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先の戦争で日本が果たした役割

 日本は、アジアの指導者たちに自信を与え、 さらにアジア諸国の独立に偉大な足跡を残した国です。   もし地球上に 日本という国が存在していなかったら、 21世紀の現在でも白人国家による有色民族支配という、 白人絶対優位の帝国主義の世界がいまだに続き、アジアのみならず世界中全ての有色人国家は西欧列強の植民地とされたまま、 発展から取り残された地域であり続けたかもしれません。

 日本はそんな弱肉強食時代の中、激しい植民地化競争を生き抜き、 アジア・アフリカを植民地支配してきた西洋国家と正々堂々と渡り合い、白人国家をアジアの地から追い払い、 アジアの指導者たちに自信を与え、アジア諸民族を独立へと導いた国です。    その過程で生じた戦争は、「....白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、 植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業をなしとげた....」(藤原正彦 日本人の誇り)戦いだったのです。

 フィリピンの中学校教科書には、アジアを植民地支配していた白人列強国を追い払った日本について、「....日本の勝利はアジア民族に大きな影響を与えた。  その第一はアジア人が西洋人に劣っていないこと、西洋の大国にも打ち勝てることを証明した。  第二に 西洋の帝国主義に圧倒されていたアジア諸国国民のナショナリズムを掻き立て、フィリピン、インドネシア、 インドなどは日本をアジア解放のチャンピオンと仰ぎ見た....」 と記述されているそうです。

  日本がアジア諸国に残した偉大な足跡は消えることはありません。     日本が植民地支配からの解放という偉業を成し遂げたのは歴史の事実であり、中韓以外の国は、日本が果たした偉大な功績をちゃんと認めています。  自国の「非」を山ほど書く 日本の教科書とはエライ違いなのです。     しかし、日本は有色人国家の中でただ一国、植民地支配からの解放と人種差別撤退を掲げ孤軍奮闘したという功績は、 戦後に行われた「日本を悪者にするプロパガンダ」により、 表舞台から消され、現代の日本人は知りません。

 『東京裁判を受諾している』から、 日本は『侵略戦争を認めた』と信じ込んでいる日本人は、政治家はじめ、 まだ多いようです。  たしかに日本は東京裁判の判決は受け入れましたが、犯罪国家という裁判内容 は受諾しておらず、「侵略戦争を認めた」わけではありません。   東条英機ら東京裁判の被告たちは、 「自衛戦争」を主張し、結果として「死刑判決」を受けました。

 戦後の日本は「愚かな自虐史観を持つ政治家たち」によって、 再び敗戦国にされてしまいましたが、中国・韓国人ならまだしも、 当の日本国民からして「自分たちの国はかつて侵略戦争をした」などと考えるのは早計すぎます。

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のストークス氏は、『....確かに日本が欧米諸国が支配していたアジア各地の植民地に軍事進攻したことは事実です。  しかし、 それ以前にアジアに侵略して植民地にしていたのは欧米諸国です.....アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。  西洋人は世界史を見直すべきです....』、と日本を正当に評価しています。

 タイのククリット・プラモード元首相は、《....日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。....今日東南アジアの諸国民が、 米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか.....。 (本当は戦争で感謝された日本 井上和彦) 》、 と大東亜戦争における日本の功績を賞賛しています。

 歴史家のトインビーも、
「....日本は第二次大戦において、自国でなく大東亜共栄圏の他の国々に思わぬ恩恵をもたらした。(中略)  それまで二百年の長きにわたってアジア・アフリカ を統治してきた西洋人は、無敵で神のような存在と信じられてきたが、実際はそうでないことを日本人は全人類の面前で証明してしまったのである。  それはまさに歴史的業績であった.....」、と述べています。(2018.6.30)


 

アジア諸民族を独立へと導いた日本

 日本は白人欧米列強国による有色人種国家の植民地支配という「暗黒の世界史」を塗り替え、 植民地支配に終止符を打った、史上唯一の国だったという歴史の事実は不滅です。

 戦前・戦中の日本は、アジア各地において近代推進のため土木や農業、工業、軍事といった様々な方面で多大な支援を行いました。   中韓、反日が何と言おうが、 日本の支援が中国はじめ朝鮮や台湾の近代化を推し進める原動力になったのは歴史の事実です。    日本が特に大きな貢献をしたのが、生存環境に絶対不可欠な衛生環境の改善でした。

 当時のアジアにおいては、「世界一清潔な民族」日本を除いて、ほとんどの国は医療や衛生環境は極悪の環境に置かれていました。     中国は現代においても「SARS(重症急性呼吸器症候群)」や「新型コロナウイルス」の発生元であることは体験済みですが、以前の中国も大洪水の後には天然痘、コレラ、ペストが多発しており、 当時の中国の疫病流行による死者は、戦争や内乱による死者の数十倍ともいわれていました。

 そこに乗り込み、改善していったのが日本だったのです。  日清戦争から大東亜戦争にかけての日本は、戦後「日本は戦争を起こした侵略国家」などと、事実とかけ離れたマイナス部分だけ取り上げられ不当な評価をされていますが、 日本はアジア各地の近代化促進だけではなく、注目すべき数々の貢献をしてきた国であり医療分野でも多大な功績を残しているのです。

 戦後の一方的な反日史観に捉われ、尊い命が奪われた戦争の意義を無視し、歴史を正視せず、 先の戦争は日本がすべて悪かった、などと単純で一方的な見方をしていては、自分の尊い命を犠牲にし祖国を守るため戦った大勢の日本人将兵は浮かばれません。

 日本の戦いぶりは、「欧米が恐怖を抱くほどだった」と言わしめるほど、開戦当初は、空や海、地上の戦い全てにおいて圧倒的な強さを見せつけました。  日本は最終的に戦いに敗れたものの、 東南アジア諸国を植民地化していた白人列強との戦い、彼らを東南アジアから追い出した、というのは史実なのです。

  我々日本民族はイザ国家存亡の危機に直面すると、 不撓不屈(ふとうふくつ・強い意志をもって、どんな苦労や困難にもくじけないさま)の精神を発揮し 国難を乗り切ってきた歴史があります。(2018.6.30)


白人支配を断ち切った日本はアジアの解放者

 日本は、19世紀以降の、強い民族が弱い民族を征服するのが当然とされていた恐ろしい時代、 西欧列強によるアジア植民地支配に歯止めをかけるべく、世界の有色人種の中でただ1国、西欧列強に立ち向かい、植民地支配と無縁の世界を築こうと孤軍奮闘した、 というのは歴史の事実です。

 日本がアジアの指導者たちに自信を与えたのは、まぎれようもない真実であり、この功績をいかに中韓や 「デュープス」たちが否定しようが、事実は変わりません。  これまで、 人類史に残る白人列強による植民地支配に終止符を打った日本の功績が表ざたにならなかったのは、 あまりにこの功績が大きすぎたためのハレーション(副作用)であり、いずれ教科書にも堂々とその功績が載る日がくるはずです。

 「日本がアジアを侵略した」などというのは 中韓・反日の戯言であり、そもそも日本は米国と戦争する気などなく、最後まで和平の道を探っていました。  それが日本の抹殺を図ったアメリカの思惑により、 止む無く「生き残るための戦い」に追い込まれていったのです。    当時の日本は列強のように軍事力で支配しようなどという意図はなく、日本の目的はアジア各国を植民地支配し、住民を牛馬のようにこき使い搾取していた列強を追い払うためであり、 「全世界を一軒の家のような状態にする」という意味の、 『八紘一宇(はっこういちう)』というスローガン(合言葉)を提唱していた国でした。

 当時日本がアジアを植民地支配していた欧米諸国に対抗して、アジアの自立を目指す「大東亜共栄圏」構想を掲げたのは"世界平和の思想"がベースであり、 米英のアジア植民地支配からの解放を目指し、 現在のEU(欧州連合)のような東アジアの共同体を構築するのが狙いでした。  1943年(昭和18年)11月5日には、 アジア地域の民族独立を求める首脳が集まり、東京で近代史上初めて有色人種のみが一堂に会し、 『大東亜会議』を開催していたほどの国なのです。

 ところが、中韓や反日勢力は、なんとしても日本が成し遂げた功績を消し去ろうと、「従軍慰安婦問題」や 「徴用工問題」、「南京虐殺」などいった 事実無根のプロパガンダ(特定思想への誘導行為)をでっち上げ、 過去の戦争はすべて日本が悪いから起こったものだという「黒歴史」を捏造し、やっきとなって日本を批判し続けています。

 その結果、ありもしない歴史問題とやらまで噴出し、 「謝罪一辺倒の国」へ追い立てられ、ChatGPTでさえ、 「大誤報に基づいた歴史観」を正しい答えとして吐き出す現状があります。     慰安婦問題にしても、慰安婦は朝鮮人売春業者の商品だった、 という慰安婦問題の真実を知る日本人は、まだ多くはありません。(2024.3.19)

 日本が謝罪一辺倒の国となったきっかけは、自民党、社会党、新党さきがけの3党連立内閣が成立し左巻き政党の党首が総理大臣の座につくという仰天の出来事でした。  その結果、 「日本を一方的に侵略国家とみなす」思想の首相がかけた 「村山談話の呪い」によって 日本は何度も謝罪を強いられる国となってしまったのです。

 そして今では、世界中の有色人国家の中でただ一国孤軍奮闘した日本が、「あの戦争は東アジアの民族解放戦争だった」、 「反帝国主義的戦争だった」と主張すると、 反日勢力は、日本があの戦争を正当化しようとしている、と目の色変えて難癖をつけてくるのです。(2018.6.30)


「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」だった

 日本では終戦まで「太平洋戦争」などとは言わず、「大東亜戦争」と呼んでいました。    これは東條内閣が1941年(昭和16年)12月12日に、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とする、と閣議決定したところからきています。

 「大東亜戦争」という表現は、戦後になり占領軍GHQの指示により、「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」という語に変えられた経緯がありました。    その理由を一言で言えば、連合国にとって「大東亜戦争」という呼び名は、はなはだ都合が悪い呼び名だったのです。

 アジアの東部を「東亜」といいますが、「大東亜」とは当時の日本が極東および東南アジアの地域を称した語でした。   その「大東亜」における戦いは、 欧米諸国が支配していたアジア各地の植民地を解放し、 「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」を設立してアジアの自立を目指す、という高い理念と構想を元に始まったものだったのです。

 アジア・アフリカを植民地支配していた宗主国を中心に構成された連合国側にとっては、 日本が「大東亜戦争」という大義名分を打ち立て植民地解放の戦争に奮闘した国、ということが世界に認められてしまえば、 有色人種国家を侵略して植民地化し、散々資源を搾取していた自分達の立場がなくなります。

 日本の戦争の大義名分である「アジア解放」を意味する「大東亜戦争」という呼称が公に使われると、 日本がアジアはおろか全世界から人種差別と植民地支配を一掃しようと、白人列強に対し孤軍奮闘した事実が世界中に知られてしまいます。

 だからアメリカは「大東亜戦争」という呼称を消し去り、敢えて「日本と米国だけの戦い」をイメージさせる、 「太平洋戦争」という限定的な名称で呼ばせたのです。  アメリカ始めとする白人列強国にとっては、なんとしても日本の理念を全否定する必要があったのです。    戦勝国側は日本の戦争がいかに正当なものだったかバレてしまうことを恐れたのです。

 日本は中国大陸、東シナ海、南シナ海、フィリピン、インドシナ半島、インドネシア、インド半島、など実に広範囲な陸地と海域において、 植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つべく「大東亜共栄圏」の確立を目指し欧米列強と闘ったのです。    太平洋で行われた日米の戦い「太平洋戦争」は、日本が唱えていた「大東亜共栄圏」の一部に過ぎなかったのです。(2018.6.30)


 

「大東亜戦争」の呼称問題

 戦後日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は、日本が「植民地支配の撤廃」、「民族の自立」という目的のため戦い、 アジアの指導者たちに自信を与えた日本の功績を消し去るため、 「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」、「大東亜戦争」などのコトバを使うことを禁止します。

 「大東亜戦争」という言葉も、「太平洋戦争」へと変えられたわけですが、GHQの命令は、現在ではとっくに失効していますから、 もう日本で自由に使われていてもいいようなものですが、1960年頃からNGワードとして日本人にガッチリ刷り込まれてきたことと、 歴史認識問題に絡むこともあって、 いまだに表立った場所では口に出すのが憚られる社会が続いています。

 ただ最近では、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」、とする主張も次第に大きくなりつつあります。     この「大東亜戦争」の呼称問題については今後大きな議論を呼びそうです。

 GHQは、永年続けられてきた白人列強による有色人国家の植民地支配という世界を、 たった一国で覆した日本の功績を隠ぺいするため、戦後の日本に様々な規制をかけ、「日本悪玉説」を刷り込んだわけですが、 その企みにすっかり洗脳された一部の日本人たちは、骨の髄から反日国民と化し、 狂信的な「反日教信徒」となって、 ゾンビのように日本国内に巣食って生息している現状があります。

 その「反日教信徒」たちは、「あの戦争は全て日本が悪い」という思考に凝り固まり、中韓の走狗と成り果て、「大東亜戦争」、「大東亜細亜共栄圏」、 「八紘一宇」などのワードを聞きつけた瞬間、 「大東亜戦争は正義の戦争である、などというのは排外的愛国主義の考えであり、右傾化が強まっている」などと、 「100年前の出来事」のためにひざまずくことを、現代の日本人に強要しているのです。

 彼らは、自分たちの祖国が先の戦争において世界から植民地支配を一掃しようと奮闘した史実は一切認めず、 自衛のための戦いに打って出た歴史背景には目を背け、 自らの祖国を否定して、闇雲に自分の祖国の悪口を一生懸命言い立てます。    すこしでも日本の正当性を主張しようものなら、「排外的愛国主義ダ、右傾化ダ」とパブロフの犬なみの反応を示しているわけです。

 この「反日教信徒」たちは、敵国だったGHQが戦後に行った、日本人に罪悪感を刷り込んだ「WGIP」の洗脳によって、 「日本は戦争を起こした悪い国」、という刷り込み教育から一歩も抜け出せていません。   そのため講演会などで日本を利する発言をしようものなら、自由であるべき言論を封殺する実力行使に出るのです。     彼らは思考停止したまま 歪曲された歴史観をもとに、 「一方的な反日歴史観」で「日本の戦争責任」を糾弾し、 自分の祖国を否定しているわけで、もはや手の施しようがない反日病に侵されています。

 寺田寅彦氏は、書かれているのをただ鵜呑みにし、 訳知り顔で、あたかも博学多識のように振舞うことを戒め、 疑う所のない点こそ疑えとしています。    愚かにも戦勝国の思う壺にドップリ嵌まった「反日教信徒」たちは、 韓国人同様「バカの壁」を乗り越えられずにいますが、 そういう彼らに、寺田氏の言葉が通じることはこの先も無いでしょう。(2018.8.7)


『大東亜会議』

 太平洋戦争中の1943年(昭和18年)11月5〜6日、東京で近代史上初めて有色人種のみが一堂に会しアジア地域の首脳会議が開催されました。   これはアジア初の国際会議であり、日本やその同盟国がイギリスやアメリカなどの旧宗主国の軍隊をアジアから駆逐したことにより、独立を果たしたアジア諸国 の国政最高責任者を招請して行われたものでした。   ビルマは同年8月、フィリピンは10月に日本の承認でそれぞれ独立していました。

 この会議では、満州国からは張景恵国務総理、中国南京政府からは汪兆銘行政委員、 フィリピンからはラウレル大統領、ビルマからはバー・モウ首相、 タイからはピプン首相の代理としてワイワイタヤコン殿下、まだ独立を果たしていないインドからは、 チャンドラ・ボースがアドバイザーとして参加しています。

 日本は「大東亜共栄圏」というアジアの植民地支配からの解放を掲げており、参加した代表らは宗主国気取りする米英の抑圧からの解放を求めて集まったわけです。    この会議では大東亜共栄圏の綱領ともいうべき大東亜共同宣言が採択されました。

 大東亜共同宣言には、(1)共存共栄、(2)自主独立と互助敦睦(とんぼく=友好を促進)、(3)伝統尊重、(4)経済発展、(5)人種差別撤廃と資源解放をうたい、 「人種差別撤廃」などはアジアを軽視した米英の発想にはない画期的な言葉でした。  もう欧米列強の圧政には屈しない、 という決意を固めたのが『大東亜会議』だったのです。

 日本は1919年にパリ講和会議が開催された際、国際連盟の規約に「人種差別をやめよう」 という「人種平等案」を盛り込む提案を行い、賛成は11票、 反対は5票という結果となりましたが、アメリカやイギリスの反対にあい、提案が葬られています。

 それまでの植民地対宗主国の主従関係にとらわれたものでなかったため会議はきわめて和やかに進められ、 一家族の集会のようであった」といいます。 第2回目も計画していましたが戦局の悪化に伴って開催困難となっていきます。

 ところが、裁判とは名ばかりの復讐劇だった 東京裁判史観を疑いもせず信じ込み、 戦後の反日思想教育の洗脳を真に受けた現代の日本では、 親中媚韓に染まった反日たちが 大東亜共栄圏」構想を目の敵にする現状があります。(2020.12.11)

 戦後の自虐史観の刷り込みによって、この歴史的偉業すらも、現代の日本では「忌まわしい過去」として語られているのです。(2020.12.11)


日本にだけ戦争責任を押し付けた戦勝国

 日本が植民地支配からの解放という偉業を成し遂げたのは歴史の事実ですが、それまで、アフリカ、アジア一帯を植民地支配し、奴隷化し資源を搾取するなど、やりたい放題だった白人列強が、 日本の獅子奮迅の働きによって、東アジア全域から追い払われた、というのも事実です。     有色人種を自分達より劣る民族と見る根深い白人至上主義に凝り固まっていた白人列強としては、 この屈辱は何としても晴らす必要がありました。

 そこで、戦時中アメリカは、一般住民を標的にしたナパーム焼夷弾により、日本全土の住宅、工場を民間人と共に一緒に焼き尽くす絨毯爆撃を繰り返し、最後は広島、長崎に大量殺戮兵器原爆を投下し、 罪のない一般市民を大量虐殺しました。   さらに、 戦争に敗れた方を一方的に裁いた「勝利国による敗戦国への復讐劇」ともいうべき「東京裁判」において、 「日本悪者説」をデッチ挙げ、全ての戦争責任を敗戦国日本に押し付けたのです。

 さらに、戦争についての罪悪感を無理やり日本人の心に植えつけるための宣伝計画、 いわゆる「WGIP」によって 日本人に戦争について罪悪感を刷り込み、その結果、 戦後も100年になろうかといういまでも、「日本は戦争を起こした悪い国で、中韓はその被害者」という 一方的な反日歴史観を、頭から信じ込む「反日教信徒」や、 「進歩的文化人」といった、 「大戦中の出来事は「全て日本が悪かった」」 という自虐史観にがんじがらめにされた「反日日本人」が大量に創り出されました。

 この偏向戦後史観に凝り固まった勢力が、メディアの世界でも幅を利かし、 田原総一朗氏のように、テレビ番組でこれから日本を背負って立つであろう新人政治家に対し、 日本が戦争に至った経緯は日本に非があったか否か、という「踏み絵」を迫り、 「日本擁護論」を述べようものなら、血相変えて否定・批判する人物が居座る現状があります。   戦前・戦中の日本を頭から否定し、自分達と意見が合わないとみるや、 自由であるべき言論を封殺するという、 まことにおかしな社会となっているのです。

 この、敗戦後「日本人に罪悪感を刷り込んだ「WGIP」の呪縛」により、日本人の中にも、 まんまと戦勝国側の思惑に洗脳されてしまい、 誤った戦後史観が沁みついてしまった結果、 先の戦争で白人国家が有色人種を植民地支配する世界に終止符を打つという日本が果たした役割は闇に葬られ、 大東亜戦争(太平洋戦争)は 日本の侵略戦争であるという、戦勝国側が一方的に日本に植え付けた 「日本の戦争責任」という呪縛によって、戦後の日本は 「日本悪者説が堂々と蔓延り」、いまだに多くの日本民族は、 その信仰に近い思い込みから抜け出せていない現状があります。

 このように、勝者側が日本人に戦争の罪を着せる目的で行った自虐史教育に「洗脳」された日本は、 「謝罪一辺倒の国へと追い込まれたわけですが、 この情勢を利用し、散々日本にたかってきたのが、当時、白人列強のアジア侵略に恐れをなし、震えあがり、 「大戦中何もできなかった」 中国と韓国です。  「日本は戦争を起こした悪い国で、我々は被害者」という捏造歴史を持ち出して、口を開けば植民地支配について 「痛切な反省と謝罪」を要求し、「歴史を直視しろ」などと、 飽きもせず新たな歴史戦を仕掛けてきますが、「日本悪玉説」に騙されてはなりません。(2018.6.30)


 

「解放者・日本」に謝意を述べたアジアの指導者たち

 インドネシアのブン・トモ情報・宣伝相は、
『...われわれアジア・アフリカの有色民族は、 ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みて全部失敗したが、 日本軍がわれわれの面前で白人国を徹底的に打ちのめしてくれた......そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった.... それなのに日本だけに担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった....。』、
『....われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、 アジア人全部が自信をもち、独立は近いと思った......日本が敗北した時は、 これからの独立戦争は自力で遂行しなければならないと思った.....。』(新歴史の真実・前野徹)、と日本に謝意を述べています。

 当時、16歳だったインド建国の父、ネールは自伝に「....日本の戦勝は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。  私の頭はナショナリスチックの意識でいっぱいになった。  インドをヨーロッパの隷属から、アジアをヨーロッパの隷属から救い出すことに思いをはせた...」 と記しています。

 中国革命の父、孫文も日本での講演で「....この戦争の影響がすぐ全アジアに伝わりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いた。 (中略)日本がロシアに勝って以来アジアの全民族は、ヨーロッパをうち破ることを考えるようになり独立運動がおこりました」、と述べています。

 藤原正彦氏は『あの戦争は当時の帝国主義の荒波の中、それぞれの時代の最強国、ロシア、 アメリカに対し日本が独立自尊を賭けた戦いであり、 弱い者いじめによる国益追求などという恥ずべきものでは決してなかった。    米国によって生命線を断ち切られた日本が生き残るため生死をかけた戦いだった』、と述べています。

 大東亜戦争における日本の行動については中韓なりの言い分はあるでしょうが、 日本に執拗に謝罪を求めてくる中国・韓国にしても、過去に戻ることは出来ない相談である以上、どちらが正しかった、という部分にいつまでもこだわっていても仕方ありません。

 ところが、現在の日本は 内閣総理大臣が、国会の所信表明演説で、 「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらした」、 と過去の戦争を反省し謝罪するのが慣例となってしまいました。   総理大臣自らが「日本は侵略国家である」と公言し、愚かな謝罪を繰り返しているのです。     日本の政治家にも 「日本が韓国を併合したのは暴挙である」、などと浅はかな歴史認識で過去を糾弾する姿勢を示す人物もいますが、 偏った正義感で一方的に非難しても、日本の国益を危うくするだけです。(2019.8.24)


大戦中何もできなかった国が日本に文句を言うな

 世界中で中国・韓国だけが、いまだに「日本軍残虐説」を唱え、 「日本はアジアを侵略した軍国主義国家」、などという的外れな批判を繰り返し、謝罪要求を止めようとしません。     日本を批判するだけの中韓に対し、あるアジア指導者は「大戦中何もできなかった国が日本に文句を言うな」と一蹴したそうです。     このように、良識ある政治指導者たちは日本の功績を認めており、中韓以外の国は親日国であり、 「植民地支配からの解放者・日本」に謝意を述べています。

 中韓がいまだに日本を眼の敵にして「日本叩き」を止めようとしない背景には、大戦中何の役目も果たせなかった自分たちの余りの不甲斐なさに較べ、 日本が「植民地支配からアジアを解放した国」という真実が明らかになれば、大戦中逃げ回っていた自分たちと、孤軍奮闘した日本との違いが浮き彫りになり、 国際社会に対しての影響力が弱まることを恐れているからなのです。  また、自国民の政治に対する不満が自分たちに向かうのを避けるため、自国民の不満のガス抜きを行い、 批判の矛先をそらすという目的もあるのです。     彼らは日本叩きを政治の手段に利用しているだけなのです。

 日本の戦いは、安全保障の必要に迫られた末の、 自ら生き残るための戦いであり、 敵国のマッカーサーでさえ「死中活路を見出した戦い」だったと認めています。     そんな弱肉強食だった時代、日本だけが白人列強のアジア侵略に対し、ただ一国で敢然と立ち向かったとき、中国や韓国は列強に恐れをなし、震えあがり、牛耳られ、 言いなりになっていた国であり、そんな中韓に日本を批判する資格などありません。

 当時の日本は、「欧米列強による植民地支配競争」 が世界中で繰り広げられていた渦中において、アジアの盟主として、 人種差別撤廃とアジア諸国を植民地支配から解放する、という使命の元、 「大東亜共栄圏構想」を掲げ、 有色人国家でただ一国、白人列強の植民地支配に敢然と立ち向かった国なのです。

 当時の白人による植民地支配の嵐が吹き荒れた時代を振り返れば、 中国(当時は清)は、英国がしかけた2度のアヘン戦争(1840年から2年間)で 中毒者だらけの骨抜き国家にされ、イギリスの不当な要求に抗えず香港島が永久割譲されるなど、 大英帝国によって国内体制がボロボロにされ、国内は列強国の半植民地とされていた時代でした。

 韓国(当時は朝鮮)についても、 満州に駐留したロシアが朝鮮半島支配を目論んでいたというのにノコノコすり寄り、 日本周辺の安全保障を脅かす国でした。   もし日露戦争で日本が勝利していなかったら、 朝鮮はロシアの植民地となり、ロシア語が国語となって、国民は貧困に喘いでいたでしょう。(2018.6.30)

 それなのに、恩知らずのご都合主義国・韓国は、日本に対し敵対心をむき出しに誹謗中傷を繰り返しているのです。    とうとう堪忍袋の緒が切れた日本は、2019年に韓国への輸出規制を発動し、 新たな歴史の分岐点を迎えます。   その後日米両国から「信頼できない国」の烙印を押され、通貨スワップ協定でも 両国から爪弾き(つまはじき)される国になっています。(2022.3.17)


戦後、日本国解体を目論んだ連合国

 米国は、外交上の暴挙ともいうべき日本側が絶対に飲めない条件 (ハル・ノート)を突きつけ追い詰め、 日本に最初の一弾を撃たせたわけですが、 このハル・ノートの草案作成には、日米分断を企てるソ連軍情報部の協力者・米国の財務次官補 ハリー・デクスター・ホワイトが携わっていたことが、 戦後「ヴェノナ文書」により明らかになっています。(2022.10.25)

 日本の敗戦後、日本に占領統治のため駐留した連合国軍総司令部(GHQ)は、 「日本が武力を持つことを禁ずる憲法」を日本人に押し付け、 日本が今後二度と自分達に逆らわないよう、徹底的に日本国解体を目論みます。 戦後の日本は、占領国による洗脳によって、 日本人自ら祖国を否定し、 中韓に一切逆らえない愚かな国となってしまいました。

 白人列強国にとっては、自分達が資源を散々搾取していた地域に、後から進出してきて自分達を散々蹴散らし、追い払った憎っくき日本に対し、二度と自分たちに刃向かうことがないよう、 徹底した日本国の解体という作業に着手する必要があったのです。

 そこで連合国側は、敗戦国となった日本に対し、「勝利国による敗戦国への復讐劇」、 とも言われる「東京裁判」で、 日本側の正当性を全否定する判決を押し付け、日本国民に「自分たちの国は戦争犯罪国だったのだ」 という贖罪意識を徹底的に刷り込みました。

 その後も「日本がアジアへ侵略戦争を仕掛けた」、 という洗脳教育によって、 日本国民に「祖国を否定する反日思想」を徹底的に植え付けていったのです。   そのため、 戦後の日本は謝罪一辺倒の国に追い込まれ、 21世紀になっても、いまだに先の戦争を「一方的な反日歴史観」で捉えている 反日日本人は大勢います。    日本の政治家でさえ「あの戦争は日本が悪かった」と捉えている現状があるのです。

 しかし、日本だけが悪者にされた、「裁判とは名ばかりの復讐劇」とも言われる「東京裁判」の結果をなんの疑いも抱かず無邪気に信じ込み、 日本は侵略戦争を行って周辺国に迷惑をかけた、 という単純な見方であの戦争を検証していては、 アジアのみならず世界を植民地支配から解放した誇り高い国家・日本という国の存在意義も揺らぎかねません。

 当時の白人国家が有色人国家を侵略し食いモノにしていた当時の世界情勢において、 植民地化問題を無視して日本の立場を批判することは決してできないはずです。

 日本が辿った明治・大正・昭和の歴史を振り返れば、  日本が戦争へ突き進んだ本当の理由は、 「祖国防衛・アジア解放戦争」ともいえるものでした。 日本が先の戦争で果たした役割は、 「日本がアジアの解放者」だった側面があった、という事実は日本人として自覚しておくべき真実です。(2018.6.30)


祖国を否定させられ、戦争責任を押し付けられた日本

 日本により植民地を奪われアジアから追い払われた西洋国家は、この忌々しい極東アジアの小国日本が、 二度と自分たちに歯向かわないよう、日本の国家体制を徹底的に破壊し、骨抜き国家にする必要がありました。   戦後日本を占領したアメリカのGHQは、 日本民族に祖国を否定する精神を植え付け、 愛国心を持たせない根無し草国家にするため、 WGIP(*2)という占領政策をとります。

 マスコミ・教育を厳しい言論統制で支配し、日本人に「戦争は一方的に日本の責任」であり、 戦前の日本の行い全てが恥べきことである、という祖国に対する誇りを失わせる洗脳教育を執拗に行い、 日本という国の国家体制の破壊を企てたのです。  日本人は日本文化を徹底的に否定され、 「愛国心」を持つことは許されない社会にされました。   そのため21世紀になっても旭日旗を目の敵にする日本人もいる始末です。

 GHQは「大東亜戦争」の責任は、天皇制を中心とする日本文化や、 国家神道という名の「カルト宗教」を信じる日本人の国民性に根ざしたものである、 としてそれら一切を破壊し、日本人が持つ精神性を徹底的に否定することで、 二度と白人国家に歯向かわないよう洗脳したのです。

 その結果、戦後の日本は、謝罪一辺倒の国として歩む運命を強いられました。    日本人でありながら日本を否定する「反日日本人」を生みだし、 「贖罪国家」の烙印を自ら押す国となったのです。   そして「日本は戦争を起こした悪い国」という戦後史観にすっかり洗脳され 祖国を否定する反日思想に祟りつかれた 「反日教」の信徒たちが、 「旭日旗」に目くじらを立て、「日本の戦争責任」、 「日本は謝罪せよ」と叫ぶおかしな日本社会が形勢されてしまったのです。

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のストークス氏は、『....日本はアジアを「侵略」したのではなく「解放」し、独立に導いたのです。  アジア、アフリカ、北米、南米、豪州を侵略した西洋は謝罪していません。  なぜ日本だけが謝罪しなければいけないのか。  白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、 有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンスです』、と語っています。

 日本は決して侵略戦争を仕掛けたわけではありません。  「白人国家は権益を持ち、 日本は権益を奪った」というのはおかしな話なのです。  「日本の戦争責任」などというものは、白人国家の都合で塗り固められた嘘なのです。

 東京裁判で、 「(先の戦争は)日本の一方的侵略とはいえない側面がある......敗者を一方的に断罪したものだ......」と日本を擁護してくれたインドのパル判事が、 1952年(昭和27年)秋、再び来日しました。

 その際の講演で、「........それなのに日本人は自分たちの子弟に『日本は犯罪を犯した』、『侵略の暴挙をあえてした』とばかり教えている。  日本の青少年が ゆがめられた罪悪感を背負って卑屈退廃になるのを私は見過ごすことができない」、と日本の教育事情について深い憂慮を示してくれました。

 サヨクや反日たちがいくら否定しようが、実に世界の8割強が列強白人国家に支配された当時、アジアの地から彼らを追い出し、『白人国家に支配されていた世界中の有色民族を独立へと導いた』、 国が日本だったという歴史の事実は変えられません。   唯一日本人だけが、独立自尊の立場を貫き、 アジア・アフリカを統治し無敵で神のような存在と信じられてきた西洋人を打ち負かしたのは歴史の事実なのです。(2017.12.2)

 しかし、「先の戦争で日本が果たした功績」は、GHQの洗脳教育により一切否定されました。  それどころか『大東亜細亜共栄圏』や『八紘一宇』という、 植民地支配とは無縁の世界を築こうと掲げた当時のスローガンを口にしようものなら、中韓や反日たちはパブロフの犬なみに反応し、 「大東亜戦争は正義の戦争である、などというのは排外的愛国主義の考えであり、右傾化が強まっている」、などと即座に発言を封じ込む社会が構築されてしまったのです。(2018.6.30)


謝罪国家として生きる道を歩まされた日本

 戦争に負けた日本は、勝った側から戦後補償金を要求されました。   米国は対日賠償を放棄しますが、 日本を敵視する国々は莫大な戦後補償金を散々むしり取っていきました。    枢軸国同士で同盟関係だったイタリアさえも、日本の敗戦に付け込み120万ドルを分捕っていったのです。

 戦後の日本は、GHQ(連合国軍総司令部)が仕掛けた「日本は戦争を起こした悪い国」という日本悪玉説を徹底的に刷り込まれ、 ひたすら謝罪に明け暮れる「贖罪国家」としての道を歩まされてきました。  さらにアメリカは、アジアにおいて欧米列強国が繰り広げていた帝国主義の終焉を早めさせた、 この忌々しい極東の島国・日本が再び戦いの場に出て来れないよう、 武力はおろか軍隊さえ持つことを禁じる新日本国憲法を作ります。

 ただ、アメリカは冷戦時代到来で東アジア情勢が不安定となると、手のひらを返し日本を再軍備化にしようと躍起になります。  弱国は何時の時代も強国の思惑に左右され続けるわけです。    その流れで日本に自衛隊が誕生し、憲法違反だ、イヤ、軍隊ではない、などとバカバカしい議論が続く現状があります。

 いまだに多くの「GHQの洗脳に縛られている日本人」が、意図的に刷り込まれた「日本がアジアに対し侵略戦争を仕掛け、周辺諸国に大きな迷惑をかけた」、 という「ウソの常識」を信じ込んでいます。  その洗脳に縛られたままの愚かな政治家たちが、 「日本の戦争責任という洗脳」から一歩も抜け出せず、 中韓の謝罪要求に逆らえず、ゴールポストを自ら動かし譲歩し続け、 中国に媚を売る弱腰すぎる政治家たちが輩出する情けない国となっています。     もはや日本の政治家や官僚には国益などというコトバはありません。

 日本は白人列強の植民地支配に終止符を打つべく孤軍奮闘した先人たちの努力は一切無視し、 いたずらに「先の戦争はすべて日本が悪かった」と謝罪を繰り返してきました。  その結果、 自ら「日本叩き」の御先棒を担ぐ(おさきぼうをかつぐ・軽々しく人の手先になって働く)韓国融和派 を生み出し、中国と韓国に謝罪を続ける 「謝罪国家」としての運命を自ら進んで背負ってきたのです。

 反日国家の中国や韓国は、アメリカの占領政策につけこみ、捏造された「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などというものを持ち出し、 21世紀の今でも「日本は謝罪せよ」などと執拗に日本の戦争責任を責め続ける国家となっています。

 「謝罪国家」としての宿命を背負わされた日本は、中韓にどんな難癖つけられても反論ひとつ出来ない国と成り果てました。 それどころか、中韓に過剰に配慮する余り、 自国の教科書に「近隣諸国の国民感情に配慮する」という「近隣諸国条項」を、 自分から盛り込むというなんとも情けない国となる始末です。(2018.6.30)

 そして、21世紀の日本は情けないことに、 すっかり怪物国家・中国に頭のあがない国となってしまっています。(2021.12.3)


戦後処理が終らない根本原因

 中韓が執拗に日本の戦争責任を追求し続けてくる背景には、 当然のことながら日本を攻撃しつづけることで日本の発言力を押さえ込み、 中韓の国内問題から国民の目をそらさせ、 国際社会における日本の影響力を封じ込めようとする、韓国政府と中国共産党の意図があります。

 こういう国とはどこかで折り合いをつけ線引きしない限り、互いの歴史認識の違いは永久に埋まることはありません。「日本は韓国を併合したのだから、韓国に優しくしなければならない」、 という中庸な理論展開が戦後処理が終らない根本原因なのです。

 しかし、時代は変わり昨今はネットの普及により嘘が簡単に暴かれる社会となりつつあります。    日教組やヒダリマキの理屈は徐々に説得力を失っていくようになり、 昨今ではあの戦争の意義を冷静な目で振り返ることができる世の中になってきたようです。

 超反日国家の韓国は、これまで「こちらが強く出れば日本は妥協する」体験を重ねてきましたが、 あまりにも常軌を逸した日本叩きを行ったため、日本にタカる口実もそろそろ通じなくなっています。    いままで贖罪意識に捕らわれてきた日本人も、度重なる韓国の暴走に、 とうとう堪忍袋の緒も切れました。

 いよいよ日本政府が韓国に強力な対抗措置を繰り出す世の中となりました。    日本政府もやっとGHQの洗脳から抜けつつあるようです。   これも強固な反日左翼政権の文大統領のお陰かもしれません。(2018.6.30)

  
 

やっと堂々と主張できるようになった「日本はアジアの解放者」

 ついこの前まで、日本社会において先の戦争を評価する論調は、「日本はアジアに侵略戦争を仕掛けた」という主張が大勢を占め、 「あの戦争は日本が生き残るための戦いだった」などと言おうものなら、 「日本の侵略を正当化する軍国主義者」と袋叩きにされるのがオチでした。   恐るべきGHQ洗脳教育の効果だったのです。     しかも、いまだに洗脳が解けず反日思考に毒されたままの日本人が大勢生息している現状もありますから油断出来ません。

 平成元年(1989年)生まれの自分の娘でさえ、小学校では先生から音楽教科書の君が代の歌詞の部分に目隠しを強要され、 歌わず聴くことだけにしなさいと指示されたそうです。   日本の教育界は 「WGIP」が作り上げた日本軍残虐説の影響がまだまだ消えず、 いまだに悪しき反日教育が行われているわけです。

 歴史家のトインビーは、「....日本は第二次大戦において、それまで二百年の長きにわたってアジア・アフリカを統治し、 無敵で神のような存在と信じられてきた西洋人が、 実際はそうでないことを全人類の面前で証明してしまった....それはまさに歴史的業績であった」、 と述べています。

 太平洋戦争がはじまると日本軍は東南アジア各国へ進出し、それまで植民地支配していた欧米列強をその地から追い払います。  このとき日本がとった行動について、 「侵略(相手国の主権を侵す)」だイヤ「進出(新しく活動領域を広げる)」だという論争がありますが、 『....白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、 有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンス...』(元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のストークス氏)な話です。

 韓国は日本に侵略されたなどと泣き言を言う前に、 シナ(支那・現中国)に何百年にも渡り牛耳られ、 その支配下に置かれてきた自国が、どのような経緯で独立を成し遂げられたか、日本による統治を自国に降りかかった災難という見方ではなく植民地問題という視点に立ち、 彼らこそ「歴史を直視」していただきたいものです。

 日本の敗戦後は再び白人国家が東南アジア支配に戻ってきましたが、日本が道筋をつけた「白人国家による植民地支配からの独立」という気運はますます強まっていき、 やがて東南アジア各国では独立を目指す動きが盛んに起こるようになり、ほとんどの国は解放されていったのです。    これこそが人類の歴史の中で、 「日本だけが成し遂げられた偉業」だったのです。

 いままでは、「GHQの洗脳による日本悪玉説」を信じ込む左翼勢力に牛耳られ、 「日本は侵略国」という論調が幅を利かせていた時代が長く続いてきましたが、 近年はインターネットの普及により誰でも意見を発信できるようになりました。     これまであまり人目に触れる機会もなかった「日本擁護論」も堂々と発表できるようになったのです。    当時の日本がなぜ戦争へと突き進んだのか、 それを誰もが知ることが出来る社会が、戦後80年近くも経ってやっと到来したわけです。

 さらに、力づくで周辺地域に勢力を拡大しようとする中国や、常軌を逸した反日ぶりを発揮する韓国が日本叩きを繰り返す構図に、 戦争を知らず「日本は悪で中韓は被害者」という教育を受けてきた世代の日本人も、 「どうも彼らはオカシイゾ」と疑念を抱くようになり、それまでの「すべて日本が悪者」説を見直す動きが出てきた、 というのもあるのかもしれません。(2019.7.4)


韓国近代化に尽力した日本

 中韓や「反日教」の信徒たちはいざ知らず、世界中の国は日本が果たした「植民地支配からの解放」という功績はキチンと認めています。    1957年5月に来日したインドネシアのブン・トモ情報・宣伝相は、次のように日本政府の要人に謝意を述べました。

 『われわれアジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。  インドネシアの場合は三百五十年間も。 それなのに、日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、フランスをわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。』

 『われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと思った。 一度持った自信は決して崩壊しない。  日本が敗北した時は、これからの独立戦争は自力で遂行しなければならないと思った。』

 『しかし、独力でやれば五十年かかると思っていたが、独立は以外に早く勝ち取ることができた。 そもそも大東亜戦争(*1)は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。  そして実は我々の力でやりたかった。 それなのに日本だけに担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった......』(新歴史の真実・前野徹)

 韓国はいまでは世界一の反日国家と化し、「日本は謝罪せよ」と叫び続けています。  しかし、日本は清(現中国)の属国として支配されていた韓国(当時は朝鮮)を、 独立国家として誕生させた国です。  日本は韓国を 植民地支配ではなく、 あくまで「併合」を行ったのです。   日本国民の血税を投資し、インフラを整備し学校を建て、韓国近代化の改革に尽力したのです。    韓国人の中にも「日本統治時代は良かった」と日本の功績を認める知識層はいるのです。

 イギリスの女性旅行家、イザベラ・バードは、「日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側である。  そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。 『搾取』と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた」、 と書いています。

 さらに、李朝末期の朝鮮に対する日本について、
 《私は日本が徹頭徹尾誠意を持って奮闘したと信じる。 経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため、 買わなくともよい反感を買ってしまったとはいえ、 日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、 自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる》 .....としています。

 しかし、韓国はそういう日本との過去の経緯などすっかり忘れ去り、経済的に日本の援助を受ける必要がなくなったと見るや、 手のひらを返し、日韓の間で解決済みの戦後処理問題を次々反故にし、 日本に「非常識で理不尽な言いがかり」をつける超反日国家となっています。


台湾に見る日本統治の実態

 日清戦争後、それまで清王朝が統治していた台湾は日本による統治へと代わり、 その後丸々50年間日本の台湾統治時代が続きました。   日本の台湾総督府による台湾統治の初期には現地住民の激しい抗日運動もありました。  しかし、 日本の統治施策は決して支配するだけのものではなく、生活向上を図るものでもあることが浸透していくにつれ反日行動も徐々に沈静化していきます。

 もともと熱帯の気候に属する台湾では、日本統治以前はコレラなどの伝染病が蔓延していましたが、 日本は台湾の人々の衛生観念を高めることで伝染病をかなりの程度抑え、「農業」では、積極的に農業改革を行い、水利施設を整備することで農業収入を大幅に引き上げました。

 「同化政策」により教育にも力をそそぎ、小学6年までを義務教育とすることで台湾全体の知的レベルを向上させる仕組みを作ります。  その結果医者や弁護士などのエリートや知識層が生まれ、 これら知識層の台湾人が後に台湾社会に大きな影響をもたらしたとされます。  さらに、 「治安」の面でも腐敗の温床だった清王朝と異なり、日本の警察は厳格に法を守り、裁判などでも日本人裁判官は公平な判断を行いました。

 そうした日本の努力が台湾を近代化へ導いたと好意的に受け止められ、日本統治によって安定した暮らしを手にした台湾の人々は「日本の統治は生活水準と社会秩序を引き上げてくれた」、 とプラスに評価してくれるようになったわけです。   そして現代では台湾は超のつくほど親日国となっており、日本人の大部分も台湾に大いに親近感を持っています。

 一方で、台湾同様に統治された韓国は戦後100年にもなろうかという時代になっても、 相変わらず「日本の戦争責任」などと日本を一方的に避難している現状もあります。  マア、極東アジアでいまだに日本を口撃しているのは中国・韓国だけ、 というのが実情なのですが。

 たしかにどんな国であろうが自国が他国に侵略され、その支配下に置かれる事態を容認できるはずはなく、中国・韓国の感情も理解できますが、 当時の欧米列強が武力を背景に世界中の有色人国家を次々に植民地化していった当時、極東アジアの危機を放置するわけにはいかなかった日本がやむなく列強に倣い進出していった、 という時代背景も理解しておく必要はあります。

 日本の韓国併合についてはマイナス面ばかり強調されていますが、イギリスの女流旅行作家イザベラ・バード氏が指摘したように、 日本は決して野蛮な支配など行わず、朝鮮の保護者として、また自立の保証人としての役割を一生懸命果たそうとしたのです。

 韓国併合時代の日本は堕落しきった朝鮮の官僚制度を廃止し、教育制度改革に力を尽しました。   初代朝鮮総督府統監に就任した伊藤博文は学校建設を改革の最優先事項とし、 1906年の時点では小学校が全国で40校未満だった朝鮮を、1941年(昭和16年)までには約3700校まで急増させました。 終戦前の朝鮮は就学率が5割を超えていたのです。    第3代と第5代の朝鮮総督斎藤実は「一視同仁」策により朝鮮の近代化に貢献しました。     このような数々のプラス面も正当に評価されるべきです。

 台湾は日本統治のプラス面も正当に評価してくれていますが、同様に支配された韓国は日本の貢献は一切認めず、日本統治のマイナス面ばかり強調します。  その要因として、国内の政情が安定せず、いつ爆発するかという不安を抱える中国・韓国にとって、「日本叩き」は国民の不満を逸らし批判の矛先を日本に押し付けられる「絶好のツール」、 と化している事情もあるのでしょう。  彼らは「日本が悪者」でないと困る国なのです。

 ただし、中国・韓国の日本批判を現代の日本人が深刻に受け止め謝罪する必要性などありません。  なにせ、「日本叩き」は中国・韓国がホンモノの民主国家とならない限り永遠に続き、 この先何百年経とうが「日本悪者説」を叫び続けるつもりなのですから。    こんな国のタワゴトにいちいちマトモに対応していたら大変なコトになります。     日本を「歴史」の奴隷にさせてはなりません。

 「歴史の評価はコインの裏表」と言われます。  超反日国家・韓国にも 「日本統治時代は良かった」と主張する人たちが現れ始めました。      どんな国同士であっても長い歴史をたどれば互いに「スネに傷がある」ものですが、 中国・韓国は過去の歴史を直視せず、 「未熟な子どもの喧嘩」のようにいまだにで日本に挑み続けています。   ぜひとも中国・韓国人や反日日本人には、「日本統治のプラス面」にも目を向けてもらい、 未来志向でモノゴトを考えてもらいたいものです。(2020.6.7)


暴虐の限りを尽した白人国家

 もともと資源の乏しい欧州などは、植民地が無ければただの貧乏国家です。  現に日本によって植民地から追い出された彼らは、その後は鳴かず飛ばずの国になってしまいました。   西欧各国は、強い民族が弱い民族を征服してきた人類の歴史をひっくり返した日本への怨みを忘れていないのです。

 その白人国家が、終戦後に敗戦国となった日本に対し行った「東京裁判」は、裁判とは名ばかりの復讐劇だったことがその証です。

 イギリス帝国は一時期地球上の4分の一を植民地支配し略奪の限りを尽しました。  スペインは約一世紀の間、中南米の国々で略奪や残虐行為を繰り返しました。     フランスは仏印(ベトナム)を植民地にすると自国が儲かる法律を作り資源を搾取した挙句、逆らうものを次々に処刑。 高い葬式税を課していたため大儲けしました。

 独自の文明を打ち立て平和に暮らしていた先住民たちは、このような暴虐の限りを尽した白人国家の侵略によってほぼ全滅させられたり、 金銀財宝を含む膨大な資源がヨーロッパに持ち去られたのです。

 アメリカは1922年に有色人種の帰化権を剥奪したため、アメリカに渡った日系移民の8割が、せっかく汗水たらしてつくった農地を残し日本に戻らざるを得ませんでした。     旧日本軍が米ハワイ・真珠湾を攻撃した翌年の1942年には、日系米国人は米国国籍だったにも係わらず 「敵性外国人」とされ、 着の身着のままで約12万人もの日系人が収容所に送られています。

 さらに戦時中アメリカは日本の一般家屋に対してまで焼夷弾による無差別爆撃を繰り返し日本中を火の海とし、 挙句には人類史上唯一の原爆まで投下して、何十万人もの民間人を一瞬にして殺戮しています。

  ロシアは太平洋戦争のドサクサで日本から北方4島どころか千島列島全部を奪いました。  歴史を振り返れば、人類の歩みは戦いの連続だったともいえます。   もし互いがいつまでも相手の過去を論い(あげつらイ・物事の理非・善悪などを論ずること)批判し続けていたら、 人類は報復の連鎖が止むことはないでしょう。

 2018年11月、安倍首相が日本の首相として初めてオーストラリア北部ダーウィンを訪れ、旧日本軍によるダーウィン空爆の犠牲者を含む戦没者を慰霊する碑を訪れた際、 地元新聞は、「われわれは決して忘れないが、許すことができる」、と書いています。


日本を好意的に見ているアジア諸国

 東南アジアの国々は、日本を英国やフランスの植民統治を終わらせた『アジアの解放者』と考え、今もなお日本に対して親近感を抱き、友好的な態度をとる人が少なくないとされます。    筋金入り嫌日国家、中国、韓国以外は、日本に対する好感度は高く、日本を好意的に見ている人が多いという事実が、 アジア解放という日本が果たした役割が広くアジア民族に理解されている証左なのでしょう。

 ミャンマーはかつてビルマと呼ばれていましたが、現地で戦死した日本の軍人に対しミャンマーとなった現在でも手厚い供養がなされており、墓地はまるで花園のようにきれいに手入れがされており、 インドネシアでは、今でも独立記念式典で日本軍の軍服を着たインドネシア人が国旗を掲揚する、という儀式が行なわれるそうです。

 ベトナムについてもかつて欧米の植民支配からの解放を支援した流れもあり日本とは良好な関係であり、ベトナム戦争時には民族対立への同情から日本が温かい目でベトナムを見守り、 当時ベトナムと敵対していたアセアン加盟国との関係を取り持ったとしたことなどもあって親日国となっています。

 カンボジアについても民主化の過程で日本が主導的な役割を担ったことを挙げ国民の間に日本に対するイメージが良い国となっています。(2019.1.14)


歴史の評価はコインの裏表

 物事には常にコインの裏表のような関係があるといわれます。 先の大戦についても、日本が戦争を引き起こした、というコインの表話に対し、 アメリカは1941年7月に在米日本資産を凍結し、通商を停止させ、 日本側が絶対にのめない条件をつきつけ、そして日本を戦いの場に引きずり出した、 という裏話もあったことは知っておくべきです。

 アメリカがお人よしの国で、先にチョッカイを出した日本は悪い国だ、という見方は正しくありません。  アメリカは戦争に反対する世論を納得させるため、 日本に最初の一弾を撃たせたのです。

 太平洋戦争は日本が通告も無しに奇襲攻撃を仕掛けたとされています。 しかし実際はアメリカの日本大使館に連絡は届いていたが、翻訳作業が通告予定時間より遅れた結果、 事後通告の宣戦布告となってしまった、というのが真相です。 東京裁判でもこのことは認識されています。 大使館員が無能だっただけなのです。

 嫌日・媚中韓勢力がタレ流す祖国を否定する反日思想によって、過去 従軍慰安婦問題南京事件のような、後にデッチ挙げとされた捏造話が次々に生み出されてきました。 このため日本は国際社会から白い眼で見られています。

 「カナダ・イスラエル友好協会」は、慰安婦問題は経済力を持つようになった中韓 が反日感情をあおるための「道具の一つだった」と、明確に指摘。  むしろ、「中国によるチベット侵略の方がホロコーストの概念により近い」とし、「もっとひどいのは文化大革命だ」、 と反日感情をむき出しにする中国の残虐性を厳しく非難しています。

 残念ながら、世の中はこのようにキチンと韓国や中国共産党の意図を認識し、日本の立場を理解してくれる良識のある人たちだけいるわけではありません。   歴史を通じて、啓蒙の時代にはかならず闇がともない、逆行を強いるといいます。 白人支配国家に対抗する過程において、軍部主導の日本が非の打ち所のない行動をとったわけではない部分もあったでしょう。

 今後も過去の闇を穿り返し、日本を貶める捏造話は色々と出てくるはずです。 しかし、その闇の部分のみにスポットを当て批判し、そこから広がっていった植民地解放という光の、 そもそもの源であった日本の功績は一切無視するというのはフェアではありません。 様々な意見に耳を傾け自分で判断する習慣を身に着けることはますます大切になっていきます。


アインシュタインも感激した国

 日本に憧れを抱いていたアインシュタインは、1922年10月から翌年3月まで日本や中国などを旅行した際の印象を日記に残しています。   その中で、日本人について「素朴で感じが良く魅力的」、「世界的にも珍しい誠意を持っている」、 「各自が祖国を愛している」などと、我々がくすぐったくなるような称賛を贈ってくれています。

 ところが中国人に対する評価は日本とまるで違い、中国人にとってはなはだ面白くない内容になっています。 「中国人に対して理性的に物事を教えることはできない」、 「男性と女性の差がほとんどない」、「中国人は子どもをたくさん産むが中国人女性のどこに魅力があるのかが分からない」、 「勤勉だが汚くて鈍い」、などと記されていたといいます。

 中国人に対する偏見が色濃く感じられ、差別的な内容が記されているわけですから、かなり衝撃的な内容ではあります。 ただアインシュタインは人道主義者としても知られていますから、 偏見や差別というよりこれが彼の本音であることは確かで、中国人もこれに理解も示している点もあるようです。

  なにしろアインシュタインは自分が見聞きしたものをありのままに書いたに過ぎず、まさか後年日記が世界中に拡散するなどとは思ってもいなかったでしょうから。

 他にも、アインシュタインの日本に対する逸話として、日本を訪問し歴史と伝統が息づく日本文明を目の当たりにし大変な感銘を受け次の言葉を残した、というものがあります。

『......近代日本の発展ほど世界を驚かせたものは無い。 一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。  私はこのような尊い国が世界に一ヶ所ぐらいなくてはならないと考えていた。 世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。  そのとき人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。 この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、 あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。 世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。  それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。 我々は神に感謝する。 我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを......』(新歴史の真実・前野徹)。

 アインシュタインはこんな事は言っていないという説もありますが、語ったことが全て記録に残っているわけでもないでしょうし、真相は悪魔の証明が必要でしょう。   何はともあれ、アインシュタインが熱烈な日本ファンであったのは間違いないようで、 その人道主義者の彼が平和を象徴する日本の天皇が世界の盟主であれば、 武力に頼らずとも世界平和が実現できると断言した、と信じ込んでもバチはあたらないでしょう。


新しい互換関係へ

 不幸なことに敗戦以来何十年にも亘り、中韓が日本の戦争責任に対して非難・謝罪要求を延々と繰り返し、それに日本の「ご都合主義」マスコミが追随し、 それに屈した日本が『謝罪外交』を繰り広げる、という構図が現在までずっと続いてきました。   しかし、中韓に対しては謝罪で問題は絶対に解決しません。

 中国や韓国は、『日本の戦争責任を執拗に攻撃することで、自国のさまざまな国内問題から国民の目をそらす』、 ことがもはや常套手段となっているのです。

 それまで日本の経済援助が頼みの綱だった中韓は、自らが経済的に自立し始めると同時に、 日本に対する反日感情をむき出しにするようになりました。  執拗に過去の戦争責任を持ち出し、日本に謝罪を求めるようになったのです。   新たな戦い、歴史戦が始まったのです。

 欧米各国によって植民地にされていたアジア全域に進出し、日本軍は彼らを撃破し追い払ったわけですが、 なぜか中国、韓国だけが日本を非難する現状があります。

しかし、あの悲惨な戦争から半世紀以上も経過した現在、戦争中の出来事をあれこれ持ち出し自分たちが納得するまで相手に謝罪・補償を求め続ける相手に対しては、 そろそろ毅然とした対応をとるべき時期がきたのではないでしょうか。

もし日本が米国に対し、原爆や焼夷弾の無差別爆撃で何十万人もの一般人が殺された責任をいつまでも追及し謝罪要求していたら、今日の日米互恵関係は成立していないでしょう。

過去日本は中韓に対し様々な形で経済援助を行っており、特に中国は散々日本に文句を言いつつ、 これまで総額約6兆円以上の援助を受けており、 経済大国となった今でも毎年援助金をせしめている現実がありますが、文句さえ言い続ければ日本からはいくらでも補償金が入るのが既成事実となっている現状では、 未来志向の関係など永遠に築けないことでしょう。


マレーシア第4代首相のマハティール氏は太平洋戦争の評価について

もしも過去のことを問題にするなら、マレーシアはイギリスやオランダやポルトガルと話をすることが出来ない。
........我々は彼らと戦争をしたことがあるからだ。 勿論、そういう出来事が過去にあったことを忘れたわけではないが、今は現在に基づいて関係を築いていくべきだ。 マレーシアは、日本に謝罪を求めたりはしない。謝罪するよりも、もっと社会と市場を開放してもらいたいのだ。
」と発言しています。


さらに、超親日家でもあった氏は.......

日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。 一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。
日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、 アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい。
」とも述べています。

この言葉こそが大部分の理性的な人たちの認識ではないでしょうか。

 過去の戦争で生じた問題がすべて解決したとは思いませんが、だからといって過去のことをいつまでも問題視していては、 友好な互換関係を築くことなどできないことです。 インドネシア独立戦争に身を投じて戦った元日本兵に感謝し、 インドネシアは現在でも独立記念式典で日本に感謝を捧げる儀式を続けているといいます。


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関連サイト


コトバ学

(*1)......大東亜戦争(だいとうあせんそう Greater East Asia War)

大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した、「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、 大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった戦争に対する呼称。

植民地化していた連合国側にとってはこの呼び方は都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。   その後1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。

(*2)......WGIP

War Guilt Information Program(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
米国が日本占領政策の一環として行った「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」。

日本政府も、相手が中国や韓国だと、たとえその歴史認識が明白なウソであっても「これまで政府関係文書には書けなかった」(政府高官) とされる。



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セルフビルド
・"せっけい倶楽部ソフト"で間取り検討
・網戸の張替え


電動工具あれこれ
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ホビー
YAMAHAxjr1300外観
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・アコギギターの弦交換


【 全国各地ドライブ旅行記 】

日本の救世主......三笠公園の戦艦三笠の雄姿



ドライブの便利グッズ→
旅の記録に...........ドライブレコーダー
車内で家電品............パワーインバーター
読書でリラックス.......好きな作家、読んだ本




【 災害対策用品・災害備え 】

キャンプ用品にはイザ、というとき役立つものが数々があります。



災害時の備えに→
停電時の暖房......カセット式ガスストーブ
停電時の照明.........クワッドLEDランタン
便利な2口コンロ......LPツーバーナーストーブ






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