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歴史の改竄に走る韓国

 日本による韓国併合は日本の敗戦で終わりを迎えますが、直後にアメリカはソ連との交渉で38度線を境に北朝鮮をソ連、 南朝鮮(韓国)をアメリカが支配することを提案、1945年8月17日に同意し、これ以降朝鮮は38度線を境とする 朝鮮半島分断の時代を迎えることになります。

 3年後の1948年8月15日、韓国は朝鮮半島南部単独で大韓民国政府樹立を宣言。  アメリカの傀儡政権と言われた李承晩(イ・スンマン)が初代大統領に就任しました。    この人物は敗戦のドサクサで身動きが取れなかった日本の隙を突き、「李承晩ライン」と呼ばれる境界線を日本海の公海上に一方的に引き、 今に続く「竹島問題」を作った張本人です。

 李政権は1960年4月まで続きますが、共産主義の浸透に危機感を抱いた軍部が1961年にクーデタを起こし、 軍人の朴正煕(パク・チョンヒ)氏が実権を握り、 以後30年間軍事政権が続くことになります。    民主的な選挙で軍出身でない大統領が選出されるようになったのは、ついこの間の1992年からなのです。     現在でも「成熟した民主国家」とはとても言えない韓国世情は、 そのような歴史も影響しているのかも知れません。

 2005年以降になり日本はもう用済みと看做した盧武鉉政権は「新韓日ドクトリン」を発表。    歴史認識と領土問題で日本を糾弾する反日外交を行うことを宣言。  その後韓国は自国の成り立ちについて建国歴史の見直しを図る動きが目立ってきます。  そもそも建国の歴史など変えられるものではないのですが、韓国はそうではありません。

 韓国は日本に併合される前は数百年以上ずっと支那の属国の立場に置かれ、 その後日本が大韓民国として独立させますが、 日本の敗戦により米露に統治されるという、 時代に翻弄されてきた国であり、誇るべき建国の歴史は存在しません。    韓国の独立建史とは闘って勝ち取ったものではなく全て棚ボタで手にしたものなのです。

 これでは国際社会に対して韓国の面目は立ちません。  そこで、なんとかして自国に都合のいい「建国史」をデッチあげようとあれこれ画策しているのです。    やはり手っ取り早いのは「日本は我々を不当に支配した悪者国家である」という立場に置き、「我々は日帝を打ち負かし独立した」、 というストーリーをデッチあげたいのです。  そのため歴史の改竄に走らざるを得ないのです。(2019.9.2)


 

日本におんぶにダッコで成し遂げた近代化の歴史

 日本と韓国に横たわる歴史を辿れば、日本の力で支那の頚木から解放させてもらった歴史に行きつき、 自力では独立を成し遂げられず、 「韓国の近代化は(日本の尽力による)無賃乗車で成し遂げられたもの(李栄薫氏)」という現実に直面します。

 韓国の名門・延世大学の教授・柳錫春(リュ・ソクチュン)氏は、学生たちに「韓国発展の歴史的ルーツが、朴正煕でもなく李承晩でもない、また、 天から落ちてきたのでもないというなら、植民地支配の時期にならざるを得ないのではないか」と問いかけ、 『韓国人は「植民地時代」を再評価すべき』と主張します。

 19世紀末、イギリスの女流旅行作家、イザベラ・バードは 『朝鮮紀行』で、朝鮮の政治腐敗のひどさについて、《政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそ小さいとはいえ、 首都同様の不正がはびこっており.......堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手した......朝鮮には階層が2つしかなかった。  盗む側と盗まれる側である》、 と辛辣ではありますが当時の朝鮮事情をありのままに指摘しています。

 さらにイザベラ女史は李朝末期の朝鮮に対する日本について、《私は日本が徹頭徹尾誠意を持って奮闘したと信じる。 経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため、 買わなくともよい反感を買ってしまったとはいえ、 日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、 自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる》 .....としています。

 日本は韓国に対し「搾取し塗炭の苦しみを味わせた」どころか、支那(清)の属国の地位を甘受し政治腐敗が横行していた韓国を併合した後、 日本国民の貴重な税金を投資し、世界最貧国とまで言われた朝鮮国内のインフラ(鉄道、道路、港湾など)をほとんど「ゼロ」から整備した国なのです。  病院を建て、農業や産業を振興整備し、 食糧自給率を高めさせ、ロクな学校さえなかった朝鮮の子供たちのため多くの学校を作り、 大量に日本に留学させ近代的経済システムを吸収させていった国なのです。

 統治能力が欠如し堕落しきった官僚制度だった韓国は、時代に翻弄され続けた自国の惨めな歴史には頬被りし、 歴史をウソで都合よく塗り固め、韓国の近代化に多大な貢献をした日本を非難することを止めません。

 過去をとやかく言うのなら、韓国こそ当時の自国の立ち遅れた国内事情を認め、愚かにも南下政策を進めるロシアに擦り寄って 極東アジア地域の安全保障を脅かし、日本がやむにやまれず韓国を併合した歴史を直視すべきです。    国家的まやかし歴史で自国民を洗脳する韓国こそ、 日本の力で清の頚木から逃れられられた歴史を直視し、 近代化に貢献した日本に感謝すべきなのです。

 日本は韓国(当時は朝鮮)を併合した後、朝鮮の文化を尊重し、伝統文化、風習、言葉の奨励・保護し、集会・結社の規制緩和といった諸政策をとり、権力者の意向で政治がゆがめられる“人治主義”を正していきました。    まさしく、イザベラ女史が日本に対し抱いた、「誠意を持って」、 「朝鮮を隷属させる意図なく」、「自立の保証人」として振舞ったのです。(2015.12.3)


 

自力では成し遂げられなかった韓国独立

 韓国の常識派の李栄薫(イ・ヨンフン)氏は、「韓国の近代化は(日本の尽力による)無賃乗車で成し遂げられたもの」であり、 「国の独立も自力で成し遂げたものではない」、と韓国人には耳の痛い鋭い指摘をしています。   さらに、「日本の植民地時代に韓国が被った」とされる被害を全否定し、「日本統治時代は良かった」としています。

 アジア大陸の端にある小さな半島国家である朝鮮(現韓国)は、古代以来何百年にも渡り強大国家"シナ"の思惑に常に左右され、大きな影響を受け、 属国として扱われてきた"黒歴史"があります。   日本はその"シナ"を日清戦争で打ち負かし、 朝鮮をシナの頚木から解放し、 1885年、朝鮮を独立国家「大韓帝国」として設立させます。

 朝鮮(現韓国)が国際社会で正式に独立国家として認められたのは、日本の尽力があったからという歴史があったのです。   しかし、せっかく日本の尽力により独立できた韓国でしたが、 その後南下政策を進める ロシアに急接近する親露派の政権が誕生します。

 これに危機感を抱いた日本は止むを得ず国際社会の承認を得て、1910年韓国併合条約を結び、 韓国を併合することにしたのです。   韓国は「日本に侵略された」と主張しますが、 もともと日本は韓国を最初から統治するつもりなど無かったのです。     そもそも日本と韓国は近代に入ってからは本格的に矛を交えておらず、日韓併合期においても戦争どころか、韓国はまともな対日ゲリラ抗戦さえ起こしていません。

 日本の韓国併合は1910年から終戦の1945年までの35年間続きましたが、日本の敗戦後、韓国は米国の進駐により日本統治時代の終わりを迎えました。     韓国の独立は自らの力で成し遂げたものではなく、アメリカの軍政が終了した1948年になってから棚ボタでようやく手にしたものなのです。

  しかし、戦争終結により日本の統治から解放されたはずの韓国でしたが、 米ソによって朝鮮半島は南北に分断統治されることになります。   その後米軍が撤収したことで、1948年8月にやっと独立国家として成立できました。  韓国人は日本に対し国家の主権や領土について非常に敏感で、すぐ感情を爆発させますが、 その要因のひとつにこんな「日本にオンブしてもらって成し遂げられた独立」という歴史が関係しているのかもしれません。

 韓国を千年以上支配してきた支那に較べ、たかだか35年間統治した日本に対して異常な敵意をむき出しにするのも、 日本による統治がもっとも「最近」の出来事であり、 その記憶が鮮明なゆえ韓国人は日本に対して許しがたい歴史および民族感情を抱いているのだ、 ということなのでしょうか。(2019.7.20)

 日本に対し執拗に「日本の戦争責任」などという荒唐無稽の日本叩きを仕掛けてくる韓国ですが、それでは韓国がベトナムで行った 「韓国軍による民間人の大量殺戮」についてどう言い訳するつもりでしょう。      これは、嘘と捏造で塗り固めた事実無根の日本叩き物語と異なり全部事実であり、韓国が申し開きできる余地などない話なのです。(2021.9.8)


惨めな過去を隠す手段・歴史捏造

 李朝は長年に渡り支那の冊封国(さくほうこく・中国王朝を宗主国とした従属国)の立場に置かれ、その結果、中国社会の悪いところがすべて移入され、 党派争いに明け暮れ、不正腐敗が蔓延り、 民衆は支配階級から虐げられ続けるという「苦難の歴史」が、いまの韓国社会を形成してきました。

 これからアジアの先進国として君臨したい韓国としては、日本による併合期の歴史をそのまま受け入れることは、自国の惨めな過去をさらけ出すことであり、国の威信をかけても絶対に避けなければならず、 したがって教育も『日本による韓国(朝鮮)併合は一方的な強制だった』というストーリーを仕立てる必要があります。

 だからこそ、韓国は「従軍慰安婦」、「徴用工問題」などの日本叩きツールを利用し、『日本による韓国(朝鮮)併合は一方的な強制だった』というストーリーを仕立て、 「我々は日帝を追い払い自力で独立した」、という歴史を捏造し、 国史の「整形」を重ねた韓国憲法をデッチ上げようとしているわけです。

 中国やアメリカに対しいくら文句を言っても相手にされずハナも引っ掛けられないでしょうが、日本人はヤサシイためか、どんな理不尽な要求をしようが100要求すれば80は応えてしまう民族です。    これでは韓国も調子に乗って次々と新たな要求を繰り返すわけです。  相手の理不尽な要求は毅然として拒否する対応をとらない限り、中韓は「日本の戦争責任」追求を止めません。

 ここまでウソの歴史を積み重ね反日に突っ走ってしまった手前、韓国はもういまさら後には引けないところまで来てしまいました。   これからも未来永劫「強要された憎悪の学習」で、 せっせと自国民に反日思想を刷り込んでいかなければならないのです。(2019.2.4)

 昨今ではインターネットの普及により、 多くの国民に日本は白人支配を断ち切った「アジアの解放者」という役割が広く知られるようになりました。   もうGHQによる「日本人から誇りを奪う米国の戦略」は賞味期限切れを迎えつつあります。

 もう日本はいつまでも繰り返される韓国の「問題丸投げ」手法に愛想をつかし、 いよいよ日本は正義の鉄槌を食らわせる決意をしたのです。   韓国は治療法がない反日病にかかっています。  特効薬でも見つからない限り、韓国と対話しようとしてもムダなのです。(2019.8.2)


大韓民国の「建国神話」

 韓国憲法の前文には、『悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法的伝統』を継承すると書かれています。   たしかに3・1運動後の1919年4月11日、3・1運動を推進し朝鮮独立をめざした朝鮮人たちは、 中華民国・上海に逃亡し「大韓民国臨時政府」を結成。  初代大統領に李承晩を選出しています。     しかし、適性を疑われ連合・枢軸国双方が国際承認を拒んだ、という歴史があります。   国家として認められなかったのです。

 「大韓民国臨時政府」はその後中国各地を転々とし、1940年9月17日、中華民国・重慶で《韓国光復軍》を立ち上げていますが、 そもそも大韓民国臨時政府はどこの国からも国家として承認されなかったので国軍の扱いはされず、連合軍への参加も認められませんでした。   当時の「韓国臨時政府主席」だった金九は戦後の自伝で、《....心配だったのは(大東亜)戦争で何の役割も果たしていないため、 将来の国際関係において、発言権が弱くなること....》と憂いています。

 韓国としては日帝を打ち負かし自力で独立を勝ち取って建立した栄光の韓国誕生ストーリーを、なんとしてもデッチあげなければならないのですが、 それがたった2カ月で収束した反日暴動とも言われる3・1独立運動ではどうにも迫力不足です。  そもそも韓国は「青山里戦闘」などの小規模なゲリラ戦以外、 日本とまともに戦っておらず、3・1運動といっても独立運動と呼べるようなものではありません。

 韓国が現在の独立国家として誕生した歴史は、日本の手助けによる「棚ボタ」で手にした独立の歴史であり、 日本におんぶにダッコで成し遂げた近代化の歴史です。   韓国としてはこんな貧弱な独立歴史では国家として立場がありません。  そのため、どうしても日本を侵略国家に仕立て上げ、 日本を悪者にして自分達は被害者であるとしておかないと甚だ都合が悪いのです。

 1945年9月9日の日本朝鮮総督府の降伏後、朝鮮は南北に分断され、 南朝鮮(韓国)ではアメリカ軍が軍政を開始し、北朝鮮はソ連軍(赤軍)が支配します。    そして、冷戦が激化していく中で、朝鮮は最終的に1948年、資本主義陣営「韓国(正式名・大韓民国)」と、 共産主義陣営 「北朝鮮(正式名・朝鮮民主主義人民共和国)」、という同一民族の分断国家が誕生することになります。

 このように、韓国は戦争が終結したにもかかわらず、1948年まで正式な独立国家として誕生することは出来ませんでした。     韓国の独立は、まず日本併合期を離れ、次に米軍の軍政下に置かれ、その後やっと1948年8月15日、韓国は朝鮮半島南部単独で大韓民国政府樹立を宣言します。     ザンネンながら、韓国の独立物語は「棚ぼた式」で手にしたものであり、「日帝を打ち負かし独立した」という建国ストーリーは、何処を探しても出てはこないのです。(2019.7.20)


3・1運動....国史の「整形」を重ねた韓国憲法

 韓国の憲法前文にある3.1運動は、独立戦争どころかたった2カ月で収束した反日暴動であり、 それを「独立運動」として建国を謳う認識には大分無理があります。

 憲法文の、『....3・1運動で建立された大韓民国(韓国)臨時政府......』というのは、3・1運動後の1919年4月11日、中華民国・上海において後の大韓民国初代大統領・李承晩らにより 「韓国臨時政府」が結成されたことを指します。

 その後李承晩は内輪もめで1925年に離脱しますが、左派の一部はその後各地を転々としたのち重慶で蒋介石の庇護の元《韓国光復軍》を立ち上げます。    しかし、適性を疑われ連合・枢軸国双方が国際承認を拒んだ、という歴史があります。

 李承晩は戦後にアメリカにより韓国の指導者に就任させられましたが、彼とすれば「韓国臨時政府をもって、これが大韓民国の建国である」 という妄想を抱いたわけです。  しかし、当時の「韓国臨時政府主席」だった金九は戦後の自伝で、 《....心配だったのは(大東亜)戦争で何の役割も果たしていないため、将来の国際関係において、発言権が弱くなること....》、と憂いていました。

 戦後になりサンフランシスコ講和条約が締結される際、韓国は連合国側に「戦勝国として参加させろ」と騒ぎますが、当然相手にされませんでした。   李承晩はその腹いせもあって、竹島を占拠したわけです。

 韓国憲法には、国際法上合法だった日本の韓国併合《日韓併合期間・1910〜45年》は存在しないことになっています。   代わりに併合期の《3・1運動/1919年3月1日》を起点とする建国物語が記されます。      しかし、それでは初代大統領・李承晩が戦後の1948年に行った独立宣言の正統性まで問われるわけで、アノ独立宣言はいったい何だったんだ、 ということになってしまいます。

 このシナリオだと《大韓帝國→大日本帝國→米国軍政→韓国》という正史ではなく、《大韓帝國→日本の植民地→韓国臨時政府→韓国》となり、 日韓併合期米軍の軍政下だった時代は、 歴史上存在しなくなってしまいます。   自力で独立を成し遂げられなかった韓国としては、どうも3・1運動に建国の起点を見い出すのは、 いくら“お家芸”とも言える「ちゃぶ台返し」の得意な韓国でも、サスガに難しくなってしまいます。(2019.7.20)


ハチャメチャな建国ストーリー

 韓国は、戦後民主化が進むと「我々は日帝を追い払い自力で独立した」、といいだします。  しかし、近代に入ってから日本と朝鮮(現韓国)は小競り合いはあったとしても、 本格的なゲリラ抗戦さえ起こしていません。   韓国の独立は闘って勝ち取ったものではなく、 全て棚ボタで手にしたものであり、自力では成し遂げられませんでした。

 ただし、韓国の手に掛かれば独立運動ともいえない黒歴史であろうが、リッパな建国神話としてデッチあげるのは簡単です。  韓国の文大統領は2017年12月、 中国重慶を訪れ、大韓民国臨時政府の庁舎跡地に立ち、ここは『大韓民国臨時政府は韓国の根』だと語りました。    即ち、1919年に中国上海で設立しその後重慶に移った『大韓民国臨時政府』こそ、正統な大韓民国だと言うわけです。

 しかも、韓中両国は中国・重慶の光復軍総司令部跡に展示室を設ける計画や、駐屯した西安に記念碑を作る計画を協議しているとされます。   またしてもありもしない展示物を飾り、中国を後ろ盾に“建国捏造歴史”に箔を付ける企てのようです。     ただ、そもそも歴史に敬意を払う国は、国史の改竄などに協力などしません。  自己に都合の良い歴史改竄を行うためには、 似たもの同士の中国のような国に歴史改竄のお先棒を担いでもらうのが一番です。  お似合いの国なのです。

 展示品は相変わらずのデッチあげ粉飾品オンパレードとなるのは間違いないでしょうが、 戦争により強国に蹂躙され続け誇れる近代史を持たない国同士のもたれあいも、 ここまでくると同情の念さえ沸いてしまいますが、 ドッコイ、またこれで日本叩きの道具のひとつになると考えるとどうにもやりきりません。

 ただ、大韓民国誕生の時期を1919年とすると、 1948年8月に誕生した大韓民国という国はいったいナンダッタんだ、 ということになってしまいます。  そもそも1919年当時、中国上海で生まれた『大韓民国臨時政府』と称するものを、 国家として承認した国などなかったのですから、まさか二つの国家が誕生したわけは無いでしょう。   こんなハチャメチャな建国ストーリーを憲法に堂々と謳って大丈夫か、 とこちらが余計な心配までしてしまいます。(2019.7.20)

 2021年、文在寅大統領の後継者と目され、次期大統領候補の李在明は、「現在の大韓民国は親日勢力が米占領軍と合作して作ったもの」と述べますが、 大韓民国の設立過程 に親日勢力の介在などあるはずもなく、 これこそまさに韓国による歴史の改竄なのです。 (2021.12.6)


韓国が掲げる偽りの「建国神話」

 中韓は日本に対し執拗に"歴史を直視せよ"、と迫り「日本は戦争責任を果たせ」と繰り返し非難します。   ただし、彼らが直視しろと言うのは日本の悪しき部分のみ焦点を当てた"日本叩きが目的の直視"であり、 "歴史を正しく直視"したものではないことだけは確かです。  どんな国にも過去の歴史に光や影の部分がありますが、ことさら影の部分のみ取り上げ批判するのはいただけません。

 相手に「歴史の直視」を要求するのであれば、自らも「自国の歴史を正しく直視」することが必要なはずです。    自国の歴史を都合のいいように偽装する国に、「歴史を直視せよ」と日本を非難する資格などありません。

 韓国憲法の前文には、『悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された 大韓民国臨時政府の法的伝統』を継承すると書かれています。    1919年を正統な大韓民国誕生年と謳い、1910年から1945年まで続いた日本の韓国統治は違法だと主張するわけです。

 もちろんこれは韓国流の捉え方であって、そもそも1919年に作られたとする『大韓民国臨時政府』と称するものを国家として承認した国など、当時も今もありません。     しかし、暴走する無法国家、韓国にはこんな理屈は通用しないようです。

 かれらは、韓国併合に先立つ、日露戦争終結後の1905年(明治38年)11月17日、大日本帝国と大韓帝国が締結した「第二次日韓協約」は、日本が脅迫して結ばせたものだから、 1910年に正式に条約を交わした「韓国併合条約」は国際法上無効だという主張をします。

 「脅迫」などとまさにヤクザが使うような屁理屈を持ち出していますが、そもそも当時の国際社会は日本による大韓帝国の統合を合法と看做し承認しています。  当時はアメリカでさえ日本の統治に積極的に賛同していたのです。

 たしかに、第二次日韓協約締結後の1907年、協約の無効を主張する高宗(ゴジョン・李氏朝鮮第26代国王)の親書をたずさえた密使が万国平和会議に派遣されますが、 国際的には第二次日韓協約は有効な協約であったため、拒絶されています。   ですから国際法上無効だという主張はそもそも通じません。     韓国は日本を非難する前に、この歴史の事実を直視すべきでしょう。

 この第二次日韓協約によって、韓国は正式に日本の被保護国となりました。 皇帝高宗が退位後、第三次日韓協約が結ばれ、この協約によって韓国では内政権も日本に移っていく事となり、 1910年に韓国併合条約が結ばれました。  その後、朝鮮半島は1910年8月から1945年9月までの35年間大日本帝国によって併合され、「韓国併合」の時代を迎えることになりました。

 韓国からすれば望んだ併合ではないと言い張る気持ちも理解できますが、このささやかな抵抗事件を持ち出し、日本から脅迫されたと主張するのは「無駄な足掻き」と言うものです。    そもそも、日本は好きで韓国を併合したわけではありません。    その理由は韓国お得意の「歴史の直視」で過去を振り返れば一目瞭然のはずです。

 アジアに白人列強国による植民地支配の嵐が吹き荒れていたとき、韓国はノコノコとロシアに擦り寄り、 それを日本や欧米各国が極東アジアの安全保障に重大な危機と捉え、 国際社会から承認を受けてやむなく日本が統治したのです。    当時の国際社会も日本による韓国併合には賛成していたのです。  日本だけを悪者にしてもせん無いことです。(2019.7.20)


時代に翻弄された韓国の建国史

 独立どころか近代史においてなんら誇るべき役割を果たせなかったのは当時の韓国人も自覚していたようで、 3・1運動後、上海で結成された韓国臨時政府の主席だった金九は戦後の自伝で、《....心配だったのは(大東亜)戦争で何の役割も果たしていないため、 将来の国際関係において発言権が弱くなること....》、と憂いています。

 しかし、そんな心配など杞憂だったようで、韓国はそんな歴史などハナから無視し、チャッカリと自前の独立神話をブチ上げています。    戦後のドサクサで不法占拠した竹島についても、 そこは日本の領土だと主張しようものなら、目の色を変えて反発するのです。  なにせ幼稚園から「『独島(竹島)』は韓国の領土」という愛国教育で洗脳されているのですから。

 ただ自国の建国歴史はいくらでも捏造できるでしょうが、自力で支那の支配から逃れたわけでも、日本と戦って勝ち取ったものでもなく、戦後の棚ボタで手にしたものという歴史の事実は書き換えられません。    韓国にとって過去の歴史に真摯に向き合ってしまえば、支那の属国だった自国が、日本の力によって解放してもらったという事実や、 日本に併合されたお陰で近代化を成し遂げられた、という屈辱的な歴史を認めることになります。

 韓国は戦後しばらくは軍事独裁の政治体制が続きましたが、1987年全斗煥の後継指名を受けた盧泰愚が民主化宣言を発表します。    民主化が進み経済発展を成し遂げていくにつれ、韓国国内には歴史的経緯や政治・教育などの誘導により、過去の日本によるアジア支配を否定的に捉え、 日本を敵対視する反日勢力の声が高まっていきます。

 1970年代以降になると、元日本軍軍人、軍属や労務者など、大戦時に動員された人々やその遺族による補償を求める運動が活発化していくようになり、 いまでは一世代若い彼らの遺族たちが、さらに活発な反日補償運動を展開していくようになっています。

 暮らしが豊かになれば改めて自国が辿ってきた過去を振り返る余裕も出てきます。  いままで圧倒的差だった日本と韓国の経済格差も、日本は経済の停滞とともに国際的な地位や役割が低下していく一方で、 韓国のGDPは1994年の約5倍に成長しました。  一人当たりの名目GDPも日本が約400万円前後で推移しているのに対し、約320万円と肉薄しています。(2019.2.10)


 

やっと正式に独立国となった韓国

 アメリカは終戦後に日本による韓国統治が終っても、ただちに韓国を独立国家にすることはしませんでした。 その理由として、共産主義者ソ連が支配する北朝鮮と同じ共産化を防ぐという以外に、 統治能力に欠け、度を超す自己主張や激高しやすさ、という朝鮮人の民族性を米国は学習しており手を焼いたことや、 朝鮮人が建国に邁進するまとまりに欠けると判断した点にあったとされます。

 実際、米国が懸念したように1945年秋には30もの朝鮮人軍閥が警察署や新聞社、企業・工場・商店を勝手に接収。 米軍は武装解除を強制したが効果は限られといいます。    結成された政党や政治結社は200近くにのぼり、指導者は内部抗争に明け暮れ暗殺・テロが横行。 “独立宣言”をしたはずの「朝鮮人民共和国」ですら、 中華民国(当時)に建てた韓国臨時政府と対立。 2つの“政府”各々の内部でも抗争が激化、国内の混乱は激しさを増していきます。

 米ソによる分割占領は1948年まで続きましたが、38度線以南ではアメリカによる軍政が終了し、1948年8月13日に大韓民国の建国が宣言され、 韓国は正式に独立国となりました。

 1948年9月9日には38度線以北において朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣言され、 これにより今日まで続く朝鮮の分断国家としての歴史が始まることとなります。   さらに韓国は日本と韓国に横たわる歴史によって、ますます日本とは険悪な関係になっていくわけです。

 1949年、韓国初代大統領・李承晩は米国に戦勝国(=連合国)に入れてくれと訴えますが、そもそも日本に統治されていた朝鮮にそんな権利は存在せず、 さらに無理難題を吹っ掛けてくる韓国の国際法の常識を無視するやり方に嫌気がさしたこともあって、あえなく断られます。   韓国は昔からそういうやり方をする国なのです。  英国も「韓国は日本と戦っていない」という理由で反対します。(2019.7.20)


  

戦争で何の役割も果たせなかった不甲斐無さ

 「韓国光復軍」は中華民国(現台湾の国民党政権)の支援があったればこそ創立されました。  当時世話になったのは現中国の共産党政権ではなく、共産党と血みどろの戦いを繰り広げた国民党政権なのです。   国民党の支援を受けたからこそ重慶に大韓民国臨時政府を樹立できたという恩義があるはずです。

 しかし、今では韓国はそんな当時国民党から受けた恩義などすっかり無視し、その後に国民党を追い出した中国共産党にシッポを振っています。  それが小国が生き残りを図る韓国お得意の処世術だとしても、サスガに事大主義の国だけあって、信義や誠実さなどというものとは無縁の韓国らしいところではあります。

 もっとも、その中国共産党軍も、当時国民党軍が日本帝國陸海軍と戦っている間、長い距離を経て征伐に行く意味の「長征」と強がって山奥に逃げ込んでいたのですから、 日本とまともに戦ったことのなかった韓国と中国共産党軍は似たもの同士としてどこか惹かれ合うのでしょう。 同じ穴のムジナ、というところです。

 それにしても、中国にしろ韓国にしろ「独立運動史」を持たない自らの不甲斐無さは隠蔽し、日本の戦争責任を声高に主張する根性はいただけません。  彼らは素直に日本が果たした功績を認めるどころか、「歴史の直視」などと言い始めています。 歴史を直視したら自らの恥知らずの行動が明らかになってしまうことは どうやら考えていないようです。

 (大東亜)戦争で何の役割も果たしていない彼らは、自分達の過去の不甲斐無さを隠蔽するため歴史を自分達に都合のいいように塗り替えようと一生懸命です。 お得意の歴史捏造により次々に日本悪玉説をデッチあげ、 白人国家のアジア支配を解放し、植民地支配されていた世界中の国の独立機運を高めさせる貢献をした日本に対し、戦争責任を償えなどとわけの判らない理由で歴史戦を仕掛けてきています。  なんとも面倒な隣人を抱えてしまったものです。(2019.7.20)


侵略者に喜んで尻尾を振る国

 しかし韓国は気にも留めないでしょう。  もともと韓国は支那の隷属の立場に甘んじていたかと思えば、 それが解放されるやロシアに擦り寄り、 アジアを植民地支配しようとする侵略者に喜んで尻尾を振る国です。     彼らは日本のように「アジアの解放」を目指すどころか、 どんな国であろうが強い相手であれば喜んで従うのです。   やはり韓国という国は「支配的勢力や風潮に迎合し自己保身を図り」、 「強い勢力に付き従う事大主義の国なのです。

 韓国は日本帝國陸軍の友軍だったインド国民軍(INA)の存在を明らかにすることは決してないでしょう。  なぜなら、INAは、太平洋戦争(大東亜戦争)中に日本軍の支援によって設けられた、 英印軍の捕虜の転向者を中心としたインド人部隊で、「白人支配からアジアを解放するための組織」でした。   連合国側になびいた韓国や中国とは違い、インドは自らの独立をかけイギリスとアメリカへ宣戦布告して戦った栄光の歴史があるのです。

 中国と韓国は植民地支配からの解放という歴史的快挙を果たした日本に対し、ひたすら日本の戦争責任 を叫び続けています。   しかし、そんな国は世界中で韓国・中国だけであり、圧倒的多数の国は親日国家です。   中韓に共通しているのは、白人支配からの独立などという高尚な考えなど持ち合わせておらず、 自分達の利しか考えない民族だという点です。

 こんな恥知らずの歴史を抱えながら、韓中両国は中国・重慶の光復軍総司令部跡に、「南京市の南京大虐殺記念館」のようなデッチあげ展示物を飾る展示室を設ける計画や、 駐屯した西安に記念碑を作る計画を協議しているとされます。

 中身は相変わらずの「反日粉飾品オンパレード」となるのは間違いないとして、韓国は捏造仲間の中国を後ろ盾に、せっせと“捏造歴史”に箔を付ける企てのようです。    日本の政治家にも、こんなプロパガンダ(特定思想へ誘導する)施設に、 コロッとダマされる人物もいますから要注意です。

 戦後の日本は「日本悪玉説」の呪縛から逃れられず、謝罪一辺倒に追い込まれてきました。 その影響からか、いまだに自分の祖国を否定する愚かな政治家は大勢います。    政治家からして一方的な反日歴史観を持つ国なのです。  騙されやすいのです。

 たしかに自己に都合の良い歴史改竄を行うためには、似たもの同士の中国のような国に歴史改竄のお先棒を担いでもらうのが一番です。 そもそも歴史に敬意を払う国は改竄に協力などしません。  お似合いの国なのです。(2019.7.20)


韓国光復軍(かんこくこうふくぐん)

 日中戦争(1937年7月〜1945年8月)勃発後、大韓民国臨時政府は所在地を上海から重慶に移します。  1940年9月17日、重慶において大韓民国臨時政府独立のため連合国の一員を目指す、 という政治目標を持った軍事組織が誕生します。   これが中華民国の支援のもと創立された「韓国光復軍」と呼ばれる軍事組織です。    単に光復軍とも呼ばれます。 「光復」とは主権回復を意味するといわれます。

 「韓国光復軍」は1942年に金元鳳の朝鮮義勇軍を吸収して規模を拡大し改編。 1944年まで中国国民党政府の国民革命軍の統制下にありましたが1944年8月に統帥権を得ます。 しかし動員計画は遅れに遅れ、 創軍1年目の兵力は300人に過ぎなかったとされます。

 光復軍は自らを軍隊と称していましたが、そもそも大韓民国臨時政府はどこの国からも国家として承認されなかったので国軍の扱いはされず、連合軍への参加も認められませんでした。    その後解体を命じられます。

 米CIA(中央情報局)の前身組織、OSS(戦略諜報局)が協力し、朝鮮半島内拠点への潜入工作員による破壊活動作戦を計画するなどしていますが、数名をインドに派遣した以外はほぼ戦闘に参加することもなく 1945年のポツダム宣言受諾により日本が降伏したため、実戦にほとんど参加することなく終わっています。

 しかし、「韓国光復軍」の存在は「青山里戦勝利神話」と同様、大韓民国の「建国神話」に欠かせない題材であり、 何も出来なかった軍隊だった、では済まされない事情があります。   韓国としては日帝を打ち負かした栄光の韓国軍というストーリーを、なんとしてもデッチあげなければならないのです。

 韓国メディアは光復軍について、《英軍と連合して1944年のインパール戦闘をはじめ、1945年7月までミャンマー(ビルマ)各地で対日作戦を行った》、と伝えます。   実際は戦闘に参加などしていませんが、こういう「国の独立のため奮闘した」という存在でなければ困るのです。   ただ、これでは韓国はアジアを侵略し植民地化していた欧米に擦り寄った国だったということになります。(2019.7.20)


自国の「不都合な史実」隠し

 韓国には、『泣く子は餅を貰える』とか、『泣かない子にはお乳はあげない』、といった諺があるそうです。 韓国のあまりの無軌道ぶりに、韓国駐在経験のある外交官が、 「韓国は道端に寝っ転がって駄々をこねる子供だから、たまにきちんと叱りつけなきゃだめだ」、といったと言います。

 いままで散々ゴネられ続け、何度も譲歩を重ねてきた日本ですが、今回ばかりは韓国のやり方はどう見ても"やり過ぎ"です。  もし日本がこの事態を従来のように唯々諾々と受け入れてしまえば、 もうそれで韓国から未来永劫「戦争責任」を持ち出され、韓国の要求に屈する国家となってしまうでしょう。  そろそろ日本人は堪忍袋の緒が切れても仕方ないところまできたようです。

 韓国が日本タタキで大騒ぎすればするほど、日本国内は過剰反応し、反日マスコミは戦争責任キャンペーンを張り、日本からさらなる補償金を引き出す流れが生まれる。   それで韓国政府は自分達の成果を誇示でき、韓国人は元気が出る、という反日無限ループは、もうここで打ち切るべきです。

 相手からお金を受け取っておきながら、それを公表せずしかも別な使途に使い込み口を拭う。  指摘しても黙殺か戦争責任を果たせのワンフレーズで反撃する...... 実は、韓国のあまりの無茶ぶり日本タタキの裏には、自国の「不都合な史実」隠しがあるのでは、という見かたがあります。(2018.11.26)

 "「韓国政府が恐れるのは、戦前の日本に対するのと同じように、戦後の(自国内の)“漢江の奇跡”の犠牲にされたという告発が相次ぐことでしょう。  そういう声を抑えるためにも、ますます日本の賠償問題に目を向けさせようとするのではないか」。  自国の「不都合な史実」さえ日本批判の動機にされてはたまったものではない。(週刊ポスト2018年12月7日号)"


三・一運動とは

 三・一運動(さんいちうんどう)は、日本統治時代に初代大韓帝国皇帝・高宗(ゴジョン)が亡くなったとき、『彼の息子が日本の皇族と結婚することに抗議して服毒自殺した』、 とか『日本によって毒殺された』というウワサ話がキッカケとなり、日本からの独立を宣言し自治独立を求めたことから端を発したとされる騒動です。

 そもそものきっかけは、1919年(大正8年)3月1日、漢城のパゴタ公園に宗教指導者33人が集結。  独立宣言文を読み上げる計画が進んでいました。  しかし、なぜかこの計画は実行されず、 宗教指導者たちは公園近くの遊郭に移動し独立宣言文を読み上げただけで、さっさと自首したといいますから、それほど切羽詰まった決起ではなかったようです。

 ちなみに、この事件は日本国内では「万歳事件」と言われ、一部の「反日」的な暴徒が「独立万歳」を叫びながら示威行為を行ったので弾圧された、と報じられています。   『或る呪文を唱えたら弾が当たらない』と首謀者たちが無知な大衆を騙し、マンセー(万歳)、マンセー、と騒がした。   初めのうちは日本側も殺す意図はないので空砲で威嚇していたが、『それ見ろ弾はあたらんぞ』と瞬く間に騒ぎが大きくなっていき、止むを得ず先頭の数人を射殺したら、 蜘蛛の子を散らす様に逃げて騒ぎが収まった....、と当時の状況を伝える証言もあります。

 日本に統治されていた朝鮮半島において勃発した民衆蜂起ですから、朝鮮人からすれば誰もが『民族独立運動』という捉え方をするのも当然でしょうが、 尻窄み(しりすぼみ・徐々に小さくなる)で収束していったこの騒動を「独立運動」と見なすには少々物足りないのも事実であり、 もと同胞である北朝鮮もこの騒動については、『失敗したブルジョア蜂起』としており、独立運動という言い分に否定的な評価がなされているそうですし、 これ以降、朝鮮半島では終戦まで大きな独立運動は起きていません。

 『たった2カ月で収束したただの反日暴動』と見なす側の意見として、『わざわざ日本に楯突いてまでして元の封建時代へ戻ろうとするだろうか。』、というものがあります。     というのも、日本が韓国(当時は朝鮮)を併合する以前の朝鮮社会は、両班(ヤンバン)と言われる支配階級が朝鮮社会に寄生し、 官吏は全く仕事をせず、1日でも官職につけば退任した後にもその地位が一生保たれるので3ヵ月ごとに交代し、ために国家予算の半分が彼らの年俸に費やされる社会だったとされます。

 そういう社会が長く続いた朝鮮に日本が乗り込み、堕落しきっていた官僚制度を浄化し、朝鮮国内のインフラ整備を推進したわけです。    日本側の施策によって近代化の恩恵を享受しつつあった朝鮮社会において、はたして『前近代的社会のままで支配階級から搾取され辛酸を舐めていた朝鮮民衆たちが、 日本に逆らってまでわざわざ元の封建社会へ戻ろうとするだろうか?』、というわけです。(2019.2.5)


  

三・一運動は本当に「独立運動」だったのか

 2カ月ほどで収束したこの騒動を「独立運動」と見なすには少々物足りない気もしますが、いずれにしろ、この出来事を実際に見たわけではない我々としては、 判断は新聞や書籍に書かれた内容に頼らざるを得ませんが、どちらの立場に立つかで書く内容は変わりますし、必ずしも真実だけが書かれているわけでもないでしょう。  この抵抗運動のシンボルとして「柳寛順」という人物も持て囃されています。

 三・一運動で出された宣言文は、朝鮮の独立、自由を掲げてはいますが日本を責めるものではなかったといいます。  政権奪還のための過激な行動を起こしたわけではなく、 当初はせいぜいデモ行進やストという穏やかなものだったとされます。   朝鮮大衆も、まさか日本を排斥して李朝時代の飢餓と貧困の社会に戻ろうなどとは誰も考えなかったでしょう。

 日本が併合する前の保護国だった時期から、韓国内では旧支配層の不満や朝鮮軍解散を原因として、「義兵」という形の抵抗が頻繁にあったといいます。    日本の支配によって、それまで甘い汁をすっていた特権階級の連中は追い払われたわけですから、不満分子たちの反日感情はずっとくすぶっていたわけです。

 この騒動も、日本の統治により朝鮮が近代化し発展していく中で、日本に特権を奪われた両班や旧軍人達などの支配階級をはじめ、日本と朝鮮の分裂を図る反日共産主義者、 米国の宣教師に導かれた朝鮮人キリスト教徒などが大同団結し、デモに便乗する形で大衆を扇動、破壊活動まで拡大させた「単なる暴動」だった、 という見方もされています。(2019.2.5)


三・一運動の背景

 大方の資料においては、三・一運動はロシア革命により各地域で社会主義国家の誕生に繋がるのを恐れた米ウイルソン大統領が1918年に唱えた、 「民族自決」運動に触発された学生や宗教家たちが主導して起こした「独立運動」である、とされています。 この年大韓帝国初代皇帝高宗が死亡したこともありさまざまな憶測がなされています。

 当時はそれぞれの民族は自らの運命を自ら決するべきであるとする民族自決主義の考えが起こり、日本でも米よこせ暴動が全国に広がり、約70万人が加わった全国的な暴動も勃発していました。   世界的にみても抑圧されていた大衆が蜂起し帝国主義へ抵抗する風潮が強まっていた時期でもあったわけです。

 歴史を評価する場合、当時の時代背景まで考慮した捉え方が必要とされます。 『日本は韓国を併合後、武断政治(武力をもって行う政治)といわれる過酷な軍事支配を行った』、 と見る反日もいれば、『日本の統治により朝鮮が近代化して発展していった』、とする嫌韓もいます。

 キリスト教徒の暴徒というと場違いな感じもしますが、昔から白人侵略国家は植民地支配しようとする地域を懐柔させる手段として、 予めキリスト教宣教師という先兵を使い、植民地化しようとする国に派遣しています。    宣教師らは口では愛だなんだと言いながら現地の人々を教化し、やがて隷属化し搾取をしていく足がかりを築いていくのが常套手段だったとも言われます。    三・一運動でも日本弱体化を狙った白人国家が宣教師を使って信者たちを扇動したという見方が嫌韓の間でささやかれています。

 いずれにしろ日本と朝鮮の分裂をはかる勢力が蠢いていた当時の朝鮮半島情勢の中で起こったこの事件を、反日、嫌韓がそれぞれの立場でどう評価するかという話しです。     どちらもある部分は正鵠を射る(せいこくをいる・物事の急所や要点を正しく押さえている)意見であり、どちらが誤っているという話ではなさそうです。(2019.2.5)


三・一運動の被害規模

 三・一運動は、その後朝鮮各地で日本に対する反日暴動運動へと広がり、次第に日本人憲兵や警官のいる駐在所が襲撃され、官公庁、日本人居住地などに投石や放火が行われるなど激しさを増していき、 犠牲者が出始めます。

 結局、2ヶ月間に渡って続いたこの騒動では日韓双方に大勢の死傷者や逮捕者が出ました。  被害規模については諸説ありますが、ことさらに日本の残虐性を訴えたい韓国の教科書には、 無差別の銃撃よって7509人が殺され、1万5961人が負傷させられたとあります

 日本の教科書には5万人の死傷者が出たと書かれているものもあります。  しかし教科書に自分の国の非を書き立てるのは日本だけとは言われますが、流石にこの数字は韓国側の数字と較べても誇大すぎるでしょう。    恐るべき日本教科書の反日媚韓ぶりです。   日本総督府の資料では死者553人、負傷者1409人と韓国側とは大きく異なっていますが、いずれにしろ正確な数字は不明です。

 この騒動では日本側も死傷者が多数出ています。  憲兵や警察官らは耳や鼻をそぎ落とされ、陰具を切断されるなど残虐な暴行により惨殺されたといいます。 それにしても、  中国人も「通州虐殺事件」で恐ろしい殺害方法によって日本人を大勢虐殺する事件を起こしていますが、 韓国人や中国人はどうしてこのような猟奇的な殺戮を平気で犯せるのでしょうか。

 三・一運動は2カ月で収束しますが、斉藤総督の融和策により日本側は裁判において「報復」的なことは一切行わず、死刑も無期懲役も、懲役15年以上の実刑になったものもおらず、 証拠主義に徹して多くの被疑者が無罪放免となった、という公的証拠に基づく事実が残されています。

 当時の世情では皆が優しい日本人だけではなかったでしょうが、日本がこの事件処理において朝鮮人にあからさまな報復処置を行った事実はないようですから、 韓国側が唱える日本人残虐説はある程度割り引いて判断したほうがよさそうです。


三・一運動がもたらしたもの

 この騒動により日本政府と植民地統治当局である総督府は統治姿勢を見直し、武断政治を文化政治(武力ではない内地延長主義による政治)に転換させるようになったとされます。   ただ、それ以前の1905年(明治38年)にはすでに初代統監に就任した伊藤博文は学校建設を朝鮮改革の最優先事項としており、 1910年(明治43年)からの韓国併合後も盛んに学校建設を推進させていっています。

 日本はこの三・一運動後に韓国統治体制を180度転換させたことはなかったようですが、言論や集会の自由を認めるなど統治体制を改め、朝鮮支配をよりソフトな形に変えていったのはたしかです。

 ただ、この事をもってことさら日本を批判してもせん無いことです。  初代朝鮮総督の寺内正毅の時代は「武断統治期」といわれますが、 韓国内では併合前の保護国だった時期から旧支配層の不満や朝鮮軍解散を原因として「義兵」という形の抵抗が頻繁にあったといわれます。

 このような過渡期においては、とても文化政治(武力ではない内地延長主義による政治)で統治するなど無理だったでしょう。   軍隊と一体化した憲兵制度や、言論や結社の厳しい制限によって臨むしかなかったわけです。 当時は当時なりの事情があったのです。  歴史を糾弾するには現代人の目で見てはいけない、ということです。

 「憲兵隊」などというとなにやら問答無用の冷酷組織と言うイメージがあり、映画などでも殊更残酷に描かれますが実態は治安維持警察であり、これは寺内が当時のフランス警察制度を学んで導入したもので、 フランスは今でも地方の治安維持は憲兵隊(ジャンダルムリ)が担っているといわれ、警察より評判がいいという話もあります。

 戦後の民主主義、人権重視が当たり前になった時代になると、ひたすら日本の韓国統治を悪と決めつける記述の書籍が数多く出回ります。    世界中に白人国家による植民地支配の嵐が吹き荒れていた当時の時代背景など一切考慮せず、 日本が韓国併合に踏み切らざるを得なかった経緯も無視し、 日本側が行った施策についてヤレ強権的だった、日本人が全部仕切っていた、などとひたすら日本の悪い面だけ見て非難する風潮がしばらく続きました。

 しかし、白人国家による植民地支配と異なり、日本は決して搾取一本やりの支配はしていません。  第3代と第5代の朝鮮総督として延べ10年も朝鮮に君臨した 斎藤実も、日本人、朝鮮人を同一視する 「一視同仁(いっしどうじん)」策を掲げ、 最終的に「朝鮮の自治州化」まで念頭に置いた政策をとりました。

 対立関係にある者同士が相手の立場に立った視点で事実を見ることなど、ほとんど無理な話しなのです。  例えば、日本が日本国民の血税で朝鮮に大学を設立したことについて、 『...しかしこれは教員、学生とも日本人が大半を占め、朝鮮にありながら日本人の大学であった....』 というものがあります。   朝鮮に作った大学なのだから一部だけでなく全部朝鮮人にしないと不公平だとでも言いたいようですが、 当時の情勢を全く考慮しない理想論を振りかざし、なにが何でも日本を悪者にしても仕方ありません。

 歴史評価においては、時代背景を蔑ろにしたまま理想論で物事の正邪(せいじゃ・正しいことと、正しくないこと)を判断するのは避けなければなりません。   時代に左右されてきた現実の結果が歴史なのであり、そこを無視して理想論だけ振りかざすと、今の日本人のように『どうして日本人は太平洋戦争の前に反戦デモをしなかったの?』、 という考え方しか出来ない軽薄人間が大量生産される社会を生んでしまいます。(2019.2.2)


提岩里教会事件

 提岩里教会事件(ていがんりきょうかいじけん)とは、1919年4月15日、日本統治下の朝鮮京畿道水原郡郷南面提岩里(現在の華城市郷南邑提岩里)で、三・一独立運動中に起きた事件です。     この事件では29人の住民が軍隊によって殺害されたといいます。

 この事件のあらましは、三・一独立運動が起きている最中、憲兵隊が提岩里(チェアムリ)の堤岩教会において、小学校焼き討ちと警察官2名の殺害の容疑者として提岩里のキリスト教徒の成人男達20数名を集めて取調べをしていたとき、 諍いが生じたことがきっかけで男達が騒ぎ出し暴徒化。  これを鎮めようとした日本側が発砲。 ほとんど全員を射殺するに至ったという出来事です。 容疑者らはテロリストだったという証言もあります。

 三・一運動の中でも最悪の出来事と言われる堤岩里事件ですが、日本側の過剰防衛だった可能性は残るも、複数の日本人巡査が惨殺され、日本人小学校が放火されるなど、 暴動事件最中の殺気だった雰囲気の中、取調べを行っていた過程で突発的に生じたものとされ、鎮圧しようとした際の偶発性も指摘されています。

 現代においてさえ、もし仲間を虐殺した暴徒たちが自分たちを殺害しようと襲い掛かってきたら、自衛の発砲も止む無しとなるでしょう。   ましてや当時あちこちでテロ行為による残虐殺戮が勃発しており、いつ自分たちの命が脅かされるかという状況では、起きるべくして起こった不幸な事件だったともいえます。

 この事件は容疑者らを建物内に押し込め、外から射撃し火を放ったというような話しに拡散し、反日たちのカッコウの日本叩きの逸話の一つになってしまいました。(2019.2.3)


青山里戦闘

 青山里戦闘(せいざんりせんとう)は日本軍と朝鮮人の独立運動武装組織、及び中国人の馬賊との間で行われた戦闘です。    日本軍が間島出兵中の1920年10月21日から26日にかけ、満州の間島和竜県(現・中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州和竜市)の青山里付近で発生しました。

 日本側には青山里戦闘の日時、場所、両方の損害等を詳細かつ克明に記録した資料が複数存在しており、《日本側は戦死11(将校の戦死ナシ)・負傷24、韓国側は戦死130・死傷90以上・逃亡200》、 とされています。

 しかし、韓国側は青山里戦闘を「対日戦大勝利」というストーリーに導くため、日本軍の被害を水増し、「戦死の加納信暉・聯隊長以下3300人を殺傷」、などと大ボラを吹きます。    ただ残念ながらそのウソはあっけなくバレてしまいます。 戦死したとされた加納大佐は1922年まで聯隊長を務めていた記録が残っているのです。

 もちろん旧日本軍お得意の、「戦果は過大に、損害は無かったことに」、という部分も否定出来ませんが、死亡したはずの加納大佐がその後も数々の活躍をした記録が正式に残っているのですから、 韓国側のウソは明白です。

 朝鮮人独立軍の主力と衝突した日本軍は第19師団の東支隊のみであり、その戦いも数日のうちに朝鮮人独立軍の撤退という形で終わり、日本軍の他の支隊では散発的な小規模戦闘がみられただけで、 その後も第19師団は同地に留まって掃討や対日宣伝に従事したといいますから、血で血を洗う大規模戦というより、ゲリラ的な小規模戦が実態のようです。

 ただ、韓国としても勇猛果敢な建国神話は必要です。 なんとしても「日本と戦って独立を勝ち取った」ストーリーを作り上げたい韓国としては、「青山里戦闘」を韓国が言うところの「韓民族の独立運動」 の中で重要な部分を占める戦いにする必要があります。 そのため、この戦いは大韓民国の「建国神話」の中核をなす“対日戦争”であり、その戦いに韓国は勝利したのだ、と言い張るわけです。

 韓国側は自らの勇ましい勝利ストーリーを声高にブチあげていますが、対照的に北朝鮮版の「独立運動史」は青山里戦闘に言及していないというのですから、韓国の分は悪そうです。

 自国の歴史に自信がない国は歴史改竄に走るのが常道です。 いまさら後に引けない韓国は、ウソをもっともらしく見せかけるためウソの上塗りを重ねざるを得ません。  当時の抗日武装集団・北路軍政署の頭目・金佐鎮を英雄に仕立て上げるため、 1991年以来金の生家の聖域化事業を推進。 祠堂を含め約3000坪を造成し家屋や門を復元し展示館を建設します。  そして毎年「青山里戦闘全勝記念祭」を開いているといいます。 韓国はウソ歴史を正当化するため涙ぐましい努力をせっせと重ねているわけです。(2018.9.12)


飼い主への恩を忘れた国

 「韓国光復軍」は中華民国(現台湾の国民党政権)の支援があったればこそ創立されました。  当時世話になったのは現中国の共産党政権ではなく、共産党と血みどろの戦いを繰り広げた国民党政権なのです。   国民党の支援を受けたからこそ重慶に大韓民国臨時政府を樹立できたという恩義があるはずです。

 しかし、今では韓国はそんな当時国民党から受けた恩義などすっかり無視し、その後に国民党を追い出した中国共産党にシッポを振っています。 それが小国が生き残りを図る韓国お得意の処世術だとしても、 サスガに事大主義の国だけあって、信義や誠実さなどというものとは無縁の韓国らしいところではあります。

 もっとも、その中国共産党軍も、当時国民党軍が日本帝國陸海軍と戦っている間、長い距離を経て征伐に行く意味の「長征」と強がって山奥に逃げ込んでいたのですから、 日本とまともに戦ったことのなかった韓国と中国共産党軍は似たもの同士としてどこか惹かれ合うのでしょう。 同じ穴のムジナ、というところです。

 それにしても、中国にしろ韓国にしろ「独立運動史」を持たない自らの不甲斐無さは隠蔽し、日本の戦争責任を声高に主張する根性はいただけません。  彼らは素直に日本が果たした功績を認めるどころか、「歴史の直視」などと言い始めています。 歴史を直視したら自らの恥知らずの行動が明らかになってしまうことはどうやら考えていないようです。


光州事件

 権力争いは韓国のお家芸らしく、過去には「光州事件」と呼ばれる、軍隊と市民が対立し銃撃戦までエスカレートして多数の死傷者まで出す殺し合いが起こっています。     この事件は、朴正煕大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていたとき、軍部では維新体制の転換を目指す上層部と、 朴正煕に引き立てられた中堅幹部勢力の対立が表面化したことが発端でした。

 1979年12月12日、全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握します。    その後も全国各地で民主化要求のデモが続いていましたが、全斗煥が率いる新軍部は1980年5月17日、全国に戒厳令を布告し、執権の見込みのある野党指導者の金泳三・金大中や、 旧軍部を代弁する金鍾泌を逮捕・軟禁しました。(5・17非常戒厳令拡大措置)

 金大中は全羅南道の出身で光州では人気があり、「光州事件」は彼の逮捕が大きな原因となったとされています。  5月18日、光州市で大学を封鎖した陸軍空挺部隊とこれに抗議した学生が 自然発生的に衝突します。  鎮圧活動は次第にエスカレート、翌19日にはデモの主体も学生から激昂した市民に変わっていきます。

 市民はバスやタクシーを倒してバリケードを築き、角材や鉄パイプ、火炎瓶などで応戦。  21日に群集に対する空挺部隊の一斉射撃が始まると、これに対抗して市民は郷土予備軍の武器庫を奪取して武装、 全羅南道道庁を占領します。

 戒厳軍は一時市外に後退しますが光州市を封鎖(道路・通信を遮断)、包囲。  5月27日韓国軍、警察隊数千名の部隊が戦車とともに鎮圧作戦を開始。   韓国軍、警察隊と市民軍双方とも銃撃戦の末多数の死傷者を出しながら鎮圧作戦は終了しました。




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(*1).....桂・タフト協定

日露戦争中の1905年(明治38年)7月29日、日本の内閣総理大臣兼臨時外務大臣だった桂太郎と、フィリピン訪問の途中に来日したアメリカ合衆国特使ウィリアム・タフト陸軍長官との間で交わされた協定。

桂は「大韓帝国政府が日露戦争の直接の原因」、と指摘。  「大韓帝国政府が単独で放置されたら、再び他国と条約を結んで日本を戦争に巻き込むだろう」。   従って日本は「大韓帝国政府が再度別の外国と手を結ぶことを防がなければならない」と主張した。

これに対しタフト特使は、「大韓帝国が日本の保護国となることが東アジアの安定性に直接貢献することに同意」。  アメリカは、「日本の朝鮮における指導的地位を認める」とした。

(*2).....第2次日英同盟

日本とイギリスとの間の軍事同盟。 締結国が他国の侵略的行動(対象地域は中国・朝鮮)に対応して交戦に至った場合は、同盟国は中立を守るなど、他国の参戦を防止することを義務づけたもの。

1905年8月12日、「大韓帝国については日本による保護国化」をイギリスが承認する条件で妥協した。

(*3).....ポーツマス条約

1905年(明治38年)9月5日、アメリカ・ポーツマス海軍造船所において、ローズベルト大統領の斡旋によって日本(小村寿太郎外務大臣)とロシア帝国との間で結ばれた日露戦争の講和条約。

この条約によって日本は、満州南部の鉄道及び領地の租借権、「大韓帝国に対する排他的指導権」などを獲得した。   ただ戦争賠償金を獲得することができなかったため、国民によって日比谷焼打事件などの暴動が起こった。





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