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憲法改正と有事立法

 戦後70年以上も手付かずだった米国製の日本国憲法.......平和がいつまでも続くのであれば強いて中身を見直す必要もないわけですが、 昨今の中国や北朝鮮による脅威が迫る中、「対抗手段が阻害されたままの憲法」ではさすがにマズイだろうということで、今や憲法改正は日本国民の最重要課題となりました。  その改正への歩みを追いかけます。

 いままでは世界の警察だったアメリカの庇護の下、日米安保体制の枠内でぬくぬくと米国から守られ、何もせずとも平和を享受できていた日本でしたが、 2016年11月の米国大統領選挙で当選したトランプ氏は、アメリカ・ファーストを標榜します。

 トランプ氏は大統領選挙期間中、「在日米軍の駐留経費を全部出せ」、と主張しました。   いよいよ日本も自ら防衛努力を強める覚悟を持ち、米国に軍事でも経済でも過度に依存しない「完全に独立した国」を目指すべきときを迎えようとしています。

 自国の安全保障を他人任せにできた、"シアワセな時代"は残念ながらそろそろ終わりを迎えつつあり、日本は安全保障の面において、 いつまでも米軍頼みでいるわけにはいかない情勢になってきました。

 日本が自国の安全をしっかり守ることができるよう法律を改正することを、右傾化と呼ぶ勢力が日本国民の中にいまだに大勢います。  日本人に軍隊を持たせるとまた軍部主導の国となり、 再び戦争への道を歩む、と決めつけるわけです。  人間の世界では応分の責任を分かち持たない限り一人前と見なされません。  しかし、この勢力は、 日本を自国の防衛に永遠に責任を持たない、国家として成り立たない半人前の国にしておけ、と主張するのです。

 これまで国際社会の安定の基盤になってきた、アメリカという世界を支える大きなプレートは、米国がアメリカファーストという立場にシフトしつつある今、 壊れ始めようとしています。 日米安保体制の枠内で憲法9条がどうの、安保法制がどうの、といった瑣末な議論に終始してきた牧歌的な世界は、 もはや過去のものとなりつつあります。

 日本でもようやく、いつまでもアメリカ軍に頼っているわけにもいかないゾ、自分の国は自分で守れる真の自主独立国家を目指そう、という機運が盛り上がり、 多少は危機に対応できる有事体制法が整い始めました。(2014.12.19)


憲法と乖離している現状

 英文では憲法9条第2項は、『“land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.”』、 日本語訳はこれを、『(陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない)』としています。   「war potential」の部分を日本語では「戦力」と訳していますが、文字通りに訳せば「潜在的に戦争を遂行できる能力」だといいます。

 日本に駐留した(GHQ)内に設けられた、憲法制定会議の運営委員会のメンバーで、「戦争放棄」の条文を起草したと言われるチャールズ・L・ケーディス陸軍大佐によると、 「潜在的に戦争を遂行できる能力」とは、「政府の造兵廠(ぞうへいしょう)あるいは他国に対し戦争を遂行するときに使用され得る軍需工場のための施設」も含まれるといいます。

 陸海空軍その他の戦力(war potential)はこれを保持しない、というのであれば、事実上の陸海空軍である自衛隊の存在はおろか、 戦闘機や戦車を量産してきた三菱重工業や装甲車を製造するコマツ、 その他の兵器を製造している企業全てが「戦争を遂行するときに使用され得る軍需工場のための施設」ということになり、憲法違反の存在となってしまうわけです。

 国際ジャーナリストの高橋 浩祐氏が指摘しているように、『....三菱重工やコマツのような日本一流の企業を憲法違反と読み取れてしまうような条文があれば、本来なら改正するのが当然だろう。』、 という現実に日本は置かれているわけです。   しかし、ヒダリマキは当然として、野党政治家誰もが、この矛盾を正そうなどと考えないどころか、 必死にこの憲法の改正を阻止しようするのですからどうしようもありません。

 憲法で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」、としているのに、現実の日本はすでに世界有数の軍隊である「自衛隊」を持ち、西側最強戦闘機だったF-15をアメリカに継ぐ機数保有し、 これから次期最新戦闘機F-35を100機以上取得しようとしているのです。  護憲派が後生大事にしてきた憲法9条は、拡大解釈で軍拡を続けてきた現在、ザンネンながらもう死文化・形骸化されています。

 しかも、この矛盾は戦争場面ではなく、むしろ国際平和活動(PKO)の現場で自衛隊員を危険に晒しています。     自衛隊を軍隊と定義しないため、外国軍隊のような満足な装備も持たされないまま紛争地に派遣され、さらに万が一戦闘状態の危機に遭遇しても、 自衛隊員を軍人扱いできないため法的にがんじがらめにされており、下手すると敵を殺傷すると罪に問われる、というムチャクチャな現実に自衛隊員たちは晒されているのです。 (2019.4.1 msnニュース 引用 )


憲法9条改正に必要な仕組作り

 戦前の明治憲法下の大日本帝国は、天皇が持つ軍の最高指揮権である統帥権について、軍が拡大解釈し、政治の介入を阻止し暴走した挙句、戦線を拡大させ日本を未曾有の惨劇に陥れました。

 昔から日本人は拡大解釈して自己に都合のいい方向に合わせる、というやり方が好きな(得意な)国民かも知れません。    現実と乖離した憲法9条が現在まで生き残ってきたのも、どうとでも解釈することが得意な、日本人の持つ独特のメンタリティがあるからでしょう。

 ただし、この日本独特の曖昧さが、物事を決められない事態を招き、問題はなし崩し的に先送りされ放置されてしまう。   そのうち問題や惨劇が起き誰かが犠牲になったとき始めて真剣に向き合う。  そして、にっちもさっちも行かなくなると、大騒ぎし慌ててルール作りへ走るが、時既に遅しの事態になっている..... というお決まりのパターンになるわけです。

 つい最近も日産を散々食い物にしてきたゴーン氏の逮捕劇がありました。  権力の一極集中とそれに群がる取り巻きの増長、 それを見て見ぬフリする社内風土から生まれた、日本の企業や社会でいまだによく見かける光景ではあります。   おかしい、正しくないと分かっていても、躊躇してしまい、なかなか問題解決を図る動きがとれない、日本文化(?)が背景にあるわけです。

 時代は下り、いま戦前と似たような空気がただよっています。  中国の海洋支配の脅威に晒された日本は、護衛艦だった「いずも」を「空母」に改修しようとしています。    ただし、これは戦前の軍部独走と同じというより、矛盾した憲法に縛られる日本が、激しさを増す中国の海洋進出に備えるための止むにやまれぬ対抗策である、という捉え方の方が正鵠を得ているとは思います。    いずれにしろ、護衛艦がいつの間にか空母になっている、という現実が目の前で起きているのです。

 こうなってしまうのも、現実を見ようとせず、憲法9条にしがみつき、このお守りさえあればいつまでも安全だろうと考え、深く考えもせず「憲法改正絶対反対」などと ナントカの一つ覚えで騒ぐ日本国民にも責任の一端はあります。  といっても、反対しているのは野党と一部のヒダリマキではあるわけですが。

 中国の台頭が顕在化してきた今、東アジアの安全保障上においても日本が弱い国では困ります。 ヒステリックに戦争反対を叫ぶだけのヒダリマキ勢力のやり方では、 東アジアの平和は守れません。

 過去日本は弱い国は生き残れない時代、世界中の有色人国家を支配し植民地化していた白人列強国に立ち向かい、 これを打ち破り、植民地支配および人種差別を断ち切るという偉業を成し遂げた国です。

 自らの力でかつて世界のどの国も成し得なかった役割を果たしたわけですが、良し悪しは別として、軍事力があったからこそ成し遂げられた、 というこの冷徹な事実から目をそむけるわけにはいきません。

 やはり我々国民も祖国防衛の必要性を正しく認識することは必要です。 戦争を防止するための憲法は死守しなければなりませんが、この辺できっちりと実態に合うよう憲法9条を改正する時期にきています。

 そのためにも現実としっかり向き合い、自衛隊をきちんと軍隊と認め、そのうえで二度と惨禍を招くことのないよう自衛隊の任務範囲を明確にし、 行き過ぎる軍事行動にはキチンと歯止めをかける仕組みを作る方向を目指すべきではないでしょうか。(2019.4.1 msnニュース 引用 )


憲法9条が盾となった時もあった

 日本の憲法は、大戦中に日本に痛い目に会ったアメリカによる、「戦争の放棄と戦力の不保持により、 日本を"国を守る軍隊が持てない丸腰の国"にする」、という目論みが色濃く反映された憲法と言われます。     見方を変えればこの憲法はアメリカの意思によって「交戦権も軍隊も自立生存も放棄」させられたともいえます。

 ところが昭和25年6月、冷戦激化と中国共産党の躍進を危惧したアメリカは方針を転換。 日本を共産主義進出に対抗する東アジアの防波堤にしようと考え日本に対し『再軍備しろ』と迫ります。    しかし、時の宰相吉田茂は憲法9条を盾にこれを拒絶します。  憲法改正論者からすれば、再軍備拒否の吉田首相はトンデモナイ非国民とされたわけです。

 1943年に連合国に降伏したイタリア軍は、一転してそれまで同盟国だったドイツと戦うことを強要されます。  敗戦国の軍隊はしばしば戦勝国により戦地へかり出されるわけです。    その点平和憲法を持つ日本は、米軍にかり出され兵士として戦線に送られることはなかったわけで、憲法9条にはそうした利点もあったわけです。

 ただ、マッカーサーは『日本は邪悪な力には力を以って戦う義務がある』と脅します。 そこで仕方なく警察予備隊を発足させたという経緯がありました。


自衛隊は憲法違反?

 過去日本は憲法第9条で戦争を放棄していることなどから、有事法制の整備は棚上げにされたままでした。  一昔前までは自衛隊は憲法違反だから廃止せよという常軌を逸した主張が、 国会で平気で論議されていた時代があったのです。

 中国の軍事力を背景とした歯止めのない膨張主義に立ち向かうには、自衛隊がなければ日本が立ち行かなくなるのは明らかですが、 自衛隊は憲法に一文字も記されないまま、ただ政府の憲法解釈によって存在が認められているという恐るべき現実があります。     読売新聞が2018年に実施した調査でも、憲法学者の半数超が自衛隊は「違憲」だと回答するありさまです。

 安倍晋三首相(党総裁)は2018年4月の産経新聞のインタビューで、「国を守るために、国民の命を守るために命をかける自衛隊について憲法に明記することは、安全保障の基本だ」 と訴えました。   日本は理論破綻したままの国防体制をこのまま維持していくわけにはいきません。 有事法制の整備を一刻も早くすすめるべき時です。

  さすがにテロや中国の脅威が迫る昨今、徐々にではありますが現実路線に進みつつあります。 憲法では、「.....戦力は、これを保持しない....」とされていますが、 自衛隊は世界でも有数の武装組織であることはマトモな日本人であれば理解しています。


ご都合主義で自衛隊を利用する政治家たち

 近年日本列島は地震、台風などの大災害にひっきりなしに見舞われています。 こんな中で災害現場における自衛隊の活躍は、イザというとき即応できる組織の存在というものがいかに重要かが痛感できます。   しかし、驚くべきことに、日本において自衛隊の存在が憲法に明記されていないという現実があるのです。

 共産党の志位和夫委員長は、「自衛隊が憲法違反なのは明瞭だ。(中略) 大規模災害など必要に迫られた場合には活用するのは当然だ」(平成28年6月の日本記者クラブ主催の党首討論会)と平然と述べました。  違憲だが、存在するから使うという驚くべきご都合主義者です。

 自衛隊は2018年9月6日未明に最大震度7の地震が発生した北海道でも懸命の救助・支援活動に当たっています。 国外に目を向ければ、日本近海に跋扈する中国の軍事圧力や、 北朝鮮の核ミサイルによる日本の威嚇など、今後何が起こるか分からない事態が周辺に差し迫っています。

 しかし、国民を守る役割を担う自衛隊を曖昧な立場においたまま、都合の良いときだけこき使い、 後は知らん振りするというご都合主義に終始する日本の政治家たちは、どんな道理でこの事態を放置しているのでしょうか。

 安倍首相は、2018年9月に放送されたインターネットのDHCテレビ番組で、「自衛隊の正当性を明確化すべきだ」と強調しました。   「年頭の主張」でも、安倍首相は「自衛隊が(中略)条文解釈と、法の欺瞞(ぎまん)的運用によって辛うじて存立している」、と指摘しています。

 このように自衛隊の正当性について高い問題意識を持つ首相の存在は近年なかったことです。 三選を目指す安倍首相ですが、総裁選には地方票の行方も影響します。  対抗馬の石破茂氏は芸術家に見られがちな理想主義者のようですが、理想論を振りかざしてまともな国となった例は過去どこの国もありません。

 石破氏は1993年に自民党を離れ野党を渡り歩いた過去もある「出戻り」であり、政治家にとって必須のリーダーシップに欠ける人物という印象があります。  テレビに出たがり屋のようで、かつ喜怒哀楽の感情を子供のようにすぐ表情に出すのもいただけません。 "精神的にタフ"なタイプとは無縁の人間、というイメージを抱いてしまいます。

 手相鑑定氏によると、石破氏は『なんでも"自分が正しい"と思い込んでしまう嫌いのある評論家肌』、だそうですが、もしそうだとすれば、緊迫する国際情勢を乗り切れる精神力、実行力があるのか気になるところです。  氏は北朝鮮拉致被害者とも疎遠の立場をとっているともいわれます。 果たしてどれほどの国民が自衛隊の問題まで考えて次の総理大臣をえらぶのでしょうか。(2018.9.8)


憲法改正の道理

 戦後の日本国憲法は、「戦争」 を想定しておらず、常に「平時」であるという前提で制定されています。   米軍の核の傘に守られ、あまりにも長く平和が続いた日本人は、「危機」「戦時」について考えない民族となってしまいました。   「有事に対処できる憲法をもたない平和ボケ国家」であり、侵略国にとってやりたい放題できる国なのです。

 なんの根拠もなく「憲法改正反対」、などと無邪気に唱えるのでなく、日本が戦争に巻き込まれる事態になっても、被害を最小限に食い止めるよう、 日本が置かれている立場について国民皆が安全保障について真剣に考える時がきたのではないでしょうか。

 PKOで現地に派遣された自衛隊の日報に「戦闘」という字句があったと大騒ぎする日本ですが、戦闘行為の恐れのある紛争地域には派遣できない、という法律のシバリを課せられた自衛隊員が、 現地で自分達の身近で起きた戦いを「戦闘」以外にナンと表現しろというのでしょう。  ニホンジンらしく曖昧にしてウソを書けと言うのでしょうか。

 現状に合わない平和憲法のまま戦闘地域に派遣されている自衛隊員たちのことを考えれば、日報に「戦闘」と書いてあったか否かという仔細な問題より、 そもそもどうして「戦闘」という2文字が日報に記載されただけで日本中が大騒ぎする事態になってしまうのか、そこの問題点を冷静になって考えるべきでしょう。

 中国の軍事力を背景とした歯止めのない膨張主義に立ち向かうには、 国を防衛する組織(自衛隊)がなければ日本が立ち行かなくなるのは明らかです。   ところが、その自衛隊の存在は憲法に一文字も記されないまま、ただ政府の憲法解釈によって存在が認められているという恐るべき現実があります。     読売新聞が2018年に実施した調査でも、憲法学者の半数超が自衛隊は「違憲」だと回答するありさまなのです。

 昨今改憲論議も姦しくなってきつつありますが、最近はまっとうな意見で必要性を訴える論客も出始めました。   道理とは正しい法則という意味がありますが、埼玉大学名誉教授・長谷川三千子氏は、第9条2項は最も基本的な「自国の主権を維持」することを不可能にしている、と理路整然と改憲の道理を説かれています。

 『....近代民主主義憲法は、その国が独立国家であるということを大前提としており、自国の独立を保持するためには必ず一定の「力」が不可欠であるという事実がある。    近代国際社会もまたそれを前提としており、日本国憲法前文に語られている「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務」という言葉も、この大原則を指している.....』、 と指摘しています。

 『であるから、第9条2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」 という条文が、近代民主主義憲法というものの根本道理を完全に破壊している.....』。

 現行憲法は一方で国内の「国民主権」を謳(うた)いながら、それを外に対して守り保つことを一切放棄しています。   さらに、第9条1項に謳う「....正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し....」という部分もまた不可能にしてしまいます。   現実に国連平和維持活動に参加した自衛隊員たちがいかに苦労したかを見れば、第9条1項と2項の矛盾は明らかです。

 安倍晋三首相(党総裁)は2018年4月の産経新聞のインタビューで、「国を守るために、国民の命を守るために命をかける自衛隊について憲法に明記することは、安全保障の基本だ」 と訴えました。   日本は理論破綻したままの国防体制をこのまま維持していくわけにはいきません。 有事法制の整備を一刻も早くすすめるべき時です。


日本共産党でさえまともな見識を持っていた

 そもそも、「護憲」を大看板に掲げている日本共産党でさえ、憲法制定直後の時代には、政党としては唯一9条について明確に反対し、現憲法の制定にも異を唱えていました。    マア、共産党らしくシッカリと天皇条項にも反対していましたが。

★......1946年8月24日、衆議院本会議で反対討論に立った日本共産党議長・野坂参三氏は、次のように述べて憲法9条に反対したそうです。

  「現在の日本にとってこれ(草案第9条)は一個の空文にすぎない。 われわれは、このような平和主義の空文を弄する代わりに、 今日の日本にとって相応しい、また実質的な態度をとるべきであると考えるのであります。 要するに当憲法第二章は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。  それゆえに我が党は民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない......」

 つまり野坂氏は、「民族の独立のためには、自衛権を持ち、自衛軍を持たなければならない」、と極めて真っ当な主張をしていたわけで、 いまのヘタレ政治家など足元にも及ばない、立派な見識ではないでしょうか。

少なくとも憲法制定時の日本共産党は、日本の平和と安全について現実的な考えを持っていたようで、日本共産党といえど、当時の政治家はまともな見識を持っていたのです。


有事法制整備の必要性

 有事立法とは「戦争または事変の際に、特に自衛隊の活動を保障し、一方では、国民の権利を制約しようとする包括的な立法」です。   "国民の権利を制約"とは一見穏やかではありませんが、緊急存亡の非常事態においても"国民への権利侵害を最小限にする"ための手立て、 と考えたほうがいいかもしれません。

 その昔の1978年10月、当時の来栖統幕議長が「敵の奇襲攻撃を受けた場合、自衛隊の第一線指揮官は超法規的に行動せざるを得ない」と発言しました。

 実は、現在の日本の法律では、敵が攻撃してきて防衛のため陣地構築する場合、私有地を使わせてもらったり家屋の立ち退きなどについての法整備がありません。  つまり、その土地の権利者の了解を得、必要なら書類を整えてからでないとその場所に防御陣地ひとつ造れない、というマンガのような事態が考えられるのです。

日本には海岸法,森林法,自然公園法,建築基準法,道路交通法などさまざまな規制があるわけですが、 いちいちそれらを遵守していたのでは部隊の移動も陣地の構築もままならないわけです。

 敵の攻撃を受けたら、とても悠長な対応などしている暇はありません。  イザというときは現場の指揮官の「マサに超法規的な判断」で、 たとえ誰かの自宅が全壊になろうが、収穫前の畑がメチャメチャになろうがそこを陣地として利用し、 しかもその後の補償などは決まっていないという現状にあるわけです。

 国家の存亡がかかっている非常事態において、個人の補償を最優先に考えるのもどうかという議論もありますが、緊急事態が起きてから泥縄式に有事立法をつくるより、 冷静な平時のときこそ法を整備し、国民の権利侵害を最小限にする手立てを考えておく必要があるのでは。


安保法制改正が成立

 2015年(平成27年)9月19日、平和安全法制関連2法が成立し同30日に公布され、 アメリカ軍との共同戦線構築が法的に認められる道筋がつきました。  これでとりあえず外敵(中国や北朝鮮のような無法国家)に対し、 日米が協力して立ち向かえるよう安全保障法制が整備されたわけです。

 今回成立した法制は、自衛隊法改正など10の改正法を1つにまとめた「平和安全法制整備法」と、 新しくつくられた「国際平和支援法」の2法で、 これにより、戦後長い間認めていられなかった「集団的自衛権」の限定的行使を認め、 自衛隊の活動範囲や武器使用基準が緩和されることになります。      さらに在外邦人の救出や米艦防護などが可能になりました。

 これでわが国もやっと安保法制改正が実現して、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制」、 が整備されました。  今後、例え中国が尖閣諸島を侵略しようとしても、日米が協力して立ち向かえるようになったわけです。


相次ぐ有事立法の整備

 戦後の平和憲法に守られ、国際紛争にも巻き込まれず、ヌクヌクと過ごしてきた日本でしたが、1992年(平成3年)に湾岸戦争が勃発します。   憲法のシバリで自衛隊の海外派兵を禁じられている日本は、多国籍軍に総計135億ドルという多額の資金提供を行いますが、国際社会からは全く評価されませんでした。

 1993年6月、紛争地域や戦争終結後の平和を維持するため自衛隊を派遣する、いわゆるPKO協力法が成立しました。  お金以外にも人的貢献の必要性がやっと日本でも認識されたわけです。  さっそく同年9月に陸自施設部隊がカンボジアに初めて派遣されて以降、ゴラン高原や東ティモール、ハイチなどで約25年間に延べ約1万2千人の自衛隊員が活動にあたっています。

 これ以降、日本国内でも自衛隊の立場や役割についての議論が活発化していくようになります。  1999年(平成11年)に「周辺事態法」が、また、2001年の米国同時多発テロ事件を契機に、同年に「テロ対策特別措置法」が、 2003年(平成15年)には「武力攻撃事態法など有事関連3法」が相次いで制定されます。

 2004年(平成16年)には、いわゆる事態対処法の「国民保護法など有事関連7法」が制定されます。 この法律により、切迫した危険に対して総理が 「武力攻撃事態」と認定さえすれば、自衛隊に「防衛出動」を命じ、国連に「自衛権の発動」を報告することで、 日本の領海や接続水域に相手が入るのを待つことなく、公海上で相手の軍艦を攻撃撃破することが可能になりました。

 現在「専守防衛」に徹している自衛隊は、相手国の海域・空域以外であれば、たとえ公海上であっても「武力の行使」がやっとできるようになったわけです。   さすがに中国や北朝鮮の領土・領海・領空内では攻撃できませんが、これからは尖閣列島周辺の公海上においても、万が一中国が侵略の意図を持ち侵攻してくれば、 米軍に頼らず自衛隊の護衛艦、潜水艦に命令・指示を出して武力行使を行うことが可能になったわけです。


必要になる今後の法整備

 政府は、他国防衛のための集団的自衛権は行使できないという立場を維持しており、野党が主張する地球の裏側で戦争するという主張は非現実的です。   日本が攻撃を受けていない場合の武力行使には、「わが国の存立」が脅かされる明白な危険があるなどの「新3要件」が課されています。

 また、自衛隊は外国軍隊への後方支援は認められましたが、「武器の提供は含まない」としており、一部からは、後方支援は「兵站(へいたん)」であり、 武力行使の正面と後方は一体で自衛隊が危険にさらされかねない、と反対する声も上がっています。  このアタリは今後の法整備が必要になるかもしれません。

一方、有事の際の自衛隊派遣については、国会の事前承認を前提とするが、派遣までの国会議論を短縮するなどとしています。

 立憲民主党などの野党は、「自衛隊が地球の裏側まで行って戦争ができる」、とお決まりの拡大解釈で反発しています。   集団的自衛権の限定行使が認められたことに対して、「わが国に対する武力攻撃を前提としていない以上、認めない」とし、 「『わが国に対する』などの解釈を柔軟にすることで、個別的自衛権で対応できる」、と相変わらずの重箱の隅をつつくリクツで反対しています。(2018.1)


国民投票法成立

 2007年5月、第一次安倍内閣で「国民投票法」が成立しました。  衆参国会議員の2/3以上の賛成により憲法改正案が発議されたら、 国民の承認にかかる投票(国民投票)を行い、投票した人の半分以上が賛成すれば憲法改正が行われることになったわけです。

 その中に、「区分発議」というものがあり、 「前条の憲法改正原案の発議に当たっては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」と定められました。  つまり、憲法改正においては一括して憲法全体を改正することはできず、項目ごとの改正しかできない、と定められたわけです。

 この国会法が改正されしばらく経ちますが、櫻井よしこ氏によれば、2018年1月にテレビ番組に出演した野党の代表議員たちは、 一括して憲法全体を改正することを認めていない「区分発議」という改正手続きのシバリを、ろくに把握していない議論に終始していたといいます。

 憲法改正の基本ルールさえ理解していない政治家が、ヤレ改正には絶対反対だと息巻く日本の政治の世界......こんな政治家たちが野党リーダーとして日本の未来を決める国会でひたすら政権口撃に務める...... どうやら日本の未来には暗雲が立ち込めているようです。(2018.5.18)


憲法9条は世界の宝?

 安保関連法成立直前には朝日、毎日の両紙は紙面を大きく割き、いかに国民が同法に反対しているかのような紙面作りにいそしみました。

しかし、両紙は過去国連平和維持活動(PKO)協力法の成立時は反対したにも係わらず、現在は支持の立場に豹変したことから明らかなように、 国際情勢や世論の動向によってコロコロ主張を変える節操も確固たる信念もない、「媚中韓の謙日メディア」です。

今度も自分たちに「不都合な民意」は無視し、「安全保障の重要性」や「集団的自衛権行使の正当性」については目をつぶり、ひたすら「戦争への道」などという 荒唐無稽な言説で大衆を煽り続けたのです。

 そもそも、「護憲」を大看板に掲げている日本共産党でさえ、憲法制定時には天皇条項と9条に明確に反対し、 政党としては唯一、現憲法の制定に反対していた、という歴史があります。

★......1946年8月24日、衆議院本会議で反対討論に立った日本共産党議長・野坂参三氏は、次のように述べて憲法9条に反対したそうです。

  「現在の日本にとってこれ(草案第9条)は一個の空文にすぎない。       われわれは、このような平和主義の空文を弄する代わりに、 今日の日本にとって相応しい、また実質的な態度をとるべきであると考えるのであります。      要するに当憲法第二章は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。   それゆえに我が党は民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない......」

つまり野坂氏は、「民族の独立のためには、自衛権を持ち、自衛軍を持たなければならない」、と極めて真っ当な主張をしていたわけで、 少なくとも憲法制定時の日本共産党は、日本の平和と安全について現実的な考えを持っていた政党だったのです。

共産党といえど、当時の政治家は現代のヘタレ政治家など足元にも及ばないまともな見識を持っていたわけで、議員センセイたちも少しは見習っていただきたいものです。

しかし、その気骨あふれるマトモだった政党が、いまでは「憲法9条は世界の宝」というプラカードをシャアシャアと掲げているのですから、 このように自己に都合の良い主張のみをタレながす、政党・マスコミに扇動されてはいけません。

 中国の覇権主義の凶暴性に気付いた日本国民は、今回の安保関連法反対運動については冷静な目で見ていました。     たとえ自国に危機が迫ろうが、時の政権のやることなすことに「自らの対案を示すことなく何でも反対」と呪文のように繰り返す 「戦後左翼イデオロギー」に凝り固まった一部の過激思想の存在を、おかしな連中だと国民は気づき始めたわけです。

現状の国際情勢における日本の将来を真剣に考えれば、左翼イデオロギーの扇動に踊らされている場合ではなく、自分たちで真剣に国の未来を考えるようになったわけです。

 戦後70年もたつというのに、いまだに靖国神社に閣僚が参拝するだけで大騒動に仕立て上げる、嫌日・媚中韓の朝日新聞などサヨクメディアの存在は、 このニホンという国家に巣食っている朝鮮・中国の息がかかったジャーナリズムの暗闇の部分をあぶりだしてくれています。


  

憲法に「自衛隊明記」の論争

 立憲民主党の枝野氏は、「安倍総理は、現行憲法の制定過程について、未だに『進駐軍が作った。 時代にそぐわない内容もある』といった発言を繰り返している」と批判します。 しかし、現行憲法が占領下においてGHQの圧力下に制定されたのはまぎれもない「事実」であり、 「時代にそぐわない内容もある」のもその通りではないでしょうか。

 だからこそ、安倍首相は憲法改正手続きに従って、憲法改正を実現しようとしているわけです。 枝野氏の発言はまさに言いがかりも甚だしいものです。

 枝野幸男氏も過去のインタビュー『自民党こそ究極の護憲政党だ』(2005年4月号)の中で、 「そもそも憲法を変えるか変えないかで論点を設定すること自体が時代に合っていない。 どう変えるかによって賛否は当然分かれる。..…自衛隊を認める改正もあれば、 逆に、9条3項をつくって、自衛隊を認めないと書き込むことも論理的にはありうる」、と発言しているではありませんか。

 つまり、枝野氏自身すでに10年以上前に、「今や、如何に憲法を改正すべきかが問われており、自衛隊を認める改正もありうる」とまで明言していたわけです。  この時点ではマットウな政治家だったのです。

  さらに『文藝春秋』(2013年10月号)、「改憲私案発表 憲法9条 私ならこう変える」では、9条1、2項には手を加えず、新たに「9条の2」を加え、 そこで「必要最小限の範囲内で自衛権を行使することができる組織を設置する」と具体的に踏み込んだ提案までしています。 マトモな政治家だったのです。

《9条の2
1項 我国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲において、…自衛権を行使することができる。
2項 内閣総理大臣は、前2項の自衛権に基づく実力行使のための組織の最高指揮官として、これを統括する》。

 しかし、これだと2018年3月に発表された自民党のたたき台「自衛隊明記案」とさほど趣旨は変わらない内容となるのではないでしょうか。   というか、まともな政治家であれば現状の改正の着地点として与野党ともさほど変わらない結論になるのはむしろ当然、と評価すべきです。

 そんな枝野氏が、現在では憲法とは「国のかたち」を示すものと主張している安倍首相に対して、首相は憲法の意味さえ分かっていない、と難詰しているわけです。

 憲法に自衛隊という存在が明記されていないにもかかわらず、国防を担う唯一の組織として日本国内に存在している、というおかしな現実がまかり通っています。   それどころか国民の命を守るべき安全保障などそっちのけで、自衛隊の存在は憲法違反だから廃止しろという正気の沙汰ではないギロンが普通にかわされているのが今の日本なのです。

 そのくせ、普段自衛隊は「違憲」だとさんざん批判している共産党でさえ、政権をとったら自衛隊は、「しばらくは合憲とする」と発言しました。    イザ現実問題となると自衛隊の存在を「合憲」とアッサリ容認する政党が、どうして実在する自衛隊を、「憲法上の存在」に格上げするという当たり前のことができないのでしょう。  理解に苦しむところです。

 安倍首相は「憲法に自衛隊明記」主張しています。 自衛隊の憲法明記は、政府解釈と法律にしか根拠を持たない現在の自衛隊を、 憲法に明記することによって法的安定性を高める、という点にあります。   それにより自衛隊の「地位」は高まりますが、それがただちに「任務」や「権限」の拡大と結びつく、という理屈とは無関係なはずです。

 自衛隊の明記によって平和安全法制の合憲性そのものが左右される、 ということなどあり得ない理屈です。 限定的な集団的自衛権を認めたに過ぎない「平和安全法制」と、「自衛隊の憲法明記」は別次元の話です。 憲法改正に反対するための言い掛りに過ぎません。

 ナントカの一つ覚えでもあるまいに、野党や左巻き憲法学者たちは自らの憲法解釈のみを正当化し、 国の安全保障について無責任でなんらの対案策も持たないままで、一方的に自民党の憲法改正案を批判し続けています。

 自分と異なる思想や考えを否定し排除しようする野党こそ、「思想・信条の自由」や「表現の自由」を最大限保障しようとしている憲法の立場を否定するものです。   それこそ「立憲主義に反する」もので、そもそも「政治家」としての資格に欠けることを野党政治家はとくと自覚すべきではないでしょうか。


  

海外派遣で自衛隊員が戦闘に巻き込まれる?

 昨今は、国際情勢の変化により、自衛隊が国際援助の名目で戦闘地域に派遣されるケースが増えて来ました。
(国連平和維持活動(United Nations Peacekeeping Operations:国連PKO)

平和ボケ、当事者意識欠如、事なかれ主義の政治家がまだまだ日本には大勢いるようで、一昔前なら日の丸を掲げ武器を携行した自衛隊が海外で活躍するなど、 左巻きの連中などは想像もできなかったでしょう。

   気がかりなのは、「武力行使は出来ない」、という現行憲法をヘタにいじってしまったら、普通の軍隊と同じになり、 国際協力で戦闘地域に海外派遣された場合、自衛隊も戦闘に巻き込まれてしまうのが当たり前になりはしないか?、という懸念が出てきます。

今まで、「武力行使」を放棄していたからこそ、海外派遣では日本の自衛隊は武力紛争に巻き込まれる恐れが少ない地域を中心にして、 救難、輸送、土木工事などの後方支援(兵站)業務だけを担ってこれました。

 憲法の縛りにより、武力を行使できない平和主義憲法で守られていたからこそ、自衛隊は過去国際紛争の戦闘に巻き込まれることもなく、 幸いなことに誰一人戦闘による死者を出さない(残念ながら、自衛隊員以外のPKO要員の尊い命が失われてしまいましたが....)、 という世界でもまれな軍隊組織でした。

他国の侵略を受けた場合、日本が防衛するためには足かせになってしまう現行憲法も、自衛隊の海外派遣任務に関しては、戦闘に巻き込まれる危険性を回避できる、 それなりに有意義な憲法でもあるわけです。

 それはともかく、問題なのは「日本を自主独立の強い国にさせない」ため「軍事力行使」 が厳しく制限された平和主義憲法により、派遣される隊員たちの生命が危険にさらされていることです。

昔、自衛のための機関銃を持たせるか、持たせないかで大騒ぎした政党がありましたが、こんな不毛な議論を大真面目にやっている国は日本だけでしょう。
憲法の制限と、愚かな政治家たちの思惑のため、万が一の戦闘に巻き込まれた場合にも、対応できる十分な自衛装備を持たせられないまま、 隊員たちが危険地域に派遣されている現実があるわけです。

 軽武装、貧弱な装備で派遣されるため、万が一敵の攻撃を受けた場合、自分たちの身を守れるか不安を感じた隊員もいたかもしれません。
自衛のため、身の安全を確保させるためにも、憲法を整備し十分な武装を与えて派遣させることが必要ではないでしょうか。


  

これからは当たり前になる?............「駆け付け警護」

 駆け付け警護についても内閣法制局はこれまで認めてきませんでしたが、このところ風向きが変わってきたようです。(2015.3)

自衛隊から離れた場所にいる他国部隊や国連職員が襲撃された場合に救援する、というのが「駆け付け警護」ですが自衛隊が駆け付けた先に「国家に準ずる組織」がいれば、 憲法が禁じる「海外での武力行使」に当たる恐れがある、という理屈で認められてこなかったわけです。

しかし、駆け付け警護ができなければ自衛隊を守ることもある他国軍が襲撃された場合であっても、自衛隊は知らぬ顔をしなければならないことになり、 国際社会からみても信頼が失われることになる、ということで「駆け付け警護容認は当然の判断」、とされてきたようです。

 ただ、「駆け付け警護」を一旦認めてしまったら、紛争地域では一歩間違えば自衛隊員たちが激しい戦闘に巻き込まれる危険性が一気に高まります。
 2016年7月、南スーダンの首都ジュバで発生した大規模な戦闘への対応で、現地に展開する国連平和維持活動(PKO)部隊のオンディエキ軍司令官が、 市民保護の任務を果たさなかったとの理由で更迭される事態が起こりました。

この事件は政府軍兵士が宿泊施設に侵入し、約70人の国連職員や援助関係者らに対し略奪や暴行、レイプなどを行い、現地人ジャーナリスト1人が殺害されたというもので、 救援要請を受けたPKO司令部は繰り返し部隊の出動を求めたが、PKO幹部の指揮命令系統の乱れや部隊のリスク回避の姿勢によって適切な対応を取ることができず、 「各部隊は手いっぱいだとして要請を拒否」したことで被害が拡大したようです。

 もし「駆け付け警護」が自衛隊に認められてしまったら、救援要請があれば隊員たちはこんな場面に勇猛果敢に飛び込んでいくしかないわけで、 恐ろしいことですがこれからはPKOで派遣される自衛隊たちから犠牲者が出るのが当たり前、という世界になるかもしれません。

  
  

日本式の国際貢献を

 「日本は、文民や他国部隊の警護等といった、他国部隊であれば国連PKOにおいて当然実施できることすらできない」、という意見もありますが、 武力行使だけが国際貢献ではありませんし、他国の軍隊に真似出来ない優れた技術力があります。

1993年(平成5年)9月、カンボジアに派遣された「日本施設大隊」は、優秀な技術と真面目な態度から、カンボジア国民やUNTAC、関係諸国から高く評価されました。

ある国の内乱が収束後、世界各国にはODAで道路や橋など社会インフラの整備が割り当てられるそうですが、日本が造った道路は揺れが少ないのですぐわかるのだとか。
やはり我々日本人にはどんな場面でも一切手抜きしない、というもって生まれた優れた国民性があるのです。

 1994年(平成6年)9月から12月までの間、ザイール共和国のゴマなどに派遣された自衛隊の医療部隊は、2ヶ月間に延べ2100人の治療と、約70件の手術を行ないました。 治療を受けた住民からは、『日本人は患者を親切に迎え、丁寧に治療してくれます。 医薬品についての知識も豊富で、とても効果的な医療品や設備を持っていて信頼できます』 と感謝されました。

海外派遣任務といっても、日本は武力行使の前面に立ち戦闘行動で国土を荒廃させるより、無政府状態で荒廃した地域の秩序を回復し、 道路整備や医療支援をして経済を復興させるくれるほうが、その国の国民にとってよほど有難いはずで、そのための手伝いに汗を流すべきです。

日本は武力を使わず人を傷つけない』、『日本はインフラ整備など平和的な方法で貢献してくれる』、 というイメージが広がれば、「不戦の平和主義憲法を持つ日本ならではの国際貢献」、が世界中から評価されるでしょう。

 中国の進出が危険視されている現状で安保体制の見直しを急ピッチで進めようとしていますが、敗戦直後には「日本は敗れたが、これを復興するには科学技術をおいてほかはない。  科学技術をもって人類に貢献し、世界の人々が日本を抹殺してしまわないでよかったと思うような日本に立ちなおろうではないか」と当時の賢人たちは考えました。

日本は当時列強による植民地支配が横行していた世界を一変させる、という人類史上でまれに見る偉業を成し遂げた国で、敗戦後は平和主義を頑なに堅持してきました。  敗戦直後の日本人たちは誰しも「戦闘が日常化するような国には絶対にしてはいけない」、と考えたはずです。

自衛のための戦闘といいつつ、いつのまにか米国に軍隊パートナーとして取り込まれてしまい、やがて世界各地の紛争地域に自衛隊が進出していくのが日常茶飯事になってしまう、 という悪夢は絶対に避けなければなりません。


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(*1)民青【みんせい】.....

民青の前身である日本共産青年同盟(共青)が大正時代(1923年4月5日)に設立。 戦後は日本青年共産同盟(青共)として発足。その後、日本民主青年団(民青団)と改称する。
青年の生活と権利を守りその要求実現と、平和で独立しどの国とも軍事同盟をむすばない民主主義で中立の立場の日本を実現するために活動する青年の自主的な全国的組織。
ただし、日本共産党に盲従しているため、この政党の考えにそぐわないものを排斥する傾向があり党員数は激減した。


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