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抹殺される日本の伝統文化

 抹殺(まっさつ)とは、「事実・存在などを認めず、無視すること。 消し去ること。 葬り去ること。」、とされます。  超反日国家の中国と韓国は、 「先の戦争で日本が果たした役割」を全否定し、 戦後何十年も経つというのに、いまだに日本に対し「戦争責任をはたせ」、「戦後補償をしろ」と訴え続け、日本文化までやり玉にあげ、徹底的に日本を批判しています。

 かれらの日本批判のベースは全て、白人列強国が世界を植民地化していた時代、有色人種国家の中でただ一国列強国に立ち向かい、 彼らをアジアの地から駆逐した日本に対する劣等感から生まれています。   中韓は列強国家に散々蹂躙された当時の惨めな過去を正視するのが堪えられず、 かといっていまさら列強を批判も出来ず、その腹いせが日本批判に向かうのです。

 共産党が独裁支配する中国や、本当の民主国家とは言えない韓国の指導層たちは、抗日の話を持ち出すことによって、 国内にある人民の不満の矛先を「日本」に向けさせようとするのが、まだまだ常套手段となっています。   したがって、この状況はこの先何十年、何百年も続くということです。

 中韓は今になってひたすら日本の戦争責任だけを追及します。  しかし、当時の世界は強い国による弱い国の植民地化が当たり前の時代であり、 アジア各国は白人国家による植民地支配が拡散していた時代でした。  中国などは徹底的に列強各国の食い物にされたハズです。

 そんな白人列強国絶対優勢の中、日本はアジアのみならず有色人国家の中でただ一国、欧米列強に立ち向かい、 彼らを打ち負かしアジアの地から追い払ったのです。 こんな国は古今東西世界中の歴史においても日本しか存在しません。   日本は世界中の有色人種が白人国家の隷属国になることを防いだ、栄光の国家なのです。

 それに対し、中国・韓国は、前近代的な国家体制のまま世界情勢から取り残され、時代に翻弄され続けた国でした。   中国は、日本のように欧米に追いつき追い越せという近代化努力もせず、自国は世界の中心である、 とする「中華思想」に胡座をかき、白人国家に蹂躙された自らの非力ぶりは棚に上げ、 白人列強に一言も文句は言わず日本だけ非難しています。

 その子分、韓国(当時は朝鮮)は、中国にコバンザメのように従い、「小中華思想」を振りかざし、 日本統治を、災難という観点でしか見ず、 逆恨みしたまま、「未熟な子どもの喧嘩」で日本に挑み続けています。

 彼らは、時代錯誤的な中華思想にしがみついたまま、ひたすら民衆から搾取するだけの封建的制度に満足していたのですから、 そんな国に日本のような「祖国防衛・アジア解放戦争」という高い志が生まれるはずはありません。    時代から取り残されていったのは必然だったのです。  

 しかし、いくら逆恨みで日本を恨もうと、力が支配していたあの無法時代の事柄を、今の平和な時代の観点で裁こうとしても詮無いことです。     人類の歴史は強い民族が弱い民族を征服してきた歴史とされます。     生き残るため戦わなければならなかった時代だったのです。     そもそも、日本だけが侵略戦争を行ったわけではありません。

 日本人は昔から外国人も感嘆する日本人気質を持つ民族です。    強欲な中国人とは違い、理性の声に従順な国民です。   戦後70年以上も過ぎた今、中韓の謂れの無い日本バッシングなど気にせず、 我々日本人は教科書に書かれていない正しい歴史を認識し、 いつまでも日本にタカリ続ける反日国家に対し、毅然とした態度をとるべき時代がきました。(2019.1.12)


国歌「君が代」

 わが国の国歌とされる「君が代」は、法律によって国歌と定められていたわけではないそうで、もともとは明治期初期、英国王子の来日で急遽、 国歌が必要になったために慌ただしく誕生したもの、といわれます。   1999年(平成11年)になりやっと、 国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)が公布され、日の丸が正式に国旗として定められ、 また「君が代」も正式に国歌となっています。

 戦後GHQにより洗脳された左翼世代の影響もあってか、「君が代」否定派は、 「君が代」は「天皇讃歌」、「軍国主義」を煽るものであり、『時代に逆行するような感じがしていやだ』などという理由で批判します。  一般的には特に目くじらたてず、 「このままでも別にイインジャね.....」という意見が多数を占めているようです。  スポーツの国際大会でも昨今は選手たちも普通に歌っているようです。

 たしかに戦前の日本では「君が代」の歌詞は「天皇讃歌」と解釈され、国歌として教えられていたものの、敗戦によってその解釈が宙に浮き、 現代では歌詞の内容がムズカシイこともあってか、意味がよくわからないままの状態になっていますし、 そもそも『君が代を聞くと、身が引きしまって頭が下がる』、人は自分も含めそれほど多くないのが現実だと思います。

 「天皇讃歌」が気に入らないから、という理由で否定するのはある程度は理解できますが、「君が代」は基本的に"わが国が平和で永遠であれ"と願う歌である、 と解釈すれば、現代は国の象徴として天皇が存在しているのも事実なのですから、内容を全否定するのもどうなのでしょう。   歌詞の内容をとやかく言うのなら、アメリカ、ソ連、フランス、中国、 イタリアなどの国の歌詞は、「戦いののろしの旗」、「血と肉をもってきずかん」「銃と剣」、「たて、たて」などなど、いずれも戦いと血のにおいのする歌詞のオンパレードです。  平和でおだやかな世界を目指す日本として、「君が代」は日本が世界に誇れる国歌かもしれません。

 アメリカの国歌は正式名称を「星条旗」といい、歌詞の後半は「....逃げ場などない  傭兵や奴隷には 脱走の恐怖からも 死の闇からも....」、 という内容だそうですが、黒人大統領の国となっても"奴隷"というコトバを国歌に残しているわけで、いいかげん時代遅れなのでは............

 危惧すべきは、敗戦によりGHQが行った、もともと日本人が持つ伝統的、保守的考えを全否定し、「国家」は「人民の敵」、それを象徴する国旗・国歌は「悪」、 という誤った歴史観・国家観を強制的に刷り込む教育を受けた世代が、まだまだ影響力を持っていることです。

 見識ある人材を育成すべき国立大学においても、その悪しき教育の影響を受けた思想の持ち主が幅を利かせているようで、 国立岐阜大学の学長が卒業式・入学式で国歌斉唱をしない方針を示したそうですが、 このような偏狭な考えしか出来ない学長が存在する現実こそ、日本を二流国のままにしようとした米国の思惑が続いている証左かも知れません。

 日本には『羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く』というコトワザがありますが、戦前の"あつもの(軍国主義)"に反対するのは理解できるとして、 だからといって国を象徴する国旗・国歌まで一緒くたにして捨て去ることは、もはや国家としての拠り所を破壊し日本という国を愛する人間を無くす国家反逆者レベルの行為です。      国立大学でありながら国旗・国歌を排除するこの学長サンには、もう一つのコトワザをプレゼントしたいと思います。  『○○も味噌(みそ)も一緒にするな』。(2019.1.26)


日本の天皇制に異議を唱える国連

 2016年3月9日、産経新聞は一面トップで「国連委男系継承を批判皇室典範改正の勧告案」という見出しの衝撃的な記事を掲載しました。 要は、国連が日本のについて「男系継承は女性差別だから是正せよ」と勧告しようとしたわけです。

 菅義偉官房長官は「わが国の皇室制度も諸外国の王室制度も、それぞれの国の歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている。 わが国の皇室制度の在り方は、女子差別撤廃条約でいう差別を目的としていないのは明らかであり、委員会側がわが国の皇室典範について取り上げることは全く適当ではない」と しごく真っ当な見解を述べ、この部分の削除を強く要請、最終的には皇室典範に言及した箇所は削除され国連の勧告が取りさげられました。

 一般論として、男女の平等が現在における普遍的な価値であることは間違いないことですが、だからといって それをすべての事例に適用して百二十五代以上、二千余年にわたって脈々と続く古来からの伝統の皇室典範にまで当てはめ強要するのは、 国の歴史、伝統に無知でかつ非常識な偏った考えです。

 国連の人権宣言は「人種、皮膚の色、性別」にとどまらず、「宗教、政治上の意見」などの差別を無くすことを謳っているそうですが、今回のような一方的な観点でしか物事を判断できない組織に はたしてそんな高尚な判断などできるのでしょうか。  そもそも、「国連の委員会の勧告など聞き流すのが世界の常識」だそうではありますが。

 主たる活動目的を国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現とする国際連合(英語: United Nations、国連)ですが、 日本の分担金の負担率は2位で、負担率トップとなっている米国は分担金の支払いを保留しているそうです。

 日本はドイツ、イタリアなどとともに連合国と戦った“敵国”なわけですが、分担金の負担率はドイツ3位、イタリア7位で、 日独伊3カ国だけで全体の22%という膨大な負担を引き受けさせられています。

 一方、戦勝国側は分担金の支払いを保留している米国以外は、仏・英・中・露の4カ国分を合わせてもようやく18%ほどという極めて不公平な状況にあります。
戦争に負けるということはこんなところにも影響しているわけです。  日本は日独にインドとブラジルを加えた4カ国を常任理事国に加えるよう、 国連改革を早急に推進する必要があります。(2019.1.26)


国家神道

  国家神道とは、「国家の中心に存在する天皇と国民との間に伝統的な強い紐帯があることを前提に、政治的な制度とともに作られた祭祀の制度」、 というなにやらボンヤリとしたもので、これがどう戦争に結びつくのか判然としませんが、「天皇」、「神社」という言葉に極度にうるさかった終戦までの時代を経験された人の中には、 神道に対しあまりよろしくない印象が残っているのも事実でしょう。

 天皇を中心に新しい日本を作ろうという明治維新の思想的な原動力と言われる「尊王攘夷」というスローガンも、明治維新後は日本の国教を神道に限定し、 国家統合の基幹にしようとする政府の動きと呼応して、天皇は神であり唯一絶対的な存在と見なされるようになり、国家神道という考えが広がっていきます。

 これがやがて天皇を利用する極右軍人の後ろ盾に利用され、「天皇の命令である」といえば誰も逆らえない空気を作り出し、軍部の独走を許してしまう結果になっていきました。

 過去において天皇を自分らの影響力の行使に利用した輩は、軍部をはじめいろいろと存在してきたのは事実ですし、 皇室は「近代の明治天皇以降は軍隊の統帥権を持っていたのだから独裁者だ」とする左翼の意見もあります。  たしかに明治維新から続く戦争において、当時の軍人の中にも天皇を神格化し、 「日本は神国だから負けることはあり得ない」とまで考えていた人が大勢いたのも確かであり、 神国思想が行き過ぎて神懸かり的なものにまでなってしまったのも事実でした。

 しかし天皇が直接政治の実権を握り実際に政治の実務を執ってきたわけではなく、具体的な政策立案や決断は内閣や軍部が行ったものであって、 すでに決まったことを御前会議において承認したり意見を述べるだけの立場だった、というのが実態なわけです。

 ただ、もう米軍に手も足も出せないまでに追い詰められ、悲惨な体当たり特攻攻撃を指示した大西瀧次郎中将は、 終戦間際に高松宮を通じて「これ以上戦う能力はない」ことを陛下に訴えましたが、 陛下の口から『やめさせよ。 この戦争はやめよ』 という言葉が発せられることはなかったといいます。(2020.9.19)


仏教伝来と廃仏毀釈運動

 6世紀に日本への伝来を果たした仏教は、日本古来の神道との習合(神仏習合)をめざし、日本の神様のルーツは仏様であるとするいわゆる 『本地垂迹(ほんじすいじゃく)説』を民衆に広げていきます。

 日本の神々の本当のお姿、すなわち「本地」は仏様であり、仏様が衆生を救うために神様の姿「垂迹」となって現れたのが「権現(ごんげん)」である、としたわけです。   この思想は平安時代に完成され、天照大神(あまてらすおおみかみ)の本地は「大日如来(だいにちにょらい)」であり、八幡神の本地は「阿弥陀仏(あみだぶつ)」とされるなど、 日本の神々にそれぞれ本地仏が当てはめられ、1868年(明治元年)に神仏分離令が発令されるまで、千数百年にわたり民衆に説かれていったのです。

 もともと江戸時代までの仏教は、寺の周辺の住民は必ずその寺の信者とならなければならない、いわゆる檀家制度を採り、冠婚葬祭の全てを寺が仕切りお布施を強要していたこともあり、 さまざまな特権を握る仏教は庶民から怨嗟・侮蔑の対象となっていたといわれます。  なにやら現代にも一部通じる部分はありそうです。

 こうした中、江戸時代前期頃から、儒教の影響を受けた諸大名が、領内において仏教と神道を分離し仏教寺院を削減する動きが始まります。    徳川光圀の水戸藩においては神仏分離、神道尊重、仏教軽視の水戸学が生まれ、天保年間には大砲を作るため寺院から梵鐘・仏具を供出させ、領内の半分の寺が廃されたとも伝えられます。

 徳川斉昭は水戸学学者らとともに、より一層厳しい弾圧を加え始めていきましたが、幕末期に新政府を形成することになった人々は、こうした水戸学の影響を強く受けていったとされます。    また同時期に勃興した、日本の歴史や古典文学について研究する「国学」においては、「日本古来の宗教は神道であり、外来の宗教である仏教と合わせ祀られている現状はおかしい」、 として神仏分離を唱える「復古神道」の動きが起こります。

 明治新政府の最初期の宗教政策に深く関与することになった、平田篤胤のながれを汲む国学者たちは、天皇と神道の絶対化を図り神道を仏教伝来以前の姿にもどす動きを強めます。    大政奉還後に成立した明治新政府によって、慶応4年3月13日(1868年4月5日)に太政官布告(通称「神仏分離令」)が、 さらに明治3年1月3日(1870年2月3日)には詔書「大教宣布」などの政策が発せられます。

 明治4年正月5日(1871年2月23日)には付太政官布告で寺社領上知令が布告され、さまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪し、境内を除き寺や神社の領地を国が接収します。   こういう一連の施策を拡大解釈した民衆が、暴走し全国的に仏教施設の破壊などが引き起こされる事態となります。

 「神仏分離令」が明治政府から出されるやいなや、市民や神官などが仏教にまつわる様々なものを破壊する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が全国で広まります。    廃仏毀釈は、神仏習合を廃して神仏分離を押し進める一連の動きを指し、一般には仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃すること、 といわれ、寺請制度によって財政的に苦しんできた市民の仏教への復讐感情もかなりあったとされます。

 廃仏毀釈は決して破壊行為を助長するものではなかったのですが、「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」という言葉があるように、庶民はよほど仏教を恨んでいたようです。   江戸幕府においては宗教統制の一環として僧侶を通じた民衆管理が法制化され、事実上の幕府の出先機関の役所となり汚職の温床にもなったことから、僧侶を憎む人々も多かったといわれています。

 明治初期の美濃国(岐阜県)の苗木藩では、徹底した廃仏毀釈が行われ、領内の全ての寺院・仏壇・仏像が破壊され、藩主の菩提寺(雲林寺)も廃され、現在でも葬儀を神道形式で行う家庭が殆どという、 日本史上最悪の文化破壊行為が行われる事態までになってしまいました。

 この流れは終戦まで続くことになり、伊勢神宮がある宇治山田(現:伊勢市)は、寺院の数が300近くから15近くにまで減らされ、 全国平均に較べて古い建物の数自体が少なくなっているともいわれます。(2019.1.14)


気の回しすぎではないの? 卍記号

 国土地理院が、地図の寺院記号である「卍(まんじ)」を、ナチスのカギ十字を想起させるからとして、変わりに「三重の塔」を提案したそうです。

どうして、古来から日本の伝統文化の印、歴史のある「卍」を、後から作られた忌まわしいマークに似ているからという理由だけで消し去ろうと考えるのか。   そもそもナチスのカギ十字はずっと後で作られたものであり、デザイン的にも左回りと右回りの違いがありますし、カギ十字は通常45度回転している、という違いがあります。    こんな理由でコロコロ変えていたら、テロリストが白地に赤丸の旗を押したて虐殺行為をやらかしたから日本の国旗を作りかえろ、となりかねません。

 無知な外国人が「卍」とカギ十字を同一のものと混同するから、という理由だけで由緒ある文化を否定し、全国の賽銭箱などに刻まれている「卍」を切り替えるなどバカげており、 その起源や意味をキチンと説明すれば済むことであって、それで文句を言うような連中は、ただ難癖をつけたいだけの反日の輩ですから、相手にしなければいいだけの話です。    観光客を増やすため由緒ある伝統まで捨てるなど本末転倒の思考であり、筋違いの言いがかりに敏感に反応し、由緒ある文化を簡単に捨ててしまう、という愚作を犯してはいけません。

 なぜ我々日本人は相手に反論せず唯々諾々と相手に合わせてしまうのか。  それが日本人の美徳だ、という面もあるでしょうが、 波風立てず、なんとか丸く治めようと相手に同調してしまうから結局物事がおかしな方向に行くわけです。

 「慰安婦問題」や「南京事件」、「靖国参拝問題」なども、最初は小さな火種だったのが日本が毅然とした態度をとらず、 ナアナア主義で中途半端な対応をしてきたから現在の構図に繋がったのかもしれません。

 現実問題として、外国人向けの地図の記号をわかりやすくすることは大切であり、例えば、外国人用地図を作り、郵便局の「〒」を使わず封筒を図案化したマークを使う、 などは観光立国を目指す日本にとっても大いにケッコウだと思いますが、だからといって全部変えてしまうような愚かな決断は避けるべきです。   伝統文化を守るためにも、外国人に対し「卍」の由来を理解させ、ナチスのカギ十字とは全く別物である、という認識を持たせる努力をすることがまず先決ではないでしょうか。(2019.1.26)


教育勅語とは

 2017年3月、私立小学校「森友学園」の設立認可にかかわる疑惑事件が持ち上がりました。 国有地を格安で購入したとか、補助金を騙し取ったとか、 安倍晋三首相夫人の昭恵氏が名誉校長として名前を貸したなど連日国会が大騒ぎしました。

 このとき朝日新聞は、政治的中立性を保っているとは到底言えない朝鮮学校に対する国からの補助金支給については理解を示しておきながら、 日本国内の一私立学校の開設には教育勅語を唱和させるからといってその思想を理由に、 「認可はすべきではないだろう」と主張しました。

 サヨクメディアが眼の敵にする「教育勅語」というのは、もともと明治天皇の時代に近代日本の教育方針を明らかにするため文語体で書かれた、 人が生きていく上で心掛けるべき徳目を簡潔に示したものとされます。

 その教育勅語の口語文訳はおおよそ.........「私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、 兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い…」、という現代にも通じるものも書かれています。

 当時は天皇は神であり、教育勅語は文部省を通じ全国の学校に配布され、校長が教育勅語を読み上げるときは紙面を下に見て読むなどトンデモないことで、 頭上に掲げて暗証して読み上げていたといいます。

 戦前の日本の学校においては、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めるため「奉安殿(ほうあんでん)」という建物が設けられていました。    ここが万が一火事にでもなったら大変なことになったわけで、学校における宿直制度も本来はこの御真影の保護を目的として始められた面もあるそうです。

 実際、火事が起こり御真影が焼けてしまったため校長が割腹自殺する、という事件も全国で何件か起こっているそうですから、 天皇を絶対視するあまりの悲劇はこんなところにもあったわけです。

 敗戦後、日本に駐留した連合国軍総司令部(GHQ)は、教育勅語により天皇への絶対服従を国民に植え付け、「公」への献身を強制し、 軍部は天皇の存在を利用したことが軍国主義につながったとみて、日本の国家体制を解体し正当性を否定する思想改革 を徹底的に行いました。   敗戦後、教育勅語がGHQとサヨクから目の敵にされたのは当然だったでしょう。

 教育勅語は1948年、GHQの思想改革の意向に従い、『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す』、ので教育現場での暗唱はふさわしくないとして、 教育勅語の排除と失効確認が議会で決議されました。

 時代はうつり、戦後も70年以上経過する今、戦後体制の見直し機運が高まり、教育勅語についても全てを否定せず改めて見直そうではないか、という声も大きくなりつつあります。    平成26年4月の参院文教科学委員会で、和田政宗参院議員が教育勅語について、「排除・失効決議に関係なく、 副読本や学校現場で活用できると思うがどうか」、と質(ただ)しました。

 その際に、文部科学省の前川喜平初等中等教育局長は、「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して活用することは考えられる」、 と明確に答えています。   教育勅語を学校現場で用いることに特に問題はない、との見解を政府は示したわけです。 

 「教育勅語」というと、反対派はすぐ戦前回帰だ軍国主義、帝国主義復活だと大騒ぎしますが、極めて真っ当な内容も含んでおり、基本的人権を損なう、とか、過激な主張だ、 とは言えない部分もたしかにあります。

 当時の下村博文文科相の、「教育勅語の内容そのものについては、今日でも通用する普遍的なものがあるわけで、 この点に着目して学校で教材として使うのは差し支えない」、という指摘も一理あるのではないでしょうか。

 ただし教育勅語の精神を取り違えるようなことがあってはいけません。  教育勅語の最初の言葉は、日本は皇室によって建国されたものであるという言葉から始まっています。

「朕惟(チンオモ)フニ我カ皇祖皇宗國(コウソコウソウクニ)ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠(コウエン)ニコヲ樹(タ)ツルコト深厚(シンコウ)ナリ.......」。      これを現代語訳にすると、 「天皇の私が考えるに、我が皇室の先祖が国を興したのは遠い昔の事であり、築いた徳は深く厚いものである.....」、 という内容であり、臣民に対し天皇に絶対服従させる目的もあるわけです。

 やはり戦前の天皇への絶対的服従の時代に作られた教育勅語は「臣民(しんみん・君主の支配対象とされる者)」に語りかける形式で、臣民(国民)に忠君愛国を求めたものである、 という本来の姿があるのも事実です。

 たしかに内容の一部には現代でも通じる部分があるのは確かですが、天皇に絶対服従の時代に作られた教育勅語というものの性質とその成り立ちを考えれば、 学校教育の現場に教育勅語そのものを復活させよ、という意見に賛成することはできません。    教育勅語によって愛国心が育つことはないでしょうし、 そもそも教育勅語という名称をつかわずともすでに道徳の時間で徳目を教えているのですから。

 教育勅語の問題ひとつとっても、日本国内には歴史の流れというものを直視せず、これを全否定することだけが民主的なのだと思い込んでいる一部マスコミや言論人の存在があります。   こうした態度が逆に、教育勅語を「神懸り的なもの」として扱うことになることに気づくべきです。

 戦前をすべて否定し蔑(さげす)むのがインテリだという戦後の風潮もあり、内容の如何に関わらず昔の日本の文化や教育を頭から拒絶する、という極端な考えの人も見受けられますが、 もう少し幅のある考えをする人のほうが深みもでて魅力のある人物と見なされるのです。    今さら教育勅語のせいで軍国主義に傾くなどという時代でもないでしょう。

 真に問われるべきはいたずらに正義感を振りかざし、過去から延々と続く歴史の流れを無視し、全否定することが正しいことである、と信じきっている狭量な思考回路の人達の振る舞いです。

 教育勅語にある「法律や、秩序を守ることはもちろんのこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」、 という精神まで否定するようでは、日本国民から愛国心を消し去ろうとしたGHQの思惑がまんまと成功したことになってしまいます。    日本に『一旦緩急アレバ』、それを守るのは日本国民の役目なのですから。

 GHQが行った日本人に贖罪意識を植えつけるための戦後思想改革にいまだに影響を受け、戦前の日本を全て悪と決めつけ、 今なお教育勅語を感情的な面でしか議論できない戦後社会の構図は、この先どれほどの月日を重ねていけば改善されていくのでしょうか。

 日教組によって日の丸、国歌、祖国を否定するニホン人が作られている今の教育現場は放置しておきながら 、教育勅語には目くじらを立てる現代日本の現状を見ていると、  戦後も随分経つというのに日本人の頭の中の戦後処理、はまだまだ終わっていないのだ、ということを実感します。


教育勅語の生い立ち

 サヨクメディアが眼の敵にする「教育勅語」とは、もともと明治時代に近代日本の教育方針を明らかにするため文語体で書かれたもので、 明治天皇が人が生きていく上で心掛けるべき徳目を簡潔に示したものとされます。

 その教育勅語の口語文訳はおおよそ.........「私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、 兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い…」、という現代にも通じるものも書かれています。

 当時は天皇は神であり、教育勅語は文部省を通じ全国の学校に配布され、校長が教育勅語を読み上げるときは紙面を下に見て読むなどトンデモないことで、 頭上に掲げて暗証して読み上げていたといいます。

 戦前の日本の学校においては、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めるため「奉安殿(ほうあんでん)」という建物が学校にも設けられていました。    ここが万が一火事にでもなったら大変なことになったわけで、学校における宿直制度も本来はこの御真影の保護を目的として始められた面もあるそうです。

 実際、火事が起こり御真影が焼けてしまったため校長が割腹自殺する、という事件も全国で何件か起こっているそうですから、 天皇を絶対視するあまりの悲劇はこんなところにもあったわけです。

 軍部が天皇の存在を利用し国民を服従させていたように、天皇が神格化していた時代につくられた教育勅語というものは、敗戦後には目の敵にされるのは当然だったのでしょう。     敗戦後、日本に駐留した連合国軍総司令部(GHQ)は日本の国家体制を解体 し正当性を否定する思想改革を徹底的に行いました。

 教育勅語は1948年、GHQの思想改革の意向に従い、『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す』、ので教育現場での暗唱はふさわしくないとして、 教育勅語の排除と失効確認が議会で決議されました。(2019.1.26)


教育勅語に目くじらを立てる日本の現状

 「教育勅語」というと、反対派はすぐ戦前回帰だ軍国主義、帝国主義復活だと大騒ぎします。  ただ、「教育勅語」には極めて真っ当な内容も含んでおり、必ずしも基本的人権を損なうとか、 過激な主張だとは言えない部分もたしかにあります。

 GHQが行った日本人に贖罪意識を植えつけるための戦後思想改革にいまだに影響を受け、戦前の日本を全て悪と決めつけ、 今なお教育勅語を感情的な面でしか議論できない戦後社会の構図は、日本国民から愛国心を消し去ろうとしたGHQの思惑がまんまと成功した、という証左なのでしょう。

 教育勅語にある「法律や、秩序を守ることはもちろんのこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」、 という精神まで否定するようでは、戦後も随分経つというのにまだまだ日本の戦後処理は終わっていないのだ、ということを実感します。

 戦後の日本は、GHQにより 国家体制の破壊が企てられ、 「先の戦争は日本が悪かった」という思想教育の呪縛にガンジガラメにされてきました。

 戦前をすべて否定し蔑(さげす)むのがインテリだという戦後の風潮もあり、日本人の中には反日左翼でもないが、 「大東亜戦争」は 「侵略戦争」であると教え込まれたままを信じ込み、 日本の文化や教育を内容の如何に関わらず頭から拒絶する、という極端な考えの人も見受けられます。

 真に問われるべきは、、いたずらに正義感を振りかざし、過去から延々と続く歴史の流れを無視し、全否定することが正しいことである、 と信じきっている狭量な思考回路の人達の振る舞いです。

 今ではインターネットの普及により多くの国民に、日本は白人支配を断ち切った 「アジアの解放者」という役割が広く認識されるようになりました。

 いままで著しい偏向報道を続けてきたメディアや、無知蒙昧な政治家たちのウソは、 瞬時に見破られる時代が訪れたのです。 もう反日マスコミや学者のウソは国民に通じなくなってきたのです。

   日本は戦後しばらく日教組によって日の丸、国歌、祖国を否定するニホン人が作られてきました。    そういう教育現場は放置しておきながら、教育勅語には目くじらを立てる日本の現状を見ていると、日本人の頭の中の戦後処理、 はまだまだ終わっていないのだ、ということを実感します。

 日本に『一旦緩急アレバ』、それを守るのは日本国民の役目なのです。 日本が本当の意味で独立国家としての矜持を取り戻すには、 この先どれほどの月日を重ねていけば改善されていくのでしょうか。(2019.1.26)


教育勅語の復活?

 時代はうつり、戦後も70年以上経過する今、戦後体制の見直し機運が高まり、教育勅語についても全てを否定せず改めて見直そうではないか、という声も大きくなりつつあります。    平成26年4月の参院文教科学委員会で、和田政宗参院議員が教育勅語について、「排除・失効決議に関係なく、 副読本や学校現場で活用できると思うがどうか」、と質(ただ)しました。

 その際に、文部科学省の前川喜平初等中等教育局長は、「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して活用することは考えられる」、 と明確に答えています。   教育勅語を学校現場で用いることに特に問題はない、との見解を政府は示したわけです。..... この前川氏はその後別な場面でも登場することになります。 

 当時の下村博文文科相の、「教育勅語の内容そのものについては、今日でも通用する普遍的なものがあるわけで、 この点に着目して学校で教材として使うのは差し支えない」、という指摘も一理あるのではないでしょうか。

 しかし、やはり戦前の天皇への絶対的服従の時代に作られた教育勅語は「臣民(しんみん・君主の支配対象とされる者)」に語りかける形式で、臣民(国民)に忠君愛国を求めたものである、 という本来の姿があるのも事実です。

 教育勅語の最初の言葉は、日本は皇室によって建国されたものであるという言葉から始まっています。

「朕惟(チンオモ)フニ我カ皇祖皇宗國(コウソコウソウクニ)ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠(コウエン)ニコヲ樹(タ)ツルコト深厚(シンコウ)ナリ.......」。  これを現代語訳にすると、 「天皇の私が考えるに、我が皇室の先祖が国を興したのは遠い昔の事であり、築いた徳は深く厚いものである.....」と臣民に対し天皇に絶対服従させる目的もあるわけです。

 たしかに内容の一部には現代でも通じる部分があるのは確かですが、天皇に絶対服従の時代に作られた教育勅語というものの性質とその成り立ちを考えれば、学校教育の現場に教育勅語を復活させよ、 という意見には賛成できません。    そもそも教育勅語という名称をつかわずともすでに道徳の時間で徳目を教えているのですから。(2019.1.26)


聖徳太子虚構説の押し付け

 小中学校教科書では、文科省が「聖徳太子」を「没後の呼称であり、中学では史実を学ぶ」などとして、指導要領改定案で「厩戸王(聖徳太子)」に変更しますが、   国会などで批判が相次ぎ、「聖徳太子」を復活させた経緯があります。

 「高大連携歴史教育研究会」の提言は、「坂本龍馬」を消しながら、戦前に聖徳太子の功績について批判的研究を行った歴史学者の津田左右吉という人物を新たに選ぶ...... 日本の教育現場ではまだまだ特定の見方を押しつけることで、日本人の誇りをなんとしても貶めようとする勢力が存在しているわけです。

 607年に聖徳太子が小野妹子ら遣隋使を隋に送ったときの手紙、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、……」、という心意気と、 聖徳太子が成し遂げた「憲法十七条」や「冠位十二階」などの数々の偉業に我々日本人は誇りを抱くわけですが、ナント聖徳太子は実在していないから教科書から削ろう、という動きがありました。

 聖徳太子という名前は見当たらないし、「厩戸王(うまやどのおう)」という人物かもしれないから、聖徳太子という名前は削っていいんジャネ、と日本人の誇りをバッサリ否定したい勢力がいるわけです。

 歴史は現実にはあり得ない魅力的で不思議なムード、いわゆる浪漫があるからいいんです。  今頃になって、「冷静に考えて数々の偉業をひとりの人物がすべてやったとは考えられない」とか、 「○○というのがどうやら実態だった」、など確たる証拠もないのにヘリクツをつけ否定するのもどうでしょう。     第一、実際に見ていた人など誰もいないんですから.......

 歴史はこういうエビソードの積み重ねで形作られ、それらを通して国の成り立ちや国家に対する誇りを身につけるものではないでしょうか。    「聖徳太子は実在していなかった」、などという話にスナオに納得する日本人は反日でもない限り、いません。   いまさら聖徳太子という日本の卓越偉人をわざわざ否定する必要もないでしょう。

 ところが、ザンネンながらすでに最近の教科書では、「厩戸王(聖徳太子)」とカッコつきの表記に変わってきているといいます。   しっかりしてくれ文科省。(2017.12)


日本刀文化を守れ

 近年、日本では「刀女子」という言葉があるほど若い女性を中心に日本刀が人気を博し、海外でも「居合」がブームとなるなど関心が高まっています。

 そんな最中の2018年6月、自民党の「刀剣・和鉄文化を保存振興する議員連盟」のメンバーが文部科学省に林芳正文科相を訪ね、日本刀文化 を守るため職人の育成予算拡充などを求める要望書を手渡しました。

 要望書は日本刀について「伝統や文化と深く根ざし、引き継がれている神聖な美術工芸品」と位置づけ、ブランド確立のための方策の検討、博物館などでの展示企画への支援、 原材料である和鉄(玉鋼=たまはがね)を製造するたたら製鉄業への助成金の増額なども求めています。 議連事務局長の山田宏参院議員は「世界で中国産やタイ産の日本刀まがいが横行している。  メイド・イン・チャイナが日本刀の標準ブランドになりかねない」と危機感をあらわにします。

 国は刀鍛冶が作れる刀の数を年間24振りまでと事実上制限していることから、刀鍛冶が減り、たたら製鉄所の経営は逼迫(ひっぱく)しているといわれ、 議連共同代表の甘利明元経済再生担当相は「日本刀文化は風前のともしびだ。 おそらく、世界最高芸術。武器であり芸術品であるという極めて特異な日本刀の文化を守れるように、 たたら製鉄から仕上げまでの工程に関し支援してほしい」と述べました。 林氏は「しっかりと取り組む」と応じています。(msnニュース 2018.6.23)

 日本刀の話題といえば、陸上自衛隊が記念品などに使うエンブレムを作る際、日本刀をあしらったデザインにしたところ、 朝日新聞は市民団体代表とやらのコメント、 『軍刀は帝国日本軍の略奪や脅迫を思い起こさせる』という批判意見を掲載、 相変わらずの反日新聞ぶりを発揮してくれました。(2019.1.26)


にわかに沸き起こった「9月入学」議論

 新型コロナウィルス騒動に揺れる日本列島で学校が長期間休校になっていた2020年春先頃から、 巻き起こったのが「9月新学期」論です。    日本は学校年度と会計年度が同じですが、海外では会計年度と学校年度の不一致がむしろ普通で、学校年度はアメリカに倣った9月始まりが圧倒的に多いとされます。

 日本は明治時代に年度の区切りの変更を何度も重ね、1886年以降はいまの体勢に落ち着き、太平洋戦争に敗れ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下にあった時期でさえ、 朝鮮戦争のドタバタでアメリカに合わせた年度変更は免れたという歴史があります。

 そもそもどうして、桜の咲く時期に新学年を迎える、という我々日本人に染み込んでいる春の伝統的風物詩である『4月新学期』を変える必要があるのでしょうか。

 いままで何度か年度変更議論は上ってはきましたが、そのたびに多くの法改正に加え、大変な手間がかかるとの理由から事実上不可能と結論され、4月開始のまま現在に至っています。

 もし実現となれば世紀の大改革となるわけで、当然ながら賛否両論が渦巻きます。 否定論のひとつに、「1学年の人数が増える」説があります。   最初の1年は従来の、『新一年生になるのは4月1日時点で満6歳の子供』にプラスして『9月1日時点で満6歳』も含まれるため、受け入れるキャパがパンクしてしまうというわけです。

 ただ、これは当初の1年間だけですし、さらに少しずつズラしていく方法もあります。  例えば2021年から実施するとして、「2021年の9月に入学するのは、 2020年4月2日〜2021年5月1日までの13か月間に6歳の誕生日を迎える子、2022年は2021年5月2日〜2022年6月1日に6歳になる子……といった具合でいけば、 2026年9月までの5年で解消できる計算になります。(2020.5.21)




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忖度(そんたく).......他人の心中をおしはかること。

斟酌(しんしゃく)......相手の心情を考慮して程よくひかえめにする。

(*3)新渡戸稲造(にとべいなぞう)........1862年9月1日-1933年(昭和8年)10月15日。 日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。 国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。 五千円券の肖像としても知られる。(Wikipedia)

(*4)規範意識(きはんいしき)......道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のこと。遵法精神とも。

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