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韓国の戦争犯罪とライダハン問題

 韓国は戦後しばらく経った1990年前後から、「日本は戦争を起こした悪い国」、「韓国を植民地支配した」として、 日本の戦争責任を追及し続ける、 常軌を逸している強固な反日国家となっています。

 以来、「従軍慰安婦問題」や 「元徴用工問題」などという、事実無根の話を性懲りもなく蒸し返し、 「日本は謝罪せよ」、「もっとカネをよこせ」とタカリ続けているのです。

 しかし、根も葉もない「日本軍残虐説」と違い、韓国はベトナム戦争において、罪もない大勢の民間ベトナム人を大量殺戮し、韓国軍兵が現地の女性を性的に暴行するなどして、 大勢の「ライダイハン」と呼ばれる混血児を生み出した国です。

 しかも、歴代の韓国指導者は、日本には執拗に謝罪を求めておきながら、自らが犯したこの、 韓国軍による民間人大量虐殺、という罪には知らんふりを決め込み、 頬かむりしてやり過ごそうとしているのです。(2021.2.19)


  

いよいよ自分の身に降りかかってきた火の粉

 韓国はこれまで嘘で塗り固めた日本悪玉説をデッチ挙げ、「慰安婦強制徴収説」や 「募集工賠償問題」などで、執拗に日本叩きを続けてきました。    その一方で韓国がベトナムで巻き起こした「韓国軍による民間人虐殺」や 「ライダイハン問題」については、いっさい口をつぐんできました。

 ベトナム人被害者も、これまでは公的な抗議の動きは見せてきませんでした。   しかし、1992年にベトナムと韓国との国交が樹立したことや、 2018年に文在寅大統領がベトナムを訪問した際、韓国軍将兵によるベトナム人犠牲者に関してはまったく言及がなかったなど、 いままでベトナム訪問した韓国大統領たちが公式謝罪していないことなどから、 ベトナム被害者から徐々に抗議の声が上がるようになっていました。

 そして2020年4月、ベトナム戦争中に韓国軍に自分の家族を殺されたグエン・ティ・タンという61歳のベトナム人女性が、 ソウルの裁判所に新たな訴訟を起こします。  タン氏は、「1968年2月にベトナム中部のクアンナム省で自分の母、姉、兄たちが韓国軍海兵隊の部隊に殺された」と訴え、 自分自身も重傷を負ったと主張しています。

 ベトナム政府はこれまでこの事件に関して公式の主張を述べてきませんでした。  しかし、今回民間人のグエン・ティ・タン氏の韓国訪問や、韓国政府への訴訟という対外活動を許したということは、 暗にベトナムも国家としてベトナム人被害者を支援する動きが出てきた、とも解釈できるわけで、今後、この訴訟が韓国とベトナムの関係にどんな影響を与えるか、要注目です。

 さらに2021年8月、米国の主要新聞が、ベトナム戦争に参戦した韓国軍が、ベトナム民間人を大量に虐殺したことを、韓国政府は今なお放置したままである、 という趣旨の記事を掲載します。   今後この問題が韓国とベトナム、そして米国の関係に影を投げかける可能性も出てきたわけです。

 ベトナム戦争で起こった韓国軍による民間人の大量殺戮という非人道的な事件が、やっといま表ざたになりつつあるわけです。  これまで散々日本に対し根拠のない言いがかりをつけ、 「日本は戦争責任を認め謝罪せよ」などと責め立ててきた韓国でしたが、今度は「事実の血なまぐさい虐殺事件」を載せたブーメランとして自分に返ってきたわけです。

 しかも、この話はウソと捏造まみれの日本叩き物語と異なり、全部事実であり韓国が申し開きする余地などない話です。    韓国がイザ自分の身に降りかかってきた事実の火の粉を、今後どう振り払う積りなのか、見ものです。(2021.9.8 JBpress 引用)


ベトナム戦争に派兵を熱望した韓国

 第一次インドシナ戦争「1946年〜1954年」の結果、ベトナムは「南ベトナム民主共和国」と「北ベトナム」に分断されます。  その後、両国の間が険悪となり、1955年11月から1975年4月30日までの、20年間という長い期間に渡り、 続いたのが第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)です。

 1964年8月、ベトナム北部のトンキン湾で、米軍の駆逐艦が、北ベトナム軍の哨戒艇による魚雷攻撃(トンキン湾事件)を受けたことで、 米国はベトナムに軍事介入を開始。  翌1965年2月から「北ベトナム」に対し北爆を開始します。

 その後、ジョンソン政権は同盟諸国に、「北ベトナム」への攻撃参加を呼びかけます。  これに、韓国、台湾、フィリピン、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、スペインが応じますが、 韓国以外は、直接戦闘に関係ない工兵隊を派遣したのに対し、韓国だけは、アメリカの“傭兵”として、「猛虎師団」、「白馬師団」、「青龍旅団」などのバリバリの戦闘部隊を派遣します。

 しかも、韓国は米国から要請される前から、二度にわたって自ら派兵を申し出ているのです。  2度目は1961年、ケネディ大統領の時代でした。  しかし、いずれも実現しませんでした。

 結局、韓国は1965年(昭和40年)10月から1973年(昭和48年)3月にわたり、最盛期には5万名を数え、延べ32万人という大兵力をベトナムに派兵。  この期間に80〜100箇所以上で虐殺事件を起こし、9千人〜3万人ともいわれる、 何の罪のない民間ベトナム人の命を、むごたらしい殺戮手段で奪ったのです。(2021.2.15)


ベトナム派兵の見返りが欲しかった韓国

 なぜ韓国がこれほど派兵に拘ったかというと、派兵の見返りとして米国からの軍事援助による軍事力強化、ならびに経済援助を期待したからでした。

 朴正煕政権は、1963年(昭和38年)年12月、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約 (日韓基本条約)」、の締結に向けて、当時のジョンソン米大統領に働きかけます。

 そして、1966年3月に李東元(イ・ドンウォン)外務部長官と、ブラウン駐韓米大使との間で交わされた「ブラウン覚書」に基づき、開発借款供与の約束を取り付けます。     朴正煕大統領は、派兵と引き換えに、「日韓基本条約締結」、「経済援助」というカードを、日米両国から引き出したのです。

 アメリカから韓国軍に給料が支給され、兵士や出稼ぎの民間人による本国への送金は、年に1億2千万ドルを数えたといいます。  その額は1969年の韓国の外貨収入の2割に達したとされます。

 結局、1965年から72年までのベトナム特需の総額は、10億2200万ドルにのぼるとされます。 ただし、この7割は、労働者や軍人の送金、道路建設、浚渫(しゅんせつ)工事、輸送などとされます。     いずれにせよ、アメリカによる軍事・経済援助、日韓基本条約による莫大な援助と合わせて、この金が漢江の奇跡の基礎となったとされます。

 そもそも、韓国が派兵したのは、「南ベトナム民主共和国」と同盟を結んでいたわけでも、「米韓相互防衛条約」を適用したわけでもありませんでした。    大義も意義もなく、ただただ自分たちの金儲け・エゴのため、ベトナム国民そのものを犠牲にする戦いに、参戦していったのです。

 これは先の大戦における日本の東アジア進出とは全く異なる構図です。  日本は、当時の欧米列強による植民地支配が当然という世界情勢の中、 「植民地支配からのアジア解放」という使命感で、 東南アジアに進出していった国です。  ましてや現地の人々を虐殺することなど、到底あり得ない話です。

 ところが、やはりというか、韓国は金儲けのためだけという目的で、ベトナムに乗り込み、何の罪のない住民を虐殺し、女性たちをレイプし、大勢のライダハンを置き去りにしていったのです。(2021.2.20)


韓国軍による民間人虐殺

 ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争・1955〜1975年4月30日)は多くの国々が関わった国際的な戦争であり、 社会主義を掲げた北ベトナムには中・ソ・北朝鮮が側面支援を行い、南ベトナムにはアメリカを筆頭に韓国、 台湾、スペイン、東南アジア条約機構(SEATO)の国々が支援した戦いでした。

 アメリカは1964年8月、ベトナム北部のトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇が、米軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる「トンキン湾事件」を機に、 ベトナムに本格的な軍事介入を始め、翌65年2月から北爆を開始します。   これと同時期に韓国軍の派兵も始まります。

 韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は、ベトナム戦争派兵を経済発展の絶好の機会ととらえ、 「カネ」のためベトナム戦争に参戦、1960年代後半から韓国軍が撤退する1973年3月までに、2個師団を主体とする合計5万人ほどの軍隊を1〜2年交替で、 北ベトナム軍や南ベトナム解放戦線軍の攻勢が激しかった中部ベトナムに延べ33万派兵しています。  これはアメリカに次ぐ大量派兵でした。

 大韓民国海兵隊第2海兵師団(青龍師団)は、南ベトナムクアンナム省ディエンバン市社フォンニィ・フォンニャット村で、非武装の民間人数十人を虐殺していますが、 それ以外にも韓国軍はベトナム各地で虐殺事件を繰り広げます。 これはウワサレベルでしかない「日本軍残虐話」と違い、米軍の報告書に記載されている史実です。

 ベトナム人は、「韓国兵は村のすべてを焼き払い、無抵抗の子供や妊婦も容赦なく殺害し、 年ごろの娘においては輪姦したあとに女性器を銃剣でかき回し、射殺するという暴挙もあった」、 「韓国兵に出あうことは死ぬことだ」、と韓国軍を恐れたといいます。  韓国兵は残忍なやり方で女性をレイプしてから殺すケースが多かったため、 韓国軍はベトナム女性にとって恐怖の的だったといいます。    結果、韓国軍はベトナムの地で歴史上ぬぐい去ることのできない多くの恥辱を残すことになります。

 韓国軍のベトナム戦争参戦によって起きた問題は「民間人虐殺行為」だけではなく、 「ライダイハン」という問題も残しました。    ライダイハンとは、「ライ」がベトナム語で混血を表し、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称です。    これは日本軍を批判するときに持ち出す従軍慰安婦のビジネス行為と違い、 韓国軍兵士による強姦が数多く行われたという証左です。   ベトナム戦争でのライダイハンの数は諸説ありますが、 最少1500人(朝日新聞1995年5月2日付)から最大3万人(釜山日報2004年9月18日)という推計があります。(2019.8.29)


  

ベトナム戦争における韓国の戦争犯罪

 韓国社会では、「韓国軍によるベトナム虐殺問題」はタブーとされていますが、いまや韓国にとって、日本の戦争責任を追及し続ける際の「棘」となっているのが、 このベトナム戦争における韓国軍の戦争犯罪です。

 韓国兵は「ダイハン(大韓)」と呼ばれ、米兵以上に勇猛で残虐なことで知られていたといいます。   韓国の民間団体の調査によれば、 韓国軍によるベトナム民間人の殺害は合計9000人に達するとされたとされます。

韓国軍のベトナム戦争における戦争犯罪
ブンタウ村

1965年(昭和40年)12月10日

当時住民50〜60人ほどだったこの村で、45人が虐殺される。

生き残った住民の証言では、ベトコンと誤解されないよう広場に集合していた村人たちに、韓国軍は銃弾の雨を浴びせ、手榴弾を投げつけた。
犠牲者の大半は女性・子供・老人だったが、必死で命乞いする彼らに、容赦なかったという。
ジエンニエン村

1966年(昭和41年)10月9日
生存者の証言によると、ヘリコプターでやってきた韓国軍は、住民を一か所に集め、いきなり手榴弾を投げつけたという。

村の学校の慰霊碑には、「....112名の無辜(むこ)の人民が死んだ....」と刻まれている。
ハミ村

1968年(昭和43年)1月26日
ハミ村の慰霊碑には、「....『青龍部隊』の兵士が狂ったようにやってきて、人々を虐殺した。 ハミ村35家族のうち135名を殺した。  ここは血に染まり、砂と骨とが入り交じり、家は焼かれ(中略)この砂浜とポプラの木が、 虐殺を記憶するであろう。 党地区政権とディエンズオンの住民、これを捧げる」、とある。
フォンニィ・フォンニャット村

1968年(昭和43年)2月12日
青龍部隊は婦女子を集めると至近距離から銃殺、刺殺し火を付け立ち去った。 ところが、その日のうちにアメリカ海兵隊、南ベトナム兵の部隊が現場に到着し、 アメリカ・ベトナム兵は生存者へ手当を施し、病院へ搬送した。   非武装の民間人69〜79人が犠牲となる。

当時のフォンニィ・フォンニャット村はアメリカ海兵隊と友好関係にあり、村の男たちはアメリカと同盟関係にある南ベトナム軍に参加していた。



  

なんと謙虚なベトナム国民

 韓国は過去の韓国軍による民間人虐殺やライダイハン問題に蓋をしてきましたが、1998年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領が訪越した際、 「不本意ながら、過去の一時期、ベトナム国民に苦痛を与えたことを遺憾に思う」、とコメントしています。

 これに対し朴正煕の娘、朴槿恵(パク・クネ)氏は金大中の発言に対し、 「大統領の歴史認識に不安を抱く。  軽はずみな発言は参戦者会の名誉を著しく傷つけた」、と強く非難しています。   槿恵氏は当時、保守派ハンナラ党(現セリヌ党)の副総裁でしたが、父親の行為は正当化したかったのでしょう。    金大中氏は日本の国会でも韓国指導者としては珍しく、素直に日本に謝意を表しています。    韓国もこのタイプの指導者が輩出すると少しはまともな国になるのですが.......。

 朴槿恵氏は大統領に就任後2013年9月に初めてベトナムを訪問し、チュオン・タン・サン国家主席と会談しますが、 アジアの解放者である日本には執拗に「日本の戦争責任」を言い立て「謝罪せよ」と批判するのに、 ベトナムに向けた謝罪の言葉は一切なかったといいます。(2019.8.29 iRONNAより)

 ベトナムで虐殺行為を犯したのは、韓国軍だけではありません。 1968年には米軍部隊がクアンガイ省ソンミ村の住民500人以上を虐殺しています。    それでも戦争体験をもつ地元のベトナム人は『....私たちが望んでいるのは、物質的な補償ではない。   それよりも共感と友好の姿勢を示してほしい。 犠牲者が過去を忘れられるように.....』、としています。 すでに捏造と判明した従軍慰安婦問題をいまだに執拗に責め立て、 謝罪だ補償だと騒ぎ立てる韓国人と違い、ベトナム人はなんと謙虚な国民なのでしょうか。

 先の戦争において日本は「白人列強によるアジア支配からの解放」を旗印に戦い、日本兵たちは敗戦で軍が解体された後でもベトナム独立のため現地に留まり、 フランスからの独立戦争(第一次インドシナ戦争)で命を懸けて戦いました。   "インドネシア独立戦争"でも終戦後にも係わらず数千人の元日本兵が独立戦争に身を投じて戦っています。

 台湾と中国との戦いでは台湾防衛に貢献し感謝された日本人がいます。     日本人はたとえ敗戦となった後でも、「欧米列強のアジア支配拡大を食い止め独立を勝ち取る」、 という崇高な目的のため命を犠牲にして戦った民族です。   対して韓国軍は金のためベトナム人を虐殺したのです。(2019.8.29)


  

公式謝罪していない韓国大統領

 韓国政府はこれまでベトナム政府に対し、「国防部保有資料には、韓国軍による民間人虐殺に関する内容が確認されていない」、という理由で公式謝罪を行っていません。

 その一方、ベトナムとの首脳会談で、遺憾の意を表明した韓国大統領たちはいます。  2001年、金大中(キム・デジュン)大統領は、「本意ではなくベトナム国民に苦痛を与え申し訳なく思い、 慰労の意を表する」とコメントします。  しかし、金大中のコメントに対し、当時保守派ハンナラ党(現セリヌ党)の副総裁だった朴正煕の娘、朴槿恵(パク・クネ)氏が、 「軽はずみな発言は参戦者会の名誉を著しく傷つけた」、と強く非難しています。

 朴槿恵は大統領に就任した2013年9月初訪越した際、ベトナムのチュオン・タン・サン国家主席と会談するも、謝罪の言葉は一切なかったといいます。    サスガ、「千年恨千年恨(日本を千年恨む)」と発言するだけあって、 悪いのは全て相手であり自分は正しい、というわけです。 

 2004年には廬武鉉(ノ・ムヒョン)が「我が国民は(ベトナム国民に対して)心の借りがある」。 2018年は文在寅が「両国の間の不幸な歴史に対して、遺憾の意を表明する」、 とベトナムとの首脳会談の場で事件に言及していますが、明確に謝罪してはおらず、正式な謝罪は現在まで行っていません。

 韓国は、捏造にまみれた慰安婦問題や徴用工問題は学校教育での必習項目となっており、日本に対する怨みを自国の子供たちに植え付けることは一生懸命ですが、自らが加害者であるベトナム問題については、 まったく教育されておらず、不都合な真実には頬被りしているのです。

 ただ、昨今はインターネットの普及などで、このような不祥事も一般に知られることが多くなっています。  韓国内でも、「日本の慰安婦、強制徴用に謝罪を要求するのであれば、我々も責任を負わなければならない」、 という声も出ているようです。  ただし、慰安婦や強制徴用は謂れのない作り話である、という部分については、反日教育が徹底しているため彼らはゼッタイ認めないでしょう。(2021.2.19)


 

ベトナム戦争虐殺で賠償判決

 2023年2月7日、ソウル中央地裁は、ベトナム戦争に派兵された韓国軍による民間人虐殺裁判で、家族や自身が被害を受けたとして、ベトナム人女性が韓国政府を相手取り賠償を求めていた訴訟判決で、 韓国政府に約3000万ウォン(約300万円)の賠償を命じる判決を言い渡しました。

 原告女性は、1968年2月に中部クアンナム省で韓国軍部隊により住民74人が殺された事件で、姉や叔母ら家族・親戚を失い、当時8歳だった自身も腹部を銃撃され重傷を負ったと主張し、2020年に提訴していました。     今回の判決は、韓国軍による加害事実を認定し、「明白な不法行為に当たる」と判断。  「ゲリラ戦という特殊性から正当行為だった」と反論した政府側の主張を退けたものです。

 ベトナム戦争での韓国軍の民間人虐殺を巡り、韓国政府の責任を認めた判決は、今回初めてで、今後は提訴が相次ぐ可能性があります。  韓国はこれまで、なんの証拠も無い「従軍慰安婦問題」とやらで、 散々日本を批判してきましたが、今回は証拠も当事者も存在する実際にあった事件です。  韓国がいったいどういう対応をするのか、見ものではあります。(2023.2.8)


 

韓国の戦争犯罪を黙殺するベトナム共産党政府

 実は、ベトナム政府は、韓国の謝罪を積極的に受け入れられない事情があると見られています。 というのも、現政権のベトナム共産党政府からみれば、 韓国軍による虐殺・暴行を受けた人々は、当時共産党の敵であった南ベトナム地域の住民であり、党の「輝かしい勝利」には貢献しなかった人々である、という背景があるわけです。

 というわけで、ベトナム南部の人々が、諸外国の働きかけで自発的に史実を検証し、その情報が国内と国際社会で共有されてしまう、という事態はベトナム共産党政府にとって警戒すべきことでもあるわけです。

 そのため、韓国と国交樹立した1992年当時から、ベトナム政府は、「ベトナムは戦勝国であり、韓国からの謝罪を受ける必要がない」、という立場を堅持しているといいます。    韓国企業による膨大なベトナム投資という背景もあって、韓国との関係を重視したいベトナム政府は強く出られず、それが過去の悲惨な事実を黙認する大きな理由にもなっているともされます。

 その一方で、韓国が謝罪のコメントは出すものの、ベトナム政府が謝罪受け入れを拒否している、という構図もあるとされます。  韓国政府関係者も、これまで韓国国内メディアの取材に対し、 「ベトナム側がそのたびに受け入れなかった」としています。(2021.2.19)


  

ライダイハン問題

 「ライ」とはベトナム語で「雑種」の意味、「ダイハン」は「大韓」のベトナム語読みとされます。  当時は韓国軍兵士や民間の韓国人が、派兵や仕事で大勢ベトナムに滞在していました。     その中には現地妻を抱えて子供を産ませたものもいたわけですが、かなりの数の現地女性が、強姦されたうえで妊娠させられたといいます。

 韓国軍兵士の性的暴行により生まれた子供の、正確な数字は分かっていませんが、数千人とも推定されています。  ベトナム戦争に派兵した韓国人兵士たちは、戦闘終了後の治安維持期に入っても、 村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が連日頻発していました。

 しかも、ベトナム戦争終結後、韓国軍の撤退と、その後のベトナム共和国(南ベトナム)政府の崩壊により、父親のほとんどが、子供を放置したまま帰国してしまったのです。    取り残されたライダイハンの子供たちは、路上にあふれ、貧困生活を強いられ、ベトナム共産党政権下で「敵国の子」として迫害され、差別されてきたわけです。

 ちなみに、アメリカ軍兵士とベトナム人女性との間にも、1万5千人〜2万人とも推計される、多くの二世(ライミー)が産まれています。 この子たちも、南北統一後のベトナムでは、 当初、ライダイハン同様に「敵国の子」とされ、迫害の対象となったのです。(2021.2.19)


 

韓国内における米軍慰安婦問題

 1950年に朝鮮戦争が勃発すると、韓国には米軍を中心とする国連軍が駐屯します。  駐留基地のすぐ側には、「テキサス」という名の基地村(売春街)が造られ、米兵向けにサービスが提供されていました。

 当時の韓国政府は、資金援助までして米軍向け慰安婦たちにエチケットや英会話を学ばせていたとされます。  そして、キーセン観光同様に、 慰安婦たちに、「いかに、あなたたちが韓国の経済発展や安全保障に貢献しているか」称賛していたといいます。

 韓国という国は、強制性などなかった日本軍相手の従軍慰安婦問題は、口を極めて批判する一方で、 自分たちは国を挙げて慰安婦施設を造り、米軍相手の慰安婦を仕立てたのです。

 あげくには、「(売春は)我が国の経済発展に貢献している」と公言し、「売春を政治戦略に発展させた」、世界でも希な国なのです。

 それの関連で、韓国内において2014年6月25日、122人の『元米軍用韓国人慰安婦』たちが、"韓国政府が、在韓米軍のため売春を奨励した"、 として"韓国政府に謝罪と賠償を求め提訴"する、という騒動が起こります。

 韓国は国内だけでなく、ベトナム・サイゴンにも、大規模な韓国軍向け慰安所施設を作っていたといいます。  日本軍の慰安婦制度を繰り返し非難し、歴史を直視しない、 と日本を責めたてる韓国政府が、この韓国政府が造った慰安所については、どんな言い訳をしてくるつもりでしょうか。(2021.2.20)


韓国は慰安所を国が設置

 2015年になっても相変わらず"デッチ上げの慰安婦問題"を持ち出し、日本に対し謝罪要求をやめない韓国ですが、 一旦約束した国家間の取り決めを平然と破るこの国に、慰安婦を持ち出して日本を非難する資格などありません。

 2014年6月25日、韓国内において122人の『元米軍用韓国人慰安婦』たちが、"在韓米軍のため売春を韓国政府が奨励した"、 として"韓国政府に謝罪と賠償を求め提訴"する、という動きがありました。

 日本の"官憲による強制連行があったという何の証拠資料も出ていない慰安婦問題"と違い、こちら韓国のケースでは 『売春を韓国政府が奨励する直轄事業だったことを示す署名文書も訴状に添付』されているそうですから言い訳の余地もありません。

 証拠もないのに日本側を攻撃している韓国政府は、今後どういう方法でこの"韓国人慰安婦問題"に対応していくのか、いろいろな意味で注目していきたいところです。

 韓国は国内だけでなく、ベトナム・サイゴンにも大規模な韓国軍向け慰安所施設を作ったことがあります。

 かつて世界の最貧国レベルにまで落ち込んだ韓国は、アメリカ政府からの"派兵規模に応じた補助金目当て"に1965年からベトナム戦争に参戦。  米軍に次ぐ延べ31万人の韓国兵をベトナムに送りました。

 サイゴンに作られた慰安所施設には、多くの若いベトナム人女性が働いていたそうですが、日本軍の慰安婦制度を繰り返し非難し、歴史を直視しない、 と日本を責めたてる韓国政府が、このベトナム韓国軍慰安所についてはどんな言い訳をしてくるつもりでしょうか。(2015.3.27)


  

どの口が言う

 2021年、韓国は4年連続で国連人権理事会において、「第2次大戦中の、いわゆる『慰安婦』の被害者の痛ましい経験から、われわれや次の世代は貴重な教訓を学ばなければならない」、と訴えました。    しかし、このセリフはまさに、「お前たちがそのような事を言えるのか」、と韓国に投げつけたい文句なのです。

 一時期、日本軍による組織的な女性の拉致、監禁、暴行が行われ、「強制的に慰安婦にされた」と大騒ぎしましたが、多くの資料によりそんな事実など無く、 全くの「捏造」であることが明らかにされつつあります。

 しかし、韓国の場合、朝鮮戦争当時、政府主導で『米軍用慰安婦施設』が造られていたのは歴史の事実です。   2014年には『元韓国人慰安婦』たちが、"韓国政府が、在韓米軍のため売春を奨励した"、 として"韓国政府に謝罪と賠償を求め提訴"する、という事態にまでなっているのです。

 そういう事実があるにも関わらず、よくもシャアシャアと、日本軍の慰安婦問題をやり玉に挙げられるものです。  このあたりのメンタリティが、やはり、 《自分の立場が思わしくないと責任を相手に転嫁し、何でも相手が悪いと決め付ける》韓国人気質なのでしょう。 いつまでたっても、 「韓国人は駄々をこねる子供」のままなのです。(2021.2.24)


明らかにされた韓国の二重規範韓

 ベトナム戦争時に韓国軍兵が現地の女性を性的に暴行するなどして生まれた混血児とされる「ライダイハン問題」は、数々の資料が残っている実話です。    日本軍による慰安婦の強制連行問題は、それを言い出した張本人が1995年に「証言は主張を織り交ぜた創作」、 と証言しウソだったことが明らかになっている話ですが、「ライダイハン」は本当にあった話なのです。

 ところが韓国は旧日本軍のいわゆる慰安婦問題を再三取り上げ批判してきたのに、いままでベトナムでの自国兵の恥ずべき行為について謝罪はしていませんでした。  こんな中、 2020年3月27日、イギリス公共放送BBCがウェブサイトに、「1968−何百人もの女性を苦しめた年」と題した記事を掲載し、ベトナム戦争当時の韓国兵による女性への性的暴行を特集で伝えました。

 記事は、ライダイハンとその母親や家族らが差別などで苦しんできたことに触れ、「韓国人に何が起きたのかを認めてもらう必要がある」との被害女性の訴えを紹介。    その中で、韓国軍兵士から性的暴行を受けた2人のベトナム人の境遇を詳しく伝えましたが、「ライダイハン」の蔑称で呼ばれた混血児はベトナムで差別を受け、 その数は5000〜3万人に上るとの説もあります。

 その他にも、ストロー元英外相が「国際大使」として関わる民間団体「ライダイハンのための正義」が、国連人権理事会による調査や韓国側の謝罪を求めていることも伝えています。   記事は、「韓国は、第二次世界大戦中に、何十万人もの韓国人女性が性奴隷として働かされたことをめぐり、謝罪をするよう何十年も日本に働きかけてきた」と指摘。 「何十万」という数字や「性奴隷」といった表現は事実と異なりますが、日本に謝罪を求めながら、自らの問題には頬かむりする韓国の姿勢を浮かび上がらせたのは確かです。

 韓国は自分の国の非道ぶりには頬かむりしておきながら、いままで何度も国連人権理事会で解決済みとされていたはずの慰安婦問題を蒸し返し、日本に何十年も謝罪を求め続け、 日本政府もそれに応じて何度も「謝罪と賠償」を重ねてきました。

 その韓国は、日本に対しては過去に対する謝罪を執拗に要求しておきながら、ベトナム戦争での事実を頑なに認めようとしません。  この韓国政府のダブルスタンダードな態度は、 従来からいろいろな場面で発揮されてきましたが、韓国軍によるベトナムでの虐殺と広範な性暴力は、それから50年が経った今、ようやくブーメランとなって返ってきました。    残虐非道な韓国人の野蛮行為が、いよいよ白日の下にさらされるときが近づいてきたのです。(2020.4.5)


 

サイゴンに「慰安所」を設けていた韓国軍

 「週刊文春」は2015年4月2日号で、韓国軍がベトナム戦争中に、サイゴン(現ホーチミン)に「慰安所」を設けていた、というスクープ記事を発表します。

 この記事は、TBSの山口敬之ワシントン支局長(当時)が、米国で発見した公文書に、「韓国軍による韓国兵専用の慰安所」の存在が明示されていた、という内容で、 これを裏づける元米軍海兵隊幹部の証言なども盛り込まれているによる衝撃リポートでした。

 「週刊文春」の発売は3月26日でしたが、その後山口氏はトンデモナイ、騒動に巻き込まれます。 伊藤詩織サンという女性から、「合意のない性行為で精神的苦痛を受けた」として訴えられたのです。

 事件は、「週刊文春」発売直後の、2015年4月3日から4日にかけて起きたとされ、伊藤氏は9日に原宿署に被害を相談したといいます。  この話は密室内の出来事であり、真相は藪の中ではありますが、 不可思議なことに、裁判では個人情報保護の観点から、防犯カメラ映像や、医師の診断書などの情報は非公開とされたようです。

 この事件が、「週刊文春」の《「韓国軍による韓国兵専用の慰安所」の存在》報道と無関係であれば、このページでとやかくする話ではありません。  あとは裁判所の仕事なのでしょうが、この事件をネットで調べたら、 2016年6月8日、東京地裁が逮捕状を発行するも、高輪署は山口氏を逮捕しなかったなど、確かに不思議な展開を辿っていたようです。(2021.2.20)


  

深入りするようネタではないと思うのですが....

 そのひとつが、《....性行為が行われた後、伊藤詩織氏は山口敬之氏のTシャツを借り、それを着て帰った。 3日後に「山口さん、お疲れ様です。」で始まるメールを送り、その中で、 自らの就職に関するビザの相談を行なった....(参照:lisanhaのPansee Sauvage)》、というジャーナリスト松田 隆氏の記事を見つけました。

 さらに、ホテルに入るときの行動も、伊藤氏は「帰りたいと言ったが、酩酊しているところを担ぎ込まれた」と言い、山口氏は「防犯カメラの映像では、自分で歩いて部屋までついてきたことが確認」と証言するなど、 マサに「真相は藪の中」の展開です。  しかも、いまや論点はレイプなどというものではなく、「同意があったか無かったか?」が争点のようです。

 結局、山口氏の逮捕まで至ることのないまま、2015年8月26日に書類送検されますが、翌年2016年7月22日に「嫌疑不十分のため」不起訴処分となっています。 この事件を切っ掛けに、 伊藤氏は、TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出されています。   裁判はその後も続いているようです。

 部外者には知る術はありませんが、ライターの安宿緑氏が書いているように、 『....大学を卒業したばかりの伊藤氏が、テレビ局の大物とコネクションを得て、舞い上がってしまったことは十分考えられるし、 一方で山口氏は、就職斡旋するはずの女性と性行為に及んだ上、「パンツくらいお土産にさせてよ」、「君のことが好きになっちゃったから合格」、などと「オヤジのカン違い」をいかんなく発揮している。     いずれにしろ、多くの人が指摘するように、こうした“両者の悲しいカン違い”が事件の出発点だと言えるのではないか。』、というのが大方の見方かもしれません。

 「週刊新潮」2017年5月25日号によれば、《高輪署員が成田空港で帰国する山口氏を待ち受けていたところ、当時の警視庁刑事部長だった中村格氏(現・警察庁長官官房長)が「本件は本庁で預かる」と主張したため、 逮捕が取りやめになった》、という、なにやらテレビドラマのような裏話もあったとか。

 マア、結局のところこの事件が、純粋(?)な「合意のない性行為の強要」というのであれば、これ以上この事件に深入りする必要はナイノデスガ......。(2021.2.20)




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