ、米国の支持のもと経済を発展させてアジアの強国となった」、 と主張しています。(Searchina引用)


 たしかに、日本は大和時代より当時の先進国、隋や唐に留学生、留学僧を派遣し積極的に中国文明を取り入れました。  多大な犠牲を出しながらも大きな成果をあげた遣唐使の派遣でしたが、894年、菅原道真は汚職や賄賂が横行する唐にあいそを尽かし、3世紀にわたった遣唐使の廃止に踏み切ります。

 道真は、「そのような国に日本の純真無垢な若者を留学させるのは有害であり、日本文化に与える影響も好ましくない。 大陸の文化はほぼ学び終えたので、 後は向こうの書物を手にいれるぐらいで十分だ」(前野徹・国家の大義)と考えたのです。    韓国などは中国の文明を丸呑みした挙句、独自の文字も普及できないまま、今だに中国属国の立場に置かれたまま足掻(あが)いていますが、 当時からわが国の先人たちは新進気鋭(新たに現れ、意気込みが盛んなさま)の精神に溢れていたようです。(2018.10.24)

 どの国より歴史が古い日本は、自国にとって最も良いものだけ残してきたわけで、それだけ先進的だったとも言えます。  すでに江戸時代には人口100万人の江戸はじめ大阪などの大都市において、町人中心の経済市場が形成されていました。      1870年頃には、男性の45%、。女性の15%が読み書き、算数をこなし、自国の歴史、地理をわきまえていたとされます。  読み書きできる庶民が大勢いて、優れた人的資源に恵まれていた日本は、 すでに高度に発展した社会を創り上げていたわけで、「他国の力を取り入れた」理由だけで発展を遂げたわけではアリマセン。(2023.5.6)


アメリカが危惧した日本人の気質

 自己主張の強い帝国主義、植民地主義、身勝手な個人尊重主義の欧米型と違い、もともと日本は自らを「大和」と名乗っていたように『和を持って尊し』とする民族であり、 『和の精神で秩序正しく』おだやかに生きてきたわけです。

何より和を尊ぶ我々日本人は協調性に富み、相手の気持ちを常に思いやるという美風がありました。
「公」をまず最初に考える、という日本人の考え方は、和の精神がベースにあったわけです。

たしかに戦前・戦中の日本はすべて平等で自由な国家制度というわけではありませんし、窮屈なところもありましたが、もともと日本人は「家」や「社会」に対しての強い忠誠心、 「公」への献身、という国民性を持っていました。

 現代においても日本人は社会に対する責任感がとても強い国民性をもつ、といわれます。
何かモノをつくるのであれば、それは企業の利益よりも社会全体の利益をまず優先すべき」と考える文化がまだまだ残っています。

 とても愛国的な考え方とも言えますが、この連帯感、責任感があったからこそ、外敵を跳ね除け、 東洋の島国でありながら世界の一等国の仲間入りを短時間で果たせた歴史があるわけです。

 戦後、敗戦の焼け野原から短期間で奇跡的な復興発展を成し遂げ、世界の先進国家トップクラスになったのも、このパワーが遺憾なく発揮された結果だったのです。 敗戦後の一時期GHQによる国家体制の破壊が企てられますが、ナントカ潜り抜けられてきました。(2018.6.21)


「正邪善悪」を失いつつある日本

 「正邪善悪」とはなかなかに深い言葉ですが、「なにかを定めるときの拠り所・方向性など自分がとるべき判断基準になるもの」、 という感覚とでも言えるのでしょうか。    たとえば、どれだけの利益があるのか、或いは効率が良いか、という尺度だけで物事を判断するのではなく、たとえ今は経済的なメリットが無くても善くて正しい事ならば後から利益が付いてくる、 と考えるような精神かもしれません。

 しかし、時代は移り昨今は儲けが全てに優先する時代となってしまいました。  中国が安価な労働コストと様々な優遇処置を背景に他国の産業を誘致しはじめ、 日本のメーカーも雪崩をうつように生産拠点を中国へシフトしていきました。   情けないことに日本の大メーカーの多くが、単に生産コストが安いからという理由だけで日本を見捨て中国になびき、 長年「協力工場」などとオダテ上げ自分たちに都合のいいように協力させていた日本国内の中小工場を切り捨て、忠誠を尽してきた自社の社員まで捨て去る世の中になってしまいました。

 世界に誇るメイド・イン・ジャパンの製品を、ただ人件費が安いからといって中国に作らせてしまったら、せっかく先人たちが長い期間かけて築き上げた日本製という ブランドの魅力が半減するのは目に見えています。   「正邪善悪」を捨て去ったメーカーの製品は、いずれ価格競争に敗れ誰からも見向きもされず、やがて市場から消えていくことでしょう。(2017.5)

 元禄3年(1690年)から2年ほど長崎の蘭館に嘱託医として滞在したドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルは、日本旅行記の中で 『....私は日本語が分かるようになってからは、世界にかくも聡明で明敏な人々はいないと考えるに至った....』、と述べています。

 1775年に日本を訪れた、 植物学者スウェーデン人カール・ペーター・トゥンベルクは、当時オランダ人が奴隷貿易で多大の利益を挙げているのを知りながら、日本人は奴隷売買を嫌悪し、奴隷制度を拒絶していることに、 『.....それは即ち日本人が人間における自由の貴さを理解しているからである....(地球日本史A)』、としています。   しかし、そんな日本人の美点も、 戦後のWGIPによる「反日日本人」育成や、占領軍に押し付けられた「戦後体制」により、 徐々に失われていき、欧米式の「他人を押しのけ自分が得する」生き方がまかり通り、「世のため人のため」などと言おうものなら、いまや時代遅れと大笑いされてしまう世の中になっています。(2023.5.6)


亡国の引き金......日本人独特の謙譲の美徳

 日本人が持つ謙譲(万事控えめであること)の美徳も、一歩間違うとある意味で「ナァナア主義」へ通じる危険性があります。 日本国内だけの話ならイザ知らず、 こと領土・領海問題でこの美点を発揮してしまうと、いずれ、のっぴきならない事態に陥ってしまうことにもなりかねません。

 日本人は「正しいことはひとつである」、と考えますが韓国、中国では交渉、恫喝で手にしたものが正しい事実となります。    相手を言いくるめ、脅かし、白を黒と言い張って既成事実化したものが正義なわけです。   そういう連中が盛んに歴史戦を仕掛けてくるのですから日本はウカウカしていられません。  例えば、 韓国は「日本海」を「東海」にしろ、と国際機関に要求していますが、その根拠として過去の世界古地図の7割が「東海」と表記している、と主張します。    しかし日本が世界各国の古地図、約1200枚を調査しても「東海」と記してあったのはたった1枚だったそうです。

 そのやり口は中国も同様で、「尖閣諸島問題」でも、 つい最近まで中国内の教科書では「尖閣」の文字を使用していたにもかかわらず、 中国が尖閣諸島を自国領土と主張し始めた途端、昔から「魚釣」と呼称していた、と平気でウソを主張してきました。  このように、 も葉もない根拠をシレッと持ち出してくる「ふっかけ国家」に対しては、"話せば判ってくれる"というお人好し日本的スタイルは通用しません。

 中国が尖閣諸島を占拠しようと行動を起こすのも、もともとは、日本が韓国に竹島を不法占拠されながら、 領土奪還に強く出れない優柔不断ぶりを見ていたからこそであり、そんな弱腰ぶりを見せていたら、ある意味当然のことだったのです。 

 パシフィズム(平和主義)だったイギリス首相ネヴィル・チェンバレンは、 ヨーロッパにおけるナチス=ヒトラーの台頭を放置しドイツに譲歩し過ぎた結果、 第二次世界大戦を防げなかった人物と評価されています。   イギリスのチャーチルはチェンバレンの宥和政策(ゆうわせいさく・譲歩することで摩擦を回避していく外交政策)を厳しく非難、 ヒトラーとの対決を主張していましたが、チェンバレンの妥協と譲歩による弱腰外交により、結局はヨーロッパはじめ世界中が、 争への道を突き進んでいく結果となったのです。

 相手がどんな理不尽な主張をしてこようが、強く対抗することも出来ず、相手の目に余る行動が起きたときやっと動き始め、一歩譲って相手の言い分に譲歩する....... こんなオクユカシイ日本人気質が、領土問題のような一歩も引けない場面になると裏目に働きます。  この気質がその後の尖閣諸島への対応でも遺憾なく発揮されていくことになったわけです。

 日本の中の話ならイザ知らず、国際社会ではウソ八百を並べ立て責め立ててくる相手に対し、 キッチリ反論する行動を起こさなければ、それが定説となり既成事実化してしまうわけで、 ここでは優柔不断と紙一重の「日本人気質」がマイナスに働くわけです。   一歩譲ってしまえば、相手の要求は更にエスカレートするのはケンカの常識です。   この負の連鎖を勇気を持って断ち切らない限り、 このままでは日本人独特の謙譲の美徳も亡国の引き金となってしまいます。(2018.6.21)


その場の「空気」に支配されてしまう日本人

 山本七平氏は、1977年の著書『「空気」の研究』の中で、「....われわれの社会は、常に、 絶対的命題をもつ社会である。 『忠君愛国』から『正直ものがバカを見ない社会であれ』に至るまで、 常に何らかの命題を絶対化し、その命題を臨在観的に把握し、その空気≠ナ支配されてきた....」としています。

 その顕著な例が、2022年7月8日、奈良市で演説中に銃撃され凶弾に倒れた安倍晋三元首相の扱いにも見られました。  当初は中国の脅威に早くから気づき、 国際社会の枠組みを変えた名宰相として、 国民からその死を惜しまれた安倍氏でしたが、その後、過去に霊感商法などで多くの被害者を出した教団との関わりがメディアで大きく報道されると、 その世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係性ばかり語られるようになり、 安倍氏の非業な死は、いつの間にか、どこかに押しやられてしまったのです。

 その「空気を醸成する」旗振り役が、日本の悪名高き(リベラル)メディア・スクラムです。   真っ当なジャーナリズムであれば、世間が同じ方向を向き始めた際に、違う角度から別の見方を提供する、という役割があるはずですが、 そんな正論は圧倒的な「(アンチ安倍の)空気」に容易に押し流されてしまったのです。

 新聞・テレビでしか情報を得る手段のない人間たちは、それにより簡単に洗脳されてしまいました。  それどころか、反安倍を貫く反日メディア・スクラムの主張に同調しないものは、 後ろ暗いことがあるのだろうと吊るし上げられる始末です。   自身も隠れキリシタンの末裔だという長崎県平戸市の黒田成彦市長は、自身のSNSで、地元紙から届いた教団との関係を尋ねるアンケートについて、 「まるで江戸期のキリシタン弾圧の踏み絵のようだ」記しています。

 また、自民党の和田政宗参院議員によれば、朝日新聞からのアンケートには、「問題があると思う議員の行為などの情報があればご記入下さい(この欄については匿名を希望される場合はその旨記入してください)」、 とあったといいます。  陰湿な密告、告げ口の勧めなのです。

 こうして、山本氏の指摘する「空気≠ノ支配される日本社会」は、政治家と教団の関係ばかりが注目される「空気」がアッと言う間に醸成されていき、 教団を批判しない者はその同類項やシンパとみなす、という同調圧力が大きく広がり、結果、安倍氏の功績や人柄をしのぶ声はかき消されていったのです。

 一方、本当の被害者である安倍氏もその遺族も顧みられることなく、同情や労りの声は報道には表れてきません。  それどころか、驚くべきことに、 これからも日本を背負って立つはずの有能な政治家を、背後から銃撃し殺害したテロリストは、いつしか教団による可哀想な被害者に奉られて、 まだ量刑どころか起訴もされていないのに、とうとう減刑署名活動さえも行われる始末となっています。  恐るべき倒錯と狂気の世界が、 いまの日本社会を支配しているのです。

 この元首相暗殺という大事件においてさえ、メディアの異常な行為が堂々とまかり通り、「物言えば唇寒し」で、 災いを恐れ地上波や新聞にはこれに反論する意見は上がらず、皆黙ってみているだけです。   物事の正しいありかたを指す 「道理」という言葉がありましたが、それは反日マスコミが執拗に垂れ流す偏向情報によってかき消され封印され、いまや「死語」になってしまいました。

 たとえ「理不尽な道理に合わない空気」であろうが、一旦創り上げられてしまったら最後、それを読めない者、追従しない人間は、 爪弾き(つまはじき)にされてしまう恐ろしい社会になってしまったのです。

 戦前にも右翼好戦新聞が焚きつけたナショナリズムによって、国全体を暴走させ、 日華事変に突入した歴史がありましたが、人間は他人の意見についつい同調してしまうイキモノであり、 今も昔も国民の考えは新聞・メディアの示す意見により左右されるという事実は変わりないようです。

 山本七平氏は、「....もし日本が、再び破滅へと突入していくなら、それを突入させていくものは戦艦大和の場合の如く『空気』であり、破壊の後にもし名目的責任者がその理由を問われたら、 同じように『あのときは、ああせざるを得なかった』と答えるであろうと思う....」、と予言しています。   いずれこの騒動についても、 「常に空気に左右される」我々日本人は、 「あのときは、見守るしかなかった」と自嘲気味につぶやくことでしょう。(2022.9.4 msnニュース引用)

 
 

「日本人的」な納め方......その場しのぎ

 その昔、日教組の勢力が強かった頃、国旗掲揚や国歌斉唱に激しい反対運動があり、 公立小中高校の入学式や卒業式では正面に掲揚するはずの日の丸を、できるだけ目立たないところに隠すように掲げ、とりあえず「掲揚」した、 とアリバイ作りする学校もありました。

 現代の「ゆがんだ歴史観教育」の呪縛もようやく解けつつある日本において、 もうそんなバカな真似は二度と起こるまいと思っていたら、2019年8月、高野連(日本高校野球連盟)が、 またしても日の丸をワザワザ隠して国際スポーツ大会に選手を送り出す、という「日の丸隠し」を繰り返します。

 『其の場凌ぎ(そのばしのぎ)』とは、『あとのことは考えずに、その場だけをとりつくろうこと』、という意味があります。   「良心的」とか 「大人の判断」というコトバを隠れ蓑にして、 その場をなんとかやり過ごす.....いかにも「日本人的」な納め方ではあります。     ただ、今回の「日の丸隠し」は、そもそも、本当にワザワザ日の丸を外さなければならないような、 そこまで緊迫した事態だったのでしょうか。

 「ナゼ日の丸を外すんだ」と考える一般日本人は、いくら日韓関係が悪化しようと、まさか国際スポーツの祭典で、 日本チームの服に日の丸があるからといって、日本選手に危害を加えることはありえないだろうし、万万が一そんなことになったら国際問題であり、 韓国は世界から孤立し日本は韓国を国交断絶するだろう。    従ってそんな事態はありえない、と冷静に考える人たちです。    ところが、高野連はお得意の「その場しのぎ」で韓国は危ないからと決めつけ、 手っ取り早く日の丸を隠すことを思いついたわけです。

 今回の騒動は、一見、日本側が韓国に忖度し過ぎ、過剰反応したという部分に焦点が当たっていますが、 実はこの騒動の裏には、いまだに日本側の正当性を否定する思想改革によって、 日本の子供たちに偏向教育でせっせと「日本の戦争責任」を刷り込む日の丸を毛嫌いする日教組の思惑と、 特定の日本人が持つ偏見意識も影響していたのかもしれません。  日の丸を目立たせたくないのです。

 さらに、韓国は日本人観光客が大勢訪れる隣国であり、いくら反日国家とはいえ、未開の国でもあるまいし、選手に危害が及ぶなど考えすぎです。   この思考こそが韓国人を疑い、バカにしている証左(しょうさ・事実を明らかにするよりどころ)でもあります。   高野連は韓国人に偏見を持ち疑いの目を持っているからこそ、「暴力沙汰を心配」するというバカなことを考えたのです。     結局、日教組という組織は、偏見と差別のカタマリのような集団である、ということを知らしめたわけです。

 日韓関係がなかなか正常に戻らないひとつの要因として、GHQの日本人に罪悪感を刷り込んだ洗脳政策によって、 日本人でありながら日教組という反日組織がいまだに教育界に大きな影響力を持ってしまったことや、 保身一辺倒で信念など無縁の、ひたすら相手に媚びへつらう政治家や官僚が対韓国の窓口に居座り、 韓国の無理スジの要求にも唯々諾々と従ってきた、という事情もあります。

 さらに、この日本側の愚かな対応によって韓国の世論は「日本は押しに弱い国」という印象がさらに高まったわけです。   これでは韓国がますます反日活動をエスカレートさせ、「日本叩き」を止めようとしないのもトウゼンです。  日本側が繰り返してきた「その場しのぎ」の結果が、 韓国側をさらに増長させ、より過激な反日思想という方向へ向かってしまったら逆効果であり、まさに本末転倒です。

 いずれにせよ、日の丸を外すという、「その場しのぎ」の、日本側の幼稚で安直な対応によって韓国入りさせられた日本選手たちは、 『自分たちは日本を代表している』、というイメージで戦いに臨もうとしていた気力を萎えさせられました。    その一方で韓国側は、『日本は脅かせばこちらの思う壺になるんだ』、というメッセージをこの出来事で受け取ったわけです。(2019.9.7)


事なかれ主義から脱却せよ

 今も尾を引く「従軍慰安婦問題」にしても、当時問題解決に当たる政府役人が揃いも揃って「事なかれ主義」の持ち主であり、 腹の座った人物がいなかった ことも要因としてありました。

 竹島海域は日本の領土にもかかわらず、日本は韓国に遠慮し、戦後ずっと調査船ひとつ入れていませんでしたが、2006年(平成18年)に、日本の事なかれ主義と弱腰振りが発揮された領土問題がありました。      韓国は突如、国際会議で竹島周辺の海底地形の名称変更を提案する、と言い始めたのです。   あわてた日本政府は、そのまま無視するわけにもいかず、 やっと重い腰をあげて調査船を派遣することを発表しますが、韓国世論の猛反発に恐れをなし、韓国の提案取り下げと引き替えに、調査船派遣を中止します。

前野徹氏は著書「国家の大義」の中で、
『.....これで日本は完全になめられました。 今後、高をくくった中韓朝は、領土問題にかぎらず、 大胆な行動に出てくるでしょうし、不埒な要求をつきつけてもくるでしょう。
そして日本はのっぴきならない状況に追い込まれる。 平成十八年春の調査船派遣の中止が亡国の引き金にならないことを祈るばかりです』、と憂いていらっしゃいました。

 その心配は的中し、中国は行動をエスカレートさせ尖閣問題や小笠原周辺の赤サンゴ強奪など、日本国の周辺でやりたい放題の行動をとっている今の現状があるわけです。   中韓のまねをして、 ウソの道理に合わない主張を行っては相手と同レベルとなってしまいます。   しかし、このままでは中韓との間に横たわる諸問題の解決は到底望めません。   正しい主張を毅然と、 かつ日本人らしくやさしさを失わずに相手と向かい合っていける、サムライ的指導者が日本に誕生することを期待したいものです。

 「事なかれ主義」が組織で蔓延ると碌な事になりません。 2018年11月、検察は1999年6月に日産COO(最高執行責任者)に就任して以来19年あまり、 日産の絶対的な権力者として君臨してきた日産自動車会長のフランス人・カルロス・ゴーン氏を逮捕しました。

 容疑は金融商品取引法違反ですが、特別背任罪と脱税の疑いもかけられており、倒産寸前の日産自動車をV字回復させ、日産、三菱自、 ルノーグループを世界第2位の自動車メーカーまで育てたゴーン氏の逮捕劇に世界中が驚きます。    絶大な権力を手にした権力者が、「専横(せんおう・好き勝手に振る舞うこと)な領主」として君臨し、やがて破滅していくという、 まるで中国王朝の滅亡パターンのような出来事が現代でも脈々と続いているわけです。

 

日本人はホントに正直?

 日本人は礼儀正しいし、犯罪も少なく落し物も確実に戻ってくる、というイメージがよく語られます。
しかし、実際財布を落としてもほぼ確実に戻ってくるのは、警視庁の数字では届け出があった額の40%にすぎないそうです。

サッカーW杯のとき、日本人観客のゴミ拾いが世界から賞賛されましたが、翻ってお祭りや花見でのゴミの散乱ぶりを見たら、われわれ日本人が皆キレイ好きでゴミなど出さない、 というのは幻想だと知っています。

ただ、日本人の美点として、モノ作りという点に関して言えば世界でもまれに見る職人国家ではないでしょうか。 日本は世界で唯一、1800年以上も続く古代国家だそうですが、 古からずっと継続してきた豊かな文化を持ちながら、世界でも有数のハイテク国家、という二面性がある不思議な国です。

それもこれも、モノ作りに真摯に打ち込む国民の気質と、職人が大切にされてきた文化が関連しているのかもしれません。
諸外国は金を稼げる職が上位であり、職人は下に見られるのが一般的だそうですが、日本人は現代でもなりたい職業として大工さんやパン屋さんが上位にくる文化があります。


日本人はホントに大人しい?

 気質が温厚で穏やかな性格の人が多いとされる我々日本人。  たしかに大勢の人が集まる場所でも我々日本人は騒ぎ立てることもなく静かで大人しくしています。

 日本では明治初期において仏教の排斥(はいせき)運動が起き、日本全国で「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という嵐が吹き荒れました。

 新政府による国家統合の基盤を神道におこうという目論見により、仏教に関するあらゆるものを排除しようとしたもので、現代では想像もできないような暴力的破壊行為が、 日本全国で大衆運動として繰り広げられたといいます。 日本人は決して羊のように大人しい民族ではないことが、この事件ひとつとっても分かります。

 「仏さま」と崇めていたものでさえ躊躇なく破壊したこの事件は、大衆の欲求不満がなくてもある種のとっかかりさえ与えれば、簡単に暴発する面が我々日本人の気質に存在することを表しています。


決断できない日本人

 日本で「お役所的.....」という表現をする場合、融通が利かない、形式的、仕事が遅い、決まったことしかしない.....などロボットでも用を足せる仕事ぶりを 指します。   もっとも、ロボットは一旦命令されればアッという間に仕事を片付けますからロボットに失礼なタトエではあります.......

平時のときなら「....タクッ、高い給料もらいながらコンナ仕事しやがって.......」と悪態をつきながらもひたすらガマンしているわけですが、 この「お役所的対応」が蔓延る日本は、緊急時にはエライことになってしまいます。

 たとえ自分がトップでも決断力が無い、指揮官の管理能力の欠如、 という悪癖が先の戦争での負け戦の大きな要因となりました。    自らは最良の判断が出来ない、まずは上司、上席にお伺いをたてないと先に進めない、という日本人気質が、先の2011年3月11日の東日本大地震の際発生した原発事故対応にもゾンブンに発揮されてしまいました。

 3月12日午後、原発破損事故から丸一日も経過しているというのに、米国大使館に「米軍のヘリは真水を大量に運べないか」という問い合わせが日本側からあったそうです。

このときすでに福島第一原発では原子炉の冷却装置が破損し、炉心溶融(メルトダウン)の危機に見舞われていました。

 しかし、一分一秒を争うこの危機的状況にもかかわらず東電と政府のオエライさんたちは、冷却装置が破損し炉心温度が急上昇し炉心溶融の危険性が差し迫っているこのタイミングで、 原子炉を廃炉にしたくないため格納容器の開放(ベント)をめぐって議論を続け、海水を注入して原子炉を冷却することを躊躇っていたのです!!!(海水を注入すると二度と原子炉は使えない)

このまま放置すれば原発被害で日本がどうなるかなど考えず、原子炉を使うことを最優先に考え、海水を注入することをためらい、真水を求めて右往左往したこの政府、 東電の連中の行動は万死に値するものです。

 特に歴代総理の中で最悪のリーダーといわれる菅首相の判断ミスと迷走ぶりは後日語り草になっていますが、 彼が執拗に真水注入に拘り海水注入を躊躇した結果、炉内が空焚きとなり核燃料が自らの熱で溶け出し複数の原子炉が連鎖的に炉心溶融(メルトダウン) していく遠縁となったことは間違いのない事実のようです。

 菅は後日、海水注入では爆発の危険性も考えられたから、などと苦しい言い訳をしたそうですが、結局裁判でもウソと断定されました。


日本にも優れたリーダーはいる

 ただ、このとき福島第一原発には吉田所長という優れたリーダーがおり、政府、東電の指示を無視して独断で海水注入を行い最悪の結果を回避することができました。

もし吉田所長がお役所的な仕事をする人間だったら、原発被害はより被害が拡大し、東北の復旧復興はさらに時間がかかったハズです。

この吉田所長のとった行動は賞賛されるべき英雄行動だと思いますし、平和ボケして危機感の無い日本人に、 リーダーが執るべき行動とはなにかを考えさせるモデルとして、もっと大々的に評価されるべきではないでしょうか。

見た目と裏腹(失礼)で肝の据わった人物だったのが、故小渕首相と海部首相でした。

  先の戦争でも、日本人としての気概を発揮しユダヤ難民を救った人たちがいました。


日本人と謝罪

 外国では、交通事故を起こしても、たとえ自分に非があろうが絶対に謝罪はしないのだそうです。
その点、我々日本人は例え相手に非があろうと、相手の気持ちを考え、一方的に非難することはあまりしない寛容の民族です。

お互いの気持ちを慮る、相手が謝れば寛容の精神で許す、自分が悪いと思えば自ら謝罪して、事を荒立てることは望まない、 「謝罪は美徳とみなす」、悪く言えば「容易に頭を下げる」国民です。
そこが外国人と日本人の大きな違いであり、この考え方の相違が戦後の戦争責任に対して繰り広げられてきた諸問題にも繋がっています。

 先の大東亜戦争(太平洋戦争を日本はこう言う)に対しても、日本は日本なりの主張はあり、 正当性もあるのですが、 相手に多大な迷惑をかけたことも忖度(そんたく)した上で、各国に頭を下げ謝罪してきました。

 しかし、中国や韓国は、「謝罪は美徳ではなく非を認めた証」、と考えますから、 一旦謝罪の言葉を口にしてしまえば、さらに謝罪要求をエスカレートさせ、賠償金をせしめるため、 謝れ、もっとカネを出せ、と畳み掛けてくる相手で、日本式のやり方は通用しません。

 謝罪は日本人の美徳ではありますが、相手は謝罪に関しても日本人と根本的に異なる考え方を持っている民族であり、中国や韓国にいくら謝罪したからといって、 事が丸く収まりその後は有効な関係になる、などということはありえません。

 過去、日本は中国に対しODA(政府開発援助)や円借款で10兆円を超える金額を賠償金としてむしり取られ、 韓国に対しても 1966年から10年間に無償・有償・借款を含めた"合計8億米ドルの経済協力資金"を援助しましたが、 いまだに更なる戦後賠償を要求され、もっと謝罪しろ、もっとカネを寄越せ、とゆすり続けられています。


  

外国の真似をしたがる民族

 秀吉が朝鮮出兵に備え佐賀県に滞在していたとき、秀頼誕生の知らせを聞きいったん京都へ戻る際、友回りの者はきそって西洋風の格好をしたがり、なかには都までの道中、帽子にマントとケープ、 襞(ひだ)のついたシャツと半ズボンというスタイルで通した者もいたといいます。(地球日本史@ 西尾幹二責任編集「秀吉がつくった徳川時代の外交政策」引用)。

 半世紀ほど昔、まだ外車が一般的でなかった時代、居住性、走行性能どれをとっても日本の中古車のほうがよっぽとマシなフォルクスワーゲン(いわゆるビートル)という、 クーラーもついていないオンボロ車を、 外車というだけで自慢げに乗り回していた知人がいましたが、日本人は中身ウンヌンより権威主義というかブランド志向がより強い民族なのかもしれません。

 われわれ日本人は変幻自在(?)に対象神が変わるように、昔からなんでも無分別に外国の真似をしたがる民族のようです。  昨日まで仏教で暮らしていたのに、 キリシタンとなり主の祈りをささげ、アベ・マリアを暗誦するという変わり身の速さをみせても、別に不思議でもなんでもないわけです。

 秀吉は当初キリスト教布教に寛容でしたが、後にキリスト教布教の危険性を知るや、布教禁止へと態度を変えていきました。  もし秀吉が布教を禁止しなかったら、 日本はキリスト教化がそのまま進み、日本中に教会が立ち並び、神社仏閣は肩身の狭い立場に追いやられた社会になっていたかもしれません。

 ただ、日本人のもうひとつの特徴として、捨て去るのもアッという間という気質があります。  明治政府は西欧列強に大きく遅れた日本のあらゆる部分を改善し、 早く追いつくため中央集権的で近代的な政府を作るための様々な政策を行いましたが、その一つが神道と仏教を分ける、神仏分離令でした。

 明治になった直後の、神仏分離令の発布後たった5年ほどの短期間に、1000年以上もの歴史を持ち、ありがたいと言い拝んできた仏像などの日本の貴重な文化財である仏像や経典、 さらに伽藍という寺院の建物が、廃仏毀釈と呼ばれる全国的な運動により破壊され、多くの貴重な文化遺産が失われました。

 それまでの日本では、日本の神様とインド発祥の仏様はそもそも全く別ものでありながら、神社の中にも寺院があり、寺院の中にも日本の神様が祀られる、 というように神道も仏教も複雑に混ざり合い(神仏習合)あまり不都合も感じず上手く折り合っていました。  それを躊躇なく捨て去ったのですから、 大らかというか、一旦突っ走ったらもう歯止めが利かなくなる、という部分も併せ持つ、日本人気質に通じるのでしょう。(2020.8.22)


日本人の強さ.....ノーベル賞受賞者の数

 中国では、「1人だけで行動すれば龍ともなる中国人は3人集まると虫けらになるが、1人では虫けらのような日本人は3人集まると龍になる」、 という言葉があるそうです。

 "龍"だ"虫けら"だという点はさておき、日本人の強さは「組織や集団」で行動してこそ発揮されるというわけです。  そういう気質が中国人からすると日本を驚異に感じる部分なのかも。

 日本人のノーベル賞受賞者は歴代26人に達しています。 2000年以降だけで17人も受賞。  しかもすべてが化学賞や物理学賞、生理学・医学賞で、日本がいかに科学技術分野に強いかが伺われます。  これは非欧米国としては最多であり、アジアの国で唯一世界トップ10に入っており、日本は突出しています。   3人集まらなくても日本人はスゴイんです。

 ちなみに、アジアにおける他国の受賞者は、中国3人(平和賞1人、文学賞1人、生理学・医学賞1人)。  韓国1人(平和賞)。 インド5人(平和賞2人、文学賞1人、経済学賞2人、物理学賞1人)で、 科学系のノーベル賞受賞者はほとんどいません。(2018.7)

 2018年9月、今度は本庶佑氏が今年のノーベル生理学・医学賞を獲得しました。 なぜ日本人が数多くのノーベル受賞者を輩出しているかについては、Searchinaニュースによると、 政府が技術振興を重視する一方で研究者に対して比較的高い自由度を与えていると指摘。

 「日本では大学の教員は一定期間内に研究の成果を出さなくても職を失うことはないほか、研究過程においても政府や社会による考査や評価といった干渉を受けることが少なく、 長期的に研究に専念することができるのだ」、と分析しています。(2018.10.3)

 
 

宗教観の違い

 我々日本人の宗教観は、諸外国のような一つの宗教を絶対視しその教義に依存して暮らす、というものと違いかなりおおらかで、クリスマスにはキリスト教、 除夜の鐘は日本仏教、初詣は神道、というように変幻自在(?)に対象神が変わります。

 たしかに日本人には西洋的な意味の宗教はないというのは事実です。  日本人は西洋人のように奇跡を信じて神に祈ったりしません。   賭け事などで神頼みはよくやりますが、あくまで"当たるも八卦"的な習慣が基本になっています。    キリスト教徒でもない日本人が聖母マリアの処女懐胎(しょじょかいたい)などを信じることもないでしょう。

 日本人に宗教心がないとよくいわれます。  たしかに我々日本人が宗教をはっきり意識するのは葬式のときだけ、という気はします。  ただ、 それをもって日本人は無宗教であると捉えるより、むしろ万物に神や精霊が宿る(アニミズム: animism)と考える民族であり、 決して信仰心がないということではない、というのが一般的な日本人の宗教観なのでしょう。

 仮名(かな)文字が誕生した平安時代の高僧が読んでいた仏典には、 「神」という漢字に「ココロ」という仮名がふってあったそうです。  神=心、というのは我々日本人のDNAにしみこんでいる考え方なのかもしれません。    日本人の神は外部にあるのではなく、自分自身の心、精神にあるものであり、「自らの心に宿るもの」という、世界が真似できないJAPAN宗教(?)の中で生きているわけです。

 ただし、日本人は自分は無宗教だと平気で言いますが、一方でそれは世界の非常識でもあります。  そのあまりの臨機応変ぶりが、宗教が根強く生活に根ざしている諸外国からみると、 宗教に対する敬虔なイメージが足りないようにうつる、という面もあることは自覚しておいたほうがよさそうです。  とくに一神教を信じる人々に対して自分達の神を否定するのか、 という話にもなりかねません。

 キリスト教徒でもない日本人が教会で結婚式をあげるときも、厳格なキリスト教徒は教会を異教徒のための結婚式場とは考えませんから、 『神を冒涜するのか』、 となりかねないわけです。

 また、宗教を冒涜すると時には命にかかわることさえあります。 1989年、イギリス国籍のインド人が、ムハンマドを思わせる人物が妻や娘を使って売春業を営んでいた、 などという内容の『悪魔の詩(うた)』という本を出版したため、 イランのホメイニ師は著者に対し『死刑』のファトワ(法学の権威者による意見書)を出しました。

 著者はすぐさま身を隠しましたが、この本の日本語翻訳者が大学構内でナイフで首を切られ殺害されるという悲惨な事件が起きました。 犯人はいまだ不明のままです。       これは極端な例かも知れませんが、宗教の問題に無頓着すぎるのも外国人に不愉快な想いをさせるどころか、重大なトラブルに繋がりかねない事態になるかもしれません。


日本は成功した社会主義国家?

 路上に物乞いは見かけず、ホームレス人口は増加する一方というわけでもなさそうですし、まだまだ低い犯罪率、教育水準の高さ、世界トップクラスの長寿率、 大金持ちもいない(小金持ちは大勢いるでしょうが....)が貧困層もまだ多くアリマセン。(低所得層は増加していますが....)
日本は資本主義社会なのは間違いないところですが、ある意味では"世界で最も成功した社会主義国家"、という面もあるかもしれません。

 高校を出たての若者がローンを組んで新車を変える日本は、(建前上は)軍隊もありませんし徴兵制度もなし、世界でもまれな、身分制度とは全く無縁の平等な国です。  イイ国なのです。


もったいない

 「もったいない」は、「自然やモノに対する敬意と愛の意思を込めた素晴らしい日本人の言葉」で、 レデュース、リユース、リサイクル、リペアーの4R(四つの言葉)を一語で表す世界語となっています。

この「もったいない」という語の概念は、50万語強も収録するオックスフォード英語辞典にさえも載っておらず、数年前国連演説で、この日本語をケニアの環境担当大臣だった マータイ女史が取り上げ有名になりました。

「いただきます」という、我々が食事時に“食材の命を頂きます”という意味で使っている言葉も、同様に外国語に訳せないらしく、 この言葉は八百万(やおろず)の神に捧げる感謝の言葉からなっている、と説明すると、他国の人達は敬意と羨望の念を表してくれます。

動植物や自然界の全ての恵みである万物には神霊が宿っている、という神道の源流は、縄文人やそれ以前の旧石器時代の原始日本人による大自然との調和の精神にまで遡るようです。




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コトバ学

忖度(そんたく).......他人の心中をおしはかること。

斟酌(しんしゃく)......相手の心情を考慮して程よくひかえめにする。

(*3)........新渡戸稲造(にとべいなぞう)

1862年9月1日-1933年(昭和8年)10月15日。 日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。 国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。 五千円券の肖像としても知られる。(Wikipedia)

(*4)........規範意識(きはんいしき)

道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のこと。遵法精神とも。

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ダイハツミラ・外観
・エコドライブ
・キックダウン
・ユーザー車検体験記・検査ライン編




【 全国各地ドライブ旅行記 】

東京アクアライン........「海ほたる」


ドライブの便利グッズ→
旅の記録に...........ドライブレコーダー
車内で家電品............パワーインバーター
読書でリラックス.......好きな作家、読んだ本






【 災害対策用品・災害備え 】

アウトドア用品にはイザ、というとき役立つものが数々があります。


災害時の備えに→
停電時の暖房.........カセット式ガスストーブ
便利な2口コンロ......ツーバーナーストーブ
停電時の照明.........4灯式ランタン
災害対策.........揃えておきたい防災アイテム






【 自然フィールド 】

吹上高原キャンプ場.....自然の中でリフレッシュ


野外便利グッズ→
電気の缶詰...........ポータブル電源
夜間でも両手が使える...........LEDライト
とにかく明るい.........コールマン・ランタン295
キャンプで焚き火........ファイヤグリル






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