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現存する世界最古の国家(?)......日本

  日本は現存する「世界最古の国」であり、皇室は「世界最古の王家」として、ギネス世界記録にも登録されていますが、エジプト文明よりはるかに古い文明が存在していた痕跡を残す、 驚くべき遺跡もあります。

 1975年から発掘が始まった青森県蟹田町の西端に位置する「大平山元|遺跡(おおだいやまもと"いち"いせき)」から、 いまから1万6500年前という世界最古の土器の遺跡、石で囲った炉の跡、石蒸し料理に使った焼けた石などが見つかったのです。

 ★...ちなみに、|遺跡(いちいせき)などという妙な数字らしきものをわざわざ使っているのは、日本が世界一の遺跡を持つことを回避させるため、 ネット検索で引っかからないようにするサヨクの陰謀、などというウワサも.........

 これは紀元前6000年頃に成立したとされるエジプト文明よりはるかに古いもので、まさに日本に古代大陸アトランティス並みの超古代国家が存在していたことになります。  英国の歴史家トインビーは昭和40年頃には、『日本文明は支那の文明の衛星文明であり、日本は西暦645年の大化の改新によって漢字や支那の冠位を取り入れて、 はじめて文明国家となった』、という説を唱えていました。

 しかし、後に彼は『日本文明は、独立した一個の文明である』と自説を訂正しており、1967年に伊勢神宮を訪れたとき、『私はここ聖地において、すべての宗教が根源的に統一されたものであることを実感する』、 と記帳しているそうで日本文化の奥深さを実体験していったようです。

 有史以来の古代文明国家は、その後に異民族による侵入、征服などで滅亡と改変の歴史を繰り返してきました。  日本は大和朝廷から1800年、律令制が確立し国号の「日本」を称してから1300年と、 現在に至るまでほぼ2000年近く朝廷が交代したことはなく、世界で現存する最も古い皇室としてギネスブックにも記録される、一つの国名を一貫して維持してきた王朝としては、 ほかに類を見ない長さを誇ります。   今日世界でエンペラー(英語圏でいう皇帝)が存在するのは日本のみとされます。

 2番目に古い国がゴーム王朝から1100年のデンマーク、3番目はノルマン朝から950年の英国です。  建国という点から見れば、米国が230年余、仏が220年余、中国が清から改変してたかだか60余年程の歴史ですから、 ほぼ2000年近くに渡り皇室が現存し他国の侵略を許さなかった日本はダントツの長さを誇る唯一の古代国家で、歴史から見ても奇跡といえる国なわけです。

 日本について、『世界が年老いてから育てた子』という言い方があるそうですが、どうやらこれは死語になるようです。  なにせ日本は「大平山元|遺跡」から数えればナント1万6500年も前から存在していた、 独立する一個の文明を持つ世界最古の歴史を誇る古代国家なのですから。(2015.3.10)


否定された「四大文明」論

 その昔、学校の世界史では各地域に誕生した古代国家の文明を「四大文明」などと習いました。  しかし考古学の進歩により現在では同条件を満たす地域が他にいくつも発見されたことで、 学問の世界では世界四大文明が文明の祖であるとする考えは今や完全に否定されているといいます。

【四大文明といわれるもの】

 「四大文明」という考え方は世界の歴史学会で完全に否定されている説であり、日本・中国・韓国以外では四大文明という考え方は欧米にはないそうです。

一説によれば、四大文明という考え方が日本で広まったのは、清朝末期の1900年日本に亡命していた支那の政治家梁啓超が、 支那には「黄河文明」という欧米に匹敵する古い文明があったのだという話を元に「世界四大文明説」を唱えたことから始まった、と言いますから科学的な根拠に基づくものではないようです。

 いまでは「四大文明」どころか、それ以前のアトランティスなどの超古代国家が存在した、などという説も聞かれますから、考古学の成果により今後さらに古代文明の謎が明かされていくかもしれません。    いずれタイムマシンが発明されたら真実がさらに明らかになるでしょう。(2015.3.10)


  

日本が中国を超えたのは江戸時代から

 日本は明治維新があったおかげで中国を超えた、などと言われます。  従来から、日本は明治維新を通じて立憲君主制と資本主義を導入し、 その後の発展の基礎を築いたとされています。     その一方で、日本が中国を超える国力を築くうえでの基礎は、すでに江戸時代に構築されていたという意見もあります。

 ちなみに、主流の学説によれば『江戸時代』の定義は、『1603年3月24日(慶長8年2月12日)に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立〜 1868年10月23日(慶応4年/明治元年9月8日)の祐宮睦仁親王(明治天皇)の践祚(せんそ・天子の位を受け継ぐこと)及び「一世一元の詔」の発布により、慶応から明治に改元されるまで』、 の265年間を指すとされます。

 江戸時代は、江戸幕府を中心とした政治が行われていましたが、中央集権国家というほど江戸幕府の力は強くなく、 日本各地に力を持った大名がいて、それぞれの地域で経済や社会が独自に発展していた時代でもありました。    暴君もいたかもしれませんが、正義・道徳をわきまえる、名君と言われた指導者も全国各地に存在しており、必然的にその民度も非常に高かったわけです。

 江戸時代の頃の中国は「(1368年〜1644年)」や「(1616年 〜 1912年)」の時代にあたりますが、江戸時代、 日本全体としてみた場合の都市化率は当時の中国より高かったといわれます。     日本の社会は江戸時代の時点ですでに中国を上回る発展を遂げていた、ともいえるわけです。

 さらに、教育は「国力を左右する鍵」であるとされますが、当時は日本各地に寺子屋があって庶民の間にまで教育が普及しており、 日本は江戸時代から非常に高い識字率を誇っていました。    このように、江戸時代にすでに構築された基礎があったからこそ、 日本は明治維新で一気に中国を超える国力を築くことができた、 というわけです。(2020.1.27)


独特の文化を築けた日本

 日本に憧れるアインシュタインは、日本を訪問し大変な感銘を受けたといいます。   「人口5000万人以上を抱える単一民族国家は、世界では大和民族と朝鮮民族しかいない」と言われますが、島国日本はこれまで太平洋戦争敗戦による米軍の一時的な占領時期を除き、 外来民族に占領、侵略されたことはなく、日本独特の文化を築いてきました。

 東南アジアの中国周辺諸国がこぞって冊封体制に置かれていたその昔、聖徳太子は『日本国は中国と対等の関係にあり、 決して子分の立場ではないゾ』、と堂々と宣言しました。  以前の日本は相手が大国であろうが、脅しや武力誇示には屈しない不屈の精神を宿している、誇り高い民族だったのです。

 ナンダかんだ言われますが、日本という国はまだまだ平和で美しい自然に溢れ、食べ物も美味しく、人々の気質も穏やかです。    自然も豊かであり、工業技術でも世界トップレベルのハイテク国家、という日本は世界から見ても住み易い国であることは誰しも認めるところだと思います。

 日本には唐時代の文化をいまだに色濃く残す日本文化を観光するため、中国から大勢の観光客が訪れています。   中国4000年の歴史といっても、実態は内戦と改変の繰り返しで過去の文化は破壊されてきました。   一個の文明として中国という国が継続してきたわけではありません。

 それに較べ日本(大和)民族はずっと同じ土地で生存し、その場所を離れたこともなければ他の文化を参考にすることがあっても同化させられたこともありません。   そのため中国にはほとんど残っていない古代文化を日本で目にすることができるわけです。

 創業200年以上の企業数についてもさまざまな報告があるようですが、ある資料によれば2012年現在で創業200年以上の日本企業は全世界最多の3,146社、という話もあり、どちらにしても 「日本には長寿企業が世界一残っている」のは事実のようです。

ちなみに日本経済大学経営学部長の後藤俊夫教授による2009年の調査では、創業200年以上の企業は日本が全世界最多の3,937社。 第2位はドイツの1,850社、第3位英国の467社、第4位フランスの376社など。  中国は75社だそうです。(2017.12)


  

外国人・ケンペルが見た「鎖国」の実態

 「鎖国国家」というと、なにやら時代遅れで頑迷な独裁国家のようなイメージがありますが、この「鎖国」という言葉は、ドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルの日本旅行記がもとになっている、 という説があります。  ケンペルは元禄3年(1690年)から2年ほど長崎の蘭館に嘱託医として滞在しましたが、彼の日本研究の成果は死後『日本誌』という論文で発表されます。  これを、 長崎の民間学者・志筑忠雄が、オランダ語本から翻訳して『鎖国論』という手写本の形で世に出した、というのがルーツとされます。

 オランダ東インド商会という貿易商人の一員でもあったケンペルは、当初、せっかくの海外貿易の道を自ら閉鎖する日本の行動は謎めいて見えたそうですが、二度の貴重な江戸旅行や長崎での日常生活で得た見聞により、 やがて一つの結論を導き出します。

 『....日本はその恵まれた自然的条件により、山・海・森・川等の天然の産物が実に多彩で、かつ豊富である。  国内交易路は十分に発達し、どの大名の所領も秩序が整い、主要な街道は全体が街続きででもあるかのように安全で便利である...』。

 『...かくて国内の各地方が相互に売れるものを移出し、足らざるものを移入する交換と流通の体系が発達した結果、人々は満ち足りている。  品物と一緒に既成の奉平(たいへい・世の中がよく治まっている)の秩序を乱すような宗教を持ち込むポルトガル人は全面的に排除してしまっても、 日本人の失うものは何ひとつない。  国を閉鎖してかつ自足した状態にある日本人ほどに幸福な国民はこの地球上におそらく二つとないだろう...』。

 ケンペルの日本評は、現代日本人からすると、持ち上げすぎという気もしないではありませんが、永禄13年(1570年)から慶長14年(1609年)まで、宣教師として日本を離れなかったオルガティーノのような、『...この地(日本)の科学、見識、文明はローマよりもさらに高尚である。  信仰のことはともかくとして、 我等は日本人よりも顕著に劣っている。  私は日本語が分かるようになってからは、世界にかくも聡明で明敏な人々はいないと考えるに至った....』、 という極端な日本びいきというわけではなかったとされますから、素直に受け止めてもよさそうです。(2023.4.12 地球日本史A より抜粋)

 少なくとも、江戸時代の前半にあたる元禄期、「鎖国」していた当時の日本は、農業をはじめ、さまざまな産業が発展し、経済力をつけた町人も現れ、豊かになった町人が、学問や娯楽にいそしみ、 絵画や文学、演芸などのジャンルで活躍を見せ、「元禄文化」として栄えた、とされているのですから。   元禄文化の中心は、 主に当時、上方(かみがた)と呼ばれていた大坂(現大阪)や京都とされますが、江戸も例外ではなかったでしょう。


日本で独自に進化した漢字文化

 かつて中国から伝わった漢字は、日本以外に韓国とベトナムも使用していたとされます。  しかし、時代は移り韓国は漢字の使用により中国の文化の影響を受けすぎたことを反省し、 ベトナムにおいてはフランスの植民地になったことで、いずれも漢字が廃止され今では日常生活で漢字は使用されていないようです。

 しかし、日本はこれらの国とは大きく異なりました。 日本は今でも漢字を使い続け、さらに漢字から新しい文字を作りだしている国です。    日本は中国版漢字にはない日本語の音を表すのに漢字を簡略化した「ひらがな」を作り、漢字の一部を取って「カタカナ」を生み出しました。  当初は「ひらがな」は女性が使い、 「カタカナ」は修行僧などが漢文を和読するための訓点として使ったとされます。

 日本人はもともと「創意工夫」が得意で「革新を好む国」だとされます。  いまあるものを徹底的に突き詰め、よりいい物に昇華させるのが得意な民族でもあります。     漢字でさえも中国から入ってきた中国製漢字を日本人はそのまま用いることはせず、書きやすい日本版漢字へと改めました。

 このように日本人は中国や西洋文化から科学技術や教育など、先進的なもの必要と思えるものは積極的に取り入れ、さらに進化させるのが得意なのです。    日本は漢字を基に平仮名とカタカナを作り、中国とは形を変えた独特の漢字文化を熟成・発展させていったわけですから、文学も発展するわけです。

 近代では西洋から来た単語を日本人が漢字に訳す日本製(?)の漢字単語が次から次へと作られ、それが中国に「逆輸入」されて現代中国語に取り入れられる、というケースも少なくないようです。   実は「逆輸入」という漢字も日本が明治時代に西洋の単語を訳して漢字で表現したもので、こういう言葉のセンスは日本人は跳びぬけています。      漢字ひとつとっても、日本人は他から何かを学んでもそのまま取り入れるのではなく、応用するのが得意な国民性であることを示しているわけです。

 第二次大戦後、日本に漢字廃止論が出て「最大のピンチ」に陥ったことがありましたが、1946年に1850の漢字が掲載された「当用漢字表」が公布されたことで、廃止を免れた経緯があります。    今では日本発の和製漢字(?)は、中国国内でも積極的に取り入れられています。 漢字発祥の地中国からすると、これはうれしいことなのかもしれません。(2019.1.25 Searchina 引用)


  

愚民化政策をとらなかった日本

 両班という文官の貴族が社会を取り仕切っていた朝鮮は、庶民は文字は読めませんでした。    ローマ法王が最高権力者だった中世ヨーロッパでは、庶民は誰も本など読めませんでした。   聖職者だけが文字を読めたのです。  いずれも、自らの権威を守るため庶民に文字が読めないよう「愚民化政策」を行っていたのです。

 朝鮮では李氏朝鮮第4代王の世宗によって誰もが簡単に読み書き出来るハングル文字が作られましたが、1504年に暴政を批判する張り紙が各地で見つかったため、 ハングル文字が使用禁止となっています。  日本は日韓併合期、ハングル文字を再発掘し学校教育により朝鮮半島に広く普及させています。   「愚民化政策」の有無が国民レベルと密接にリンクしているのです。

 日本人は江戸時代から「識字率」が高かったとされます。  一般庶民の教育は「寺子屋」を中心に行われ、武士は「藩校」や「郷校」がありました。     私塾も沢山ありました。    それにより、武士の「識字率」はほぼ100l、一般庶民でも江戸周辺であれば80l、地方を入れても男子の「識字率」は45lほどだったとされます。     これは世界有数の数字です。   産業革命前のイギリスの「識字率」は男子で45lほどといいますから、江戸の「識字率」の高さは当時でも抜きん出ていたわけです。

 江戸幕末期の1891年にロシアから布教のために来日したニコライは、JR御茶ノ水駅そばにニコライ堂を建立しましたが、彼は『読み書きができて本を読む人間の数においては、 日本はヨーロッパ西部諸国のどこの国にも引けを取らない』、と書いています。(2019.9.29)


 

中国語に影響を与えた日本語

 日本の「漢字」は中国から様々な「単語」を導入し日本流のアレンジを加え現在の形になったとされていますが、今の中国は、もし日本から導入した言葉を使わなければ 「中国人は世界と対話ができないほどだ」という状況になっているのだとか。

 中国メディアの今日頭条によれば、中国が日本から導入した単語のなかには「人民」、「民主」、「社会主義」、「共産主義」、「思想」、「経済」、「宗教」、「科学」、 「権利」、「運動」、「衛生」など、普段から頻繁に使われるものも多数含まれているといいます。

 現代中国語のなかに日本から導入した単語が数多く存在する背景には、資本主義列強の侵略を受け半植民地状態に落ち込んでいた中国の清朝末期になると、 多くの中国人が明治維新をきっかけに開国に舵を切り、積極的に西洋文明と知識を学び取った日本に留学 したことも大きく影響しているとされ、この時に西洋の文明や思想が「日本語に翻訳された単語」として中国に持ち込まれた、 というわけです。

 このとき日本は西洋の新しい技術や思想、理念を学ぶと同時に「西洋の単語を日本語に翻訳し、新しい単語をたくさん生み出した」時期でもありました。    日本はこの作業により西洋の進んだ文明や思想を深く理解でき、日本が列強となる基礎となったともいえます。

  また、現在でも日本からは様々な単語が中国に伝わっているそうで、たとえば「素人」、「御宅(オタク)」といった単語のほか、中国語でも使われる「○○主義」、「○○化」、 「○○感」、「○○界」といった接尾語も日本語の影響を受けているといいます。(2020.2.24  Searchina記事引用)


日本の紙文化

 日本は19世紀後半には成人識字率は40%もあったとされます。 これは北西ヨーロッパに次ぐといわれています。 ただ、簡単な「かな」文字を持ち、 庶民の子供でさえ通ったという手小屋制度のあった日本では一般庶民も含めた数字かもしれませんが、 当時のヨーロッパ貴族社会では果たして貧しい一般庶民でもそれほど高かったのかは疑問です。

 江戸末期に日本を訪れたヨーロッパ人は、何を買っても領収書を出してくれ、こまかい説明書きまでついてくるのに驚いたといいます。

 日本の紙文化は三度あったといわれます。 一度目は飛鳥奈良時代で、大陸から仏教とともに「紙すき」が伝わり、寺・役所などに紙が普及していきました。 二度目は江戸前期。 「紙すき」が普及し庶民までも紙を消費するようになります。

 そして三度目が工場で洋紙が製造されるようになった明治の近代化時代。 以前はコウゾやミツマタの皮で和紙を作っていたのが、この辺りから北海道や樺太の針葉樹のパルプ利用が始まり、 和紙から洋紙に変わっていきました。 さらに、この頃から子供たちが小学校に行くようになり、本や新聞、紙の消費も激増していきます。 

 日本は、各家庭が新聞を宅配してもらうとか、新書という手軽な教養書を読むとか、およそ世界中の国々ではみかけない、日本だけの紙文化ができたとされます。  紙が日本を文明国にしたといっても過言ではないわけです。(2018.8.31 磯田道史 「紙と私」引用)


世界で最も清潔な日本紙幣

 昨今は電子マネー時代とかで、現金は持ち歩かずもっぱら電子決済で、という人が増えているとか。 特に中国はほぼスマホで買い物を済ませるのが一般的になっていると聞きます。

 日本でも乗り物などの支払いは電子マネーが普通になっているようですが、買い物などはまだまだ現金払いが多いようです。 日本も中国のように早く電子決済社会を目指そうという動きもありますが、 はたして今後どうなるのでしょうか。

 人の手にはさまざまな細菌やウィルスが付着しているとされます。 そのため人の手から手へと渡るお金は最も清潔ではないものの一つとされています。  アジア7カ国(地域)の中では人民元が最も細菌数が多いそうで、たしかにテレビに映る中国のお札は品質もさることながら、サイフの中にぐちゃぐちゃに詰め込まれ、 ボロボロの紙くずのようになったお札がよく見受けられます。 紙幣にメモ書きなど当たり前の世界なのだとか。

 中国ではこんなお札事情...というかこんな扱いのせいなのか、偽札もかなり横行しているといいます。 そのため多くの店舗にはお札の真贋をチェックする紙幣識別機が置かれており、 中国の高額紙幣である100元札を受け取った場合には、店員はお札が本物かどうか入念にチェックするといいます。

 こういった事情も電子マネー社会を後押ししているのかもしれません。 現在はデパートからコンビニ、露店に至るまで生活のあらゆる場所に「非現金決済」が浸透しているといわれます。

 それに較べ日本の紙幣は偽造防止のため印刷時にインクに磁粉体を配合して印刷するなど、「偽造を防止する高い技術」が採用されているため、 偽札を製造しようとしてもコストが掛かりすぎるとされます。 和紙で作られ、使われる材料の関係もあって、そもそもが清潔な造りなのだとか。 さらに、日本人はもともと貨幣=金運を運んでくるという文化が根強く、 紙幣を大切にする社会というのも関係しているのかもしれません。

 さらに、紙幣そのものが磁石に反応するようにしているそうで、このため磁石のN極とS極は血流に良いので人の体の健康に役立つ、 という都市伝説レベルのウワサもあるようです。

 例外はあるとしても、ほとんどの人はお金は丁寧かつ整然と財布の中に入れています。 紙幣にメモ書きなどトンデモない社会です。 ですから日本の紙幣は比較的キレイで清潔さを保てているのかも。

 紙幣は人の手で扱われるほか機械に通すなどで徐々に傷んでいくため、日本銀行によると平均寿命は一万円券で4〜5年程度。  五千円券と千円券は使用頻度が高く傷みやすいこともあって、1〜2年程度とされています。 古くなった紙幣は順次新しいものと入れ替えているそうです。(2018.9.19)


  

ナゼか「世界で唯一」が多すぎる日本

 日本と言う国は、なぜか過去世界のどの国も体験していない運命にさらされる、ということを数多く受けてきた国です。     太平洋戦争では原子爆弾を2発も投下され大勢の一般市民が虐殺されるという悲劇を体験しています。

 1995年(平成7年)3月20日には、東京の地下鉄内で無差別に化学兵器が使用され、乗客や駅員ら14人が死亡、負傷者数は約6,300人以上という、 世界にも類例のない平時の大都市におけるテロリズム「地下鉄サリン事件」が発生しています。

 2020年は東京オリンピック夏季大会開催の予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、延期される事態となります。 オリンピック(五輪)については、夏季、冬季をあわせると、 これまでいずれも戦争の影響により中止が5回もありましたが、オリンピック開催の延期は人類史上今回が初めてとなります。

 過去、日本は2回も五輪開催国となっていながら、いずれも開催が中止となっていますが、こんな国は世界中を見渡しても日本だけです。   幻で終わった一つ目は「1940年の夏季東京五輪」で、 日中戦争の影響等から日本政府が開催権を返上しています。  当時は、「有色人種」国家における史上初のオリンピックとして注目されていた大会でした。

 開催中止の2例目は、1940年の冬季の札幌五輪で、これも日中戦争が影響しています。  ちなみに、昔は夏季オリンピックと冬季オリンピックは同じ年に開催されていたのですが、 諸般の事情によって冬季五輪を2年ズラし、現在は夏季・冬季共それぞれ4年毎の開催となっています。

 冬季オリンピック開催がズラされたのは1992年のアルベールビル五輪で、その後の1994年にも冬季オリンピック・リレハンメル五輪が行われたため、現在の形となっています。    ズラした理由について国際オリンピック委員会による正式な発表がなされていませんが、商業的な理由で行ったというのが通説です。

 過去にオリンピックが中止になったのは、夏季オリンピックにおいては「1916年のベルリン五輪」、「1940年の東京五輪」、そして、「1944年のロンドン五輪」。    冬季オリンピックは「1940年の札幌五輪」、「1944年イタリアのコルチナ・ダンペッツオ五輪」となっています。

 今回中止ではなく延期となった夏季オリンピックの東京五輪ですが、延期は前例がなく五輪史上初の出来事となります。    これによる日本の経済損失は3兆円以上との試算もあり、大打撃は避けられそうにもありません。(2020.3.28)


英国のガーデニングは日本発祥?

 美しい庭園で知られるイギリスは街中の美しさが有名ですが、もともとは日本の街の景観の美しさに影響され発展していったのだとか。

明治維新による近代化を進めていた当時、イギリスからも大勢の学者や技術者が日本をおとずれ、日本の都市の美しさに感動したそうです。
街には並木が植えられ、どこの家でも樹木、草花に囲まれ自然と調和させた生活をしている、という街の美しさに目を見張ったといいます。

我々日本人は、自分たちの回りの風景は見慣れてしまい、あまり意識しませんが、山岳地帯、河川、肥沃な平野と、起伏に富んだ自然環境にも恵まれている日本の景観は、 単調な景色が続く海外の人から見ると感動に値する、と言います。

彼らが本国に帰って山紫水明の国、日本の景色の素晴らしさを広めた結果、イギリスでは日本が一躍憧れの国となって日本への観光ブームが起きました。 当時、最も多かった外国人観光客はイギリス人だったそうです。

日本は亜寒帯から亜熱帯までの気候帯を持ち、四季があり土地が肥沃で色々な動植物が生息しており、魚介類も四方の海から多種にわたり豊富に獲れます。
南北に長い日本列島は、どこかで天候不順で不作になっても他の場所は被害を受けないため、食料の安全保障にもつながっています。


世界によい影響を与えている国

 英BBC放送の世論調査によれば、日本は「世界によい影響を与えている国」として、毎年トップクラス(1−3位)にランク入りしているそうです。

世界でも日本を肯定する国は6割内外で、インドネシア、フィリピンなどは 8割も肯定してくれ、否定は2割以下に収まっているのだそうです。

ところが、お隣中国と韓国の二カ国だけが、否定が肯定を上回っているのだそうですから、案の定というか偏屈な意識にとらわれたままのようです。

また、日本人は世界最大のオンライン旅行会社エクスペディアによる「ベスト・ツーリスト」調査でも3年連続で第1位に評価されています。

行儀のよさ、部屋の使い方、他客への迷惑、不平不満などの項目で、総合ポイントが71点、2位が英国人52点、3位ドイツ人51点ですから、 日本人は世界でダントツの最良観光客としての評価を受けているようです。


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忖度(そんたく).......他人の心中をおしはかること。

斟酌(しんしゃく)......相手の心情を考慮して程よくひかえめにする。

(*3)新渡戸稲造(にとべいなぞう)........1862年9月1日-1933年(昭和8年)10月15日。 日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。 国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。 五千円券の肖像としても知られる。(Wikipedia)

(*4)規範意識(きはんいしき)......道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のこと。遵法精神とも。

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