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日本人の歪んだ歴史認識

 1972年(昭和47年)9月、日中国交正常化交渉で中国を訪れた田中角栄総理は、北京で行われた晩さん会の席で「中国人民に多大の迷惑をかけた」と述べ中国側の顰蹙を買います。    日中戦争で国内を蹂躙された中国にとっては「謝罪表現として軽すぎる」というわけです。    しかし、日本国代表の田中総理は、この程度の表現が精一杯の発言だったのです。

 谷沢永一氏は、「紛争を解決する唯一の方法」が「条約」であり、 「条約を結ぶ、あるいは条約を破棄する、それのみが国家と国家との間における行動様式」 である以上は国家が自らの非を認めることなどあり得ないとします。    「国家はそれ自体が一個の独立した絶対価値」であり 「国家を裁いたりする超絶的な法体系は地球上にありえず」、「国家と国家の間では謝罪という行為は成り立たない」というわけです。

 以前の政治家であれば、このような「国家が自らの非を認めることなどあり得ない」という国際常識はキチンとわきまえていました。   日本は白人帝国主義列強を 極東アジアから追い払い、白人列強による植民地支配に終止符を打った国ですが、 とはいえその過程で現地の人たちに迷惑をかけたのも事実であり、日本は1955年以降、謝罪を重ねるとともに現在の価格に換算すると合計4兆5000億円以上ともいわれる 金銭的補償(戦争の賠償)も行ってきました。

 戦後の日本社会は、占領軍に押し付けられた「戦後体制」によって、「日本は軍国主義国家」であり 「アジア侵略を目論んだ戦争犯罪国家」と教え込まれ、「日本は先の大戦でアジアの人々に大変な迷惑をかけた」という思考が刷り込まれました。   中国進攻についても、 「日本軍は中国でヒドイことをした」などと日本人を騙す「トンデモ近現代史本」 のオンパレードで、日本だけ悪者にする「支那事変(日中戦争)」本が現在でも巷に溢れています。    日本人は本当の歴史を知らされていないのです。

 当時も現在も中国は「分断国家」ですが、日中戦争は日本と 国民党(中華民国)、そして中国(現中国共産党)による 三つ巴の戦いでした。   ただ実際に日本と正規戦の戦いを繰り広げたのは蒋介石の 国民党軍であり、現在の中国共産党軍は国民党軍の陰に隠れ コソコソ動き回っていただけで、 せいぜい散発的なゲリラ戦でしか日本軍と戦っていません。   また、日中戦争は1937年(昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで、8年間も戦っていながら大規模な正規戦は数えるほどしかありません。

 もともと「民生主義」いわゆるデモクラシー社会を目指す国民党にとって、国民党の敵は日本ではなく「中国共産党」 でした。    中国共産党は抹殺すべき政敵であり、1930年代の蒋介石は中国共産党の殲滅を図りますが、 毛沢東はかろうじて生き延びます。     また蒋介石は敗戦国となった日本に対し戦後賠償を一切要求していません。    それどころか、 日本人の中国大陸からの引き揚げに協力的で、本来ならば自国の軍隊の輸送を最優先させねばならない鉄道路線を、可能な限り日本軍及び日本人居留民の輸送に割り当て、 最低でも10年はかかると予測していた中国大陸からの引き揚げは10ヶ月で完了しています。

 最初に中国に侵攻していたのは列強であり、そもそも、本当に巷間言われる「日本軍は中国に軍事侵攻して中国人数千万人を殺戮した」 などという話が事実だとしたら、中国側指導者・蒋介石が戦後に中国残留邦人や日本軍の命を救うはずはありません。   また蒋介石は 日本の満州における権益を認めています。    米国が対日賠償を放棄したからとはいえ、このような蒋介石と日本との関係を知れば、 中国進攻を正当化はできないが、その実態はかなり誤解されている 部分もあることに気付くはずです。

 日中戦争が終結した後の1949年、戦争中は国民党軍の陰に隠れていた中国共産党は、ソビエト連邦からの支援を受け国民党との内戦に勝利し『中華人民共和国』(現中国)の成立を宣言します。    敗れた国民党は台湾に逃れ、今でも中国と台湾はにらみ合いを続けているわけです。   ちなみに、 台湾国民党は中国に領土を奪われる危機がありましたが、元日本軍将校の活躍によって 危うく難を逃れた史実があります。

 いずれにせよ、日中戦争の背後には各国の思惑が渦巻いていたのです。   日中戦争で日本とガチンコ勝負したのは 台湾に逃れた国民党であり、現中国を支配する中国共産党は日本とまともに戦っていませんし、日本は連合国に降伏したのであって中国に敗れたわけではありません。     本来ならば現中国共産党は、日本にとやかく文句を付けられる立場ではなかった、ということを日本人は理解しておくべきです。   そうすれば大きな顔をして 日本を恫喝してくる中国に ペコペコ平身低頭する必要も無いのです。

 日本は日中戦争において「史上最悪な残虐軍隊」であるかのような批判を浴びていますが、そもそも、日本より先に中国に進出し 中国を半植民地支配していたのは西欧列強です。  ところがその白人帝国を なぜか中国は全く非難しないというおかしな現状があります。   このように、日本人は 本当の歴史を知らされず「列強の犯罪隠し」のスケープゴートにされたまま、 一方的に悪者にされている事に気づいてもいないのです。(2025.1.9)


 

日本を戦争に引きずり込んだ本当の「戦犯」

 戦後の日本は軍人、特に陸軍の強硬派が満州事変を起こし、日中戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)へと 日本を引きずり込んだという説が流布しています。  たしかにそうした側面もあったのは事実ですが、 日本を無謀な戦争に追いやったものを「戦犯」とするなら、朝日新聞や東京日日新聞陸軍の強硬派以上の「戦犯」です。   当時、陸軍の広報紙となっていた東京日日(毎日新聞の前身)が、 従軍記者の勇ましい記事で飛躍的に部数を伸ばしたのに触発されたか、 1931年の満州事変勃発後朝日新聞も強硬派に大転換します。    新聞が戦争への道を導いたといっても過言ではないのです。

 日本は到底勝ち目のない戦争の道を選んだ」わけですが、当時もまともな日本人なら米国と戦ったら 日本に勝ち目は無いことは分かっていました。   そんな中、朝日新聞は盛んに 「戦争することは正しい」、「日本は戦争をすべきだ」と国民を煽ったのです。  その結果、 「満州を支配することは正しい」という強固な世論が形成され、それにつられ軍部も議会を無視して中国大陸で暴走し、東条も和平派の理性的な判断を無視 し日本を無謀な戦争へ追いやったのです。

 日本にとって1941年(昭和16年)は運命の岐路に立たされた時期と言えます。  中国からの完全撤退を求めるアメリカが 日本に日米交渉妥結を破壊する「ハル・ノート」を突き付けてきたため、 この要求に屈するかそれとも一戦交え活路を見出すかの選択を迫られたのです。     日清・日露戦争で勝利し向かうところ敵なしだった軍部、特に陸軍はアメリカの要求は頭から無視したため、開戦を避けたかった昭和天皇はこの現状を打開するため陸軍大将・東条英機に内閣を任せます。

 しかし、1941年9月6日の御前会議において東条は「支那大陸で生命を捧げた尊い英霊にたいし、撤退など絶対に認めることはできない」と主張、 泥沼化した日中戦争を継続しつつ、米・英等 連合国相手の戦争にも踏み切るという絶対勝ち目のない二方面作戦を選択したのです。   これにより1941年12月8日、 日本軍はマレー作戦真珠湾攻撃を開始します。  その後1945年(昭和20年)8月15日の 玉音放送で日本国民に終戦が伝えられ敗戦国となります。     この戦いで軍人・軍属230万人、民間80万人、合わせて310万人以上が犠牲となり、第ニ次世界大戦ではポーランドに次ぐ世界で第5位の死者数を出しています。  アメリカ軍の死者は約16万人、 イギリス軍は約8万5千人とされます。

 日本を戦争に駆り立てる片棒を担いだ朝日新聞は、大戦中もたとえ勝ち目が無かろうが火の玉特攻の精神を日本国民に植えつけ、 全滅すると分かっていても「英霊に申し訳ないから撤兵できない」と玉砕覚悟の戦をけしかけ、 イタズラに犠牲者を増やす悲劇を招く紙面作りに勤しんだのです。    終戦後は「裁判とは名ばかりの復讐劇だった東京裁判」で東条同様「戦犯」 にされてもおかしくなかったのですが、手のひら返しで「記事は軍人に弾圧され無理やり書かされた」と被害者ヅラしてお咎めを回避します。

 敗戦国となった日本人に罪悪感を刷り込んだ「WGIP」を陣頭指揮したブラッドフォード・スミスは、 占領軍に友好的な「自由主義者」として共産主義者の野坂参三、鹿地亘らを活用しましたが、反日に衣替えした朝日新聞はまんまとこの一角に食い込み、以降は 180度偏向してせっせと日本を攻撃するアカ新聞と化し、相変わらずの 国民を欺く偏向報道によって日本を再び敗戦国の立場へ追いやったのです。

 戦後の日本は「スターリンの呪い・三十二年テーゼ」と朝日新聞が唱える「日本は侵略国家」という「言霊」に操られ 日本憎しの動く呪術人形と化した反日的日本人が、 勝者側につき祖国を喜んで悪者にしていきました。  朝日新聞に操られている読者たちは 事実でない話に騙され戦前戦中の日本を非難し攻撃し弾劾しています。     しかし、その怒りの矛先は軍部以上の「戦犯」である朝日新聞にこそ向けるべきなのです。(2025.4.26)


 

言霊信仰で憲法真理教信者を操る宗教新聞「朝日」

 日本が無謀な戦争へ突き進んだ大きな要因のひとつに、井沢元彦氏は「言霊思想」があるとします。  古来から日本民族は「言葉」は単なる記号ではなく 「言葉は現実を動かす力がある」と考えており、この言霊(ことだま)の影響は例えば「日本は戦争に負ける」と口にしてしまうと、「言霊国家日本」ではそれは 現実の方向に動いてしまう、だから東条は「戦争に負けるかも知れないから止めよう」とは口が裂けても言えなかった、いうわけです。

 そんなバカなという現代人も、「そんなことを口にするのはエンギでもない」とか「あんなこと言わなきゃよかった」などと無意識にやっているはずで、 「自衛隊(Self-Defense Forces)」も本来なら「国防軍」となるはずなのに日本人は敢えて「自衛隊」で通しているのも、「〇〇軍」にしてしまうと戦争のイメージが重なる という「言霊思想」が影響しているとも考えられますから、井沢氏の主張は全くの的外れとは言えません。

 井沢氏は「ケガレ忌避」、「言霊」、「怨霊鎮魂」抜きに日本の歴史は語れないとして、慈円の鎌倉時代初期の史論書・愚管抄の「平家物語」について司馬遼太郎が「...仏者の動乱で亡くなった怨霊が天下に満ち、 それらが世を動かしていると思ったり...」としたことを「正確な認識をしていない」とします。  また大国主命を祀る出雲大社は怨霊を鎮める神社と主張したことや、日本の歴史学者は証拠となる史料が存在しなければ事実としないという、 あまりにも極端な実証主義であり、さらに信仰の知識がないから本当の歴史が分からない などと唱えているため、一部から批判を受けています。  従来の歴史説と一線を画す興味のある説を「逆説の日本史シリーズ」で述べており歴史好きにはお勧めです。

 この「言霊思想」を利用し銅鑼を叩いて日本国民を悲惨な戦争へ駆り立てたのが朝日新聞です。   井沢氏は「怨霊信仰」に支配される日本人は災厄の根源 「ケガレ」を忌避するため、死者が怨霊にならないよう「その犠牲を無駄にしない」方向に動くとします。   戦前・戦中は「英霊の死を無駄にするな」と主張し、 戦後は「戦争犠牲者の死を無駄にするな」と叫ぶ朝日新聞は、いずれ中国の攻撃を受け日本人数百万人が犠牲になれば必ず「この犠牲を無駄にするな」 と日本を軍国主義国家に戻そうとするでしょう。

 日本を悲惨な戦争へ追い込んだ朝日新聞は、戦後は日本を「敗戦国」の立場から抜け出せなくするため、 戦後日本を「侵略国家」に仕立てる最大の黒幕となっています。  その朝日新聞が生み出したのが、 「教科書誤報事件」をきっかけにでっち上げた 「南京事件」や「従軍慰安婦問題」 といった、今も日本を悩ます「存在などしない歴史問題」です。   後に朝日新聞は 従軍慰安婦問題の記事は捏造だった と白状しますが、二十数年間読者と世界を騙し続け、世界中に「日本は性奴隷を作った残虐国家」というデマを拡散させたのに、不思議なことに朝日新聞は潰れるどころか 今でも大きな顔をしてセッセと日本を貶める反日記事を書きなぐっています。

 なぜ朝日新聞がつぶれないかについて、井沢氏は「朝日新聞は平和憲法の言霊的効力を信仰する憲法真理教信者に支えられている宗教新聞」だからとします。  たしかに、宗教新聞ならば 信仰の教理に合えば真実の有無など問題ではありません。   だから朝日新聞は 中国サマ、ベッタリの反日新聞という立ち位置に身を置き、中国や朝鮮は平和を愛する国で、日本に取って無害の国であると平気でウソをつくのです。     いやなことは見たくも聞きたくもない現実逃避の平和主義言霊の世界に住む憲法真理教信者にとって、たとえ現行憲法が現状と乖離していようが 憲法を改正し防衛力を強化することは平和を乱すトンデモナイことであり、 だから客観性を失った嫌日媚中韓一辺倒の偏向報道姿勢の朝日新聞にしがみ付くのです。

 朝日新聞は事実を報道するという使命とは無縁で、 事実を改変するなど当たり前であり、日本を貶めるためなら 平気でウソ記事を書く新聞です。  しかも、朝日新聞の記事に反論したジャーナリスト・門田隆将氏に対し、 「...とうてい看過できない。法的措置を検討する」 という抗議書を送りつけ『自社の気に入らないものは圧殺』しようとする 「言論の自由」など無視し相手を恫喝してくる新聞でもあります。(2025.4.24)


  

超反日国家へ変貌させた中韓の黒歴史

 日本は中国や韓国に対して「日中平和友好条約」や 「日韓基本条約」といった戦後処理条約を正式に交わし、莫大な戦後補償金も支払い 戦後処理は完全終えている立場です。    一方、日中戦争で日本軍に国内を蹂躙された中国や、日本に35年間併合支配された韓国には 支配した国と支配された国に超えられない溝があるのは当然であり、反日感情はくすぶり続けており、 自国の子供たちに反日教育によってセッセと「日本に対する憎悪」を植え付けていました。

一方で中国は日本から莫大なODAを受けていましたし、 日本を「中国包囲網」の穴として利用する狡猾さはありました。

 韓国にしても、1965年に日本と請求権協定を結び 「日本に対する個人請求権が消滅」したことで同意しており、今後は《韓国は何か受け取っていないものがあるから、日本はもっと出さなければならない、 などと主張することは二度と出来ない》と約束していた手前、いまさら大戦中の話を持ち出して補償ウンヌンを言える立場ではありませんでした。  そもそも、 「歴史認識問題の判断」は100年後に決まるものであり、中韓の怨念がドス黒く渦巻く現状において、 歴史問題の中身についてどっちが正しいとか、 侵略戦争か否かという議論を戦わせても答えが出るはずはありません。  そんな日中韓の絶妙なバランスでかろうじて均衡を保っていた関係を打ち壊し、 戦後日本を再び敗戦国の立場へ逆戻りさせる大事件 が持ち上がります。(2025.1.9)

 敗戦国日本は、1951年9月、「対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)」が締結されたことで、太平洋戦争を正式に終わらせ連合国との関係は正常化され、 1952年に主権回復を果たします。   その後の日本は戦後復興期(1945年「昭和20年」~1950年「昭和25年」)を経て、朝鮮戦争(1950年~53年)特需もあって年10%を超える 高い成長率を継続し、昭和40年代前半には米国に次ぐ世界第2位のGDP(国内総生産)の経済大国へと成長し高度成長期(1955年「昭和30年」~1973年「昭和48年」)を迎えます。

 その一方で、敗戦後の日本にボウフラのように湧いて出たのが「反日的日本人」です。   谷沢永一氏によれば、「敗戦直後の日本は、 新聞や雑誌、小冊子や書籍の世界には、共産主義を謳歌する熱度の高い言論が大流行だった」、 「戦後のこの時代は、左翼にあらずんば言論人にあらず、という風潮が怒涛のように波うっていた」、 「共産主義ソ連を批判するような論説は、 ほとんどの場合、編集部から突き返されるのが常例だった」とします。

 彼ら反日的日本人のほとんどは 「スターリンの呪い・三十二年テーゼ」に操られた動く呪術人形と化した 共産主義者またはその同調者・追従者であり、明治維新に始まり 飛躍的に発展した日本の近代化社会は、本当の近代とは言えない偽物であり、前近代的国家だったと言い張り、 「日本近代化を徹底して全面的否定」する勢力でもあります。    そして自分は"進歩的"であると自任し、日本人という国籍を超越しているかの如く、マルクシストだからキリスト教徒だから、自分は普通の日本人とは違うと思い上がった末、とんでもない平等主義的理想論を振りかざし、 自らの祖国を罵倒し、国民を軽蔑し、ダメな国であると祖国を悪し様に罵る放言に熱意を燃やします。

 これら敗戦国日本を見捨て戦勝国側についた「反日的日本人」たちは、戦時中の連合国側でつくられ敗戦国に流布された 『日本悪者史観』を頭から信じ込み、 客観性を失った嫌日媚中韓一辺倒の偏向報道姿勢をとる朝日新聞の記事を鵜呑みにし、 独りよがりのインチキ歴史を捏造してきました。    そして、その猛毒に触れた日本人が次々と「全て日本が悪い」としか考えない反日的日本人病」に感染してしまったのです。

(2025.1.9)


 

日本への反発を噴出させた「教科書誤報事件」

 1982年6月26日、「教科書誤報事件(第一次教科書問題)」が持ち上がります。 これは高校の歴史教科書検定において文部省が、 中国華北地域等アジアへの「侵略」を「進出」と書き換えさせた、と日本のマスコミがいっせいに報道した騒動です。   これは誤報であり実際は書き換えられた事実はなかったのですが 客観性を失った嫌日媚中韓一辺倒の偏向報道姿勢を取り続ける 中国サマ、ベッタリの反日・朝日新聞などが、「侵略表現が薄められた」などと大きく報道します。

 日本憎しの呪いで動く呪術人形たちも、これに煽られ 「日本は侵略国家であることを忘れるな」と騒ぎ出し、一気に日本中に「反日ムード」が広がっていきます。  それまでも日本においては多年にわたり 日本の悪口をメシのタネにする反日的日本人による、『日本軍は大戦中アジア地域でヒドイことをした』 という反日キャンペーンが繰り返されていましたが、この教科書誤報事件は日本国内に巣食う反日勢力を目覚めさせる発火点となったのです。

 さらに、中韓メディアも大々的な反日キャンペーンを展開し日本への憎悪を育むための情報戦を活発化させていきます。    もともと、白人支配からの解放を掲げ孤軍奮闘した日本と違い、大戦中何もできなかった中韓は、 国民の目からその事実を逸らすため「日本はアジアを侵略した軍国主義国家」などという的外れな批判を繰り返しており、 日本を侵略者にしておかないと困る立場の国です。   そんな中韓が抱える反日感情を噴出させる絶好のチャンスが訪れたのですから、 これ以降中韓が嵩に懸かって(かさにかかって・ 優勢に乗じて攻めかかる)日本叩きに邁進していったのも必然でした。

 かくして、この「教科書誤報事件」によって日本だけ悪者にされる「戦後史」が過去史からヒネリ出され、 「日本軍残虐説」が生み出されるようになっていきます。    以降、「南京大虐殺」などのような大戦中の日本軍にまつわる根も葉もない捏造話が次々生み出され、 「日本はアジアに侵略戦争を仕掛けた戦争犯罪国家説」は既成事実化されていき、愚かな政治家たちが日本を 「我等こそ「侵略国家」と宣言」するようになっていくのです。   これにより 日本は自ら「贖罪国家」の烙印を押したため、 植民地支配からの解放を成し遂げた日本の功績は闇に葬られます。

  日本にとって致命的だったのが、「教科書誤報事件」の矢面に立たされた政治家が「暗愚の宰相・鈴木善幸首相」と、 「政治家として全く気概のない・宮澤喜一内閣官房長官」だったことです。     鈴木首相は自ら『私は総裁としての力量に欠けることは十分自覚している』と語っていたように、メディアからも「暗愚の宰相」の声が挙がった人物で、田中角栄からも 「いつまでも芝居の幕を開けないと、客は帰ってしまうぞ」とハッパをかけられたほど、最後まで総理としての見識を打ち出せなかった首相であり、 当然中韓の激しい抗議の剣幕に対処出来るはずもなく、『...『侵略』という批判もあることは認識する必要がある』などと釈明してしまいます。

 宮澤喜一内閣官房長官も、 朝日新聞に受けがいい事からわかるように、いわゆるリベラル思考の政治家で 太平洋戦争では徴兵逃れしたともされ、それもあってか首相経験者なら貰える勲一等勲章が授けられませんでした。  後の1993年(平成5年)8月4日、宮沢政権において 「従軍慰安婦問題」が騒がれた時、韓国のゴリ押しに根負けし、なんら証拠がなかっにも係わらず、河野洋平官房長官に 日本軍の関与や日本軍の強制連行があったとする河野談話を発表させ、 「慰安婦強制連行説」を認めさせた首相でもあります。  つまり、 宮澤喜一は日本を再び敗戦国家へと突き落とすキッカケとなる二大事件の際に、日本の責任者でもあった政治家なのです。  あまりにもタイミングが悪すぎたのです。

 「教科書誤報事件」のときのリーダーがこういう政治家たちですから、中韓の執拗な剣幕に立ち向かえるはずは無く、到底《書き直させたというのはウソであり、他国の教科書に文句をつけるのは内政干渉である》 という反論などできません。    結局、宮澤喜一内閣官房長官は「教科書誤報事件」は誤報であることを知りながら、中韓の圧力に屈し、『日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、 深く反省する』、『政府の責任において教科書の記述を是正する』という日本を一方的に戦争犯罪国扱いする 「宮沢談話」を発表し、さらに文部省の教科書検定規定に《...近隣アジア諸国との近現代の歴史事象について、国際理解や国際協調の見地から必要な配慮をする》 という近隣諸国条項なるものまで設けてしまったのです。

 近隣諸国同士、長い歴史では利害衝突の歴史があるのは当然で、その認識が互いに一致することはあり得ません。  それなのに日本は学校教科書検定において 教科書の中身を中韓の事情に合わせた内容にすると宣言してしまったのです。   そして今では中国と韓国だけが日本の教科書に干渉してきます。    世界広しと言えど属国でもない限り近隣諸国に配慮した中身の教科書を使う国家などあり得ませんが、こんな常軌を逸したことがまかり通っているのが戦後の日本なのです。

 このように戦後の日本は『戦後の反日歴史教育の土壌』で育ってきた中韓相手だと腰が引けてしまう政治家ばかりとなり、 国家間の行動様式では自らの非を述べ相手に謝罪するなど国際常識的にあり得ないということもわきまえず 「国賊的無知」を発揮し、 戦後処理問題が解決すると困る中国と韓国に一切反論できず 安易に謝罪一辺倒へ走り唯々諾々と中韓の要求に屈する国となり果てました。     結果、日本は ありもしない歴史問題に振り回され「敗戦国」から抜け出せなくなってしまったのです。   そして、 「日本がアジアを侵略した」というのは戯言であるにもかかわらず、いまでは 植民地支配の「痛切な反省と謝罪」を強いられる、 「永遠の謝罪国家」へと突き落とされたのです。(2025.1.9)


  

中韓に危機感を抱かせた「まともな首相」の登場

 そんな中の1982年(昭和57年)、鈴木善幸内閣の後を継ぎ「戦後政治の総決算」 というスローガンに掲げ軍備増強憲法改正を唱えるタカ派 もと帝国海軍主計少佐・中曽根康弘が首相の座に就きます。    中曽根は当時のアメリカ大統領であるレーガンと「ロン」、「ヤス」と呼び合う関係を築き、GNPの1%以内とされてきた日本の防衛費枠を撤廃し、 日本を「不沈空母」に見立てるなど、それまで「日本は先の大戦で中国・韓国に迷惑をかけた」という低姿勢で中韓と対峙してきた首相と真逆の、トップダウン型のいわゆる 「大統領型首相」を志向した人物でもありました。

 中曽根内閣は「戦後政治の総決算」の一環として行財政改革に踏み切り「三公社民営化」を主要政策とするなど、強力なリーダーシップをアピールし 防衛や外交で強気に出る姿勢を示します。   それまでの大人しい日本国首相とは全く異なる中曽根首相に、中韓が危機感を抱いたのも当然でした。

 しかし、「大統領型首相」中曽根は、そんな雑音などには怯みません。   1985年8月15日、中曽根首相は10回目の 靖国神社参拝を行います。    これは中曽根本人としては公人として初めての公式参拝でしたが、 これを例によって朝日新聞が大々的に批判記事を書き、これにつられ中国や韓国もA級戦犯を合祀した神社を首相が参拝するのは「侵略戦争を正当化する」と強く反発します。    「靖国神社参拝騒動」の仕掛け人も朝日新聞だったのです。

 政治家が靖国神社を参拝するのは従来から当たり前に行われていたわけですが、1975年に首相として初めて終戦記念日に靖国を参拝した三木武夫首相は、公用車を使わず、「私人」として玉串料を私費で払いました。    「日本の戦争責任」が姦しく言い立てられていた当時は、終戦記念日に首相が堂々と靖国神社参拝を行うことに後ろめたさがあったわけです。

 そうはいっても、主権国家・日本の首相が、すでに講和条約が締結され戦後処理が終わっている戦争において、犠牲となった戦没者の慰霊施設に、 いつ誰が参拝しようが他国が文句をつける筋合いは一切ないはずであり、そもそも日本が中韓の公器に唯々諾々と従うのもおかしな話です。    いずれ、 いつの日か日本国首相が堂々と参拝するのが当然となるときが、日本が真の独立国家となった証となるわけです。

 いずれにせよ、どこかの時点で日本国首相が堂々と靖国神社公式参拝を果たすわけで、誰かが先陣を切る必要があり、それが中曽根首相だった、というだけの話です。  ところが、案の定、中国はこの参拝をめぐり抗議をしてきます。

  

安易な謝罪に走る無能政治家たち

 1970年代の日本社会は高度経済成長を迎え、好景気によって人々の暮らしが豊かになった一方で、公害問題の深刻化やオイルショックに悩まされた時代でもありました。 またベトナム戦争を契機とした 反戦・反米気運や学園紛争から生じた反体制ムードの高まりを背景に、日米安全保障条約の改定に反対する大規模デモ運動が頻発するなど、 日本社会党や日本共産党といった左翼勢力が幅を利かしていましたが、連合赤軍の正体が明らかにされて以降、新左翼を好意的に見ていた人々は激減し、日本国内の社会運動や学生運動は衰退していきます。

 1980年代、それまで曲がりなりにも左翼路線の本筋だった「貧しい労働者を救おう」という妄想で活動していた左翼勢力も、現代の資本主義社会においては「豊かさの上に立った豊かさ批判」 に明け暮れていたのにすぎなかったことに気づきます。  もはや革命などという死語から目覚めた左翼勢力が次に目を付けたのがリベラル運動、 いわゆる赤から緑へと転換する動きでした。  それまで「人間は皆平等であり」、「生活水準も横並びでなければならない」などと非現実的な平等主義的理想主義 を振りかざしていた左翼たちは、環境保護、差別反対、フェミニズム、社会的弱者の救済といったソフト路線に逃げ込んだわけです。

 日本社会に巣食う不満分子「反日的日本人(進歩的日本人)」たちは、どこまでも己のセイギを掲げ、ひねくれ者として体制側を徹底批判していきます。   彼らはリアリズム(現実主義)から目を背け、 聖典「三十二年テーゼ」の理想主義的な救済思想に魅了された信者のまま、 幻想的理想主義者として近代日本を徹底的に批判していくのです。  左翼あるいはリベラル派は、いつまで経っても「自分はこの世で一番世の中を分かっている」という思い込みに囚われた、 我儘で独りよがりの思想に暮らす「幼児」とも言えます。

 そんな中で起きた「教科書誤報事件」により、 戦後の日本は朝日新聞の受けだけはいい宮澤喜一や「河野談話」で 「慰安婦強制連行」はあったと認めてしまった" 中国の走狗・河野洋平"のような、捏造話の「日本悪者説」にすっかり騙された政治家が次々に登場します。     そして、その後の日本は中韓にひたすら平身低頭し許しを請うという愚かな謝罪外交を繰り広げていくのです。

 その一人、社会党党首でご都合主義の政治家・村山富市も、 「三十二年テーゼ」に毒され 「日本は植民地支配と侵略を行った」と断定した「国賊的政治家」の一人でした。   日本は侵略国家という一方的な自虐史観に囚われた村山は、 国家が自らの非を認めることなどあり得ないという国際常識的など弁えず、歴史もロクに知らぬまま政治家が歴史を確定してはならないにも係わらず、「戦後50年の談話」で 【...国策を誤り、 戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、 多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました】などと、 先の戦争を一方的に「植民地支配と侵略と断定」した 「村山談話」を表明した人物です。

 ただし「村山談話」は国会の正式決議などではアリマセン。 この 「日本は植民地支配と侵略を行った」と断定した 偏向史観に満ちた欺瞞文は衆院でわずか6分間という騙し討ち決議によって採択されたものの、 参院では拒否されたシロモノなのです。   そもそも、一国の首相ならば紛争を解決する唯一の方法が「条約」であり、 「条約を結ぶ、あるいは条約を破棄する、それのみが国家と国家との間における行動様式」である以上は、 ある国家が相手国になにか快(よ)からぬ遺憾の念を持ったときは、それを正規の外交交渉の場に持ち込み、どこから見ても無理のない解決へ理性的に進行させるべきで、 いかに中韓から激しい突き上げを食らおうとそれ以外の解決方法などあり得ないと毅然と対応するべきでした。

 にも係わらず、一国の首相でありながら自虐史観に囚われた宮澤喜一や村山富市は ありもしない歴史問題に振り回され紛争を解決する唯一の方法が「条約」 であることも知らず安易に謝罪してしまい、日本を侵略国家の立場へと突き落としたのです。 その醜態ぶりを見た 大戦中何もできなかった怨念が渦巻く中国と韓国が、 ドラを叩いて「日本は侵略国家である」と喚きたてているのです。(2024.12.11)


 

日本を謝罪国家に突き落とした政治家たち

 以降、日本国首相という立場でありながら先の戦争を一方的に「日本は植民地支配と侵略を犯した戦争犯罪国家」 と全世界に向け高らかに宣言した村山富市のような 「反日的政治家」 が次々と出現する悲劇に日本は見舞われます。  日本が謝罪国家に突き落とされたのは 愚かな政治家の存在があったのです。

 「政治家として全く気概のない」宮澤喜一もその一人です。     宮澤が内閣官房長官(当時の首相は鈴木善幸)だった1982年、 中韓に「日本叩き」の外交カードを提供する端緒となる 「教科書誤報騒動」が勃発しますが、その矢面に立たされた宮澤は 「中韓の批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する」という弱腰談話を発表します。 また、「慰安婦強制連行説」が噴出したときの首相でもあり1992年1月、 韓国の国会でウソ話である慰安婦問題に対して謝罪し、 韓国に日本叩きの強力な武器を献上した首相でもあります。

 このように我等こそ「侵略国家」と宣言し 日本を謝罪国家に突き落とし、日本を苦境に陥れた政治家は宮澤喜一や村山富市だけではありません。    日本の首相が「我が国は侵略国家」と断言したのは 細川護熙(ほそかわもりひろ)が最初です。     さらに中国の走狗・河野洋平も韓国の 「我々は哀れな被害者」という主張に根負けし、 四十余年間も存在しなかった完全な捏造話だった 慰安婦問題の本質を見誤り、 安っぽい正義感で過去を総括して日本を戦争犯罪国家に仕立てた政治家の一人です。   歴史学者にも家永三郎や吉見義明のような勝者側につき祖国を喜んで悪者にし インチキ歴史を捏造する反日的日本人が次々に登場し、慰安婦問題を拡散させます。

 中国、韓国を大喜びさせた福田康夫も、 中国が「南京事件・日本軍残虐説」を裏付けようと仕掛けたウソまみれ展示品が陳列される 「南京市の南京大虐殺記念館」をノコノコ訪問し、日本への憎悪を育むための情報戦にコロッと騙され、 「過去の事実を正確に理解しなければならない。 もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と発言した政治家です。   ルーピー・鳩山由紀夫元首相も然りで、日本には 政治家としての気概も思慮分別もない人物があまりに多すぎます。

 このように、戦後の日本は日本国の政治家でありながら嬉々として日本の国際的立場を棄損し、日本国民を犯罪者扱いし、 日本の国益を失わせる言を吐く日本を再び敗戦国にしたがる政治家が続出します。    このような「反日的政治家」が先の戦争を一方的に 「植民地支配と侵略と断定し、日本は戦争犯罪国家である」と全世界に向け高らかに宣言してきた結果、 日本は侵略国家にされてしまい、 国賊的政治家の腰抜けぶりを見た反日勢力が祖国否定運動を加速 させていったのです。

 2024年には安倍首相が「この人物だけは首相にしてはならない」と公言し、『次の首相にしたくない政治家』第2位に選ばれた 石破茂何の因果か首相に選ばれてしまい 選挙で自民党を大敗に追い込みます。    この人物も 一方的な反日歴史観を持つ 危うい「戦後史観」の持ち主であり、いずれ村山同様、 日本を貶める戦後80年談話を出して 「歴史問題」を再燃させ 自民党を解党に追い込むのではと危惧されています。  またしてもマトモでない首相が誕生したわけで日本の前途には暗雲が立ち込めています。    こんな政治家ばかりでは戦後処理が終わるどころか、ますます中韓・反日を勢いづかせ、反日攻撃を激化させてくるのも当然です。  中国は平頂山事件、 万人坑、南京事件、三光政策、731部隊問題といった日本叩きの隠し玉を色々と用意しています。 中国・韓国の「日本の旧悪糾弾」攻撃はまだまだ続くのです。(2025.2.7)


 

レベルが低すぎる日本の政治家

 それにしても、なぜ日本国の首相という重要ポストに、よくもまあ次々に日本の国際的立場を棄損し、日本国民を犯罪者扱い日本を再び敗戦国にしたがる政治家が出現するものです。    この連中は相手に頭を下げ謝罪の言葉を口にすれば、国家間の対立も簡単に水に流せるとでも考えているのでしょうか。   「国家が自らの非を認めることなどあり得ない」のです。   「国家が相手国になにか快(よ)からぬ遺憾の念を持ったとき」は、 「それを正規の外交交渉の場に持ち込みどこから見ても無理のない解決へと事態を理性的に進行させる」のは国際常識であり 紛争を解決する唯一の方法が『条約』(谷沢永一)なのに、 日本の政治家は後先考えずペコペコ謝罪を繰り返しているわけで、あまりに政治家としてのレベルが低すぎます。

 中国・韓国は「日中平和友好条約」や 「日韓基本条約」といった日本と正式に交わした条約を無視し、ネチネチと不満を言い立てるわけですが、 それなら条約締結に応じなけれはよかっただけの話です。  中韓が冷静な外交交渉に持ち込もうとはせず、 ドラを叩いて喚きたてるのは、「自らの言い分が世界の外交界を納得させるだけの明白な理由がない」ことを自覚しており、 「もっぱら情意的なユスリとタカリの非合法な手段で利得を掴み取ろうと企てているだけ」なのです。    「相手にせず放っておけばいいだけ」の話です。

 日本はロクに歴史も国際法も知らない自虐史観に凝り固まる政治家たちが寄ってたかって 我等こそ「侵略国家」と宣言したことによって、 中国・韓国に頭が上がらない国へと追い込まれたわけですが、この関係はもはや戦争を起こして勝たなければ覆せないところまで来ています。    政治家や官僚の中にはいまだに、 慰安婦強制連行はあったと認めた河野談話村山談話は、 歴史認識問題の扱いに苦慮した往時の日本政府が火消しを図るため発出した などと捉えているものがいますがトンデモナイ筋違いの見立てであり、河野や村山の発言によって 「戦後日本への呪い」が創出されたのです。

 こんな認識が存在している限り、いわゆる歴史問題 なるものの解決はあり得ませんし、そもそも「「歴史問題」」と言ってもその中身は 「事実とほど遠い、日本から受けた虐待・虐殺話」がてんこ盛りされた、 中韓の怨念がドス黒く渦巻くシロモノです。  その正体は 大戦中何もできず日本憎しの怨念に駆られている中韓が、なんとしても「日本は加害者で我々は被害者という歴史を確定させよう」 と足掻いている構図であり、相手にしてはならないのです。

 日本の戦争が侵略戦争か否かという判定も、中韓の頭が冷え冷静な歴史考察が可能となる 100年後の公平な歴史観察で日本の評価が判定されるものです。    その時に「日中戦争は侵略戦争ではなかった」ことや 「大東亜戦争は独立戦争」だったことが明らかにされるのです。    「歴史問題」なるものの正体も、韓国が「我々は植民地支配被害国」ではなかったことに気づき、 韓国が日本に併合された歴史を直視できるようになった 100年後に決まるものです。(2025.1.9)


  

自称リベラルの凋落

 「スターリンの呪い・三十二年テーゼ」に操られた 社会党党首・村山富市であれば、日本国民を犯罪者扱いし、 日本の国益を失わせる言を嬉々として吐く理由も納得できますが、 保守派牙城である自民党議員の宮澤喜一や河野洋平、福田康夫、石破茂たちまでバリバリの社会主義思想の持ち主とは考えられません。    ではなぜ彼らが中国、韓国を大喜びさせる発言を嬉々として行うか、それは先の戦争は全て日本に非があるとする「危うい戦後史観」いわゆる 「自虐史観」の持ち主だからかもしれません。

 敗戦後の日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)は、極東国際軍事裁判 (東京裁判)で日本を侵略国家に仕立て、 メディアを使い日本は戦争を引き起こした犯罪国家である」 という考え方を日本国民に押し付けます。  これにより日本国民には「自分の国の歴史・過去を過剰に悪とする考え方」いわゆる 「自虐史観」 が植え付けられました。  この戦勝国側の占領政策を支えGHQに迎合したのが 勝者側につき祖国を喜んで悪者にした反日的日本人たちでした。

 この反日的日本人は「三十二年テーゼ信仰派」と「親米派」に大きく分かれ、三十二年テーゼ信仰派は 日本憎しの呪いで動く呪術人形たちであり、頭の先からつま先まで「日本憎し」 に凝り固まっている勢力ですが、 親米派は日米開戦のみ悪としているわけです。 そこに「親韓派」が加わります。  これは反日的日本人とは言えないまでも、「韓国は可哀そうな被害者であり日本は加害者」と無邪気に信じ込んだ 石破茂のような 一方的な反日歴史観に染まった勢力です。

 その他、「迎合・問題先送り体質」にすっかり染まり「政治家としての気概など持ち合わない」ため、中国・韓国からの激しい抗議の剣幕に恐れをなし 謝罪一辺倒の対応に終始してきた宮澤喜一、河野洋平、福田康夫といった 中韓相手だと腰が引けてしまう政治家たちがいますが、三十二年テーゼ信仰派以外は世間から「リベラル派」と目されています。

 イギリスでは18世紀頃から、市民が支配階級に対し個人の意思や経済活動の自由を求める運動を起こし、これが「リベラリズム(自由主義)」とされます。   しかし、20世紀になるとこのリベラリズムは貧しい大衆を救う思想と混同され、やがて緩やかな社会主義思想の信奉者たちの隠れ蓑として使われはじめ、 いまや「常に何ものかに対する反対思想・反体制運動」として存在しています。    この思想に染まったリベラリストたちは『自分は貧しい者や抑圧された人々の味方である』ことを信念とし 高い立場に身を置き、金に不自由しない生活を営みながら、巧みに庶民・貧困層の良き理解者として振る舞います。  人々から賞賛されることに喜びを感じる偽善者が 現代リベラル派というわけです。

 テレビに出まくり、さも弱者の味方面する文化人たちは、高額所得者ばかりで庶民階級など一人もいません。  2024年の米国大統領選挙でハリス陣営は人気の歌手や俳優ばかりを選挙集会に呼んだ 「セレブ戦術」を繰り広げますが、トランプ陣営側は「向こうの集会は働く必要のない奴らが来ているが、 こっちは働く人の代表が来ている」と逆手にとり一般大衆の支持を集め勝利しました。  「偽善リベラル派」がいくら弱者の味方と主張しても 「いったい誰の何のための利益を擁護しているのか」は分かりません。  大した思想も歴史知識もない日本の「偽善リベラル派」政治家が 「我々は被害者で日本は加害者」と主張する韓国に寄り添うのは、単に自虐史観に囚われたうえでの可哀想だからという理由であって、国家の利益など考えもしないのです。(2025.1.9)


  

『戦後の反日歴史教育の土壌』から生まれた政治家たち

 敗戦後、日本に乗り込んだアメリカは戦時中の連合国側でつくられた 『日本悪者史観』を日本に流布するとともに、 占領軍に友好的な「自由主義者」 として日本の歴史を否定するコミンテルン史観の野坂参三、鹿地亘らを 天皇制打倒をスローガンとする国家体制破壊の大きな勢力として活用します。  マッカーサーの政治顧問付補佐官であったエマーソンは後に米上院での証言で 「共産主義の目的についての理解が足らなかった」と弁明しています。  いずれにせよ、ここから『日米合作の太平洋戦争史観とコミンテルン史観との奇妙な癒着』が 『戦後の反日歴史教育の土壌』となり『「反日日本人」のルーツ温床』となっていったわけです。

  日本に乗り込んだ米国人たちは、いわゆる近代社会ではなかった日本に『自虐史観』と同時に『民主主義と人権と平等思想』を教え込んだわけです。    これをもって進歩的文化人と自称する連中は「欧米人は今でも日本を近代社会とみなしていない」などと日本を見下すわけですが、 いずれにせよ伝統的社会で旧態依存のままだった日本社会に突如民主主義が刷り込まれたのです。  見方によっては犬猫をしつけるやり方でもあったわけです。

 ただ、古来から他国文化を取り込みアレンジして自分のものにする能力に長けている日本人は民主主義を楽々取り込み、現代では一部のヒネクレ反日的日本人以外、昔からの民主国家であるかのように振る舞い違和感も感じません。    一方1970年代は猛威を振るっていた左翼活動も1980年に入ると時代の変化で革命という妄想から目覚め、環境保護、差別反対、フェミニズム、 社会的弱者の救済といったソフト路線に逃げ込んでいたわけですが、そんな中の1982年、ホンモノの自虐史観に支配される端緒となる 「教科書誤報騒動」が勃発し、それまで鳴りを潜めていた左翼勢力がこの騒動でガゼン勢いづき、 日本国内の混乱ぶりを嬉々として中国サマにご注進し「南京大虐殺事件」 という日本叩きの強力ツールに仕立ててもらいます。

 また同じ年「教科書誤報騒動」に影響されたか日本軍が強制的に韓国人女性を慰安婦にした」 という捏造話もデッチ挙げられます。  これも 日本を「侵略国家」に仕立てた最大の黒幕朝日新聞のご協力によりまんまと 韓国の大切な日本叩きツールに担ぎ上げられます。  これら一連の「デッチあげ日本貶め話」は、 それまで戦勝国によって自虐史観をタップリ刷り込まれていた良心的日本人たちを「やっぱり日本人は戦争で酷いことをしていたんだな」と信じ込ませる効果がありました。

 こうなれば反日的日本人たちの独壇場です。 これ以降、中国・韓国・反日的日本人のタッグを組んだ「日本はアジアを侵略した軍国主義国家コール」攻撃によって、 先の大戦中いかに日本軍が残虐だったか、いかに中国人を虐殺したか、 いかに朝鮮人にヒドイことをしたか、あることないこと捏造され捻じ曲げられた歴史が次々持ち出され、日本社会は贖罪一色に追い込まれます。

 これらの話はいずれも確たる証拠など全くない捏造話だったのですが、間の悪いことに この問題の矢面に立たされた首相は、 鈴木善幸(1980~)宮澤喜一(1991~)や細川護煕(1993~)、羽田孜(1994~) 村山富市(1994~)、 橋本龍太郎(1996~)といった政治家としての気概や国家史観、国益意識など持ち合わせない者ばかりでした。  そもそも 皆『戦後の反日歴史教育の土壌』から育った作物だったため、中韓に堂々と反論できる 歴史観・気骨を持つ政治家など存在していなかったのです。(2025.1.9)


  

「贖罪国家」の烙印を自ら押した日本

 1982年6月、文部省(現文科省)が教科書検定で高校日本史の中国華北への日本軍の「侵略」という表現を、 「進出」に書き換えさせたという報道が一斉に出ます。     この報道は後に誤報であることが判明しますが、 これが中国・韓国の反発を招き「歴史認識問題」まで発展、 その後「日本を再び敗戦国にする端緒」になっていきます。

 当初は韓国の全斗煥(チョン・ドファン)氏も、中国の鄧小平(トウ・ショウヘイ)氏も、 この件を問題にするつもりはなかったとされます。    しかし、両国の反日派がこの問題を大きく取り上げる騒ぎとなり、 全氏が日本政府に問い合わせます。    当時の日本首相鈴木善幸氏は、これを抗議の話と勘違いしたのか、 「過去の戦争を通じ、重大な損害を与えた責任を深く痛感している」、と記者会見で謝罪してしまったのです。     歴史評論家の倉山満氏は、この時の「日本政府の対応が日韓外交の転機になった」と見ています。

 当時、小川平二・文相が謝罪はすべきでないと主張しますが、これに異を唱えたのが、 朝日新聞に受けはいいが政治家として全く気概のない政治家・ 宮澤喜一・官房長官で、 この人物が謝罪を主導したとされます。     これにより戦後の日本は「贖罪国家としての道」を歩まされることになっていくのです。   中韓相手だと腰が引けてしまう腹の据わっていない政治指導者を選んでしまうと、 いとも簡単に国益や誇りなど吹っ飛んでしまうのです。

 さらに日本政府はこの誤報騒ぎに恐れをなしたか、以降日本の「教科書検定基準」の中に、 「近隣諸国の国民感情に配慮する」という「近隣諸国条項」を盛り込んでしまいました。    これ以後、中国や韓国はこの条項を根拠に、反日的記述さえパスさせてしまう悪しき前例を作り、日本の教科書にたびたび注文・要求を出す現状があります。  そして今では、 国内政治基盤が安定していない中国・韓国は日本を悪者に仕立て攻撃さえしていれば、 自国民の不満などの国内問題から国民の目を逸らせることを学習しました。     中国・韓国は「日本が悪者」でないと困る政治体制の国なのです。

 中国・韓国は日本をいつまでも侵略者にしておかないと困る国なのです。  だから、 せっせとありもしない歴史問題とやらを次々に持ち出し、 日本は「謝罪一辺倒の国」のままにしておく必要があるのです。     その策略にまんまと絡め取られた左巻き政党の党首・村山富市は、自民党、社会党、新党さきがけの3党連立内閣の総理大臣の座につくや、 「村山談話の呪い」によって 一方的に「我が国は侵略国家」であると宣言した大バカ政治家です。

 これを機に日本は 何度も謝罪を強いられる国となってしまったわけですが、 「村山談話」は国会決議ではありません。     日本は積極的に計画して大東亜戦争を起こしたわけでも、侵略戦争を行ったわけでもありません。     そもそも、「戦争のボタン」を押したのはアメリカであり、 「ハル・ノート」が日本を開戦に追い込んだのです。     勝者側につき祖国を喜んで悪者にした反日的日本人に騙されないよう、 日本がアメリカ相手の勝ち目のない戦争へ巻き込まれていった背景には、日本の抹殺を図ったアメリカの、 日本に最初の一弾を撃たせるための謀略があったことを日本人は知っておくべきです。

 「国権の発動たる戦争」は、独立主権国家が国際法上で有する最も至高かつ崇高な権利であり、 独立国家は戦争権を持つのが権利とされています。     生き残るため戦わなければならなかった時代に、 日本は自衛の権利を行使したものであり、それは個人になぞらえれば、生存権あるいは正当防衛権であり、それを認めないのは、 基本的人権違反でもあります。(2024.12.11)


 

「日本悪玉説」から抜け出せない日本

 戦後の日本は日本人に罪悪感を刷り込んだ「WGIP」にまんまと洗脳されたまま、 「日本は戦争を起こした悪い国」」という信仰に近い思い込みで凝り固まっている、反日思想の持ち主たちが 日本国内にいまだに蔓延っているわけですが、 この日本人たちは、「先の戦争は、戦争に駆り立てた軍部が、 戦時指導者が悪かった」と責任をすり替えられ、洗脳されていることに気づいていないのです。

 そもそも「日本悪玉説」は、 戦後ずいぶん経ってから出てきた話です。     「大戦中何もできなかった」中韓が、 ありもしない歴史問題とやらを持ち出し、 日本に難癖をつけ、日本に戦争責任を求める姿勢へと変わったのは、 戦後何十年も経ってからなのです。   今では捏造だったとされる 「慰安婦問題」にしても、騒がれ出したのは1982年以降であり、 四十余年間存在しませんでした。   これは考えてみればおかしな話で、 本当に日本に非があったのなら、どうして当初から「日本悪玉論」が表に出なかった のでしょうか。

 これだけでも、「日本悪玉説はウソだ」と分かりそうなものです。    寺田寅彦氏は、 「疑いは知の基である。 よく疑う者はよく知る人である。」と説いています。   書かれたもの、聞いたモノをただ鵜呑みにして、 あたかも博学多識のように振舞うことを戒め、疑う所のない点こそ疑えとし、 さらに「一を読んで十を疑い、百を考うる事、が必要である」と指摘しています。

 1983年に訪韓した安倍晋太郎・外相(安倍晋三首相の父)に、全斗煥大統領は、「弱い立場にある人間は普通、富める人、強い人に対してひねくれた感じを抱くものだ。  これまでの誤解の大部分はそういうものだったろうと思う」、 「強い人、富める国は多少損をしても寛大な気持ちを持って欲しい。  それが両者間の調和を保つための知恵であり、テクニックだと思う」と語ったといいます。(日本経済新聞1984年7月9日付)

 要は、韓国は日本に対し、これからも日本にバンバン補償要求するけど、オタクは金持ちなんだから、モンクなど言わずセッセと寄越しなさい。   それが我々と仲良くするコツなんだから。  と宣言したわけです。   日本への謝罪要求と経済支援は今後もセットだよ、というわけです。      日本と韓国に横たわる歴史には様々な紆余曲折がありましたが、 「未熟な子どもの喧嘩」で日本に挑み続ける、 韓国の反日姿勢は今後も続くのです。(2019.9.11)

 2023年、韓国新大統領となった尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏は、「....日本は数十回にわたって歴史問題で反省とおわびを表明してきた...」、 「100年前の歴史で日本はひざまずき許しを請えとの主張には同意できない」と語り、 「大人同士の日韓関係」構築をアピールしますが、 外交オンチ日本はまたしても「寝た子を起こす謝罪」を持ち出し、 せっかく新たな「対等な日韓関係」を築こうとした尹大統領の背後から弾を撃ち、自ら「怒る韓国と謝る日本」という昔ながらの 「大人と子供の日韓関係」に戻してしまったのです。     日本政府内の闇勢力によって、日本はこれからも「謝罪する国・日本」という愚かな外交スタイルを、強要され続けていくのです。(2023.5.12)


 

天皇陛下まで謝罪に引っ張り出す日本の政治家たち

 日本ほど中国・韓国に弱腰な政治家が存在する国はありません。  1984年9月6日、中曽根元首相は全斗煥大統領を韓国の国家元首として、 史上はじめて国賓として招きました。

 そして、宮中晩餐会の席で昭和天皇が、『今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存在したことはまことに遺憾であり、 繰り返されてはならない』、とお言葉を述べる場を作ってしまったのです。    この天皇陛下の発言は韓国からすれば、 「天皇が歴史問題について謝罪した」、と受け取られてしまうのも当然です。

 日韓の間にはそれまで建前とはいえ"歴史問題と経済援助"との間には、一線が引かれていました。  しかし、これ以降、韓国では新大統領が就任するたび、 「日本の天皇への謝罪要求」を行なうのが当然のスタイルとなります。  日韓の間には、韓国が謝罪要求を強めれば日本が経済援助する、 というのが定番となってしまったのです。   中曽根氏の稚拙な外交政策によって、歴史問題と経済援助の最後の一線は消し去られたのです。

 これ以降も、天皇陛下を政治利用しようとする日本の政治家が跋扈(ばっこ・のさばること)します。    2009年12月15日、民主党政権下において、 小沢一郎氏は天皇陛下と習近平中国国家副主席(当時)の会見を強引にセット。  天皇陛下を政治的に利用し、 習近平が次の国家主席になることを世界中に誇示する手助けをします。(2019.9.12)


 

中国に媚を売る、弱腰すぎる政治家たち

 極端な中国寄りの態度を示し、中韓に媚びを売る政治家は中曽根氏や小沢一郎氏だけではありません。  鳩山由紀夫元首相は、 反日感情の渦巻く時期にわざわざ韓国を訪問し、例え1人でも民間人を殺害したら謝るべき、と墓の前でひざまずく最低のパフォーマンスで、 韓国民にいわれの無い日本軍の非道ぶりを過剰にアピールし、反日感情に油を注いでくれました

 福田康夫元首相は、根拠など一切ないにも係わらず、 「30万人」が犠牲になったとして旧日本軍の残虐行為を展示する施設・ 「南京市の南京大虐殺記念館」をノコノコ訪問し、 「過去の事実を正確に理解しなければならない。 もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」、と語りました。

 このおぞましい記念館にはルーピー首相鳩山氏も2013年1月に訪れ、「私は日本人として、この事件に責任を負わなければならない。 心からおわびしたい」、と語っています。     事実ならともかく、戦後のGHQによる「日本悪玉説」 に単純に洗脳されたまま謝罪を繰り返す姿はアホ丸出しです。     こういう輩が日本の首相だったのですから、中韓にナメられるわけです。

 過去この記念館には、そのほかにも海部俊樹、村山富市両元首相、 古賀誠元自民党幹事長らの有力政治家も訪問しています。  彼らは中国・韓国を利する役回りをしているという現実に、 いつか気づくときがくるのでしょうか。

 親中派といわれ中国の政策にはまず反対しないとされる自民党の有力者、二階俊博氏は、米中関係が険悪となり日米同盟が強化されると北京に姿をみせるとされています。     本人は中国からチヤホヤされ大物気分を味わっているのでしょうが、中国に上手く利用されているストーリーにいい加減目を覚ましていただきたいものです。

 中国の走狗とされる河野洋平氏は、外務大臣だった1994年、日中外相会談のためにバンコクに向かった際、 台風のため飛行機が台湾の空港に緊急着陸。   その際、河野氏は、台湾政府を認めない中国共産党に配慮し、機内から一歩も外へ出ませんでした。    その後バンコクで中国の外相に会うと、その"台湾の土を踏まなかった"エピソードを自慢げに披露、中国への忠誠心をアピールしたそうです。

 石波茂氏は、細川内閣が発足し自民党が野党に転落すると党を離脱。   新進党に参加するも小沢一郎氏と仲たがいし再び離党。  自民党に復党し麻生内閣の大臣になってからも、 今度は麻生おろしに加担。  さらに安倍首相と対立するというまことにめまぐるしい渡り鳥経歴を持ちます。

 彼は日韓関係が戦後最悪となったとき、『.....旧帝国がどれほど朝鮮で教育制度を敷こうと、 食料を増産しようと、公衆衛生を向上させようと、インフラを整備しようと、その国に生まれた人々には独立心や愛国心がある。  民族の誇りがある。   それを奪われた傷は、決して癒えるものではないのでしょう。』、とまるで韓国人のような 一方的な反日歴史観を披露します。

 しかし、韓国が執拗に「日本の戦争責任」を主張し続ける目的は、 石波茂氏のような中庸政治家から謝罪を引き出し、 「日韓基本条約を破棄」させ、 「日本を未来永劫に謝罪国家」とすることです。

 人類の歴史は戦いの歴史と言われるように、どんな国同士であっても長い歴史をたどれば互いに「スネに傷がある」ものであり、 その部分に拘ったまま関係を築こうとすれば、ギクシャクするのは当然です。     今の平和な時代に身を置く者が、「日本が韓国を併合したのは暴挙である」、などと偏った正義感で非難してもせん無いことです。   当時は正義と無縁の弱肉強食の不幸な時代だったのですから。

 韓国に同情するのは勝手ですが、14年もかけやっと折り合った戦後処理を、自身の中庸な思考で振り出しに戻すような行動は、日本の政治家であれば控えるべきでしょう。     こういう「物事をウヤムヤにして玉虫色の決定でお茶を濁そうとする」、 歴史に盲目的な政治家たちが、 「議論を尽くして、なにも決まらない」意思決定システムに取り込まれたたまま、 戦後の「謝罪国家・日本」を作り上げてきたわけです。(2019.9.12)


  

日本は欲張った拡張政策を取るつもりは無かった

 公平無私な見方をすると評価されるアメリカの女性東洋学者ヘレン・ミアーズ氏は、「当時の日本は決して欲張った拡張政策を取るつもりは無く、 ロシアの南進政策に対抗して朝鮮半島と満州を治め、イギリスとの話し合いで華北(かほく・中国北部の呼称)に一定の権利を確保する、 ということであり、その後弱冠の変化はあっても当時の西欧列強が行なっていたアジア支配の流れと比較して決して過度なものではなかった」、 としています。

 今になって中国・韓国は、日本を「戦争を仕掛けた悪い国」などと的外れな批判をします。  しかし、当時アジアを支配していた白人列強を、 アジアの地から追い払うため獅子奮迅の働きをしたのは日本だけでした。      「アジア諸国は日本の力によって白人支配から独立した」、という歴史は変えられません。

 第二次大戦当時、アフリカのほとんどは欧州帝国主義列強によって植民地支配され、アジアにおいて植民地支配を受けなかった国は、日本、 タイ、ネパールの3ヶ国だけでした。     当時は武力によって領土を拡大し国威国力を高めることが当たり前であり、 強い民族が弱い民族を征服する弱肉強食の世界情勢だったのです。

 そんな「食うか食われるか」という「力がモノを言う」時代の実情を無視し、 生き残るため戦わなければならなかった当時を、 今になって安全な立場に身を置いて、「日本が白人に支配されていたアジア地域に進出」、したことは許せない、などと偏った考えで非難してもせん無いことです。    それが「歴史」の非情さであり、当時はそういう時代だったのですから。(2019.9.11)

 当時、"遅れてきた帝国"としてイギリスの後を追いかけ、 「満州の大地が欲しかった」アメリカは、 日本を戦いの場に引きずり出すため資源の輸出を禁止し、1930年代後半に日本に対して行った貿易制限、 いわゆるABCD包囲網の経済制裁によって石油の輸入を絶つ、 兵糧攻めを仕掛けます。

 そして、日本に最初の一弾を撃たせたアメリカの謀略によって、 いよいよ日本は生き残るための戦いだった、 大東亜戦争(太平洋戦争)へ突き進まざるを得ない運命へと追い込まれていったのです。(2018.12.16)

 そもそも、日本は欧米列強のような搾取一本やりの「植民地支配」などしていません。  日本は、当時の、 「強い民族が弱い民族を征服するのが当然」、 という恐ろしい時代において、世界中の有色人国家の中でただ1国、日本だけが人種差別撤廃とアジア諸国を植民地支配から解放するという、 「大東亜共栄圏構想」を掲げ、宗主国気取りする米英のアジア植民地支配からの解放を目指す、 という高い理念と構想を掲げ、白人列強に敢然と立ち向かった国だったのです。(2020.12.12)


  

中国や韓国への反論は許されなかった日本

 こういう日本の弱腰振りは、(GHQ)の日本占領政策の一環として米国により行われた、 「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつける戦後教育プログラム」、 いわゆるWGIP(*1)により言論が厳しく統制され、「あの戦争は日本が悪い国だったから起こった」、 とする国民の洗脳教育が影響しています。     今では過去誰も問題視していなかった「旭日旗」を、 「韓国の反日ツール」に祭り上げる日本人たちが出没する始末です。

 平成元年(1989年)生まれの自分の娘でさえ、小学校では先生から音楽教科書の君が代の歌詞の部分に目隠しを強要され、 歌わず聴くことだけにしなさいと指示されたそうです。   日本の未来を担う子供たちでさえ、 日教組によるゆがんだ歴史観教育によって、 祖国を否定する洗脳教育を受け、いまだに歴史の偏向教育がまかり通り 、日々反日の日本人が育成されている、 という恐ろしい事態が放置されたままなのです。

 戦後80年近く経過しようとも「一方的な反日歴史観」で先の戦争を見ている人間は大勢います。    反日史観に毒されているも政治家も少なくありません。     日本の教育界は「WGIP」が作り上げた日本軍残虐説の影響がまだまだ消えず、 いまだに悪しき反日教育が行われているわけです。

 戦後の占領期、GHQは新聞、ラジオなどメディアに対し、(1)東京裁判、(2)GHQが憲法を起草したこと、(3)中国などへの批判や、 「占領軍兵士と日本女性との交渉」などへの言及を禁じ厳しく検閲、日本側の正当性を否定する思想改革を徹底的に行ったのです。   これにより、日本国内においてはたとえその歴史認識が明白なウソであっても 「これまで政府関係文書には中国や韓国への反論・反発は一切書けなかった」、 という社会が長く続いてきたのです。    この「強者に忖度し放置と隠ぺいに終始する」マスコミの姿勢はその後も続き、10代の少年たち数百人が 「性加害」にあっても沈黙を貫く事件も起きています。

 その後の日本のメディアは、朝鮮戦争について長い間「北朝鮮が始めた」とは書けず、日本人拉致が「北朝鮮の犯行」と指摘するのもはばかられる時代が続きました。  いまでは、 「真実」とされる事実は革新系の学者たちによる北朝鮮礼賛思想が幅を利かせていた当時は長い間否定されてきたのです。

 さらに、これに輪を掛けたのが、WGIPの洗脳から一歩も抜け出せない思考に囚われ、太平洋戦争は「日本のアジア支配が目的」の「侵略戦争」であり、 日本には「戦争責任」がある、と一方的に捉える 「反日教」宗教の信徒たちの存在です。

 米コロンビア大のキャロル・グラック教授によれば、日韓対立は「記憶の戦争」であって、真実の解明ではないといいます。   この反日日本人たちは、日本の行いは全て「悪」と決め付け、 「従軍慰安婦問題」や、 「南京事件」、 「徴用工問題」などを、あたかも「真実」として世界中に拡散させていったのです。

 先の戦争では、日本は欧米諸国が支配していたアジア各地の植民地を解放し、 「大東亜細亜共栄圏」を設立してアジアの自立を目指す、という高い理念と構想を元に、 「白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、 植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、 スペクタキュラーな偉業をなしとげた」(藤原正彦 日本人の誇り).....国でした。

 このような歴史があったことなど一切知らず、 日本人でありながら祖国を否定する人間が蔓延る社会が形作られてしまった日本は、 「善隣外交(隣国との友好を深めるための外交政策)」どころか、歴代の主要政治家たちによる、 「その場限りの利権や贖罪のための友好」がスタンダードな対韓・中との外交政策となってしまったのです。(2019.9.11)


歴史歪曲の一奇書がスペインを暗黒国家にした

プロパガンダが「歴史」として定着する恐ろしさ (2020.8.20)





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関連サイト


コトバ学
(*1)....WGIP

War Guilt Information Program(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
米国が日本占領政策の一環として行った「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」。

日本政府も、相手が中国や韓国だと、たとえその歴史認識が明白なウソであっても「これまで政府関係文書には書けなかった」(政府高官) とされる。

(*2).....





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