ホームチョット気になる話⇒敗戦後、謝罪を強要される日本

謝罪一辺倒に追い込まれた戦後の日本

 大東亜戦争(太平洋戦争)で敗戦国となった日本は、 7年近く連合国軍総司令部(GHQ)の占領下に置かれ、1952年(昭和27年)4月28日、昭和天皇の51歳の誕生日の前日にやっと独立を回復しました。    しかし、占領期間中には米国により日本占領政策の一環として「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつける戦後教育プログラム」 いわゆるWGIPによる「日本国民の洗脳教育」が行われたのです。

 この「祖国を否定させる思想教育」により、日本国民に日本が悪い国だったからアジア各国を侵略した、 という日本側の正当性を否定する思想が徹底的に植え付けられました。  その結果、占領期間が終結し独立を回復した後も、 反日思想教育を徹底的に行う日教組が教育現場を牛耳ってきたため、信じ難いことに日本ではいまだに自分の国の子供の教科書に、 「日本及び日本人の『非』が山ほど書いてある(山本夏彦・オーイどこ行くの)」.......おかしな社会となってしまいました。

 どんな国であれ、その国の過去の歴史には美しい部分もあれば醜い部分もありますが、 戦後の日本社会には反日思想に染まった所謂「良心的知識人」といわれた勢力が跋扈し、 「歴史の偏向教育」がまかり通り、社会にもマスコミにも、 先の戦争について少しでも「日本擁護論」を述べようものなら、血相変えて否定・批判する時代が長く続きました。  日本人の多くは、いまだに「先の戦争は、戦争に駆り立てた軍部が、 戦時指導者が悪かった」と責任をすり替えられ、洗脳されていることに気づいていないのです。

 彼らは、戦いに勝利した側が、戦争に敗れた日本を「侵略国家」と断罪し一方的に裁いた、復讐裁判ともいうべき 「東京裁判」史観を鵜呑みにし、 先の戦争を「日本が悪い国だから起こった」という思考停止状態で捉え、 先の戦争で日本の果たした功績は一切無視する勢力でもあります。   このような勢力が「日本を再び敗戦国の立場」に追いやったのです。

 『東京裁判を受諾している』から、 日本は『侵略戦争を認めた』と信じ込んでいる日本人は、政治家はじめ、 まだ多いようです。  たしかに日本は東京裁判の判決は受け入れましたが、犯罪国家という裁判内容 は受諾しておらず、「侵略戦争を認めた」わけではありません。   東条英機ら東京裁判の被告たちは、 「自衛戦争」を主張し、結果として「死刑判決」を受けました。    中国・韓国人ならまだしも、当の日本国民からして「自分たちの国はかつて侵略戦争をした」などと考えるのは、 まさに「愚かな自虐史観」にほかなりません。(2024.5.31)

 その後、「日本はアジア各地を侵略した犯罪国家である」とする偏向史観はますます勢いを増し、その結果「日本はアジアの解放者」という功績は闇に葬り去られたわけですが、 この元凶となったのが「村山談話の呪い」でした。  この呪いは強力で、戦後70年以上も経つ今でも、政治家は中韓相手だと腰が引けてしまい、 中には日本への憎悪を育むことを目的に作られた施設を訪れ、中国のいうことはなんでも信じろと発言する 福田氏のような元首相さえ誕生する始末です。     そして今では、ありもしない歴史問題とやらまで噴出し、 「謝罪一辺倒の国」へとなり果てました。   挙句には、 「性懲りもなく寝た子を起こす謝罪を繰り返す首相」が、次々に登場してくるのですからたまったものでありません。

 1965年(昭和40年)6月22日、戦後の賠償問題、両国の外交関係の樹立などを取り決めた "日韓基本条約"が締結されましたが、戦後も1世紀になろうかという現在でも、 この正式に条約として結ばれた賠償について数多くの誤解と異説が横行しており、 《日本はきちんと賠償と補償をしていないのだから、 韓国はもっと請求する権利がある》という声が、いまだにあがる現状があります。

 中韓が今頃になってから、自国とは歴史認識が違う、と日本を批判することは「歴史認識問題」と呼ばれ、これは 歴史教科書問題と連動しています。   中韓以外にも「従軍慰安婦」などの捏造された日本叩きネタを、絶対の日本叩きの道具として崇(あが)め、自国の教科書に積極的に載せ、 「日本及び日本人の『非』」を山ほど盛り込みたい 「デュープス日本人」は、まだまだ大勢生息しています。     慰安婦は朝鮮人売春業者の商品だった、 という慰安婦問題の真実を知る日本人は、まだ多くありませんが、 「日本悪玉説」に騙されてはなりません。

 たしかに日本と韓国に横たわる歴史にも様々な紆余曲折がありましたが、 不思議なのは、日本に対し反日姿勢をむき出しに「日本は韓国を植民地支配した」などと批判する声が上がり始めたのは、1982年以降なのです。   それまで一部の極左反日以外、「日本は戦争を起こした悪い国」などというタワ言は中国・韓国でさえ言っておらず、戦後ずいぶん経ってから出てきた話です。     そのきっかけは日本国内における『教科書誤報事件』からなのです。(2019.8.25)


祖国否定一辺倒の人物が首相になった日本

 大国アメリカ相手の勝ち目のない無謀な戦いだった 「大東亜戦争(太平洋戦争)」を日本に決心させたのは、 「ハル・ノート」の存在があったとされますが、そのハル・ノート作成の背後には、 日米分断を企てるソ連コミンテルン(共産主義組織)の思惑があったことが、 戦後「ヴェノナ文書」で明らかになっています。    日本は否応なく、 勝ち目のない戦に進まざるを得なかったのであって、 決して自ら積極的に「戦争への道を選んだわけではなかったのです。

 占領軍の指揮官だったマッカーサーでさえ、戦後『....彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった...』と証言しています。   当時の日本は、 マッカーサーでさえ認めた「死中活路を見出した戦い」に打って出るしか道は残されていなかったのです。

 藤原正彦氏は、あの戦争は当時の帝国主義の荒波の中、それぞれの時代の最強国、ロシア、 アメリカに対し日本が独立自尊を賭けた戦いであり、 弱い者いじめによる国益追求、いう恥ずべきものでは決してなかった、 米国によって生命線を断ち切られた日本が生き残るため生死をかけた戦いだった、と述べています。

 日本の首相が「日本は侵略国家であり謝罪すべき」などと見当違いな発言を強制されるようになったのは、自民、社会、さきがけの"自社さ政権が成立し、 社会党の村山富市が首相[1994年(平成6年)6月30日〜1995年8月8日]となったことが端緒です。

 この人物は、野党時代には自衛隊は憲法違反と散々訴えておきながら、イザ自分が首相に就いたとたん党の憲法解釈をひっくり返し自衛隊は合憲だと明言するという、 まさにご都合主義の権化のような政治家で、当然日本が戦争への道を進まざるをえなかった背景 を理解する気などなく、『政治が歴史認識を確定させてはならない』というタブーを破り、先の戦争を「日本の植民地支配と侵略」と断定する政治家でした。

 また、「阪神淡路大震災」当時、未曽有の大災害だというのに、 公務を優先させ、その傍らに災害対応を行うという、 国民の生命財産・国益を守るべき国のトップとして、あまりにもお粗末な対応振りで国民の命を蔑ろにする無能ぶりを見せつけた政治家でもありました。  そもそも自由主義国家日本の指導者になるべき人間ではなかったのです。

 その政治家が首相時代に述べる談話は、当然のことながら、アジアの植民地支配からの解放 を掲げ戦った日本人300万人の犠牲など一切省(かえり)みない、 「先の戦争は日本の責任」、「日本は謝罪しなければならない」、という祖国否定一辺倒の論調になるのは必然だったのです。     日本周辺で繰り広げられた植民地支配合戦など眼中にないのです。    こういう政治家が「日本を再び敗戦国の立場」に追いやったのです。

 この「贖罪国家」の烙印を自ら押した、 【村山談話の呪い】は強く、 故安倍首相は、『....村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない...』として日本の名誉回復に尽力しましたが、呪いを解くことは叶いませんでした。     戦勝国が植え付けた「アジアを制圧した侵略国家」という 「日本悪玉説」を頭から信じ込んだ あまりに歴史に無知な政治家の呪いによって、その後の日本は、 戦争に関することは口にすることさえ憚れる社会となってしまい、慰霊施設である「靖国神社」への参拝さえ、 中国、韓国の反発に恐れをなしたか 「参拝しない」と堂々と宣言し、 一体どっちの国民を向いて政治を行おうとしているのか、心配になる思想の政治家さえ出る始末です。

 従来の日本型政治家とは全く異なる、自国のアイディンティを自らの言葉で明確に主張できる安倍首相でさえ、戦後70周年にあたる2015年の首相談話で、『戦争に関係のない世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません』、 としながらも、村山談話の4つのキーワードである「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「お詫び」を継承する事を表明せざるを得ませんでした。    「戦後日本は村山談話によって永遠の謝罪国家」へと突き落とされてしまったのです。(2021.9.30)


 

愚かな首相が作り上げた「自虐史観」

 ご都合主義の政治家・村山富市首相は、1995年(平成7年)8月15日に発表された戦後50年の「村山談話」で、 「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、 多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」、と先の戦争を「植民地支配と侵略」と断定し、「心からのおわび」を表明します。

 その際「いつの内閣のどの政策がどう誤っていたのか」と問われた村山は、「断定的に申し上げるのは適当でない」と誤魔化し明言できませんでした。  それも当然で、 反日戦後史観に凝り固まったこの愚かな政治家にはあの戦争で日本が果たした役割は絶対に認めるわけにはいかないのです。   村山も、先の戦争を「反日教」宗教の信徒 と同じ思考の日本を貶める「自虐史観」のみで捉えているのです。

 この「村山談話」は、相当数の自民党議員が姿を現さない中、ナント衆院で可決されてしまいます。 しかし、参院では言葉の定義はあいまいで理論的裏付けもないとして決議案の提出自体が見送られ、 かろうじて日本の国会での正式決議とはなりませんでした。  衆院だけの片肺決議では、 「国会決議と誇る」ことは難しいため、 村山は「首相談話」として出すことにした、 というのが現在の「村山談話の正体」なのです。

 いずれにせよ、この村山談話は日本政府の公式見解として、その後の内閣で継承されることになり、 それが後々反日媚韓勢力から、「日本国首相談話」として政治利用されていくことになるのですから、日本もトンダ人物を首相にしたものです。    左巻き政党の党首が総理大臣の座についてしまったのですから当然の結果だったのです。

 村山は終戦後五十年を控えた1995年(平成7年)、捏造された従軍慰安婦問題の解決のためと称し、 民間資金を原資とする「アジア女性基金」を設立。   さらに中韓両国をはじめとするアジア諸国に土井たか子衆議院議長を団長とする謝罪使節団を派遣し、次々に愚かな謝罪外交を繰り広げます。  このときマレーシアのマハティール首相やフィリピンのラモス大統領に、 「五十年前の戦争をなぜわびるのか。 イギリスやアメリカは侵略してもわびない」、とたしなめられています。

村山内閣総理大臣談話】  「戦後50周年の終戦記念日にあたって」 (1995年・平成7年・8月15日)
(1).私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
(2).現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
(3).わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。  私は、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省の意を表し、 心からのお詫びの気持ちを表明いたします。(2019.8.25)

 残念ながら、昨今の日本人の中には、 古き良き時代の大和民族気質などすっすり失ってしまい、自分の私利私欲のためなら魂どころか国家まで売りかねない 売国政治家が堂々と跋扈する、おかしな世の中となってしまっています。(2019.8.25)


愚かな政治家たちが作り上げた謝罪国家・日本

 日本は村山富市氏のような愚かな歴史認識を持つ無能な政治家によって、 今では内閣総理大臣が、国会の所信表明演説で、 「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらした」、 と過去の戦争を反省し謝罪させられるのが慣例となってしまいました。

 先の大戦において「白人による殖民地支配を断ち切ったアジアの解放者」という栄光を成し遂げた日本国の総理大臣自らが、 戦後50年も経ってから「日本は侵略国家である」と公言し、 愚かな謝罪を繰り返すという、 祖国を命がけで守ろうとした先人たちが知ったら、腰を抜かすような愚かな国となり果ててしまったのです。

 村山富市氏以外にも、「日本悪玉説」の呪縛から逃れられず、自分の祖国を否定してきた政治家は大勢います。    現職の首相を「....安倍は不思議な政権」と呼び捨てにして批判する"河野洋平"元衆院議長もその一人です。

 彼は官房長官時代、日本政府が一貫して、慰安婦については『強制連行はなかった』、 と主張していたにも係わらず、韓国の執拗な追求に根負けした挙句、記者会見の席上で、 「そういう事実があったと。 (それで)結構です」、 となんの証拠資料も日本側証言もないまま、独断的に「強制連行」を認めてしまった人物で、 いわば「従軍慰安婦問題」の元凶ともいうべき政治家です。

 この「河野談話」が、その後反日にとっての「日本叩きの強力なツール」と化してしまったのです。  その結果、いまや世界中で日本を貶める「従軍慰安婦問題」として拡散されてしまい、 外国の教科書にも「性奴隷の国」として取り上げられるまでになってしまったのです。

 しかし、「従軍慰安婦問題」などというホラ話は、そもそもの発信元だった吉田が1995年に、 「強制連行して慰安婦にした証言は、主張を織り交ぜた創作」、だったと自ら認めているウソの出任せ話です。     朝日新聞でさえ、2014年(平成26年)9月にやっと捏造と認め謝罪しています。     「従軍慰安婦問題」の発信元と拡散元が、そもそもは捏造話だった、とハッキリ事実を認めているのです。

 ところが、河野は、後に捏造元がウソだったと白状したホラ話しを、当時の自分が真に受け認めてしまったことについて、2012年8月の朝鮮日報に、 「私は信念を持って談話を発表した」と開き直ります。    この元日本の政治家だった人物は、捏造話と言う事実が明らかになったというのに、"末代まで世界史の歴史に残る、日本の恥嘘話"を自分が生み出したことなど気にもかけず、 ひたすら自己弁護に走る道を選んだわけで、反省などとは無縁の御仁なのです。   この人物の息子が「靖国神社参拝忌避」を公言する河野太郎ですが、 河野家には「中国依存家業」についての懸念も取りざたされています。

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 「1993年(平成5年)8月4日)】
(1).慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。
(2).慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、 甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
(3).本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、 心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
(4).そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 確たる証拠もなかった捏造話しを真に受け、当時は単なるビジネス だった慰安婦問題をいたずらに悲劇化させ、複雑化し拡大させていった河野洋平氏は、 今や従軍慰安婦問題の原点とも言うべき人物に祭り上げられています。      河野氏がまだ日本人としての誇りを少しでも残しているのなら、 一刻も早く慰安婦問題の誤解を解く責任があるはずです。(2019.8.25)


「日本がアジアを侵略した」というのは、戯言

 日本は、当時の「強い民族が弱い民族を征服するのが当然」、 という恐ろしい時代において、人種差別撤廃とアジア諸国を植民地支配から解放するという、高い理念と構想を掲げ、世界中の有色人国家の中でただ1国、 白人列強に敢然と立ち向かった国です。

 タイのククリット・プラモード元首相は、
《....日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。....今日東南アジアの諸国民が、 米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか.....。  (本当は戦争で感謝された日本 井上和彦) 》、 と大東亜戦争における日本の功績を賞賛しています。

 インドネシアのブン・トモ情報・宣伝相は、
『...われわれアジア・アフリカの有色民族は、 ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みて全部失敗したが、 日本軍がわれわれの面前で白人国を徹底的に打ちのめしてくれた......そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった.... それなのに日本だけに担当させ、 少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった....。』、『....われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、 アジア人全部が自信をもち、独立は近いと思った......日本が敗北した時は、 これからの独立戦争は自力で遂行しなければならないと思った.....。』(新歴史の真実・前野徹)、 と日本に謝意を述べています。

 フィリピンの中学校教科書には、アジアを植民地支配していた白人列強国を追い払った日本について、「....日本の勝利はアジア民族に大きな影響を与えた。   その第一はアジア人が西洋人に劣っていないこと、 西洋の大国にも打ち勝てることを証明した。   第二に 西洋の帝国主義に圧倒されていたアジア諸国国民のナショナリズムを掻き立て、フィリピン、インドネシア、 インドなどは日本をアジア解放のチャンピオンと仰ぎ見た....」と記述されているそうです。

 歴史家のトインビーも、「....日本は第二次大戦において、自国でなく大東亜共栄圏の他の国々に思わぬ恩恵をもたらした。(中略)   それまで二百年の長きにわたってアジア・アフリカ を統治してきた西洋人は、 無敵で神のような存在と信じられてきたが、実際はそうでないことを日本人は全人類の面前で証明してしまったのである。  それはまさに歴史的業績であった....」、と述べています。

 大戦中、近代史上初めて、日本において有色人種のみが一堂に会しアジア地域の首脳会議(大東亜会議)が開催されました。     当時の日本は「大東亜共栄圏」というアジアの植民地支配からの解放を掲げており、参加した代表らは宗主国気取りする米英の抑圧からの解放を求めて集まったわけです。

 日本では終戦まで「太平洋戦争」などとは言わず、「大東亜戦争」と呼んでいました。     アジアの東部を「東亜」といいますが、「大東亜」とは極東および東南アジアの地域を称した語でした。   その「大東亜」における戦いは、 欧米諸国が支配していたアジア各地の植民地を解放し、 「大東亜共栄圏」を設立してアジアの自立を目指す、という高い理念と構想もあったのです。

 現在、我々日本人が目にする近代史本の大部分は、日本のアジア侵略については山ほど書かれているが、白人国家による有色人国家からの収奪についてはさほど触れない、という現状が続いています。     日本の果たした役割を快く思わない反日勢力は何処にでも存在しますが、「日本がアジアを侵略した」という戯言(たわごと)に惑わされてはいけません。     中韓以外、世界のほとんどの国は「親日国」なのですから。(2019.12.3)


 

いつまで続ける・植民地支配の「痛切な反省と謝罪」

 戦後の日本は、GHQが刷り込んだ「WGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつける戦後教育プログラム)」によって、 すっかり洗脳されたヒダリマキ日本人たちが、「大東亜戦争」、「大東亜細亜共栄圏」という単語を聞きつけた瞬間、 「大東亜戦争は正義の戦争である、などというのは排外的愛国主義の考えであり、右傾化が強まっている」、 などと「大東亜共栄圏」構想を目の敵にしてヒステリックに騒ぎたてる現状が、 いまだに続いています。  彼らが「バカの壁」を超えられるのはまだまだ先のようです。

 戦後70周年にあたる2015年、安倍首相は、「....私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」、 という談話を出し、わずかながらではあるものの「謝罪国家」の立場からの脱却姿勢を見せてくれました。   日本もようやく 「当たり前のことを当たり前に言える時代になってきた」兆しが見られ始めました。

 ただ、現状の日本を取り巻く情勢では、中韓に対し毅然とした態度で対峙する安倍首相でさえ、「植民地支配」、「侵略」、「痛切な反省」、「おわび」、 といった村山談話の継承を表明せざるを得ませんでした。   この程度の主張が精一杯なのです。     日本を「侵略国家」と断じた「東京裁判史観」に雁字搦めにされた日本は、 以来「占領下の敗戦国の枠組み」に70年間閉じ込められてきたわけですが、ChatGPTでさえ、 「大誤報に基づいた歴史観」 を正しい答えとして吐き出す現状では、その「戦後レジーム」からの脱却がいかに困難であるか痛感させられます。

 戦後70年を迎える今、もし安倍首相が「永遠の謝罪国家・日本」という呪縛を解き放ち、 侵略国家・日本という軛(くびき・自由を束縛するもの)に囚われてしまった日本の戦後体制を変える道筋をつけてくれれば、まさに明治維新の志士に匹敵する人物であり、 ぜひ頑張っていただきたいものです。   中国の覇権主義拡大の時期に安倍首相が存在している、というのも歴史の必然性かもしれません。(2015.12.3)    【残念ながら安倍晋三元首相は2022年7月8日、凶弾に倒れます。】

 そもそも、「日本はアジアに侵略した」などと言いがかりをつけ、執拗に謝罪を要求する中国と韓国は、 「大戦中何もできなかった国」です。    一方、日本は「アジアの解放者」として尊敬を集めています。  日本の影響力を封じ込めておきたい中韓としては、 「日本は戦争を起こした悪い国」に永遠にしておきたいわけで、彼らは今後も謝罪要求を止めることは有り得ない、 ということを日本人は肝に銘じておくべきです。

 2021年11月、次期韓国大統領の座を狙う李在明(イ・ジェミョン)氏は、ソウル駐在の外国メディア向けに会見を行い日韓問題について触れた際、「成長した韓国の地位に見合うように再構築する」としたうえで、 「小渕首相が表明した植民地支配に対する“痛切な反省と謝罪”の精神を日本が守るならば、いくらでも未来志向な韓日関係をつくることができる」と述べます。

 要は、次期大統領候補の李氏も、日韓関係改善は日本が新たに謝罪をすることが大前提だ、という立場は変えようとしていないわけで、 「日本は絶対悪で我々は永遠の被害者」とするこんな手合いを相手に、まともな関係を築けるはずはアリマセン。  近年、 韓国を戦略的に放置』する日本の方針は成功してきました。     韓国が日本と同じ思考との前提で外交交渉するのは誤っているのです。(2021.12.2 DAILY SHINCHO 引用)

 2023年、韓国新大統領となった尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏は、「....日本は数十回にわたって歴史問題で反省とおわびを表明してきた...」、 「100年前の歴史で日本はひざまずき許しを請えとの主張には同意できない」と語り、 「大人同士の日韓関係」構築をアピールしますが、 外交オンチ日本はまたしても「寝た子を起こす謝罪」を持ち出し、 せっかく新たな「対等な日韓関係」を築こうとした尹大統領の背後から弾を撃ち、自ら「怒る韓国と謝る日本」という昔ながらの 「大人と子供の日韓関係」に戻してしまったのです。     日本政府内の闇勢力によって、日本はこれからも「謝罪する国・日本」という愚かな外交スタイルを、強要され続けていくのです。(2023.5.12)

  
 

日本はアジアを独立に導いた「希望の光」

 実に世界の8割強が白人国家により植民地化されていた当時、 日本は植民地支配していた白人国家を追い出すための戦いに奮闘しました。

 元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のストークス氏は、 先の戦争における日本の立場について、『日本はアジアを独立に導いた「希望の光」。  「侵略」したのではなく「解放」し、 独立に導いたのです。  アジア、アフリカ、北米、南米、豪州を侵略した西洋は謝罪していません。   なぜ日本だけが謝罪しなければいけないのか。  白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンスです』.......と語っています。(産経新聞 2015年6月29日)

 白人列強国が有色人国家を侵略し植民地化するのが当然とされていたあの時代、 白人強国はアジア全域のみならず、南米やアフリカなど世界中の有色人国を植民地支配していました。   植民地時代の白人列強国は、多かれ少なかれ似たようなやり方で 世界中の弱い民族から力で資源を根こそぎ搾取し、散々うまい汁を吸っていたのです。

 世界中の有色人国家が欧米列強の植民地となっていたあの時代、 日本は白人による殖民地支配を断ち切るべく、 欧米列強が居座っていたアジア地域に軍事進攻し、彼らをその地域から追い払ったというのは歴史の事実であり、 まさに日本はアジアを独立に導いた「希望の光」だったのです。

 中国革命の父、孫文でさえ、 「....アジアの全民族は大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いた。.....日本がロシアに勝って以来アジアの全民族は....独立運動がおこりました」、 と述べていたほどですから、極東アジアの日本が白人列強相手に勝利していったのは、まさに歴史上の快挙だったのです。

 大東亜戦争(太平洋戦争)終戦により、故国に帰れたはずの旧日本軍の一部(千人とも言われます)は、ベトナムに残りベトナム民主共和国の独立をめぐりフランスとの間で1946年から戦われた第一次インドシナ戦争において、 ベトナム独立のため命を懸けて戦いました。  ベトナム兵にとって実戦経験豊富な旧日本兵の存在は頼りになったでしょうし、さぞかし心強かったことでしょう。    あえて現地に踏みとどまり、ベトナム独立のために命を懸け戦ったという歴史の事実が、日本が「アジアの解放者」として尽力したなによりの証です。

 世界が弱肉強食の無法地帯だった暗黒時代、日本が「アジアの解放者」として登場し、欧米列強を打ち負かし、アジアの地から彼らを追い出したのですから、 世界中の有色民族が狂喜したのも当然なのです。     大戦中何もできなかった中国・韓国以外のアジア・アフリカ諸国は、 皆日本に感謝を示しているのです。

 いつの日か、日本が成し遂げた「植民地支配からの解放という世界史に残る功績」が、日の目を見る日がくることを期待したいものです。(2019.12.3)


 

日本は謝罪していない?

 先の戦争について、ドイツは戦時中の軍部が行った間違いを明確化し謝罪したが日本は謝罪していない、などという声があります。       同じ敗戦国であるドイツとイタリアが、戦後、反省の意を明確にしたことにより「歴史的責任を振り払った」が、 一方日本は「次世代に続くトラブルを抱えたまま」であり、「謝罪していない」と批判するのです。

 しかし、日本は世界的に見ても例がないほど、過去何度も謝罪してきましたし、そもそも、 ドイツの戦争犯罪と日本の行動を同一視する考え方は、根本から間違っています。    ナチスドイツのように、周辺国を侵略し残虐に民族抹殺を企て、ユダヤ民族を根絶やしにしようとした国と、 「白人列強のアジア侵略に歯止めをかけ」、 強国による植民地支配を断ち切った日本を同一視しようとするのは、そもそもおかしな話です。

 数百万人のユダヤ民族虐殺という 「おぞましい民族撲滅」を図ったドイツが、国を挙げて未来永劫人類に謝罪するのは当然の責務です。  一方、当時の白人帝国主義国が覇を競い、 世界中の有色人国家を散々食い物にしていた時代、 日本は白人国家による植民地支配からの解放を旗印に、ただ一国白人列強に敢然と立ち向かい、 強国による弱小国の植民地支配という頚木から有色人種を解放した世界で唯一の国だったのです。

 当時の日本はアジアを植民地支配していた欧米諸国に対抗して、現在のEU(欧州連合)のような「東アジアの共同体を構築する大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、 という高い理念と構想を大義に「大東亜戦争」を唱えていた国であり、 「日本もドイツ・イタリアに学べ」などと主張するのはミソクソ一緒の愚かな話です。

 そもそも、当時迫害されていたユダヤ民族を、人道上の立場から救いの手を差し伸べたのが日本だった、 という歴史は日本人なら知っておくべきです。    『シンドラーのリスト』のオスカー・シンドラーが助けたユダヤ人は約1,200人ほどとされますが、 リトアニアに赴任していた杉原千畝氏は6,000人ものユダヤ人を救っています。  また、滿洲關東軍の樋口季一郎少将は、 ユダヤ神学生300人や18000人ものユダヤ難民のビザ無し入境を援助しています。

 他民族抹殺を企て、ホロコーストを行い、世界制覇を目論んだナチスドイツと、白人列強によるアジア植民地支配からの自立を目指し孤軍奮闘した日本を同列に扱い、 謝罪ウンヌンを持ち出すのは、まさにお門違いとも言うべき暴論であり、中韓や反日が日本を貶める目的で仕掛ける、 日本を為にする(ためにする・ある目的に役立てようとする下心)陰謀なのです。(2015.12.3)


 

過去何度も謝罪してきた日本

 日本は決してアジア地域に侵略戦争を仕掛けたわけでは無かったのですが、現地の人に迷惑をかけたのも事実であり、そのため日本は過去何度も謝罪し、金銭的補償も行ってきました。    例えばフィリピンに対し5億5,000万ドル(1980億円)、ベトナムに対し3,900万ドル(140億4000万円)、ビルマに対し2億ドル(720億円)、インドネシアに対し2億2,308万ドル(803億880万円)、 というような賠償支払い等を行っています。(外務省HPより)

 「最大の害を与えながら謝罪したことがない」と言いがかりをつけてくる中国に対しても、1972年に行われた日中国交正常化調印式において、当時の田中元首相が 「過去において日本が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」、という謝罪を述べています。

 さらに、金銭的にも、1978年の日中平和友好条約発効の翌年から約40年にわたり、 有償資金協力(円借款)を約3兆3165億円,無償資金協力を1576億円,技術協力を1845億円など、総額で約3.6兆円以上という、 莫大な中国への政府開発援助(ODA)を、補償金がわりに実施してきました。     2016年にやっと中国へのODAは停止しましたが、GDP世界第二位の国が、つい最近まで日本から補償金をせしめ、かつ中国人民は日本からのODAなど知らされておらず、 したがって日本に感謝することはありません。

 執拗に謝罪要求を重ねる韓国に対しても、1965年の日韓基本条約により、 『両締約国(日本と韓国)及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、 (中略)完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する』、 という合意が両国間で成立し、日韓請求権・経済協力協定により、 現在の価格に換算すると合計4兆5000億円以上ともいわれる援助資金(補償金)を払い、戦後処理は完全かつ最終的に解決済みです。

 これについては、たった3〜5年占領されただけの東南アジアの国々に比べ、日本に35年間支配された韓国韓国が受け取った賠償額3億ドルは余りに少ないと韓国人は反発しています。      しかし、その考えは日韓の歴史と請求権問題を正しく認識していないための誤解です。  そもそも、 当時の韓国は日本の一部であり、 韓国は「日本の植民地支配被害国」ではありません。  韓国が補償金として日本に請求できる金額は、それほど多くは無かったのです。

 世界の歴史を振り返れば、ヨーロッパでは諸国同士が絶えず戦争を繰り返してきました。   欧米列強は有色人種を強力な武力で脅し植民地とし、奴隷として拉致し売買し、アヘンを売りつけフヌケの国とし、 原住民であるインディアンを討伐と称し滅ぼしたりと、強い者がやりたい放題だった弱肉強食の時代が続きました。  しかし、欧米諸国の中に過去の行為を謝罪する国などありません。

 しかし、日本は首相、官房長官などの名義で謝罪を何度も繰り返し、天皇陛下も何度も遺憾の意を述べています。   主なものでも、少なくとも20回以上は公式に謝罪しているとされますが、 世界的に見ても、特定国が特定国に向かって国家の次元による謝罪をこれほど数多くしたケースはほとんど例がないとされています。(2023.4.23)


 

日本が大幅に譲歩して妥結させた戦後補償

 日本の植民地とされた韓国は、教科書にも堂々と「朝鮮全土の40%が総督府(朝鮮統治のため置かれた日本の官庁)の所有地として収奪された」として50年以上国民を反日洗脳してきました。     土地だけではなく食料も、若い女性の性さえも収奪されたと書かれ、日本人の一部もそれを鵜呑みにしてきたのです。  しかし、日本は 「国際法に則り列強諸国の承認を受け、朝鮮半島を日本の一部として併合」したものであって、 韓国は決して植民地支配被害国などではありません。

 その証拠に、戦争が終わり日本併合期が終わったとき、誰一人「自分の土地を返せ」などと訴えた人はいませんでした。  土地台帳を保管している全国の群庁や裁判所のどこにおいても、 そのような騒動や請願が起こらなかったのです。  日本統治時代には、日本の一部となった朝鮮半島には多くの学校や病院が建てられ、 農業や産業が振興整備され、食糧自給率は高まり、韓国の若者は大量に日本に留学させてもらい近代的経済システムを吸収し、朝鮮半島東海岸を中心に工業地帯が形成され、多くの日本企業が進出していったのです。    いうなれば、今の韓国の近代化は、「日本におんぶにダッコで成し遂げた」ものなのです。

 韓国の名門・延世大学の教授・柳錫春(リュ・ソクチュン)氏は、「韓国が発展したと認めるのなら、 その理由が何なのか」、「発展が天から落ちてきたのでなければ、発展の歴史的ルーツがなければならないのに、朴正煕でもなく李承晩でもないというなら、 植民地支配の時期にならざるを得ないのではないでしょうか」、という質問にさらされて初めて、 学生の脳には「植民地時代」と 竹島を奪った「李承晩政権」を再評価する必要があると考える空間が設けられるとしています。

 韓国は日本との戦後補償交渉において、当初7億ドルを要求していました。  しかし、韓国側の請求権主張を一つひとつ詰めていくと、日本が認定できる金額は、最大7000万ドルに過ぎませんでした。      経済的にも日本におんぶに抱っこだった韓国に、もともと日本に請求できるものはさほどなかったのです。     正味わずか7000万ドル足らずでは、韓国側が要求する額の1割にしかならない額であり、韓国としては、この補償金で終わらせることはできません。

 当時、日本が朝鮮半島全域に残していた財産は、1946年の価値で52億ドルを超えており、この額は朝鮮半島の総財産の85%に達し、そのうち22億ドルが現韓国側にあったとされ、その中には民間人の財産も相当ありました。     つまり、朝鮮半島の財産の大部分は日本のものだったのです。

 日本は、この朝鮮半島に残してきた膨大な財産をいさぎよくあきらめ、さらに、この7000万ドルにプラスして遥かに高額の 経済協力金の資金を加える方式を提案して、やっと日韓の戦後補償は妥結したわけです。     これは、併合とはいえ朝鮮半島を35年間支配した日本側が、大幅に譲歩した形であり、両国間での最善の合意でもありました。

 しかし、その後も韓国はもっと寄越せとゴネ続けています。  そのため1995年には「アジア女性基金」を設立し、 韓国を含むアジア各国等の元慰安婦(と称する)に対し、「償い金」の支給と歴代総理大臣からの「おわびの手紙」を届けています。  さらに、2015年12月には慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認し、韓国政府が設立した「和解・癒やし財団」に対し、10億円の支出を行っています。     その後その解決案はアッサリ反故にされましたが、その金を返還するどころか、 「謝罪せよ、金をもっと出せ」と騒ぎ続けているのです。    たった数人の裁判官が韓国を無法国家にしているのです。

 韓国が日本をいつまでも敵視する歴史問題の根源は「強固な被害者意識」です。      支配していた国と支配を受けていた国の間には、超えられない溝があるとはいえ、「韓国の精神的独立は、決して日本から得られるものではない」はずです。      韓国はそろそろ「これまでの偏狭な反日を反省し、 広い見地で日本を受け入れる」べき(高麗大学政治外交学科・朴鴻圭教授)です。(2023.4.23)


 

ポーランドとは比較できない韓国事情

 2012年、ドイツのガウク大統領は、チェコにあるナチの強制収容所での解放式典で、「我々は当時のドイツ人と違う」とスピーチしたといいます。

 たしかに過去にナチスドイツが行った残虐行為は、 歴然とした証拠のある、人類として到底許されない非道な虐殺であり、結局、ドイツ人が謝罪する背景には、そんなことができるドイツ人は現在の我々と違う悪いドイツ人であり、 過去の忌まわしい悪夢とは無関係なのだ、と線引きする必要があるのでしょう。

 その線引きによって現代ドイツ人は、過去に自分の国がやった悪魔の行為と、今の我々は無関係である、というケジメをつけられ、過去の呪縛から逃れられ、 良心の呵責からも解放されるわけです。  しかし、数十年前の祖国を全否定しなければならないわけで、ドイツもなかなか大変です。

 もっとも、そもそもそのように割り切らない限り、現ドイツの立場はないでしょう。  それほどの人類に対する重大な非人道行為をナチスドイツはやったのですから。     1970年には、西ドイツのブラント首相(当時)はポーランドを訪問し、ユダヤ人ゲットー記念碑の前で跪いて謝罪しています。

 これについて、「ドイツはポーランドに対して、今でも戦争に対する罪と反省を忘れず、両国間で公式の会合がもたれる時には、何かしらの形で反省について言及する。   ドイツが歴史に対する反省を低姿勢に積み重ねてきたおかげで、 ポーランド人がドイツに対して大規模なデモを行うような光景は見られない」、という意見もあります。

 なにやら日本に対する当てこすりのような話ですが、日本も負けずに謝罪と補償は行っています。   そもそも、 日本と韓国に横たわる長い歴史には紆余曲折がありましたし、 「我々は日本に中国の文化を伝えた兄貴分である」、という自負が強かった韓国は、屈辱の35年間、日本の支配下にあったわけですが、 「近代化は日本におんぶにダッコで成し遂げたもの」でした。   さらに、「国家の独立」も自力で成し遂げたものではありません。

 しかし、日本の兄貴分を自負する韓国として、その事実は絶対に認めたくないのです。   日本による併合期の歴史をそのまま受け入れることは、 自国の惨めな過去をさらけ出すことであり、 国の威信をかけても絶対に避けなければならず、 したがって歴史も、『日本による韓国併合は一方的な強制だった』というストーリーに仕立てる必要があるのです。

 韓国の名門・延世大学の柳錫春氏によれば、 「....韓国発展が天から落ちてきたのでなければ、発展の歴史的ルーツがなければならないのに、朴正煕でもなく李承晩でもないというなら、 (日本による)植民地支配の時期にならざるを得ないのではないでしょうか....」と問うと、 これまで学生たちに教えられた現代史では、このような質問が全く投げかけられなかったため、学生の大半は、「当惑」という反応一色になり黙り込むといいます。

 近年では韓国内から出さえ、「日本統治時代は良かった」という声も上がり始めています。      常軌を逸した反日ぶりで、 執拗に日本に対し歴史戦を挑んでくる韓国の歴史と国情、 そして韓国人気質を鑑みれば、ポーランドと単純に比較できる話ではないのです。

 現韓国大統領のの尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏は、「日本は数十回にわたって歴史問題で反省と謝罪を表明している」、 「100年前の歴史で日本はひざまずき許しを請えとの主張には同意できない」との考えを述べました。    韓国では今も「日本は永遠に許しを請い続けるべきだ」などの考え方が根強く、一部の国民からは「どこの国の大統領だ」などの批判の声も上がっていますが、いつの日か、 多くの韓国民が過去の怨念に囚われ続けることの愚かさに気づくことを期待したいものです。(2023.4.25)


  

何度も繰り返された首相の謝罪談話

 2010年の菅直人首相談話では、 「....三・一運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、 時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、 国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました....」、という認識を示しています。

 さすが左巻き(民主党首相)だけあり、日本による韓国併合を 「植民地支配」と言い切るところは、 GHQの日本占領政策「祖国を全否定する反日思想」 にかなり毒された人物の談話ではあります。

 自民党の石破茂氏も同じ意見のようですが、 日本は政治家からして一方的な反日歴史観を持つ人物が大勢巣食う国なのです。    しかし、国益など無視し、 反日史観に完全に染まってしまった物分りの良い政治家では、 いつまで経とうが戦後処理が終わることなどできるはずもなく、逆に反日国家との関係改善の障害となりかねません。

 中韓に対し毅然とした態度で対峙するのでは、 と期待された安倍首相も、2015年8月14日に発表した談話では、「植民地支配」、「侵略」、「痛切な反省」、「おわび」、 といった村山談話と小泉談話のキーワードがそのまま盛り込まれ、国民の期待は裏切られました。

 ただ、その一方で、「....私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません....」、 とする独自の考えも示し、「謝罪国家」の立場からの脱却姿勢をわずかに見せてくれましたが、現時点の情勢ではこの程度の主張が精一杯なのでしょう。

 日本は「占領下の敗戦国の枠組み」に70年間閉じ込められてきたわけですが、その「戦後レジームからの脱却」がいかに困難であるか痛感させられます。    日本の首相が謝罪談話を何度出そうが、韓国や中国から「本当のおわびがされていない」として、謝罪要求がやむ気配などまったく無いのが現実なのです。(2015.12.3)


戦争責任を執拗に追求する問題の背景

 中韓が執拗に慰安婦問題や南京大虐殺などのデッチ挙げ話しで日本の戦争責任を追求し続けてくる背景には、当然のことながら日本を攻撃しつづけることで日本の発言力を押さえ込み、 中韓の国内問題から国民の目をそらさせ、国際社会における日本の影響力を封じ込めようとする、韓国政府と中国共産党の意図があります。

 日本に対し散々「歴史を直視しろ」とか、「謝罪せよ」と攻め立てる中韓ですが、中国はアヘン(阿片)戦争(1840年から2年間)でイギリスに破れ、 香港の割譲や不平等条約を結ばされるという屈辱的敗北を喫した歴史がありますが、彼らは麻薬まで売りつけ国民を薬漬けにし、挙句の果てに戦争で領土まで奪ったイギリスに、 戦争責任を追及し賠償せよと要求したことなどあったでしょうか。

 やってもムダだと分かっているから彼らはイギリスに文句などいいません。  ところが、日本はチョッと文句をつければすぐに謝罪を引き出せるから、 いつまでたとうが謝罪を求め続けるのです。   さらに、日本人の中にも「日本悪玉説」を信じ込む 「反日教」宗教の信徒は大勢いて、その信徒達が中韓に肩入れしているのです。

 日本が中韓の謝罪要求に対し反論してこなかったのには理由がありました。  1941年12月8日に開戦した大東亜戦争(=太平洋戦争)の戦いに敗れ、 1945年8月15日に敗戦を迎えましたが、  敗戦後に行われた史上最悪の裁判と言われる東京裁判においても日本は一方的に悪者にされ、アジアの侵略者に仕立て上げられた挙句、 戦後はひたすら謝罪国家としての運命を背負わされてきました。

 日本は先の戦争で、帝国主義、 植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打ち、白人のアジア侵略を止めるどころか、アジアを独立に導いた「希望の光」の国だった、 という日本の栄光の歴史は、占領統治のため日本に駐留した連合国軍総司令部(GHQ)による日本人に祖国に対する誇りを失わせる施策により葬り去られたのです。

 (GHQ)は厳しい言論統制によりマスコミ・教育を通して、 戦前の日本の行い全てが恥べきことで、あの戦争は一方的に日本の責任である、 として日本人に「祖国を全否定する反日思想」を徹底的に植えつけたのです。

 戦後生まれの子供たちは日本を徹底的に否定する日教組の影響もあり、過去の日本が果した功績は一切教えられてこなかったどころか、 日本はアジア各国に侵略戦争を仕掛けた悪い国だった、などという反日教育がなされてきたのです。

 平成元年(1989年)生まれの自分の娘でさえ、小学校では先生から音楽教科書の君が代の歌詞の部分に目隠しを強要され、 歌わず聴くことだけにしなさいと指示されたそうです。   日本の教育界は 「WGIP」が作り上げた日本軍残虐説の影響がまだまだ消えず、 いまだに悪しき反日教育が行われているわけです。

 さらに、韓国の背後には周辺諸国の反日感情を焚きつけ、執拗に日本バッシングを煽る中国の存在があり、中韓は過去の日本が苦労して足跡を残してきた痕跡を拭い去ろうと様々な動きを強めています。    韓国は中国の属国として虐げられた自らの黒歴史には目を背け、日本の力で独立国家となった恩を忘れ、常に感情的な反日意識で騒ぎ続け、 とうとう「日本海」という呼称さえ変えてしまおうと必死なのです。(2019.12.3)


 

「靖国神社参拝騒動」の仕掛け人も朝日新聞だった

 中国や韓国はいつまで経とうが日本に対し、「日本は侵略国家だ」とか「日本は戦争責任を果たせ」などという言いがかりをつけてきますが、 そもそも、中韓がこのようなたわ言で日本に難癖をつけ騒ぎ出したのは、敗戦直後からではなく、妙なことに終戦後何十年も経ってからの事なのです。

 しかも、そのキッカケを作ったのは中国でも韓国でもなく「反日教」の日本人信徒、 つまり、 敗戦後にGHQが行った「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつける戦後教育プログラム」 に洗脳されてしまった日本人である、というおかしな現実があります。     そのオカシナ日本人たちが、「旭日旗騒動」などの韓国の稚拙な日本叩きに敏感に反応し、 またしても反日国家・中韓に日本人自らわざわざ「反日ツール」を与えてしまうのです。

 中韓が新たに手に入れた「反日ツール」のひとつに「靖国神社参拝騒動」があります。  どこの国であれ、 祖国を守るため犠牲となった英霊を、国民が慰霊するのは世界共通の儀礼です。  日本も「靖国神社」に祭られている、 国難に殉じた祖先の慰霊に参拝する、という行為は普通に行われています。

 ところが、現代の日本においては、首相や閣僚が「靖国神社」に参拝すると、中韓・反日から一斉に大ブーイングを浴びるという奇妙な事態が続いています。     さらに、あろうことか、靖国神社に参拝するかどうか聞かれ、『...お友達の嫌がることをあなたはしますか。 相手の嫌がることを、あえてする必要はない』、 と言い放つ首相までいるのです。    アメリカは参拝に対しあからさまに文句は言ってきませんでしたが、 オバマ政権下で日韓関係が悪化していたとき、これ以上日韓の亀裂が生じるとアメリカがやりにくくなるので、 安倍首相の國神社参拝に対しアメリカ政府は「失望した」などと口を出してきました。   米国でさえ國神社参拝を政治利用しているのです。

 その国の慰霊行為について、他国が口を挟み批判するなどという非礼は、言語道断の振る舞いのはずですが、現代の日本においては、参拝すると中韓から一斉に非難されるという、 まことにオカシな状況がまかり通る、異常な社会となっているのです。    また、 自民党総裁選に出馬した河野太郎氏は、韓国の慰霊施設・国立ソウル顕忠院には堂々と参拝しているのに、 「靖国神社には参拝しない」と明言して恥じません。

 靖国神社参拝反対などという反日行為は、「教科書誤報事件」の時でさえ出てこなかった話です。     靖国神社参拝が批判されるのは、「戦犯が祭られたから」などという的外れな話がありますが、戦犯とされた人たちが祭られたのは1985年どころか、 その10年も前の話であり、中韓が非難する戦犯ウンヌンは、直接の原因ではないのです。

 そもそも日本は1952年のサンフランシスコ講和条約発効を受け、1953年の国会において共産党も含む全会一致で「戦犯として処刑された人々は、法務死であって戦死者とみなす」、 などの戦犯の赦免に関する決議を採択しており、もう日本に戦犯は存在していないのです。

 1985年までは、日本の首相が参拝しようが、閣僚の誰が行こうが、それまで中韓は靖国神社参拝について、 一言の文句も言わなかった、という時代が続いていたのです。   このようになったのにはどういう背景があるのでしょうか。

 中韓が靖国神社参拝にクレームを言い出した背景には、1985年8月15日、中曽根首相が靖国神社を参拝した際、 朝日新聞記者だった加藤千洋が、「中国、日本的愛国心を問題視」 という批判記事を書いたことが端緒です。  左翼新聞・朝日が、ある日突然政治家の靖国参拝を批判したことにより、今に続くおかしな事態を招いたのです。   同年8月27日以降、中国が公式に参拝を批判するようになっていき、今では中韓反日が、靖国神社参拝に目の色変えて反発するようになっていくのです。

 ここにも、「従軍慰安婦問題」とまったく同様の、 「朝日新聞」が中国の片棒を担ぎ、靖国参拝を問題視し騒ぎだしたという構図があるのです。     戦前・戦中は大声で「日本は戦争すべきだ」、「戦争することが正しい」、 と煽り続け、日本国民を悲惨な戦争へ駆り立てた、この超反日メディアは、今度は日本をどんな誤った方向に向かせようとしているのでしょう。(2021.8.17)


日本への謝罪要求を止めない中韓

 人類の歴史は戦いの歴史とも言われます。  どの国の歴史にも様々な争いは存在しており、 長い歴史をたどれば互いに「スネに傷がある」ものです。     その部分に拘ったまま関係を築こうとすれば、ギクシャクするのは当然なのですが、一方的な被害者意識を丸出しにして、 日本に対し「無限の謝罪要求」を行っているのが韓国です。

 マレーシア第4代首相のマハティール氏は太平洋戦争の評価について、

 「もしも過去のことを問題にするなら、マレーシアはイギリスやオランダやポルトガルと話をすることが出来ない。........我々は彼らと戦争をしたことがあるからだ。 勿論、そういう出来事が過去にあったことを忘れたわけではないが、今は現在に基づいて関係を築いていくべきだ。 マレーシアは、日本に謝罪を求めたりはしない。  謝罪するよりも、もっと社会と市場を開放してもらいたいのだ。」、と発言しています。

 それぞれの国にいろいろ思いはあったにしても、マハティール氏の言葉こそが「未来志向」というものでしょう。  韓国が口にする「未来志向」とは、 日本に支配されたのだから悪いのは日本であり、謝罪して償え、そしたら我々は日本との関係を見直してやる、 という理屈なのです。

 過去日本も米国による原爆や焼夷弾の無差別爆撃で何十万人もの一般人が虐殺されました。    しかし、その責任をいつまでも追及し謝罪要求していたら、今日の日米互恵関係は成立していません。 日本は起こってしまった過去について、感情を抑え、理性で向き合い、 怨みは捨て去り、未来志向の関係を築く努力をしてきたからこそ、今では互いに大切な友好国となったのです。

 ところが、韓国は国家としての体をなしていなかった当時の自国の実情は棚にあげ、 弱い国が強い国によって植民地とされ散々アジア諸国の資源を搾取していた欧米列強の存在には触れず、 アジア諸国から欧米列強を追い払った日本の功績は無視し、「歴史の直視」、 「日本の戦争責任」などと、感情論をむき出しにして日本を責めています。

 韓国が執拗に「日本の戦争責任」を主張し続ける目的は、 石波茂氏のような中庸政治家から謝罪を引き出し、 「日韓基本条約を破棄」させ、 「日本を未来永劫に謝罪国家」とすることなのです。

 そもそも日本は韓国(当時は朝鮮)を統合しようなどという意図は当初ありませんでした。  むしろ日本のような近代国家として自立させ同盟を結び白人列強へ立ち向かおうと考え、 天皇の勅使を朝鮮に送り近代化推進と国交樹立の提案まで行なったのです。

 ところが朝鮮を長年属国としていた清国(中国)は日本の働きかけをあっさり拒否したため、 日本はやむを得ず清と戦い朝鮮を自主独立国とさせます。   清はそのとき日本や朝鮮と協力して白人国家に立ち向かい、独立国家として生き残る道を選べばよかったのです。   日本のように第一次世界大戦に連合国側として参戦し、 国際的に重要な働きをするような国家体制を築く努力をすべきだったのです。(2015.12.3)


 

謝罪を強要するのは中韓だけ

 「日本の戦争責任」などという日本を貶めるフレーズは、戦後ずいぶん経ってから出てきたワードです。

 1970年頃までは、大戦中の世界情勢を肌で知る歴代日本の首相たちは、日本が侵略戦争を仕掛けた、などという愚かな発言はしませんでした。    当時の日本人は、日本が行った戦争は一方的な侵略戦争などでなく、植民地支配を受けないよう国運をかけて列強と戦った人種差別撤廃とアジア諸国を植民地支配から解放するための戦争であった、と認識していたのです。

 人類の歴史は戦争の歴史と言われます。  19世紀になると、白人列強が支配した植民地は、実に世界の8割強におよび、第二次世界大戦以前、アジア、アフリカ地域で植民地にならなかった国は、 日本を含め数カ国のみという、弱い国は強い国に支配されるのが当たり前だった、 弱肉強食の時代が続いていたのです。

 そんな中、日本だけが植民地支配からの解放という旗印のもと、アジア全域を植民地支配していた列強に果敢に戦いを挑み、有色人国家の資源を根こそぎ搾取していた彼らをアジアから一掃し、 アジア諸民族を独立へと導くという世界史に残る偉業を成し遂げたのです。

 タイ国王のククリット・プラモード元首相は、《....日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。....今日東南アジアの諸国民が、 米英と対等に話ができるのは、 一体誰のおかげであるのか....》(本当は戦争で感謝された日本 井上和彦) 、 と大東亜戦争における日本の功績を賞賛しています。

 しかし、1972年の日中共同声明において田中角栄首相が「お詫び」という言葉を使って以降、日本政府は過去の戦争について「責任を痛感し、深く反省する」という立場を取り始めます。   さらに、1982年、「教科書誤報事件」が起こり、この話が日本国内で大きな騒動となります。

 これに目を付けた中韓が、このネタを利用し、以降は執拗に日本の戦争責任を要求する超反日国家と化し、戦後80年にもなろうかという現代においても、二言目には「日本は謝罪して償え」、 と日本を大々的に非難する迷惑な隣人となっているのです。

 そもそも、中国や韓国が執拗に日本を批判してくる背景には理由があります。    国内政治基盤が安定していない中韓は、「日本が悪者」でないと困る政治体制の国となっており、 彼らは日本を悪者に仕立て攻撃さえしていれば、 自国民の不満などの国内問題から国民の目をそらすことができることを熟知しているのです。

 植民地支配からの解放を成し遂げたのは日本の功績であり、有色人国家はそのことを認め感謝しているのです。  ところが、 世界中で中国・韓国だけが、未だに自国民の不満が自分たちに向かうと、 日本への憎しみを煽り回避する、ということを繰り返しています。  国民のガス抜きに日本叩きを利用するのが、いまや中韓の常套手段になってしまったのです。

 その後も、中韓や反日マスコミによる、さまざまな「日本を為にする(ためにする)」仕掛けが続いた結果、 今では日本のリーダーである内閣総理大臣からして、国会の所信表明演説で、 「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらした」と堂々と表明して恥じない、 おかしな社会となっています。(2015.12.3)

 それどころか、戦後の日本は国際社会の反中国政策と同調するどころか、性懲りもなく中国支援の行動をとる愚かな国として、 "中国包囲網の穴"の役割をセッセと勤め、 怪物国家・中国の延命に一役買ってきたのは歴史の事実です。     中国からすれば、いまでは日本という国は自分たちの立場が悪くなった時に利用できる、自由主義国家の中の便利な存在と化してしまっているのです。(2021.7.30)


日本の戦争責任を追及するのは中国と韓国だけ

 中国、韓国は先の戦争で日本が果たした、「アジアを解放するための戦い」という功績を否定し、 自分たちは戦争の一方的な被害者だとして日本に謝罪と賠償を要求することを止めようとしません。

 しかし、植民地支配からの解放という歴史的快挙を果たした日本に対し、 ひたすら日本の戦争責任などと叫び続けているのは世界中で中国と韓国だけです。   中国は皇帝が支配する根っからの封建国家ですし、韓国にしてもついこの間(1987年以降)民主化されたとはいえ、まだまだ民度は低く正義は通じず、政治は声の大きなものに左右されています。

 彼らに共通しているのは、日本や中韓以外の有色人国家たちが抱いた「白人支配からの独立」などという高尚な考えなど持ち合わせず、 「民衆を虐げ搾取し自分のフトコロさえ豊かになればいい」、 と考える一部の支配階層だけが権力を握り、逆らうものは抹殺することも厭わない民族である、という点です。

 21世紀の今においても、中国では体勢を批判する市民たちを次々に捕らえ投獄しています。 人権派弁護士たちが、ある日突然連れ去られ帰ってこないという恐るべき社会です。    まるで暗黒時代のような、権力者に支配され人権などお構いなしの、なんとも物騒な国なのです。

 韓国も非人道国家として負けていません。   いまだに韓国社会は国家的な意思がまとまらないまま、 親日的な態度を取った政治家・役人が逮捕され、 「従軍慰安婦」について韓国に都合の悪い事実を書いた大学教授が懲罰を受け、 政権が変わると前の指導者が刑務所にぶち込まれるのがお約束となっています。     やはり中韓は似たもの同士の国なのです。(2015.12.3)

 しかし、韓国に日本を批判する資格などありません。    「日本による戦争責任」などという荒唐無稽の日本叩きを仕掛けてくる韓国ですが、それでは韓国がベトナムで行った 「韓国軍による民間人の大量殺戮」についてどう言い訳するつもりでしょう。      これは、嘘と捏造で塗り固めた事実無根の日本叩き物語と異なり全部事実であり、韓国が申し開きできる余地などない話なのです。(2021.9.8)


 

オランダに対する戦後補償

 戦後連合国は対日賠償請求を放棄しましたが、オランダは捕虜への補償金名目で1500億円をせしめています。   このとき白人国家ではスイスと、三国同盟で日本の仲間だったはずのイタリアまでもが ズーズーしく補償金を掠め取っていきました。

 戦後になり、このオランダ人たちは本国に引き揚げましたが、オランダ政府は引き揚げ者には何の補償もしなかったといいます。    大戦中にドイツから被害を受けたユダヤ人住民やロマ(ジプシーとも呼ばれ、移動しながら生活している民族)は手厚く補償したといいますから、 これには引き揚げ者の間に「政府から冷たい仕打ちを受けた」との鬱屈した感情を植え付け、そのため日本への恨みをより深いものにしたとされています。

 そのため、1989年2月の昭和天皇の「大喪の礼(天皇又は上皇の葬儀)」の時には、日本に使節を送らないよう求めるデモまで起きています。   その一方で、 皇室とオランダ王室は親密な関係にありました。    外相を参列させる際、ベアトリックス女王(当時)は明仁天皇、美智子皇后に電話で「私は列席したいが、両国のためには出ない方がいいと判断しました」と伝えたといいます。

 オランダの反日抗議行動が、日本世論を刺激し、双方の国民感情の悪化に繋がることを懸念したわけです。   翌1990年の「即位の礼(皇位継承の一連の国事行為)」においても、自分の名代で現国王のウィレム・アレクサンダー皇太子を参列させますが、やはり女王自身は参列を控えています。

 その後、1991年に同女王が国賓で来日し、2000年には明仁天皇、美智子皇后が国賓でオランダを訪問するなど、両国政府のイニシアチブで皇室外交が盛んに行われ、 オランダの対日世論は大きく改善していきます。

 当然儀礼的な施策だけで両国関係が改善されたわけではありません。  それまでに日本はオランダに対し捕虜への補償金名目で1500億円を補償しています。   1991年にベアトリク女王が来日した際にも、追加補償を要求しており2回目の補償として2億5500万円を支払っています。(2019.10.8)


 

日本首相の謝罪談話に対する各国メディアの反応

 2015年8月14日に発表された安倍首相談話に対する各国メディアの反応も様々です。 「反日」を「自己正当化」の道具に用いる中韓は、被害者とも言える立場ですから批判一辺倒の辛口です。    それに対し東南アジア各国は戦中・戦後の日本の貢献を評価してくれており、中韓のように一方的に批判する国はありません。

 中国紙『グローバル・タイムズ』の社説は安倍談話について、「日中関係を悪化させる引き金」にはならず、作成にあたって「賢く立ちまわった」、 「世界は安倍のショーに引きずられた」など、批判的ではあるもののいつもの攻撃的なトーンは鳴りを潜めています。

 韓国・朝鮮日報の社説も内容の一部については渋々評価しているようです。  たとえば、日本が「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいった」結果、 「中国、東南アジア、太平洋の島々など戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、数多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となった」 というフレーズを取り上げ、村山談話に比べれば「具体的だとの評価もある」と記しています。    ただし、日本と韓国の対立点は「植民地支配」の解釈を巡り積み残されたままだ、と強調するのは忘れていません。

 一方で日本と戦った欧米の感情は複雑です。  なにせ彼ら白人強国は、「弱肉強食のルール」により有色人国家を支配し散々搾取してきたのに、 「アジア解放のチャンピオン」日本の登場によってアジアの地から追い払われたのですから。

 米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は反日紙らしく、「安倍氏の真摯とは言えない謝罪 戦争犯罪のごまかしなぜ今なお問題か」と題し、やや批判的な社説を掲載しています。    その一方で、「一部の日本人は、どんなに謝罪しても、胸中にナショナリスト的な斧を隠し持っている中国や韓国の批判者たちを満足させないだろうと不満だ。    その不満は正当でもある」、と日本の一部の国民感情への理解を示してもいます。

 英フィナンシャル・タイムズ紙(FT)は、安倍談話が、中国と韓国の批判をある程度抑えられた点を社説で評価しています。  同紙は、 安倍談話が中韓が求める「侵略」などのキーワードを巧みに散りばめたことにより、中国が目論んだ日本に対する「憎しみの炎」を利用して、 チベットなどに対する「自らの血塗られた歴史」から目を逸らさせようという戦略が、使いにくくなったと分析します。

 同紙は、「歴史の教訓を忘れてはならない。  しかし、いつかは過去に線を引くべき時が来る。アジアの将来の平和を考えれば、今がその時だ」、 と良識的な意見を述べています。    今後も各国メディアの日本に対する評価は大差ないものと考えられます。(2019.9.14)


 

「話せばわかる」式の日本的謝罪は通用しない

 戦後、中韓は戦争責任というナントカの一つ覚えで様々な言いがかりのタネを持ち出し、執拗に日本に戦争責任(=補償金)を要求し続けています。    しかし、日本は過去中国や韓国に対し「援助金」や「対日請求権資金」の名目で、戦後賠償金として莫大な額を供出し、 しっかりと戦後補償金を支払ったのですから、日本のリーダーは中韓に対しはっきりそのことを主張すべきなのです。

 金銭的補償以外にも、「日本は戦争を引き起こした軍事国家」などという汚名を着せられた日本は、中韓に忖度し日本の教科書を修正することまで行ってきました。   1982年、「教科書検定基準」の中に、「近隣諸国の国民感情に配慮する」という「近隣諸国条項」を盛り込み、 反日的記述さえパスさせてしまう悪しき前例をすでに作っていたのです。

 以後中国や韓国はこの条項を根拠に、日本の教科書にたびたび注文・要求を出す現状があります。

 もともと日本人には、和歌や俳句の文化に見られるように、十伝えたい時も二つ三つに留めるだけで意味は相手が忖度してくれる、相手がキチンと推測してくれる、 という奥ゆかしさと洗練された文化があります。

 『我々が真実を語れば、国際社会はいつかそのことを理解してくれるはずだ』と考えてしまう国民なのです。  しかし、慰安婦問題や南京大虐殺のような ありもしない事実無根なホラ話攻撃を平気で仕掛けてくる中韓を相手に、従来の「話せばわかる」式の日本的手段は通用しないのです。(2015.12.3)


身動きできない日本

 タカリ国家は中韓だけではありません。    敗戦国にもかかわらず、世界トップクラスの金持ち国家になったお人好し日本に対し、アジアから追い払われた白人たちは、なんとかして金を巻き上げようと、 虎視眈々とその機会を窺っています。

東の端の有色人種である日本によって、自分たちが散々搾取していたアジアから追い出された恥辱・屈辱というものは、戦争体験世代の白人は絶対忘れていません。

かつて植民地を我が物顔で支配していた白人国家は日本軍により、「.....植民地は次々独立してゆき、......経済の栄光は音を立てて崩れていった...... (高尾慶子・イギリス人はおかしい)」、経験をしました。

そして、経済的に振るわない白人国家は、敗者だったはずが世界トップクラスの金持ちとなってしまった日本に対し、
東の端の猿め!....... おお、そうじゃ、あいつらからなんとか金を巻き上げよう、いい名案がある、捕虜に対する賠償金というのはどうじゃろう。  うん、これはいい。これは名案だ。.......(同)」、と考えるのはある意味当然です。

「かくして、貧して鈍した人々は国を挙げて、大声で、『日本人は残酷だった、ひどい目に遭わされた、金くれぇ!!』となった....(同)」、わけです。

先の戦争は、日本だけが侵略戦争を行ったのだ、というGHQによる日本人への刷り込み教育により、現在でも日本は悪い国家だったと 本気で信じ込んでいる自虐的日本人はまだまだ大勢います。
現在もこの状態が放置されたままなのは、GHQが残した歴史教育のせいでもあり、現代の弱腰政治家、左寄りに傾きすぎたマスコミの責任でもあるわけです。

学校教育で"日本悪者論"を子どもたちに刷り込み続ける中国、韓国に限らず、「イギリスでは10歳くらいの少年でも、日本人は残虐で英国人は正しいと洗脳され切っていて、 そういう盲信を拭い去ることは今になっては不可能に近い。.....(同)」、世界が現実なのです。

戦後70年以上も経つというのに、「戦争責任」だ「賠償金」だ、と勝者側の好き勝手な要求を、相も変わらず求められ続ける日本に欠けているのは、 「沈黙を破る勇気」だと高尾慶子氏も強調されています。

長年イギリスで暮らす氏が感じている、「いうべきことははっきりいった方がいい。 いわなければ通じないのが西洋人なのである。  以心伝心、そんなものは彼らには通じない。ことを荒立てたくない、これは日本人の謙遜で、そういう思いやりとずるさが、今日の身動きできない日本にしたのだ。.......」、 という想いが日本人全員に必要ではないでしょうか。





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関連サイト


コトバ学
(*1).....WGIP

War Guilt Information Program(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
米国が日本占領政策の一環として行った「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」。

日本政府も、相手が中国や韓国だと、たとえその歴史認識が明白なウソであっても「これまで政府関係文書には書けなかった」(政府高官) とされる。

(*2).....大躍進政策

毛沢東が1958年から1961年までの間施行した農業と工業の大増産政策。  過大なノルマによる経済の大混乱と、推計1,000万人から4,000万人の餓死者を出す大失敗に終わった。

(*5)......大東亜戦争(だいとうあせんそう Greater East Asia War)

大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した、「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、 大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった戦争に対する呼称。

植民地化していた連合国側にとってはこの呼び方は都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。   その後1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。



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