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日本国内にいまだに蔓延る反日思想

 戦後の日本は、「先の戦争は全て日本が悪かった」という風潮が日本社会に蔓延し、 日本にもそれなりの事情があった、などと少しでも「日本擁護論」を述べようものなら、 「右翼・軍国主義者」などと血相変えて否定・批判される時代が長く続いてきました。    テレビ・新聞の論調も「侵略戦争を仕掛けた日本は絶対悪で、中国・韓国はその被害者」が主流を占め、それに反論しようものなら、 即出禁となって二度とお呼びがかからなくなったのです。   日本人の多くは、いまだに「先の戦争は、戦争に駆り立てた軍部が、 戦時指導者が悪かった」と責任をすり替えられ、 悪質なプロパガンダに洗脳されていることに気づいていないのです。

 『東京裁判を受諾している』から、 日本は『侵略戦争を認めた』と信じ込んでいる日本人は、政治家はじめ、 まだ多いようです。  たしかに日本は東京裁判の判決は受け入れましたが、犯罪国家という裁判内容 は受諾しておらず、「侵略戦争を認めた」わけではありません。   東条英機ら東京裁判の被告たちは、 「自衛戦争」を主張し、結果として「死刑判決」を受けました。    中国・韓国人ならまだしも、当の日本国民からして「自分たちの国はかつて侵略戦争をした」などと考えるのは、 まさに「愚かな自虐史観」にほかなりません。(2024.5.31)

 戦後の日本は醜い部分だけをことさら強調する偏向教育が行われてきたわけですが、 日本を代表する辞書の一つ「広辞苑」は、南京事件について、第1版では 「日本軍が南京攻略の際に行った暴行事件」、と事実のみアッサリと記載していただけだったのに、第3版では中国の主張に従い大虐殺事件」 と昇格(?)させています。   そして第4版からは「南京大虐殺」という独立した項目になり、 「日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、 あわせて放火・略奪・強姦(ごうかん)などの非行を加えた事件」、と内容もエスカレートしてきました。   日本を悪玉に仕立て上げる内容をますます充実させているわけです。

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長ストークス氏は、 『....白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、 有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンスです』、と語っていますが、 これから日本を背負っていく学生が目にする進研ゼミの参考書には、アジアにおける白人国家の利権について、 「.....権益を持っていた」と記され、 日本が手に入れた利権は「.....権益を奪っていった」、 などといまだに一方的な偏向史観による日本悪者説が 堂々と記載されている現状があります。

 朝日新聞は戦時中、「戦争することが正しい」と教えていましたが、元朝日新聞記者"本多勝一"氏は、 著書『中国の日本軍』(昭和47年)に、旧日本軍による「残虐行為」の証拠として、 小銃を肩に担いだ軍服姿の男性らとともに橋を渡る女性や子供たちの一群の写真を掲載しました。   その説明文には「婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。 強姦(ごうかん)や輪姦は七、八歳の幼女から、 七十歳を越えた老女にまで及んだ」と断言しています。  しかし、 これは12年11月発行の「アサヒグラフ」が掲載した「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」 の写真であることが後に判明しています。

 国民から強制的に受信料を徴収する「皆様のNHK」は、 強制徴用され軍艦島で働かされた朝鮮人の姿とされる映像を長い間放映してきました。     ところが、2023年6月、日本人残虐説の証拠とされてきたそのフィルムは、実は終戦から10年後に撮影した日本人の映像であることが、NHK幹部の証言で明らかになりました。    NHKも「日本悪玉説」を国民に刷り込む役割をしっかり担っているのです。

 このように、戦後の日本は「日本は戦争を起こした悪い国」という反日自虐史観 にすっかり毒されてしまった結果、社会全体が一方的な反日歴史観に洗脳され、 「自国の非を嬉々としてブチ挙げる」祖国を否定する反日思想の日本人たちが量産され、 政治家も中国に媚を売る、弱腰すぎるものばかり当選し、 挙句の果てには、日本国首相でありながら「日本は侵略国家」と断定するバカまで登場し、 いまでは、この発言が反日媚韓勢力から「日本国首相談話」として政治利用されるという、おかしな状況となっています。(2019.9.3)


「日本悪玉説」に騙されてはならない

 こうした日本悪者説が堂々と蔓延った結果、 「白人国家による植民地支配に終止符を打ち」、 植民地支配からの解放を成し遂げたハズの日本は 「アジアの解放者」から「侵略国家」にされ、 中国・韓国や反日による「無限の謝罪要求」に根負けした 愚かな政治家が、 「自虐史観」を振りかざし自ら「贖罪国家」としての烙印を勝手に押してしまった結果、 「謝罪一辺倒の国」へとなり果ててしまったのです。

 しかし、そもそも「日本悪玉説」は、 戦後ずいぶん経ってから出てきた話です。     「大戦中何もできなかった」中韓が、 ありもしない歴史問題とやらを持ち出し、 日本に難癖をつけ、日本に戦争責任を求める姿勢へと変わったのは、 戦後何十年も経ってからなのです。   今では捏造だったとされる 「慰安婦問題」にしても、騒がれ出したのは1982年以降であり、 四十余年間存在しませんでした。   これは考えてみればおかしな話で、 本当に日本に非があったのなら、どうして当初から「日本悪玉論」が表に出なかった のでしょうか。

 これだけでも、「日本悪玉説」はウソだと分かるはずです。    寺田寅彦氏は、 「疑いは知の基である。 よく疑う者はよく知る人である。」と説いています。   書かれたもの、聞いたモノをただ鵜呑みにして、 あたかも博学多識のように振舞うことを戒め、疑う所のない点こそ疑えとし、 さらに「一を読んで十を疑い、百を考うる事、が必要である」と指摘しています。

 先の戦争において、日本は世界中を植民地支配していた白人列強を極東アジアから追い払い、 「白人国家による植民地支配に終止符を打った」国です。    決して日本だけが侵略戦争を行ったわけではなく、その過程で生じた戦争は、 「....白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、 植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業をなしとげた(藤原正彦 日本人の誇り)」 戦いだったのです。

 日本は無敵と思われていた白人列強を東アジアから追い払ったわけですが、その過程で現地に迷惑をかけたのも事実であり、戦後の日本は アジア各国に過去何度も謝罪し補償も行ってきました。     日本が植民地支配からの解放という偉業を成し遂げたのは歴史の事実であり、たとえば、日本の力により戦後独立を果たしたビルマは、ビルマの独立を物心両面で支援した日本に対し 「....たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持ちが亡ぶことはない」 と日本に対し最大限の謝辞を述べています。   「罪」があるからといって「功」まで全否定し、先の戦争で日本が果たした役割 まで闇に葬るのは 歴史の歪曲と言えます。

 このまま中韓・反日の悪だくみに唯々諾々と従っているばかりでは、我々の子孫までもが、未来永劫、 「100年前の出来事のためにひざまづけ」と強要される事態が続くということです。     このまま日本の子供たちを一方的な反日史観に基づく歴史の奴隷にさせるわけにはいきません。

 そのためにも、日本は好き好んでアメリカ相手の勝ち目のない戦争へ突き進んだわけではなく、当時の白人列強による植民地支配合戦の渦中に置かれた日本が、 生き残るため止むにやまれず起こした戦争、という側面もあったこと、 日本はアジアを独立に導いた「希望の光」であり、 「日本がアジアを侵略した」というのは戯言 であることを、日本国民は是非知っておくべきですし、中韓相手だと腰が引けてしまう政治家たちも、 そろそろ当たり前のことが言える国になってもいい頃です。(2019.9.3)


進歩的文化人とやらの正体

 法政大学の山口二郎教授は、デモを先導する街宣車上で参加者を前にマイクを握り、日本国の宰相を公然と呼び捨て 「戦争反対!」と若者らを扇動しました。   物事の捉え方は人それぞれであり、「価値判断の座標軸」 も違いますが、「日本は戦争を起こした悪い国」という信仰に近い思い込みで凝り固まっているものが、 これから日本を背負って立つ学生をおかしな方向に扇動するのは、 苟も(いやしくも・不相応に)教育者たる者のすべきことではないでしょう。

 若者の教育に携(たずさ)わる教授が、中国の軍事膨張や北朝鮮の核開発には目を閉ざし、反権力ごっこ、にうつつを抜かし、 若者の情熱や真剣さを政治利用し、「自身の偏った主義主張」を押し付け、 「ニセ真実」を頭から信じ込む 「デュープス」を大量生産しようとする現状を見るにつけ、 一人の人間の「捻じ曲がった信念」が社会に与える恐ろしさを感じます。

 稲垣武氏は、『大学の教官に多い進歩的文化人なるものは、頭の中で捩じ上げた理論を純化させようとすればするほど、現実からますます乖離してゆく。  そしてとどのつまり、破局に至って現実という"ゲバ棒"の一撃を食らい、「フンサイ」されるのである』と書いています。(「悪魔祓い」の戦後史)

 目的さえ正しいと思えば何をやってもいい、というリクツでは民主主義も終わりです。   戦前一部の過激将校が起こした暴力による政治の廓清(かくせい・悪いものをすっかり取り除くこと)を、 動機が純真だからといって軍上層部がウヤムヤに処理したことで世の中が乱れ始め、 やがて戦争への道をひた走ることへ繋がっていった過去が日本にありました。

 大切なのは一本筋が通っているかどうかです。  昔、全共闘の学生達が大衆団交と称し大学の教官をつるし上げていたとき、 東大の林健太郎文学部長は173時間にも及ぶ軟禁に耐え、 機動隊の救出の申し出に対し、「無用、只今学生を教育中」と答えたといいます。    学生らに媚を売った進歩的文化人は軽蔑されたそうですが、頑として学生側に都合のいいことは言わなかった林氏はずいぶん腹の据わった人物だったようで、 学生たちから敬意を払われたといいます。

 当時の「文藝春秋」で学生達は、

E子『林健太郎は、筋が通っているから、それなりに偉いよ。 こっちに都合のいいこといわないもの。 右顧左べん(*1)しないところ、敵ながらアッパレ』
C 『あとは、たいていぶん殴ってやりたいのばかし』
A 『ほんとだ、ほんとだ。 ことにいわゆる進歩的文化人な。 いつもは非武装中立論なんか書いて稼いどいてサ、テメエの学校に問題がおこったら、 さっさと学校側について警察の力を借りてやがる。  非武装中立でなんとか解決してみたらどうだ。(笑い)』

 Aの言葉をそっくり山口二郎教授はじめ進歩的文化人の方々に送りたいと思います。(2018.9.30)


進歩的とは社会主義的ということ

 いつの時代にも特定の独裁的言論思想とも言うべき「言論ファッショ」でもって相手を論破(または煙に巻く)しようとする輩は存在します。    こういう手合いはしばしば「進歩的文化人」などと一部の人たちから持ち上げられますが、 山本夏彦氏は「進歩的とは社会主義的ということ」と喝破しています。

 こういうのを相手に意に沿わない反論でもしようものなら、 徹底的な反論の嵐を浴びせかけられ、自分の意見が瞬く間に封殺されてしまうという、まことに厄介な相手です。    さらに、こういうタイプはほぼ100l自己正当化に熱心で、「自分は正しい」と勘違いしており、普段は正義漢ぶったキレイごとを並べ立てます。

 しかし、イザとなると普段の御高説はどこへやら、ナリフリかまわず都合の良い方にアッという間に鞍替えするのもこのタイプの特徴で、基本的に肝は据わってはいません。     この手合いの巧言(こうげん・口先だけうまい)者たちが、戦後しばらくメディアの世界で大手を振っていたのです。

 進歩的文化人とやらは、かつて「平和」という錦の御旗を掲げ、日本の安全保障の要である日米安保と自衛隊に反対し、異議を唱える相手を居丈高に断罪し、 自衛官に対し住民登録の拒否や子どもの転校向受け入れ妨害などをしてきました。

 彼らの論法として、日米安保は日本が「アメリカの軍事戦略の道具」にされる、日本が「世界戦争に巻き込まれる危険性」がある、というものがあります。    その危険が皆無とは言えませんが、それでは「非武装中立」さえ唱えていれば、中国との衝突や周辺各国の紛争に巻き込まれることはない、とする根拠はなんでしょうか。

 日本周辺の地政学的・戦略的な位置からみて、果たして今後戦争に巻き込まれることはないのか、これからも日米安保のもつ抑止力に頼るのか、 それとも独自の防衛力を整備するのか。   もっと踏み込んだ議論なり考察があってしかるべきです。  ナントカの一つ覚えで非武装中立論をわめき散らすだけでは無責任であり、 ただの人騒がな扇動者です。(2018.9.30)

 甲南大学法学部教授・尾原 宏之氏によれば、『学問のすゝめ』を書いた慶應義塾の創設者、福沢諭吉は、教育と社会不安との関係をかなり長期的な視野で捉えていたようで、 『貧乏人に高度な教育を安価で提供してはいけない』とまで唱えたといいます。  その理由は、「智力」が成長しても、それを実地に活かせる地位や財産がなければ「憂患」となるだけであり、 就学する貧者の数が増えるほど「社会の安寧」を脅かす原因が増えるとしています。   そして、共産主義の震源地になるのは帝国大学である、とまで予測していたといいます。

 福沢の予言は的中します。 1960年代から、特定の政治党派の影響が強い全学連のような全国学園闘争が盛んになりますが、1968年(昭和43年)頃からは、武装を辞さず、 大学をバリケード封鎖することによって主張の貫徹を試みる、東大闘争、全学共闘会議(全共闘)と呼ばれる過激な学生運動が現れ、国公立大学の大半が何らかの闘争状態・紛争状態となりました。

 福沢諭吉は、まだ共産主義というものが存在していることすら一般に知られていない時代、共産主義への懸念を語っていたわけで、少なくとも、知識が人々に不満を自覚させ増幅させるメカニズムの中に、 共産主義思想が入り込む弊害まで想定していたのは間違いなさそうです。(2024.5.25)


自由であるべき言論を封殺する信徒たち

 2001年(平成13年)、神奈川県・三浦商工会議所主催で予定されていた櫻井よしこさんの講演会が、 「神奈川人権センター」の横槍によって中止になる騒動が起こります。    人権センター側はその理由を、前年の横浜市教育委員会主催の教職員研修講演で櫻井氏が、 「慰安婦たちの強制連行はなかった」、 「慰安婦たちは、それなりのビジネスとしてやっていた」、 などとした発言を捉え、「許しがたい差別発言を連発」、とか「唖然として開いた口がふさがらなかった」、ということで反対したようです。

 日本は「思想や表現の自由」は保障されていますが、このように自分の思い込みによる「一方的な反日歴史観」によって、 「先の戦争は日本が悪かった」と決め付け、自分と異なる意見は封殺しようとする者もいます。   そういう過激な連中が、櫻井氏の講演防止などという愚かな行動に走るわけです。    山本夏彦氏が「進歩的とは社会主義的」としたのも頷けます。

 しかし、そもそも「慰安婦強制連行説」なるものは、 終戦後四十余年間存在しなかった捏造話であり、 戦後に行われた米政府の慰安婦問題調査においても、 日本軍が統治した地域において現地の女性を性奴隷にしたなどという証拠は、一切見つかっていません。  「慰安婦たちは、それなりのビジネスとしてやっていた」、という櫻井氏の発言は、 裏づけのある話なのです。

 ところが、この祖国を否定し、過去の日本の行いを頭から断罪しようとする厄介な反日教信徒たちは、 強制連行はなかったとする櫻井よしこさんの話しを「差別発言」と決めつけ、「言論の自由は差別発言の自由ではない」などという詭弁を弄し、 実力行使という乱暴な手段で「言論の自由」を葬りました。

 しかし、自分達の意見と違うという理由だけで、他人の話は頭から否定し、自由であるべき言論に圧力をかけ、中止させ封殺しようとする行為は、正当化出来る話でしょうか。    戦前にも無謀な戦争に反対する言論を「非国民」という言葉で葬り去ろうとした連中がいましたが、それと大差ないことを、この信徒たちはやっているわけです。

 この「反日教」に取り憑かれている信徒たちは、 日本人に罪悪感を刷り込んだ「WGIP」の戦略によって、 完全に洗脳されているのです。   一旦洗脳されたヒトを改宗させることは、ほぼ不可能なのです。

 我々も反日的自虐史観的な資料でもって先の戦争を「日本は戦争を起こした悪い国だった」として捉えたり、逆に日本の歴史を過剰誇大な自尊的史観で評価し、 「日本は戦争中も非の打ち所などない偉大な国家だった」、などと決め付けてしまう愚は避けねばなりません。    未来志向よりまずは過去の見直しが必要なのです。


週間ポスト「韓国なんて要らない」記事騒動

 日韓が「戦後最悪の関係」だった2019年9月2日に発売された「週刊ポスト」が掲載したある記事が騒動を呼びました。    「韓国なんて要らない」と題された特集をめぐり、作家たちが「差別扇動である」との理由で同誌での連載中止を申し出たのです。

 「週刊ポスト」側は作家側の意向を受け入れ、特集にあった「怒りを抑えられない『韓国人という病理』」と題した記事については、 「配慮に欠けた」とおわびのコメントを出す騒動となります。

 これに、いままで大人しかった「韓国融和派」たちがチャンスとばかりに、韓国をあまりイジメるな、という論調で反発する一幕も起こり、 嫌韓ムード一色に傾きかけていたメディア界に波紋が広がります。

 「週刊ポスト」の特集はタイトルに「厄介な隣人にサヨウナラ」とうたい、日韓関係について「『断韓』を考える」としているものです。     軍事や経済、スポーツなどの観点から、関係を断った場合のメリット・デメリットを「徹底調査」したと記載しており、 ことさら韓国を貶めようという内容ともいえません。   むしろ「韓国融和派」以外の日本人には納得できる内容で、現状の韓国に対する感情を代弁するものとも言えます。

 リードには、『隣国だから、友として親しく付き合わなければならない......そんな“固定観念”を一度、考え直すべき時期なのかもしれない』。    なぜかといえば、『いくら日本側が法と論理、正当な手続きを通じて関係を構築しようとしても、それが通じないのである』、とあります。   まさに正論であり、記事もバランスが取れており、いったいこの内容のどこが悪いというのでしょうか。

 案の定、毎日新聞は社説で『日韓対立の時流に乗れば、何を書いても許されると考えたのだろうか』、と怒り、 東京新聞の社説は『当該号の回収も検討すべきだ』と吼えます。 この程度の記事でこうまで非難するというのは、両紙とも余程の反日媚韓に凝り固まった、 極端な偏向思想の持ち主としか思えません。

 こういう騒動の根っこにはヒトとしての善悪問題というより、右(保守)・左の思想闘争が関係していることがほとんどです。   批判する側(左巻)は声高に相手の非をあげつらい、自由であるべき言論を封殺し、相手が屈服するまで騒ぎ立てますが、 批判を受ける方(保守)は大人しいためなんら反論もせずすぐ謝罪する、いう流れになることがほとんどです。

 これは日韓の対立にも当てはまります。 韓国は反日論を相手構わず言い立て、APECでも日本批判を展開し議長からたしなめられました。 事の是非など無関係に、 自分の正当性を押し通そうとするわけです。  韓国のように自分が気に食わないからとファクトなど無視し相手を攻撃する、 というのは決して褒められる行動ではないでしょう。

 今回の「週刊ポスト」記事は、 現在繰り広げられている 「韓国の常軌を逸した対日関係」が背景にあります。    記事の中身は韓国融和派以外の日本人の大部分が100lとまでは行かずとも、ある程度納得できるものです。 「週刊ポスト」に連載中の作家さん達の一部は許せなかったようで 「連載中止」のようですが、それは自由意志です。  「週刊ポスト」も粛々と受け止めればいいだけの話です。

 文芸評論家の小川榮太郎氏が指摘するように、ある意見・記事が気に食わないからといって ファクトなど無視した批判が集まり、 月刊誌『新潮45』が廃刊に追い込まれたように、声の大きな側が自分の考えと違うという理由だけで、相手の意見を封殺する世界になったら、 "オピニオンの公平な提供"という機会は失われます。  それでは日本社会はファシズム国家となる危険性もでてきます。(2019.9.3)


『新潮45』休刊騒動

 2018年9月、突然月刊誌『新潮45』の休刊が決まりました。 表向きの理由は発行部数の減少ということのようですが、性的マイノリティ―(LGBT)に関する特集企画に批判が集まったことが影響したようです。

 ただ、今回の騒動でやや気になる点は、35年以上の歴史を持つ老舗雑誌が、批判されたからといって「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」と社長が詫び、 発行1週間でアッという間に事実上の廃刊となる事態は普通ではありません。

 文芸評論家の小川榮太郎氏は、『.....それにしても、なぜここまで事は急激に運ばれたのか。 拙文が普及してからでは廃刊クーデターが展開しにくくなるからではないか。  それは以上のネットの反応を見れば分かるであろう。 さらに「新潮45」の特集全部を読む読者が増えると、拙文以外の6人の議論は穏当であり、なぜこのバランスの取れた特集を雑誌休刊の理由にするのか、 到底社会の理解を得られなくなったに違いない。.....』、『新潮社の月刊誌「新潮45」の休刊は、尋常ではない圧力を想定しない限り説明がつかない。 早すぎ、一方的すぎ、臆面なさすぎる。』、としています。

 ここ最近、自由社会の基幹というべき表現の自由が蔑(ないがし)ろにされ、事の良し悪しなど度外視の、自らの偏った信念による「言論ファッショ」のような押しつけ的主張が幅を利かす世の中になってきています。

 ある意見・記事が気に食わないからといってファクトなど無視した批判が集まり、月刊誌『新潮45』のように社会から抹殺されてしまう世界になってしまったら、 "オピニオンの公平な提供(小川氏)"という機会は失われ、日本社会はファシズム国家となる危険性もでてきます。

 人それぞれ意見は異なります。 (LGBT)の議論が多少噛み合わなかったという理由だけで、ある思想側の一方的圧力で老舗雑誌の廃刊に行き着いたとしたら、その社会には何かソラ恐ろしいところがあります。

 特定思想に左右されてしまう社会の実現を阻止するためにも、小川氏が言われるように、『.....言論のプラットフォームであるマスコミや出版社は、公平な媒体であることに徹し、自由な空間を死守....』 してもらいたいものです。(2018.9.30)


   

市民活動は場所を選べ

 妻の付き添いでいった病院での出来事でしたが、待合室で診察を待つ自分達のところに、その病院の関係者と思しき人物が、先の安保法制成立に反対する署名を求めてきました。

その人物は、「戦争に巻き込まれる安保法制の成立には断固反対しましょう.....」などと言ってアンケート用紙を渡そうとしましたので、ハッキリいってやりました。 「どうして国を守ろうとする法案成立に反対するの?......」と。

 60代後半のその人物は一瞬フイをつかれたような顔をしましたが、「だって戦争になるんですよ...」と真顔で言うのです。    まあ、この手合いと議論してもかみ合うはずもありませんし、少々しつこいので話しを打ち切るため 「人それぞれ自分の意見はあって当然じゃないの....」とキツメに言ったらしぶしぶ離れていきました。

そして、隣に座っている70代の男性にも同じように話しかけるのです。 その男性も、「強制的に法案が成立したんですよ.....アンケートにご協力を.....」と振られた当初は、 「イヤ...強制的というわけでもないと思うが.....」などと一方的なアンケート野郎に反論する場面もありましたが、結局「戦争には反対なんでしょ、だったら署名に協力して.....」 というコトバに押し切られ、しぶしぶ署名していました。

 この70代男性の本当の考えは分かりませんが、もしかしたら自ら進んで署名活動に賛同したというより、病院の関係者には逆らわないほうが得策と判断したのかも知れません。

しかし、なぜ病院内でこのような行動が認められ、何がナンでも戦争には絶対反対というワンパターンでしか物事を見れないアナクロ野郎が、 堂々と病院内で反日アンケート活動に跋扈しているのでしょう。

どうやら憲法九条の改定に断固反対する市民活動組織がこの病院を活動拠点のひとつとしているらしく、その関係者が病院に来る患者たちを狙い撃ちし、アンケートで反対の署名活動しているようなのです。

ただでさえ、これからどんな診断が下されるかも分からず、不安でおびえている立場の弱い患者達に対し、戦争反対アンケートを聞いて廻る無神経さも理解できませんが、 こんな活動を許している病院もどうかしています。

強制とまでは言えないかも知れませんが、一見して病院の関係者とも思えてしまう人物から、しつこく署名を求められたら、どんな内容であれ、はたして何人の患者が拒絶できるでしょうか。     また、こんな姑息なやり方でムリヤリ自分達の意見に賛同させる手口を取ったからといって、はたして世の中の何人がこの運動に理解を示すでしょう。

生協もそうですが組織として特定の主義主張を個人に強要するような行動は、公共施設であるなら差し控える必要があるハズです。


ブログによって一気に拡散した懲戒請求運動

 司法警察職員や弁護士、司法書士などの資格者に対し、一般庶民が懲戒処分を請求することができる「懲戒請求」という手続きがあります。     1947年までは弁護士の懲戒請求は控訴院が行っていましたが現在では誰でも行うことができるようになりました。  弁護士法に基づいた懲戒請求では、弁護士会が処分を判断する仕組みになっています。

 日弁連によると、例年であれば1500〜2500件程度の懲戒請求件数が、2017年は13万件に急増したそうです。  あるブログの文言に煽動された大勢の人たちが、一斉に懲戒請求を弁護士に送り付けたことがその原因とされています。

 ブログで懲戒請求を呼びかけたのは、「反日」、「左翼」とされる人たちを批判する内容が中心の、「余命三年時事日記」というサイトで、弁護士以外に政治家など、 様々な人たちに対する集団告発を繰り返しているといわれます。

 今回の問題には、朝鮮学校に対する補助金打ち切りが関係しています。 以前から自治体によっては独自の判断で、外国人学校を対象に「補助制度」を実施しており、 2014年度の補助金実績は、18道府県と114市区町が、計約3億7000万円の補助金を交付しているといわれます。

 朝鮮学校に対しては、2002年の拉致問題発覚や、その後の北朝鮮の核実験などを理由に、朝鮮学校の教育内容が「政治的だ」とする風当たりが強まり、2013年2月12日に実施された北朝鮮の核実験以降、 「補助金の予算計上を見送る」、自治体が相次ぎました。  政府も自治体に対し朝鮮学校への補助金見直しを求めるようになります。

 これに対し日弁連が、「拉致問題の進展の度合いなどの子どもの教育を受ける権利とは何ら関係を持たない事柄を根拠に就学支援金の給付を否定するものであり、憲法14条などが禁止する差別的取扱に当たる」、 と会長声明で批判しているほか、朝鮮学校生徒らが取り消しを求め国を相手取り訴訟を起こしています。

 今回懲戒請求された弁護士は、「朝鮮学校に対する補助金打ち切り」に反対の意思表示をしたり、在日韓国・朝鮮人に対する差別に対して活発に活動しているためターゲットとされたようです。     ちなみに、朝鮮学校の「高校無償化」は、自民党政権で「国民の理解を得られない」として2013年2月に対象外とすることが決まっています。

 ブログでは懲戒請求の「告発状」をPDFによるひな形として配布。  賛同者はそこに署名と捺印をして、取りまとめ先に送付すれば告発できる仕組みになっていたようです。    当然賛同者の名前や住所は相手の弁護士に通知されることになります。

 ひな形には、「違法である朝鮮人学校補助金支給要求声明に賛同し、その活動を推進する行為は、 日弁連のみならず当会でも積極的に行われている二重の確信的犯罪行為である」、などという「懲戒事由」が書かれていたそうです。

 今回の騒動はここから幕をあけます。  大量の懲戒請求を受けた弁護士側としてはこの事態を黙視するわけにもいきません。   ある弁護士は、「精神的につらいですね。 のべ3千件、住所を見れば近所の人もいた。 恨みを買っているとしたら、家族に危害が及ばないかとの不安もある」、 と大量の懲戒請求に「恐怖を感じた」といいます。

 さらに、身に覚えがないのに「朝鮮学校への補助金交付に賛同している」とネット上で扇動され、大量の懲戒請求を送られた弁護士もいたり、 それを「根拠のない請求はひどい」とツイートした別の弁護士にも、同様に大量の懲戒請求を送られたといいますから、まるで懲戒請求爆弾を無差別に仕掛けるテロの様相を呈しています。   一人で同じ弁護士に何回も懲戒請求するケースもあるようです。

 この事態にとうとう二人の弁護士が、「反証のために労力を費やさざるを得なくなり業務を妨害された」、などとして反撃を開始します。  懲戒請求者たちに対し、 二人分の賠償金として合わせて60万円を求める訴訟を起こす文書を送るなどの対抗措置をとるとともに、 反省・謝罪した者との和解も呼びかけます。 和解金は二人分で10万円だそうです。   中心となって煽動したブロガーに対しては刑事告訴を検討しているとのことです。

 名前や住所が弁護士側に伝わることまで考えず、軽い気持ちで参加した請求者たちは、訴訟などの対抗措置で反撃されさぞかし驚いたでしょう。    そもそも「懲戒請求」がどういうものかさえ理解していなかった人も多かったでしょう。  「こんなことになるとは思わなかった」と動揺し慌てて和解金を支払った人も少なからずいるようです。   最高裁の判例では、事実上または法律上の根拠を欠く場合において、請求者がそのことを知りながら、または普通の注意を払えば知りえたのに、あえて懲戒請求していれば不法行為にあたるとされているようです。

 弁護士によると懲戒請求した人は中高年がほとんどで、女性もかなり多いといいます。  懲戒請求をした理由については、ブログを見て触発され、「これで日本が良くなると思った」、「日本のことを考えてやった」、 「時代を変えられると思った」、などと話しているそうです。  賛同者たちのほとんどは、根っからの「ネトウヨ」と言うわけではなさそうです。

 どんなことにも動機と結末があります。  確たる信念で行った行為ならともかく、「日本人と在日朝鮮人との戦いが始まった」などというブログの内容を鵜呑みにし、 政治的主張への賛同署名でもするかのように気軽に参加して、朝鮮人学校の補助金問題と無関係な弁護士にまで懲戒請求をしてしまったら、ゴメンナサイではすまなくなります。

 まさに、「ネット空間の無責任な言説にあおられた軽率な行動が、実社会で法的制裁を受けようとしている」事態となってしまったわけです。    これをやったらどうなるか、結果責任はとれるのか、一人の人間から仕事を奪う行動を取るに際し、事実関係は確認したのか.....自分の頭で物事を考えるクセはつけておくべきです。

 賛同者のほとんどは、日本人としての愛国心から、『反日思想を植えつける朝鮮学校にどうして国民の税金を使うんだ』、 という単純な思いからの行動であって、決して排外主義的な特定民族蔑視の差別主義者ではないでしょう。   ただ、弁護士から逆襲されて初めて事の重大さに気づく、 というのでは、ヒトラーのような狂信者に煽られ戦争へと誘導されてしまったドイツのような恐ろしい社会になってしまいます。

 今回の一連の出来事は、人間のある心理(不公平感、不条理感など)を上手く突けば、深く考えもせずブログの言説を疑いもせず頭から信じ込み、 扇動者の言うがままに行動する人たちが大勢いる、という現実を見せつけられました。  簡単に特定の思想を植えつけ洗脳してしまうネット社会の怖さを思い知らされます。

 このあたりは、国民に疑念を抱かせたら儲けもの、とばかりに確たる証拠も無いのに連日飽きもせず『森友・加計問題』を追及する野党の働きかけに大衆が扇動され、 安倍政権の支持率が低下した2017〜2018年頃の日本社会の動きと似ています。   コワイ社会になったものです。

 ただ、対する弁護士たちの取った反撃行動もどうなのでしょう。  和解金を支払ったら許す、いうことを聞かないと裁判に持ち込むぞ、というのでは懲戒請求した市民を恫喝していることにならないでしょうか。  そもそも懲戒請求というのは物申せない一般大衆が力のある相手に対して取れる対抗手段だったはずです。

 今回の一連の出来事は、なんの権限も権力も持たない市民が、反日教育に勤しむ朝鮮学校に税金から補助金を出すことに反対なのに、 権力を持つ弁護士側が、イヤ補助金は出すべきだと主張することに対して起こした対抗行動、という図式で考えれば、 懲戒請求という制度がある限り当然起こりえる事態だったはずで、気に入らない文句をいったらツブスぞ、というのではこの制度の意味はありません。

 ターゲットにされてしまった弁護士側としては、「存在しない事実について、大量の懲戒請求を申し立てられた」、ことで精神的苦痛を被った、業務に支障を来した、という理由からの対抗手段のようです。   見過ごすことはできない気持ちも理解できるのですが、なにか別な対応方法はなかったのでしょうか。   懲戒請求されたとしても綱紀委員会が一括で処理し、正当な理由がなければ一括却下されるので弁護士にはほとんど負担がないともいわれますが、自分で対応するしかなかったのでしょうか。

 たしかにブログで一般大衆を煽り、相手方の主張を抹殺するため大量請求させる、というのもどうかとは思いますが、日本に向けミサイル発射を繰り返し、 核ミサイルで日本を火の海にするゾと恫喝する国の方針に基づいて、教科書で痛烈な日本批判を展開し子供たちを洗脳しているとされる朝鮮学校に、 どうして国税を投入するんだ、オカシイダロウ、という声は日本人の常識だと当然出てくるはずです。

 「反日教育する朝鮮学校にも補助金は出すべきだ」、 とする弁護士に懲戒請求までして反対する声は相当数あることだけは確かのようです。    大勢の市民が賛同したからこそ今回の出来事に発展したわけです。  権力を持っているものは、常に一定の批判を受けることは覚悟しなければいけない、ということかもしれません。

 今回のことで市民対弁護士という図式が作られてしまい、まっとうな人たちの懲戒請求でさえ弁護士の反撃が怖くて萎縮してしまって出せるものも出せなくなる、というのでは弁護士自治の機能が阻害されかねません。     今後大量懲戒請求に対処する制度を見直さない限り、このような出来事は今後も繰り返されるかもしれません。(2018.6.3)




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