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大韓帝国から大韓民国へ

 日本は1910年(明治43年)8月22日、漢城府(現:ソウル特別市)において、「韓国皇帝が大韓帝国(韓国)の一切の統治権を、完全かつ永久に日本国皇帝(天皇)に譲与する」ことなどを規定した 「韓国併合条約」に調印し、日本と大韓帝国が合併することが正式に締結されます。

 その後日本の敗戦によって1945年(昭和20年)8月15日、日本による韓国統治は終結します。  韓国とすれば、これにより、 大韓帝国(朝鮮半島全域)は日本の支配から解放され、そのまま独立国家として歩み出すのは当然と考えたでしょうが、事はそう簡単に運びませんでした。

 朝鮮半島は再び、南朝鮮は米軍が、北朝鮮はソ連の軍政下に置かれ、韓国が現在の「大韓民国」として正式に成立するのは、それから3年後の、 米軍が南朝鮮における軍政終了を宣言した、1948年8月15日まで待たなければなりませんでした。

 ソ連軍政下に置かれていた北朝鮮においても、1948年9月9日、「北朝鮮が成立」し、これにより朝鮮半島において同一民族の分断国家が誕生し、今に至っているわけです。    以下、日本の敗戦から朝鮮半島の分断、そして大韓民国と北朝鮮が誕生するまでの流れを、ザッと見ていきます。(2016.7.4)

 

明確に否認された「朝鮮の即時独立」

 日本敗戦直後の1945年9月2日、アメリカ陸軍太平洋地域総司令部が、朝鮮半島の日本軍に対し、38度線以北はソ連軍、以南はアメリカ軍に降伏するよう命令します。

 1945年9月6日、自治組織にすぎないはずの南朝鮮(韓国)に設けられた「建国準備委員会」は、一方的に共産主義国家「朝鮮人民共和国」を樹立し“独立を宣言”。   主要な建物の日章旗を降ろし太極旗(現韓国国旗)を掲げます。

 しかし、南朝鮮に進出し軍政下に置いたアメリカは、この時点では朝鮮を国家として扱わず、あくまで日本国とみなしていたため、太極旗を降ろし再び日章旗を掲揚させ、 独立宣言の動きを承認しませんでした。  9月7日には米軍司令部が南朝鮮(韓国)における軍政実施を宣言し、朝鮮の即時独立は直ちに否認されます。

 これは、韓国の旗である太極旗を掲揚させたままでは、朝鮮を日本とは別国家であると認めたことになり、そこに米国が進出すれば、朝鮮を「解放」したことになります。  そうなると、 解放後の統治は朝鮮に全面的に任せる過程を生むことになり、 ソ連との朝鮮半島分割占領も絵に描いた餅となってしまいます。  米国はこれを避ける必要があったのです。

 そこで、自らの軍政に正当性を持たせるため、朝鮮を軍政下する前に日章旗を掲揚させておき、米軍の軍政が始まった時点で日章旗から星条旗へと付け替えさせたわけです。   韓国(大韓帝国)は第二次世界大戦の終結により棚ぼた式に日本の統治を離れることになったわけですが、しかし、大国の思惑によって直ちに独立国家として誕生する道は辿れなかったのです。

 米国及びソ連は、朝鮮人が自主的に樹立した政府に対して一切の政府承認を行いませんでした。  1945年9月9日、アメリカ軍は京城府で日本の朝鮮総督府から降伏文書に署名を受け、南朝鮮(現韓国)を正式に占領します。   朝鮮総督府の降伏後、南朝鮮(韓国)ではアメリカ軍が軍政を開始し、北朝鮮ではソ連軍(赤軍)が支配することになります。  その後の朝鮮半島はアメリカとソビエトによって南北に分断統治され、 大韓民国の独立・建国は1948年8月15日まで持ち越されることになるのです。(2016.7.4)

 石破茂氏は日本の韓国統治について、『....我々は国家や文化を奪われた人々の心情を決して忘れてはならないと思います。...』などと 薄っぺらい正義漢ぶりを発揮していらっしゃいますが、 当時は善悪など度外視の、力があるものだけが生き残れた恐ろしい時代であり、「弱いものは強い国に支配されるのが当然」の世界情勢だったのです。    当時は当時なりの時代背景があったわけで、今の平和な時代に暮らす政治家が単なる同情論に流され、超反日国家韓国に寄り添うようでは国策を見誤ります。(2019.8.23)


ソ連軍の過酷な北朝鮮統治政策

 占領軍として北朝鮮にのりこんできたソ連軍の非道ぶりは大変なものだったらしく、"旧日本工場に残されていた大量の機械、施設などを略奪"しソ連に持ち帰り、 大事な食料である"コメも北朝鮮の一年間の産米高のうち四分の一にあたる量をむりやりソ連に供出"させられ、 都市や農村に"飢餓が続出"したといいます。

 ソ連軍の過酷な統治政策に民衆は、『解放されたと言うが北朝鮮のどこがいいのか。  いろいろ言われるが"倭政時代(日本の植民地時代)は金かえだせば寝ながら旅行ができた"(萩原遼・「朝鮮戦争」より)』 などと政府を非難したそうですが、この話でも日本の統治政策は国民の自由を奪うような厳しいものでなかったことが伺えます。

 ソ連軍により北朝鮮では言論の自由さえ極端にせばめられ、おどろくべき数の国民が秘密警察により逮捕されていったそうですし、 "日本の植民地時代にはどこでも自由に使えた謄写版"さえ個人ではもてなくなったといいますから、非常にきびしい国家統制がとられました。     アメリカ統治の南朝鮮(現 韓国)はそれほどひどい政策はとられなかったようですが、アメリカがインフラ整備などで韓国発展に寄与したという話は聞きません。

 一口に"植民地にされた"、といってもソ連は"財産を奪う"行動だけですが、日本は植民地ではなく併合したのであり国民の自由を奪うような極端な施策はとらず、 むしろインフラ整備や教育に力をつくして朝鮮の国力アップに貢献し、 なおかつ戦後は日本が残した生産設備で復興をすすめられたという歴史もあったのです。

 北朝鮮はその後工業国として韓国よりはるかに豊かな国として発展していきます。  日本が統治していた時代、気候の温暖な韓国は農業が主体でしたが、 山岳地帯の多かった北朝鮮にダムを建設し工業が盛んだったことがその理由です。

 2017年に強まった経済封鎖でも北朝鮮はアフリカ諸国と貿易関係を続けます。  当時アフリカを援助していたという歴史や、アフリカは独裁国家が多いため、 国際社会の非難など気にする必要もないから、などが影響しているといわれます。(2016.7.4)


まとまらない朝鮮統一化

 第二次世界大戦終結により、1945年9月9日に日本の朝鮮統治機関である朝鮮総督府が降伏しますが、その後の朝鮮は米軍とソ連軍による連合軍軍政期となり、 これによって1948年に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が相次いで建国されるまでの間、軍制が続きます。

 連合国は朝鮮に占領統治を統括する機関を設置しなかった為、1945年12月、モスクワでアメリカ・イギリス・ソ連による三相会議が開催され、「米・英・ソ・中」によって、 朝鮮について最高5年間の信託統治を実施することなどが決定されます。

 その後、朝鮮の扱いがなかなか進まず混乱が続く中、国連が1947年11月14日に「国連の監視下で南北朝鮮総選挙を実施し、政府を樹立する」ことを決定します。     しかし、これに対し朝鮮内では左右両派の意見が対立。  両派に人望がある呂運亨を中心になんとか朝鮮分断の分断の危機を回避しようとしますが、単独政権樹立の動きに反対するデモやストライキが各地で頻発。     呂運亨が右翼青年に暗殺されるという事態が起き、朝鮮における左右合作の動きは頓挫してしまいます。

 そして1948年1月には国連は国連朝鮮臨時委員団(UNTCOK)を朝鮮に派遣し、総選挙実施の可能性調査を行なおうとします。   しかし、朝鮮半島の北側を占拠するソ連軍がUNTCOKの入北を拒否し認めなかったため、 朝鮮全土の総選挙は不可能となります。   さらに米ソ対立(冷戦)が激化する中で米軍とソ連軍による軍政下の朝鮮半島は対立が激化、 南朝鮮(現韓国)でも左右両派の対立は激しさを増します。

 特に済州島では1948年4月、単独選挙に反対する左派と住民が武装蜂起。   これは「共産主義者の蜂起」とみなされ、軍や警察による鎮圧騒動で大勢の罪のない島民まで犠牲になっています。   1954年に事件が収束するまで、30万人の島民中、8万人が犠牲になったとされます。(2016.7.4)


「大韓民国」が正式に成立

 結局、そういう混乱を経てやむなく米国はソ連軍が支配する北朝鮮の反対で朝鮮半島全土での選挙はあきらめ、UNTCOKが活動可能な南朝鮮において、 UNTCOKの監視下で1948年5月10日、済州島を除く南朝鮮全土で総選挙が実施されます。    総選挙の結果198人の国会議員が誕生しますが、その大部分は右派勢力が占めていました。    そして彼らの間接選挙により、初代大統領として李承晩(りしょうばん )が選ばれます。

 ただ、米国は李承晩を絶対的に支持していたわけではなく、中道派を軸に左右の勢力を取り込んだ政権を実現しようとしたものの挫折し、結局、李承晩氏を中心とする政権が樹立されたのです。  彼は日本海に勝手に李承晩ラインを引き、 「竹島問題」を生んだ人物でもあります。

 1948年8月15日、それまでの朝鮮半島全域を統治していた「大韓帝国」という国名から、朝鮮半島の38度線以南のみを実効支配地域とする現在の「大韓民国」が正式に成立します。     同年9月9日にはソ連軍政下の北朝鮮においても「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国 )」が誕生し、同一民族の分断国家が誕生することになったのです。

 大韓民国の独立とともに公式的には米軍が南朝鮮(韓国)における軍政終了を宣言しましたが、ただし、アメリカ合衆国政府による韓国の独立承認は遅れ、 大韓民国政府承認の批准案がアメリカ合衆国議会で可決されたのは1949年1月のことでした。

 これにより、現在でも朝鮮半島は南北に分断されたまま、相も変わらず飢餓に苦しむ独裁国家の北朝鮮と、民主国家として先進国の仲間入りを果たした韓国(大韓民国)というように、 同じ民族でありながら全く別の道をそれぞれ歩んでいるわけです。(2016.7.4)

 2021年、文在寅大統領の後継者と目され、次期大統領候補の李在明は、「現在の大韓民国は親日勢力が米占領軍と合作して作ったもの」と述べますが、 これまでの経緯から見ても大韓民国の設立過程に親日勢力の介在などあるはずもなく、これこそまさに韓国による歴史の改竄なのです。   李氏は歴史歪曲行為を断罪する「歴史歪曲断罪法」を提唱していますが、 真っ先に断罪を受けるべき人物が次期大統領候補というのですから、やはり韓国という国は信用できないのです。(2021.12.6)


戦後の日韓関係の変化

 評論家の呉善花(お・そんふぁ )氏は1956年に済州島で生まれたそうですが、幼少期は村の人で日本をことさらに悪くいう人などおらず、 日本語の単語を大人の前で披露すると拍手喝采だったといいます。

 また1970年代に数年韓国で暮らした日本女性によれば、『韓国に住んでいた3年少々の間、慰安婦や徴用工問題など1度も韓国人の口から聞くことはなかった』、というほど皆友好的で親日的な雰囲気で、 市場に買い物に行くとおまけしてくれ、日本語を話せる韓国人は若い人から羨望の視線を浴びていたといいます。

 1965年(昭和40年)6月22日、アメリカの強い要望もあり、 佐藤栄作内閣と韓国の朴正煕大統領との間で両国の外交関係の樹立、過去の韓国併合条約などの失効など取り決めた、 "日韓基本条約"が難産の末結ばれます。

 これにより、"合計8億米ドルの経済協力資金"を韓国に援助することを決め、日本側は「それまでに韓国に投資した資本と財産のすべてを放棄」し、 それと引き換えに韓国側は「対日請求権を放棄する」ことで、賠償問題についても、「完全かつ最終的に解決した」、と合意します。

 この条約と協定が、戦後の日韓関係の出発点になり、これにより日本は第二次世界大戦後に独立した韓国を国家として承認し、朴正煕政権を朝鮮唯一の政権と認め国交を樹立することになったわけです。    当時の日韓関係は、この韓国右派勢力が日本の援助を当てにしていたため、 今のような極端な反日の動きは見られませんでした。

 その後世代交代が進み韓国経済発展が進むにつれ、それまで日本に一目置く姿勢だった韓国内の世情も、反日を旗印に掲げる指導者が次第に台頭するようになります。    やがて韓国は日本をもう用済みと見るや、日本との協力から対立関係へと変貌。   いまでは「未熟な子どもの喧嘩」のような屁理屈をコネ、 さまざまな場面で国家間の約束など平気で反故にして、 日本にいいがかりをつけてくる超反日国家と化しています。

 特に、2017年に誕生した左派指導者の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、北朝鮮からの避難民の息子として生まれたとされ、 北朝鮮を支持し同調する左翼勢力を糾合した政権であり、日韓基本条約を、不平等条約や国際法違反だとして見直しを求める、勢力でもあります。(2018.7.4)


韓国は日本に統治された歴史を直視せよ

 日本は止むに止まれず韓国を統治したわけですが、韓国併合に至る過程と、朝鮮分断までの歴史を振り返れば、 韓国が自国の教科書に書く、『ズッと自主独立の国だった自国が、日本によってその独立を奪われた』、 という主張は全くの神話なのです。

 日本は戦後長い間、「日本は戦争を起こした悪い国である」という悪しき戦後教育により、『日本が果たした功績』は闇に葬られてきました。    しかし、日本の力で「清朝の属国だった朝鮮が独立国」となり、国号も明がつけた「朝鮮」から、 晴れて「大韓帝国」を宣言できた、というのは歴史の真実です。

 ところが、韓国は日本の力で独立を果たし、日本の援助で近代国家として自立できたというのに、その功績は一切認めず、それどころか、 今頃になって一国の指導者が「日本を千年恨む(千年恨)」、などと恥ずかしげもなく発言する始末です。   しかし、いくら怨みつらみを抱えようが、過去は変えられません。   この甘えの精神構造こそ、韓国という国が自力で独立を果たせなかった根本原因なのです。

 さらに、もし日本という国が存在していなかったら、21世紀の現在でも白人国家による有色民族支配、 という 白人絶対優位の帝国主義世界がいまだに続き、アジアのみならず世界中全ての有色人国家は西欧列強の植民地とされたまま、発展から取り残された地域であり続けたかもしれません。

 中国と韓国は、弱肉強食だった時代の世界情勢から目を背け、先の戦争で日本が果たした「列強による植民地支配からの解放」という日本の功績を貶めるため、 ウソで塗り固めた自分達の都合の良い歴史観(歴史をどう見るか)を持ち出し、 戦後何十年経とうが、日本に「歴史を直視せよ」などと言いがかりをつけてきます。

 しかし、中国にせよ韓国にせよ、当時は白人列強のアジア侵略に対し恐れをなし、震えあがり、牛耳られ、 言いなりになっていた国だったはずです。   「大戦中何もできなかった」中韓が、 白人国家が有色人種を植民地支配する世界に終止符を打った日本に文句を言う資格などあるはずもなく、全くの筋違いな話なのです。

 当時の弱い国は強国に支配された歴史を鑑みれば、植民地化の問題を無視したまま、 日本の韓国統治を、自民族の災難という観点だけでとらえ批判するのは、全くの的外れな話しです。   韓国の不幸な近代史は、 「その場しのぎ」処世術が幅を利かす事大主義(強いものに従う)と、自国の不甲斐無さがそもそもの原因だったのです。

 韓国が「日本の韓国併合という恩讐」を乗り越え、 日本が朝鮮を解放し独立を認めさせた史実を受け入れ、 過去を水に流せる度量を持つオトナの国へと脱皮し、日本と互恵関係を築くには、 はたしてこの後何百年必要とするのでしょうか。(2016.7.4)


外国人から見た当時の朝鮮の印象

 19世紀末、イギリスの女流旅行作家、イザベラ・バードは、明治時代の日本を訪れた際、その旅行記をまとめた「日本奥地紀行」の中で日本について、国土の美しさや治安の良さを称賛しています。

 どんな国にもいい面と悪い面があるのは今も昔も変わりません。 日本人の暮らしぶりや生活環境に対する印象は必ずしも好意的なものだけではなかったようです。    ゾッとするほどいやなもの、としてスープの食事(みそ汁)に辟易している様子も描かれていますから.....。

 ただ、基本的には日本好きだったようで、都合5回ほど来日しています。 満州や朝鮮、中国への旅のベース基地として、 さらに夏の静養のためなどでよく伊香保温泉や日光湯元温泉に滞在したそうです。  一方で『朝鮮紀行』の李朝末期の朝鮮を訪れた際の〈首都の第一印象〉の項には朝鮮の良さや愛着も示しつつ、

《....北京を見るまで私はソウル(漢城・京城)こそ、(当初は)この世で一番不潔な街だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそ、 この世で一番ひどい臭いだと考えていたのであるから!  都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。 礼節上2階建ての家は建てられず、従って推定25万人の住民は主に迷路のような横町の「地べた」で暮らしている…》、 と記しています。

 また政治腐敗のひどさについても言及しており、

《....そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。  『搾取』と『着服』は上層部から下級官吏にいたるまで韓国社会全体を通じての習わしであり、 どの職位も売買の対象となっていた....》。

 この状況は現代の韓国社会にも脈々と受け継がれています。  いままで慰安婦問題をネタに散々日本叩きを繰り返してきた韓国でしたが、 その根本は相も変らぬ「盗む側と盗まれる側の問題」 という実態が明らかにされつつあります。

 「日本奥地紀行」は韓国人にとっては屈辱的本でしょうが、残念ながらイザベラ女史が指摘したように、当時の朝鮮は絶望的なほど立ち遅れた近代化、 政治腐敗のひどさと不正が蔓延(まんえん)する、硬直した封建社会だったのです。  《....朝鮮には、 その内部から自らを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない》、国だったのです。(2016.7.4)


日本周辺で繰り広げられた植民地支配合戦

 日本周辺で繰り広げられた植民地支配合戦

 イギリスは一時期、地球上の4分の一を植民地支配する史上最大の帝国でした。  当時世界で独立国の立場を貫けていた国は米国以外、 アジアでは日本、タイ、ネパールの3ヶ国、 アフリカではエチオピアの1ヵ国。    ヨーロッパではイギリス、フランス、ロシア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イタリア、オーストリア、デンマーク、 スイスの10ヵ国程度とされています。    他の国はすべて列強の植民地、もしくは支配下に置かれていた時代だったのです。




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