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アジアの指導者たちに自信を与えた日本の功績

 1957年5月に来日したインドネシアのブン・トモ情報・宣伝相は、日本政府の要人に、

『....われわれアジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。  インドネシアの場合は三百五十年間も。  それなのに、日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、フランスをわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。     われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと思った。   一度持った自信は決して崩壊しない。  日本が敗北した時は、 これからの独立戦争は自力で遂行しなければならないと思った。  しかし、独力でやれば五十年かかると思っていたが、独立は以外に早く勝ち取ることができた。      そもそも大東亜戦争我々の戦争であり、 我々がやらねばならなかった。  そして実は我々の力でやりたかった。  それなのに日本だけに担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった......』(新歴史の真実・前野徹)、 と謝意を述べました。

 当時、16歳だったインド建国の父ネールは自伝に、「....日本の戦勝は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。  私の頭はナショナリスチックの意識でいっぱいになった。  インドをヨーロッパの隷属から、アジアをヨーロッパの隷属から救い出すことに思いをはせた」と記したそうです。

 また、中国革命の父、孫文も日本での講演で「....この戦争の影響がすぐ全アジアに伝わりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いた。 (中略)日本がロシアに勝って以来アジアの全民族は、ヨーロッパをうち破ることを考えるようになり独立運動がおこりました」、と述べたそうです。

 韓国出身の評論家・呉善花(お・そんふぁ)氏は、自身の経験を通し、 『....韓国では日本の朝鮮統治を、自民族に固有にふりかかった災難 という観点だけでとらえ、 人類史的なテーマとして植民地化の問題を追究する姿勢がまったく欠落している』、としています。     「日本がアジアを侵略した」などという説は戯言であり、 先の大戦を振り返るとき、植民地化問題にまで目を向けなければ、本当の姿は見えてきません。

 日本が植民地支配からの解放という偉業を成し遂げたのは歴史の事実であり、いってみれば、 日本は他国の発展に命をかけた国でもあります。  ところが、 戦後の近現代史の本の大部分は、当時の白人列強の残虐非道な植民地支配には目を背け、 「日本はアジアを独立に導いた「希望の光」」だったことは一切無視し、 どういうわけか植民地問題に終止符を打った日本だけが、 「戦争を起こした悪い国」にされ、いまだに ありもしない歴史問題に振り回されています。

 また、戦後のGHQ洗脳教育によって、 祖国を否定する反日思想が日本社会に蔓延した結果、 今もなお、ゆがんだ歴史観教育による、 「醜い部分だけをことさら強調する偏向教育」が行われ、 自由であるべき言論を封殺することが、堂々とまかり通る、 まことにおかしな社会となっています。(2014.12.19)


日本悪者説が堂々と蔓延る戦後の日本

 このため、「先の戦争で日本が果たした役割」は闇に葬られ、 日本人に誤った戦後史観が沁みついてしまった結果、 戦後80年近く経とうというのに、日本はいまだに教科書には自国の非が山ほど書かれ、 「日本人に罪悪感を刷り込んだ「WGIP」の呪縛」により 「日本は戦争を引き起こした悪い国」という、 自虐史観から、いまだに日本民族は抜け出せていません。

 これにより、進歩的文化人とやらがメディアに幅を利かし、 「日本がアジアを侵略した」 などという戯言(たわごと・いい加減でふざけた話)が蔓延り、既成事実化されてしまい、日本の未来を担う子供たちが使う進研ゼミの参考書には、 アジアにおける利権争いについて、 白人国家に対しては「権益を持っていた」としておきながら、 日本が手に入れた利権は「権益を奪っていった」と書かれるという、一方的な偏向思想が押し付けられています。

 さらに、白人列強国が有色人種国家を侵略し奴隷化するのを「文明化」としておきながら、有色人種の日本が東アジアの地から白人国家を追い払った行為は 「犯罪」と断定されるという、ホントに日本の教育書なのかと疑わざるを得ないような日本悪者説が、いまだに堂々と記載されている現状があります。     教育の場でさえ、このような偏向した見方がまかり通っていますが、日本国内にいまだに蔓延る反日思想 に支配されてしまい、 「日本悪玉説」に騙されてはなりません。

 そもそも、「従軍慰安婦を強制連行した」、 「南京大虐殺を引き起こした」、などと悪意に満ちた虚偽の自虐史観を、 ひたすら日本人に刷り込み続けてきた、反日思想の急先鋒を務める朝日新聞でさえ、 先の大戦中は「戦争することが正しい」として国民を戦場へと煽り立てた右翼新聞です。     それが今では、ご都合主義を丸出しにして、まさに振り子のようにミギ巻きからヒダリ巻きへと、 極端から極端に走る紙面作りをやっているのですから、まさに「何をか言わんや」(あきれてなにも言えない)な新聞なのです。

 このような反日勢力によって、現代でもいまだに日本悪者説が蔓延していますが、当時は当時なりの事情があったわけで、戦後の何もせずとも平和を享受できる立場に安住する、 いわゆる「進歩的文化人」とやらのように、 「日本に最初の一弾を撃たせたアメリカの謀略」さえ知らず、 偏った一方的な戦後史観に基づいた薄っぺらい正義感で、 祖国を断罪する愚は避けなければなりません。

 戦後の日本は、日本をダメにした政治家が次々に登場した結果、 なんとも情けないことにすっかり平和ボケしてしまい、21世紀の今 怪物国家・中国に頭のあがない国となり、挙句の果てには、 平和が突然破られ、ロシアがウクライナへ軍事侵攻しようが、 『我が国は丸腰を永遠に貫きます』、と堂々と宣言し、目の前の危機から目をそらすことしか能のない、軟弱政治家しかいない国となっています。     困ったものです。(2022.3.10)


まんまと戦勝国側の思惑に洗脳されてしまった日本人

 昭和天皇は、戦犯として裁かれる危険性があった昭和21年1月、新日本建設の詔勅(しょうちょく・天皇の意思)で、「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、(略)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、 延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」と断言され、日本が世界征服を目指していたとするポツダム宣言を完全に否定しています。

 当時の日本は、白人列強が世界中の有色人国家を植民地支配し、 有色人種を奴隷化し資源を搾取するなどやりたい放題だったアジア地域において、たった一国で 植民地拡大を図る欧米列強国と対峙しつつ、北辺から押し寄せてくるロシアとも対決せざるを得ない状況に置かれていました。

 そうした中、日本の抹殺を図ったアメリカの思惑通り、やむに已まれず戦争への道を選ばざるを得ない立場に追い込まれた日本が、 東アジアに軍事進行して、破竹の勢いで勝ち進み、現地の人々を支配していた白人列強を、 その地域から追い払ったのは歴史の事実です。  その過程において、現地に迷惑をかけたのは確かであり、 戦後の日本は過去何度も謝罪を繰り返し、金銭的補償も行ってきました。    しかし、有色人国家に武力侵攻し、土地や資源を奪い奴隷として拉致し売買するなどし、やりたい放題だった欧米列強は、賠償どころか謝罪さえしていません。

 日本がとった行動には、西洋の帝国主義に搾取支配されていたアジアやアフリカの国々を、 解放へと導いたという側面もあったことは、 日本人であれば理解しておくべきではないでしょうか。

 その後、日本は敗戦に追い込まれ、1952年まで連合国の支配下に置かれますが、 「植民地支配からの解放」を目指し、 「生き残るための戦い」に打って出た日本には、共産主義者以外、負い目・引け目などありませんでした。       しかし、これまで散々有色人を自分たちより劣る劣等民族として牛耳ってきた白人列強としては、 自分たちを東南アジアの地から追い払い、「植民地支配合戦に終止符を打った」 憎っくき有色人国家日本に対し、 何としてもプロパガンダによりその功績を闇に葬り去る必要がありました。

 そこで、日本を占領したGHQは、「先の戦争は日本が引き起こした」という、日本人に戦争についての罪悪感を無理やり植えつけるための宣伝計画、 いわゆる「WGIP」によって、大戦中の出来事は 「全て日本が悪かった」、という自虐史観を日本民族に植え付けたのです。

 これにより、植民地支配の世界に終止符を打ったはずの日本の功績は捻じ曲げれ、戦後の学校教育においても、 日本の子供たちに祖国に対する誇りを失わせるため、 醜い部分だけをことさら強調する偏向教育による、 ゆがんだ歴史観教育が戦後長い間続き、 「戦うこと」はすなわち「悪」であるという価値観がしっかりと日本国民に刻まれてしまった結果、祖国存亡の危機に戦うかという質問に、 「NO」と答える割合が、先進国でもダントツに高い民族になり果てました。

 その結果、戦後80年近く経つ21世紀の日本社会において、いまだに『八紘一宇』を口にした途端、左翼メディアを始め反日勢力から一斉に、 『...日本が中国、東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンだ』、 などとヒステリックに非難され、問答無用で切り捨てられる社会が続いています。

 それどころか、白人列強による植民地支配を断ち切るという人類史に誇る役割を果たした日本民族が、 まんまと、「日本を悪者にしておかなければならない」、戦勝国側の思惑に洗脳され、あろうことか日本の首相でありながら、 「日本は侵略国である」と断定する 祖国を否定する日本人(デュープス)まで登場する始末です。

 このような反日勢力による頸木(くびき・自由を束縛するもの)が、徐々に綻びつつある現代においても、 「戦争は日本が悪い国だったから起きた」という悪意の刷り込みを拭い去るには、まだまだ時間がかかるかもしれません。   いつの日か『八紘一宇』と言う言葉が、 本来の意味として日本人に膾炙し、マハティール氏 が『....日本は自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい』と切望した国に、日本がいつの日かなることを信じたいものです。(2018.9.14)


「八紘一宇」の理念

 日本が唱えた大東亜細亜共栄圏というスローガンは、 「アジア地域を支配し植民地化していた欧米列強にとって、 非常に都合の悪いコトバでした。    だからこそ日本の敗戦後は 「日本人から誇りを奪う米国の戦略」により、 「大東亜戦争」は「太平洋戦争」という名称に変えられ、 欧米列強の植民地支配・人種差別からの脱却を目指した「八紘一宇(はっこういちう)」、「大東亜共栄圏」、さらに 「支那」などのワードともにタブー扱いされ、 日本の公文書では使用を禁じられてしまったのです。

 この事実は、このスローガンが、欧米列強にとっていかに都合が悪いもので、日本を悪玉に仕立てておくためには、 未来永劫絶対に表ざたにしたくないものであり、隠蔽せざるを得ないもの、ということを、日本人として理解しておくべきです。  逆に言えば、 そのスローガンの意味を知ることが、当時の日本が、 どうして米国相手の勝ち目のない戦争へ突き進んで行かざるを得なかったのか、 先の戦争における日本の立場を理解することにも繋がるわけです。

 先の戦争を語るとき、反日勢力は、欧米列強がアジア・アフリカを植民地支配し、有色人種を自分たちの奴隷にしていたという部分には一切触れず、 白人国家に支配されていた東アジア地域を日本が解放した史実は隠蔽し、『....日本は資源確保を目的にアジアへ侵略を開始した....』などといった論調で、 「先の戦争で日本が果たした役割」を葬り去ろうとするケースがまだまだ見受けられます。

 ほとんどの有色人種国家が欧米列強の侵略を受け植民地支配され、人種差別は当たり前という時代の中、日本は「アジア民族の独立」を目指し、 「それぞれの世界の人々が自分の生き方を守って、世界という屋根の下で幸せに暮らそう」、「各国がそれぞれの独自性を発揮し全体として調和が取れる世界」を目指そうという理念を掲げ、 「全世界を一軒の家のような状態にする」という意味の、『八紘一宇(はっこういちう)』というスローガン(合言葉)を提唱していました。

 当時日本がアジアを植民地支配していた欧米諸国に対抗して、アジアの自立を目指す「大東亜共栄圏」構想を掲げたのは"世界平和の思想"がベースであり、 米英のアジア植民地支配からの解放を目指し、現在のEU(欧州連合)のような東アジアの共同体を構築するのが狙いでした。  1943年(昭和18年)11月5日には、 アジア地域の民族独立を求める首脳が集まり、東京で近代史上初めて有色人種のみが一堂に会し、 『大東亜会議』を開催しています。

 大東亜細亜共栄圏(大東亜共栄圏)というコトバに関しても、 当時の列強による激しい植民地化競争にはあえて触れず、 『....東アジアにおける日本の軍事的、政治的、経済的支配の正当化を試みたものにほかならなかった....』として、日本悪者説から解説するケースが目立ちます。     ナゼ日本がその道を進まざるを得なかったのか、という部分には敢えて触れようとしないのです。

 たしかに当時の日本軍部には関東軍のような、 天皇の意見を無視し満州事変まで発展させてしまった暴走勢力が存在していたのも事実ですが、 基本的に天皇は平和主義者であり、朝鮮半島を日本のような近代国家として自立させ同盟を結ぼうと考え、 天皇の勅使を朝鮮に送り近代化推進と国交樹立の提案を行っているように、 最初から武力で他国を侵略する意図を持つ国ではありませんでした。  日本が勝ち目のない戦争へと引きずり込まれたのは、 日本の抹殺を図ったアメリカが、和平の道を絶ったからに他ならないのです。(2014.12.19)


「八紘一宇」を日本叩きのネタにする反日たち

 もし、「八紘一宇」、「大東亜戦争」、「大東亜共栄圏」といったスローガンが、本当に反日の主張する「軍国主義国・日本を表す」のであれば、 戦後日本を占領支配した連合国側は、「好戦国・日本」の象徴として大いに利用したはずです。      それなのに、公文書に使用を禁じるほど隠したかった、というのは妙な話です。  つまり、チョッと頭を働かせれば、このスローガンは、 有色人種を植民地支配していた白人列強にとって、「はなはだ都合が悪い」ものであり、 抹殺しなければならないものだった、という想像がつくハズです。

 ところが、戦後のゆがんだ歴史観教育によって 『日本はアジアに侵略した悪い国だった』、「戦争は日本が悪い国だから起こった」とする洗脳教育が長い間行われ、 日本は他国を侵略した軍国主義国家だったと信じ込まされてきた結果、 「八紘一宇」などと口にしようものなら、「デュープス」たちが血相変えて、 『日本が中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンだ』、と激しく非難してくる異常な社会が、いまだに続いています。

 あらゆる編見は、その文化特有の象徴を誤解することから生じるといいます。   他国を武力で侵略し、あちこちに植民地を作っては奴隷として連れ去り、利権を独り占めしていた国は、 七つの海を制覇した栄光の大英帝国などと持て囃される一方で、アジアを植民地支配していた白人侵略国家に、自らの生き残りをかけ果敢に立ち向かい、 彼らを追い払った日本は侵略国家だと批判される不条理がまかり通っています。

 GHQが戦後の日本人に戦争の罪を着せる目的で行った「日本は戦争を起こした悪い国」というプロパガンダに支配された 厄介な宗教「反日教」の信徒たちによって、21世紀の日本社会においてさえ、 自由であるべき言論が妨害される言論テロが起きているのです。   思い込みとは、実に怖いものです。

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長ストークス氏は、 『....白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンスです』、と語っています。     また、『....日本の将兵が宣教師のような使命感に駆られて、アジア諸民族を独立へ導いた。  アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。  西洋人は世界史を見直すべきです』、とも語っています。

 真実は一つですが、物事の捉え方は善悪ではなく思い込みで左右されます。   世界中を植民地化せんと躍起になっていた当時の欧米列強が、 利権を求めアジアを侵略し植民地化していた振る舞いについては、非道などと考えないのに、 欧米列強のアジア支配拡大を食い止めるため起こした大東亜戦争(太平洋戦争)を、 『祖国防衛・アジア解放戦争』と捉えず、 侵略戦争だったと言い張る日本人もいます。

 戦時中、欧米列強の植民地支配合戦に震え上がり、「大戦中何もできなかった」 中韓は、いまだに日本を目の敵にし、口を開けば「歴史を直視しろ」とか、「日本の戦争責任」を持ち出し、 飽きもせず新たな歴史戦を仕掛けています。   しかし、 彼らがいかに「日本軍残虐説」を唱え捏造歴史を持ち出そうが、 欧米列強相手に一歩も引かず渡り合い、アジアの地から彼らを追い払い、『有色人種を白人支配から解放独立させた』、という日本が成し遂げた栄光の歴史は、 変えられません。

 いまや、WGIPによる「反日日本人」育成の歴史 もすっかりネタバレしています。    反日メディアやサヨク、中韓が、アジアの一角に進出した日本の役割をどう否定しようが、彼らが主張する捏造歴史がそのまま通じる時代ではありません。  「反日教」の信徒たちも、 いいかげん洗脳から目覚め、日本悪者説は氷解(疑念や疑惑がすっかりなくなること)していい頃です。   戦後も70年以上経過したのですから、そろそろ、 「100年前の出来事のためにひざまずく」ことは止めるべきです。

 アインシュタインは熱烈な日本ファンだったとされますが、 1922年11月に日本を訪問した際、 概略次の言葉を残しているとされます。

『.....近代日本の発展ほど世界を驚かせたものは無い。 一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。  .....この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。  ....世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。   それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。  我々は神に感謝する。  我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを.....』。(新歴史の真実・前野徹)

 アインシュタインはこんな事は言っていないという説もありますが、日本びいきの彼が平和を象徴する日本の天皇が世界の盟主であれば、 武力に頼らずとも世界平和が実現できると断言した、と信じ込んでもバチはあたらないでしょう。   それこそが正に「八紘一宇の精神」なのですから。(2018.9.14)


敗戦で捻じ曲げられた日本の功績

   日本も祖国存亡の危機に何度も見舞われましたが、日本は正々堂々と戦って相手を力で打ち負かし、 世界の一等国(列強)の仲間入りを果たし、当時アジアで唯一世界政治に関与できる強国となったのです。

   太平洋戦争に敗れた直後の日本は、旧ドイツや今の朝鮮半島のようにあわや祖国分断という重大な危機に見舞われました。    敗戦により銃を置いた日本でしたが、終戦直後のどさくさに紛れ、1945年8月18日未明、突如ソ連軍が北海道占領を目論み、 当時日本の領土だった千島列島に火事場泥棒的侵攻を企てたのです。

 この国家存亡の危機に、日本軍は祖国防衛のため急遽装備品をかき集め、終戦で故郷に帰れるはずだった将兵達により部隊を再編成。   必死の防衛戦によりソ連軍侵攻作戦を水際で食い止め、かろうじて祖国分断の危機を乗り越えました。  日本は最後まで自力で祖国を守ったのです。

 中韓は今頃になって、生き残るため戦わなければならなかった当時の世界情勢には目を背け、 『日本に支配された』などと泣き言を並べ立てますが、当時の力の弱い国は強国に支配されてしまうのが当たり前だった時代、 彼らは自らの力で祖国を守るか、日本と同盟関係を結び協力して白人列強に立ち向かうべきだったのです。    自分達が何も出来なかった腹いせに日本批判するのは、 もういい加減やめにすべきです。(2014.12.19)

 太平洋戦争に敗れた日本は、1952年のサンフランシスコ講和条約で独立を回復するまで連合国の支配下に置かれます。   そして裁判とは名ばかりの、連合国側の復讐劇とも言われる東京裁判によって、 白人のアジア侵略を止めるどころか、植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打たせた、 人類史上特筆されるべき日本の果たした功績は闇に葬られました。

 GHQの占領下で行われた「戦後教育プログラム(WGIP)」によって、「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけ、祖国に対する誇りを失わせる洗脳教育」が行われた結果、 「反日日本人」が大量生産されます。  さらに日教組によるゆがんだ歴史観教育が追い討ちをかけます。    つい最近まで日本の教育現場においては、祖国を否定する反日思想教育が堂々と行われていたのです。

祖国を否定する反日思想の日本人まで登場する始末です。

 その洗脳教育を真に受けた一部の反日日本人が、中韓による日本叩きの先兵となり、日本を謝罪国家のままの立場にしようと、一生懸命過去の戦争で日本が引き起こしたアラ捜しをしている現状があります。   弱い国の運命というものは、強者の思惑によってアッサリと左右されてしまうのです。

 韓国人は今の平和な時代に身をお置き、いまさら自分たちに都合のいい理屈でもって、過去の血で血を洗う荒んだ時代だった大昔の日本統治時代に起こった出来事についてアレコレ文句を言い、 今なお政治的問題にし過去を追及するのが大好きなようですが、ソロソロ現実の世界に戻ってもらいたいものです。

 そもそも朝鮮をシナの支配から解放させ、 35年間併合し韓国近代化に尽力した日本に不満を言うのなら、 どうして何百年も属国の立場のまま不当に支配され、好き勝手に振舞ったシナを批判しないのでしょうか。   韓国は、そんな泣き言を今更訴えてもシナは耳を貸さないことを分かっているからやらないのであり、 相手を見て判断しているのです。(2019.2.3)


世界政治に関与できる国となった日本

 明治維新以降、日本は朝鮮半島を日本のアキレス腱と看做(みな)し、この地に西欧列強、ことにロシアの勢力が深く入り込めば、 極東の安全保障が重大な危機に陥る危険性があることを警戒していました。   そこで天皇の勅使を送り朝鮮と同盟関係を構築しようとしますが、大国清の言いなりだった朝鮮はこれを拒否。  やがて日本は清との戦い(日清戦争)に臨むこととなります。

 この戦いに敗れた清の弱体化に付け込んだロシアは、三国干渉 で清に返還された遼東半島を租借、さらに極東への進出(南下政策)を強化、満州全土を制圧し、朝鮮半島にまで勢力を伸ばしてきます。

 朝鮮も親露派の政権が誕生するなどロシアにすり寄り、 日本を取り巻くアジア情勢は緊迫の度を加えて行くようになります。  そこで日本はロシアの極東地域進出に歯止めをかけるため、 日本の何倍も国力のあった強国ロシアを相手に1904(明治37)年2月8日「日露戦争」に挑みます。

 この戦いでは先人たちの死に物狂いの奮戦により大国ロシアをかろうじて打ち負かし、朝鮮半島がロシアの植民地になることを回避することができました。    さらに、この勝利によりロシアは満州および朝鮮から撤兵し、 日本に樺太の南部を割譲することになります。  東アジアの小国だった日本が、 世界最強陸軍国とされていた大国ロシアを打ち負かしたことは「文明史的大事件」であり、 当時の世界の常識からすると天地がひっくり返るほどの大事件でした。(この戦いの一つが日本海海戦)

 日本が大国ロシアを相手に勝利したことは、それまで白人国家の植民地支配化にあったインド、トルコ、インドネシア、エジプト、中国などの有色人国においても自分たちが勝利したかのごとく大喜びします。     ロシアから嫌がらせを受けていたフィンランドやスウェーデンといった白人国も祝福します。

 「日露戦争」の勝利がアジア・アフリカの諸民族を大いに勇気づけ、「自分たちも日本に倣おう」という機運を高めていったことは歴史の事実です。   その後に続く、白人国家に支配された世界の解放、 という日本が果たした大きな役割は歴史に残る快挙でした。  日本が果たした役割はとてつもなく大きくかつ有意義なものだったのです。   しかしながら、 戦後日本を占領支配したGHQの戦後政策により、 世界各国の歴史教科書で特筆されているほどの出来事であるはずの「日露戦争勝利」が、現代でも日本の歴史教育ではほとんど触れていない偏った歴史教育がまかり通っています。

 「日露戦争」に勝利したことで、日本は世界の「一等国(列強)の仲間入り」を果たし、 アジアで唯一列強国として世界政治に参画できるようになったのです。   当時の列強国の条件は、強い軍隊、植民地をもち、世界の政治を軍事衝突であれ話し合いであれ、 対等な立場で相手とやり取りできる国家とされます。   「日露戦争」の前までの世界の列強国は、「アメリカ」、「イギリス」、「フランス」、「オランダ」、「ドイツ」、「ロシア」、 「イタリア」という白人国家のみで、アジアには世界政治に関与できる国は存在していませんでした。

 しかし、東アジアの強国となった日本の存在は、やがて日本を取り巻く国際情勢に影を落とすようになっていきます。   世界中を植民地支配し有色人種を奴隷にしていた彼ら白人帝国にとって、 自分達が絶対優勢だったアジア地域に、その後「大東亜共栄圏」という植民地支配からの解放を掲げる有色人種・日本が存在していることは、放置出来るものではなかったのです。

 いまだに人種差別的な事件が報道されるアメリカですが、もともと白人には「根深い白人至上主義」があるとされます。   日本と同盟国だったイギリスでさえ白人大国が有色人国家に負けたことに衝撃を受け、 満州権益を狙うアメリカもアジアの地に出現した強力なライバルを警戒、敵視するようになっていきます。

 この動きがやがて日本抹殺へと向かうようになり、やがて兵糧攻めにあった日本が、 敵将マッカーサーですら認めた「死中活路を見出した戦い」大東亜戦争(太平洋戦争)へと突き進むのです。(2014.12.19)


当時の日本が置かれた立場

 結局、誰もが「勝ち目のない戦」と自覚していたのに、ズルズルと戦争への道へ突っ走った背景には、「物事をウヤムヤにして玉虫色の決定でお茶を濁そうとする」日本人の気質が、 「議論を尽くして、なにも決まらない」意思決定システムを創り上げた結果、戦争準備と外交をともに推進するという国策が決定され、その後の「捨てばちの戦」へ向かうわけです。

 アメリカの女性東洋学者ヘレン・ミアーズ氏は、 「....当時の日本は決して欲張った拡張政策を取るつもりは無く、ロシアの南進政策に対抗して 朝鮮半島と満州を治め、 イギリスとの話し合いで華北(かほく・中国北部の呼称)に一定の権利を確保するということであり、その後弱冠の変化はあっても当時の西欧列強が行なっていたアジア支配の流れと比較して、 決して過度なものではなかった...」、 と当時の日本が置かれた立場を正当に評価しています。

 日本に支配された中韓や、日本のせいで植民地を失った白人国家は、当時の「生き残るため戦わなければならなかった時代」の出来事を、 「日本がアジアを侵略した」などと一方的に批判します。      しかし、白人国家が有色人国家を侵略するのは「文明化」で許され、有色人種の日本が白人支配地へ侵攻して彼らを追い払ったことを 「犯罪」と非難するのは、そもそもおかしな話です。

 その証拠に、戦後に日本を訪れたインドネシアのブン・トモ情報・宣伝相は、 『.....大東亜戦争(太平洋戦争)は 我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。   日本だけに担当させ、 少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった......』、と謝意を述べています。(2014.12.19)


当時のアジアの情勢

 歴史を紐解けば、世界の歴史は戦争の歴史といっても過言ではありません。  ヨーロッパにおいても激しい領土争い が長年に渡り繰り広げられてきました。  植民地どころか国そのものが消滅する戦いが過去何度も起こってきており、 日本周辺でも激しい植民地支配合戦が繰り広げられ、 日本はアジア地域においてたった一国で欧米の白人強国と対峙しつつ、 北辺から押し寄せてくるロシアとも対決せざるを得ない、という絶体絶命な状況におかれていたのです。

 当時は実に世界の8割強が白人国家により植民地化され、日本の周辺では帝政ロシアによる南下政策が行われ、 イギリスも清(今の中国)を半植民地化 して東南アジアに進出しており、アメリカを含めた世界の3大勢力は日本周辺において激しい植民地化競争を繰り広げていました。

 そんなアジアや世界の弱小国家が次々とロシアや欧米の帝国主義国家の植民地(租借地)となっていた世界情勢の中、日本は当初、支那(現中国)、朝鮮民族と同盟を結ぶことによって アジアの団結を図り、欧米諸国から自国の領土を守ることが理想だと考えていました。

 しかし、現実はとても理想主義でアジアの安定が保たれる世界情勢でありませんでした。  福沢諭吉は明治18年に「時事新報」の社説に、 『...近隣諸国にはシナと朝鮮があるが(中略)両国が独立を維持するのは不可能であり 、 数年たたぬうちに西洋諸国に分割されてしまうだろう。.... むしろ日本は両国と手を切り、欧米諸国と行動をともにし、 シナ・朝鮮に対しては西洋人とおなじように接するべきだ。....』と明治国家の進むべき将来像となる「脱亜論」を掲げています。

 その後の日本は、当時の弱肉強食の世界において、欧米、ロシアによるアジア周辺における激しい植民地化競争の荒波の中必死で戦い、アジアに進出しアジア・アフリカを統治していた西洋人を打ち負かし追い払い、 白人列強を極東アジアから一掃し独立解放へと導いた国だった、というのは歴史の事実です。    未だに日本を敵視する中韓は、本来ならば日本に感謝すべきなのです。

 しかし、当時支那の属国として虐げられ、政治腐敗が蔓延し、硬直し前近代的封建社会だった韓国は、 今頃になって、日本に併合され支配されたなどと泣き言を言って、「日本は韓国を併合したのだから、韓国に優しくしなければならない」、 などと理不尽な言いがかりをつけ日本にタカリ続けています。   その上、 戦中から戦後にかけ、散々日本から物心両面で多大な援助を受けておきながら、 日本を悪し様に罵るのを止めません。

 韓国が曲がりなりにも独立国家となったのは、 日本の力で支那の頚木から解放してもらい、 日本によって独立国家・大韓帝国として成立が叶い、 さらにその近代化は日本人の多額の血税によって、 「日本にオンブしてもらって成し遂げられた」という、 日本の尽力があったればこそだったはずです。

 中国、韓国は、自分達の不甲斐なさには頬かむりしたまま、日本を悪者扱いし一方的に非難するだけですが、少しはブン・トモ氏を見習って欲しいものです。   韓国も、なぜ日本に併合されたか、 「日本に併合された歴史」を直視すべきであり、いまさら恨み言を並べてもせん無い事です。(2018.9.14)


揺れ動く東アジア情勢

 世界中の有色人国が列強諸国による植民地支配を受けていた時代、 日本は朝鮮を日本のような近代国家として自立させ同盟を結ぼうと考え、 天皇の勅使を朝鮮に送り近代化推進と国交樹立の提案まで行っていました。   しかし、朝鮮を隷属国とする清はこれを認めず、 日清の対立は決定的となっていき、やがて「日清戦争」へと発展します。

 日本は「日清戦争」 の勝利により清国から朝鮮を独立させて以降、内政改革を進め東アジアの安定化を図ろうと努力していました。   このときまでは、日本は朝鮮の近代化を進め日本のよきパートナーとなるよう、 朝鮮が自主独立国家として自立できるよう努力したのです。

 しかし、懸命に朝鮮の内政改革を進めようとする日本に対し、朝鮮守旧派は改革の妨害などで抵抗、 ロシアに接近していくようになり、 東アジアの混乱と危機がますます深まっていくようになります。    日本のアキレス腱ともいえる朝鮮半島に位置する韓国は、統治能力の欠如により、 節操なく清やロシアにすり寄っては、相手の思惑に振り回され捨てられる、ということを繰り返してきたのです。

 日本のアキレス腱ともいえる朝鮮半島に位置する、韓国のこのような不穏な動きに、東アジアの安全保障を危惧する日本は、 日露戦争中の1905年(明治38年)7月29日にアメリカ合衆国特使ウィリアム・タフト陸軍長官と会談します。

 この席で内閣総理大臣兼臨時外務大臣だった桂太郎は、「大韓帝国政府(の腰の定まらない統治力)が日露戦争の直接の原因」、と指摘。  「大韓帝国政府が単独で放置されていたら、再び他国と条約を結んで日本を戦争に巻き込むだろう」。  従って日本は 「大韓帝国政府が再度別の外国と手を結ぶことを防がなければならない」と主張します。

 これに対しタフト特使は、「大韓帝国が日本の保護国となる ことが東アジアの安定性に直接貢献する」と日本に同意。  「日本の朝鮮における指導的地位を認める」ことになります。   アメリカも腰の定まらない韓国の動きを警戒したわけです。   アメリカ公使アレンも、ロシアの影響が完全に撤退されて以降、韓国の統治能力ますますひどくなったとして、 「朝鮮人は外国勢力とそのアドバイスに学ばなければならない」、としています。

 「南下政策を進めるロシアにすり寄る韓国」に対し、安全保障上の脅威とみなした日本は、 こうして米英ら国際社会から朝鮮統治の承認を受け、韓国を保護国化から「韓国併合」 へと大きく舵を切ったわけです。   今の平和な時代と違い、世界中に植民地支配の嵐が吹き荒れ、戦うか支配されるかという過酷なあの時代は、 当時なりの致し方ない事情があったうえでの併合であり、決して武力で侵略し支配したわけではなかったのです。

 日本の行動を決して正当化するわけではありませんが、食うか食われるかの弱肉強食の時代、朝鮮を近代国家として自立させ同盟を結ぼうと、 天皇の勅使を何度も朝鮮に送ったにもかかわらず無視されたため、 「止むに止まれず韓国を統治した」のです。

 当時の日本は、あくまで当時の強国と同様国際法に則り満州、朝鮮、 台湾を「併合」したもので、それまでの欧米によるアジア・アフリカ諸国への一方的な 「植民地化」とは全く異なるものでした。    日本だけが侵略戦争を行ったわけではないのです。(2018.12.11)


生き残るため戦わなければならなかった時代

 当時の強国が弱小国を武力で支配し植民地支配していた無法時代、アジアで植民地支配を受けなかった国は日本とタイ、ネパールだけです。  しかも、 タイ、ネパールは強国の保護国だったという理由で植民地支配されなかっただけであり、 有史以来、有色人種で他民族の支配を受けず独立を守り通した日本のような国はありません。

 それどころか、日本はアジア・アフリカを植民地統治してきた西洋国家と正々堂々と渡り合い、激しい植民地化競争を生き抜き、白人国家をアジアの地から追い払い、 アジア諸民族を独立へと導いた アジアの解放者だったのです。

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のストークス氏は、『....確かに日本が欧米諸国が支配していたアジア各地の植民地に軍事進攻したことは事実です。  しかし、 それ以前にアジアに侵略して植民地にしていたのは欧米諸国です.....アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。    西洋人は世界史を見直すべきです....』、と日本を正当に評価してくれています。

 タイのククリット・プラモード元首相は、《....日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。....今日東南アジアの諸国民が、 米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか.....。 》(本当は戦争で感謝された日本 井上和彦) と大東亜戦争における日本の功績を賞賛しています。

 反日勢力が白人国家が有色人国家を侵略し食いモノにしていた当時の世界情勢について、いかに「日本がアジアへ侵略戦争を仕掛けた」と叫ぼうが、 日本は白人強国による植民地支配を断ち切るという、 かつて世界のどの国も成し得なかった役割を果たした国であることは誰も否定できません。

 日本のアジア進出は、戦前から日本が主張していたように白人国家に支配されていた有色民族の解放戦とみる方が妥当であり、 日本人は中韓反日勢力が歴史を直視しない作為的な論議で唱える「日本悪玉論」などに惑わされず、 「白人列強による植民地支配に終止符を打った国」 であったという歴史の事実に誇りを持つべきです。(2014.12.19)

 中韓は今頃になって、生き残るため戦わなければならなかった当時の世界情勢に目を背けたまま、 『日本に支配された』などと泣き言を並べ立てますが、当時の力の弱い国は強国に支配されてしまうのが当たり前だった時代、 彼らは自らの力で祖国を守るか、日本と同盟関係を結び協力して白人列強に立ち向かうべきだったのです。    自分達が何も出来なかった腹いせに日本批判するのは、 もういい加減やめにすべきです。(2022.3.17)


太平洋戦争へ突き進まざるを得なかった日本

 「アジアの解放者」日本の台頭により、劣等民族であるアジア有色人種の自立が実現しようものなら、白人列強がアジアに持つ植民地も解放しなければならず、 そうなればもともと資源が不足していた米国以外の白人国家は破産です。  だからこそ日本の主張は潰され、国際連盟から脱退せざるを得ない立場に追い込まれていくのです。

 現代では先の戦争を「太平洋戦争」と呼ぶのが一般的ですが、当時の日本は「欧米諸国によるアジア植民地化を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、 という大義のもと、支那事変から太平洋戦争に至る戦いを、「大東亜戦争」と称していました。

 大戦中日本はビルマやマレー、インドシナ、フィリピンなどアジア各地で現地の人びとを戦火の巻き添えにしたことは事実ですが、先に侵略してそこに居座っていた 白人国家と戦って追い払ったのであり、日本はけっして現地の人びとを敵としたり、 ましてや植民地支配したわけではありません。    先にアジア・アフリカに侵略し植民地にしていたのは欧米諸国で、アジア諸民族を独立へと導いたのは日本の働きだった、という事実に目を向けなければ、 日本が戦争への道へ突き進んだ本当の理由が見えてきません。

 日本はアジア諸民族を独立へと導いた、歴史に残る偉業を成し遂げた国です。    アジア各国のみならず、世界中の有色人種の人々は、日本が白人国家を次々と打ち破る姿を目の当たりにしたとき、 「神のような存在だった白人を、自分たちと同じ有色人種の日本が叩き潰す様」を知り、皆狂喜したのです。

 ところが、戦後の日本には、GHQによる「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつける戦後教育プログラム(WGIP)」により、 「日本がアジアに対し侵略戦争を仕掛け、周辺諸国に大きな迷惑をかけた」、「日本は戦争を起こした悪い国」、 という戦後教育による国民の洗脳が徹底して行われました。

 そのため、いまだに日本国民には「贖罪意識を植え付けられたまま」で、現在に至る迄、反日国家、中国・韓国によるバカバカしい、 無限の謝罪要求に悩まされ続けています。

 しかし、中・韓・反日がどんな言いがかりをつけようが、先の戦争の本質は、白人国家がアジア全域を独占的に植民地支配していた時代、「有色人種の日本が見過ごすことは出来ず、 自らの影響力を行使した」戦いだったのです。   当時の強い民族が弱い民族を侵略支配するのが当然だった「植民地問題」に敢然と立ち向かい、 白人列強によるアジア植民地支配という悪夢を断ち切った国だったという事実は変わりません。

 世界中でいまだに日本の戦争責任を追及するのは、 大戦中何もできなかった中国と韓国だけです。    彼らは大戦中白人強国によって牛耳られていた国です。   そんな彼らにとって、白人列強に世界中の有色人種国でただ一国立ち向かい、孤軍奮闘した日本との違いが浮き彫りになってしまえば、 国際社会における影響力が弱まることを恐れ、どうしても「日本は侵略国」にしておく必要があるのです。

 日本人はそんな雑音に惑わされず、当時アジアはおろか、世界中の有色人種の国で、白人勢力に立ち向かえるのは日本ただ一国だったとき、 これ以上の欧米列強のアジア支配拡大を食い止めるため、アジアの一角に進出していく道をとらざるを得なくなった日本を取り巻く世界事情と、 あの戦争で日本が果たした役割は、把握しておくべきではないでしょうか。(2014.12.19)


日本の独立自尊を賭けた戦い

 物事は枝葉にだけ目を奪われてしまうと全体が見えなくなるといいます。  当時の世界情勢と日本の立場を考えれば、 あの戦争は間違いだった、日本は過ちを犯した、と単純に決め付けられるものではなかったはずです。

 世界の歴史は戦争の歴史といっても過言ではありません。 植民地どころか国そのものが消滅する戦いが過去何度も起こってきました。  ヨーロッパにおいても長年に渡り激しい領土争いが繰り広げられてきました。 

 列強が他国の領土を武力で奪い合い、世界の8割強が白人国家により植民地化されていた世界情勢で、 日本はアジア地域においてたった一国で欧米の白人強国と対峙しつつ、 北辺から押し寄せてくるロシアとも対決せざるを得ない、という状況の中におかれていたのです。

 アジア周辺地域において繰り広げられた、白人国家による激しい植民地化競争の中、日本はアジアに進出して彼らを打ち負かし追い払い、アジア地域における 独立解放運動へと導いたのです。

 中国・韓国はいまだに日本がアジアに侵略戦争したと言い張りますが、日本の戦いはアジアへの侵略戦争などというものではなく、「祖国防衛・アジア解放戦争」という側面があったのです。   中国、韓国も日本を叩くのではなく、本来なら日本のようにアジア民族として列強に立ち向かわなければならなかったのです。 ムリだったでしょうが........。

 アジア・アフリカ地域を食い物にしていた白人勢力を駆逐し、民族の独立意識を高めさせ、1941年にたった数カ国だった独立国を、 1952年にはアフリカを含め百カ国以上までしたのは、間違いなく日本の力でした。(2014.12.19)


日本が戦争への道へ突き進んだ本当の理由

 「日露戦争」に勝利し、 世界の一等国(列強)の仲間入りを果たした日本は、 強い民族が弱い民族を征服してきた人類の歴史において、 これ以上欧米列強のアジア支配拡大を食い止めるため、「アジアの解放者」としてアジアに進出していきます。

 日本は第一次世界大戦の参戦を好機として、 中国大陸進出への動きを本格化させ、 満州を建国するなど帝国主義的な領土拡張を推し進めます。   しかし、 これによりアメリカ・イギリスなどが日本警戒の動きを強め、中国大陸政策をめぐる日本と米欧の対立が高まります。

 満州権益を狙っていたアメリカや、ミャンマー(ビルマ)、マレーシアなどを支配していたイギリス、インドネシアやジャワ、 ボルネオなどを支配していたオランダ、ラオス、カンボジアなどを支配していたフランスなどは、自分たちがアジアに持つ権益を守るため、 日本が白人列強国と伍してアジアに影響力を持つ事態は、なんとしても食い止める必要がありました。

 そこで白人列強は日本の勢力拡大を阻止し抹殺するため、日本を戦いの場に引きずり出す策略を企てます。  1930年代後半から日本に対し貿易制限、 いわゆる「ABCD包囲網」の経済制裁をかけ、日本に対し資源や石油の輸出を絶つ兵糧攻めを仕掛けます。    これにより日本は石油や鉄を禁輸され、戦うか降伏するかの選択を迫られたのです。

 1941年11月26日、アメリカは「ハル・ノート」と呼ばれる最終提案を日本に突き付けます。     「ハル・ノート」は、 「中国大陸からの日本軍の撤退」、「日独伊三国軍事同盟の破棄」、「重慶の国民党政府以外の否認」など日本存亡に直結する厳しい要求で、 到底日本側が受け入れられる内容ではありませんでした。

  この要求はイギリスの戦史家ベイジル・リデル=ハートが、「....いかなる国にも、このような要求を受けいれることは不可能だった」と述べているほどの外交上の暴挙であり、 日本に最初の一弾を撃たせるためのアメリカの謀略でした。  戦後になり、ハル・ノート作成の背後に、 日米分断を企てるソ連コミンテルン(共産主義組織)の策略があったことが明らかになっています。

 これが決定打となり、「生き残るための戦い」大東亜戦争(太平洋戦争)へ突き進まざるを得ない立場へ追い込まれた日本は、1941年12月8日、とうとう「真珠湾」攻撃と同時に南方戦線でも戦端を開くのです。    戦後米国占領軍の指揮官を務めたマッカーサーでさえ、 「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった.....」、 と認めています。

 この後、「アジアの解放者」として米欧軍相手に半年間は連戦連勝で大活躍した日本軍ですが、その後は負け戦が続き、 やがて敗戦を迎えることになっていきます。  いずれにせよ、白人強国によるアジア諸国の植民地争奪戦が続く限り、 日米の戦争は避けられない運命だったのです。   日本が「アジアの解放者」だった証拠に、 アジア各国の日本に対する好感度はトップです。

 ところが、「大戦中何もできなかった中韓」だけが、 いまだに日本に異常な嫉妬を抱き、日本叩きを止めようとしません。  中韓や反日らは「日本が成し遂げた植民地支配からの解放」という金字塔を、 何としても「日本はアジアを侵略した悪い国」という方向に捻じ曲げようと、 執念深く捏造した歴史戦を仕掛けてくるのです。(2017.12.3)

  
 

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関連サイト


コトバ学(wikipedia参照)

(*1)....WGIP

War Guilt Information Program(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
米国が日本占領政策の一環として行った「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」。

日本政府も、相手が中国や韓国だと、たとえその歴史認識が明白なウソであっても「これまで政府関係文書には書けなかった」(政府高官) とされる。

(*2)....ヴェノナ文書

1943年から1980年にかけて行われた、ソ連の暗号解読プロジェクト(VENONA)が、解読したとされる一連の文書。

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