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日本国憲法の成り立ち

 世界各国に憲法はあるわけですが、その中で日本国憲法はすでに十数番目に古い歴史を持ち、 かつ、そうした古い憲法のなかで日本国憲法は施行から70年以上がたっても全く改正されていない「世界最古の憲法」と呼ばれています。 これまで憲法改正が行われないのは日本だけ、という話もあります。

 悲惨な戦争の末、敗戦国となった日本は、1947年(昭和22年)から新日本国憲法が施行されました。  「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」という、 「民衆の民権理念の実現」を追求したともいわれる新憲法は、世界に紛争が起きない限り、ある意味「理想の平和主義憲法」とも呼べるものでした。

 現在の日本国憲法の成り立ちは、先の大戦で日本軍の強さを思い知ったアメリカが、日本を再び戦いの場に出れなくするため、 戦後に「占領国であったアメリカが主導して、 アメリカの都合で作った憲法である」、という側面があります。    そのため「戦争の放棄」と「戦力の不保持」というシバリにより、"国を守る軍隊を持てない丸腰の国"、状態にされているわけです。    日本が二度とアメリカに手向かうことを不可能とさせる目論みが、色濃く反映されている憲法なのです。

 日本は戦後70年以上にわたりこの憲法に守られ、戦いとは無縁の生活を享受してきました。 しかし、昨今は中国の覇権主義の脅威にさらされ、 核ミサイルを装備した北朝鮮からは『日本を火の海にする』と恫喝されるという、まさに過去の戦争前のような、いやそれ以上の脅威にさらされる事態になっています。

 日本では憲法改正論議が高まりつつありますが、『憲法って大切なものでしょ。 簡単に変えちゃっていいの。 そもそもどうして変えるの?』、 というのが(自分を含め)一般的な捕らえ方だとおもいます。  野党は一貫して憲法改正などトンデモない、というスタンスであり、与党の中にも反対する勢力はいるようです。

 しかし、俄かに東アジア周辺がキナ臭くなってきた昨今、敗戦国の日本が戦勝国のアメリカから押し付けられた、「戦力の不保持」のまま「武力行使」を禁じられた現行憲法を、 金科玉条のごとく未来永劫、絶対に変えない、と決め付けてしまっていいのでしょうか。  イザ他国の侵略を受けたとき、 立ち向かうことが禁止されたまま相手の軍門に下ることになってしまう憲法を後生大事に抱えたままの国を、果たして独立国家と呼べるのでしょうか。

 世界を見回せば、憲法改正は珍しいことでも特別なことでもありません。 憲法を時代や環境に合わせて手直しすることは世界標準の考え方であり、そろそろ平和ボケしていた我々日本人も 「いまの時代にそぐわないなら、変える必要もあるのでは」 という疑問を抱くべき時期にきているのかも知れません。

 戦後も70年以上経過しようとする昨今、憲法改正の議論が姦しいですが、そもそもこの憲法がどういう経緯で作られ、なにが問題なのか、ここで改めて考えたいと思います。(2016.6.17)


  

アメリカが制定した新憲法

 1941年12月8日から1945年8月15日まで続いた「大東亜戦争」(太平洋戦争)の戦いに敗れ、 敗戦国となった日本でしたが、開戦当初の日本軍は当時世界最高性能だった ゼロ戦や、 よく訓練された兵士達によって戦争前半は勝ち戦が続きました。

 白人による植民地支配の嵐が吹き荒れた19世紀以降、 日本はアジアの盟主として西欧列強によるアジア支配に歯止めをかけるべく西欧列強に立ち向かい、 植民地支配と無縁の世界を築こうと孤軍奮闘しました。    日本は当時アジアの大部分を植民地化にしていた欧米各国を アジアの地から追い出す、 という世界中が驚く偉業を成し遂げた歴史を持つ国だったのです。

 世界広しといえども、ロシア(日露戦争)、中国(日清・支那事変)、米国(真珠湾攻撃から太平洋戦の初戦)という三つの大国相手に勝利、または戦果を挙げた国は日本以外ありません。  中国に進出し国土を占領したのは日本だけですし、米国が領土を攻撃され壊滅的ダメージを受けた例は、日本が行った真珠湾攻撃のみです。

 開戦当初は連戦連勝だった日本は、やがて物量に勝るアメリカに敗れ終戦となっていくわけですが、アメリカは極東アジアの劣等人種と思っていた小国が、 白人に逆らってここまで戦うなど想像もしていなかったはずです。

 アジアにおいて欧米列強国が繰り広げていた帝国主義の終焉を早めさせた、この忌々しい黄色人種の日本に対し、 終戦直後の占領下でアメリカが新たに作る新日本国憲法には、 この島国の連中が再び戦いの場に出て来れないよう、周到にブレーキをかけておく、という役目をもたせる必要があったわけです。

 この新憲法により、日本は他国に対して「永久」に武力を行使することはおろか、威嚇すなわち抑止力を持つことすら禁じられてしまうわけですが、 如何に当時のアメリカが日本軍を恐れ、それを永遠に封じ込めようとしたのか、ということが窺われます。

 軍事力以外にも、特に航空産業についてはゼロ戦でかなり痛い目にあったせいか、 戦後日本は航空機関連の一切の事業は禁止されました(航空禁止令)。   これはかなり徹底していて、ロケット開発の父と言われる糸川英夫氏も毎日GHQの尾行がつき、図書館で調べ物をしただけで事情聴取されたといいます。   糸川氏は中島飛行機の社員で、隼(一式戦)や鍾馗などの戦闘機開発に携わっていました。

 航空禁止令は1952年(昭和27年)「サンフランシスコ講和条約(*1)」が発効され日本が独立するまで続けられました。   禁止令が解けたとはいえ航空技術が第二次大戦のプロペラ機のままだった日本は、ジェット化が進む欧米にすでに技術的に置いてきぼりを食らっていました。      それがために現在でも日本の空を守る戦闘機は米国製頼みとなったままです。

 GHQの厳しい言論統制により、マスコミ・教育を通して日本人に祖国に対する誇りを失わせ、 戦前の日本の行い全てが恥べきことで、戦争は一方的に日本の責任である、 という刷り込みと洗脳がその後何十年にも渡り続けられていくことになったのです。

 そのような経緯から誕生した現行日本国憲法は、『日本人が日本のために作った』、ものではなく、 『日本を自主独立の強い国にさせない、というアメリカの強い思想のもとでアメリカが制定し、日本が軍事力を持つことを禁止した』 憲法である、という歴史背景があったことをまず理解しておく必要があります。

 米国は戦後の対日占領期間中、憲法起草に米国が果たした役割についての一切の言及や批判を検閲し、削除または掲載発行禁止の対象としていました。     日本人は戦後長い間、現行日本国憲法は日本が二度と悲惨な戦争をしないため自ら制定した世界に誇る平和憲法である、と信じ込まされてきたのです。

 アメリカ大統領選挙戦最中の2016年8月15日、(奇しくも日本の終戦記念日ですが....)米政府の要人ナンバー2のバイデン米副大統領は、 共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏を批判して、「(日本が)核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことを彼(トランプ氏)は知らないのか。   学校で習わなかったのか」と発言しました。

 駒沢大名誉教授の西修氏によると、ブッシュ前米大統領も就任前の1999年11月の演説で「われわれは、日本を打ち負かした国である。 そして食料を配給し、憲法を書き、 労働組合を奨励し、女性に参政権を与えた」、と明言したとされます。

 護憲派が後生大事にしてきた日本の平和憲法というものが、実は日本を占領していた米国の連合国軍総司令部(GHQ)が主導して、自分達に都合の良い憲法として作らせた、 ことをブッシュ前米大統領や米副大統領がキッパリと明言しているのです。

 米国の副大統領でさえ、あっけらかんと「日本国憲法は私たちが書いた」と述べているにも関わらず、 「日本国憲法は米国製である」という事実をガンとして認めてこなかった護憲派の戦後の欺瞞が、 そろそろ神通力を失ってきたのはたしかのようです。(2016.6.17)


 

新憲法は暫定憲法だった

 憲法の前文には、「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれています。 「岩田温の備忘録」によれば、 『....どう考えてみても、おかしな日本語だ。 「諸国民の公正と信義に」ではなく、「諸国民の公正と信義を」でなければ、日本語としておかしい。 そもそも、 この憲法は、日本語で書かれたものではなく、翻訳からスタートしたものだからかもしれないが、こんなおかしな日本語で出来ている憲法を「平和憲法」と有難がっているのは異常なことだ。』、 というわけです。

 作家の百田尚樹氏は、『....昭和60年代の終わりに、ある日本の憲法学者がアメリカで当時の(GHQの民政局の24人の)メンバーを訪ねたところ、 生き残った十数人は「君らはまだあの憲法を使っているのか」と一様に言ったという。   草案をつくった本人たちがあくまでも占領時の暫定的 なものであるという認識で、まさか自分たち素人がつくったものを40年間そのまま使っていたというのは驚きだったのだろう。』、と述べています。

 日本は太平洋戦争での敗戦によりアメリカの占領下におかれ、1952年(昭和27年)4月28日にやっと正式に国家としての全権を回復します。  ただ、新憲法の施行は1947年(昭和22年)ですから、国家主権の回復前に新憲法が制定された、という事情がありました。

 西修・駒沢大名誉教授によると、現行日本国憲法は、憲法前文の『われらとわれらの子孫のために(中略)自由のもたらす恵沢を確保.....』、 という言葉は米国憲法と共通しており、
専制と隷従、圧迫と偏狭を排除しようと努めている大小すべての国家.....(1943年・米英ソ首脳によるテヘラン宣言)』、
すべての国のすべての人類が恐怖および欠乏から解放され....(1941年・米英首脳による大西洋憲章)』、
のそれぞれから切り貼りしたものなのだそうです。

 タレントとして知られているケント・ギルバート氏は、じつは法学博士でカリフォルニア州弁護士の資格ももっているそうですが、 彼曰く『憲法の作成自体はじつは難しい作業ではありません。 法学を学んだ私からすれば、憲法の全条文など3時間で書ける代物です。アメリカ建国のときは前例がなくて大変だったと思いますが、 二百数十年が経ち、古今東西さまざまな憲法が制定されたので、民主主義国家のものなら容易に書けます。独裁国家の憲法は別として』と述べています。

 占領国が敗戦国に押し付けた「理想憲法」は、もういい加減「現状に合わせた現実的な憲法」に見直すべき時です。  そろそろ岩田温氏が指摘する、 『.....マッカーサー、吉田茂の解釈改憲によって成立した自衛隊の存在を認めながら、集団的自衛権の行使だけを問題視するのは「偽りの立憲主義」だ。』、 という主張が大勢となってもいい時期です。(2016.6.17)


  

日本国憲法と第9条

 連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の監督の下で起草された日本国憲法の法案は、 帝国議会の審議で若干の修正を受けた後、1947年(昭和22年)5月3日に施行されます。

 日本国憲法は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という、「民衆の民権理念の実現」を追求した、ある意味「理想の平和主義憲法」とも呼べるものでした。

 戦後も70年以上たつと、安全保障との関係で憲法改正が取りざたされますが、司馬遼太郎氏は対談で
(敗戦になり)新憲法ができました。 占領軍が英語で書いたものをおしつけたとか、いろいろ悪口をいう人も いますが、できた当時、いきさつは我々は知らないんですけれども、自分が生きているあいだにこんないい憲法をもつ国ができようとは思わなかった、と感じたりしました。 今でもその気持ちは変わっていません」、と言われましたが、これが当時の悲惨な戦争を体験をした大部分の人たちの、新憲法に対する思いだったのでしょう。

■■日本国憲法第9条1項■■  「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和主義を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、 武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する

■■日本国憲法第9条2項■■  「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない


 たしかに、戦争の悲惨さを散々体験した一般大衆にとって、「戦争の放棄....」というのは素晴らしいフレーズだったでしょうし、 日本がこれから二度と戦争に巻き込まれないためにも、未来永劫守っていきたい大切なものだと思います。

 また、戦前の大日本帝国憲法(明治欽定憲法)においては、「国家の統治権は天皇が総攬(そうらん・一切を掌握)する」と定められ、天皇に絶対的な権力を付与し絶対服従とされていたわけですが、 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、新たに「国民主権」という民主主義の原則に基づき、天皇を装飾的機能のみを持つ象徴的地位に制約する新憲法を定めるよう命じました。

 これにより日本は「国体(一般的には、天皇が統治する国家体制)」絶対主義から脱却できましたし、国民主権が明記され民主化が進められていったのです。     現行憲法が米国製だからといって、中身を頭から全否定する必要はありませんし、かつて日本を占領していたアメリカの政府要人から、 「憲法は我々が書いた」と堂々と主張されようが、二度と戦争に巻き込まれずこれからも日本をしっかり守って行ける憲法であればなにも問題ありません。

 ただし、この憲法は戦争の放棄と戦力の不保持により、 日本を"国を守る軍隊が持てない丸腰の国"にする、というアメリカの目論みが色濃く反映された憲法だったのも事実です。  そもそも 「他国から侵略されようが一切抑止力を持つな」、と明記されている憲法を、戦後何十年たとうがアリガタク押し頂き、 たとえ現状にそぐわない非現実的な部分があろうと、錦の御旗よろしく大切にして改正意見には絶対に耳を貸さない、 というのもどうかしています。

 憲法の成り立ちを今更とやかく言ってもはじまりません。  現状の国際情勢において憲法のどこがなじまないのか、どんな役割を果たすべきなのか、 論点を整理する必要があるはずです。(2016.6.17)


  

憲法改正は行うべきか?

 アメリカの都合で作られた憲法により「戦力の不保持....」が明記されているにもかかわらず、憲法改正しないままで、 アメリカの都合で泥縄的に再軍備化に走った、 結果、憲法と武力の行使に重大な齟齬が生じ、憲法と乖離している現状を招いています。

 もちろん戦争には絶対反対ですが、平和な時代ならともかく、中国という猛獣が牙を剥きはじめ、いつ軍事衝突が起るかも知れない現状では、 憲法違反の存在とまで言われる自衛隊の法的位置づけをキチンと整備し、現実的な運用ができるよう早急に、 "憲法改正で矛盾している部分を修正する"、必要があるのではないでしょうか。

 2004年に成立した事態対処法、いわゆる有事法制により、現在では切迫した危険に対して総理が「武力攻撃事態」と認定さえすれば、 自衛隊に「防衛出動」を命じ、国連に「自衛権の発動」を報告することで、 日本の領海や接続水域に相手が入るのを待つことなく、 公海上で相手の軍艦を攻撃撃破することが可能になっています。

 気がかりな尖閣列島周辺においても、万が一中国が侵略の意図を持ち侵攻してくれば、米軍に頼らず自衛隊の護衛艦、潜水艦に命令・指示を出して武力行使させることが可能になったわけです。

 ただ、闇雲に軍事強化を目的とする改正とならぬよう、中身については慎重に議論する必要はあります。  さすがに中国や北朝鮮の領土・領海・領空内では攻撃できませんが、 「専守防衛」といえど現在の自衛隊は相手国の海域・空域以外であれば、公海上であっても「武力の行使」ができるようになっている、という事実は把握しておくべきでしょう。

 憲法の改正が現実の政治課題となってきた現状では、現行憲法はどこかで聞いたような文言を寄せ集め米国からムリヤリ押し付けられたものだった、 という認識をしっかり踏まえた、常識ある政治家たちによる真剣な議論を期待したいものです。

 敗戦直後、日本の真の独立を望む心ある政治家たちは、アメリカに押し付けられた"非武装丸腰の平和主義憲法"では日本を守れない、と当初から危機感を持っていました。

 昭和30年に結党された自民党の鳩山一郎氏は、「わが国の真の自主独立を達成するためには、占領中に制定された各種の法令や制度を、 わが国情に即したものに改める必要がある」、として憲法改正の目標を挙げました。 「終戦10年の今日、心から日本の独立をねがう為政者としては、 何よりも考えなければならない責任だ」とし、強く憲法改正をめざしていたのです。

 軍備の解体も、再軍備化も、全てアメリカの都合で決まる構図は、何事もアメリカの考え一つで翻弄される現代日本の姿とダブリますが、 日本はまだまだ独立国家としての体は成していないのが現状なわけです。

 2015年3月6日の衆院予算委員会で安倍首相は、現行憲法について『連合国軍総司令部(GHQ)の、憲法も国際法も全くの素人の人たちが、 たった8日間で作り上げた代物だ 』 と発言し、 民主党の追及を受けて、『事実を述べたものにすぎず、 首相として事実を述べてはならないということではない』、と堂々と発言しました。

少し前なら首相がこんな発言をしようものなら野党、マスコミから批判の嵐が吹き荒れ大騒ぎになったはずですが、翌日の在京各紙でこの発言を特に問題視したところはありませんでした。

 日本国憲法は、「戦争という有事(危機+戦時)」 を想定しておらず、常に「平時」であるという前提 で制定されています。   あまりにも長く平和が続いた日本は、「有事に対処できる憲法をもたない平和ボケ国家」となり、侵略国にとってやりたい放題できる国なのです。

 なんの根拠もなく「憲法改正反対」、などと無邪気に唱えるのでなく、日本が戦争に巻き込まれる事態になっても、被害を最小限に食い止めるよう、 日本が置かれている立場について国民皆が真剣に考える時がきたのではないでしょうか。(2016.6.17)

 2022年2月24日、ナント、ロシアがウクライナに軍事侵攻するという驚愕の戦争が勃発します。  挙句の果てに、 なかなか首都キエフを陥落出来ないプーチンは核兵器使用までほのめかし、あわや第三次世界大戦の始まりかと世界を恐怖に陥れました。  現実の国際社会は、 とても日本共産党やヒダリマキが主張する「憲法9条があるから日本は安全」、などというお花畑理論が通用する世界ではないことを見せつけたのです。(2022.3.1)


派遣要請の盾となった「憲法第9条」

 1970年代、ベトナム戦争のドロ沼に入り込んだ米国は、日本に対しベトナム戦争への派兵要請を強めます。 そのとき、時の総理大臣・田中角栄は、 『どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない』、とキッパリ答えたといます。

 官僚が、"アメリカから強い要請がある"と食い下がると、『そういうときは憲法9条を使えばいい』と返したそうです。 『アメリカが日本に押し付けた憲法を逆手に取って、 日本が派兵しない理由に使うというのは、リアリストの角栄らしい理論だと思います。』 と新潟日報社の小田敏三社長は語っています。

 田中氏は総理になる前にもJF・ケネディの実弟で司法長官を務めたロバート・ケネディから9条改正を求められた際、『日本は「憲法第9条」を国民に定着させて平和国家を目指そうとしている。   それをアメリカが変えようとするなら、日本国民に一言断りがあってもいいのではないか』、と答えたといいます。

 歴代の米国のポチ化した日本の歴代首相と違い、田中氏はアメリカに対しも決して尻尾を振らず、毅然とした態度で臨んだわけですが、ロッキード疑惑で追い詰められた背景には、 こんな事情も絡んでいたのかも。  田中首相は"真の愛国者"だったのかも。 (2019.7.2 週間新潮通巻3190号 引用)


憲法のどこを変えるのか?

 従来、憲法改正を巡っては、その議論をすることすら危険視される傾向にありました。

過去日本は世界でもマレな紛争とは無縁の平和国家として繁栄してきましたが、現在は中国の帝国主義的膨張政策、北朝鮮の核実験や長距離ミサイル発射、 ISやテロの脅威、など日本を取り巻く情勢はかつての東西冷戦時期より厳しさを増しており、憲法の前文が想定している世界と全く異質な危機に晒されています。

好む好まないにかかわらず、万が一に備え外敵の侵略意図を挫く抑止力と、 実力で外敵を排除できる軍隊をもつことは国家として常識以前の問題であり、 あってほしくない「戦争」という最悪の事態まで想定して備えておかねばならないのは独立国家として当然の努めなのです。

 永い間平和が続き、戦いとは無縁の日本では、平和ボケの進歩的文化人とやらの「たとえ国民の生命が失われ国がなくなろうが憲法は絶対に守るべき」、 などという暴論を平気で吐出すアブナイ人間さえ輩出する異常事態が続いてきました。

 しかし昨今のキナ臭い世界情勢では、もうそのようなタワゴトはもはや許されなくなりつつあります。    アメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントンは、「戦争に備えることは、平和を守る最も有効な手段の一つである」、と唱えました。   平和は何もせずとも与えられるものではなく、「果敢に作り出すもの」、というわけです。    「平和を望む」だけでは平和は守れません。     憲法を守り国が滅びる、というのでは本末転倒であり、すでに日本の生き残りのために真正面から現行憲法の改正を議論しなければならないところまできているのです。

 イザ現行憲法を改正しようとすれば、どの部分を変えるべきなのでしょうか。   やはり

日本国憲法第9条2項の「.......前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。  国の交戦権は、これを認めない

という、現実離れした日本国憲法第9条部分を現実的なものに改める、ことが必要になってきます。

 現在の自衛隊の戦力は20万を超える兵員と世界に冠たるハイテク兵器を保有する、世界トップクラスの実力を持つ堂々たる「軍隊」であり、 すでに「違憲....憲法違反」の状態なのはまともな人間なら誰でも分かっているはずですが、日本人らしいレトリックで戦力ではない、 と世界と日本国民をダマしてきたのです。

 しかし、世界最高水準の武装組織の名称が「自衛隊」なら文句はないが「軍隊」なら許さない、 などというばかげた理屈がどこにあるのでしょうか。

 まずここを明確にせず、重箱の隅をつつくような議論に終始してきたことを素直に反省し、どのような改正を行えば国家の安全保障と日本の安定に有効になるか、 政治家たちは議論を深めて欲しいものです。(2016.6.17)


  

現行憲法の問題点.............集団的自衛権の縛り

 集団的自衛権について日本は、「集団的自衛権はあるが、その行使は許されない」という理屈がまかり通っている摩訶不思議な国です。
行使できない権利などそもそも権利と言えないのでは、と思うのですが日本は憲法九条の縛りでこの体制が戦後からずっと続いてきているわけです。

集団的自衛権とは、「ある国家が武力攻撃を受けた場合直接に攻撃を受けていない第三国協力して共同で防衛を行う国際法上の権利」、だそうですが、 憲法改正の議論で常に持ち出されるのがこの集団的自衛権についての憲法解釈です。

現状では安保条約により、日本が攻撃されればアメリカ軍は日本を守るため一緒に戦ってくれることになっています。(イザというときどうなるかは判りませんが.....)
ところが、アメリカ軍と自衛隊が共同で相手と戦っているシーンで、例えば相手の攻撃によりアメリカ軍がピンチに陥っても、 自衛隊はその危機を救うため相手を攻撃することが出来ません。

というのも、日本は集団的自衛権の行使が認めらないため、せっかく日本のため戦ってくれているアメリカ軍が相手から攻撃され、 全滅の危機にさらされていようと 支援できない、というトンデモナイ事態が考えられるわけです。

   2009年(平成21年)3月、ソマリア沖・アデン湾における海賊からの船舶保護任務で派遣された海自艦は、海賊船から襲われた外国船から救援要請を受けたが武器を使えず、 サーチライト照射と大音響を出す装置だけで対応した、ことがありました。

これを笑い話ととるか、それで追っ払えたんだからいいじゃないか、と考えるかは自由ですが、現行憲法の不都合な部分を知るエピソードの一つではないでしょうか。

ソマリア沖の船舶保護任務においても、「集団的自衛権の縛り」があるため、眼前で外国船の船員たちが海賊に虐殺されそうになっても、 武力を行使して助けることが出来ないのです。

『エッ、そんなバカな...』と誰しも思いますが、ここが現行憲法の問題点でもあるわけで、占領下でアメリカにより「日本を自主独立の強い国にさせない」 ために作られた平和主義憲法の現状なわけです。

 このとき外国船で死傷者でも出ていたら、世界は日本をどう思うでしょうか。
『イヤ、日本は憲法で武器使用は禁止されているから.....』、と言い訳しても 「日本はナンテ非情なんだ、こんな国に好意など持てない」、と世界中から一斉に非難を浴び国際的な信用を失ってしまうことでしょう。

自衛の権利には、もうひとつ個別的自衛権があります。
個別的自衛権は、「自国が他国から武力攻撃を受けた場合に、自国を防衛するために武力の行使をもって反撃する国際法上の権利」、 でいかな平和主義憲法の日本でも、個別的自衛権は当然もっており、憲法九条の解釈上でも、行使できないという議論はさすがに起こっていません。(2016.6.17)


  

野党の言葉アソビの無責任憲法論争

 野党は日本の安全保障の中身などそっちのけで、ひたすら「改憲つぶし」に熱心です。 特に2017年2月以来の森友学園問題や加計学園問題を利用した 常軌を逸した安倍叩きや、あくどい印象操作は、まことにヒドイもので目に余りました。

 口を開けば、「憲法改正などトンデモない」、と連呼する野党議員達ですが、はたして彼らは本気でそう考えているのでしょうか。  政治家ならずとも、現状の国際情勢と憲法の乖離を知れば、 とてもこのままの憲法でよい、などとは言えない筈です。

 野党は相変わらず重箱のすみをつつく言葉アソビを続け、与党に反対したいだけの反対論をブチ挙げている無責任体質のままです。  こういう連中に限って、 先の社会党の村山氏や民主党の鳩山氏のように、政権を握った途端に安全保障体制を現実路線に急転換したとしても、 なんら恥じないのです。

 《リベラルを前面にだすタイプが指導者になると世界が混沌さを増す》、というセオリーがあります。  オバマ政権において中国に好き勝手やらせてしまった結果、 南シナ海は中国の内庭と化しました。 すでに爆撃機まで離着陸できる航空基地やミサイルまで配置する人工島をいくつも作り上げています。

 中国が日本の領海を脅かし、北朝鮮が核ミサイルの照準をわが国に向けていても、今そこに迫る危機を直視せず、米軍に頼らず個別的自衛権にこだわって『専守防衛』に固執するのは、 戦時中爆撃機に竹やりで立ち向かおうとした特攻精神となんら変わりません。

  国民の生命、財産を守るのが使命であるはずの政治家自らが、そういうアジア情勢には一切目を向けず、相変わらずの「戦争ゼッタイ反対」のヒステリー的思考一本やりで、 『戦うより殺される方がマシ』と国民に宣言するかのような無責任発言は、マトモな政治家であれば厳に慎むべきです。


軍隊を持たない先進国家はない

 「独立」の反対語は「従属」または「併合」だそうですが、自主独立を目指す国家であれば、相手国の「属国」にならないために軍隊を配備するのは当然であり、 軍隊を持たない先進諸国などありえません。

屁理屈好きな輩は、『世界には軍隊を持たない国家がたくさんあるじゃないか』、と反論しますが、そういう国は自主的に軍備を持たないのではなく、実際は相手に屈服した、 もしくは小国すぎて持てないだけの話であって、自主独立の先進諸国と同一視することは無意味です。

 軍隊とは無縁なイメージがあるスイスでさえ、国際社会に対して「武装中立」を宣言し、徴兵制度により国民皆兵を国是としており、 国民に対し侵略者への降伏を禁ずる動員令を布告していたほどで、優秀な戦闘機や戦車を開発配備しているスーパー軍事国家です。     かように、どの国も国家の威信と存立をかけ国防に対する備えと覚悟があるわけです。

 アメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントンは「戦争に備えることは、平和を守る最も有効な手段の一つである」、と言いました。   『話せばわかる』、『人類皆兄弟』、などと能天気にすっかり平和ボケしている島国日本人には、 とうてい理解できない軍事力を背景にするコワイ世界なワケです。

 2003年、参議院の憲法調査会は中米コスタリカに議員団を派遣しました。  コスタリカは憲法で軍隊を持たないと規定している国家で、 平和の楽園というイメージがあるのでわざわざ調査に訪問したのでしょう。

しかしコスタリカは軍隊の代わりに治安部隊を保持していますし、1955年隣国ニカラグアから侵入した反政府軍を戦闘の末撃退しています。   1985年には米国から軍事供与を受けニカラグア侵攻の拠点を提供しています。

 地政学的には中南米全体が米国の圧倒的な軍事覇権下にあるわけで、米国と良好な関係さえ維持できれば 平和は約束されており、そもそも軍隊など必要ないのです。   隣国パナマも国軍は解体され治安部隊しかありません。     そんな地域にワザワザ国民の税金で視察にいっても無意味なだけなのです。

 このように、それぞれの国にはそれぞれの事情があり、なにもせずに国家の安全を得られる平和の楽園などこの地上世界には存在しないのです。   わざわざコスタリカまで出かけ国費を無駄使いしそんな当たり前の結論にたどり着いたというのですから、平和ボケ議員しかいない日本という国はホントにシアワセな国なのです。

 戦後の日本国憲法は、「戦争」 を想定しておらず、常に「平時」であるという前提で制定されています。   米軍の核の傘に守られ、あまりにも長く平和が続いた日本人は、「危機」「戦時」について考えない民族となってしまいました。   「有事に対処できる憲法をもたない平和ボケ国家」であり、侵略国にとってやりたい放題できる国なのです。

欲望と怨念は戦争の卵」という格言があるそうですが、ゴキブリのように領有権拡大を目指し、日本に対する怨念を持ち続けている中国の、 これからの行動を予見させる恐ろしい予言の気がするのは自分だけでしょうか。

なんの根拠もなく「憲法改正反対」、などと無邪気に唱えるのでなく、日本が戦争に巻き込まれる事態になっても、被害を最小限に食い止めるよう、 日本が置かれている立場について国民皆が真剣に考える時がきたのではないでしょうか。(2016.6.17)


なぜ憲法学者は安保法制関連法案に反対なのか

 時代の移り変わりと共に世の中は変化していきます。 道路の使い方一つでも、昔の荷馬車の時代の道路使用法をそのまま現代の車社会に適用し続ければ 不都合が出るのは当然であり、誰だってそのままで良いとは考えません。

 たとえ憲法であろうと、時代にそぐわない部分があれば見直すことは当然です。    ましてや日本国の憲法が敗戦後の日本が再び軍事大国にならぬようアメリカが意図したものであれば尚更のことでしょう。

 ところが日本国内には、その憲法を金科玉条のごとく尊び、改正などとんでもない、という勢力が存在します。    しかもそれが憲法の専門家に多い、 という気になる記事を見つけました。 これを読むとやはりというか日本の憲法学者の偏った分布原因が見えてくる気がします........


 『早稲田の法学研究科には憲法の研究室が2つあり、2人の指導教授は共産党系と言われていた。   安保法制関連法案について憲法学者の多くが反対しているとして、ある新聞がその名簿を公開していたが、その中にあのころ同じ大学院の教室で学んだ 民青(*1)の活動家の名前を多く見出した。   名前と所属大学を見て彼らの現況がわかって懐かしかったが、みんなそれなりの大学に就職している。    国立大学や中には旧帝大の法学部教授に納まっているのもいる。........(略)』

 『憲法学者はなぜこんなに安保法制関連法案に反対なのかとよく聞かれるが、彼らの思想的背景を知れば納得がいくかと思う。 (略).........学者が学問的信念をもって反対しているというよりは、学生時代から共産党系の政治運動をしていた活動家が、 数十年後に学者の肩書で反対していると考えた方が正確だ。    この教科書で学んだ生徒がやがて官僚や政治家、学者、法曹などになっていく。   それを思うと背筋が寒くなる』(麗澤大教授 八木秀次)

 自衛隊の存在自体そのものが憲法違反の疑いがある、という現在の違憲状態を解消するには「自衛隊を解体するか」 それとも「憲法を変えるか」という二者択一の話になるはずなのです。

 ところが、不思議なことに「戦力」も「交戦権」も否定している憲法を持ち、憲法学者たちが揃いもそろって祖国を守る任務の自衛隊を「違憲」と解釈しておきながら、 現実には「自衛隊の存在」を平気で受け入れ、自衛隊は違憲であるが憲法解釈の必要はないと言い、このまま違憲状態を続けるべきである、 という目茶苦茶な話がまかり通っているのが日本の現状なのです。

 彼ら憲法学者は現実世界の実務的な話などどうでもよく、専門家の解釈を必要とする難解な日本語で書かれている憲法がこのまま永久に存続することだけを目的としているのです。     憲法学者たちの解釈通りに解釈したら「自国の防衛すらままならない」、という異常な事態を何十年にも亘り放置してきた日本という国はマコトに不思議な国です。   要するに、「日本国憲法第九条第二項..... 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない」、 という内容があまりに現実と乖離しているのです。

 多くの日本国民は憲法学者の「現実離れした憲法解釈」などではなく、「現実に適った憲法解釈」 で自衛隊を必要不可欠な存在として支持しています。      自衛隊を解体するような主張をすれば大多数の日本人からは現実離れした話と非難されるのは確実な話であり、過去日本お得意のナアナア主義でなんとか自国を防衛してきたわけです。

 「戦力」も「交戦権」も否定した憲法を有しながら「自衛隊」を保持している、という矛盾した現状を直視し、 そろそろ本気で憲法改正論議に向かうべき時がきたのです。(2016.6.17)


  

平和主義憲法の基本理念は変えられない

 ただ、国際貢献は国際社会の一員としての義務だ、一国平和主義では世界から孤立する、たとえ血を流すことになろうとも、 日本は当たり前に軍事行動できる国になるべきだ、というタカ派論理での憲法改正議論には全く賛成できません。

国際貢献などと称しても、所詮はアメリカが自国権益を得るため行うもので、そのアメリカでさえも自国にメリットがなければ、例えどこの国で虐殺が行われていようが、 援助のため行動することはありえません。 ムダ金は使わないのです。

 先の戦いで、日本は国民の甚大な命を犠牲にし、「帝国主義、植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打たせ」、 「長い間アジア・アフリカを統治していた西洋人を追い払う」、という、世界を変える偉業を成し遂げました。

日本はいつまでもアメリカの利権確保に利用されるのではなく、「戦争の放棄....」を貫き通し、 武力に頼らない方法で世界平和に貢献していく、日本独特の国際貢献の道を歩んでほしいものです。

せっかく紛争大好きのアメリカが作ってくれた平和主義憲法です。 これからの海外派遣任務でも「自衛以外の武力行使は放棄」の精神で、 従来と同じ後方支援任務のみの分野で活躍していけるよう、憲法改正の中身は慎重に検討されるべきです。

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(*1)民青【みんせい】.....

民青の前身である日本共産青年同盟(共青)が大正時代(1923年4月5日)に設立。 戦後は日本青年共産同盟(青共)として発足。その後、日本民主青年団(民青団)と改称する。
青年の生活と権利を守りその要求実現と、平和で独立しどの国とも軍事同盟をむすばない民主主義で中立の立場の日本を実現するために活動する青年の自主的な全国的組織。
ただし、日本共産党に盲従しているため、この政党の考えにそぐわないものを排斥する傾向があり党員数は激減した。


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