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反日的日本人

 「床から天井までの書棚にギッシリと本を詰め込んで暮らす(開高健)」稀代の蔵書家であり、世のタメにならぬと看做せば、相手の骨髄に達するまで徹底的に批判する(潮匡人)、『辛口批評家』・ 谷沢永一氏は、 反日的日本人とは 「純粋の日本人でありながら、わが国の国情と社会の成りゆきと歴史の流れを、非難し攻撃し弾劾する人」であり、 「その種の言立てをもって、自分の言論活動の基本方針としている連中」としています。    全世界に向かって日本を世界で最も極悪の国であると罵って言い触らす社会的不満分子として活動するのが 反日的日本人(進歩的文化人)というわけです。

 この反日的日本人たちは自分を高いところにおいて国民を見下し、日本国民は愚かであって、おおいにやっつけてやらなければならんと、 われわれ日本国民のすべてを貶(おとし)め、蔑(さげす)み、罵(ののし)り、卑(いや)しめ、敗者日本を散々罵倒し祖国を否定します。   日本は文明など持ち合わせない前近代国家であり支那(中国)より後進国にすぎず、ススンデイル己たちに較べてオクレテイルと日本国民をバカにするのです。

 しかし、その支那は日清戦争で敗れてからは日本の 明治維新を手本にしようと、日本に大量の留学生を送り改革を進めた国です。 清王朝が辛亥革命で倒れて以降、支那初の選挙が1912年に行われますが、 議員の半数は日本留学組でした。    さらに中国近現代史のリーダーや重鎮の半数前後は日本留学経験者とされ、また「中国は医学・薬学用語の8割が日本語」とされます。    それは日本の知識人たちが西洋医学をいち早く取り入れ、それを日本に留学した中国人が取り入れたという時代背景があったからであり、 「近代中国は日本人が作った」 という語り草は決して過言ではないのです。(日本人こそ知っておくべき 世界を号泣させた日本人 黄文雄)

 日露戦争において日本はイギリスさえ戦いを避けていた当時陸軍最強国家で、 海軍力でも日本を倍する戦力だったロシア相手に勝利を収め世界を驚かせました。   特にロシア艦隊をほぼ全滅させた日本海海戦は、 日本海軍の連合艦隊戦力は(戦艦4隻・巡洋艦23隻)、ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊は(戦艦8隻・巡洋艦15隻)と、戦艦の数では圧倒的に不利でしたが、 日本側の損害はわずかに水雷艇3隻を失っただけというまさに完全勝利の海戦でした。   日本の勝利を決定づけた要因の一つが「下瀬火薬」であり、 このロシアの弾丸威力の2倍以上はあるとされた優秀な火薬と、猛訓練の結果砲手たちの射撃精度はロシア側をはるかにリードしていたことによって、戦史上特筆すべき勝利を手にしたのです。

 工業化が遅れていた日本ですが、それでも 世界初や世界一の兵器をさまざま開発しています。  大東亜戦争開戦からの半年間は日本軍は航空戦、 海戦において圧倒的な強さを見せつけ、欧米列強を極東アジアの地から追い払いました。   ゼロ戦に至っては余りの高性能とパイロットの技量が優れていたため、 欧米の戦闘機では歯が立たず、米軍は一対一では決してゼロ戦に立ち向かうなと厳命していました。    また日本は当時世界のどこの海軍も実用化できなかった酸素で燃料を燃やしてスクリューを回す酸素魚雷の実用化に成功しています。  日本を 「文明など持ち合わせない前近代国家」と言い張るなら、その国に翻弄された欧米は開発途上国とでも言うつもりでしょうか。

 幕末期の日本を訪れた多数の欧米人は、「...もし文明という言葉が物質文明を指すなら、 日本人は極めて文明化されていると答えられる。  日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達している。  教育はヨーロッパの文明国家以上に行き渡っている」と日本人気質を賞賛しています。    "進歩的"反日的日本人とやらのたわ言に惑わされてはいけません。(2025.1.9)


  

日本憎しの呪いで動く呪術人形たちの正体を暴く

 谷沢永一氏によれば、戦勝国側につき敗戦国日本を見捨てた「進歩的文化人」と称される反日的日本人のほとんどは 共産主義者、またはその同調者・追従者であり、 「スターリンの呪い・三十二年テーゼ」に操られた動く呪術人形として わが国を徹底的に罵倒する放言に熱意を燃やしているとします。  そして日本は支那(中国)より後進国にすぎず欧米文化と比較するなど分不相応であり、 文明など持ち合わせない前近代国家であると決めつけるのです。  しかし、どんな民族であれ、最初から高度な文明が進み近代国家だったわけではありません。    ヨーロッパでさえ中世も終わりに近づいた15世紀前半になっても、 魔女とされた被疑者に対する死刑や私刑(リンチ)等の迫害が盛んにおこなわれ、教会の権威は絶対であり、盾つくものは容赦なく火炙りにされるという時代だったはずです。

 文明の発展は長い時間をかけ熟成し進化してきたはずで、芸術や文化も世界中の何億人という人々の英知の結晶でありどこか一国や一人が生み出したものではなく、 日本と中国のように互いに文化を吸収し合う関係もあるわけです。  それを江戸中期でもせいぜい約3000万人前後とされる日本民族の文明だけをやり玉にあげ、ヤレ、ここが遅れている、 あそこはダメだ、日本は模倣しかできない、などと批判するのもおかしな話です。

 谷沢永一氏は、「日本がシナの文化を意欲的に取り入れ受容に熱心だった歴史はあるが、しかし影響と感化と模倣は、 二つ以上の相異なる文化が接触したときに必ず生じる普遍的な現象にすぎず」、「積極的に受容する学習の意欲と、支配され押し付けられる消極的な追随とは次元が違う」 とします。

 そして、日本は文明国に値しないなどと散々罵倒するこれら「進歩的文化人」に反論するには、彼らを遠巻きにして眺めるだけでは埒があかず、 彼らはなにを根拠に日本罵倒論を弁じているのか、 その論拠・発言は真実に基づいているのか、批判すべき点を明確にしたうえで、彼らが罹患した反日病の病因に鋭いメスを入れ、 徹底的にこき下ろす(正確な表現でないことはご了承を)痛快本を我々に提供してくれました。

 そして、自分は"進歩的"と自任し、日本人という国籍を超越しているかの如く、マルクシストだからキリスト教徒だから、自分は普通の日本人とは違うと優越感に酔うこの手の連中の思考は、 いったいどこから湧いてきたのか、「...彼らの名前が多少とも縁遠い場合でも、彼らの発言を点検していただければ、ああ源流はこれだったのかと、 必ずや膝を叩いて頷いていただける」とします。  日頃、「日本悪玉説」を嬉々としてぶち上げるセンセイたちを「ウサンくさいヤツだナ」と感じていた日本人なら、彼ら「進歩的文化人」の正体を徹底的に暴露し、 留飲を下げてくれるこの本は必読であり、彼ら「進歩的文化人」なるものの正体は、 「日本にかけられた日本憎しの呪いのまま、機械的に動く呪術人形に過ぎなかった」ことが納得できます。

 それでは、多数のまっとうな日本人の共感を呼びベストセラーとなった『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状 谷沢永一』を頼りに、 戦後日本社会をダメにしてきたセンセイたちが、どんなウソをついて日本人を騙そうとしたか、どんな根拠で日本国民を罵ってきたのか、谷沢永一という名医の執刀振りを見ていきます。    なお、深刻なテーマでありながら、中身は軽妙洒脱(俗っぽくなく、洗練され巧み)であり結構、クスッと笑えます。(2025.1.9)


  

日本の悪口をメシのタネにする日本人

 谷沢永一氏によれば、「敗戦直後の日本は、新聞や雑誌、小冊子や書籍の世界には、共産主義を謳歌する熱度の高い言論が大流行だった」、 「戦後のこの時代は、左翼にあらずんば言論人にあらず、という風潮が怒涛のように波うっていた」、「共産主義ソ連を批判するような論説は、 ほとんどの場合、編集部から突き返されるのが常例だった」とします。  

 谷沢永一氏が選んだ12人は、時間の流れもありなじみの薄い人物がほとんどですが、戦後の日本で反日思想が「進歩的」とされたのは、 彼らの健闘によるものが多大であり、それゆえ「進歩的文化人」の実態に迫るためには、彼ら頭目であり先頭走者だった人物たちの活躍時期が古くても、いちばんの根本を衝き、 悪臭の発生源を掘り返す必要がある、とします。

 ボウフラでさえ発生するには原因があります。  このボウフラ、失礼、「進歩的文化人」センセイたちが大量発生したのには、それなりの原因があったわけで、 その大本(おおもと・根っこ)であるところの12人を引き合いとして、彼らが主張する発言の根拠は、一体何に基づくのか、谷沢氏はこのセンセイたちが主張するウサンクササを、事実と照らし合わせ明解に解説しています。

 日本は言論の自由は保証されていますから、世の中に損害を与えたり、人々に危害をおよぼすような破壊活動につながらないかぎり、国家を批判しようが国民を論破しようが勝手なのですが、 問題は、最大級の独りよがりのイヤなヤツが、教授・裁判官・物書き・評論家といった「他人に影響を与える立場」に鎮座して 日本の悪口をメシのタネにしていることです。

 現代の日本社会において、厄介な宗教「反日教」の信徒たちがゾンビのように、 次々に現れては消えていっています。  平川祐弘氏によれば敗戦国となった昭和20年代の日本は、「天皇が、軍隊が、日本人が全部悪い」として、 「日本人罵倒論」が社会的ヒステリー症状を呈し、おおはやりだった」といいます。    もともと日本人はこの手の扇動に弱い民族なのかもしれません。

 歪んだ歴史認識に取り込まれてしまった反日的日本人が、 お得意の独りよがりの毒をまき散らし、その猛毒に触れた日本人が次々と 「全て日本が悪い」としか考えない、 「反日的日本人病」に感染してしまい、 「デュープス化」するという恐ろしいことが、いまも続いています。     戦後の日本は、中国と韓国、そして反日的日本人から、謂れのない 「日本から受けた虐待・虐殺話」を押し付けられ、謝罪と補償を強いられてきました。   そして、「日本の旧悪糾弾話」は、これからもまだまだ続きます。   彼らがその気になれば、なんだって・いつだって日本叩きのツールは生み出されるのです。(2025.1.9)


 

インチキ歴史を捏造する反日的日本人

 まず12人を紹介する前に、前座として小者、失礼、亜流や末流の反日的日本人たちの「日本叩き」ぶりを見ていきます。  歴史学者でありながら 「本当は何が起こったのか」などという根本的なことは一切追及せず、「日本は戦争を仕掛けた侵略国」 という贖罪意識に凝り固まったまま、「イデオロギーの宣伝屋」 と化し、 インチキ歴史を捏造する反日的日本人の一人、「家永教科書裁判」で世間を騒がせた家永三郎は、戦後、 反軍思想を掲げ戦後民主主義の旗手と持ち上げられた歴史学者です。

 家永は『太平洋戦争(岩波書店)』という本を書いていますが、平川祐弘氏によれば 「...英語がしっかり読めず交戦国を双方の側から客観的に判断する能力のない家永の英語訳は、アメリカで大変評判がいいが、それは家永が戦後の価値観に基づく、 戦時中の連合国側でつくられ敗戦国に流布された『日本悪者史観』に忠実だったからである」 としています。

 家永はその種の資料を集めるうちに、 吉田清治の『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』に飛びつきます。   それにすっかり騙された家永は「...日本軍兵士の性欲をみたすために、朝鮮の娘たちが多数慰安婦として前線にかり出された。 吉田告白記には、悲鳴をあげて抵抗かる娘たちを暴力で護送車におしこめ、 連行途中で護送兵士に強姦させるという、凄惨な情景がなまなましく記されていた」と書きます。  しかし、そもそも吉田のホラ話は当時からウソとされ、その吉田は1995年 「証言は主張を織り交ぜた創作」だったと告白し、 相方の客観性を失った嫌日媚中韓一辺倒の偏向報道姿勢をとる朝日新聞も、 シブシブ誤報を認めています。    21世紀の日本においても朝日新聞を擁護する「ダブルスタンダード」論者が、 まだまだ大勢巣食っている現状があります。

 平川氏は家永を「...歴史に対する感性がないから、吉田清治が病的虚言症だということを見抜く力もない。  そんな家永は 戦後という時代の御用学者として歴史書を書いた。  日本の悪い面をこれでもかこれでもかと列挙した挙句、 中国人民解放軍の良い面をこれでもかこれでもかと書いている。   家永の結論は 『日本はアメリカの物量に敗れるに先だって、すでに中国の民主主義に敗北していたのである』というものだ」と一刀両断します。

 さらに、《...敗戦後の日本には、家永のように勝者側につき「勝者におべっかを使って」ことさら 敗戦国日本を叩きメシの種にし、自分の祖国を喜んで悪者扱いし、 信念のかけらも持ち合わせていない日本人が大勢存在しており、戦後は社会党や共産党の議員が 政界で一定の勢力を持っていた。
  彼らは日本のアカ大新聞の社説通りの政見を述べたから、ある程度の支持を得た。    勝者側に付いた言論人や政治家は、日本の悪事が書かれているものは全て真実として捉え、 左翼系新聞の思想に忠実に従い、せっせと中韓に「日本叩き」の外交カードを提供してきた。   しかし、国際社会の現実をつかめず、その後は衰退していった》としています。(2024.12.11)


  

勝者側につき祖国を喜んで悪者にした日本人たち

 家永と同様、吉見義明と言う歴史学者も、 全部「ウソ」だった「慰安婦強制連行説」を頭から信じ込み、 「慰安婦=性奴隷説」 を先駆的に主張した人物です。  吉見は、日本軍は事実上監禁した彼女たちを殴ったり蹴ったりするなど乱暴に扱い日本軍の性奴隷とし、慰安婦たちは高額な前借金と増えていく利子によって 奴隷的に縛られていたと主張します。  しかし、そのような主張は、 しかるべき証拠など何もない、 提示されたこともない話であり、ただの吉見の先入観に過ぎません。

 『反日種族主義―日韓危機の根源』の著者で 「日本統治時代は良かった」と公正な視点で過去の日韓関係を捉える 李栄薫(イ・ヨンフン)氏は、 「性奴隷説」は慰安婦制を成立させた歴史の複雑性や矛盾をあまりにも単純化するという誤謬 を犯していると指摘します。   たしかに、慰安婦たちが気ままに慰安所やその周辺から離れることができなかったのは事実でしたが、 その程度の不自由は、 店主と契約関係にあった慰安婦という職業の特性に付帯する制約として理解できる話ですし、それは契約と規則遵守の問題です。

 四十余年間存在せず誰も問題視などしていなかった「従軍慰安婦問題」のような話が、 ある日突如でっち上げられたように、 反日的日本人たちが仕掛けてくる「日本悪党話」に汚染され、誤った戦後史観 が沁みついてしまった日本は、ありもしない歴史問題に振り回されてきました。    挙句の果てには、 日本国の首相自ら、日本叩きの強力な武器 をわざわざ韓国に献上し、韓国はそれを日本叩きの絶対的ツール・聖剣 へと祭り上げるという、まことにバカバカしい事態まで起こります。    そしてとうとう、 捏造から生まれた「架空の歴史」だったはずの 「従軍慰安婦問題」は、 異常な「荒唐無稽主義」がまかり通る国連人権委員会の 「1996年のクマラスワミ報告書」、 「1998年のマクドゥーガル報告書」などを通じて、 いまや日本政府が法的責任を負うべき 「人道に対する犯罪」と認定されてしまったのです。

 かくして、勝者側につき祖国を喜んで悪者にした反日的日本人たちによって、 「列強による過酷な植民地支配」から解放した日本の功績は一切表ざたにされず、 あろうことか、日本は「忌まわしき戦争犯罪国家」にされてしまったのです。    もともと日本人は他人の意見に左右されやすく同調圧力に弱い 民族ですが、日本人が敗戦後GHQによるWIP (戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)にまんまと騙されていることや、 日本を悪者にしておきたい勢力のウソ話」に気づき、 戦勝国の思う壺となった日本人の贖罪意識が薄れていくのは、 一体いつになるのでしょうか。

 いまだに中国や韓国は「日本は侵略国家である」と非難しますが、 大戦中何もできなかった中韓の怨念が渦巻く現状で、 日本が侵略国家か否かなどの判定ができるはずはありません。   「歴史問題」も然りで、それらは100年後の中韓の反日感情が下火となり、 韓国が「我々は植民地支配被害国」ではなかったことに気づき、 韓国が日本に併合された歴史を直視できるようになった時に 決まるものであり、 日本の評価は100年後の公平な歴史観察で判定されるものです。    その時に「日中戦争は侵略戦争ではなかった」ことや 「大東亜戦争は独立戦争」だったことが明らかにされるのです。(2024.12.11)


 

反日的日本人・政治家編

 日本人に「政治家の使命とは」と尋ねると、生活がより良くなるように政策を立案し、その実行を監督すること、などといったありきたりの回答が返ってきます。  しかし、 政治家の究極の使命は、国益と国民の命を守ることであり、日本国の存立を担保(将来に備えて補い準備する)することではないでしょうか。

 明治維新を経て近代化へ突き進む日本に立ちふさがったのは世界中に植民地支配の嵐が吹き荒れ、 有色人種は白人列強に植民地支配され、しゃべる家畜として使役される食うか食われるか、支配するか支配される側になるか」の世界でした。   そんな世界を日本だけが唯一、「...日本軍がわれわれの面前で白人列強国を徹底的に打ちのめし (インドネシアのブン・トモ情報・宣伝相)」、 白人列強による植民地支配に終止符を打ったのです。     日本は敗戦国となりましたが他国の発展に命をかけた日本人も大勢いたのです。  その後、 世界に平和が訪れ政治家は国内だけに目を向けた政策を執れば何とかなっていた時代が続きます。

 ところが1982年、戦後も40年近く経ってから、「教科書誤報事件」をきっかけに、それまで国内に燻ぶっていた 「進歩的文化人」やそれに触発された「反日的日本人」たちが、一斉に日本叩きの狼煙を上げ、「南京事件」や 「従軍慰安婦問題」、 「徴用工問題」といった、根も葉もない「日本悪者説」が次々に捏造され、 現在に続く中国・韓国と日本の関係悪化の火種が生み出されていったのです。

 『戦後の反日歴史教育の土壌』から生まれた 保守派自民党政治家の中にも、一方的な反日歴史観を持ち出し、 あたかも「我が国は侵略国家」であるかのような発言を平気で口にする者が出てきます。  以降、日本国の政治家でありながら、 日本の国際的立場を棄損し、日本国民を犯罪者扱いし、日本の国益を失わせる言を嬉々として吐く、 日本を再び敗戦国にしたがる政治家が続出していきます。    甚だしいのは 日本国首相という立場でありながら、先の戦争を一方的に「植民地支配と侵略と断定し、日本は戦争犯罪国家である」 と全世界に向け高らかに宣言する「村山談話」を出した村山富市のような「反日的日本人」まで出たことです。   「細川護熙」も然りで、 内閣総理大臣からして日本を侵略国家に仕立てた のが戦後日本の政治家なのです。   日本は、 首相みずから日本叩きの強力な武器を韓国に献上する国なのです。    しかし謝罪で問題は解決しません。   紛争を解決する唯一の方法は「条約」締結のみというのは国際常識です。

 政治家や官僚の中にはいまだに、慰安婦強制連行はあったと認めた河野談話や、 村山談話歴史認識問題の扱いに苦慮した往時の日本政府が火消しを図るため発出した などと捉えているものがいます。  トンデモナイ間違いであり、河野や村山の発言によって 「戦後日本への呪い」が創出されたのです。    こんな認識が存在している限り、いわゆる歴史問題 なるものの解決はあり得ません。   そもそも、歴史問題の中身についてどっちが正しいとか、侵略戦争か否かという議論を戦わせても中韓の怨念がドス黒く渦巻く現状においては、 正しい答えを出せるはずもなく、それは中韓の頭が冷え冷静な歴史考察が可能となる 100年後の歴史観察で日本の評価が判定されるものです。

 このように、日本は政治家さえ敗戦国・日本ではなく戦争の勝者側に付き、日本の国益を毀損する発言を繰り返しているのです。  しかも、 これが一人二人ではないのです。    結果、日本は勝者側につき祖国を喜んで悪者にした日本人たちによって、 ありもしない歴史問題に振り回され「敗戦国」から抜け出せなくなったのです。    「日本軍残虐説」の出所は全て日本人です。   なぜこれほどまでに「反日的日本人」は自らの祖国を罵倒し、ダメな国であると散々こき下ろし、世界中から見下される国にしようとするのか。     その答えを谷沢氏の本を頼りに紐解いていきたいと思います。(2025.1.12)


  

なぜ「反日的日本人」は祖国を悪し様に罵るのか

 谷沢氏は、「反日的日本人」は自らの祖国を罵倒し、国民を軽蔑し、ダメな国であると散々こき下ろすとします。  では、世界各国の共産主義者たちも、中世以来の祖国の歩みを、 暗黒だと貶めているかというと、そんなことはありません。 それどころか祖国に対しては愛国者であるのが常例です。  ところが、ナゼか、 日本の共産主義者たちだけ、祖国を憎み、祖国の歴史を悪しざまに罵り、国民に軽蔑の目を向ける、「反日的日本人」になっています。

 戦後の日本は中国ベッタリの朝日新聞によって数々の「日本貶め話」が捏造され、今に続く 「日本はアジアに軍事侵攻した侵略国家」という呪いをかけられました。  まさに朝日新聞は 「日本を侵略国家に仕立てた最大の黒幕」であり、 日本の天敵ともいうべきヒダリマキ新聞なのです。   そしてこの新聞を信奉する 朝日新聞を擁護する「ダブルスタンダード」論者 もまだまだ大勢生息しています。

 客観性を失った嫌日媚中韓一辺倒の偏向報道姿勢 の朝日新聞が最初に仕掛けたのが「教科書誤報騒動」です。  この誤報記事をきっかけに 『日本の戦争責任論』が喧伝される時代が訪れるわけですが、 中国に関する戦後史本も日本否定に偏った「日中戦争本」 が巷にあふれ、その大部分は「日本は侵略者で中国は被害者」という視点に立つものがほとんどです。  井上清という人物にいたっては、江戸時代に林子平が著した『三国通覧図説』では、 日本と尖閣 は同じ色ではなく尖閣は中国本土と同じ色に塗っているから、 江戸幕府は尖閣を中国の一部と見なしていた、と言い張りました。

 谷沢氏によれば、「反日的日本人」がすがる根拠として「徹底した日本近代化に対する全面的否定」があるとします。  つまり、明治維新に始まり、 飛躍的に発展した日本の近代化社会は、本当の近代とは言えない偽物であり、前近代的国家だったと言い張り、日本を罵倒するわけです。  そして、この 「罵倒論法」を最も極端に突き詰めた悪役、失礼、国民をおかしな方向に誤導した12人の一人が、大塚久雄であるとします。

 しかし、日本は明治維新を経てアジアで最も早く近代化を成し遂げたからこそ、世界最強の陸軍国・ロシアとの 日露戦争に勝利し、 世界の一等国入りを果たした国だったはずです。  近代化の証拠に、 日本は下瀬火薬と言う当時の最新兵器を独自開発しロシア海軍を蹴散らしたという事実もあります。   日本近代化に関する様々な書籍も刊行されています。

 したがって、その日本を「前近代的国家」と決めつけ見下すのも奇怪な論法ではあります。    しかし、曲者・大塚久雄はその明々白々の事実には言を避け、「近代科学成立の基礎たる合理性も見出されない」として誤魔化します。 つまり、 日本では近代科学がいっさい成立しなかった、と言い切ったのです。

 要は、最新兵器を開発しようが、日本近代化本が数多く刊行されていようが、「近代日本は近代以前」という 強固な思い込みを信念とする大塚にとって、そんなものはタワゴトであって、事実など眼中になく存在もしないのです。    まさに「強固な自己都合の思い込み」に支配された反日教信徒なのです。 谷沢氏は、 その「反日的日本人」信徒が最大の拠り所としたもの・聖典が「三十二年テーゼ」であるとします。(2025.1.9)


  

「反日的日本人」の聖典、「三十二年テーゼ」

 コミンテルン(国際共産党組織)は1932年4月、 「日本における情勢と日本共産党の任務についてのテーゼ」と題する文書を作り、日本共産党に授けます。  以後、この文書が「三十二年テーゼ」と言われるようになります。  テーゼとは「証明されるべき命題」とされますが、この場合は 「運動方針書」というほどの意味です。

 日中戦争の黒幕でもあったコミンテルン(国際共産党組織)とは、 「共産主義インターナショナル(第三インターナショナル)」という会議体であり、世界各国にロシア革命を輸出し、 それぞれの国において共産主義革命を起こさせようとした国際機関です。 1922年には日本共産党が「コミンテルン日本支部」として創設されています。  1932年4月には 「日本における情勢と日本共産党の任務についてのテーゼ」と題する文書を日本共産党に授けています。

 谷沢氏は、この文書がいったん日本に伝えられるや否や、我が国におけるすべての共産主義者及び同調者は一人残らず、 直ちに平伏し礼拝せんばかりに丸暗記して拳拳服膺(けんけんふくよう・教わった事を決して忘れず心に留め大切にする)したとします。   当然、共産主義者でもない限りこんな阿呆陀羅経は無視したわけですが、かすかでも共産主義者の影響を受けたものは、 神から与えられた聖典のように恭しく信仰した、とします。  ちなみに、谷沢氏は若かりし頃日本共産党に入党していたそうです。

 いって見れば「三十二年テーゼ」とは、共産主義者にとって「神のお告げ」であり、重度のヘロイン中毒のような抜け出せない劇薬でもあったのかもしれません。  なぜなら、 今日に至るまで左翼人で「三十二年テーゼ」に多少とも、否、一字一句でも批判の言辞を吐いた人は一人もいないのですから。

 「三十二年テーゼ」からの啓示であるところの、近代日本史がいかに暗黒社会であり悪虐無道であるかというご宣託(物差し)により、 「反日的日本人」たちは自分がいかに「三十二年テーゼ」に忠誠を誓っているか、信仰競争に没頭します。  「三十二年テーゼ」と食い違う議論をする者は、 すべて邪教に迷う輩と見なされ、「三十二年テーゼ」にピッタリの理論を組み立てられる者こそ、 (共産主義)真理に忠実な知識人と見なされたわけです。

 そして、戦後の進歩的文化人から現代の「反日的日本人」に至るまで、彼らが語り書き散らした近代日本についての批判は、 すべて「三十二年テーゼ」が指示した方向を忠実に守っており、いろいろ手の込んだ理屈を並べてはいるが、 「三十二年テーゼ」をはみ出した例はない、と断言します。(2025.1.9)

  

「三十二年テーゼ」が規定した近代日本史

 さて、「反日的日本人」にとって神をもしのぐ無謬(むびゅう・理論に間違いない)の聖典、一方共産主義者でもない限り鼻もひっかけない「三十二年テーゼ」とは、一体どんなものか気になりますが、 谷沢氏によれば「...いわゆる社会科学用語の道具箱から、手あたり次第に有り合わせの貼札(はりふだ・レッテル)を取り出し、それらを貶め言葉として罵り用語として、 これでもかと貼付けた」シロモノだそうです。

 これだけでも、見る必要もなさそうですが、一応念のため、一体どういうことが書き記されているか、谷沢氏の本から抜き出してみます。

(1).日本は強盗的帝国主義であり、現に帝国主義的強盗戦争をおこなっている。
   《「強盗」という評語が何回も何回も繰り返し出てきます》
(2).日本的独占資本主義は絶対主義的な軍事的・封建的帝国主義であり、軍事的冒険主義である。
   《(封建的)と念を押しています》
(3).日本の独占資本は、いまなお前資本主義的諸関係の緻密な網に絡みこまれている。
   《「前資本主義的」と決めつけています》
(4).日本の国内には封建制の強大な遺物、農民に対する半封建的な搾取方法が認められる。
   《「封建制の強大な遺物」を指示し「半封建」と規定しています》
(5).日本資本主義は、軍事的・警察的反動の状況のもとで、また国内における封建制の遺物の基礎の上で育ってきた。  《繰り返し「封建制の遺物」が強調されます》
(6)日本はフランスと共にソヴィエトの国に対する出征の発頭人(ほっとうにん)としての役割を引受け、反ソヴィエト計画を持っている。

 日本は封建的であり、また半封建的であり、そして絶対主義的であり、もちろん資本主義であり、とりわけ独占資本主義であり、さらには帝国主義である、というわけです。   『広辞苑』では 絶対主義とは、封建制から資本主義への過渡期に現れる現象としています。  日本は左翼史観が唱える、世界史発展法則の各段階がすべて備わる、 まさに絢爛たる博物館の展示場とされたわけです。

 「三十二年テーゼ」は日本語訳にして一万字あまり、400字詰め原稿用紙になおすと30枚足らずだそうですが、我が国の共産主義者たちは一人残らず、こんなシロモノ、失礼、聖典を読み、 神の啓示と捉え、真理を教えてくれたと平伏し礼拝し、丸暗記したわけです。   貧しく貧富の差が大きかった時代、 多くの日本人が共産主義が掲げる理想主義的な救済思想に魅了され騙された、という背景も少しは影響していたのでしょうか。(2025.1.9)

 
  

「三十二年テーゼ」はスターリンの呪い

 谷沢氏は昭和初期のあらゆる思想論文には、すべての論者が片足を「前近代」におき、 もう一方の足を「半封建」に置いていた事情をわきまえて居なければ、「三十二年テーゼ」がなにを論じているのか解読できないとしています。    たしかに、シロウトがこの文書を一読しただけでは、「チョット、何言ってるか分からない」状態です。

 谷沢氏は、「三十二年テーゼ」のご宣託である「前近代」、「半封建」という二枚の御守り札を、左翼論者たちが安心してい依拠できる誤りなき真理 と受け入れたからこそ、本人たちは正当な学問に挺身している気になれたとします。  なにしろ、学問の根本は批判精神なのですから、 近代日本を肯定する態度は学問の本筋をゆくものではないという喜劇ともいうべき奇妙な倒錯状態に陥ったのでしょう。

 「三十二年テーゼ」はスターリンの意思が強く働いたとされます。  スターリンは日本の国力を根底で支える国民の気概を弱め、自信を失わせ、士気を低下させ、自尊心に傷を負わせ、知勇を衰えさせようとしたわけですが、 健全な日本国民には馬耳東風だったものの、一部のいわゆる知識人は卑屈な負け犬となって「三十二年テーゼ」 に叩頭(こうとう・頭を地面につけお辞儀する)したわけです。  左翼日本人には「三十二年テーゼ」の毒はよく効いたし、 今もまだその効能は続いています、

 スターリンにとって、かのナポレオンさえ撃退し有史以来一度も戦争に負けたことが無い栄光ある不敗のロシアに、一回だとはいえ 日露戦争で負印(✖)をつけた日本に対し、 どれだけの憎しみの念を燃やしたとしても不思議ではありません。    いくら憎んでも憎み足りないのが日本なのです。 白色人種であるロシア人にとって、蔑視していた有色人種・日本に敗れた、というのも相当堪えたのです。

 そのような怨念と憎悪と復讐心が胸の底にくすぶっているロシア人によって起草されたのが「三十二年テーゼ」であり、日本を「前近代」だ「半封建」だと散々けなすのも当然なのです。   谷沢氏は『「三十二年テーゼ」は、日本人の根性をくじくために送りつけられた毒薬』であり、 『日本人よ弱くなれ、とスターリンが日本にかけた呪い』である、としています。

 これでどうやら「三十二年テーゼ」なるシロモノは、日本憎しに凝り固まったロシアが、人類史の発展段階におけるモロモロの主義思想を、ゴチャマゼの錯乱状態でぜんぶ日本にぶつけ、 だから日本という国はダメなんだヨと一方的に決めつけたもの、という判断がなんとなくつきました。    ただ、なぜこんなシロモノにコロッと騙される人間がいるのかについては、いまだにまったく理解できませんが。(2025.1.13)


  

進歩的文化人の手配師・大内兵衛

 「進歩的文化人」は、戦後数十年に渡り、我が国の論壇を占拠し、日本の世論をミスリードし、 日本の国益を毀損してきました。  谷沢氏は、 「さあ、今こそ、彼らの悪業を決算書のかたちにまとめる時である」と決意のほどを述べます。    そして、「日本は前近代的国家だった」と罵倒した大塚久雄の次に矛先を向けたのは 「進歩的文化人の手配師・大内兵衛」です。

 谷沢氏によれば大内は「...明治・大正・昭和を通じての日本のドロボウ根性-軍国主義を叩きなおさないかぎり、日本は世界を大手をふって歩くことはできない」と誹謗し、 日本近代史は一貫して悪業ばかりの積み重ねだったかのように散々罵倒した人物とされます。

 谷沢氏は「...民族が織りなした長い歴史の過程を振り返るとき、反省すべき事柄がまったくないという楽観はあり得ない」が、ただし、 「その場合における後悔からは悲しみと痛みの情が沸き上がるもので、それが人間としての普通の温かみにみちた心理であろう」として、 しかるに、明治・大正・昭和の三代を生きた日本人に対し、「ドロボウ根性」と言い捨てる罵倒根性は、 なぜ出現したのかと疑問を呈します。 そして、このような典型的な反日的日本人が生まれた基盤を究明する努力を怠ってはならぬ、とします。

 さらに、大内兵衛は戦後日本の大学に「進歩的文化人」を大量に送り込んだ手配師の親玉であり、東大定年後は法政大学の総長として乗り込み、学生に読むべき出版物は、 雑誌は岩波書店が発行する今日の進歩的文化人の牙城である「世界」、新聞は 中国サマ、ベッタリの反日新聞「朝日」と、 「進歩的文化人」が読むべき聖典(バイブル)を指示したことで有名とします。

 また大内兵衛は、共産主義国のことなら何から何まで、手放しでうなり声をあげんばかりに讃嘆し、日本国民のすべてを罪人と見なして罵る人物であり、 「日本は第二次世界大戦の火つけ人であった」と大胆に断言した者だとします。

 「第二次世界大戦を惹き起こした元凶は日本である」などという極端な断罪は、あの「勝利国による敗戦国への復讐劇」とされた 東京裁判でさえ一度も思いつかなかった説であり、この激烈な弾劾は、 いかなる歴史家も思いつかなかった古今未曽有の大発見で、今後は、 大戦史の研究文献に最も奇異な新説として特筆大書されるであろうと谷沢氏はヨゲンします。

 そして、この一句は、全世界に向かって日本を世界で最も極悪の国であると罵って言い触らす 『売国奴』の妄言であると一刀両断します。   大内は『日本が満州国を建設したのはソ連攻撃の基地としたかったから』という妄想まで披露していますが、 そんな破天荒な思い込みはいかなる国のどんな政治家でもしていません。

 結局、共産主義ソ連に尊崇の念を抱いた途端、日本を叩き、罵り、罪の塊に仕立て上げなければおさまらないというのが、 反日的文化人に例外なく共通する強固な性癖であり、いったん歴史の偽造をはじめると、それを繰り返し積み重ね、 常習犯になるのが落ち着く先であると谷沢氏は喝破しているわけです。(2025.1.13)

 
  

「ソ連は善、日本は悪」の扇動者・鶴見俊輔

 鶴見俊輔は、ロシアが終戦後、60万人もの日本人をシベリアに連れ去り、厳寒の過酷な環境下、ろくな食料も与えず厳しいノルマを課して使役し、六万人といわれる死者をだしたというのに、 『...これは、日本がソビエト・ロシアの対日宣戦布告と日本の降伏とのあいだに行われた 八日間ほどの戦闘に対して支払わなければならなかった代価でした...』と、 「シベリア抑留の死者五万数千人は本人の責任」言い切った人物です。

 莫大な数にのぼる日本人の抑留も死亡も、鶴見はすべて、それは「代価」だったというのです。  代価とは、ぼったくりではない交換に見合った正当な代金、を意味します。  したがって、 抑留は正当な措置であり、死亡についても正当な「代価」と認めなければならず、日本人は抑留と死亡に不平を抱いてはならぬとして、共産主義ソ連には何の責任もないというのです。

 また、鶴見は「日本では平等の精神が不足している」とします。  その根拠はというと、共産主義国ソ連で買い物をするときは、きまって長蛇の列が作られるが、 いいつけられなくとも必ず列をつくるという習慣の中には、日本でまだ不足している平等の精神が宿っているからと、 なんとも苦し気なレトリック(実質を伴わない上辺だけの言葉)を駆使します。  谷沢氏は、「身もだえするような鶴見俊輔の切ない嘆きがしみじみ伝わってくる」とします。

 かくして、鶴見はその「まだ不足している平等の精神」とやらを日本が完璧に充足する方途はなにか、間接語法でかすかにそっとほのめかします。    ほら、あれだよ、あれ、 もうわかったでしょう。 それしかないでしょう。 さよう、「革命だよ」、と。

 とにかく、鶴見は日本の成すこと全てお気に召さないようで、経済に関しても「...1960年に起こったエコノミック・アニマルという傾向は、 戦争中にまかれたこれらのタネ(注・「国体観念」を指す)から発芽して成長し、成熟した思想であるともいえます」などと、支離滅裂な筋の通らぬ屁理屈までこねています。

 そもそも、エコノミック・アニマルは傾向ではなく、日本の経済発展を妬んだ外国人が発したただの悪口です。  それを鶴見のような日本人を憎む変わった日本人が、 外国人の毒舌の尻馬に乗って日本人を貶めて見せるだけのことです。  鶴見は、ありとあらゆる手練手管を弄して日本人を罵りたいのです。(2025.1.15)


  

国民を冷酷に二分する差別意識の権化・丸山眞男

 いわゆる「戦後民主主義」の理論的指導者として学界に絶大な威勢ふるった丸山眞男は、 「日本国民を二つの類型」に峻別(しゅんべつ・厳しくはっきりと区別する)しました。 丸山は日本社会の働き手を「中間階級」とか 「小市民階級」などと冷たく見下し、これを第一類型と見なします。   そして第二類型は、都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層とします。   当然、大学も第一と第二の二種に分けます。  いわゆる「ピンからキリまで」ですね。

 なぜ、このような「二つの類型」区別が必要であったか、丸山は「...我が国の場合ファシズムの社会的地盤となっているのは まさに第一類型であり、第二のグループを本来のインテリゲンチャいうならば、第一のグループは疑似インテリゲンチャ、乃至は亜インテリゲンチャとでもよばれるべきもので、 いわゆる国民の声をつくるのはこの亜インテリ階級」としたのです。

 ただ丸山は、その唾棄すべき「疑似インテリ」が、いつどこで「ファシズム運動」に挺身したか、その存在、その発生といったどんなかすかな、ささやかな例をも挙げていません。   ただ「日本のファシズム運動」という天から降ったような呪文が、威風あたりをはらって罷(まか)り通っているだけなのです。   「わが国の中間階級或いは小市民階級」を、 いかなる微細な一片の証拠も指示さず告発する丸山眞男の神経は、果たして正常だったのでしょうか。

 大正中期になると、インテリも「高踏的」か「常識的」か対照させる見方が出てきて、そういう角度から社会観察を象徴する視座として「岩波文化と講談社文化」 という言葉が生まれます。 ただし、この一種の展望図は文化の多様性を表現したものであり、講談社文化が劣っているなどという話ではありません。  ところが、丸山はこの並称(へいしょう・一緒にして呼ぶこと)を 価値観念の油で揚げる料理法を発明したのです。  講談社文化の圏域に属する連中を「疑似インテリゲンチャ」と腐して、思いっきり見下げる対位法を奏でたのです。

 丸山は、「国民の中間層」全員を、なんの留保条件もなく弾劾するという激烈な挙に出たのです。  丸山は「地方的な小集団」においては 指導的立場の家長的な権威をもつものが「統制」「抑圧」を行うとしますが、もし本当にそうならとっくにその集団は雲散霧消して、 日本から「地方的な小集団」は無くなります。 「統制」「抑圧」論は丸山が戦争末期のわずかな期間に体験した軍隊生活からの安易な連想にすぎません。

 このように、国民の大多数を占める中間層を、見も蓋もなく罵倒した東大教授の丸山ですが、自身の生活の糧は、それほどまでに卑しむべき 国民が奉納した税金から賄われています。  御大層な念仏を唱え得意がっていても、自分こそ鉄面皮で恥知らずな人間であり、醜悪な振る舞いをしていることを知るべきです。

 大学生を「ピンからキリまで」と噛んで吐き出すように評した丸山眞男の令息ふたりが入学したのは、いずれも「ピン」に属する大学ではありませんでした。  そのとき丸山眞男は、 儂は東大出身の教授だから「本物のインテリゲンチャ」であるけれども、貴様らは一生を通じて「疑似インテリゲンチャ」に終わる運命が確定したな、この愚かな奴らめと、 自分の息子たちを前にして、こみあげてくる甘い優越感の昂揚を楽しんだのでしょうか。  そんなことは、いくら差別意識の権化・丸山眞男でも、ちょっと考えられません。(2025.1.15)


  

栄達のため、法の精神を蹂躙した男・横田喜三郎

 横田喜三郎は、裁判とは名ばかりの復讐劇だった東京裁判で、 戦勝国側が日本を裁くには確たる法律がなく困っていたところに、「日本の戦争犯罪人は極悪の輩なのだから、思う存分に処罰せよ(戦争犯罪論)」と、 自己の栄達のため法の精神を蹂躙してまで、無理やり東京裁判は理にかなっているという理論を組み立て裁判合法化を援護した人物です。

 第二次大戦が終わり、戦勝国側はニュルンベルク裁判において、欧州の戦争はヒトラーのナチス幹部が「共同謀議」によって一貫して計画し引き起こしたとして、 「平和に対する罪」「人道に対する罪」を初めて適用します。  ただ、 これは「法廷による法の創造」いわゆる「事後法」ともいうべきものでした。 要は裁くべき法律が無いため、 あとから理屈をつけ、泥縄で法律をしつらえたのです。

 その後、戦勝国側は敗戦国・日本を裁く東京裁判にも、 ドイツに適用した「平和に対する罪」「人道に対する罪」という枠組みをそのまま持ち込みます。  しかし、日本の場合は 自衛のための戦争であり、 侵略のための「共同謀議」などありません。 日本はドイツと違い「共同謀議」によって引き起こした戦争という内容とは全く異なっていたため、 東京裁判をつかさどる連中は、心中ひそかに困っていたわけです。 結果、こじつけ的な裁判判決となったのです。   東京裁判は基準とすべき拠るべき法律がなかった私刑(リンチ)なのです。

 そんな裁判において、戦勝国のために東京裁判を合法化してやろうという奇特な人が現れます。 東京裁判は理に叶っている という理論を組み立てるという、途方もない曲芸(アクロバット)を演じる道化(ピエロ)が出現したのです。 その人物こそ、「日本憎し」に凝り固まる横田喜三郎でした。 横田は『戦争犯罪論』で 「...戦争犯罪の理論については、実質に重きを置かなくてはならない。 形式にとらわれてはならぬ。 まして、 形式上のささいな不備などを理由とし、技術的な論理をもてあそび、実質を無視するようなことがあってはならない」と強く主張します。

 横田は法律上の「形式」よりも「実質」を最重要視したわけですが、その「実質」なるものの正体とは、 「こんどの戦争で、日本は極端な侵略的戦争を行い、その戦争中において、また驚くべき残虐行為を行った」という一方的な判定、つまり「侵略的戦争」「暴虐行為」なのです。   しかし横田が十数年間にわたるそれぞれの局面を観察しこれは侵略戦争だ、残虐行為だと判断できるわけはありません。    横田にはそんな時間も行動の自由も無かったのですから。  横田の妄想ともいえる思い込みは、東京裁判で次から次へと持ち出される虚偽の証言を鵜呑みにし、 日本は「驚くべき残虐行為を行った」と勝手に信じ込んだだけの話です。  そもそも日本が侵略戦争を行ったか否かは、中韓の怨念が渦巻く現状で断定できるハズはなく、 100年後の歴史観察で公平に判定されるべきものです。

 横田は東京裁判は裁判などではなく、放埓無残な私刑にすぎないことを見抜いていながら、根拠のかけらもない「実質」を振りかざし、戦争犯罪を裁くには 「法律技術論など投げ捨て」、「形式上のささいな不備など蹴散らかしてゆけばよい」とし、 準拠すべき法律がなくとも構わないからどんどん人を処罰せよ、被告人を絞首刑にせよとした人物なのです。  『戦争犯罪論』で述べる、大量に人びとを「処罰」すると 「新しい世界秩序」がおのずから、すみやかに着々と形成されるとして、人柱を求めたのです。  谷沢氏は横田を、 「血に飢えて暗黒裁判を奨励する吸血鬼」「これほど徹底した悪人が他にあるか」と断罪します。(2025.1.16)


  

金日成に無条件降伏の似非出版人・安江良介

 第四代岩波書店社長・安江良介(やすえりょうすけ)が最も崇拝したのが、昭和51年3月、北朝鮮・平壌で会った金日成(きんにっせい・キム イルソン)です。   似非(えせ)出版人・安江は「...主席閣下は、第二次大戦後、今日まで一貫してトップリーダーとして民族を導き、国際政治の転換をみてこられた、世界に例を見ない政治家であります」 と歯の浮くような台詞で金日成を仰ぎ見ます。  金日成の言葉を「天の啓示」と勘違いし「自分たちに反対する者を手当たり次第に投獄」してきた金日成の言いたい放題の暴言に「感動」した人物でもあります。

 そして、「...みずからの歴史の誤りをみずから償おうとする意思力のきわめて弱い日本の場合は、その目はさらに曇らざるをえない」と、 日本の歴史を「誤り」と強弁し明治以来の日本国民を罪人扱いする論理を繰り出します。    これに谷沢氏は「安江良介は北朝鮮崇拝の病原菌におかされて、見えるはずのものが見えなくなっているのだなあと笑ってすますこともできましょうが、さらに病い膏肓に入って症状が昂進し、 北朝鮮礼拝を梃として、日本を罵るに至っては黙して見逃すことはできない」と、歴史を歪曲して平気の平左である鉄面皮・安江に、鉄槌をくらわす決意を固めます。

 日本は朝鮮半島との間でけっして「誤り」はおかしていません。 そもそも韓国は 「植民地支配被害国」ではないのです。  渡部昇一氏は 「...日韓併合条約はまったく正しい手続きを経て締結されたものだし、 諸外国もそれを承認した正規の条約である」と歴史的事実を述べます。  しかし、安江は日韓基本条約 の詳細を一般国民は知らぬであろうと高を括り、国民を舐めきったうえで、韓国を併合した日本と朝鮮半島の歴史は「誤り」という虚偽をまき散らしたのです。

 正規の条約によって成立した日韓併合について、いまだに多くの日本人は 「日本は韓国を植民地支配した」という謂れのない自虐史観に囚われ、謝罪及び賠償すべき、と考えます。    しかし、『正規の条約によって発生した行為に"賠償金"を支払うことは、国際的に許されるわけがない』と渡部昇一氏が指摘するように、もし、日本が賠償を払って"悪しき先例"を作れば、 誰もわざわざ条約など結ぼうとはしなくなるでしょう。  その時は正当な条約とされていたのが、 あとになって「あれは犯罪的条約だ」 とされるのでは、オチオチ条約など結べません。   日本が 韓国併合条約を合法と主張するのは、 ワガママでも何でもなく、 国際社会での"筋"は曲げられないという責任感なのです。

 「北朝鮮を明るく、韓国を暗く書くことが"進歩的"」とする安江は、元大使の岡崎久彦氏が書いた 『隣の国で考えたこと』を「...事実関係からかけ離れたところでできあがってしまった虚像を、事実関係に即して実際に迫った」 と論評した姜在彦(カン ジェオン)氏に激高し「奴隷の言葉」と罵り、「...在日韓国人・朝鮮人の指導的な知識人の一人であった姜さんは、 なぜ、このように日本官僚の手によってつくられた枠組みでしか現実をみられないのか」と全面否定します。  しかし、現実を見ていないのは安江のほうです。

 こんな安江を谷沢氏は、『...姜在彦が冷静に岡崎久彦を評価し「感動」し、そして「読後感はじつにすがすがしいものであった」と記したのに対し、安江良介が飛びあがらんばかりに激昂して噛みつき、 言葉もあろうに「奴隷の言葉」とまで罵ったこの一幕は、安江良介が「日本官僚」ひいては日本人全体を、いかにはげしく敵視しているかの何よりの証拠』とします。(2025.1.9)


  

恫喝が得意な権力意識の化身・久野収

 久野収(くのおさむ)は、当時の泣く子も黙る、葵のご紋章の入った印籠『思想』誌の編集顧問でした。  谷沢氏は、「『思想』の権威は絶大であり、 言論界における超一流の晴れ舞台であり、『思想』に一篇の論文が載ったら、それだけでほとんど確実に世に出られた」としています。 そして、 「久野収は左翼雑誌の編集に影響力をおよぼすという隠微(いんび・かすかで目立たないこと)な手段を通じて、 進歩的文化人の陣営の奥の院に鎮座した」とします。

 谷沢氏によれば「進歩的文化人」という呼称は、素直な誉め言葉として発生したものではなく、『...あきらかにちょっと嘲笑(からか)って、 ほら、ほら、あんな奇体(けったい)な、いい加減な徒輩(やから)がいるよ、 と目引き・袖引きする具合の呼吸で使われた』とします。  左翼用語では、未熟な党員や一般人を扇動する調子のいい喋り立てを一服吹くと言い慣わすそうです。    そして『...「進歩的文化人」という嘲り言葉は、ごく初歩の左翼的な演説に類する文章を書きちらして、 どうだ俺様はススンデイルだろうと、ご機嫌で胸をそらしている連中を、陰で笑いものにするための、見下げた指示語として発生したもの』と切り捨てます。

 久野は自らを「進歩的文化人の先頭」と称した自尊心の化け物でした。   そんな久野は 「社会主義の国家は侵略しないんだ」という空念仏を唱えた人物でもあります。  しかし、 北方領土の占領という生々しい証拠を目の前にしている日本国民が、 久野の空念仏を信用しなかったのは当然でした。

 それでも、自分の信じるところを邁進する久野は、「つまり世界の近代国家で、少なくとも資本主義がこれだけ進んだ国で、戦争中の日本みたいに 共産党を公認せず、共産党を火つけどろぼうみたいに言って、社会から疎外した国、そして何か文化が進んでいるくらいに支配階級が思っておった、このあほらしさ加減ですね。  これは非常に問題だ」と国民を騙そうとします。  そこまで言うなら、とっととソ連に引っ越せばいいわけで、 問題なのは共産党にゾッコンの久野の思考のような気がするのはジブンだけでしょうか。

 天皇制を否定しソ連社会主義に心酔した久野は、民主主義の根幹をなす「誰でも彼でも、ひとしなみ無差別に一人一票」という制度がよほどお気に召さなかったようで、 選挙で選ばれようがそれは国政に対して素人として参加する形であり日本の政治はインチキときめつけます。   日本の民主主義にかぎりなき軽蔑の目を向け、共産主義の政治を憧憬し夢見たわけです。

 谷口氏は「...進歩的文化人の飽きもせず常套とする論法は、世界中の近代国家はみんな合理的に運営されているのに対し、 日本だけが、わが国だけが、世界の大勢にそむき、世界の進行に遅れ、 愚かな程度の低い段階にとどまっているのだという貶めである」とします。(2025.1.18)


  

祖国をソ連に売り渡す「A級戦犯」・加藤周一

 加藤周一は、ソ連と友好を保つためには中立を守ればよく、 そのためにはアメリカとは手を切れ、と主張します。      そして、その例としてフィンランドを持ち出します。

 谷沢氏は、「...ソ連のフィンランド対策は、『共産圏外の飾り窓』として、対ソ協力の基本路線さえ誤らなければ、 ある程度の自由はみとめてやろうとする、見せかけの飾り窓戦術に転換したもの」とします。      そして、なぜフィンランドがソ連から舐められず、ソ連がフィンランドに「一目置いて」接しているか、それはフィンランドとソ連との冬戦争で、 フィンランドが天晴(あっぱれ)抗戦した実績がもたらした成果であるとします。

 冬戦争とは、第二次世界大戦の勃発から3か月目にあたる1939年11月30日、ソ連がフィンランドに侵攻、この侵略に徹底抗戦し多くの犠牲を出しながらも、フィンランドが独立を守った戦いです。     ただモスクワ講和条約により領土の一部が割譲されています。   両国間の戦争は1941年6月にも再開されたため、日本では前半の戦いは第1次ソ・芬(フィンランド)戦争、 後続の戦いを第2次ソ・芬戦争としています。

 フィンランドが善戦した理由は、非常に厳しい極寒の気候と、険しい地形を利用した地の利を活かした戦術がありました。  さらに、フィンランド将兵の練度が非常に高く、 フィンランド仕様のモシン・ナガンM28-30小銃を使った狙撃能力は世界でもトップクラスとされます。 赤軍4,000人相手に戦ったコッラの戦いでは、たった32人で赤軍を撃退するなど、 ソ連の進行を食い止めるため奮戦した頑強な精神もありました。

 谷沢氏によれば、ソ連はフィンランドを軽視するどころか、うっかり手を出せば直ちに反撃され火傷するやっかいな相手であり、 いくら貪欲なソ連でも、容易に撃破できないことをわきまえており、このように、フィンランドの独立は、フィンランドがソ連に友好を持ち掛けたせいではなく、 徹底的に抗戦して、ソ連にさんざん手を焼かせ、この国を丸取りすることはできないと肝に銘じさせたからとします。

 加藤周一はこの歴史を知っていながらわざと隠蔽し、フィンランドが完全な独立を保持していると嘘をつき、中立という国是を厳守すれば、 ソ連はけっして手出ししないのだと虚偽(はったり)をかけ、中立だよ、中立だよ。 早く日米関係を解消しなさい。  その手筈さえ踏めば、ソ連はにっこり笑って友好の手をさしのべてくるでしょう。 そこで日本の完全な独立が可能となるんですよ、と国民を騙そうとしたのです。

 共産主義ソ連が、軍事力において自国より劣る隣接諸国に、完全な中立と友好を認めた例は皆無です。  加藤は我が国をソ連に売り渡そうと作戦を練り、 日本が一刻も早くソ連の属国になるよう 詭弁(間違ったことを正しいと認めさせる主張)を弄したのです。(2025.1.9)


  

その正体は、北京政府の忠実な代理人・竹内好

 北京政府の忠実な代理人(エージェント)・竹内好(たけうちよしみ)は、日本の伝統を辱めるため極端な侮言(ぶげん)を弄した、筋金入りの反日的日本人です。   竹内は 「日本が歴史的に中国の文化に隷属していた」という珍説を振りかざし、昭和33年に至っても、シナは日本より先進国であり、日本はシナより後進国にすぎず、 文化の面において日本はこれからシナに追いつかなければならぬと、現代シナを尊重し賞賛する思い入れを梃に用いて、ひたすら、わが国を罵倒する放言に熱意を燃やした人物です。

 谷沢氏は、「日本がシナの文化を意欲的に取り入れ受容に熱心だった歴史はあるが、しかし影響と感化と模倣は、二つ以上の相異なる文化が接触したときに 必ず生じる普遍的な現象にすぎず」、「積極的に受容する学習の意欲と、支配され押し付けられる消極的な追随とは次元が違う」とします。

 さらに、竹内は「...なにがなんでも、常に悉くシナは正しく清らかであり、そのご立派な尊敬すべきシナに較べて、なにがなんでも、すべて、 必ず日本は劣っており間違っていると結論付け、その生涯を通じて竹内は、日本に対して肯定的な評価を下したことがなく、 彼にとって日本はあらゆる面において否定と非難の対象にしか過ぎなかった」、「反日的日本人という言葉ができる遥か遥か昔、半世紀以上も前から、 竹内好は筋金入りの反日的日本人」とします。

 共産主義北京政府を擁護する竹内は、北京政府は危機にさらされているとして、北京政府のすることなすことはすべて自衛のためだから、同情的に見なければならぬとします。 そして、 昭和40年の『世界』に、具体的な証拠など無いのに、アメリカがシナへ攻め込むために「着々と準備を進めている」と思う、とします。 さらに昭和41年の『世界』では、 「米中戦争はすでにはじまっていると私は見るわけです」とします。  「思います」から「見るわけ」へと、一気に突き抜けた発展です。

 さらに、「日本はもう一度中国と戦争する。現にしている」と書きます。  そして、アメリカやソ連が核兵器を持っていると、 世界は不幸に核戦争の危険におびやかされるが、北京政府が核兵器を持てば、この場合は逆に「世界の核戦争を防ぐ力になる」 と倒錯した論理を披露します。  いっとき共産主義者が唱えた迷文句に、「帝国主義国(自由経済諸国を指す)が核実験でまきちらす灰は黒く汚れているが、 共産主義国が核実験で生み出す灰は白く清らかである」という捧腹絶倒の珍論がありました。

 そして竹内は、北京政府が核実験に成功するや「...よくやった、よくぞアングロサクソンとその手下ども(日本人をもふくむ)の鼻をあかしてくれた...」 と欣喜雀躍します。 自身も日本人であるはずの竹内は、オレだけは「日本人」の外に位置している認識なのです。 竹内は日本国民全員に対して、どうだ、見事に鼻をあかされたじゃないか、 ざまあみろ、と高笑いしているのです。 身も心も北京政府に売り渡して、日本民族を敵視し軽蔑している異邦人の本音を出したのです。

 谷沢氏は、竹内にかぎらず12人の反日的日本人たちすべて、国民を侮蔑する心性の保持では見事に共通しているとします。  そして、『共産主義者、および共産政権の賛美者は、 すくなくともわが国においての場合、思想の殉教者たろうなどとは夢にも思わず、自分たちだけが"進歩的"であると自任する優越感に酔い、 ススンデイル己たちに較べてオクレテイル国民を軽蔑する"そっくり返りの姿勢"を楽しんだ』、『戦後の日本では、進歩的文化人になって言論をもてあそぶこと、 反日的日本人として派手に目立つよう振る舞うこと、それはひとえに例外なく、戦後社会で、偉クナルコト、有名ニナルコト、 の最も安直で手っ取り早い手段』であり『身を挺しての、全身全霊をあげての、骨の髄から真剣の、 ホンモノの共産主義者など実はどこにもいなかった』とします。

 ちなみに、日本人の中には中国を 「シナ(支那)」と呼ぶことをタブー扱いする人がいますが、 それは誤解です。  多くの国がいまでも中国を「シナ」に基づく呼び方で表現しており、英語でも『China(チャイナ)』です。  ですから「シナは日本人だけ使う呼び名であり、中国人を侮蔑している」 という説はまったくの嘘であり、シナは「秦(しん)」に対する他国の呼称 というのは世界の常識です。 ただ中華民国は 『支那』という字面が気にくわなかったようです。(2025.1.19)

     
  

最も無責任な左翼・教条主義者 向坂逸郎

 谷沢氏は、「ソ連の教養は日本とくらべものにならない」と強弁した向坂逸郎(さきさかいつろう)を、 「社会主義は幸福であるという妄念を抱いた人物」とします。      そして、「マルクスとエンゲルスに心酔した向坂は、共産主義ソ連においてはマルクスとエンゲルスによって論じられた理想主義が、 そのまま理論の通りに運営されていると信じ込み、この世の理想郷であるソ連とくらべて、 日本はなんと駄目な国であるかと喚き散らす一本調子で、厖大な著作を残し、わが国の実態をめぐって、世にありもせぬことを現におこなわれているかのように言い立て、 なんの証拠も示さず一方的に居丈高に罵るのは、許すべからざる破廉恥な虚偽中傷である」と、向坂の妄想思考を暴くメスを光らせます。

 これまでみてきたとおり、反日的日本人全般に共通した情念は、事実の有無などとは無関係に、日本を、そしてアメリカを、 ただただ反動、反民主的であり、真理を信奉する者の敵であると看做し攻撃することであり、共産主義ソ連が破産した今、 彼らの害毒はもはや恐れるに足りないと思ったら反日的日本人の思う壺で、向坂逸郎の妄想は今でも 朝日新聞毎日新聞NHKなど "社会正義"を全面に押しだす報道において、その基調をなす視座となっている、と谷沢氏は指摘します。

  向坂は「軍需工業は飢餓を生む」「再軍備と軍需工業の波にのってアァシズムが擡頭してくる」などと、この世に姿など現していない敵に対し、頭の中だけで作りあげた大原則を咆哮する ドン・キホーテ論法を振りかざすわけですが、谷沢氏は「...はずだ論を、である論にすりかえて記述するのが、向坂逸郎が得意とする論法」と喝破します。    そして、「これは、いわゆるブラック・ジャーナリズムの手法の一つですが、この亜流が今も跳梁跋扈しているのは、あらためて説明するまでもないでしょう」とします。

 そして、「向坂は日本国民の全員が共産主義を信奉しないのに腹を立て、日本国民は愚かであると見下げて蔑み、国民を罵って、ひとり己を高しとしているだけであり、これも反日的日本人に共通した精神構造であり、 彼らはおしなべて"不遜の権化"と言えましょう」とします。

 向坂は「資本主義は必ず何度も戦争する」というひとつ覚えの教条が頭にあり、それに対して、「共産主義は世界に完全な平和をもたらす」 と深く思い込み、したがって、社会主義の国は最高に自由であるに違いないとして、恍惚として理想の国を夢見たわけですが、谷沢氏に言わせれば向坂は「共産主義の教科書でおぼえたご託宣を、 そのまま飽きずに繰り返している"すりきれた音盤(レコード)"みたいな人」というわけです。(2025.1.19)


  

日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家・坂本義和

 何事につけても、日本が悪いと弁じたてる坂本義和は、「核は国家的敵意を超えた攻撃」という奇想天外な説で、「共産政権が日本を『解放』するために核攻撃を加えた場合、 日本国民は自分たちの被害を『人類史的な象徴的意味をもつもの』と観念せよ」と託宣した人物です。

 そして、朝鮮戦争は「解放戦争」であり、共産主義ソ連が北方4島を占領しているからといって「...あの小さな四島のことで...日ソ関係進展という 重要な課題への貢献をストップさせるというのは、いったいどういう外交センスだろうか」と言い切ります。 つまり、相手の理不尽に抗議するような非礼を慎み、ひたすら先方のご機嫌をうかがう卑屈に徹するのが、 坂本が理想とする「外交センス」なのです。

 坂本は、一方で日本の経済成長を憎みながら、同時に一方では、日本はなにも先進国ではないと見下げる論法も発明します。 当時、日本のGDP(国内総生産)は世界の17.7%、 英仏独の三か国を合計したよりも多かったのですが、人間の怨念とは恐ろしいもので、日本の経済成長を憎悪する坂本は日本を「新興経済国」と決めつけたのです。

 谷沢氏は、半世紀前にすでに終わった帝国主義時代の映像(イメージ)で思考がストップしている共産主義者・坂本が、日本の経済発展を憎んだのは、国民の生活水準が高まれば高まるほど、 人々は現在の自由経済機構を肯定的に評価し、そうなれば日本を共産主義化しようという意向が弱まると見てとったから、と喝破します。    そして『すべての共産主義待望論者とまったく同じく、坂本義和もまた、日本国民が貧困にあえぐ日がくることを心からねがっているのでありましょう』とします。

 詭弁家・坂本にかかれば、黒を白とするなど簡単です。  戦争末期、ソ連は昭和16年4月に締結された有効期間5年の日ソ中立条約を、昭和20年4月不延長を我が国に通告し、 8月に対日参戦しています。  つまりソ連は 中立条約を一方的に破棄し日本軍に襲い掛かったのです。  ところが坂本義和はこれによってソ連を批判してはならないというのです。

 ソ連に服従し日本を罵る坂本は、「史実」は脇に置き、抽象的で巧みな語彙(ボキャブラリー)を駆使した独りよがりの「歴史的経緯」とやらを振りかざし、 国民を欺きひたすら日本を悪役にして共産主義国を礼賛(らいさん)します。  そんな服ソ反日の坂本が持ち出した唯一決定的な「史実」が、「日本が1941年7月に関東軍大動員をかけた」でした。    これを坂本は、「日本陸軍がソ連との戦闘を想定したものであり、日ソ中立条約を破る計画を立てた」と言い立てます。

 しかし、「計画を立てた」ことと「条約を破った」ことは決定的に画然(かくぜん・区別がはっきりしている)とした差があります。  そもそも、どんな軍隊であれ大演習する場合動員を行うのは常識です。    それを、ソ連が条約を破ったのは、日本が条約を破る「計画」をしていたからだ、条約破りしたソ連は正当行為だったと言い張るのです。    ソ連弁護論を振りかざし「史実」に目を向けない坂本の論理は、言いがかりをつければ、あとはなにをやってもいい、というものなのです。   これは「お前は異教の教えに心を動かしたな。 よって火炙り」、とした中世・西欧の魔女狩りの論理です。(2025.1.20)


  

国家間の原理を弁えない謝罪補償論者・大江健三郎

 谷沢永一氏は、「...大江健三郎は、われわれのご先祖を悪者あつかいし、現在のわれわれを愚か者あつかいする論法に、異常なほど情熱を燃やした」が、 「賢明な日本国民は何事でもすぐに見きわめをつけ、あれはああいう人だから、と敬して遠ざけ、その存在を軽く黙認してくれます。  大江健三郎は、こよなくいい国に生まれたことを、深く感謝しなければいけない」とします。 

 国家間の原理を弁(わきま)えない謝罪補償論者・大江健三郎は「...私は日本が中国にしっかりした謝罪と補償を行わないことが、現在および未来の中国の進み行きについて、 日本人としてまともな勧告をなしえない理由だとおもう」として、シナ(支那)には「しっかりとした謝罪と補償」を行え、と主張します。  これに対し谷沢氏は「国家と国家の間においての場合は、 謝罪などという行為は成り立たないという国際関係の常識をわきまえていない頓珍漢」、 「そもそも、国家はそれ自体が一個の独立した絶対価値であって...国家を合法的に弾劾したり裁いたりする ことのできる超絶的な法体系も地球上にありえない」とします。

 終戦直後、中華民国の総統・蒋介石は、日本に対しては 賠償を要求しない、と公式に声明しています。 支那は政権の正当に強くこだわる国ですから、 明→清→中華民国中華人民共和国、この系統図に固執しなければなりません。   中華人民共和国は中華民国から正当を受け継いだ合法政権であると主張する以上は、 蒋介石の約束をそのとおりに踏襲しなければ面目が絶たないはずです。    それゆえ、日中平和友好条約においても賠償権は放棄されています。

 谷沢氏は、「...いかなる国家も他の国家の上に聳(そび)えることはなく、ゆえに他の国の下に屈することもない、というのが、現代における国家観念の基本である」とします。  そして、 紛争を解決する唯一の方法が「条約」であり、「条約を結ぶ、あるいは条約を破棄する、それのみが国家と国家との間における行動様式」であるとします。 したがって、 ある国家が相手国になにか快(よ)からぬ遺憾の念を持ったときは、それを正規の外交交渉の場に持ち込み、どこから見ても無理のない解決へと、事態を理性的に進行させるべきとします。     日本と中華人民共和国との諸問題は、1972年(昭和47年)9月の日中共同声明、1978年(昭和53年)の日中平和友好条約で一件落着しています。    不満があるなら条約締結に応じなけれはよかっただけの話です。

 したがって大江健三郎の謝罪補償論は論理のうえで矛盾と曖昧と背理に満ちているわけですが、その大江に谷沢氏は 「大江健三郎が謝罪論をふりまわすのである以上、支那に対する謝罪条約の条文原案を公表する義務がある」、 「さあ遠慮しないで発表なさいよ。 さぞ見ものであろうと、今から楽しみですね」と迫ります。  日本憎しで調子に乗って暴走した大江は、谷沢氏にこっぴどくやられたのです。

 大江健三郎は、2001年「新しい歴史教科書をつくる会」によって執筆された 中学校社会科の歴史教科書 『新しい歴史教科書』(扶桑社)に対し「従軍慰安婦」、「燼滅作戦」、「731部隊」などへの言及が激減し日本の朝鮮植民地支配や中国侵略を正当化 していると主張しています。 大江は 日本をさらなる戦争犯罪国家へ引きずり込もうとする「日本の旧悪糾弾」話を、 なんとしても既成事実化しようとするリッパな反日的日本人なのです。

 そんな大江を谷沢氏は「...大江健三郎の念頭には大陸の経済発展に資するための思惑などまったくなく」、「彼の意図するところは支那問題を格好の盾にとって、 ひたすら日本及び日本人を責める論難」だけで「過去および現在の日本人をどう言って責め苛んだらよいかの工夫だけが彼の頭を占めているすべてであるようだ」 とします。(2025.1.20)


  

近代日本を全否定した国賊・大塚久雄

 反日的日本人の代表選手で、生粋の社会主義者・大塚久雄は「近代科学成立の基盤たる合理性も見出されない」として近代日本の達成を零(ゼロ)ときめつけます。     その理由として、大塚がいうところの「近代化」とは、すべては「社会改革と同時進行」した「真に近代的な境地」でなければならず、したがってわが国における近代科学は、 大塚が尊重する本来の「合理性」に基づいていない"似て非なる紛い物"にすぎないとします。 社会主義への移行を含めなければ、大塚は満足しないわけです。

 谷沢氏は大塚を、「朧(おぼ)ろ語法を活用し、一般世間に顔出しするときは紳士的に居座(いずま)いを正し、社会主義者であり共産主義者である厳(いか)ついご面相を露呈しないために、 近代主義者の仮面をかぶり、自由主義者の衣装をこれ見よがしにまとい」、「のちに歴史研究会、通称歴研は、世界史の発展法則、という便利な惹句(キャッチフレーズ)を持ち出して、一世を風靡し」、 「この毒饅頭の外側を覆っている世界史の発展法則という艶々した薄皮をめくると中には世界革命必然論という黒々とした餡こが入っている仕掛けを用意した」とします。

 戦後のこの時期、時流に敏感すぎる神経質な国民は、ほとんど全員が日本に左翼の時代が来るのではと考え、自分だけ取り残されてはと書店に走り、かくして左翼文献は飛ぶように売れました。   戦後の出版界に左翼の時代が訪れたのです。  戦後のある時期は進歩的文化人の著作は売れたという実績を踏まえないで進歩的文化人を罵るのは無意味、と谷沢氏は指摘します。    しかし、その後読者は次第に興奮から醒め革命への関心は鎮静へと向かっていきます。  わが国びとはせかせかと焦(い)らちで倦(あ)きっぽいため、 戦後進歩的文化人の単調な憧れ説法には次第にうんざりし、かくして戦後進歩的文化人の時代は終わりを告げたのです。

 その理由を谷沢氏は、「彼らは大塚が創始した、事柄を明晰に表現せず、ほのめかし、言いくらますといった、いわゆる朧(おぼ)ろ語法を用いたため」とします。  そもそも、 自力で日本に革命を実現する意図も意欲もない彼らは、持って回った曖昧な言い立てで、もっぱら社会主義・共産主義に対する憧れの気分だけを世に広めようとしたのです。     連中にとっての社会主義・共産主義は、それを口実として論壇に自分の座を確保するための処世術であり、この日本に革命を起こすなどといった 物騒な議論は頭から願い下げなのです。

 谷沢氏は、「大塚久雄は近代日本を批判する視点として『零史観』を創始した先駆者の光栄をにない、この零史観が模倣者により、 言葉ころがしのすえ暗黒史観になり、さらには調子に乗った誇張者によってふくらまされ罪悪史観にまで突っ走った」、 「日本人をこれ以下にまで貶めることはできまいと思えるほど蔑んだ糾弾の創始者が大塚久雄」とします。(2025.1.20)




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