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日本たたき・今度は軍艦島残酷物語

 韓国は「従軍慰安婦問題」はそろそろネタもつきたのか、次の日本叩き道具として、「強制連行の島・軍艦島(端島・はしま)」、 という捏造ストーリーをデッチ挙げ、日本に対し新たな歴史戦を仕掛け始めたようです。

 彼らは長崎県の端島(通称「軍艦島」)を、「地獄の島」、「強制連行の島」などと"おどろおどろしい"呼び名をつけ、日本がいかに朝鮮人を奴隷のように酷使した残虐な民族だったか、という根も葉もない捏造話を、 またしてもデッチ上げようとしているのです。     相も変わらず、日本をナチスドイツと同じホロコーストの国として世界中に拡散しようと躍起になっているのです。

 軍艦島強制労働ストーリーは、「従軍慰安婦問題」や 「南京大虐殺」と同じ日本タタキ道具のひとつであり、 戦後しばらく後になって出てきた、あくまで反日勢力が騒ぎ立ててから韓国人たちが声を上げた出来事です。  それがいまや、 元韓国人徴用工と称する朝鮮人労働者が賠償裁判を起こす騒ぎにまで発展しています。

 中国や韓国が仕掛ける歴史捏造話に対抗するには、事実を示し真実を知らしめ、声を大にして本格的に反論していくしかありません。   『日本をホロコーストの国として貶める彼らの意図を一つ一つ、事実をもって打ち砕く、そのための情報発信こそ大事である』(櫻井よしこ氏)ことが重要であり、 事実に能弁に語らせていく必要があります。

 2017年12月22日、一般財団法人「産業遺産国民会議」は、ウェブサイトに長崎県の端島、通称「軍艦島」に関する資料と、 元島民の証言を掲載しました。 中韓が仕掛けてきた歴史戦に、やっと日本が本気になって本格的に反抗作戦を開始したようです。(2018.11.12)


 

「皆様のNHK」が作り上げた「朝鮮人虐待労働説」

 軍艦島における「虐待労働説」は、戦後ずいぶん経ってから持ち出された捏造話ですが、これも外国勢力が持ち出した話ではなく、れっきとした国営放送とも言うべき、 「皆様のNHK」が一枚かんでいるというのですから、呆れます。  ここにも、「日本は戦争を起こした悪い国」という 戦後の反日自虐史観思想に毒され、 「自国の非を嬉々としてブチ挙げ」、ようとする悪しき反日日本人の存在があるのです。

 もともとNHKという組織は戦前・戦中は国営放送であり、軍部のお先棒を担ぎ、日本国民を狂気の戦争へと駆り立て煽り、戦争反対という意見に対しては非国民と罵ってきたメディアです。     それが敗戦国となった途端、戦勝国史観から逸脱する報道はタブーとしたGHQのお達しにより、手のひら返しで、 敗戦国日本を徹底的に悪く描く報道をしてきた組織です。

 現在のNHKの報道スタンスは、いまだにGHQのお達しの一部は忠実に守り、朝鮮人は常に可哀想な「被害者」であり、旧ソ連や中国を批判することはおろか、 日中戦争における中国国民党軍、八路軍を悪くする番組は、ほとんどといっていいほど扱いません。   その一方で、同じ戦勝国であるアメリカに対しては、原爆投下と都市への焼夷弾攻撃について、戦争犯罪だと糾弾する番組を度々制作しています。   いわゆる「左翼的偏向報道」組織なのです。

 NHKに対しては、国民から強制徴収した受信料を湯水のように使い、反日歴史ドキュメンタリーを放映している、 という偏向報道ぶりと時代遅れとなった受信料システムについて、 かねてから批判の声があがっていましたが、近年では、NHKが1955年(昭和30年)に、長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)を報じた番組「緑なき島」の坑内映像について、疑惑が持ち上がります。

 この坑内の疑惑映像を放映した番組は、戦時中に軍艦島で朝鮮半島出身者への「虐待労働」があったとする主張を補完する形で報じており、 その後複数の韓国のテレビ局がこの映像を引用しており、反日勢力にとってはきわめて重要な証拠資料の役割を担っています。    この映像は韓国メディアなどにより朝鮮人戦時労働者が非人道的な扱いを受けていた根拠として引用されています。

 このNHKの坑内作業映像では、半裸姿の炭鉱労働者が、裸電球で照らされた天井の低い坑道の中で作業していますが、ところが、関係者によれば端島炭坑内はガス爆発の危険があり、 照明を必要とする撮影などは制限されていたといいます。  元島民らはこの映像は保安規定などに違反しており、 「実態と異なる」と否定しているのです。   元島民は軍艦島の誤ったイメージが解消されることを求めているのです。

 そもそもこの映像は、ジャーナリストの大高未貴氏によれば、従来から実際には福岡・筑豊で働く日本人の写真が、長崎県の軍艦島で強制徴用された朝鮮人として喧伝されてきた、 としています。  ある仏教団体が編纂した写真を、韓国や日本の反日市民団体が広めていった、というのです。

 つまり、この映像は軍艦島での坑内作業映像などではない、別な炭鉱の映像であり、NHKにいわゆる「捏造報道」の疑惑が持ち上がったのです。   2021年3月の参院総務委員会で、NHKの前田晃伸会長は、「別の炭坑で撮影された映像が使用されている事実は確認されていない」と否定していますが、今後の展開に要注目です。(2021.3.31)


 

やっと明らかになった「皆様のNHK」の捏造報道

 2021年5月17日には、元島民らが長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)を扱った昭和30年放送のNHK番組「緑なき島」の映像をめぐり、「別の炭鉱で撮影されたものだ」と抗議している問題で、 やっと第三者による検証を始める方向であることを、NHKが衆参決算委員会の答弁で発言します。  しかし、 その後の内部調査とやらの結論は案の定、「端島炭坑以外のものであるとの結論には至らなかった」とお茶を濁しています。  果たして真実は明らかにされるのでしょうか。(2021.5.19)

 2023年6月、自民党は外交部会と「日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会」の合同会議を開き、 元島民から1955年にNHKが放送した長崎県の端島炭坑(通称軍艦島)に関する映像に疑義が示されている問題について議論。      特命委員長の有村治子参院議員によると、出席したNHKの担当者は今後この映像を使用しない方針を示します。  しかし、遅きに失したのです。

 しかも、その席においてNHKから説明されたのは、坑内とされる映像の撮影に使われたフィルムは放送と同じ年の昭和30年製、つまり『戦後に撮影されたもの』だったというのです。    NHK幹部によれば平成22年に「緑なき島」の映像を韓国の公営放送KBSに提供し、その後、複数の韓国メディアが無断で使用するようになり、 いまでは韓国メディアが軍艦島を「朝鮮人強制連行」と関連づけてこの映像を使用するのが定番となっています。   今回この映像は終戦から10年後に撮影されたもの、と裏付けられたことで韓国側の主張の一端が崩れることになります。

 韓国において強制労働のイメージが流布する一因になったと問題視されているこのNHK番組を巡っては、 従来から炭坑内の作業シーンが当時の実際の状況と異なるとの指摘がありましたが、執拗に追及された結果、 やっとNHKは戦後に作られたプロパガンダ映像であることを認めたのです。

 それにしても、いかに敗戦後のWGIPによる「反日日本人」育成が強烈だったとはいえ、 大勢の日本国民が情報を得ているであろう朝日新聞やNHKという巨大メディアが、戦後100年になろうかという現代においても、 「祖国を否定する反日思想」をせっせと日本国民に植え付け 歴史を捏造している現状には、 呆れるというより戦慄さえ覚えます。  しかも、NHKは相変わらず「端島炭坑以外のものであるとの結論には至らなかった」という立場は変えていません。     NHK内部に巣食うデュープス勢力の影響はまだまだ大きいようで今後も油断できません。

 「皆様のNHK」からして「(捏造した)自国の非を嬉々として放映する」体たらくなのですから、新聞・テレビしか見ない特に老人層は、 朝日新聞やNHKが垂れ流す「左翼的偏向報道」を頭から信じ込み、戦後にGHQが日本人の心に戦争についての罪悪感を無理やり植えつけた、「日本は戦争を起こした悪い国」、 「日本は加害者で中韓は被害者」という宣伝計画に縛られたまま、というのも当然なのです。

 今回の「朝鮮人虐待労働説を裏付ける映像」騒動も、当初からこの映像は端島内ではないことは明白でした。   それなのに日本政府は真相究明には消極的で、その結果長年「中韓反日のプロパガンダ口撃」に散々悩まされ続けてきたのです。  それは1982年頃まで影も形もなかった 「従軍慰安婦問題」、 当初誰も問題視していなかったのにその後史上最悪の虐殺事件とされた「南京事件」、 「靖国神社参拝問題」、 「旭日旗騒動」などなど、これらすべてに通じる話です。

 過去日本は、このような「デュープス日本人が創り拡散させた日本叩き物語」の捏造話が「中韓反日のプロパガンダ」に利用された挙句、その後外交問題にまで発展し執拗な謝罪要求に晒され、 それに弱腰日本政府が根負けし金銭補償を強いられる、という愚かな対応を過去何度も繰り返してきました。  出どころは全て日本人なのです。

 今後はデュープス日本人が創り上げる捏造話が中韓のプロパガンダに利用される、という負のスパイラルに歯止めをかける必要があります。   日本政府は安倍晋三政権で結成された 「歴史戦チーム」にならい、「反日プロパガンダに対抗する体制」づくりを進め、二度と捏造に基づく中韓のプロパガンダ口撃に日本が悩まされることのないよう、 朝日新聞が拡散させた「従軍慰安婦問題」を始めとする過去の一連の捏造話を、毅然とした態度で徹底追及する必要があります。(2023.6.22)


反日勢力による日本たたき

 この強制労働話も、「従軍慰安婦問題」と同様、新聞記事や公文書等に強制労働に関する資料は一切見当たらず、 あくまで朝鮮人とその関係者が、確たる証拠もなしに一方的に騒ぎ立てている、というお決まりの構図なのです。

 やられた側はいかに酷かったかを針小棒大(しんしょうぼうだい・小さい事柄を大げさに誇張して言いたてること)にして相手を批判するでしょうし、 やった側はそれほど酷いことを行ったとは考えない.......両者の捕らえ方と言い分はある程度異なるのは当然で、これが普通であり人間とはそんなイキモノです。

 しかし、訴えている側が、『食べ物も禄に与えられず、栄養失調になりながら危険な作業をさせられた』、と主張し、それに対し反論する側は 『朝鮮人労働者の子供も区別なく通学していた』、と証言する内容は、あまりにも懸け離れています。  どちらかが事実をネジ曲げ、大嘘をついているか、 もしくは極々一部の人間が受けたひどい扱いが、朝鮮人労働者すべてに降りかかったものだったと勘違いしている、ということかも知れません。

 どちらにせよ、この朝鮮人強制労働問題は、戦後になって反日思想の日本人たちが朝鮮人たちをけしかけた結果、 現在では「企業による強制徴用」という日本側の非道ぶりを煽る話しにまで発展したという、「従軍慰安婦問題」と同じ経緯を辿っており、またしても既成事実化するかもしれません。  

 そもそも、強制労働説が一人歩きしようとしていますが、裁判に持ち込んだ訴訟の原告は、当初日本企業で働くきっかけを、「新聞広告を見て応募した」と語っていた話であり、 この人物たちが強制的に日本に連行されてつらい仕事に従事させられた、という話では全くないのです。  本来ならこんなデッチ挙げ話は放置しておくべきであり、実際、 日本においては最高裁が「事実無根」として最終判断を下しています。

 さらに、「本当の徴用工たち」に対しては、日本政府は韓国と1965年(昭和40年)6月に締結した「日韓基本条約」により、 正式に「徴用工への補償金は日本が支払う」、ことで合意し、「完全かつ最終的に解決した」、という約束をしていたのです。

 日本の最高裁で門前払いされた元朝鮮人労働者たちは、懲りもせず韓国内でも執拗に裁判を起こしますが、歴代の韓国大統領は、 「仮に日本企業に支払いを命じる判決が出た場合、 (すでに補償金を受け取っている韓国側としては)それを韓国政府が認めたら日韓関係はおしまいだ。   したがって日韓関係に悪影響を及ぼさないよう韓国政府が代わりに払うしかない」、という程度の認識は、 いかに超反日国家の韓国といえどもまだ持っており、元徴用工賠償判決には逡巡していたのです。

 それを、筋金入り左翼系反日大統領・文在寅(ムンジェイン)が、韓国内でも小さい春川地方裁判所の所長から、 イキナリ韓国最高裁長官の大法院長に抜擢するという仰天人事まで行い、最高裁判事の経験がないこの人物を大法院長に送り込み、 「個人の(日本企業への)補償請求権はある」、という仰天判決を下したのです。

 今回の徴用工賠償判決騒動も、元をただせばこの反日大統領がちゃぶ台返しでブチ壊しにかかってきた結果なのです、  今回の判決は正式に締結した国家間の約束事をアッサリ反故にするという、 世界の司法の常識を根本から覆す、驚くべき出来事であり、法治国家ではありえない暴挙です。    日本は絶対にこんなバカバカしい事態を放置しておくわけにはいかないのです。(2018.11.12)


日本に押しかけた朝鮮半島出身者

 日本による朝鮮半島統治以降、 貧しい朝鮮半島からは内地(日本や満州)に巨大な出稼ぎ移住の流れがありました。   日本人男性が徴兵で払底していたことから内地の都市、工場、鉱山には働き口があり、しかも肉体労働の賃金が高騰していたのです。  昭和に入ると毎年10万人を超える朝鮮人が内地と朝鮮を頻繁に往復していたといいます。

 その後大東亜戦争(太平洋戦争)の激化により、炭坑の労働力不足を補うため、 朝鮮半島にも国家総動員法がかけられます。    動員には、「募集」、「官による斡旋(あっせん)」、「徴用」の3段階がありましたが、政府が国民を強制的に動員する「徴用」が朝鮮半島で実施されたのは、 戦局が悪化していた1944年9月からで、しかも、関釜連絡船の運航が途絶えたため、6カ月あまりの適用に終わっています。

 つまり、動員をかけられた朝鮮人労働者といっても、そのほとんどが自分の意志で働きに来たものが占めており、実際に「徴用」された朝鮮人は極々一握りの人たちだったのです。   しかも、 戦時動員開始後でさえ、動員に漏れた朝鮮人たちが動員対象者になりすまし、「不正渡航」する者がかなりいたといいますから、とてもとても「強制徴用」などという実態とはほど遠かったのです。    それどころか、彼らがいかに日本に来たがっていたかが窺われます。

 日本政府は1919年から段階的に日本への渡航を制限していたほどでしたが、それでも日本での職を求め朝鮮半島出身者は減るどころか、法の網をかいくぐる密航事件が多発し、 1934年には内閣が密航取り締まり強化を閣議決定するほどだったといいます。

 しかも、斡旋で就労した者の多くが契約期間中に逃走したそうで、1945年3月基準で動員労働者のうち逃亡者が22万人、約4割にものぼっているそうですから、 イヤになったら本人の意思で抜け出せた、というのが実態だったわけです。

 ただ、自分の行きたい職場を目指していた朝鮮人出稼ぎ労働者の一部には、斡旋する業者側の都合で本人が行きたくなかった炭鉱などに送りこまれたケースもあったようで、 この不満もあってか、後日元朝鮮人労働者の一部が日本企業を批判する遠因(えんいん・直接ではないが、何らかのかかわりをもつ遠い原因)になった可能性があります。(2018.11.12)


朝鮮人労働者の子供も区別なく通学していた

 当時の端島(軍艦島)は最盛期5000人以上が住んでおり、島民たちの証言によれば、警察の仕事がないほど和を保って皆が助け合い、協力し合って仲良く暮らしていたといいます。

 軍人に監視されていた、などという捏造証言もあるようですが、島にいた軍人はたった2人だった(時期は不明)そうで、もし暴動や虐待が頻発していたならば、これではとても手が足りるはずはありません。    それだけの人数しかいなかったという事実が、暴動や虐待などは頻発しておらず、島の治安は守られていたという裏づけです。

 『.....栄養失調(残り物の豆とイワシを玄米と煮たもの)と、到底こなせない量の重労働に苦しんだ...。』、『納屋に押し込まれ奴隷のようにコキ使われた』などという虐待話が次々に出ていますが、 島民の証言では、昭和16年(1941年)時点で朝鮮人労働者の子供も区別なく通学していたといいます。  この事実だけでも虐待話とはズイブン矛盾しています。

 そもそも、当時の生活環境を現代のレベルと比較して批判しようとしても、それは無理筋というものです。  大部屋に押し込まれ共同生活していた朝鮮人労務者もいたでしょうが、 当時の住居環境は、日本人でさえ劣悪な住環境で暮らし、文句も言わず寝起きしなければならなかった時代だったのですから。

 日本は1960年代でさえ、中日ドラゴンズ選手寮で暮らすプロ野球選手は部屋にエアコンがなく、 夏場は業務用エアコンがある食堂で寝ていたといいます。  ましてや、1940年代の戦争真っ只中の日本において、いったい何人が満足のいく住環境の中で生活できていたでしょう。

 朝鮮半島出身者たちだけ狭かった、暑かったとアレコレ不満を述べてもせん無い事です。 家族で住んで子供を学校に通わせていた半島出身者もいたというのですから、 朝鮮人たちが虐待されこき使われた、などという話は大袈裟すぎます。

 残り物の豆とイワシを玄米と煮たもので栄養失調になったといいますが、戦争末期の日本国内の食糧事情は配給制がとられ劣悪だったといわれています。    当時は戦争という悪夢により日本中が悲惨な状況におかれ、物資が欠乏しゼイタクは敵という非常時であり、日本人も満足な食事は取れていなかったのです。

 ただ、いくら物資が不足していたとしても、強制連行した挙句、碌な食糧を与えず栄養失調のまま奴隷のようにこき使った、などというストーリーは、 いくら戦時中の話だとしても中国人や韓国人のやり方でもあるまいし、日本人はそんな虐待はできません。(2018.11.12)


「徴用」は日本人も対象だった

 そもそも、今回の韓国人徴用工賠償裁判においては、「企業による強制徴用」などと日本側が強制的に連行したような主張がなされていますが、 訴えた原告4人は、当初日本企業で働くきっかけを、「新聞広告を見て応募した」 と語っており、「強制徴用された」という表現は正しくありません。  ここでも、 捏造による日本貶め話、という背景があるのです。

 「徴用工賠償裁判」は大勢の朝鮮人を「強制徴用」したかのような騒ぎぶりですが、この朝鮮人徴用期間中、日本政府の調査で判明している、「徴用」された朝鮮徴用労務者は、245人とされています。   それ以外の朝鮮労働者は全て、自分の意志で日本で働いていたのです。

 いままで日本政府は、一括して彼らを「旧民間人徴用工」などと表現していましたが、実際に徴用した人数は限られていたため、 判決後は原告らを「旧朝鮮半島出身労働者」と表現しています。    しかも、ほとんどは自分の意志で出稼ぎにきていたのですから、自民党内部からは「原告らは『募集工』と呼ぶべきだ」、との声が上がっています。

 当然ながら、政府が強制的に動員した「徴用工」には所定の賃金はキチンと支払われており、牛馬のように無給でこき使った、などということはありえません。  そもそも、当時は日本人であれば誰であれ無理やり徴集され、 戦地に送られるか働かされた悲惨な時代でした。  そんな時代、自分の意志で日本で働いていた朝鮮人たちが、今更になって無理やり働かされた、などとウソを並べ立て糾弾しても詮無い話です。

 245人の朝鮮徴用労務者に対しては、日本はキチンと補償金を支払い償いをしています。   戦後になり、日本が補償として韓国に支払った補償金には、徴用工に対する慰謝料も含まれていたのです。    「朝鮮人を強制連行して労働に従事させた」という問題は、日韓の間で取り決めた日韓基本条約により、 日韓で正式に解決済みとなっていた話なのです。

 それなのに、韓国政府がこの補償金を他の目的で使い込んでしまい、しかも、 韓国国民には日本から補償金を受け取ったことを隠しているのです。  それが原因で、今回のような裁判が朝鮮人労働者から持ち出され、 韓国司法が正気の沙汰とは思えない暴走判決を下し、 反日たちが「日本は謝罪していない」などとと大騒ぎするのです。    日韓友好がなかなか定まらない要因は、この韓国政府の不誠実な対応があるのです。(2018.11.12)


後を絶たない韓国の捏造ストーリー

 2021年2月、朝鮮人の少年徴用工が劣悪な環境で働かされていたとする韓国の児童用絵本の挿絵が、実は昭和52年出版の写真録「日本現代写真史1945-1970」(平凡社)に収められた、 浮浪児の写真と構図が酷似していることが判明します。 この写真は21年に東京・品川で撮影され、「狩り込みで少年保護所に収容された浮浪児」との説明があります。

 この絵本は、尹ムニョン氏が文と絵を描き、2016年に韓国で出版社「ウリ教育」から発刊された「軍艦島−恥ずかしい世界文化遺産」です。 朝鮮人の少年が軍艦島に強制連行され、 45度を超える暑さの中、連日12時間近く働かされた、などと日本の加害性を強調しており、日本兵が少年をムチでたたき、朝鮮半島出身者とみられる人が逆さづりにされたシーンもあります。

 さらに、朝鮮人の少年が日本兵から尋問されている絵も12年8月8日に、従軍カメラマンが中国で撮影した写真と構図が重なっています。 この写真は52年出版の 「1億人の昭和史10 不許可写真史」(毎日新聞社)に収録されており、「中国軍密偵を調べる憲兵隊 左側は現地採用の通訳」との説明書きがあります。

 韓国人はこれらの資料を寄せ集め、好き勝手に日本軍残酷ストーリーを捏造しているわけです。  これには、元島民の中村陽一さん(82)は、「無関係な写真を使って絵本を作るとは、 どこまで端島をおとしめれば気が済むのか。  絵本の回収、謝罪を求めたい」と強調しています。(2021.3.31 THE SANKEI NEWS引用)


そもそも危険な炭鉱労働

 「地獄の島」、「強制連行の島」などと、ことさら軍艦島の炭鉱作業が過酷を極めていたように語られます。 たしかに最盛期は1日12時間労働の2交代制で、「星を頂いて入坑し星を頂いて出坑する。  陽の光に当ることがない」、と言われたほどの重労働で、そもそもキツイ作業だったのは間違いないようです。

 戦時中の重要なエネルギー源である石炭の採掘現場は、需要が切迫して増産が急務となり大変過酷な労働環境におかれたのでしょう。  当然、過酷な作業に従事したのは日本人も含めた炭鉱労働者たち全員であり、 朝鮮人労働者だけ押し付けられたわけではありません。

 むしろ朝鮮人らは後方で働いてもらったと島民たちが証言しているのですから、危険度は日本人より低かったはずです。 これは死亡データでも確認されています。    そもそもおかしいのは、当時は大勢の朝鮮人労働者が日本各地の炭鉱で働いていたはずですが、どうして近代的な住居施設に恵まれていたはずの、軍艦島の炭鉱作業だけが問題視されるのでしょう。

 現代のような民主主義と無縁だった当時、上からの命令は絶対であり厳しい職長(管理者)もいたでしょう。  良し悪しは別として、人権などという言葉さえなかった戦時中の過酷な炭鉱作業を、 現代人の感覚で、「人権など考慮されず働かされた」、などと当時の社会情勢を無視して批判するのは無意味なことです。(2018.11.12)

 

日本人の方が危険な作業に従事していた

 日本残虐話がこれでもかと書かれている"ある反日本"によれば、『....最重労働の採鉱夫のほとんどが朝鮮人に置き換えられ.......朝鮮人労働者は納屋、中国人捕虜は端島の南端の囲いの中にそれぞれ収容された....』、 などというものもあります。  囲いに収容し監視したなどと糾弾しますが、これが例え事実だったとしても、捕虜というのは戦っていた相手の兵士なのですから、 戦時中なら当然の処置だとおもうのですが.....。

 そのツッコミはひとまず置いて、この本にはその他にも、日本がいかに朝鮮人を虐待したかという証拠のつもりか、

 『......第二次世界大戦の直接被害者と言える朝鮮人たちは、中国人捕虜とともにここの炭坑で働くために強制連行されてきた。  防具等はほとんどない状態で働かされ、栄養失調(残り物の豆とイワシを玄米と煮たもの)と、到底こなせない量の重労働に苦しんだ。』

 『......これら労働者は地下1キロの深さに送られ、45度を超える温度の中、ほとんどしゃがんだ状態で危険なトンネルの中でぎゅうぎゅう詰めで働いた。 死者は月に4、5人を軽く超えた。   死体は近くの中ノ島に送られ埋められた。』....などという根も葉もない残虐話のオンパレードが、これでもかというほど述べられています。

 第二次世界大戦の直接被害者、というのが何を指すのが作者の真意は図りかねますが、もし、日本が韓国を統治したことはケシカラン、と言いたかったのであれば、 日本による朝鮮統治を、「自民族に固有にふりかかった災難」という観点でしか見ないという、 韓国人が越えられない「バカの壁」を理解できていない、ということです。

 当時の、世界中で白人列強による有色人国家の植民地支配合戦が繰り広げられていた時代、日本がどんな立場に置かれ、世界中の有色人国家のうち日本ただ一国だけが、 人種差別撤廃と宗主国気取りする米英のアジア植民地支配からの解放を目指し、「大東亜共栄圏構想」を掲げて戦った、 という歴史を理解していないわけです。

 また、朝鮮人に与えられた最重労働というのが何の仕事を差すか不明ですが、当時一緒に働いた端島の人達は、"朝鮮人を石炭掘りに使うのは(技術的に)危なかったから、 彼らには後方で働いてもらった"、と証言しています。

 この島民達の証言は、1939年〜1945年の『火葬認可証下付申請書』でも裏付けられます。 公の文書であるこの申請書によれば、この時期の端島における死亡者は、日本人1162人、朝鮮人122人、中国人15人とされ、 死因は主に爆焼死・圧死・窒息死などです。

 もともと危険な炭鉱労働ですが、もし朝鮮人労働者が率先して危険な石炭掘りに従事させられていたとしたら、死者が日本人の1割程度だけというのは矛盾しています。    この数字が逆でなければ、残酷話の実態と合いません。  事故死者数からみても、日本人の犠牲者のほうが圧倒的に朝鮮人を上回っており、『朝鮮人だけが危険な作業で奴隷のようにこき使われていた』、 などという話しはデッチ挙げの捏造であるのは明確なのです。(2018.11.12)


「元徴用工」たちの肉声

 今の韓国内では、徴用工問題は“奴隷労働”の歴史だったという議論が沸騰し、ソウル龍山駅前などの各地に徴用工像が相次いで建てられる事態となっています。     しかし、ジャーナリストの赤石晋一郎氏が現地取材で「元徴用工」たちの肉声を聞くことによって得た証言によれば......。

 元徴用工として日本で働いた崔漢永氏(91)は当時の経験を振り返り、「...日本人のほうが韓国人より、いい人が多かったと私は考えています。   私が炭鉱で働いていた時代、日本人にはとても親切にされた思い出があります...」、「私は日本人が好きでした」と語り、日本人からの差別を感じることはなかったと振り返ります。

 さらに崔氏は、「...私は坑道を作る仕事を主にしていました。 現場では日本人と朝鮮人が一緒に働いていた。 休みは月に1日か2日でしたが、日本人も朝鮮人も同じ労働条件で、 同じ賃金をもらっていました。  朝鮮人だからと差別や暴行を受けるということもなかった。 上司のサキヤマさん(日本人)に大変可愛がられた。   『私の娘と結婚しないか?』と言われたこともありました...」と証言しています。

 20歳のときに地元・麗水郡庁からの徴用命令を受けた金炳鐵氏(96)氏の行き先は佐賀県で、戦争末期ということもあり、食料事情は日本全体で厳しかったと語ります。

 「...そこはおかずが良くて、よく美味しいブリとかトビウオが1〜2匹出た。 でも原則はお米と麦を混ぜたご飯を一杯しか食べられない。  だからお腹が減る。  あるとき、ご飯を盗み出して山中で食べた。   そのことがバレて、日本人管理者に殴られたこともありました。  でも、(ルールを破ったので)たいしたことではないと思っています。  基本的に日本人が朝鮮人に暴力を振るうとか、 虐めるようなことはありませんでした...」

 「...私は労働が強制的だったとか、奴隷的だったとは思っていません。 そのときは(植民地時代なので)日本人の命令が全てですから、言う通りにするしかなかった。   徴用工時代がいい思い出とはいえませんが、学校で日本語を勉強していたので日本語で職員と話を出来たのは良かったですね。     ただ鹿児島や宮崎県の人だけは方言がきつくて、 何言っているかわからなかったですけど(笑)...」

 同郷だった姜彩九氏(92)と孫義奉氏(91)は、共に10代の頃に徴用命令を受けて大阪のクボタ鉄工所に送られたそうです。    孫氏によると、「...500人ほどの朝鮮人がクボタ鉄工所に送られていました。  日本人から差別とか、奴隷のように働かされたという記憶はないですね。 クボタでの仕事は鉄材を運ぶ仕事ばかりでした。   それよりも恐ろしかったのは米軍の空襲です。  夜に米機が姿を見せると、空襲警報が鳴りみな逃げ惑った。 とても仕事を覚えるというような状況ではありませんでした...」。

 このように、実際日本で働いた元徴用工の口から、全ての人が“奴隷労働”に苦しんでいた訳ではないという実態が語られているわけですが、当然のことながら、すべての朝鮮人が似た体験をしたわけではないのは確かでしょう。    イジワルな人扱いをする人間は、現在の平和な日本でも大勢いますし、ブラック企業もいっぱいあるのですから。   ただ、反日が主張するような「奴隷労働」などという残酷話は、実態を正しく捉えていると言えないのは確かです。

 広島の三菱重工業広島造船所の例では、朝鮮半島出身者も日本人と同じ間取りの寮に同じように住んでいたといいます。  食事も同じ調理場で全員分を作っており、当時は社長からも一切待遇に差をつけないよう通達があったといわれます。    九州のある製鉄所では、終戦で帰還する朝鮮半島出身者に、財政状況が厳しい中でも退職金や慰労金、賞与、旅費、帰路の食事代まで支給されていたといいます。   このように、単なる個人の印象などではない、大企業からして一貫して差別などとはほど遠い待遇で朝鮮人たちと接していた、 というが当時の実状だったのです。

 残念ながら、異様な反日国家と化した韓国においては、文政権が執拗に仕掛ける、なにが何でも日本を貶めようとするが歪んだ歴史論争のなかで、このような貴重な当事者たちの声はかき消され、 闇に葬られているのが現状なのです。(2019.12.13 msnニュース引用)


当時の新聞記事から窺える実態

 1942年(昭和17年)10月13日付けの長崎日報には.......。

『相浦署の計画として 産報・協和会主催で相撲大会、優勝旗争奪戦を開催。 各炭坑の半島人労務者激励慰安のため協和会主催で奇術、 曲芸、映画などの慰問隊巡回、情趣と興味で教化修養を実施する。』、という記事があります。

 戦争真っ只中に、和気藹々と鮮人労務者を慰労するために大々的な慰安会を開催していたというのです。   奴隷のようにこき使っていたらそもそもこんな催しなどする気も起きないでしょう。    朝鮮人坑夫たちに気分良く働いてもらおうと、日本側の雇用者たちが気を配っていたというなによりの証拠です。

 さらに、1938年(昭和13年)11月26日付けの記事では

 『端島(軍艦島)坑内で賭博をしていた12名の朝鮮人坑夫を梅香崎署が検挙した。  自供によると朝鮮で流行していた花札遊びで一勝負につき拾銭の賭博を開帳。  二百数十回にわたり勝負をしていた。』、というものもあります。

 強制連行され奴隷のようにこき使われたどころか、掛け金をかけて日常的に賭け事を楽しんでいたという記事からは、朝鮮人坑夫にキチンと給与が支払われていたことが確認できます。    さらに、坑内で賭博していたところを、警察が捕まえた、という部分にも当時の軍艦島の炭鉱労働の実態が浮かび上がります。

 言われるように日本人が朝鮮人たちを管理しアゴで奴隷のように酷使していたとすれば、坑内で賭博していた彼らは警察に通報される前に、 日本人抗夫たちが袋叩きにでもしていたことでしょう。  朝鮮人坑夫も日本人と同等の立場だったのです。(2018.11.12)


強制連行説に対する元軍艦島住人の証言

   

NO 捏造とされる残虐労働説とそれに対する反論証言
非難する側の主張 元島民の証言
1 島には『地獄門』をくぐって入り、入ったが最後、一生島から出ることが出来なかった。 『地獄門』は聞いたことがない。  借金をかかえたまま島を出て戻らないケースがあり、島を出るときは他航証明書という書類をもらわないと出れなかったが、それは日本人も同じだった。
2 中国人の取り扱いは特に激しかった。 朝鮮人が話しかけたりすると、銃を持った労務係がきて『近づくな』と言って双方を殴りつけることもあった。 「警察が、端島に限らず銃を持ってウロウロするなんて、日本の国勢(国情)にはないですよ。 あの当時。」 「銃を持った人なんておらんです。 警察も、端島は仕事がない島だと言っていた。」
3 高さ1mの炭層に、朝鮮人坑夫たちは立ち膝のまま鶴嘴を打ち込んでいた 坑内の石炭はババババッとエアで落としていました。 鶴嘴は石炭を掘るのに使いません。 少し浮いたのを、叩いて落とすぐらい。
4 二尺層といわれる炭層は約60センチ、短い柄の鶴嘴で寝堀りする場所だった。 寝て掘るなんてことは全くなかった。 それなら炭車はどうして入れるのですか。
5 大変な仕事を押し付けられ働かされた。 朝鮮人を石炭掘りに使うのは(技術的に)危なくて仕方のない面があった。 だから彼らには後方で働いてもらった。 日本人が掘った石炭を炭車に積み込み、それを押すのが、彼らの仕事だった。

週間新潮 櫻井よしこ・日本ルネサンス第785回コラムより抜粋。

 

新聞記事から浮かび上がる当時の軍艦島の実像

 歴史を紐解く材料のひとつとして、新聞記事の検証があります。 そこから浮かび上がってくるのは、当時の端島の実態です。  ここでは、端島に関する象徴的な記事についていくつか抜粋しています。

 朝鮮人労務者1,500人を北松炭田、崎戸、高島、端島へと斡旋した記録が残っていますが、『元徴用工たちは栄養失調になりながら重労働に苦しんだ』、 いう奴隷酷使ストーリーを主張しているのは端島(軍艦島)だけ、という背景があります。

 事故における犠牲者の数をみると、日本人労働者が多いのがわかります。 この事実からでも、「端島炭坑で朝鮮人坑夫だけが危険な仕事に従事させられていた」、 と非難する話は捏造話であることが立証されます。        

NO 新聞で見る当時の状況
記事の発行日 記事抜粋
1 1918年(大正7年)
7月11日・東洋日の出新聞
昼寝をしていた朝鮮人坑夫に日本人坑夫がちょっかいを出して負傷させてしまい、謝罪するが、朝鮮人坑夫が復讐のため大勢で押しかけ大乱闘に。 これにより日本人坑夫3人が傷害罪で送検。   昼寝や復讐行動、日本人だけ送検という実態から、朝鮮人たちの権利も日本人と同等だったことが見える。
2 1927年(昭和2年)
5月27日・
長崎日日新聞
端島炭坑坑内で、5月24日の午前・午後と二回にわたり大規模な粉炭墜落があり、4名が死亡した。  4名のうち1名が朝鮮人坑夫。
3 1935年(昭和10年)
3月26日・長崎日日新聞
端島炭坑最大のガス爆発事故発生。 坑内で救出にあたった最高幹部が二次爆発に巻き込まれ死亡。  報道によれば30日夕刊時点で死者27名。   死亡者の内訳は日本人18名、朝鮮人9名。 なお当時の端島は総人口3千2百名、従業員1千名のうち坑夫7百名。
4 1938年(昭和13年)
11月26日・長崎日日新聞
端島の炭坑内で賭博をしていた12名の朝鮮人坑夫を梅香崎署が検挙した。  自供によると朝鮮で流行していた花札遊びで一勝負につき拾銭の賭博を開帳。  二百数十回にわたり勝負をしていた。  端島炭坑で朝鮮人坑夫に給与が支払われなかったという証言があるが、この事件では朝鮮人坑夫にも給与が支払われていたことが確認できる。
5 1939年(昭和14年)
12月9日・長崎日日新聞
内鮮融和を進め、炭坑の労働力不足を補うため、朝鮮人労務者の大規模な内地への移入を実施。11月下旬から青年層を内地へ渡航させ、長崎紹介所により1,500人を、 北松炭田、崎戸、高島、端島へと斡旋した。

(艦島の真実 より)

 

自国青年1700人を強制労働

 「強制連行の島」とはやし立てている連中は、日本人が碌な食事も与えず虫けらのようにこき使った、と主張しますが、彼らの言う内容はどうも我々日本人から見ると、 誇張というかなにやら違和感を感じます。  もちろん中にはそうでない人間もいますが、ほとんどの日本人はそこまで残虐になれない民族です。

 2018年11月のmsnニュースに、『韓国が封印する不都合な史実「自国青年1700人を強制労働」 』という記事が載りました。 それによると、

 "1961年、朴正熙政権は、「国家再建と浮浪児の取り締まり」を理由に、「大韓青少年開拓団」を設立し、戦災孤児など1700人にも及ぶ青少年を忠清南道・瑞山の干拓事業に強制動員し、 無賃金で働かせたという知られざる史実がある。"、というのです。

 さらに、"動員の対象は男性だけではない。「工場で働ける」と女性を誘って連れてきて、開拓団の男性と強制的に結婚させた。  「255組 合同結婚式」は、 当時、政府広報として韓国メディアで大々的に取り上げられた。"

 "拉致同然に集められた若者たちは、「干拓した土地を1人3000坪ずつ分け与える」という政府の約束を信じ、管理者からの暴力や飢餓に耐えながら働いた。    過酷な労働により、死者数は実に119人にのぼったとの記録が残る。"

 "しかし、干拓後に土地は国有地に編入され、土地を与える約束は反故にされたばかりか、逆に農地の使用料まで請求されたという。    驚くべきことに、この問題は今年に入るまで、韓国国内でほとんど知られることがなかった。"

 といいますから、どうも「強制連行の島」などと必要以上に日本人残虐説をはやし立てているのも、こういう自分の国の出来事と混在している節を感じます。

 最近になり「従軍慰安婦問題」や「韓国人徴用工賠償裁判」などの問題が大きくクローズアップされ、 同時に韓国政府の理不尽であまりに不誠実な態度に日本人は憤りを覚えてきました。

 お金を受け取っておきながら、それを公表せずしかも別な使途に使い込み口を拭う。  指摘しても黙殺か戦争責任を果たせのワンフレーズで反撃する...... 実は、こういう政治の最大の被害者は、執政者に騙され続けてきた韓国の大衆です。

 「大韓青少年開拓団」被害者たちの証言記録をまとめたドキュメンタリー映画『瑞山開拓団』が2018年5月に韓国で公開され、真相を知った観客に衝撃を与えたといいます。

 監督を務めたイ・ジョフン氏(45)は、映画取材の過程で、米下院国際関係委員会が1978年に出した報告書で、 “漢江の奇跡”と呼ばれる経済成長を成し遂げた朴正熙大統領が、干拓事業などのためにアメリカからもらった援助金を、自分の政治資金に不正流用していたという事実を突き止めたといいます。

 元開拓団の証言者は、「初めて自らに降りかかった災難が、朴正煕政権の企みのせいだと気づき」、「朴正煕大統領は、国は生かしたかもしれないが、人間は限りなく殺した」、 と叫びながら慟哭したといいます。

 韓国民はこういう韓国政府のやり方に翻弄され、置いてきぼりを食わされ続けてきたのです。  しかし、そろそろ韓国政府の無理筋のやり方が、このような映画により韓国内でも少しずつ表ざたになりつつあるようです。

 "「韓国政府が恐れるのは、戦前の日本に対するのと同じように、戦後の“漢江の奇跡”の犠牲にされたという告発が相次ぐことでしょう。  そういう声を抑えるためにも、ますます日本の賠償問題に目を向けさせようとするのではないか」。  自国の「不都合な史実」さえ日本批判の動機にされてはたまったものではない。(週刊ポスト2018年12月7日号)"

ということなのです。(2018.11.26)

 


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コトバ学
(*1).....朴正煕大統領

第5代(1963年10月〜)から第9代(〜1979年10月)までの大韓民国大統領。
第18代大韓民国大統領に就任した朴槿恵は次女。
創氏改名による日本名は高木正雄(たかぎ まさお)。

1979年10月26日 大韓民国中央情報部(KCIA)の金載圭に暗殺される(朴正煕暗殺事件)。 享年61。

(*2).....甲午改革(こうごかいかく)

1894年(干支で甲午)から1895年にかけて李氏朝鮮で行われた急進的な近代化改革。  清の属領とされていた朝鮮を、日本が独立国であると後押しし内政改革を求めた。

(*3).....日清戦争

1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争。

(*4).....韓国併合

1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合。 日本による統治は1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が米国に降伏するまで、35年間続いた。

学校教育で日本語を教えたことが「言葉を奪った」とされるが、朝鮮語が科目として導入され、本の出版に朝鮮語が許容されており言葉を奪ったとまでは言えないという反論もある。   また、ハングル語を奪ったといっても併合以前は漢字と比べて劣等文字として軽蔑されており、そもそもあまり普及していなかった。

(*5).....妓生 (キーセン)

妓生は李氏朝鮮時代以前の朝鮮半島に於いて、諸外国からの使者や高官の歓待の席で歌や踊りで遊興を盛り上げ、性的奉仕などをするために準備された奴婢の身分の女性。 売春する二牌、三牌は妓生とは呼ばれていなかった。
甲午改革で法的には廃止されたが、後に民間の私娼宿(キーセンハウスなど)として残存し、現在に至る。

(*6).....韓国光復軍

1940年、国民党政権の臨時首都・重慶に創立された朝鮮独立を目指す亡命政府もどき「韓国臨時政府」の武装組織。 1945年の日本のポツダム宣言受諾により、実戦にほとんど参加することなく終わった。    軍隊と称していたが戦闘に参加することもなく、連合軍への参加は認められておらず、臨時政府といっても国家として承認されなかったので国軍でもない。 戦後連合軍によって解体を命じられた。



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