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日本をダメにした内閣総理大臣

 安倍首相は、麻生太郎政権時代の一衆院議員だった当時、月刊誌「正論」2009年(平成21年)2月号で、「....村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになった、まさに踏み絵だ。   だから私は「村山談話」に換わる安倍談話を出そうとしていた。   村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない。   その時々の首相が必要に応じて独自の談話をだせるようにすればいいと考えていた。    むろん、村山談話があまりにも一方的なので、もう少しバランスのとれたものにしたいという思いがあった」、と述べています。

 先の大戦における評価については、日本はアジア・アフリカを植民地支配してきた西洋国家と正々堂々と渡り合い、 白人国家をアジアの地から追い払い、 アジア諸民族を独立へと導いた国、という捉え方をされる一方で、 「日本はアジア各地に侵略戦争を仕掛けた」、「日本は戦争を起こした悪い国」、 というイメージがすっかり定着してしまった面もあります。

 しかし、戦後になり、日本に最初の一弾を撃たせたアメリカの謀略が次々に明らかにされつつあります。    そのひとつに、日本を追い詰め「大東亜戦争(太平洋戦争)」を日本に決心させ、 大国アメリカ相手に勝ち目のない無謀な戦いへ追い込んだ元凶とされる 「ハル・ノート」草案の作成には、 当時日米分断を目論むソ連軍情報部のスパイだった、 米国財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトが関っていたことが判明しています。

 そもそも、当時の世界は、強い民族が弱い民族を征服支配するのは当然であり、 弱小国家は否応なく白人強国によって植民地支配されるのが当然、という恐ろしい時代でした。   日本だけが侵略戦争を行ったわけではないのです。  そんな中、 日本は強国の植民地にされるどころか、 生き残るため戦争に果敢に飛び込み、なんと、 白人列強による植民地支配に終止符を打った栄光の国だったのです。

 その過程で生じた戦争は、「白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、 植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業をなしとげた」 (藤原正彦 日本人の誇り).....戦いでもありました。

 もし日本という国が存在していなかったら、 21世紀の現在でも白人国家による有色民族支配という 白人絶対優位の帝国主義の世界がいまだに続き、アジアのみならず世界中全ての有色人国家は、 西欧列強の植民地とされたまま発展から取り残された地域であり続けたかもしれません。

 そんな人類史に残る偉業を成し遂げたはずの日本は、敗戦後、占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)がもたらした 「戦後教育プログラム(WGIP)」によって 「戦争についての罪悪感、罪の意識」が植え付けられた結果、日本の功績は闇に葬られ、 「自虐史観」に染まった愚かな首相が次々に誕生し、 いまでは日本から「国益」という概念は失われ、 それどころか、「謝罪一辺倒の国」へとなり果て、挙句には、 「性懲りもなく寝た子を起こす謝罪を繰り返す首相」が、次々に登場してくるのですからたまったものでありません。(2021.2.2)


愚かな「自虐史観」で生み出した「落とし穴」・村山富市

 安倍元首相は、「....村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになった....」と悔やんでいましたが、 現在の日本は、この愚かな首相が作り上げた「自虐史観」によって、首相が国会の所信表明演説で、 「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらした」、 と表明するのが恒例となるおかしな社会となっています。

 運命のいたずらか、1994年(平成6年)に成立した、自民党、社会党、新党さきがけの 3党連立内閣の首班に、「先の戦争は日本がすべて悪かった」という 自虐史観にすっかり染まった 左巻き政党の党首・社会党委員長の村山富市が就任します。    村山は 1995年(平成7年)8月15日に発表した「戦後50年の談話(村山談話)」で、【....国策を誤り、 戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、 多くの国々、 とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました...】などと、自身の愚かな「自虐史観」をもとに、先の戦争を「植民地支配と侵略」と切り捨て、一方的な歴史認識で「心からのおわび」を表明したのです。

 その際「いつの内閣のどの政策がどう誤っていたのか」と問われた村山は、「断定的に申し上げるのは適当でない」と誤魔化し明言できませんでした。   それも当然で、 反日戦後史観に凝り固まった、この「自虐史観一本やり」の愚かな政治家は、 あの戦争で日本が果たしたアジア諸民族を独立へと導いた功績などは、絶対に認めるわけにはいかないのです。   村山も、 先の戦争を 「反日教」宗教の信徒 と同じ、「日本を貶める自虐史観」のみで捉えているのです。

 日本は、「政治が歴史認識を確定させてはならない」というタブーを、日本国首相からして破るという前代未聞の悲劇によって、 「贖罪国家」の烙印を自ら押し、永遠の謝罪国家となる「落とし穴」に嵌まってしまっています。   その後の日本は、 「日本は戦争責任を償え」という中韓の言いがかりに、一切反論が許されない、「自虐史観にがんじがらめにされた国」にされてしまったのです。

 いずれにせよこれで、日本は過去の戦争を反省し謝罪するのが慣例となってしまいました。  首相自ら世界に向け正式に 「我々は戦争を起こした悪い国だった」と自ら表明してしまったのですからこれも当然の流れでした。  そして、 いまの日本は何度も謝罪を強いられる国になり果てています。

 さらに戦後の歴史を捏造する偏向教育により「日本悪玉説」が蔓延った結果、 それ以降の日本国の首相にも、小渕首相や村山首相のように、度重なる韓国からの謝罪要求に屈し、自らの個人的な歴史観だけで、 「痛切な反省と心からのおわび」という勝手な卑屈談話を出すものが次々に現れてくるのです。

 今の日本は、内閣総理大臣からして人類史的なテーマとしての植民地化の問題を追究する姿勢など、まったく欠落したまま、 ナントカの一つ覚えで政治家からして一方的な反日歴史観を抱き、 「日本は侵略国家である」と公言し、愚かな謝罪を繰り返しています。     その結果、ありもしない歴史問題とやらまで噴出するありさまとなっています。

 しかし、不思議なことに「侵略国家」の日本に対し、中韓以外の国は、「日本はアジアを解放した国」と感謝しており、 日本の好感度は高く、尊敬し、非常に親日的です。    そもそも、先の大戦における「日本悪玉論」なるものは、 戦後ずいぶん経ってから出てきた話なのです。(2021.2.2)


全く気概のない政治家・宮沢喜一

 気概とは、「困難にくじけない強い意志」という意味がありますが、戦後の日本はその気概が欠如している政治家たちのため、 数々の重要な場面で不利な立場に追い込まれてきました。    その中には、なんら証拠も無い「従軍慰安婦問題」を、日韓の最悪・最強のトゲにしてしまった 河野洋平の例もあります。

 もう一人、宮沢喜一も、様々な場面で「謝罪国家日本の生成」に一役買った政治家でした。  そもそも、 先の戦争は日本が引き起こした、などという「日本悪玉論」は、 戦後ずいぶん経ってから出てきた話であり、 その端緒は、1982年、『教科書誤報事件(第一教科書問題)』という説があります。

 この出来事は、日本テレビの取材をもとにマスコミ各社が、昭和時代前期の日本史教科書の記述において文部省(現在の文部科学省)が、 教科書検定によって「華北へ侵略」を「華北に進出」という表現に書き改めさせた、と報じたものです。  しかし、 これは全くの誤報でした。

 ところが、この誤報をきっかけに、中国ベッタリの朝日新聞はじめ日本国内のヒダリマキ勢力がにわかに蠢き出し、 「歴史教科書改ざんキャンペーン」が展開され、「『戦前』復権へ」とか、「『侵略』表現薄める」、 といった調子で騒ぎ外交問題化させていったのです。

 ただ、当時は日本側も弱腰一辺倒ではありませんでした。  小川平二文部大臣が、「外交問題といっても、内政問題である」、松野幸泰国土庁長官も、 「韓国の歴史教科書にも誤りがある」、「日韓併合でも、韓国は日本が侵略したことになっているようだが、 韓国の当時の国内情勢などもあり、どちらが正しいかわからない」、などと当初は反論します。

 しかし、結局中国・韓国からの激しい抗議の剣幕に恐れをなした当時の宮沢喜一内閣官房長官が、1982年(昭和57年)8月26日、火消しのため、 「中韓の批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する」、という弱腰談話を発表します。

 結局、最後は日本政府が根負けした形となり、小川文相が白旗を上げ、「隣接諸国との友好親善に配慮すべき」と表明してしまったのです。   この軟弱姿勢に終始した日本側の対応が、以降、中韓があからさまに日本批判の声をあげる、きっかけとなったのです。   これで、完全に足元を見られた日本は、 以降次々に繰り出す「反日口撃」に見舞われていくようになるのです。    「メディアが日本に及ぼす悪影響」は、『教科書誤報事件』でも見られたわけです。

 ゴネ得した形となった中国政府は、「今後採られる具体的行動及びその効果を更に見守ってゆく」、また韓国政府も、「日本政府の努力を多とする」と回答して、外交的には一応収束します。  このように、 歴史教科書問題のような一つの出来事が、国内の反日勢力を勢いづかせ、 それが「歴史認識問題」と連動して中国・韓国との外交問題へと発展していき、 及び腰の日本政府はこれを阻止できない、という負のスパイラル(悪循環)に陥ってきたのです。

 宮沢は首相時代にも、従軍慰安婦問題をめぐる日韓首脳会談において、当時官房長官を務めていた加藤紘一が「(慰安婦問題に対して)政府が関与したという資料は見つかっていない」 という発言を行っていたにも係わらず、首脳会談前後、わずか3日の間に、13回も「お詫び」や「反省」を繰り返し述べたといいます。   「とりあえず謝っておこう」という、日本人特有の「問題先送り」気質が、骨の髄までタップリ染み付いた人物でした。

 このような政治家によって、日本の弱腰ぶりを知った中韓が、ここぞとばかり責め立て、日本側の譲歩を引き出す、という負の連鎖が現在まで続いているのです。  この延長上に、 「従軍慰安婦問題」、 「徴用工問題」、 「南京事件」などがあるわけです。   しかし、日本はこのまま反日国家・中国韓国によるタカリ攻撃を座視したまま、 未来永劫「歴史の奴隷」にされるわけにはいきません。(2021.2.2)


気骨があった昔の政治家

 フィリピンの中学校教科書には、「...日本の勝利はアジア民族に大きな影響を与えた。  その第一はアジア人が西洋人に劣っていないこと、西洋の大国にも打ち勝てることを証明した。  第二に 西洋の帝国主義に圧倒されていたアジア諸国国民のナショナリズムを掻き立て、フィリピン、インドネシア、 インドなどは日本をアジア解放のチャンピオンと仰ぎ見た...」、 と記述されているそうです。

 そもそも、どこの国であれ、「我が国は他国を侵略した」などと認めることなど絶対にありません。  欧米列強はアフリカや東南アジアのほとんどを植民地支配しましたが、 彼らが相手国に対し謝罪して償う、などということはあり得ないのです。  ところが、いまだに自国の教科書に、 《嬉々として自国の悪口を書いている》のが、日本という国なのです。

 山本夏彦氏が言う、『....小学校以来四十年間国家と国旗をあしざまに言う教育....』を続けてきた結果、 天皇制といえば反対、 日の丸はあげない、というパブロフの犬的条件反射で、 「祖国を否定」してきたのが、 現在の日本なのです。    自国の「非」を山ほど書く日本の教科書は、 フィリピンの中学校教科書とはエライ違うのです。

 現在の歴史に無知な軟弱政治家と違い、戦後しばらくの日本の政治家たちは、大戦中の世界情勢を肌で知っており、 植民地支配を受けないため、国運をかけて列強と戦った記憶が、まだまだ鮮明でした。   当時の日本の政治家たちは、 「日本はアジア解放の先導者」だったという自負がありました。   ところが、現代のすっかり平和ボケしてしまった政治家は、 平和が突然破られ、ロシアがウクライナへ軍事侵攻しようが、 『我が国は丸腰を永遠に貫きます』と堂々と宣言してしまう現状があります。

 その平和ボケした日本の指導者たちによって、日本は中国、韓国、その他の国に、莫大な慰謝料を払い、さらに今もタカラレ続けるという 「謝罪国家・日本」を作ってきたのです。   すでに、 他国はおおっぴらに日本を非難し、謝罪も賠償もいくらでも要求できるようになっています。  こんな国は、世界中どこを見渡しても、過去も、そして未来にも、絶対にありえないのです。(2021.2.2)

 こんなお花畑国家・日本に登場したのが安倍晋三首相でした。  安倍氏は、これまで中韓や左翼メディアによる、「戦争犯罪国家日本は、 未来永劫謝罪国家として生きよ」というプロパガンダに支配され、唯々諾々と謝罪と賠償を繰り返してきた 日本の歴代首相とは一線を画す、これからの新しい日本国を牽引するため登場したような人物でした。

 安倍氏は早くから中国の脅威に気づき、 自由主義陣営に対し中国に対する国際的な包囲網を確立せんと積極的な外交を繰り広げ、 「自由で開かれたインド太平洋戦略」を提唱するなど、 国際社会の枠組みを変えた名宰相でもありました。  これから日本を背負う世代が、いつまでも過去の惨禍に引きずられることのないよう、禍根(わざわいのもとになること)を残さぬよう、 毅然とした外交姿勢を貫く安倍氏は、まさに日本にとって希望の星でもありました。   安倍晋三はまさに稀有の政治家だったのです。

 しかし、その安倍氏は2022年7月8日、奈良市で演説中に銃撃をうけ、凶弾に倒れ帰らぬ人となってしまったのです。   しかも、あろうことか戦後日本ではあり得ない、 銃撃による暗殺で命を落としてしまったのです。   ところが、日本の悪名高き(リベラル)メディア・スクラムは、安倍氏と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係性ばかり騒ぎ立て、 結果「政治家と教団の関係を問題視する空気」がアッと言う間に醸成され、 安倍氏の非業な死は、 いつの間にかどこかに押しやられてしまったのです。(2022.9.19)


 

あまりに歴史に無知な指導者たち

 戦後の日本が贖罪国家として歩み始めた要因には、様々な意見があります。  「勝利国による敗戦国への復讐劇」とも言われる 東京裁判において、 「日本がアジアに対し侵略戦争を仕掛け、周辺諸国に大きな迷惑をかけた」、 と断罪され、「日本悪者説・歴史観」(歴史を全体的にどう見るかという根本的なものの見方)が、 定着していったという説。

 占領統治のため日本に駐留した連合国軍総司令部(GHQ)が、日本人に祖国に対する誇りを失わせるため、 戦後教育によって日本人を洗脳していった、 という説。  たしかに、現代においても「日教組」が、 日本の将来を担う子供たちに「日本は戦争を起こした悪い国」という教育を、セッセと押し付けている現状があります。

 しかし、決定的だったのは、1982年の「教科書誤報事件」が大きく影響しているのは間違いありません。    この話が日本国内で大きな騒動となり、これに目を付けた中韓が、このネタを利用して、以降日本を大々的に非難するようになっていったのです。

 その後の、中韓や反日マスコミによる、さまざまな「日本を為にする(ためにする)」仕掛けの結果、今では日本のリーダーである内閣総理大臣からして、国会の所信表明演説で、 「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらした」と堂々と表明して恥じない、おかしな社会となっているのです。

 終戦後五十年を控えた1995年(平成7年)、ときの村山富一総理大臣は、 土井たか子衆議院議長を団長とする謝罪使節団を、中韓両国をはじめとするアジア諸国に派遣。   このとき、マレーシアのマハティール首相やフィリピンのラモス大統領に、「五十年前の戦争をなぜわびるのか。 イギリスやアメリカは侵略してもわびない」、とたしなめられています。

 戦後しばらくたった後に出てきた歴代の内閣総理は、あまりにも歴史に無知で、「国益」という概念に無頓着すぎるのです。(2021.2.2)


『バカの壁』を超えられない政治家たち

 当時の世界情勢や植民地化問題 などという近代史は無視し、 「どうして日本が植民地になることを回避できたのか」、 という視点はスッポリ抜け落ちたまま、 「日本は最初から韓国の植民地支配を目論んでいた、 などと単純な見方で過去を総括してしまったことが、今の軟弱な日本の政治家たちを生んだのです。

 養老孟司氏がいうところの、自分の思考を限界づける『バカの壁』を、自ら設けてしまい、いつまで経とうが中韓にタカラレ続けている現状を打破できていない、 という現状に、日本の政治家は一刻も早く気付くべきです。

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のストークス氏は、『....確かに日本が欧米諸国が支配していたアジア各地の植民地に軍事進攻したことは事実です。  しかし、 それ以前にアジアに侵略して植民地にしていたのは欧米諸国です.....アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。  西洋人は世界史を見直すべきです 』、 と過去の戦争の意義を的確に指摘しています。

 ところが、日本社会は戦後長い間にわたり、「大東亜戦争」 に対して肯定的な意見を述べようものなら、 日本の左翼メディアが主張する日本悪者説によって、 すっかり洗脳された「反日教」の信徒たちから、 『軍国主義者』とヒステリックな攻撃を受けるのが一般的でした。

 しかし、反日勢力が何を言おうが、 「強い民族が弱い民族を征服してきた」人類の歴史の中で、 日本は有色人国家の中でただ一国、世界中の有色人国家を植民地支配していた白人列強国と対峙し、 「アジア諸民族を独立へと導いた」国だった、 というのは歴史の真実なのです。

 その事実はインドネシアのブン・トモ情報・宣伝相の次の言葉が物語っています。

 「....我々は何度となく独立戦争を試みたが失敗した.....ところが日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、 フランスをわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた....われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと思った.....」。(2021.2.2)


この内閣総理大臣が日本をダメにした

この内閣総理大臣が日本をダメにした
鈴木 善行(第70代内閣総理大臣)
1980年(昭和55年)7月17日〜 1982年(昭和57年)11月27日

日本が贖罪国家に転落する決定的な契機をつくった。
1982年の「教科書誤報事件」で、 中国との外交問題に発展したあおりを受け、誤報だから中国側にその旨を伝えれば済むところを、 中国の内政干渉に屈し「政府の責任において修正します」と謝罪してしまった。   これが歴史問題の始まりとなり、以後、1986年の第2次教科書問題と靖国参拝問題、 90年代からの慰安婦問題など続々と登場してきた。

しかも、わが国の「教科書検定基準」の中に「近隣諸国の国民感情に配慮する」という「近隣諸国条項」を盛り込み、反日的記述さえパスする悪しき前例までつくってしまう。   外務大臣は宮沢喜一。
中曽根 康弘(第71・72・73代内閣総理大臣)
1982年(昭和57年)11月27日〜1987年(昭和62年)11月6日



細川 護煕(第79代内閣総理大臣)
1993年(平成5年)8月9日〜1994年(平成6年)4月28日

日本の首相が初めて国政の場で、「大東亜戦争は侵略戦争で、日本は侵略国家」と戦後初めて断定した。
贖罪国家の種を撒いたのは鈴木内閣の宮沢外務大臣だが、苗を育てたのがこの人。  就任したばかりの記者会見で記者の誘導的質問に「先の大戦は侵略戦争であった。  あの戦争は間違った戦争であったと認識している」と言明した。

羽田 孜(第80代内閣総理大臣)
1994年(平成6年)4月28日〜1994年(平成6年)6月30日

「わが国の軍事行動は、近隣諸国を侵略して耐え難い苦痛とかなしみを与えたばかりでなく、わが国民に多大な犠牲を与えもたらした」と言明する。
海部 俊樹(第76.77代内閣総理大臣)
1989年(平成元年)8月10日〜1991年(平成3年)11月5日

アジア諸国に対し謝罪の歴訪を繰り返す
村山 富一(第81代内閣総理大臣)
1994年(平成6年)6月30日〜1995年(平成7年)8月8日

「過去の戦争の反省」が自社さきがけ三党合意でなされ、歴史に対する深い考慮もなく、安易に謝罪する風潮が日本の政治家に蔓延する端緒となった。
土井たか子衆議院議長を団長とする謝罪使節団を、中韓両国をはじめとするアジア諸国に派遣。   このとき、マレーシアのマハティール首相やフィリピンのラモス大統領に、「五十年前の戦争をなぜわびるのか。 イギリスやアメリカは侵略してもわびない」、とたしなめられた。

「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」(村山富市首相談話)
橋本 龍太郎(第82.83代内閣総理大臣)
1996年(平成8年)1月11日〜1998年(平成10年)7月30日

従軍慰安婦への軍の関与という根も葉もない話を、事実を確かめもせず「おわびの手紙」の中で謝罪。
村山内閣の謝罪路線を受け注いだこの人物は、「創氏改名などが、いかに多くの韓国の方の心を傷つけたかは想像に余る。 (従軍慰安婦問題に関しては)これほどの女性の名誉と尊厳を傷つけた問題はない。  心からおわびと反省の言葉を申し上げたい(日本をダメにした売国奴は・前野徹)」、とコメント。

小泉 純一郎(第87.88.89代内閣総理大臣)
2001年(平成13年)4月26日〜2006年(平成18年)9月26日

靖国神社への終戦記念日参拝という公約を、近隣諸国に気兼ねして破り前倒しでやり、直後に中国へ謝罪に向かった。
2005年4月にインドネシアのジャカルタにおいて、122の国・機関の元首や閣僚が参加したアジア・アフリカ閣僚会議および首脳会議(バンドン会議50周年記念)において、「(わが国の)植民地支配と侵略によって、多くの国々、 とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。 .....こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ.....」(日本をダメにした売国奴は・前野徹)と発言する。
鳩山 由紀夫(第93代内閣総理大臣)
2009年(平成21年)9月16日〜2010年(平成22年)6月8日

韓国訪問で、例え1人でも民間人を殺害したら謝るべき、と墓の前でひざまずき、いわれの無い日本軍の非道ぶりを過剰にアピールした。



中韓の傀儡・橋本龍太郎

 尖閣の領有権問題では中国の顔色をうかがい、竹島が韓国によって実行支配されるのを黙認するなど、「あたかも中韓の傀儡政権のよう」と言われたのが、橋本龍太郎総理でした。

 村山内閣の謝罪路線を受け注いだこの人物は、「創氏改名などが、いかに多くの韓国の方の心を傷つけたかは想像に余る。 (従軍慰安婦問題に関しては)これほどの女性の名誉と尊厳を傷つけた問題はない。  心からおわびと反省の言葉を申し上げたい(日本をダメにした売国奴は・前野徹)」、とコメントします。

 「創氏改名の実態」もロクに理解していないどころか、 何の証拠もなく国益を甚だしく損なう「日本軍による強制連行説」を、 日本の総理自ら堂々と認めて何ら恥じないのですから、 これでは「日本が姓奴隷を作った」という話が世界中拡散していくのも当然なのです。

 ポマードで頭をカッチリ固め、パイプをイキに薫(くゆ)らすこの人物は、妙にポーズに拘るタイプでもありました。 1997年(平成9年)の日韓首脳会議のおり、金大統領と握手する橋本は、左手で右手を支えるという、 儒教的に臣下の礼とされる握手を行います。  野党からそれを咎められると「....よいか悪いかは人それぞれで、国辱というなら甘んじて受け入れる...」と返します。

 この前年の訪韓時にも、袖をまくり上げる動作で臣下の礼を示したりしています。  どうやらこの人物は国家間の代表者という立場など忘れ、ひたすら相手にどう見られるか、 自分の行動はカッコいいだろう、とでも言いたげな行動に走る、幼稚さが窺えるタイプでもありました。

 この人物には一時「中国人の愛人」のウワサも出ましたが、たしかに妙に中国に融和的な人物であり、この軽薄さならさもありなんと思ってしまう人でもありました。(2021.2.6)


中国に立ち向かわなかった小泉首相

 中国は南シナ海を自国の領海とすべく岩礁を埋め立て軍事拠点化を続けていますが、東シナ海でも日中中間線からほんの少し中国側に入ったところで、 新たなガス田開発を急速に拡大させ、関連施設(海洋プラットホーム)を次々と建造しています。

中国が白樺の開発を本格化させたのを契機に、両国間でガス田共同開発が検討されたとき、中国は中間線から中国側の排他的経済水域(EEZ)では中国が単独で開発し、 共同開発は日本側のEEZ内に限ると、驚くべきズーズーしさで一方的主張を展開しました。

彼らの理屈は『日本は中間線までの日本側の海しか領有権を主張していない。対して、中国は大陸棚が伸びている日本の海岸に近い沖縄トラフまでを中国の海だと主張している、 したがって係争の海は、中間線から日本側のみであり、そこでは中国は共同開発に応ずるが、中国側の海は、そもそも日本が権利を主張していないのであるから、中国の単独開発だ』 といういかにも中国的な言い分を主張するのです。

さすが中国、というわけですがあまりに身勝手な言い分に立ち向かったのが、故・中川昭一氏で、経済産業大臣だった氏は当時櫻井よしこ氏のインタビューで、 「中国の理屈は、俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものということだ」と述べて憤慨したそうです。

中川氏は日本も試掘すべきだと決意しますが、当時の日本政府は海洋大国であるにもかかわらず海底調査船すら保有していませんでした。 そこでノルウェーから調査船を借り、数億円の経費を使って調査を行い、白樺及び樫は、海底で日本側のガス田とつながっていることを突き止めます。

中国が計画中だった翌檜(龍井)も楠(断橋)も同様で、これでは採掘地点が中国側であろうが、日本側の資源もストロー効果でチューチューと吸い取られることになります。 このため中川氏は、2005年(平成7)7月14日、それまで幾度も試掘を認めるよう政府に要請してきた帝国石油にようやく試掘権を認めます。

 しかしあまりに対応が遅すぎました。 その時点ではすでに周辺海域には海洋開発していた中国の軍艦や調査船が展開しており、帝国石油は日本の民間船が単独で出ていって無事で済むとは思えない、 と首を縦に振りませんでした。  帝国石油は安全確保には海上自衛隊や海上保安庁の護衛が必要という考えであり、中川氏はその護衛も検討しつつ、試掘の決断をします。

ところが、時の首相、小泉純一郎氏は同年10月、内閣改造を断行し、中国との政治問題化を避けるため中川氏を農水大臣にポスト替えしてしまいました。   中川氏の後任、二階俊博氏は「私は試掘の道はとらない」と断言し、結果試掘は止められてしまったのです。

以来、日本のガス田開発の動きは止まったままですが、この間にも中国は猛然と開発を加速させガスを取り続け、同海域の哨戒活動を続ける海上自衛隊はこれをただ傍観するしかない、という事態が続いています。   このような日本政府の弱腰の対応が、やがて、もはや密漁というレベルをはるかに超え、大っぴらな集団強奪行為となった赤サンゴ密漁という暴挙を許す事態に繋がっていくわけです。

 小泉元首相はエネルギー政策では当初「原子力の利用推進」を掲げていましたが、東日本大震災(2011年3月11日)で福島第1原発が壊滅的な被害を受けて以降、 コペルニクス的翻意で国内を混乱させました。


北朝鮮を手玉に取った小泉外交

 小泉さん繋がりで、ここからは「日本を悩ます困った政治家たち」ではなく、「日本政治家の痛快ストーリー」を一席。  こういうイイ話はもう二度とないでしょうから書いておくのもいいでしょう。

 2002年(平成14年)10月、小泉首相らは北朝鮮に乗り込み、拉致被害者5人を連れ戻すという過去誰もが想像さえしていなかった快挙を成し遂げます。    一行は弁当持参で平壌に赴き、控室で盗聴されているのを承知で、わざと 「拉致について金正日が謝罪しないなら席を立つ」 と発言、金正日を牽制したというのは有名な話です。

 このときは、日朝両政府間の話し合いで日本に連れ戻した彼らを、いったん北朝鮮に返して改めて日本に帰国させる、という約束をしていたとされます。   しかし日本側は5人をそのまま国内に留めます。

 5人を返さなかったのは当時官房副長官だった安倍晋三氏の小泉さんへの進言だったとされていますが、日本が北朝鮮相手に平然と約束を破り、堂々と渡り合って「毅然とした日本外交」を貫いたこの出来事は、 日本もやれば出来るところを見せてくれました。  そもそもどうして犯罪者に遠慮して帰さなければならないのダ、という話しなのですが。

 しかし驚くべきことに、拉致という理不尽な犯罪で誘拐され、やっと故国に戻れたというのに、ナゼ北朝鮮に戻さないのだと主張する冷酷非情な親北勢力が日本国内に存在していたのです。    自民党の加藤紘一氏は、「5人の被害者を北朝鮮に戻せばよかったじゃないか」、と安倍さんを非難したといいます。

 誘拐した犯罪者からやっと取り戻した被害者に対し、さっさと犯人の元へ戻せと発言したわけですが、この人物はいったいどういう頭の構造をしているのでしょう。    もし自分の子供が同じ目に遭っていたら、彼は同じことを主張するでしょうか。 もししたらタダの異常者です。 国内でも賛否両論がありましたが、 戻せと主張する連中は自分の肉親であっても同じようにするのでしょうか。

 「日本が北朝鮮に5人を返さなければ、ミサイルを日本に撃つかもしれない」 と国民の不安を煽る新聞もありましたが、しかし、日本側は毅然として5人を返しませんでした。     北朝鮮側としても日本に対し5人を返せと要求出来るわけもありません。 そもそも日本人を拉致した犯罪者なのですから。    北朝鮮はその1年半後の2004年5月、北朝鮮に残されていた5人の子供たちをシブシブ日本に帰国させます。 まさに小泉流外交の勝利でした。

 金正日としては、5人を返せば1兆円の経済協力を手に入れられると目論んでいたのに、マサカの約束破りをされたのですから、さぞや驚きかつ怒り狂ったことでしょう。   そもそも、一国の首相が捨て身で世界から忌み嫌われている敵国に乗り込んだのですから小泉氏は只者ではありません。  常人では成しえない事をやってのけた小泉氏は、「変人」などといわれましたが、 狂人国家を出し抜けるのは、やはり小泉氏のような人物でないと無理、ということなのでしょう。  まさに世界的な痛快エピソードではありました。

 この一連の出来事では、外務省の田中均・アジア大洋州局長が、 北朝鮮のミスターXなる人物との間で「北寄りの交渉をした」とか、日本が1兆円払うとか色々な話が出ますが、 結局のところ、小泉氏の決断で劇的な展開となり、結果として過去誰もなしえなかった拉致被害者の帰国が実現したのですから、まさに小泉氏は日本のヒーローと言えます。

 この痛快物語には、当時米国ブッシュ政権は北朝鮮をテロ支援国に指定し、経済制裁など対決色を強めていた事情も関係しています。  そのような状況で追い込まれていた金正日は、 経済援助をチラつかせる日本の誘いに乗ってしまった、という背景もあったのです。  武力ではなく経済力による外交的勝利、という方法もあることを改めで見せ付けられた小泉外交だったのです。(2019.2.25)




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