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日韓基本条約

 1951年、サンフランシスコ平和条約が締結され、日本の主権が回復されると、日本と韓国は国交正常化交渉を開始します。  この交渉過程では、 韓国側の「"日本による韓国併合"は武力による威嚇によって強要されたもので国際法上、正当な条約とは言えない」という主張と、 日本側の「植民地支配ではなく合法的な併合であるから賠償は必要ない」 という意見の激しい対立がありました。

 第3次会談(1953年・昭和28年)では、日本側首席代表の久保田貫一郎(外務省参与)が、 朝鮮統治における日本の貢献 を主張したことに対して、韓国側が「妄言だ」と猛反発、会談は決裂したといいます。

 妥結するまで14年間もかかった要因として、当時「李承晩(イ・スンマン)ライン」内での日本漁船の拿捕(だほ)・漁民の抑留や、 北朝鮮への帰国事業など多くの課題もありましたが、 最大の障害は結局"「日韓併合」に対する評価の違い"でした。    日韓双方に言い分はあり、この認識の相違はその後も平行線を辿ることになります。

 韓国は1961年の軍事クーデターで、朴正煕が「国家再建最高会議議長」になり、国交正常化交渉は本格化します。    韓国の経済発展を重要視する朴正煕は1963年から大統領に就任、正常化交渉によって、日本から戦後補償による多額の資金提供を引き出し、経済発展に活用することを目論みます。

 日本側としては、当時の世界情勢の中、極東アジアの安全保障上の必要に迫られ、 止むに已まれず「日韓併合」に踏み切らざるを得なかった、という認識でした。   これに対し、 韓国側は「日本に統治され搾取され塗炭の苦しみを味わった」と主張し、日本の戦争責任を言い立て、互いに譲りませんでした。

 このような意見対立により"日韓基本条約"を締結するまで14年という歳月を必要としましたが、 難産の末、1965年(昭和40年)6月22日、佐藤栄作内閣と朴正煕大統領との間で、1910年に締結された韓国併合条約の失効や、賠償問題、 さらに両国の外交関係の樹立などを取り決めた、"日韓基本条約"が、やっと締結されたのです。

 最後はアメリカの仲介もあり双方とも請求権を放棄することでやっと折り合ったわけですが、請求権を放棄といっても韓国が納得するはずはなく、 最後は日本側が提供する「経済協力資金」を、韓国側が「請求権資金」として受け取る、という妥協案で賠償問題はようやく合意します。

 この合意により日本側は、「それまでに韓国に投資した資本と財産のすべてを韓国に渡し」、さらに"合計8億米ドルの経済協力資金"を韓国に援助する。  それと引き換えに、 韓国側は「対日請求権を放棄する」、という「請求権・経済協力協定」を結びます。   これで日韓の戦後処理は「完全かつ最終的に解決した」、 という合意が両国間で成立したのです。  また、その他のアジア諸国に対しても、謝罪・金銭補償を行っています。

 この日韓基本条約は「日韓関係の要」であり、戦後の日韓関係の出発点になりました。   これにより日本は第二次世界大戦後に独立した韓国を国家として承認し、朴正煕政権を朝鮮唯一の政権と認め国交を樹立することになったわけです。

 ところが、現在ではこの正式に条約として結ばれた賠償について数多くの誤解と異説が横行しています。      ここでは、日韓の間でどのような戦後処理がなされたのか、 そして執拗にタカリ続ける韓国の要求がいかに不当であるか、見ていきたいと思います。(2016.7.4)


 

「日韓基本条約」締結の背景にあった「米国の事情」

 当時の佐藤栄作首相は、当初、日韓基本条約の締結に乗り気ではなかったとされます。  それが、内閣発足後まもなくの1965年(昭和40年)1月に訪米し、ジョンソン大統領と会談してからは一転、 条約締結に向け積極的に動き始めたといいます。

 この背景には、ベトナム派兵の見返りが欲しかった韓国が関係しています。    当時米国はベトナム戦争に介入していましたが、外貨不足に悩む韓国も、派兵の見返りとして米国からの軍事援助による軍事力強化、ならびに経済援助を期待し、 自ら積極的に派兵を申し出ていた時期でした。   結局、 韓国は1965年(昭和40年)10月から1973年(昭和48年)3月にわたり、最盛期には5万名を数え、延べ32万人という大兵力をベトナムに派兵しています。

 米国も、戦争拡大のために膨張した戦費はドル防衛策と矛盾するため、対韓援助の「肩代わり」を日本に求めた、という事情があったとされます。     1965年2月、日本は韓国に椎名悦三郎外相を派遣し、慌ただしく条約の仮調印をすると、それに合わせたかのように翌月、韓国政府は戦闘部隊の第一陣を、ベトナムに送り込んだのです。    結局、ベトナム戦争への韓国軍派兵と、「日韓基本条約締結」はリンクされていた、と見て間違いなさそうです。

 その韓国は、派兵先のベトナムにおいて、何の罪のない大勢の住民を虐殺し、多数の女性たちをレイプし、大勢のライダハンを残すなど、 数々の戦争犯罪を犯していますが、 日本に対しては補償金を受け取っておきながら、いまだに執拗に謝罪要求を続ける韓国は、ベトナムに一切謝罪していません。

 ベトナム人は、「韓国兵は村のすべてを焼き払い、無抵抗の子供や妊婦も容赦なく殺害し、 年ごろの娘においては輪姦したあとに女性器を銃剣でかき回し、射殺するという暴挙もあった」、 「韓国兵に出あうことは死ぬことだ」、と韓国軍を恐れたといいます。(2021.2.19)


日韓請求権協定

 難産の末やっと折り合った「日韓基本条約」では、日本統治時代の朝鮮に対する補償について「請求権」問題も議論されました。   「請求権」というのは、 過去の統治時代にかかわるお互いの資産や財産などについて、相手側に補償を求める権利のことです。   交渉の過程では、相手への要求となるその対象や額などをめぐって話が進まないため、大いにモメたとされます。

 議論の末、最終的に、賠償問題は、日本側が提供する「経済協力資金」を、韓国側が「請求権資金」として受け取る、という妥協案でようやく合意したわけです。     これが「日韓請求権.並びに経済協力協定」といわれるもので、 日本が提供した資金が、韓国側から見れば対日請求権資金と言うわけです。

  日韓請求権協定は、正式には「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」という長い名前で呼ばれます。  ただ、 この資金について韓国は自国向けに「賠償」と説明していましたが、日本は「経済援助」とか「独立祝い金」などと称しています。

 このモヤッとした名称については、日本側が主張する「損害賠償は戦争相手に払うものであり、日本の統治下にあった朝鮮に損害賠償を払うわけには行かない」、という手前、 中途半端なネーミングにせざるを得なかった事情は分かりますが、分かりづらく、後に「日本が賠償していない」と非難される要因のひとつになったのかもしれません。

 この協定の第二条には、『両締約国(日本と韓国)は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、 (中略)完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する』、と記されています。

 第三条には、「同協定の解釈や実施に紛争が生じた場合は、第三国を交えて協議を行うことができる」、 と再協議を規定する内容が含まれています。   2015年12月28日に慰安婦問題で日韓が合意した際にも、 第三国であるアメリカに「保証人」として仲裁に入ってもらいました。

 ただ、「日韓基本条約」には瑕疵(かし・欠点、欠陥)がありました。  本来、国際的な条約や協定では、正文は英語で書かれ、何か問題が生じたときには英語の正文が協議のベースになるとされます。   その対訳というかたちで日本語訳や韓国語訳がつくられるわけです。

 ところが1965年に締結されたこの協定には英語の正文がなく、日本語版と韓国語版しか存在しないといいます。  そのため、英語圏をはじめとする世界の人たちに対し、 解決済みであることを証明するエビデンスとしては弱いものになっている、といわれている背景があります。(2019.8.2)


損害賠償のやりとり

 「日韓基本条約」の交渉においては、韓国側は日本が朝鮮半島を統治していたことに対し損害賠償を求めます。  しかし、 「日韓併合の実相」を知る国民が多かった終戦から10年足らずの当時は、 まだ日本は侵略国家」などという日本を貶めるタワ言は膾炙しておらず、 韓国の強硬な要求に対し、日本国内の世論は韓国側への批判が少なくありませんでした。

 日本側は、「損害賠償は戦争相手に払うものであり、当時朝鮮半島は日本の統治下にあったわけだから、損害賠償を払うわけには行かない」、と突っぱねたといいます。

  「日本はアジアの解放者」という自負があった当時の日本人は、 この時代辺りまでは、いまのように祖国を否定する反日思想もそれほど広がっておらず、 謝罪一辺倒の態度をとることもなく、 まだまだ独立国家としての気骨は失われておらず、今ほど大人しくなかったわけです。

 そのため交渉過程で日本側は、韓国側に対し、そんな要求を日本に突きつけるなら、「韓国が没収した日本側の財産」を日本に返還せよ、と求めたといいます。    というのも、敗戦直後朝鮮半島に進出してきた米軍は、日本側の莫大な財産を押収、その後韓国に引き渡していたのです。(2019.8.2)


日本が朝鮮半島に残してきた膨大な資産

 当時の朝鮮半島には、併合期の日本が構築した膨大な日本資産がありました。   朝鮮半島に残した日本資産は、総督府や軍関係などの公的資産・インフラ設備のほか、 民間企業は2300社以上に上り、個人経営の商店などは数え切れないほどあったといいますから、金額的には莫大なものでした。

 その総額について確定した数字はありませんが、李大根教授は当時の米軍の推定として「52億ドル」をあげています。  また日本の経済実務者に推計してもらったところ、 現在の貨幣価値では最低でも1000億ドル、計算方法によっては数千億ドル以上になるといいます。

 1945年8月14日、大東亜戦争(太平洋戦争)終結前日、アメリカはソ連に対し、アメリカが単独で日本と沖縄を占領する代わり、朝鮮は38度線を境に、 北をソ連、南をアメリカが支配する、という分割占領を提案します。   その時期、朝鮮半島北方の清津では日本軍とソ連軍との戦いが続いており、米国トルーマン大統領は、 日本の敗戦により朝鮮がソ連の支配下に置かれ、共産化してしまうことを恐れたのです。

 1945年8月15日の戦争終結で、日本の朝鮮統治は終わりを迎えたわけですが、日本が朝鮮半島に築いた膨大な日本資産は、 日本の敗戦により米ソによって全て奪い取られてしまいます。      南朝鮮(現韓国)に残した日本資産は、進駐米軍に接収され、1948年に発足した韓国政府(大韓民国)にそのまま譲渡されています。    また、北朝鮮に残した資産は、ソ連軍によって接収されています。

 日本は最終的に朝鮮半島に残した膨大な日本資産について、請求権を放棄させられたわけですが、当時の日本が朝鮮半島に残した資産は、 米軍の用語(vested property)から「帰属財産」と呼ばれ、韓国では「敵産」といわれます。     その日本資産は、後に民間に払い下げられたり、公企業となって、解放後の韓国経済の発展にも大きく寄与し、 現在の韓国経済発展の基礎になったのです。

 李大根著、『帰属財産研究―植民地遺産と韓国経済の進路』(2015年、イスプ社刊)は、朝鮮半島に残された日本資産がいかに形成され、それがどのように処理されたのか、 その埋もれた歴史を掘り起こす700ページ近い貴重な資料です。    そこでは、韓国で定説になっている(日本が朝鮮資産を奪ったという) 収奪論を否定しています。     実際、日本の韓国併合は日本国が負担して朝鮮国民を援助した歴史だったのです。(2021.1.28)

 

対日請求権資金

 「日韓基本条約」と共に結ばれた「日韓請求権協定」により、日本は当時朝鮮戦争で荒廃していた韓国に、 1966年から10年間にわたり無償・有償・借款を含めた"合計8億米ドルの経済協力資金"を援助することを決め、 それと引き換えに"韓国側の請求権は完全かつ最終的に解決された"と発表します。

 日本は韓国に対し、「経済協力資金」として無償で計3億ドル(当時1ドル=約360円)を供与すると共に、2億ドルを低金利で貸し出すことを決めました。 さらに民間借款3億ドル以上の資金供与と貸し付けを行います。    トータルの援助資金は8〜11億ドル、現在の価格に換算すると合計4兆5000億円以上ともいわれます。

 当時、日本の外貨準備額は18億ドル程度、韓国の国家予算は3.5億ドルと言われますから、莫大な額の"援助資金(補償金)"だったわけです。  さらに、それ以外にも、 朝鮮半島に残された52億ドルともいわれる日本資産も、韓国が分捕っていったのです。

 韓国はこの経済協力資金を原資として、国内のダムや高速道路を整備し、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げていきます。   日本からの経済協力は、現金だけではなく、 日本政府が日本企業から車両や重機や工作機械などを買い上げて韓国に渡したり、日本企業がインフラや製鉄所などを現地に建設したりするというスキームもあり、用途に関しても、 「大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない」と定められますが、この補償金がやがて日韓の政治利権へと化していくのです。

 いずれにせよ、この「日韓請求権協定」により韓国の国民が日本政府や日本の企業に対して損害賠償などの請求権を持てないことが両国間で確定したわけです。    しかし、その後、日本は韓国による性懲りも無く蒸し返す戦後補償要求に苦しめられることになるのです。

 2018年10月には、韓国人元徴用工らによる損害賠償裁判が勃発します。  しかし、韓国がいくら後出しジャンケンで日本にタカろうとしても、 一切の補償問題はこの「日韓請求権協定」ですべて解決済みとされている事案であり、 「徴用工問題」は韓国側がつくり出したもの、という実態は日本民族として理解しておくべきです。(2019.8.2)


「補償金の二重取り」をたくらむ無法国家

 これまで見てきたように、日本と韓国の間に横たわる「戦後処理問題」は、1965年(昭和40年)の「日韓請求権協定」により、日本政府や日本の企業に対して、 韓国の国民が損害賠償などの請求権を持てないことが、両国間で正式に確定し解決済みの話です。

 韓国は、日本の敗戦により日本の統治を離れ、1948年8月15日に独立国家「大韓民国」として再出発したわけですが、 当初日本の経済力を頼る韓国の歴代指導者は、表面上は日本にあからさまに敵意をむき出しにすることもなく、 戦後しばらくは日本との友好関係を深めようとしました。

 ところが、1990年代以降、経済力が付き始め、もはや日本の援助は不要と看做したか、その後の韓国は 「常軌を逸した反日国家」へと変貌していきます。   しかも、 日本から巨額の補償金を受け取っておきながら、その事実を国民にアナウンスすることを怠り、 さらに、「日韓基本条約」で約束した元徴用工への補償も、 「国が豊かになったら被害者達への補償をしよう」として、国の発展(漢江の奇跡)にほぼ使い切ってしまったのです。

 そして、そろそろ戦後100年にもなろうかという今になって、「韓国併合は不法占拠」などと、何をいまさらの屁理屈をこね回し、 「日韓請求権協定により韓国国民個人の請求権の権利は消滅した」ことで合意していたはずなのに、 相変わらずのお家芸の「ちゃぶ台返し」で、 日本に対し「我々を統治した日本は謝罪し補償せよ」とタカリ続ける厄介な隣国となっています。

 その反日の動きをさらに加速させたのが、2017年に誕生した、「日韓関係を100年後退させた歴史の罪人」文在寅(ムン・ジェイン)大統領です。    この民主主義の皮をかぶった革命志向の人物は、『独裁者だった朴正煕政権が手っ取り早く経済支援を受けることを優先したのであって、 韓国側が日韓基本条約を認めたわけではない』、などと非は日本にあるとして日本への謝罪要求を繰り返します。

 そう開き直られても、朴正煕大統領が独裁者だろうが何だろうが、当時の韓国トップだった大統領が日本と話し合い、国家間の約束毎として決断したのは間違いない事実であり、 「戦後補償問題」はいまさら蒸し返せる話ではありません。    そんな理由にもならない自己都合の屁理屈を持ち出されても、 日本にとっては全く無関係の話です。   今頃になって、徴用工の慰謝料が支払われていないから補償せよ、 と要求する韓国の主張は「国際法違反」であり、明らかに補償金の二重取りです。

 そんな無法国家・韓国ですが、驚くべきことに過去には、キチンと約束を果たそうとした韓国政権もありました。      盧武鉉政権時代の2005年8月、検証された過去史清算で、『元徴用工への補償は日韓請求権協定に含まれる』と明言。   元徴用工と遺族に最高2千万ウォンずつを補償して、6万6985人に総額5400億ウォンを支給しているのです。(約22万6千人を認定し約620億支払った、という説もあり)      韓国もやればできるのです。   実は、文在寅大統領はこの盧政権時代、秘書室長として仕えていた人物なのです。(2019.8.9)


 

サンフランシスコ平和条約を根拠にする戦後補償

 元徴用工を巡る戦後補償については日韓請求権協定で解決済みというのが日本政府の見解です。    1965年に締結された日韓請求権協定は、第2次大戦後の国際秩序を規定した1951年の サンフランシスコ平和条約を根拠としています。

 日本政府は条約起草を主導した米国や、日本と同じ構図を抱える英国などの 理解を取り付けて日韓請求権協定を締結したという認識です。     このような経緯で締結された日韓請求権協定に韓国が異を唱えることは、戦後処理の蒸し返しとも受け取られかねません。   だからこそ韓国の歴代政権は日本の主張に基本的に同意し、日本に賠償請求することは控えてきたわけです。

 「元徴用工問題」の賠償金の扱いについては、韓国の歴代政権でさえ、 既に日本から一括して受け取っている韓国側に賠償責任があると自覚し、今まで正面きって日本に損害補償を要求してくる政権は、さすがにありませんでした。    それどころか、一時は日本との約束を果たそうと、 元徴用工らに実際支払った韓国政権もあったのです。

 就任早々から反日カードを使い、日本と対立した朴槿恵大統領でさえ、日本へ賠償を命じた元徴用工賠償判決について、 サスガに韓国の国際的な信用を棄損すると憂慮し、 「大恥にならないように」、「世界の中の韓国という位置と国の品格が損傷されないように賢く処理しなさい」、 と指示していたといいます。  彼女は文在寅大統領よりはまだマトモだったのです。(2019.5.15)


 

サンフランシスコ平和条約とダーバン宣言

 2019年8月1日に開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)関連外相会議において、河野太郎外相がポンペオ米国務長官に、韓国の主張通り賠償請求権を認めれば、 日韓請求権協定が基礎とする1951年のサンフランシスコ講和条約の見直しにつながると説明。    「条約をひっくり返せと言われたらできるか」と問うと、 ポンペオ氏は「それはできない」と応じたといいます。

 米国も、「徴用工を含む請求権問題は1965年の日韓請求権協定で解決済み」とする日本の立場に理解を示しているのです。   しかし、文在寅政権は、 日韓請求権協定は当時の軍事政権が、日本との圧倒的な国力差の下で結ばされた「不平等条約」であり、 発展を遂げた今の韓国が縛られるのはおかしい、という立場を取っています。

 昔の韓国は経済力もなく弱小国家だったから言うことを聞いたけど、今の韓国は日本と同等の国になった。   だから、 あのときの約束は無効であり、もう一度やり直せ、と言うのです。  そんな無茶苦茶な屁理屈を並べられても、昔から、国力の差から過去不平等な条約を結ばされた国は数多くあります。

 日本も江戸時代から敗戦まで様々な不平等条約を諸外国と結ばされました。   しかし、不平等条約だからといって日本が合意をちゃぶ台返ししたことは一度もありません。  日本は合意をひっくり返したりせず、改正に向けて努力を重ねたのです。

 過去、世界は人種差別と植民地支配の嵐が吹き荒れていたわけですが、2001年、南アフリカのダーバンで開かれた国連主催の国際会議で、 人種差別と植民地支配の不当性を断罪し、参加国に人権回復への行動を促した「ダーバン宣言」が採択されます。    この宣言は関係国間の激しい対立で曲折を経たものの、「人権問題の一つの到達点で、21世紀の新たな潮流」(外務省幹部)になろうとしているとされます。  文在寅政権は、 この「ダーバン宣言」の流れに乗ろうとしている節があります。

 日本は、韓国がムチャクチャにしている日韓の戦後処理問題の解決に向け、話し合いを韓国側へ持ち掛けていますが、応じる様子はありません。   日本側からの国際司法裁判所(ICJ)への提訴も取りざたされますが、 実務を担う日本の外務省当局は、実際のところ「提訴には慎重」だといいます。

 外務省としては、「ダーバン宣言」が採択されるような国際潮流の下では、もし、韓国側が主張する「日本の植民地支配は不法な侵略の結果で、徴用による強制労働は人道への罪だ」、 とする歴史観に一定の理解が示されてしまうと、日本に不利な判決が出る可能性がある、というのがその理由のようです。

 しかし、もしこういう判断が主流となれば、日本の韓国併合どころか、当時世界中の有色人国家を植民地支配した白人列強国の非道ぶりも白日にさらされ断罪されるわけで、 これはこれで面白い世界になるかも知れません。    ただ、万が一、そんな事態が実現しようものなら、その昔散々資源を貪ってきた欧米列強は、賠償金の支払いで間違いなく破産でしょう。    そんなことが起こることはあり得ないのです。(2019.8.13 msnニュース 引用)


日韓請求権協定と韓国人元徴用工訴訟の関係

 1961年5月10日に行われた請求権協定の交渉記録によれば、交渉過程で韓国政府が日本側に示した「対日請求要綱」も公表されています。    8項目で構成された「対日請求要綱」の中には、「被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済を請求する」、と記載されている部分があります。

 この要綱には元徴用工らへの補償請求が明記され、韓国側代表が「被徴用者(徴用工)の被害に対する補償」の中身について、 「強制的に動員し、精神的、肉体的苦痛を与えたことに対し相当の補償を要求することは当然だ」、と交渉で述べたことが記されています。

 交渉議事録によると、日本側代表が「個人に対して支払ってほしいということか」と尋ねると、 韓国側は「国として請求して、国内での支払いは国内措置として必要な範囲でとる」、と回答したとされています。

 日本側は重ねて「国民の感情をなだめるためには、個人ベースで支払うのがよいと思う」、と再考を促したそうですが、韓国側は 「われわれは、われわれの国内問題として措置する考えであり、 人数や金額の問題があるが、どうかして、その支払いはわれわれの政府の手でする」、と譲らなかったといいます。

 つまり、こうした交渉において韓国側は、「請求権協定に(徴用工の)慰謝料が含まれている」、ことは当然認識していたわけで、 それどころか、個人単位に支払おうとした日本政府の提案を断り、 一括して受け取った後に自分達が支払うと明言していたのです。

 日本政府は韓国側が一括しての支払いを強固に求めたことを受け、韓国政府に無償で3億ドル、有償で2ドルを供与しています。    韓国政府が一括支払いを求めた背景には、(徴用工)への個人賠償など眼中になく、日本の賠償金を使って国内のインフラ整備に充当しようという 当時の韓国政府の思惑があったのでしょう。  韓国はこの賠償金のお陰で「漢江の奇跡」を成しとげられたのです。

 協定に付属する合意議事録によれば、協定で解決された請求権問題には、韓国側が提示した対日請求要綱の8項目がすべて含まれています。    つまり、日本と韓国はこの要綱に関する戦時中の出来事に関するモロモロの請求権について、国際法上正式な条約を交わし、 「完全かつ最終的に解決済み」であるとする請求権協定が正式に締結されたのです。   以後はこの要綱に関するいかなる主張もできないことが確認されているのです。


 

それなら、なぜ「人道上の配慮」を要求しなかった

 こういう経緯があったにもかかわらず、韓国最高裁が2018年に、「日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の請求権は、日韓請求権協定の適用対象に含まれない」、 という言いがかりとも言うべき不当判決を下したわけです。

 条約締結から何十年も経つというのに、韓国は日本の経済力を当てにせずとも自立できると踏んだ途端、 過去の条約を引っ張り出し、重箱の隅をつく粗探しを必死に行い、 「人道上の配慮」という言いがかりを見つけ、コレが入ってない、アレが抜けている、 それが入ってないから無効だ、と大昔に交わした条約に難癖をつけてきました。   どう見ても反則手で堂々と日本に言いがかりをつけてくるのですから、サスガに無法国家と呼ばれるだけあります。

 韓国が主張する、「人道上の配慮」などという通念(世間一般に共通して認められている考え)は、日本にせよ韓国にせよ、 当時の社会では誰もが考えさえできなかった要素です。   今頃になって当時の社会では決して一般的でない社会通念を持ち出し、 条約にはその部分が抜けているから無効だ、とまで主張してくるのは完全に後出しジャンケンのルール違反です。

 一般的にもろもろの契約においては、「.....について完全かつ最終的に解決された」、と明記されていれば、 その事項に関する諸問題全般については全て合意したもの、と解釈するのはトウゼンです。   それを自分に都合のいい後出しジャンケン論法でひっくり返す手段がまかり通れば、 過去に約束された契約はどんなものであろうと難癖さえつけれ無効にできる、 というトンデモナイことになってしまいます。

 そもそも、もし当時の韓国にそのゴリッパな通念があったのなら、どうして条約作りで激しい議論を日本と交わした場で、 日本側にその「人道上の配慮」とやらを主張しなかったのでしょう。    要求されていなかったものに、今更対応していなかったと難癖つけられても、それは無理筋と言うものです。    契約とは入ってないから違法ではなく、要求していないから無効、という考えもあるのです。

 韓国の理不尽な言いがかりが認められてしまえば、国際秩序の根幹となる条約はただの紙切れとしての意味しか成しません。   さらに、サンフランシスコ条約を基本とする戦後国際秩序を、根幹から破壊しかねない暴挙です。  そうなれば戦勝国が黙っていないでしょう。(2019.8.28)


日本が絶対に見過ごせない不当要求

 そういう経緯を知らないはずはない文氏は、「完全かつ最終的に解決済み、という条約が正式に結ばれている」という不都合な過去には目をつぶり、 日韓請求権協定を無視し、国際法に違反する司法判断を放置したまま、「司法が判断したことで三権分立に口は挟めない」、などという言い訳を口実に、 いっこうに問題解決の努力はしてきませんでした。

 さらに、韓国最高裁判決では日本の植民地支配そのものを違法と認め、 その違法な植民地支配の下行われた労働者の動員は違法行為である、と結論付けます。    しかもその挙句、すでに日本から多額の戦後補償金を受け取っておきながら、『 当時の(日本の)総督府等の支配の下で暮らした人々は、 ほぼ例外なく慰謝料請求権を持っている』、と決め付けたのです。

 その上で、『当時、日本の朝鮮半島支配のもとで暮らした祖先を持つ韓国人は、 全員が未来永劫日本に対し慰謝料請求権を持つ。』、というトンデモナイ司法判断を下しました。    韓国はこれからも日本にもっともっとカネを要求できるのダ、という"打ち出の小槌"を手にいれたのです。

 こんな一方的な論理がまかり通ったら、過去の紛争相手に勝手に裁判を起こし、自分に都合の良い判断で違法と決め付けさえすれば、 どんな相手からでもカネを巻き上げられます。   打ち出の小槌でもあるまいし、そんな道理が世の中に通じるはずはありません。

 そもそも、いま騒がれている徴用工問題は、特定市民団体(民族問題研究所)が反日活動をしたいが為の単なる“反日の道具”なのですから、 惑わされてはいけません。     日本が既に払いこんだ補償金の行方が韓国政府の怠慢によりウヤムヤにされたまま、真の韓国人被害者たちに行き渡っていない、という韓国内の問題なのです。

 こういう韓国の態度に、日本政府は日韓請求権協定に基づく2国間協議を断念し、 「徴用工問題」については協定に記されている仲裁委員会の設置に向けて委員を指名する第三国を選ぶよう、再三韓国側に要請してきました。

 しかし、回答期限の2019年7月18日においても韓国側から連絡はありませんでした。 こういう韓国の態度に業を煮やした日本政府は、 とうとう、「徴用工問題」打開へ対抗措置 をとる決意を固めます。(2019.8.9)


 

韓国の最終目的.....日韓基本条約の破棄

 韓国はいまだに、「未熟な子どもの喧嘩」のように、 日本に挑み続けています。   戦後も80年にもなろうかという今になっても、中韓はナントカの一つ覚えで様々な捏造話をデッチあげ、執拗に日本に戦争責任(=補償金)を要求し、 「無限の謝罪要求」をやめようとしません。

 韓国の最終目的は、改めて日本から謝罪を引き出し、 「日韓基本条約を破棄」させ、 「日本を未来永劫に謝罪国家」とすることなのです。

 日本は自国の正当性をことさら誇張しようともせず、いさぎよく過去中国や韓国に対し「援助金」や「対日請求権資金」の名目で、 戦後賠償金として莫大な額を供出し、 しっかりと戦後補償金を支払い、韓国に対しては請求権は完全かつ最終的に解決されています。    中韓が執拗に「日本の戦争責任」を迫ろうが、日本のリーダーははっきり「戦後処理は既に解決済みである」ことを主張すべきなのです。

 日本は金銭的補償以外にも、「日本は戦争を引き起こした軍事国家」などという汚名を着せられ続け、とうとう中韓に忖度し日本の教科書を修正することまで行ってきました。   1982年、「教科書検定基準」の中に、「近隣諸国の国民感情に配慮する」という「近隣諸国条項」を盛り込み、 反日的記述さえパスさせてしまう悪しき前例をすでに作っています。  以後中国や韓国はこの条項を根拠に、 日本の教科書にたびたび注文・要求を出す現状があります。(2016.7.4)


 

韓国の「未来志向」とは「日本を謝罪国家」とすること

 韓国融和派の意見として、『過去の戦争責任を忘却しきったような今の日本のムードが、世界の人々との間に溝を生むのではないか。  だから日本は頭を低くし、 韓国・中国などの反日国家には逆らわず、永遠に謝罪国家として生きよ』、という論調があります。

 しかし、それを言うならウワサレベルでしかない「日本軍残虐話」と違い、ホンモノの史実であるベトナム民間人虐殺 を行った韓国はベトナムに謝罪したでしょうか。

 彼らの大前提は、日本が果たした「植民地支配されていたアジアの独立」という功績は一切無視し、 裁判とは名ばかりの復讐劇・東京裁判で作り上げられた 「日本はアジアを侵略した悪玉説」の戦後史観でしか戦争の実態を見ていないことです。

 しかし、復讐裁判ともいうべき「東京裁判」史観を鵜呑みにし、 先の戦争を「日本が悪い国だから起こった」という思考停止状態で捉えていては、独立国家日本存亡の危機 に立ち向かい犠牲となった軍人・軍属230万人、民間人80万人、合わせて300万人の霊も浮かばれません。

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のストークス氏は、『....確かに日本が欧米諸国が支配していたアジア各地の植民地に軍事進攻したことは事実です。  しかし、 それ以前に侵略して植民地にしていたのは欧米諸国です.....アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。    西洋人は世界史を見直すべきです 』。

 『....日本はアジアを「侵略」したのではなく「解放」し、独立に導いたのです。      アジア、アフリカ、北米、南米、豪州を侵略した西洋は謝罪していません。  なぜ日本だけが謝罪しなければいけないのか。    白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、 有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンスです』、と語っています。

 このような視点が抜け落ちていると先の戦争の本当の姿は見えてきません。   「日本はアジアの解放者」だったという側面があったことは、 日本人として知っておくべきです。  でないと、日本は未来永劫「侵略国家」という謂れの無い烙印を押されたまま、 「歴史の罪人」として謝罪国家の道を歩まされ続けていかなくてはなりません。

 安倍総理がいくら「未来志向」という言葉で日韓の友好関係構築を持ちかけても、韓国の「未来志向」とは「日本を永遠に謝罪国家」のままにし、 韓国に謝罪させ続けること、という意味でしか捉えていません。    文句さえ言い続ければ、日本からはいくらでも補償金が入るのが既成事実となっている現状を見直さない限り、 未来志向の関係など永遠に築けないのです。

 韓国融和派は2019年に日本が韓国に輸出規制したことに対しても、『韓国の非を責める前に、過去に目を閉ざしていないか、もう一度、謙虚に自省せよ』、 というまさに韓国政治家のような理屈を並べ立て日本を非難します。    ただ、日本にも「一方的な反日歴史観」で先の戦争を見ている人間は大勢います。    反日史観に毒されているも政治家も少なくありません。

 韓国融和派の理屈は、「日本は謝罪国家としての立場を忘れるな」、 という大前提の上に成り立っています。  このような観点でしか日韓関係を捉えていないのです。    日本が韓国に対抗姿勢を見せると、すかさず韓国融和派の連中が釘を刺してくる現状を正さない限り、日韓友好など夢のまた夢なのです。(2019.8.20)


 

「話せばわかる」式の日本的謝罪は通用しない

 もともと日本人には、和歌や俳句の文化に見られるように、十伝えたい時も二つ三つに留めるだけで、意味は相手が忖度してくれる、 相手がキチンと推測してくれる、という奥ゆかしさと洗練された文化があります。

 日本人は『我々が真実を語れば、国際社会はいつかそのことを理解してくれるはずだ』、 と考えてしまう民族なのです。  しかし、慰安婦問題南京大虐殺などという ありもしない事実無根なホラ話攻撃を平気で仕掛けてくる中韓を相手に、従来の「話せばわかる」式の日本的手段は通用しません。

 人類の歴史は戦いの連続といわれます。  どんな国同士であっても長い歴史をたどれば互いに「スネに傷がある」ものであり、 その部分に拘ったまま関係を築こうとすれば、ギクシャクするのは当然です。  過去に戻ることは出来ない相談である以上、 どちらが正しかった、などという部分にいつまでも囚われていても仕方ありません。

  強い民族が弱い民族を征服してきた人類の歴史において、 日本が韓国を併合した当時は世界中で植民地支配の嵐が吹き荒れ、「食うか食われるか」という激動の時代でした。   生き残るため戦わなければならなかった当時、 日本が韓国を併合したのはそれなりの事情があったからです。  それが「歴史」の非情さであり、当時はそういう時代だったのです。   それぞれの国には、さまざまな感情があるでしょうが、 それを乗り越えるために努力するしかありません。

 そんな時代の出来事について、韓国が今になって「日本に併合されたのは許せない」と憤っても、せん無いことです。  例え日本に支配されなくても、 福沢諭吉が「脱亜論」で指摘したように、いずれ韓国は間違いなく白人国家に支配されていました。   そうなれば日本が推し進めた韓国近代化はかなり遅れていたはずです。

 せっかく日本の貢献によって支那の頚木から解放され、日本のお陰で独立国家になったのに、 列強の植民地支配攻勢に為す術(なすすべ)なく右往左往し、 ロシアに擦り寄り極東アジア情勢を危うくした挙句、 それを危惧した日本が米英の承認を得て、 韓国を併合した、 という歴史を正しく認識していれば、1990年日本の国会で、「....我々は自国を守れなかった自らを自省するだけで.... 誰かを責めたり、恨んだりしません....。」、と演説した盧泰愚(ノ・テウ)大統領のような考えになるはずです。(2016.7.4)


 

最後は韓国に根負けしてしまう日本

 前の文在寅(ムン・ジェイン/左派政権)前大統領時代、韓国大統領府や韓国メディアは、何も決まっていない段階から、 日本側の外堀を埋めるような発表や報道をするのがお決まりです。     そして、会談が実施されなければ「日本が悪い」と報道するのが、いまや日常茶飯事となっています。

 次の尹大統領になっても、やることは変わりません。  2022年9月21日の国連総会において、日韓両国の会談が正式に決まっていないにもかかわらず、 韓国側は一方的に「韓日首脳会談を行うことで合意し、時間を調整中」だと発表します。  これに対し、日本の松野官房長官は「何ら決まっていない」とすぐさま反論、 後日改めて会談を執り行わないことも表明したのです。

 しかし、日本が韓国側の勝手な発表に対し、会談を実施しない、と公言したにもかかわらず、国連総会が開かれた21日には、 結局30分ほどの「両国首脳懇談(韓国では略式会談扱い)」を行います。

 これに韓国側は、「会談後、岸田首相も周辺に、『相手方(韓国側)も関係改善の意思を示している、今後(どれほど積極的に取り組んでくるのか)見届ける』と話した」と報道します。      結局、しつこく会談を要請してくる韓国に、日本は根気負けしてしまった、という形になったわけです。

 いかにも芯の通っていない岸田首相らしい対応でもあったわけですが、日本は韓国の策略にハマってしまったわけで、このまま韓国の口車に乗せられ、 またしても日本が韓国側の無理難題をズルズル受け入れるような事態が再燃する......という悪夢が繰り返される気配が濃厚となっています。     なんとも不安になります。(2022.9.26 msnニュース 引用)


無法時代の過去は「善悪の問題」で断罪できない

 国際社会においては、日本が韓国を併合した 「韓国併合条約」は 国際法上合法とするのが「大勢」ですが、 韓国社会は「善悪の問題」として捉えています。  学校教育でも 「日本が韓国を支配した」ことはケシカラン、という倫理的・道義的な論法でしか過去の経緯を考慮しないため、 「悪いのは全て日本」という思考停止状態で日韓関係を考えます。

 当時の世界情勢はどうだったか、 どうして日本が韓国を併合せざるを得なかったか、 など日本が取った行動についての冷静な考察は、韓国社会から一切排除されてしまっているのです。    従って「日本と取り決めた条約」などいとも簡単に 吹き飛ばすことなど当たり前、 という国内体制が構築されてしまっています。  このエキセントリック(行動が普通ではない)な国民気質が 歪すぎる反日運動の矛盾を招いているのです。

 韓国は今頃になって、弱い民族は強国に支配される運命だった当時の弱肉強食時代の現実から目をそむけ、「ナショナリズムの観点」だけで日本に不法支配されたなどと恨み節を並べ立てています。    しかし、当時は善悪など通じない、力が支配する残酷な時代でした。 過去の歴史を現在の観点で裁くことは出来ません。

 当時の日本周辺においては、欧米列強国による激しい植民地支配合戦が繰り広げられていました。    あの時代は強い民族が弱い民族を支配するのが当たり前という暗黒の時代であり、 韓国(当時は朝鮮)を属国として支配してきたシナでさえ、 広大な中国大陸は白人列強各国によって半植民地状態に陥って分割されたのです。

 もし過去に支配された側が、支配した相手に過去を糾弾し補償を要求できる理屈が成立してしまったら、有史以来強国が弱国を支配してきた人類の歴史において、弱国たちは自分を支配した相手に、 莫大な損害賠償を請求できることになります。

 そうなれば、過去地球上の4分の一を植民地支配し、略奪の限りを尽した「太陽の沈まぬ帝国」イギリスはじめ、 資源が乏しい欧州にあり植民地拡大に熱心だった白人列強国は、たちまち破産国家となってしまうでしょう。  マア、それはそれで面白い世界になるでしょうが。

 元寇では、 高麗王国(朝鮮半島で李氏朝鮮まで続いた国家)はモンゴル帝国と共謀し日本の対馬や壱岐に侵攻、罪のない多くの住民たちを残虐に殺戮、 子供達は奴隷とするため連れ去りましたが、この辺りの時代の賠償話も詰めていったらどうでしょう。    そもそも、ウワサレベルでしかない大戦中の「日本軍残虐話」と違い、韓国軍は1965年以降派兵したベトナム戦争において、 リアルに民間人虐殺を行った国ではありませんか。

 過去に有色民族国の大部分を植民地化し、散々資源を搾取してきた白人列強国に対し、いまさら支配された側が賠償せよと要求しても、白人国家がそれを聞き入れるはずはありません。    そもそもそんな要求をする愚かな国はありません。  韓国だけ特別扱いで補償請求できる、などという理屈は成り立たないのです。

 当時、世界中の有色人種国家が軒並み列強の食い物にされていた時代、 日本だけが白人強国に対抗できる国力を持っていました。   日本は白人強国の侵略を食い止めようとただ1国で白人国家に挑み奮闘努力していたのです。    白人支配を断ち切った日本はアジアの解放者だったのです。

 韓国はせっかく日本がシナの頚木から解放させ独立国家として成立させたのに、愚かにも 超大国ロシアの南下政策に擦り寄り、日本のアキレス腱とも言える朝鮮半島周辺の安全保障を脅かしたのです。(2019.2.3)


  

何度も繰り返された首相の謝罪談話

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(*1).....朴正煕大統領

第5代(1963年10月〜)から第9代(〜1979年10月)までの大韓民国大統領。
第18代大韓民国大統領に就任した朴槿恵は次女。
創氏改名による日本名は高木正雄(たかぎ まさお)。

1979年10月26日 大韓民国中央情報部(KCIA)の金載圭に暗殺される(朴正煕暗殺事件)。 享年61。

(*2).....甲午改革(こうごかいかく)

1894年(干支で甲午)から1895年にかけて李氏朝鮮で行われた急進的な近代化改革。  清の属領とされていた朝鮮を、日本が独立国であると後押しし内政改革を求めた。

(*3).....日清戦争

1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争。

(*4).....韓国併合

1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合。 日本による統治は1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が米国に降伏するまで、35年間続いた。

学校教育で日本語を教えたことが「言葉を奪った」とされるが、朝鮮語が科目として導入され、本の出版に朝鮮語が許容されており言葉を奪ったとまでは言えないという反論もある。   また、ハングル語を奪ったといっても併合以前は漢字と比べて劣等文字として軽蔑されており、そもそもあまり普及していなかった。

(*5).....妓生 (キーセン)

妓生は李氏朝鮮時代以前の朝鮮半島に於いて、諸外国からの使者や高官の歓待の席で歌や踊りで遊興を盛り上げ、性的奉仕などをするために準備された奴婢の身分の女性。 売春する二牌、三牌は妓生とは呼ばれていなかった。
甲午改革で法的には廃止されたが、後に民間の私娼宿(キーセンハウスなど)として残存し、現在に至る。

(*6).....韓国光復軍

1940年、国民党政権の臨時首都・重慶に創立された朝鮮独立を目指す亡命政府もどき「韓国臨時政府」の武装組織。 1945年の日本のポツダム宣言受諾により、実戦にほとんど参加することなく終わった。    軍隊と称していたが戦闘に参加することもなく、連合軍への参加は認められておらず、臨時政府といっても国家として承認されなかったので国軍でもない。 戦後連合軍によって解体を命じられた。

(*7).....征韓論

日本の明治初期において、板垣退助らによってなされた、武力をもって朝鮮を開国しようとする主張。 しかし征韓論の中心的人物であった西郷自身の主張は、板垣らの主張する即時の朝鮮出兵に反対し、開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴く、むしろ「遣韓論」と呼ばれるものとされる。 西郷の死後、板垣の推進する征韓論は西郷の主張として流布され西郷が征韓論の首魁として定着した。


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